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2010年03月 アーカイブ

2010年03月02日

スーさん、多治見に遠征する

3月1日(月)

知命の年も超えて早三歳となる自身の誕辰。
朝から大家さまである内田総長を始め、甲南麻雀連盟、浜松支部、甲南合気会、浜名湖道場等々の方々より、Twitterにてお祝いのお言葉をいただいた。
徒に馬齢を重ねる身にはあり余るお言葉の数々、まことに感に堪えず、ひたすら恐れ入るばかりであった。同時に、しっかりせねばと自らを鞭撻させる思いも新たにさせられた。

さて、この土日は、いよいよメンバーの定まった県選抜チームを率い、岐阜県は多治見市へと遠征。
以前から親交のある岐阜県のワタナベ先生からのお誘いで、多治見市総合体育館にて開催されることになっていた「近府県選抜中学生ソフトテニス研修大会」に参加するためである。

多治見市での試合と言えば、2年前の悪夢のような出来事(http://nagaya.tatsuru.com/susan/2008/02/11_2241.html)を思い出す。
途中から降り出した雪のため、帰り道でたいそうな難儀をしたのである。
以来、「もう2月の多治見には絶対に行かない!」と心に固く誓っていたのであるが、今回は自分で運転しなくてもいいということもあり、さすがに2年前のようなことはなかろうということで参加させていただくことにしたのである。

初日の土曜日は、参加5府県の総当たり戦。
試合をする前は、「ひょっとしたら全敗かもしれない」と覚悟していた。それほどに、本県チームの技術的レベルは高くないと思っていたからだ。
試合が始まった。初戦の京都府戦こそ何とか勝てたものの、以後の3試合は悉く敗れるという結果であった。
この日は、特に大将ペアの後衛選手がぴりっとしなかった。久しぶりのインドアだったためか、とにかくボールがコートに入らないのだ。
他のペアも、ポイントは競り合うのだが、肝心なところで先にミスが出てゲームをものにできないという展開が目についた。
試合後、そのことも含めて簡単にミーティングを行い、翌日の試合に臨む心構えを確認した。

宿舎にチェックインの後、件のワタナベ先生をはじめ、地元の先生もご一緒に駅前の居酒屋にて小宴。
いろいろと内部事情なども伺う。傍から見ているのとはだいぶん違うことがいろいろとわかった。それぞれに難しい事情もあるということなのだ。
そのままニ更に入ろうかというところまで飲んで終宴。
「雀荘は1軒しかないです」という地元リョウセツ先生の事前情報もあり、そのままホテルへと戻っておとなしく就寝。

明けて日曜日は、富山県選抜チームも加わり、計6チームでの総当たり戦を行った。ただし、時間の関係もあって、同ブロックチームの対戦は組まないように配慮されていた。
選手たちには、「今日は勝ちにこだわってやろう」と話をしておいた。そのために、要所でサインプレーを使うことも打ち合わせておいた。
試合が始まった。
初戦は京都府戦。京都には前日の試合でも勝っていたので、選手たちもリラックスして臨めたところもあったと思われるが、何より前日不調だった大将後衛がいつもの調子を取り戻してくれていた。前日とは打って変わって、落ち着いた試合ぶりであった。トップの大将ペアがしっかりしていれば、その影響は他のペアにも及ぶ。京都戦は3ペアとも勝つことができた。
次は、福井県選抜。ここは大将ペアの後衛が力強いボールをびしびしと打ち込んでくる。前日にやられたプレーを確認して、特に前衛選手がアジャストできるよう指示して送り出した。トップは大将戦。終始こちらがリードする展開で勝つことができた。
続くペアはこちらが単発のミスを繰り返していいところなく敗れ、3番勝負となった。その3番勝負、途中からどうやらこちらのサインがバレていると判明した。すぐに対策すると、そのまま勝つことができた。これで2勝。

次の相手は長野県選抜。強力な大将ペアを擁している。この試合もトップが大将戦となった。相手は、前・後衛ともに体格がよく、技術的にも高いレベルにあることがよくわかる試合ぶりであった。ところが、途中から相手後衛選手にミスが出始めた。そのことにかなり苛立っていることも試合中の態度で伺われた。ここを先途とそれに応じた配球を指示したのだが、最後は相手の力に押し切られてしまって敗戦。
それにしても、相手のお世辞にも良い態度とは言えない試合ぶりには多少なりとも気分を害された。きっと、ジュニア時代から試合で勝つことで、不自然に膨れ上がった自己に気付かず、そのバブリーな自己に振り回されているのであろう。天は二物を与えずということなのかもしれなかった。
さすがに、こちらも大将ペアが敗れると続くペアも元気がない。この対戦は3ペアとも敗れた。これで2勝1敗。

最後の対戦相手は、富山県選抜。メンバー表を見ると、ほとんどが1年生のチームだ。これもいろいろな事情があるだろうが、どうして1年生ばかりのチーム構成になってしまったのだろうか。もちろん、県内の試合で勝った実績を考慮されてのことだろうと思うが、それってどうなのだろうと思ってしまった。
要するに、ジュニアのときは何でもハイハイと言うことをきいてくれるので監督やコーチも指示を出しやすいのだが、それが中学生も2年生あたりになると反抗的な態度も見られるようになるばかりか、いろいろと遊びの誘惑にも負けてしまう選手も出てくるため、監督・コーチが使いづらいということなのだろうか。
だとするなら、何よりまず中学校の顧問たちがそのことを真剣に受け止めて、何とかしていかなければならないのではなかろうか。
もちろん、相手は1年生とは言え、上手な選手たちであった。それでも、さすがにミスも少なくはなかったため、本県が3−0で勝つことができた。
結果は3勝1敗。昨日の試合ぶりを考えれば、上出来であったと言えよう。本戦での戦いぶりもだいぶんイメージできるようになってきた。それは、選手たちとて同様であったろうと思われる。
得ることの多い貴重な遠征であった。

帰途、高速道の電光掲示板は、地震による東名清水—富士間の通行止めを報じていた。県東部地区から参加していた選手・保護者は、たぶん中央道を迂回して帰らねばならなくなったはずだ。とんだことになってしまった。
やっぱり、岐阜県の多治見には魔物が棲んでいるとしか思えない。やはり、あまり近づかない方が無難ということなのであろう。
ワタナベ先生をはじめ、岐阜県選抜チームスタッフのみなさま、お世話になりました。たぶん、来年もお願いします(どっちやねん!)

2010年03月08日

スーさん、書店について考える

3月8日(月)

恵みの雨。
と思いきや、土曜日は朝から市のシード校決定戦のために市営テニスコートへ。
雨ならテニスはできないのが普通だ。でも、市営コートには屋根付きコートが4面ある。出場校が限定されていれば、4面でもそれなりに試合は消化できる。
今回は、雨なら午前と午後を男女で分けて、やれるところまで試合を行うとの事前連絡が入っていた。
会場に行くと、既に主将が組み合わせ抽選を済ませて対戦相手も決まっていた。ジュニアのファームを持つ強豪校の一つだった。1試合やるだけで帰れそうだと思った。選手たちには試合に臨むにあたっての具体的な指示をして待機に入った。

このシード校決定戦、今年度から始まった試みであるが、前にも書いたとおりわざわざ時間を労力をかけて行うほどのことはないとの感を強くしている。
特に今回は、本戦の組み合わせを抽選で行うようにしたことで、その思いは確信に変わったと言ってよい。
もともとは、実力校同士が市内大会で潰し合いをせず、それなりの順位で順当に上位大会に出場できるよう配慮したいとの意図で始めたと思うのだが、地区予選を勝ち抜いた学校が対戦する本戦で、その組み合わせをくじ引きにしてしまっては何にもならないのだ。
運営部の諸君には、「一度始めたことはしばらく続けてみないと」などと官僚的な発想は捨て、ぜひ再考をお願いしたいところだ。

試合は、案の定本校の惨敗で終わった。まあ、冷静に実力を勘案すれば当然の結果であったろう。と言うか、いろいろと対戦校についての情報収集ができたという意味では、対戦はいい機会となった。でも、それだけである。
ふだんの練習ぶりを見ていれば、少なくとも自校の技術的なレベルがどの程度のものかということくらいは重々承知している。だから、試合結果もほとんど予想に違わないものとなる。
そもそも、年明けから春先にかけては、じっくり時間をかけて技術的なレベルアップを図る時期である。試合なんぞしている暇はないのだ。

哺時より、2週間ぶりの支部小宴と例会。
今回は、いつも正月以外にはほとんど参加したことがない自称「百獣の王」が参戦した。
やる前までは、「みんな、点棒持って集合してもらおうかい」と嘯いていたが、ほとんど和了ることもなくマイナスに沈んだ。奢れるものも久しからず。「百獣の王」は、飼育された猫のようにおとなしかった。

明けて日曜日は、天気予報どおりに朝から雨。
予定では県選抜チームを率いて三島高にて一緒に練習をさせていただく予定になっていたのだが、週間天気予の雨予報もあって、当の三島高ソフトテニス部監督であるイナムラ先生とも相談して、先週水曜日には早々と中止を決定していたため、完全に一日オフとなった。
うれしい。もちろん、朝から春炬燵に入ってひたすら読書。
きっと、退職後はこういう生活になるような気がする。早くそうなりたいものだ。

前日の小宴の際、自宅近くにあるスーパー銭湯によく行くと言っていたケーイチくんから、そこの割引券をもらったので、「もし明日行くんなら電話してよ」と約しておいたところ、ちょうど昼前に件のケーイチくんから、「2時くらいにどうですかあ」と電話が入った。一も二もない。昼食後のまったりした時間にお風呂に入るのも乙なものだ。
きっかり2時に駐車場で待ち合わせて入場。ワンコイン(500円)で8種のお風呂が楽しめるとの触れ込みだ。日曜の午後ということで混んでいるのではと予想していたが、思いの外空いていた。おかげで、ゆったりと時間をかけて湯に浸かることができた。サウナにも入ったし、雨中の露天風呂も楽しんだ。コストパフォーマンスはかなり高いと思った。

ほっこりした気分で帰宅して再び春炬燵に入ると、程なく深い眠りに落ちていった。目覚めると夕刻。急に思い立って、豊橋の精文館書店まで出かけることにした。
目的は、内田先生も書評を書かれ、アオヤマ姉御も大のオススメだった『身体感覚で「論語」を読みなおす』(安田登/春秋社)と、鷲田先生の『普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫)。
スーパー銭湯の帰り、自宅近くの書店を数軒回ってみたのだが、ともに見出すことができなかった2冊である。

ただでさえ雨で薄暗いところへ、ちょうど日暮れ時ということもあって山のシルエットがふだんとは違う風景のように見える道を一路豊橋へ。BGMはマーラー。5番のアダージェットと雨の浜名湖畔の景色はまことによくマッチする。
いつもの駐車場にプリウスを入れて精文館書店へ。もちろん、目的の2冊もゲットすることができた。
でも、どうして浜松にはこういう書店がないのだろう。売れ筋の本を置かないと経営が苦しいということはあるかもしれない。
前にも書いたが、「本屋という場所にわたしたちが誘われるのは、そう意識していようといまいと、本屋の本棚の本がひそめる理想主義という秘密に誘われ」(『本という不思議』みすず書房)るからなのだ。 いくら本をたくさん置いていようが、その棚に「理想主義」を感じさせない配架の書店は、そもそも「書店」というものが持つ基本的な機能を果たしていないのである。当然、それは配架する本の選択にもあらわれる。
いや、その街の書店が文化的関心のバロメーターであるとするなら、少なくとも浜松は「人文的関心が極めて低い地域」と結論づけられるであろう。改善のために自分ができることはないのだろうか。
ちょうどNHK教育TVでやっていた「N響アワー」でのチャイコフスキーの4番のシンフォニーを聴きながら、そんなとりとめのないことをつらつらと考えていた。

2010年03月16日

スーさん、温泉にゆく

3月15日(月)

日曜日から1泊2日で西伊豆は松崎へ。
例年、共済組合より「宿泊施設利用券」が支給されるのだが、いつも使用しないままに年度末を迎え、慌てて近くの宿泊施設に泊まりに行ったりしている昨今である。
昨年は、妻が「まだ食べたことない」と言ったので、奥浜名湖にある施設に「スッポン会席」を食べに行ったのだが、そう毎年同じことをするのも芸がないと思っていた。
今年はどうしようとぼんやり考えていたところ、ちょうど妻の仕事が連休になる日があることがわかった。それではということで、ちょうどその日に泊まれそうな県内宿泊施設のウェブページを片っ端から調べてみたところ、伊豆松崎の「まつざき荘」だけが宿泊可能ということが判明した。
すぐに予約を入れたのが先週の木曜日。ちょうど公立高の合格発表日で授業のない月曜日は、有給休暇をいただくことにした。

久しぶりに西伊豆へ行くということで、沼津K学園高のスガイ先生のところに連絡を入れ、「土肥から堂ヶ島の間で、どっか美味しいお昼の食べれるとこ知らない?」と尋ねると、宇久須からちょっと南へ下った安良里地区内のお店をいくつか教えてもらった。
春の西伊豆へ行くのは初めてである。秋とはまた違った趣を楽しみにして浜松を出発した。

東名は、相変わらず車は多かったが、特に渋滞するようなこともなくすいすいと沼津インターまで。途中見えた富士山は、最近降った雪のためだろうか、6合目くらいまで雪化粧であった。
沼津インター出口は、最近複雑に道が枝分かれしている。とりあえず「伊豆」と表示された道路を選択すると、そのまま三島・箱根方面へほぼノンストップで行ける道が整備されていた。この道路、以前箱根から降りてきた際に伊豆縦貫自動車道へ繋がっていることを確認した道であった。さすがにそこまで行ってしまうと、西伊豆へは遠回りになってしまう。途中、三島で途中下車して、下田街道を修善寺方面へと抜けることにした。三島市内はいつもの混雑であったが、下田街道は空いていた。伊豆中央道に入って有料道路を修善寺まで。さらに、湯ケ島の手前を右折して船原峠越え。下れば土肥である。
海岸沿いの国道136号をすいすいと宇久須を越えて右折、安良里漁港に入る。スガイ先生の紹介してくれたお店ならどこでもよかったのだが、たまたま駐車場が近くにあった「よこ田」に入る。
既に午後1時を過ぎていたが、店内はほぼ満員であった。「すみません、いっぱいなんで…」と入店を断られそうになったが、店の女将が「いいですよ、お二人でしょ?カウンターにどうぞ」と言ってくださった。いい感じがした。さっそく注文。あれこれ思案の末、「鯵の活造り定食」を頼むことにした。妻は鮪のすき身丼。すぐ横に水槽があり、鯵は注文するとそこからすくって料理されて出てくる。新鮮なことこの上ない。身も引き締まって歯ごたえがある。こんな鯵は初めて食べた。

ビールを飲んだ夫に代わって、そこから宿までは妻の運転。堂ヶ島を越えて松崎まで。そんなに時間もかからないドライブであった。
宿舎である「まつざき荘」は、前身は国民宿舎であったそうだが、4年前に現在の場所に移築されたそうだ。まだ新しくきれいな宿である。ほとんど部屋が海に面しており、駿河湾に沈む夕日が一望できる。
チェックインを済ませて旅装を解くと、部屋から浜辺と神社が見えた。行ってみることにした。これが何と、かの厳島神社の分社だった。もちろん、本社には比ぶべくもなかったが。夏は前の浜辺が海水浴場になるのだそうだ。夏の賑わいが目に浮かぶようだった。
一頻り散策して戻り、まずは一風呂。大浴場は最上階にあった。ここからも海が一望に見渡せた。湯はもちろん温泉。松崎から山あいに入った大沢温泉の湯とはさすがに違うが、体の芯から温まる湯であった。
夕食は、昼に安良里で食べてあまりに美味しかったカサゴの煮付けを追加注文した。これがまたひどく美味しかった。ついビールを過ごしてしまった。
食後は再びお風呂へ。十分に温まって快眠。翌朝も、朝食前に三度風呂。温泉はこうでなくてはいけません。
地元産品が並ぶバイキングの朝食をたっぷりといただいて、「まつざき荘」を後にする。よい宿であった。宿泊補助券を使ったこともあるが、ほぼ大沢温泉ホテル一人分の料金であった。また来ようと思った。

帰りはすぐに沼津方面へと戻ってもよかったのだが、せっかくだからとさらに南へ下って雲見まで足を延ばしてみた。松崎から雲見への海岸沿いの道は、兵庫県の城崎から香住へと抜ける海岸沿いの道とそっくりであった。断崖絶壁、岩場の海岸、そうして突如現れる海水浴場。途中、何度か車を停めて写真を撮った。それほどに景色のよい場所がいくつもあった。
雲見からは再び松崎へと戻り、ナビが推奨する仁科峠越えの道を辿る。ところが、これがとんでもない山道であった。対向車に注意しながら、何とか仁科峠を越え、そこから船原峠方面へ降りて、行きしに通ってきた下田街道へ。
ちょうど昼時ということもあり、いつもの沼津港の魚市場で昼食。今回は珍しく妻が「丸天で食べたい」と言ったので、新装なった二号店の「みなと店」へ。その前に、沼津K学園高ソフトテニス部OGのお父さんに出会った。昨夏、弁天島の花火を一緒に舟から見物した方である。ご縁があるなあと思った。
「丸天」のボリュームたっぷり定食に膨らんだお腹をさすりつつ、そこからは妻の運転。いつものように、国道1号を清水まで、そこから東名で浜松まで。天候に恵まれたよい旅であった。

次の3連休はソフトテニスの遠征。自校のチームと県選抜チームを率いて滋賀と京都への遠征である。
さらに、春休みに入った26日からは三重県伊勢市にて都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会。
つかの間の休暇であった。
今週で3学期も終わる。忙しい年度末が待っている。

2010年03月26日

スーさんの、テニスな三連休

3月23日(月)

ソフトテニスな3連休だった。
春休み初日の土曜日は、早朝から滋賀県は長浜へ向けて浜松を出発。今年で21回目となる「滋賀・近隣府県中学生ソフトテニス研修大会」(団体戦)に参加するためである。

このところ、3連休の高速道は各所で激しい渋滞を引き起こしている。一律千円は確かにありがたいのだが、「だから渋滞くらいは我慢せよ」というのも困る。
案の定、東名下りはいつもの音羽蒲郡を過ぎた辺りから渋滞が始まった。仕方がないので、これまたいつものようにすぐに東名を降りて国道一号を岡崎まで。そこから名古屋を過ぎるまでは順調に流れたのだが、春日井を過ぎた頃からしきりにナビが「渋滞考量オートリルートを開始しますか?」と聞いてくるようになった。小牧〜一宮JCT間が渋滞しているとの情報は流されていたが、8キロ程度であったからそのまま走ってもどうもなかろうと思っていたのだが、どうやらナビがそのようにアナウンスするときは回避した方が賢明な種類の渋滞らしかった。
果たして、小牧ICからびたりと止まってしまっていた。リルートは選択していなかったが、そこで降りることにした。とりあえず岐阜方面へと走って、国道155号線を名岐バイパス(22号線)まで走り、東海北陸自動車道の一宮木曽川ICから再び高速道へ乗り、一宮JCTから名神へと戻った。そこからは渋滞はなく、米原JCTから北陸自動車道に入ってすぐに高速道を降り、一路試合会場である長浜ドームへ。
試合開始には間に合いそうになかったので、主催者である滋賀県の委員長ニシカワ先生に連絡を入れ、初戦だけリーグ戦の対戦を変えてもらうよう依頼しておいた。到着は9時半。渋滞がなければちょうど2時間ほどで来られるから、1時間半ほど余分に時間がかかってしまったことになる。

到着して早速ニシカワ先生にご挨拶。すぐに試合が始まった。相手は地元滋賀のT中。トップ負け、2番勝ち、3番勝負も勝ってまず1勝。
思わぬ収穫があった。いつも団体戦ではトップに起用してきた後衛選手であるが、普段の練習ではけっこういいボールも打てるのだけれど、こと試合になるとつい気弱な配球とイージーミスが目立ち、なかなか勝てない試合が続いていたのであったが、この日は何かが吹っ切れたように別人のような落ち着いた配球をしていたのである(遠征前に、いつもと同じような試合ぶりなら団体メンバーから外す旨を言渡してあったのが効いたのかもしれない)。
もう一つは、1年生後衛に2年生前衛を付けて3番に置いたところ、堂々の試合ぶりで3番勝負を勝ってくれたことである。
これで気をよくしたか、続く第2試合も滋賀NK中に3番勝負で勝って予選を1位で通過することができた。

決勝トーナメント、初戦の相手は京都のO中。大将後衛が選抜チームで抜けていたおかげか、この試合も勝ってベスト4。続く、準決勝は何と滋賀県選抜チームであった。さすがに県代表にも勝てるだけの実力はない。何とか食らいつこうとはしたのだが、鎧袖一触で撃破されてしまった。でも、選手たちにはいい経験となったはずだ。
同じく浜松から参加したシンムラくんとこのK中は、何と決勝まで進出した。しかし、相手は滋賀県選抜チーム。シンムラくんのK中にもわが静岡県選抜チームの前衛選手はいるのだが、フル代表にはさすがに歯が立たなかった。それでも2位は立派である。
終わって、京都府は宇治市へと移動する。翌日からの「五里五里の郷中学生ソフトテニス研修大会」に参加するためである。

宇治市の宿はこのところいつも宇治川畔の民宿「亀石楼」。どの部屋からも水量豊富な宇治川を眺めることができるいい宿である。
夜は、主催者である京都NJ中のミヤタ先生、K中のキシ先生行きつけの近鉄寺田駅すぐそばの「和壯」。創作料理と豊富な種類のお酒の飲める瀟洒なお店である。
おいしい料理に舌鼓を打ちつつ、地元スタッフの先生方との話も弾んで知らぬ間に二更も過ぎようかという時間である。途中、コンビニでまた宿で飲むための酒類やつまみを購入して帰る。

明けて春分の日。
「五里五里」の研修大会は個人戦からスタートしたが、長浜ドームでは同じ日程で各県選抜チームによる研修大会が組まれていた。監督である自分と、スタッフのヨッシー、オノちゃんは、それぞれシンムラくんや副顧問に「五里五里」個人戦の面倒を見てもらうよう頼み、同じく京都府選抜女子チームの監督であるミヤタ先生の車で、黄砂に霞む名神を長浜へと向かったのである。

この日、長浜に集まった選抜チームは12チーム。遠くは、徳島県や島根県からも参加していた。試合は4チームによる予選リーグと予選順位で組み合わせられた決勝トーナメント。本県は、石川・愛知・京都のリーグに入っていた。
試合が始まった。初戦は京都。前回も岐阜の多治見で対戦しているが、その時は大将ペアが不在だったとのことだった。その大将ペアには負けたがそれ以外の2ペアは勝ってまず1勝。しかし、続く愛知と石川には大将ペアしか勝てずに敗退。結果、予選は3位通過となった。

決勝トーナメント、初戦の相手は島根。T中選手による単独チームである。後衛にU-14で最終選考まで残った選手を二人も擁しているとのことで、かなりの実力を有するとの評判だった。しかし、試合はやってみなければわからない。その二人の後衛相手に堂々と渡り合った本県ペアが、1,2番ともに勝ったのである。

続く相手は奈良。昨年も、奈良とはこの大会の決勝で対戦した。昨年の奈良は、本番である都道府県対抗戦で、男子が準優勝、女子は優勝を飾った。全国でも屈指の実力を持つ県である。当然のこと、そのための強化費も本県の5倍以上と噂に聞く。今年も、昨年に負けず劣らずの実力ペアを擁しているとのことであった。
トップの大将戦。多分に試合馴れしていると思われる相手後衛の繰り出す配球に、こちらの前衛がついていけない。要所でその前衛のところに打たれてポイントを奪われる。結果、1ゲームを取るのがようやくというところであった。2番はこちらが粘った。タイブレークまで縺れたが、何とか勝つことができた。3番勝負、こちらの強打をうまくロビングでかわされ、我慢できずに打つボールを相手前衛にポイントされる。この試合も、何とか1ゲームは取ったもののそれで終わってしまった。さすがに簡単には勝たせてはくれない相手であった。
時間があったので、そのあと再び石川と練習マッチをして長浜を後にする。昨年もそうであったが、この大会は本番前の仕上がり具合をチェックするのにひじょうにいい機会となる。昨年のような結果を残すことはできなかったが、本番までの各選手の課題をはっきりさせることができた。

途中、長浜ドームの外を見ると何と土砂降りの雨であった。それに気温もどんどんと下がっているようで、寒いことこの上ない。浜松を出るときには、確か「3連休の最高気温は20度以上」と聞いていたので、グラウンドコートは持参せずに来たのだが、持ってくればよかったと激しく後悔した。
再びミヤタ先生の車で宇治へと戻り、何はともあれと風呂に入って体を温める。この日の宴会はJR宇治駅近くの家庭料理のお店。地元O中のI先生御用達のお店だそうだ。どの料理もしみじみと美味しい。風呂上りのビールが堪えられない。前日よりは少し早め、そろそろ二更も終わろうかというところで宴会はお開き。さすがにこの日は宿で飲むこともなく爆睡。

最終日。「五里五里」団体戦。予選リーグの相手は、兵庫H中と奈良K中。いずれも、強豪校と全国に知られたチームである。勝てるはずがない。予定どおりリーグ最下位で決勝トーナメントへ。
その1回戦の相手は、何とシンムラくんとこのK中だった。実は、予選リーグが終わったところで、そのあまりに不甲斐ない試合ぶりに業を煮やし、選手たちにはひどく激を飛ばしたところであった。そんな事情もあってのことだろうか、予選リーグとは打って変わった試合ぶりでK中には勝つことができた。怒り心頭のシンムラくん。
その後の準々決勝は、淡路島のA中に撃破されて6位という結果だった。おかげで、だいぶんこの先の指導のポイントや選手起用がはっきりしてきたような気がする。

いつもそうだが、収穫の多い大会であった。だからこそ、こんな遠くまで遠征をするのである。つまりは、やたらと催される凡百の研修大会と違って、長浜や宇治の大会は「かけがえのない研修大会」ということである。主催者であるミヤタ先生とキシ先生にお礼を言って宇治を後にする。

渋滞の予想がつかなかった。とりあえず、京滋バイパスに乗ったが、仰けから時速20キロくらいの渋滞。草津のJCTから第2名神はすいすいと走れたが、東名阪道との合流地点で再び停車と発車を繰り返す渋滞。そのまま御在所のSAまでのろのろ運転であったが、そこを過ぎると嘘のように走り出した。伊勢湾岸道は快調だったが、またしても今度は東名との合流地点である豊田JCTが大渋滞。つまりは、横入りをする車で後ろが詰まってしまうのである。何とか東名に合流したものの、そのまま岡崎を過ぎるまでは渋滞が続いた。
浜松西インターを出たのは午後8時半。宇治を出たのが午後3時半だったから、途中の休憩を入れても5時間はかかっているということだ。渋滞がなければ凡そ3時間のドライブだと思うのだが。
途中、何度か止まった際に、すかさず「交通情報」メールを後続のシンムラ、オノ、ヨッシーに向けて発信した。曰く、「東名阪道は全く止まってるわけではないので、亀山から下に降りる必要なしと認む」とか、「亀山から鈴鹿まではいちばん右車線を走るべし」とか、「豊田の合流地点はぎりぎりまで右車線を走行すべし」などというメールである。どうやら、かなり正解だったようで、後続車からは「情報のとおりでした!」などというお礼のメールが返ってきた。困ったときは、助け合うのである。

ぐったりと疲れて帰宅。
帰省中の娘の顔を見たら少し元気が出たが、さすがに今朝は起き上がることができないくらいであった。何とか出勤したが、さしあたっての業務はなしとの教頭の判断で、お休みをもらって自宅にて蟄居。
明日から、新年度の会議が始まる。またもや机上のノートPCから目を離せない日が2日間続く。そうして、26日からは三重県伊勢市にて都道府県対抗戦。たぶん、ネットブックを持参で、伊勢でも書類づくりをしないといけなくなるような気がする。
どうしてこんな状態になっているかという原因ははっきりしているのだけれど、まあいいや、言っても詮無いことだし。
もう、こういう生活もそろそろ終わりにしたいと真剣に考えるようになった。

2010年03月30日

スーさん、敗戦を語る

3月29日(月)

3日間にわたった都道府県対抗戦が終わった。
今年も、目標としていた団体戦の1勝を挙げることができなかった。
どころか、個人戦で1ペアが1勝しただけという惨敗に終わった。
もちろん、結果の責任はすべて監督にあるわけで、既に県中体連のソフトテニス専門部長には監督更迭の進退伺を申し出てある。
プロの選手というわけではないので結果がすべてというわけではないが、昨年末から3ヶ月の余、それぞれの中学校から大切な選手を借り受けて指導してきたわけで、それについてはそれなりの結果を以て応えるということも必要であろう。
ほんとうに申し訳なく思う。

確かに、チーム発足時に比べれば、どの選手もずいぶんと上達した。他府県チームと対戦しても、だんだんと勝つことができるようになってきていた。
特に、2月の岐阜遠征や、つい10日ほど前の長浜遠征では、Uー14の選手を相手にしてもそれなりのゲームができるようになっていたのだ。
自然と期待も膨らみ、「あとは組み合わせ次第で…」と思っていた。
しかし、いざ蓋を開けてみると、選手たちは10日前とは別人のように恐る恐る試合をしていた。

特に、配球してゲームをつくる役の後衛選手が、要所でイージーミスを繰り返した。
後衛選手の動揺は、もちろんネット付近でプレーする前衛選手にも影響する。ある程度の期間ペアを組んで試合もやっていると、そのくらいのことは察知できてしまうのである。そうすると、前衛選手もイージーなスマッシュをネットに掛けたりするようなミスをするようになってくるのだ。
もちろん、試合はこちらが一方的にミスをするということはない。相手も同じようにイージーなミスを犯すこともある。そこから流れが変わって、モメンタムを引き寄せることもある。
だが今回は、せっかくの相手もミスも、こちらがさらに上乗せのミスを繰り返すことで、モメンタムを掴むことはできなかった。

どうしてこうなってしまったのだろう。
選手の性格的な問題もあろう。でも、それをいい方向に導くのは指導者の役割である。
今年の選手たちは、どちらかと言えばおとなしい選手が多かった。練習は真面目にこなすが、大きな声で盛り上げたり、笑わせてくれたりする選手がほとんどいなかった。
何とかそんなところを改善させようと、コーチ陣も手を尽くしてはみたが、捗々しい改善は得られなかった。そんなチームの雰囲気も、今回の試合結果に現れていたと思う。
でも、これはとても難しい問題だ。
学校の部活動のように、ほとんど毎日選手に接していればメンタル面でのタフネスを鍛えるように指導していくことはできるが、選抜チームではそうはいかない。
そういうところは、各学校の顧問なりコーチなりの指導にお任せするしかない。ところが、そんな指導がほとんど期待できないところも、学校によってはあるという実情を保護者から聞かされた。
実際のところはどうか確認したわけではないが、例えば「選抜の練習に行くんなら、残った部員が何をすればいいかメニューを考えておけ」などと顧問から言われるのだそうだ。それって、まったく役割が逆ではないか。あるいは、月に1回来るか来ないかのコーチに、試合当日のベンチ入りをお願いする顧問とか。

昨年もそうだったが、都道府県対抗戦が終わって、6月の県選手権や夏の中体連県大会で選抜の選手たちと顔を合わせると、選手たちは必ず自分のところへやって来ては、あれやこれやと現状を報告してくれた。
でも、当然その会場に来ていたはずの顧問の先生からは、「選抜チームでお世話になりました」などという挨拶やお礼はまったくと言っていいほど耳にすることはなかった。
そうやって愚痴ると、コーチのオノダくんから「またまた〜、いいじゃん、何も見返りなんてなくたって」と諭されてしまうのだが、やはり該当選手をふだんから指導している顧問やコーチと、十分な情報交換の機会を持つことは必要なことだったと思う。

もう一つは、ジュニア選手育成の問題であろうか。都道府県対抗戦で勝つためには、ジュニアでの試合経験豊富な選手を起用するのが最も近道である。それなくしては、これだけジュニアのレベルが高く、どの県にもジュニア出身の選手がどんどん出てきている実情を考えれば、勝利を得ようというのは至難の業であろう。
そんなことはわかっている。
でも、それを何とかしていくためには、県連盟も中体連競技部も巻き込んで、組織的な選手育成を展開していかなければならない。時間がかかるのだ。
今後10年間監督をやれというのであれば、そのためのお膳立てを含めて、何とか手を打っていくかもしれないが、そこまでして勝利を目指そうとは思わない。だって、小学校時代はいろんなスポーツを経験した方がいいではないか。
とりあえずは、手持ちの駒ででき得る精一杯のことをするまでだ。

大会会場で、旧知の某県の監督と話をする機会があった。その県は、本県などとは比較にならないほどの強化費が県連盟から支給されていて、練習会場の確保やら遠征やらに潤沢に利用できるとのことだ。その分、当然のように勝つことを求められるわけで、保護者も巻き込んでかなりヒートアップしているらしい。例えば、その監督の勤務する学校にわが子のいる親が、県内の有力選手の保護者に声をかけて、住所変更をしてまで越境入学させようと画策しているとか。
「なんでそこまでせなあきませんの?公立の中学校でしょ?そんなん、おかしいと思いません?」とその監督は言っていた。もちろん、おかしいと思う。
近年、私立の中高一貫校が増え、学校によっては部活動の強化のためにジュニアの選手をごっそり入学させているところもある。
「そんなこと、いつまでも続くと思ってますのやろか?自分で自分の首締めてるんとちがいます?」とも。いちいち、尤もなことと思う。

ソフトテニスは、マイナーなスポーツだ。
でも、その競技人口の大半を支えているのは中学生だ。そうして、全国の中学校のソフトテニス部員のほとんどは、中学生になってから初めてラケットを握る子たちだ。
そんな中学生たちが夢見る全国大会の舞台。
たまたま、同じ小学校にソフトテニスをしている子がいて、その子がテニス部に入部してくれたおかげで、他の部員たちも見よう見まねで上達していき、熱心な顧問の先生の指導も相俟って、夢にまで見た全国大会に出場することだってあるかもしれない。
でも、私立校がジュニア育ちの選手たちを根こそぎ自分のところに集めると、そんなこともなくなってしまう。いい選手が全県のあちこちに分散しているからこそ、それぞれの地域のレベルが上がって、互いに切磋琢磨するようになる。つまり、多様性が担保されているということだ。
今、そんな機会がどんどん失われようとしている。あっていい話ではない。日本連盟も、競技力向上のためにアンダー制を敷くのはいいが、中学生の全部員に会員登録を勧めて確保した資金が、ごく一部の選手たちのためだけに使われてるとするならば、そのうちに会員登録もされなくなっていくような気がする。

どうも結果が思わしくなかったためか、愚痴っぽい話になってしまった。
「敗軍の将、兵を語らず」
これ以上、とりとめのないことを書くのも見苦しかろう。
もちろん、自分から言い出すことはないが、今年の敗戦はほんとうに悔しい思いにさせられた。
もしも機会をいただけるのであれば、もう一度、捲土重来を期したいと思う。

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