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2010年05月 アーカイブ

2010年05月07日

スーさんのGWが終わる

5月6日(木)

今年のGWも終わった。
2日から4日までは、例年のように滋賀県は甲賀市へと遠征していた。今年で22回目となる「関西・中部中学生選抜ソフトテニス研修大会」に参加するためである。

出発前日は、ニュースが高速道各所の大渋滞を報じていた。大会の開会式は午前11時である。渋滞分を考量すると、遅くとも午前5時半には浜松を出発せねばなるまいとの結論に達した。
その2日。いつもなら東名に入ると同時にのろのろ運転なのだけれど、この日はすいすい流れていた。高速道の掲示板は、岡崎ICの手前から豊田JCTまでの渋滞を告げていた。ま、これは想定内ということで、音羽蒲郡で東名を降りて国道1号線へ。国1はガラガラだった。快適に走って岡崎ICで再び東名に合流。伊勢湾岸道は、これも想定内の四日市JCTでの合流渋滞だったから、手前のみえ川越ICで降りて国道23号を四日市まで。この通称「名四国道」もガラガラだった。四日市ICで東名阪道へと入り、亀山のJCTから新名神へと入って甲賀土山SAにて小休止。何と、ここまで2時間15分のドライブであった!こんなことは、ことGW中に限ってはかつてなかったことである。
2日はエアポケットのように、車が少なかったということだったのだろうか。とにかくラッキーこの上ないことであった。

すぐに大会主催者であるニシカワ先生に電話を入れた。「え?もう着きましたん?えらい早いですやん」という声が返ってきた。男子会場の責任者であるデグチ先生にも電話を入れたところ、「直接試合会場まで行って、そこで練習試合とかしとってくれや」とのことであった。
男子会場はKN中学校。この旧甲賀郡の中学校はどこも信じられないほどのテニスコート面数を有している。少なくとも5面以上のコートがどこの学校にもあるのだ。ちなみに、男子会場のKN中は6面の横並びコートだ。
開会式まではまだ2時間以上あった。到着校から組み合わせて練習マッチを行った。まだその場の雰囲気に慣れていないためか、本校チームの試合ぶりはひどかった。ダブルフォールトの連発など、つまらないミスがあまりにも目についた。たぶん、こんな感じで本戦もやるのではなかろうかと心配になったが、果たしてそれが杞憂ではなかったということが後で明らかになった。

本戦が始まった。初日は団体戦の予選リーグである。
本校チームのリーグには、地元滋賀県勢が入っていた。まずはT中。トップがいきなりタイブレークで敗れたものの、次の2番・3番で勝ってまずは1勝。ところが、昼食後に戻ってみると、続くS中との対戦は1−2で敗れていた。最後は、各校の4番ばかりを集めた連合チームに勝ったので、結果2勝1敗でリーグ2位になった。
この日は、決勝トーナメントも1回戦だけは行う予定になってた。リーグ2位校は1回戦で他リーグ2位校との対戦がある。本校は、姫路Y中と1回戦を行うことになっていた。
試合が始まった。トップ、常に相手にリードされつつ何とかタイブレークに持ち込んだものの、そのタイブレークはこちらが一方的にミスして負け。続く2番は、2年生後衛がダブルフォルトを連発して自滅。あっけない敗戦であった。それにしても、いかにも負け方が悪かった。

この日の夜は、JR貴生川駅近くの割烹料理店にて「前夜祭」。それでも、20人近くが参加しての楽しい宴となった。この日は和歌山JT中のキンちゃんが大ブレークしていた。困った人である。
天気が良かったのでずいぶんと喉が乾いていた。ビールがまるで水のように飲めてしまった。

2日目は、団体戦の決勝トーナメントのつづきと、敗者トーナメント。何と、シンムラくんとこのK中がベスト4まで勝ち残った。よく健闘していたと思う。それに引き換えわがチームは…。臍を筮みたくなるような思いであった。
午後からは個人戦の予選リーグ。少しはコートサーフェスにも慣れたためか、3ペア中2ペアがリーグ全勝で1位トーナメントに進むことになった。しかし、残る1ペアはリーグ全敗。ちゃんと考えてやってんのかようと言いたくなるような惨憺たる試合ぶりだった。

夜は、前夜祭には参加されたかった顧問もほとんどが参加しての「本宴会」。一人一人が自己紹介も兼ねながらそれぞれの思いを話される。いつも思うが、ほんとうにいい会である。自分は前夜祭でやや過ごしたために、この日は早々に宿へと引き上げて早めに寝ることにした。翌日は、またもや渋滞の中を運転せねばならないことが予想されていたこともあったからだ。

最終日。個人戦の順位別トーナメント。さすがに1位トーナメントは、そうは簡単に勝たせてくれない。2ペアとも初戦で敗退してしまった。
それに引き替え、個人戦でも気を吐いたのはシンムラくんとこだった。何と、大将ペアが決勝戦まで進出したのである。残念ながら決勝はタイブレークの末に破れ、優勝こそならなかったが、その健闘ぶりは大いに讃えられてよいであろう。シンムラくんには、今後の指導により力を入れ、ぜひ夏には全国大会出場を目指してほしいものである。
わがチームは、前日リーグ全敗で4位トーナメントに廻ったペアが優勝した。シンムラくんとことは、えらい違いであった。

昼食後、ソッコーで帰途に就く。東名阪道の渋滞が心配だったからだ。挨拶もそこそこに、新名神甲南ICから亀山JCTへ。しかし、思いのほか東名阪道は渋滞していなかった。鈴鹿ICを過ぎると、そこからはほとんど渋滞がなかった。狐につままされたように思いつつ、伊勢湾岸道から東名への合流地点である豊田JCTへ。ここも渋滞がなかった。結局、そのまま浜松までノンストップで走ることができた。学校で荷物を降ろして解散したのが午後5時前。信じられないようなGW滋賀遠征であった。

順調に走れたのとは裏腹に、チームはどん底の状態である。もう一度、基本からきちんと見直し、厳しく練習をしていかねばならない。今のままでは県大会出場も覚束ないであろう。再建は急務だ。とりあえず、できるところから手を付けていこうと思う。

2010年05月11日

スーさん、俳句する

5月10日(月)

最近、俳句を作ることにハマっている。
以前にも書いた(http://nagaya.tatsuru.com/susan/2010/01/26_0830.html)が、今年の1月21日から毎日欠かさず一句は作るようにしていて、それがまだ続いている。どころか、最近では一日の生活の中での出来事や見聞きしたことを、どうやって句作につなげていくかというような視点でとらえるようになり、そのための季語(季題)を歳時記の中から探すことが、毎日の何よりの楽しみとなってしまったのである。

どうやら自分には、一度自分で「こうする(しない)」と決意したことはよほどのことがない限り続けていくという習性があるようだ。
「する」方として挙げられるものは、合気道、妻の誕生日旅行、夏休みの城崎行、秋の伊豆行、年末の大阪忘年会など。毎年恒例の行事になっているものばかりだ。部活動で言えば、春の京都遠征、初夏の滋賀遠征、県高校総体応援見学など、これまたそれぞれの時期のお決まりの遠征等である。さらに言えば、ほぼ毎週末の支部定例会。
逆に、「しない」方としては、パチンコ、タバコ、残業(どうしようもない場合を除く)など。特に、タバコはパッチも何も使わずにすっぱりと止めた。今では、タバコの匂いがひどく気になるようになってしまった。
で、「する」方に今度は俳句が加わったということなのである。

1月から作った俳句は、昨日までにちょうど130句。数にしてはたいした数ではないと思うが、自分に課したのは「毎日、違った季題で作る」ということだったから、まあこんなものなのだろう。
俳句のどんなところがおもしろいか。
まず、季題を探す楽しみがある。『歳時記』の頁を繰りながら、「へえ〜こんな季語があったんだ」と発見する楽しみ、そしてその季語を使って句作する楽しみ。
『歳時記」を見ていると、特に植物を知らないことに気付かされる。心のどこかにそんな意識が残っていると、車を運転していたり、道を歩いていたりしても草花が目に止まるようになってくる。「あれ?あの花なんていう花だろう?」と気になってくるのだ。
現在使用している『歳時記』は、角川学芸出版の『合本俳句歳時記(第四版)』である。コンパクトで持ち運びにも便利だし、例句も豊富だ。ただ、いかんせん、植物は名前だけではわからない。そこで、学校の図書館で見つけて「これ写真が豊富でいいなあ」と思っていた、『カラー図説 日本大歳時記(座右版)』(講談社)を購入しようと思い立った。が、既に絶版である。すぐに「密林」(@シャドウ・カゲウラ)で検索してみると、何とマーケットプレイスに1,501円で出品されているものがあった。出版当時(平成2年、第10刷)で12,360円である。一も二もなくポチっとした。日数経ずして件の本が到着した。外箱が多少傷んでいた程度で、中身は至極きれいであった。よい買い物をしたと大いに満足した。
この『カラー図説 日本大歳時記』には、季語となっているほとんどすべての植物の写真が載せられている。さっそく調べて句にした花もいくつかあった。そうやって調べていると、どうやら自分は園芸種の花よりも雑草の方が好みであるということもわかった。

さらには、写真と俳句をコラボする楽しみ。Tumblerを使うようになって、写真もアップできることがわかったのだけれど、写真だけではなんだかなあと思っていたところ、『写真俳句のすすめ』(森村誠一、朝日文庫)なる本を見つけた。そうか、写真に俳句を添えたり、その逆もできたりするんだということを知った。以来、デジカメのないときにはケータイのカメラで撮ったりもしながら、「写真俳句」も少しずつ増えていった。自分が撮ったしょーもない写真でも、俳句を添えるとなんとなく様になってるような気がするから不思議だ。もちろん、これは俳句に写真を添えると一端の俳句のように思えるということもある。

さらなる楽しみ。五七五という定型に、その日あったことや自分の見た光景、感じたことを流し込むという作業が持つおもしろさ。
初句ができても次がつながらないとか、第二句と三句はできてるんだけど初句が思いつかないとかいうことは多々ある。で、それをずっと考えていると、不意にぴったりあてはまる言葉を思いついたりした時の喜び。そればかりか、そうやって考えている時に、まったく違う季語を使った別の句を思いついたりすることもあるのだ。

自分では、個人的に高浜虚子と正岡子規を師と仰いでいる。高浜虚子は、『俳句の作りよう』(角川文庫)で、正岡子規は、『俳諧大要』(岩波文庫)で。
『俳句の作りよう』に、「何でもいいから十七字を並べてごらんなさい」と、「「や」「かな」「けり」のうち一つを使ってごらんなさい」(7〜8頁)といとも簡単に書かれていたことが、「んじゃ、オイラもやってみっか」という気持ちになった最大のきっかけとなった。
『俳諧大要』には、「文章を作る者、詩を作る者、小説を作る者、俄かに俳句をものせんとしてその語句の簡単に過ぐるを覚ゆ。曰く、俳句は終に何らの思想をも現はす能はずと。しかれどもこれ聯想の習慣の異なるよりして来る者にして、複雑なる者を取って尽くこれを十七字中に収めんとする故に成し得ぬなり。俳句に適したる簡単なる思想を取り来たらば何の苦もなく十七字に収め得べし。縦しまた複雑なる者なりとも、その中より最文学的俳句的な一要素を抜き来りてこれを十七字中に収めなば俳句となるべし。初学の人は議論するより作る方こそ肝心なめれ。」(23〜24頁)と書かれているのを読み、とにかく作るべしという気持ちをさらに強く持つようになったのである。
まことに、得難い師匠たちである。

その正岡子規が、『歌よみに与ふる書』(岩波文庫)の中で絶賛していた『金塊和歌集』。
これは是非とも読まずばなるまいと「密林」で検索をしてみたのだが、岩波文庫版は絶版。ネットで調べてみると、どうやら実朝の歌をほとんどすべてアップしてあるサイトもあるということを知ったが、こればっかりはどうしても書籍にて手元に置いておきたいと思った。
で、どうもこれがよろしいのではと見当をつけたのは、『新潮日本古典集成』第44回配本の『金槐和歌集』(樋口芳麻呂校註、昭和56年6月初版)。この本こそ、実朝の全集と称してよいとの評判だったのだ。しかし、新刊は3,150円。このところ、「密林」で本ばかり買っているので、カード決済の金額も嵩んで、そろそろ妻から苦言を呈されるのではと思っていたところだったので、今回は時々利用していたネットの「日本の古本屋」で検索してみた。あったあった、「初版本」でしかも「美装」とある。金額は1,400円。すぐに注文のメールを送り、郵便振替で代金を支払った。今日、その本が届いた。「これが昭和56年の本?」と言いたくなるほどに、箱ばかりでなく本を包んでいるハトロン紙までほぼ新品のままだった。感激した。
俳句とは直接関係はないけれど、正岡師匠を通して知ることができたことがうれしい。

かくして、句作の日々はこれからも続いていくのである。

2010年05月18日

スーさん、読書する

5月17日(月)

「ソシュールの言語観では、動物でも雪でも食物でも、何種類かのモノそのものが最初から存在して、コトバで名づけられるのを待っているわけではない。動物や雪や食物を記号によって区分するからこそ、それに応じて、それぞれのモノが存在しはじめるのである。それゆえ、ソシュールに言わせれば、一般にコトバと呼ばれているものは、世界を区分する記号としての語のことであり、言語とは、記号としての語の相関関係から構成される体系のことにほかならない。」(難波江和英・内田樹『現代思想のパフォーマンス』光文社新書、36~37頁)

まさにそのとおりである、ということを実感したのは、俳句を作るようになって知った花々のことである。
今までは、どこにどのような花が咲いていようとも、それがひどく自分の関心を引くということはなかった。もちろん、春には桜を愛でたりしていたわけで、まったく花々に心を動かされなかったということではないのだが、積極的な関心は抱かなかったのである。
しかし、ひと度花々に関心を持ってしまうと、そこにはいかにも豊穣な世界が拡がっていた。
今までは気にも留めなかった道端の花。何と可憐な花の多いことか。いかに至る所に咲いているか。春になり、初夏を迎えるにしたがって、それこそ次々といろんな花がその美しさを競うように咲き出る。
まさに百花繚乱。
そうして、その百花のうちの一つずつの花の名前を確認していくうちに、今まで知らなかった花の世界が目の前に開けてきたのである。つまり、花の世界が存在し始めたのである。

同様のことは、ニーチェについても言える。
主著、『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上英廣訳、岩波文庫)を読むまでは、高校の倫社の時間で学習した程度の知識でしかニーチェのことを知ることはなかった。
しかし、『ツァラトゥストラ…』を読みながら、そのアフォリズムにいちいち納得することや元気づけられること、興奮させられる経験をすると、いかにもニーチェが身近な人のように感じられるようになったのである。
つまり、花々の世界と同じように、ニーチェの世界がそのほんの入口から垣間見えたのである。

さらには、セネカのことである。
セネカの著作については、mixiのマーラー・コミュで辱知の間柄となった「まっちゃん」さんに蒙を啓かせていただいた。
昨日、「おお、そう言えばセネカ読んでなかったっけ」と、つい最近購入した『生の短さについて』(大西英文訳、岩波文庫)を読み始めて、すぐにその文章に釘付けとなった。
「生は、使い方を知れば、長い。しかし、ある者は飽くなき貪欲の虜となり、ある者はあくせく精出すむだな労役に呪縛され、ある者は酒に浸り、ある者は怠惰に惚ける。また、常に他人の判断に生殺与奪の権を握られている公職への野心で疲労困憊する者もいれば、交易で儲けをという希望を抱いて闇雲な利欲に導かれ、ありとあらゆる土地をめぐり、ありとあらゆる海を渡る者もいる。(…)自発的に奉仕しながら、感謝もされない目上の者への伺候で身をすり減らす者もいる。また、多くの者は他人へのやっかみか、己の不運への嘆きで生を終始する。移り気で、あてどなくさまよい、自己への不満のくすぶる浮薄さに弄ばれ、これと決まった目的もないまま、何かを追い求めて次から次へと新たな計画を立てる者も多く、また、ある者は、進むべき道を決める確かな方針ももたず、懶惰に萎え、欠伸をしているうちに運命の不意打ちを食らう。」(同書、12〜13頁)
これって、まさに現代の人間のことを活写した文章であると読めはしないだろうか。

でも、セネカが生きていたのは、今から2千年以上も前の時代なのである。
“ルキウス・アンナエウス・セネカ(ラテン語: Lucius Annaeus Seneca、 紀元前1年頃 - 65年4月)は、ローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝期の政治家、哲学者、詩人である。第5代ローマ皇帝ネロを幼少期には家庭教師として、また治世初期にはブレーンとして支えた。ストア派哲学者としても著名で、多くの悲劇・著作を記し、ラテン文学の白銀期を代表する人物と位置付けられる。”(@Wikipedia)
そうなのだ。彼が生きていたのは、かの「暴君ネロ」が生きていた時代なのである。
それなのに、彼の書いた文章は(異国の言葉に翻訳され)2千年の時空を超えて私たちの心に訴えかける。「なんだ、2千年前も今も、人間っておんなじじゃん」と。
ここから、急にセネカが身近な存在になって、その世界が広がる。
ニーチェもセネカも、訴えかけてくることは、「自らの生をいきよ、全うせよ」ということである。

かように、この世にはいろんな世界が広がっている。
その全てを知ることはもちろんできないけれど、その一端を一つでも多く知ってみたい。その世界に足を踏み入れてみたい。
そうして、先人が感じた豊かな世界を、少しでも経験してみたい。
最近はこんなことばかり考えている。

2010年05月25日

スーさん、講習を受ける

5月24日(月)

この身の不運を呪いたい。
教員免許状更新のことである。
民主党政権移行に伴い、この制度はマニフェストにあるように廃止されることが決定された。
ただし、「来年から」だ。
つまり、今年はまだこの制度が有効なのである。そうして、自分はその更新対象者だった。

対象者は、「各生年月日(栄養教諭免許状を所持する者は免許状を授与された日)ごとに応じて定められた年月日(修了確認期限)の2月前までの2年間内に各大学等が開設する30時間以上の免許状更新講習の課程を修了し、大学等から発行された修了証明書を添えて、勤務する学校が所在する都道府県の教育委員会に申請することにより、免許状更新講習の課程を修了したことについての確認(更新講習修了確認)を受けることが必要」(@文部科学省)となる。
今年の対象者は、平成24年1月31日までに更新講習を受けなければならない。

更新講習の内容は以下のとおり。
「本人の専門や課題意識に応じて、教職課程を持つ大学などが開設する講習の中から、
①教育の最新事情に関する事項(12時間以上)
②教科指導、生徒指導その他教育の充実に関する事項(18時間以上)
について必要な講習を選択し、受講すること」
もちろん、その受講に関わる費用は個人負担である。
上記①(12時間)は必修講習。費用は12,000円。②は選択講習で、1講習6時間で6,000円×3講座だから、計18,000円、締めて30,000円也である。

この現場には極めて不評な制度は、平成19年6月の改正教育職員免許法の成立により、平成21年4月1日から導入された。目的は、「定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指す」(@文科省)のだそうだ。ご丁寧に、「※不適格教員の排除を目的としたものではありません」というただし書きまで添えられている(こんなただし書きがあると余計に勘ぐりたくなるものなのだが)。

あのなあ。
そんなこと、文科省が主導してくれなくたって自分でやるってば。
それにだ。「最新の知識技能を身に付ける」ことと、「教員が自信と誇りを持って教壇に立」つことや「社会の尊敬と信頼を得る」ことと、どういう相関関係にあるんだ?
「最新の知識技能」とは、何についての「知識技能」なんだ?
教員は、「最新の知識技能」を有しているから、「社会の尊敬と信頼」を得られるのか?そうではなくて、今まで蓄積されてきた文化の一端を教える技能を持っているから、「尊敬」され「信頼」されるんじゃないのか?
そういうことを、どこで、だれが説明してくれているんだ?
少なくとも自分は、寡聞にして知らないのだが。

さらに。
この制度、来年は廃止されるんだよ?
廃止されることが決まっている制度の講習を、対象の教員が高い動機付けを以て受講すると思っているのだろうか?(まあ、3万円も支払ってるから、ちゃんと受けようと思うのかもしれないけど)
そんな、モチベーションの上がらない講習を受けさせて、それが「教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ること」につながると、文科省の官僚たちは真剣に考えているのだろうか。そんなことは、ちょっと想像力を働かせればよくわかることだと思うのだが。それとも、官僚の仕事には想像力など必要ないということか。
多くの大学が、受講者受け入れのために準備をしていたことであろう。だから、「即刻廃止」というわけにはいかないというような事情もあるのだろう。
それでも、受ける身としては上記のような理由から、あえて「即刻廃止」を望みたい。

組合からは、「受講しないと免許が失効しますので、ご注意ください」とのお知らせがあった。あのさあ、組合も「即刻廃止」を主張しろよってば。「ご注意ください」じゃないんだよ。
仕方がないので、嫌々ながらあれこれ調べてみることにした。
どうせ受けるんなら、近いところがいいなあと思い、地元のS大開講講座をネットで確認してみた。
今月中に登録をして、希望する講座をネットで予約するシステムになっていた。その確認をしたのが連休明け。ちょうど提出書類が立て込んでいたということもあって、「ふ〜ん、今月中ならまだ時間あるからいいや」と放っておいた。
そろそろ月末を迎えるということで、「しょうがない、申し込みでもするか」とネットを見たのが本日。
浜松キャンパスで受講できる講座のほとんどが定員に達していた。何とか、「必修」と「選択」2講座までは予約できたが、残る「選択」1講座は「キャンセル待ち」となってしまった。
キャンセルがなかった場合には、本学のある静岡市か、三島市のキャンパスまで受講しに行かなければならない。
文句ばかり言ってる場合じゃなかったってことか。
でも、今年対象の先生たちは、そのほとんどが自分と同様の思いを抱いているのではなかろうか(自分と違うのは、文句はあるけど一応やるべきことはやっておいたことだ)。

残る選択1講座、どうしようかなあ。ったく、鬱陶しいったらありゃしない。
そうだ!ナガミツくんとこの大学で受けよっかなあ。でも、夏の京都は暑いよなあ。ナガミツくんが「祇園で舞子さんと一杯やりましょう!」って言ってくれれば、一も二もないんだけど。

これだから文科省ってキライだ。

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