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2007年11月 アーカイブ

2007年11月06日

スーさん、ちょっと怒る

11月5日(月)

日曜日は、先週雨で順延された県西部地区中学校ソフトテニス大会の団体戦。昨年のこの大会では、男子は浜松地区の代表校が優勝していることから、新人大会浜松1位校は第1シードに組み合わせられることになっていた。したがって、本校は第1シードで大会に臨むことになった。

ちょうどこの時期は、どこの学校も校内合唱コンクールや文化発表会等が企画されていることに加え、冬至に向けて日没時間が急速に早まっていることから、放課後の練習時間が十分に確保できない。もちろん、夜間照明付きのテニスコートを持っている学校などないから、いきおい、ジュニアのクラブチーム等、何かしら学校とは別組織に所属して練習している選手以外は、競技レベルが多少なりとも低下してしまうことになる。本校とて、その例外ではなかった。仕方がないので、大会前だけに限って、一、二度市営テニスコートに出掛け、夕方2時間ほど練習できるようにさせてもらった。

団体戦の出場校は全部で24校。県大会へはベスト8に勝ち残ったチームが出場できる。シード校は、初戦をクリアすれば県大会への出場が決まるのだ。本校の初戦の相手は、1回戦を3番勝負で勝ち上がってきた市内校であったが、特に苦戦をすることもなく勝ってベスト8、県大会への出場が決まった。

続く準々決勝の相手は、今夏の市内大会団体戦で2組とも先にマッチポイントを握っていながら敗れたA中。現チームには、その時に試合をした選手が3人いる。口にこそ出さなかったが、「リベンジしよう」という気持ちはあったのだろう、すばらしい集中力と気迫で相手を圧倒、試合は3番に回ることなく2-0で勝利した。これでベスト4。

準決勝の相手は、お隣の磐田市の新人大会で準優勝した学校であったが、これまた競り合いの場面はほとんどなく、2-0で勝って決勝へ。決勝戦の相手は、新人市内大会準決勝で対戦したS中。ジュニアのファームがあり、県選抜チームに入っている前衛選手をも擁す強豪校である。

このチームとの対戦成績は1勝1敗の五分。1年生大会は本校が3番勝負の末に敗れ、新人市内大会では2-0で勝ち、今回が三度目の対戦である。2面同時進行で試合が始まった。トップは相手の大将ペア。前回は相手後衛選手のボールがコートに入らず、何とか勝つことができたが、はたして今回の対戦ではほとんどノーミスで打ってきた。さらには、こちらの後衛選手がコース変更にいったボールを相手前衛選手に叩かれ、あっという間に3ゲームを連取されてしまう。こちらの前衛選手に動きを指示して何とか1ゲームを取り返したが、相手に傾いた流れを取り戻すことなくそのまま敗戦してしまった。

隣のコートでやっていた本校の大将ペアは、多少のミスもあったが、要所を好プレーで締めてストレート勝ち、勝負は3番に持ち込まれた。その3番勝負、本校の後衛選手は、1年生大会の時にも3番に出てタイブレークの末に敗れた悔しさを覚えていたのだろう、俊敏なフットワークと相手前衛に的を絞らせない配球で相手を寄せ付けず、ストレートで完勝。本校の優勝が決まった。

団体戦は3組の点取り(2点先取)である。だから、頼りになる大将ペアがいるときは強い。相手チームは、当然のようにその大将ペアとの対戦を避けてくることから、確実に1点を取ることができるからだ。後は、残った2ペアで1点を取ればいい。幸い、本校の3組は後衛選手がそれなりのレベルで平均化している。前衛陣は、大将前衛を除いて今ひとつ得点力がなかったが、試合経験を積むほどに得点力がアップしてきた。つまりは、大将ペア以外もそんなに競技力が落ちないということがある。優勝できたのは、そんな事情もあってのことだろうと思う。

試合のことはさておき、今回もやや気になったことを記しておきたい。

本校が試合をしているときに、コート周辺をひたすらランニングしている学校があった。どこの学校だろうと思って確認したところ、1回戦で敗退した学校であることがわかった。ひたすらランニングしながら敗戦の反省をさせているということなのだろうか。そんなことを生徒たちが自主的に行っているとは考えにくい。先生の指示でやらされているのだろう。もしそうだとするなら、言語道断の行いである。そんなことを指示するバカは、偉そうに顧問だなどとぬかしてはいけない。即刻顧問を辞めるばかりでなく、教員そのものも辞するべきである

試合に負けるのは、断じて子どもたちの所為でない。すべては、顧問の指導力不足の故である。それなのに、いかにも子どもたちが悪かったかのように、罰としか思えない長時間のランニングを課すとは。以ての外である。ランニングをするんなら、自分が倒れるまでやればいいのだ。そうやって自分が走りながら反省すれば、少しは自分の指導力のなさも実感できようというものだ。

確かに、部員がいなかったりして、時にはあまりモチベーションが高くなく、低レベルのパフォーマンスに終始する選手たちしか出場させることができない場合などもあろう。それでも、何とかそうならないよう精一杯指導するのが監督の仕事である。そんな基本的なこともお分かりいただけてない者を、監督とは呼ばない。

また、試合前の挨拶が終わった直後、コート内で円陣を組み、「ぜー、おー!」とかやってる学校もあった。確かに、団体戦だからチームワークを高めるための一つの「儀式」としてやったのかもしれないのだが、そんなことをしなければ意気が上がらないようでは所詮試合には勝てない。闘志は心静かに燃やすものである。円陣を組む暇があったら、ペアでゲームの入り方を簡単に打ち合わせしたりする方がよほどいいではないか。本校のキャプテンは、そんな相手チームを見て、「先生、ああいうことやらなければ勝てないんですかねえ」と言っていた。ちなみに、本校のその学校との対戦は、2面同時進行で試合終了まで15分とかからなかった。円陣は、全くその神通力を発揮しなかったのだ。そんなことはわかっているはずだ。やるべきことは他にあるはずなのだ。それを指導するのが、監督の仕事である。

文句の言い序でに、女子部のことも。さすがに新人大会では見かけなかったが、よく夏季大会などでは、応援席に千羽鶴を掲げている学校もある。折ったのはもちろん下級生である。上級生から、一人何羽とノルマが課せられた末のものであろうが、やらせるべきではないと思う。確か前任校の時にそんなことがあった。部員たちには、以下のように話した。「試合に出る選手たちにほんとうに勝ってほしかったら、下級生としてやるべきことって、鶴を折ること以外にあるんじゃないのか?懸命にボール拾いをするとか、声を出して練習の雰囲気を盛り上げるとか。」以来、千羽鶴を折ることはなくなった。これなども、監督が部員たちの千羽鶴製作を一種の美談ととらえているところに問題があると思われる。

また、これは女子部に特有のことなのだが、節を付けて歌うような応援って、何とかならないものだろうか。大きな声で声援を送るのは同じ部員として大切なことと思うが、何も歌うように応援しなくてもいいではないか。歌詞もいただけない。あまりに直接的で品がない。「笑顔、笑顔、笑顔…」、「ガッツ、ガッツ、ガッツ…」、「勝利、勝利、勝利…」と、節を付け手拍子付きで何度も繰り返すだけ。恥ずかしくないのだろうか?聞いていて不快である。まるで念仏を唱えているようだ。こういうことを四六時中言ってなければガッツが出てこないのだろうか?まさかね。こんなことをやってるから、ソフトテニスはいつまでもマイナースポーツのままに終始してしまうのだ。もちろん、そんなことをやらせる監督に問題があることは言うまでもない。

だんだん文句付け爺になってきたみたいだ。やめよう。

試合に勝つために、その学校特有の「儀式」が必要なことは認めるにしても、それが部の下級生たちに何らかの無理強いをするものだったり、試合進行を遅らせるものだったり、試合会場での傍若無人の振る舞いをするものだったりする場合には、やはり顧問の指導で止めさせるべきなのだ。それは、顧問としての良識が問われることでもあろう。

幸い、若手指導者への講習会の計画は、ヨッシーを中心に順調に進んでいる。前回の日記の趣旨を話したところ、沼津K学園高のスガイ先生も、「そういう意図でやられるのなら、私も協力します」と申し出てくれた。ありがたいことである。未来ある若手指導者たちに、「指導者として、かくありたい」という思いを伝えたい。そうして、一人でも多くの良識ある監督を少しずつ増やしていきたい。

2007年11月12日

スーさん、一級審査を受ける

11月12日(月)

土曜日は、合気道浜名湖道場の昇級・昇段審査。手前は、先月下旬、同道場生であるタカバさんから、「寺田先生が、受ける気があるんなら受けてもいいわよ、と言ってました。どうします?」と迫られていた。

2級を取得したのはちょうど昨年の11月。この1年は、週に1度の稽古ではあるが、時には芦屋で内田先生の稽古も受けたりして、自分なりには地道に稽古を積み重ねてきたつもりであった。しかし、1級となると、今までの審査を見ている限り、かなりハードな審査である。はたして、馬齢知命を迎えた体がついていけるのかどうか甚だ心許なかったし、技もどれだけこなせるのか自信がなかった。

さらには、今夏より道場主の寺田先生が体調不良のため、稽古は道場生の初段者が中心になって、自主稽古を続けてきたことも、技のこなしに自信が持てない大きな要因となっていた。さすがに事情を酌量していただき、10月からは月に一度のペースで、寺田先生のお師匠さまである北総合気会の山田博信師範が、わざわざ浜松まで出稽古していただけることになったのだが、それでも基本的に稽古は初段者中心の稽古に終始している。手前のような他動的稽古態度の者が、自主的な稽古でどれほど力が付いたのかはかなり疑問のところがあったのである。

周囲からは、「せっかくだから、受けた方がいいっすよ」と背中を押され続けた。不安なところはあったのだが、「じゃあ、やってみっか!」と多少は悲壮な決意をしたのである。その旨をタカバさんにメールをしたところ、「自由技を少し考えておいてください。片手持ち、両手持ち、正面打ち、横面打ち、突き、後ろ取りをそれぞれ7種類以上。」という恐怖のメールが返ってきた。なもん、無理だってば。

それからの日々は、審査の日が心に重くのし掛かる毎日であった。こんな気持ちになるんなら、審査なんか受けるって言わなきゃよかった、と後悔しきりであった。少しでも不安を和らげるために、稽古の時には当のタカバさんをつかまえて、「突きの捌きからの技教えて」とか、「後ろ取りからの技のポイントは?」とかひたすら教えを乞うた。おかげで、少しはメールにあった捌きはひととおりこなせるような気持ちになってきた。

審査は、土曜の午後からである。いつもは寺田先生のお住まいになる湖西市にて実施してきたのであるが、今回はいつも稽古している浜松スポーツセンターの道場で、山田師範御臨席のもとに行うことになった。気持ちの準備のことも考え、その日の午前の部活動は休みにした。直前までイメージトレーニングでもしておこうと思ったからである。

幸いなことに、審査前日の金曜日の夜には、山田師範直々に稽古していただけるということになった。たぶん、審査を勘案されてのことであろう。ありがたいことである。たぶん、そこで稽古されることは、言わば、「試験前日の特別授業」のようなものである。稽古は、主に両手取り、後ろ両肩取りからの技が中心であった。師範の動きを食い入るように見つめ、集中して稽古を行った。

さて、審査当日。のんびり晏起し、朝食を済ませ、いつも審査の前にしか繙かない『規範合気道』を見つつ、技の復習をした。写真を一枚ずつ丁寧に見るのではなく、全体の流れをイメージしながら、捌きから技への移行を一つ一つ確認してみた。おかげで、基本の技をきちんと見直すことができたような気がした(実際、このときに確認した「横面打ちからの五教」は審査で求められた)。

出発までにはまだ時間があったから、本を読んで気分転換を図ろうとした。が、10分ほど読むと眠くなったので、思い切ってふて寝することにした。小一時間ほどで目覚めたときに、突然、今日の審査に臨む心構えを思いついた。「居着かないようにしよう」ということである。審査は、師範から指示で行われる。その指示に、「ん?どうやるんだっけ?」とか思ってしまうと、その瞬間に居着いてしまう。師範からどんな指示をされようとも、すぐに体を動かしてみることで、身体が自動的に動くことを心掛けることにしたのである。

審査は午後1時からであったから、30分前には会場入りし、準備運動と呼吸を念入りに行っていた。と、山田師範のご到着が少し遅れるとの連絡が入った。これ幸いと、シンちゃんを稽古台にして技の確認する。「バッチリじゃないですかあ!」と気遣って言ってくれるのがうれしい。いったん覚悟を決めると、不安な気持ちは何処へやら、「ま、なるようにしかならんわい」と腹をくくることができた。

5級の審査が始まった。次は自分たちの番だと思うと、他級の審査など上の空で見てしまうのだが、実は5級の審査でも技の基本がよくわかるということに気付いた。特に、回転投げについては、この5級の審査を見ていて納得するところが大であった。かように、他級の審査もきちんと見ていることが大切なのだ。

続いて、いよいよ1級の審査である。審査を受けるのは4人。名前を呼ばれ、正面に膝行で進み出、審査に入った。最初は、座りの固め技(1〜4教)である。続いて、座りからの入り身投げ、四方投げ。ここまでは2人組で行われたが、次の技からは受けが入った(手前の受けはシンちゃん)。まずは、半身半立ちからの回転投げ。さらに、立ち技になって、両手取りからの天地投げ、四方投げ、小手返し。このへんで息が上がった。汗も、これでもかというくらいに放出される。水分補給をしたくてたまらない。

師範からの指示は、次から次へと発せられる。前日行った、後ろ両手取りからの呼吸投げ、三教。片手両手取りからの四方投げ、入り身投げ。酸素不足で頭が痛くなってくる。これから先は、どんな技の指示がされたのか、よく覚えていない。汗は、拭いても拭いても後から後から出てくる。最後は、一人ずつ自由技。さすがにたまらず、自分の番になる前に水分補給をした。もう何でも来い、の気分であった。

ようやく、「はい、では正面に礼をして」と、師範の声。審査が終わった。体中が充実感で満たされた。もちろん、途中でよくわからなくなって、受けのシンちゃんから、「手、こっち」とか誘導されることもあったが、それでもこんなに体が動くのか、とあらためて自分で自分の身体を褒めたくなった。審査前に自らに言い聞かせた「居着かないこと」は、十分に達成できたと実感した。

実は、2級の審査の時も、同じような充実感を味わうことができた。しかし、今回は、それにも増しての達成感があった。何より、審査が終わった後の身体感覚、体中の細胞という細胞が賦活化され、何に対してもいきいきと鋭く反応できるような感覚が体中に残っているのが不思議であった。普段はあまり動かさないところを含め、身体全体を使って動いたためであろうか、審査後の太刀取りの稽古でも、師範の動きのポイントをつかんで、すぐにやってみることができるような気持ちにさせられた。得難い経験であった。

稽古終了後、一人一人に山田師範より免状をいただいた。胸を張って免状をいただけるような気がした。それほど、充実した審査であった。審査と稽古の後は、初更より直会。水分の枯渇した身体に、ビールが染み渡る。美し酒であった。今回の審査で、今までよりさらに合気道が好きになったような気がした。次なる審査は、昇段審査である。しかし、そんなことはあまり考えず、今回の審査に臨んだ際の心構えである「居着かないこと」を中心に据えて、さらに技を磨いていこうと思う。

受けを取ってくれたシンちゃん、ありがとう。おかげでいい動きができました。これからもよろしくです。

2007年11月17日

スーさん、音楽について語る

11月16日(金)

アクトシティ浜松の大ホールにて開催された、マリス・ヤンソンス指揮、バイエルン放送交響楽団の演奏会に妻と出掛ける。プログラムは、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と、ブラームスの交響曲第1番。

浜松は「音楽の街」などと標榜しているが、それはあくまで楽器製造の街という意味での「音楽の街」であって、比較するのも憚られるが、ウィーンなどとは似て非なる街であることだけは確かなことである。現に、オーケストラの演奏会だけを例にとってみても、多少は高額でもぜひ聴きに行きたいという演奏会など、少なくとも手前が大学卒業後に帰浜して以来皆無である。

浜松は工都なのだ。むしろ、「ものづくりの街」を表看板に掲げた方がよろしかろうと思われる。何の得になるのかわからないクラッシック音楽などを聴くより、何か日常生活の役に立つもの、それを製作することで毎日の生活の糧が得られるものへの関心の方が高いのである。

そんな事情は、お金のかかるオーケストラ演奏会をプロモートする各音楽事務所には、たぶん先刻ご承知のことで、だから「浜松はスルーしようぜ」ということになるのであり、欧米の名だたるオーケストラの浜松公演など実現の運びとはならないのである。

そういう状況の中、今回のヤンソンス・バイエルン放送響演奏会のポスターを夏休みに目にしたときは、「えっ?」と思わず絶句するほどの驚きであった。すぐに主催する文化振興財団職員でもある不肖の妻に、いかなる手段を講じてもチケットを入手するよう依頼をしたのである。

演奏会は午後7時開演であった。帰宅する前に、「そうだ、演奏者がよく見えるよう単眼鏡を購入しよう」と思いつき、近くのホームセンターへ。その単眼鏡を上着の胸ポケットに忍ばせ、この日は休みを取っていた妻の車で一路アクトシティへ。席はどこでもいいから、と言っておいたのだが、妻の購入した席は何と3階席だった。単眼鏡を購入したのは正解だったのだ。

演奏会は「ツァラトゥストラ」から。かの映画「2001年宇宙の旅」の冒頭で使われ、一躍有名になった曲である。はっきり言って、手前はR.シュトラウスのオーケストラ曲がキライである。何て言うんだろう、同じような場面がくどくどと繰り返されて話が進んでいかない小説を読んでいるような感じなのだ。この交響詩も、手前は、有名な冒頭部分以外は冗長で退屈な曲という印象であった。たぶん標題音楽であろうから、シュトラウスがニーチェの原作のどの部分を作曲したのか詳しく知ればもっとおもしろく聴けるのかもしれないのだけれど、どうもそんな気にならないのである。その「ツァラトゥストラ」が終わって15分間の休憩。演奏は悪くなかったと思う。しかし、いかんせん曲が…。

後半はブラームス。もちろん、楽団員もブラームスの方に力が入るだろうという予想であった。そのブラームスが始まった。第1楽章、瞑目して出だしを聴く。うーむ。ちょっとテンポが速めか。あっさりした印象であった。ここは、北ドイツの陰鬱な空(見たことあるんです、実は)のイメージで演奏してほしいところなのだ。しかし、どうしてやや速めのテンポで演奏したのかは、このあと終楽章を聴いて納得した。

第2楽章。もちろん、聴き所は第1ヴァイオリンのソロである。徐に単眼鏡を取り出し、コンサートマスターにピントを合わせる。楽章も終わらんとするところ、ホルンとの甘美なソロの掛け合いを交互に見る。ソロがヴァイオリンだけになったところで、再びコンマスを注視。最後のフェルマータのボーイングを見るためである。きっちり、下げ弓が先端部になったところで曲が終わる。絶妙。

バイエルン放送響は、木管楽器に名手が揃っているという印象であった。その木管楽器のソロが聴ける第3楽章。軽快なリズムに乗って、クラリネットがオーボエが、それぞれ見事な音色を聴かせてくれる。そうして、アッタカで終楽章へ。

ブラームスの1番は、何と言ってもこの終楽章に尽きる。主題を引き出す前の序奏を聴いていると、第1楽章の気分が序奏の中に散りばめられていることに気づいた。テンポはぴったりである。この終楽章のテンポで第1楽章を始めたのだ。ヤンソンス、侮り難し。そうして、主題を引き出す前の有名なフルートのソロ!もちろん単眼鏡でフルート奏者を見ていたのだが、思わずレンズが曇ってきてしまった。不意に涙が零れていたのである。続く、トロンボーンの厳かなコラール、そして一瞬の静寂後、全ての弦楽器が満を持して主題を奏でる!

この主題こそ、ドイツ・オーストリアのオーケストラでなくては、ブラームスが求めたであろう音色で奏でることができないものであろう。日本やアメリカのどれほど著名なオーケストラであろうと、この主題を「ブラームスの音」で弾くことは不可能である。この主題の音色は、ドイツ・オーストリアの民族固有のDNAを持つ人々にしか出せないものなのである。もちろん、バイエルン響の弦楽セクションなら、造作もないことなのであった。

最後の和音がホール一杯に響き渡って、ブラームスが終わった。じっくりその和音の残響を味わいながら、拍手喝采。及ぶこと数度にわたるカーテンコールに応えてアンコール。再び拍手喝采!終演後も体に響きの余韻が残るすばらしい演奏会であった。

帰途、遅い夕食を外食しながら、妻が曰く、「いやあ、あのフルートのソロ、痺れたわよねえ」と。妻も同様に感じていたのだ。あるレベルを超えて奏でられた楽の音は、多くの人の胸を打つことができるのである。妻が言うには、一緒にオケの演奏会に行くのは、静岡まで小澤征爾と新日フィルを聴きに行って以来だそうだ。「大オーケストラの演奏って、ほんとうにいいわよねえ」としきりに言っていた。違うのだ、バイエルン響だったからよかったのだ。

ヤンソンスのことも少々。指揮はうまい。演奏者に親切な指揮ぶりである。曲のまとめ方もスマートで、人によっては淡泊な印象を持つのかもしれないが、ツボは押さえている。聴かせどころもわきまえているし、何よりオケ全体をよく歌わせる。こういう指揮ぶりが、「今風」なのかもしれない。

浜松のことに戻る。「音楽の街」を喧伝したければ、現在浜松にあるようなアマのオーケストラではなく、アクトシティ浜松の大ホールをホームにするプロのオーケストラを発足させるべきである。もちろん、指揮者は厳選する。さほど名が売れているわけではないのだが、実力があって将来を嘱望される若手を登用するのだ。そうして、定期演奏会のみならず、夏の野外演奏会など、あらゆる機会を捉えて市民に認知してもらえるような活動を展開する。その結果、浜松市民がそのオーケストラを、「我が街のオーケストラ」と胸を張って言えるようになる。そうなったときこそ、浜松は名実ともに「音楽の街」となっているのだ。

先日、「ベルリンフィルと子どもたち」という映画を見た。その中で、指揮者サイモン・ラトルが以下のように言っていた。
「いまベルリンでは、かつてない規模で経済破綻が進んでいる。芸術は、存続のために戦わなくてはならないだろう。我々は行動を起こさねば。これからの時代を生き残るためにね。
この狂った時代、人々は芸術全般に生きる意義を見い出すだろう。人としての意義、存在する意義…素晴らしい音楽を聞けば分かるんだ、“自分はひとりじゃない、この思いを誰かと分かち合える”って。
音楽なしでは人は孤独で、社会的に機能しなくなり文化的でもなくなるだろう。
誰にでも音楽は必要なんだ。そして可能な限り自分を高めるられるんだ。もっと言えば私は音楽が人と人を隔てるのではなく、結び付けることができるとも伝えられると思うんだ。
音楽をやっている皆が、言葉がなくても何か大きな真理を音楽で伝えられると信じている。ただの理想なんかじゃないよ、本当にそうなんだから。」

芸術音楽は人を結びつける。その結び目の中心に街のオーケストラがある。浜松も、そんな街になってほしい。

2007年11月27日

スーさん、勝利について考える

11月26日(月)

3連休の土日は、静岡県中学校対抗ソフトテニス大会(団体・個人)。9月の終わりから始まった新人大会の締めくくりとなる県大会である。大会前には、団体戦はベスト4、個人戦はベスト8を目標にして大会に臨むよう選手たちに話をしていた。

まず、土曜日は県の東部・中部・西部各地区予選を勝ち抜いた計24校による団体戦。昨年は浜松市の学校が優勝していたので、本校は第1シードで大会に臨むことになった。2回戦からの登場である。その2回戦は難なく突破してベスト8。続く準々決勝は、東部地区3位のF中。強力な大将ペアを擁する強豪校である。オーダーは互いの大将ペアが2番でぶつかり合う対戦となった。トップは本校が取ったが、大将戦は負け、3番勝負となった。さて、どうなることやらと思っていたが、この対戦はそんなに競り合う場面もなく、本校のペアに軍配が上がった。これでベスト4。

準決勝の相手は、ノーシードから勝ち上がってきた東部地区のS中であった。どんなチームなのか試合も見ていなかった。トップに出てきた相手大将ペア、特に後衛選手が強力なストロークを持っていた。そのストロークに打ち砕かれて本校のトップは敗戦。続く大将ペアは勝って、またもや3番勝負になった。この日は、3番が安定していた。幸い、あまり競り合う場面もなく勝ち、決勝進出が決まった。

その決勝戦、相手は中部地区1位のT中であった。学校の部活動と言うよりは、地元のジュニアのクラブチームに所属している選手を多く擁している学校である。このチームとは、夏に浜松で実施している研修大会で対戦し、そのときは本校が敗れていた。「いかにもジュニアでございます」というようなテニスを展開する。と言われても、どんなテニスなのか、ご存じない方には想像もできないだろう。ロビングを多用して相手のミスを待つ、ボールをコースに散らす、カットサーブ、相手前衛へのアタック、前衛はディフェンス主体、というような後衛主体の展開とでも言えようか。

手前は、そういうスタイルがあまり好みではない。選手の特性を考慮したときに、そういうスタイルしかポイントが取れそうにないという際には、そんなスタイルも指導することはあるが、基本的に前衛選手がポイントしていくスタイルが好みである。しかし、前衛選手を育てるのには時間がかかる。それまでは、こういうチームにはやられてしまうのを我慢しなければならない。

さて、決勝戦はこちらが2-1-3、相手が3-1-2のオーダーで、準々決勝と同じく互いの大将がぶつかり合う対戦となった。ウチの大将が勝てば本校の2-0、相手大将が勝てば相手の2-1の勝ち、という結果が予想された。2面同時展開の対戦、トップは本校ペアが相手を圧倒して4-0で勝利する。隣の大将戦は互いに譲らず、勝敗はタイブレークに持ち込まれた。隣のコートでは、3番の試合が始まった。とりあえず、2番の試合が終わらなければ3番の結果は有効にはならない。ベンチを移動して、大将ペアに付くことにした。

そのタイブレーク、一進一退の攻防から、本校ペアが連続してポイントを取るも、相手も追い上げて、1ポイントが決まるのに時間がかかる。こういうときは、カウントが判明しなくなる。両校の応援もあって、審判のカウントコールもよく聞き取れない。そのうちに、隣でやっていた3番の試合が終わった。本校ペアが負けたのだ。これで、本校の大将ペアが負ければ、敗戦が決定してしまうことになった。と、本校のポイントが決まって、審判がゲームセットを宣した。相手選手がカウントを確認してアピールしたが聞き入れられずゲームセット、本校の優勝が決まった。

釈然としない終わり方ではあったが、審判の決定は尊重しなければならない(当然のことである)。すると、相手校の保護者たちが騒ぎ出した。審判のジャッジに対するヤジである。すかさず、競技役員を務めていたシンムラくんが、相手監督のところに行き、イエローカードを提示した。当然の処置である。そういうことは絶対に許すべきではない。

ともかくも、県大会で優勝したのだ。選手たちの労をねぎらい、一人一人と握手してその健闘ぶりを讃える。同時に、「まだ明日は個人戦もあるから、今日はゆっくり休んで、明日に備えるように」と指示して解散する。

夜は、いつものメンバーに、宿泊していた富士宮の顧問・コーチたちも合流して、いつもの旗亭にて祝勝会。かつてはライバルとして競った富士宮のコーチや監督たちと、昔話に花が咲く。優勝の余韻に浸りながら飲む酒はまた格別である。宴後に麻雀というお決まりのコースであったが、この日は疲労困憊ということもあり、麻雀はパスして帰宅。

明けて、日曜日は個人戦。計64組によるトーナメントである。本校からは3組がエントリーしていた。初戦は3組ともクリアできるだろうと思っていたが、2番ペアが初戦で敗退してしまった。相手後衛の変則フォームから繰り出される前衛攻撃に対処できず、後衛選手も要所でミスを連発しての敗退であった。かように、個人戦は何が起こるのかわからない。

考えてみれば、この大会にエントリーされているペアは、どの組も地区の予選を勝ち抜いてきたペアばかりである。どのペアも、それなりの「武器」を持っていると用心してかからなければならない。しかし、そんなことはわかっていたはずだ。前日の団体優勝で、気持ちが受けに回ってしまったのかもしれない。そのことについては、試合前に厳に戒めたつもりであったが、選手たちの心のどこかには「組易し」と思っているところがあったのかもしれない。

3番ペアも、初戦はクリアしたのだが、2回戦で敗退してしまった。大将ペアの試合に付いていて、試合後に駆けつけたときには、既に敗退が決まった後であった。試合は見ていないのだが、前衛選手がミスを繰り返しての敗退であったようだ。このまま3組とも早々姿を消してしまうような嫌な予感がした。

残るは第8シードの大将ペアのみ。まあ、結果として1組にコーチを集中できるようになったというのは、よかったのかもしれない。2回戦までは苦戦することもなく勝ち上がったが、8本取りがタイブレークにまでもつれた。やるべきことを確認して送り出すと、タイブレークは本校ペアの流れで進行し、何とかベスト8。

準々決勝は、後衛がサウスポーで強力なストロークを繰り出す相手である。ポイントは、その強力なフォアハンドをいかに封じるかということであった。また、レシーブサイドで、その後衛選手がアドコートでレシーブするということにも対応しなければならない。具体的な戦術を確認してゲームに臨ませた。これがうまく奏功してベスト4。

準決勝の相手は、何と前日の決勝戦で対戦したT中の大将ペアであった。「親の敵だと思って向かってくるから、その相手の気をうまく外せよ」と言っておいたのだが、案の定、試合前のトスが終わってベンチに戻ってきた選手が、「先生、相手のペア、もうキレてます」と言っていた。試合は、ゲームカウント1-1から、競り合いになった第3ゲームを落として相手が調子に乗り、嵩にかかって攻撃を仕掛けてきた。こちらは防戦一方、そのまま1-4で敗退してしまった。まあ、こんなものだろう。

それで集中力が途切れたか、特に後衛選手にミスが目立つようになって、3位決定戦も敗退、個人戦は4位に終わった。でも、上出来である。団体の優勝も出来過ぎであったし、この上さらに個人戦も、などということになれば、県内から目の敵にされてしまう。この時期は、あまり勝たない方がよろしいのである。

それより、またまた気分の悪いことがあったので、そのことを書いておきたい(どうも最近は気分の悪くなることが多い。合気道仲間のマッちゃんに言わせると、「カルシウム不足なんじゃないの?」とのことである)。

試合は、あくまで選手がやるべきものである。もちろん、親も含めて、勝ってほしいという気持ちはあるに決まっている。だからと言って、T中の保護者や選手たちのように、試合中の審判のジャッジにクレームをつけてよいということにはならないはずだ。これはマナーの問題である。

個人戦でも、T中の選手は審判の判定にアピールし、その場を動こうとしなかった。見かねて、ベンチから、「選手は下がりなさい」と声をかけると、すごい形相でこちらを睨んできた。まるで喧嘩腰である。気持ちはわからないことはない。しかし、許される行為ではない。クラブチーム対抗の試合ならいざ知らず、「中学校対抗」と銘打っての大会であるならば、こういうことについては当然顧問の指導がしっかり入ってなければならない。技術指導はクラブチーム指導者に任せるにしても、マナー面については顧問がきちんと指導すべきなのだ。それができていないチームであるならば、大会には参加するべきではない。

ジュニアのクラブチーム指導者にもお願いしたい。「勝てばよい」という勝利至上主義の指導はやめてもらえないだろうか。そうして、できればマナー面もきちんと指導してほしい。コーチ代を徴収して指導している関係から、ひたすらに勝利に拘るのもわからないではない(何せ「費用対効果」が最もはっきりするのは大会結果だからね)が、長い目で「子どもたちのためになることは何か」ということを考えて指導してほしいのだ。総じて、子どもたちのやることに、当の子どもたち以上に、周囲の大人たちが熱くなってしまうことが問題なのだ。ここは一つ、大人としての分別をはたらかそうではないか。

団体戦後の小宴の時、長らく男子顧問を務めたオノちゃんがしみじみと言った。「ようやく、マナーのいい学校が優勝してくれました。ここ数年、マナーの悪い学校ばかりが優勝してたんですよ」と。でも、どうしてそんなことが看過されてきたのだろう。外部指導者の導入もいいだろう。だが、学校の部活動として活動させるのであるならば、やはり有形無形に顧問の指導は入るべきなのだ。尤も、こんなことは、あらためてアピールしなければならないことではない。敢えて、それをしなければならないところに、教師サイドの問題も大きいと言わざるを得ないのである。

気分が悪いままに擱筆するのもよくないので、うれしいお知らせを。関西学生アメリカンフットボールリーグ最終戦、いつもなら駆けつけて応援しているところなのだが、この県大会のために行けず仕舞いであったのだ。だから、試合結果の速報をゑびす屋さんに頼んでおいた。逐一、試合経過のメールが入った。最後のメールは、「31-28でウチの勝ち。最後までヒヤヒヤでした。ああ良かった。エエ試合でした。」というものであった。やったあ!甲子園ボウルだあ!

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