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2007年10月 アーカイブ

2007年10月03日

断腸亭日乗単語帳

10月初二(火)

長月尽日、市中学校新人ソフトテニス大会予選リーグが行われるはずであったが、早朝からの雨で試合は中止となった。練習は休みにしょうかとも思ったのだが、午後から本校の体育館が空いていることがわかり、午下体育館にて練習。

オノちゃんとシンムラくんに、「よろしければ一緒に練習どうぞ」とメールしておいたのだが、シンムラくんは午前中雨中巳刻近くまで練習したとのことで、オノちゃんだけが練習の見学に訪れた。「生徒も連れてくればよかったのに」と言うと、「いや、ちょっとまだそこまでの段階では…」とのこと。オノちゃんは今までずっと男子の顧問で、今年から初めて女子の顧問となった。その指導方法の違いに戸惑うことも多いのだろう、なかなか思うようにレベルアップが図れず試行錯誤の毎日のようである。

そのオノちゃん、本校選手の練習を見ながら、「いやあ、やっぱ男子はいいっすよ」と感心しきりである。「それに、練習内容も進化してますよね」と言っていた。オノちゃんは、今まで女子の指導をしていた手前の練習を、生徒を連れたり連れなかったりしながら何度か見に来ていた。その時に見た練習に比べて、また違う印象を持ったようだ。何かしらヒントになることを得てもらえれば幸いである。

練習終了後、書店に立ち寄って、茂木健一郎の対談本を2冊購入する。先日読んだ『音楽を「考える」』(ちくまプリマー新書)がおもしろかったからである。今回購入したのは、『日本人の精神と資本主義の倫理』(波頭亮との対談、幻冬舎新書)と、『フューチャリスト宣言』(梅田望夫との対談、ちくま新書)。

『フューチャリスト宣言』から読み始めた。いやあ、おもしろい!茂木健一郎のやや破天荒とも言える突っ込みもさることながら、梅田望夫氏のレスもいい。読みながら、その梅田氏による『ウェブ進化論』(ちくま新書)も読みたくなって、すかさず購入してきた。

その『ウェブ進化論』であるが、まるで異世界の話を聞くような印象であった。と言うか、「あちら側」で生起していることについては、想像することすら困難であるような気がした。まだ読了していないのであるが、3分の1ほど読んだだけでも、どうやらネット上ではとんでもないことが起き始めているということだけは感じ取ることができた。広く読まれるべき著作であると確信する。

今月に入り、ほぼ一月続いた溽暑もようやく収まる気配を見せ始めたことから、読書には程よい時節到来となった。特定の著作を一気に読むのもよいが、大冊をちびりちびりと読むのを一興である。職場の机上に置き、ちょっとした時間を利用して読んでいると、知らぬ間に頁が進んでいることに驚かされることがあるのだ。

今、几案上にあるのは、『講孟劄記』(吉田松陰/講談社学術文庫)、『文読む月日』(トルストイ、北御門二郎訳/ちくま文庫)、『文章軌範』(新釈漢文体系/明治書院)等である。中でも、その面白さからかなりハマっているのが、『断腸亭日常』(永井荷風/岩波文庫)である。

手前は、国語の教師である。であるにもかかわらず、『断腸亭日常』を読みながら、こんなにも未知の言葉が多いものかと、悵然たる思いにさせられた。蓋し、日記の書かれたのは大正から昭和にかけてである。なのに、いちいち辞書を引かなければ語意の判明しない語彙数多となれば、何とかせねばとの切なる思いが湧き上がってくる。

そこで、恥ずかしながら、単語帳を作ることにした。『断腸亭日常』中の見知らぬ語を、片っ端から五十音順の単語帳に記載していくことにしたのである。もちろん、そんな単語帳など市販されていないので、手帳に使用しているメモ用紙を単語帳に仕立て上げ、「あ」〜「わ」までのインデックスを付けて、使い勝手がいいようにしてみた。

使い始めて1ヶ月半足らず。もちろん、各五十音には1頁を配当してあったのだが、既に「し」の項が満杯になってしまった。どうやら、荷風氏は「し」から始まる熟語を多用している模様である(ほんとかよ)。まだ、上巻の3分の1ほどしか読んでいないにもかかわらず、である。

しかし、何を隠そう、「ったく、こんな字、電子辞書の漢字辞典にも載ってないじゃんかよう」と言いつつ、ネットも駆使しながら発見したときのヨロコビたるや、多とすべきものがあるのだ。何と楽しいことであるか!もちろん、内容がおもしろくなければ、斯様なことは持続するはずはない。それだけ、読ませる日記であるということなのだ。

それにしても、もちろん手前も含めて、語彙の乏しさ、特に漢語についての無知ぶりには忸怩たるものを感じさせられる。日本語のリテラシーも、この1世紀足らずの間に、かなりレベルダウンしたと言うべきではなかろうか。国語教師としての反省と研鑽の意味も含め、この拙「うなとろ」にても、できるだけ「単語帳記載語」を使用していきたいと思うのである。

2007年10月09日

涙の初優勝

10月8日(月)

またまた3連休であった。しかし、この土日は前週に雨で流れた市内新人大会(団体戦)が行われたから、9月の3連休とは違って、のんびりと過ごすというわけにはいかなかった。

土曜日は、予選リーグと決勝トーナメントの1・2回戦。本校は、ノーシードである。この大会のシードは、今年2月に行われた1年生大会の結果によって決定されている。1年生大会は、第1シードであったにもかかわらず、初戦で敗退してしまった(ちなみに、その学校は1年生大会優勝)ため、今回は第6シード下のリーグからスタートと相成ったのである。

初戦は、いきなりその第6シード校。今回は、試合前から出場する3組のオーダーを決めていた。本校の大将ペアは、かなりの実力を有している。特に、前衛選手は先日行われたU-14の東海ブロック選考会に県代表選手として参加しているほどである。だから、試合ではその組を真ん中に挟んで、トップには力強いストロークを打てる後衛選手を、殿にはフットワークが軽くロビングのうまい後衛選手を配して、それぞれの持ち味がうまく出せるように考えた。

第6シードのF中は、今夏の新人研修大会で見る限り、大将ペア(特に前衛選手)がかなりのポイント力を持っているという印象であった。でき得れば、真ん中に出てきてくれて、ウチの大将ペアと当たってくれればと思っていた。はたしてそうなった。試合は、1番・2番ともに失ゲームなしのストレート勝ち、3番はこちらのミスが多くややもたついた感じであったが、何とか勝ってくれた。とりあえず、初戦の山場は乗り越えることができた。

リーグ戦は、次のT中戦も難なく勝って、1位で通過することができた。これで、決勝トーナメントは第6シードで臨むことになったのである。シードだから、2回戦からの出場である。選手たちには、待ち時間に集中力が途切れないようにするよう指示する。

決勝トーナメント1回戦は、シード校の監督が審判をすることになっている。自分たちが次に対戦する学校の試合の審判をするのだ。その試合であるが、双方ミスを繰り返すシーソーゲームとなり、勝敗は3番勝負に持ち込まれた。結果、K中が勝ったが、審判をしながら「これなら負けることはないだろう」と思っていた。実際、そのとおりになった。これでベスト8である。

この日の試合はここまで。明日のことを簡単に連絡して、選手たちを解散させる。いつもの土曜日なら、夕方から小宴というところであるが、さすがに翌日試合を控えているとなればそうはいかない。オノちゃんも、「では宴会は明日の夜ということで」と帰途に就いた。

もちろん、手前もそのつもりでいたのだが、審判をやったせいか喉が渇いていた。不肖の妻は、この日仕事が休みのはずなのであるが、家にはいなかった。と、学校に忘れ物をしたことを思い出した。プリウスに給油するついでに、学校へと向かうことにした。ついでに、ヨッシーに電話を入れてみた。ヨッシーの家は、本校の学区にある。もちろん、本校の卒業生でもあるのだ。「あのさあ、今から学校行くの。ついでだから、あーたを迎えに行ってあげるから、ビール飲む?」と聞くと、「ぼかぁいいですよ」とのお返事。「遅くならなければ、麻雀もやりましょうか?」と悪魔の囁きも忘れてはいなかった。すぐに、オーツボくんとヤイリくんに電話をしてみると、「やりましょう」ということになった。

オーツボくんは、女子ソフトボール部の顧問、ヤイリくんは男子バスケットボール部の顧問である。それぞれ、その日は新人戦が行われていた。二人とも明日も試合があるという。急ピッチでビールを飲み、いつもの雀荘にて半荘2回。トップはヤイリくんであった。手前はマイナ20ほど。帰りしな、オーツボくんが
「今日負けたから、明日は勝てるかも知れないっすね」と言っていた。何となくそんな気がした。

明けて日曜日は、準々決勝から決勝まで、さらに県西部地区大会出場校決定のための敗者復活戦(
順位戦)である。いきなり、ノーシードながら実力校のK中であった。K中には、2年前の夏季大会の県大会準決勝で敗れている。どうも印象が悪いチームであった。

はたして、試合はトップが負け、真ん中が勝って、3番勝負に持ち込まれた。この試合に臨む一つのテーマが、「殿が務まるペアをつくること」であった。しかし、ここまで3番勝負になった試合がなかったため、この試合が初めて勝負のかかったゲームとなったのである。ペアのパフォーマンスを確認するにはいいチャンスであった。

その3番勝負、最初のゲームは落とすが、途中から相手後衛にミスが目立つようになり、続く3ゲームを連取する。しかし、ここから本校の後衛選手が所謂「勝ちびびり」状態を呈するようになった。足が動かなくなり、ラケットが振れなくなってきてしまったのである。「勝ちに居着いた」状態になったのだ。2ゲームを連続して落とし、勝負はタイブレークに。しかし、タイブレークに追いついたことで、逆にこちらの後衛以上に相手後衛が居着くようになった。イージーミスを繰り返してくれたおかげで、気分的にはこちらが楽に試合を進めることができ、そのままゲームセット。これでベスト4である。

準決勝の相手は、1年生大会で負けたS中である。選手たちも、「S中にリベンジ」という気持ちは強かったと思われる。試合前のそれぞれの選手たちの顔つきが違っていた。たぶん、相手はこちらの大将ペアとの対戦を嫌って、自大将ペアをトップに持ってくるであろうと思っていた。本校のトップに出るペアは、準々決勝で負けている。どうしようかと考えたが、そのままいくことにした。「いいか、さっきの試合のことは忘れて、自分たちのいいイメージを大切にしてやってこいよ」と送り出す。

試合が始まった。2面同時進行だったため、もちろんコーチは1番めのペアに付く。真ん中の大将ペアは、自分たちで十分勝ってきてくれるだろうと思っていたからだ。相手のトップは、前衛が県選抜チームに選ばれたほどの選手である。本校のペアも「相手にとって不足はない」と思ったのであろうか、最初のゲームこそ落としたものの、2ゲーム目からは後衛選手がびしびしと打ってボールを回し、前衛選手もいい動きでポーチボレーも決め出して3ゲームを連取、その後1ゲームを落としたものの、そのまま相手を振り切って勝ってしまったのである。もちろん、隣のコートでやっていた大将ペアもその前に勝っていたので、3番まで回ることなく、1年生大会のリベンジを果たすことになった。

決勝戦は、何と、同じリーグにいたF中が勝ち上がってきていた。「一度やってウチが勝ってるんだから、自動的にウチの勝ちにしてよ」と、本部役員に冗談が言えるほど、手前も選手も緊張感はあまりなかった。相手が大将ペアを避けてくるとも思っていたが、対戦は予選リーグと同様となり、それぞれストレートで勝って、優勝が決まった。

試合後、選手一人一人と握手をしながら、その労を労った。昨年は、ほぼ1年間負け続けて悔しい思いをしてきただけに、その喜びも一入であったろうと思う。どの選手も、晴れ晴れとしたいい顔をしていた。新チームなっての初の公式戦であったが、いいスタートが切れた。これに自得することなく、さらなるレベルアップを目指して精進させていきたいと思う。

もちろん、その日の夜はいつもの店で祝勝会。残念ながら、オノちゃんとシンムラくんとこは、西部大会出場がならなかったが、ヨッシーのとこは14校出られるところを、何とか13位で出場を決めていた。それぞれ話は盛り上がって、酌み交わす麦酒と焼酎も更に一杯と重ねられ、美酒に酔いしれる神無月の夜は更けてゆくのであった。

そんな翌日は、もちろん練習も休みで晏起。午前はオノちゃんらに頼まれて、映画「ベルリンフィルと子どもたち」(これはいい映画です!)をDVDにダビングする作業。午下は華胥の夢を貪る。晡時、晴れ間が覗いたためプリウスを洗車。穏やかな秋日であった。来週末には新人大会の個人戦とも言うべき市民スポーツ祭が控えている。束の間の得難いオフであった。

2007年10月15日

スーさんのとっても濃い日々

10月15日(月)


週末の土曜日は、新人戦の個人戦版ともいうべき第61回市民スポーツ祭ソフトテニス。中学の部は、市内各校(ただし、旧浜北市は除き湖西市を加える)から、最大5組ずつ参加してのトーナメントである。この大会は、県西部地区大会の予選を兼ねていて、男子は32組が出場できる。男子の参加組数は163組だから、3試合(シードは2試合)勝てば出場が決定である。


本校も、ご多分に漏れず5組フル・エントリーしていた。ただし、5番登録は1年生ペアである。今年の1年生にはジュニアの経験者はいない。夏休み、上級生に叱咤されながら必死に練習に食らいついてきた経緯もあり、その成果を問う意味でも、「1回勝てば合格」とエントリーしたのである。


当日、ドローを見ると、本校の大将ペアが第1シードであった。シードは、資料にするものがなかったとのことで、今夏の中体連県大会に出場した2年生を優先的にシードしたとのことであった。ところが、2年生ペアで県大会個人戦に出場したペアは本校の大将ペアのみだったということで、栄えある第1シードを穢すこととなったのである。


本校の1〜3番登録ペアは、3組ともシードされていた。1回戦があるのは、4,5蕃登録ペアである。幸い、両ペアとも初戦は難なく突破することができた(1年生ペアの相手はラッキーなことに同じ1年生だった)。しかし、(これは組み合わせ上当然のことなのだが)2回戦はシードペアとの対戦になる。ここを切り抜けるのが難しい。上位シードではないにしても、各校の大将ペアとの対戦になるからだ。


案の定、両ペアとも2回戦で敗退してしまった。4番登録の前衛選手は、それなりの技術も持っているのだが、どうやら勝ちたいという気持ちが空転してしまったようで、いつもならしないようなミスを繰り返しての敗戦であった。今後のいい反省材料になったことと思う。1年生ペアは、第2ゲームこそ競ったものの抵抗もそこまで。結局ストレート負けであった。まあ、技術的なことを考えれば、こんなものなのだろうと思う。


3番登録のペアは、何とか3回戦を突破して、地区大会出場権を得た。しかし、それで安心してしまったのだろうか、続く4回戦はゲームカウントをリードしながらタイブレークに追いつかれ、そのタイブレークも前衛選手が正面に来たボールをボレーミスしたりして、流れを取り戻せないままの敗戦となってしまった。いつも校内試合では、2番登録のペアとほとんど同レベルの試合ができていただけに、何とも残念な結果となってしまった(しかし、この負けた相手は優勝した)。


2番登録ペアは、多少もたついたところもあったものの、何とかベスト8まで勝ち上がってきた。準々決勝は、先日の団体戦で対戦して敗れているK中の大将ペアである。二人して「リベンジする!」と意気込んでいた。その気迫が相手に伝わったのだろうか、相手後衛のボールがコートに入らない。団体戦の時にはいい動きを見せた相手前衛も、この時はほとんどポイントすることができなかった。結果、ストレート勝ちであった。これでベスト4。


続く、準決勝の相手は、団体戦で本校の大将ペアが対戦したF中の大将ペアであった。「ここまで来たら決勝まで行くぞ!」と勢いよく出ていったのだが、第1ゲームを接戦の末に落としてしまう。いつもは、こういう展開になると、勢いが萎んでしまって敗戦というパターンが多かったのだが、この日の彼らは違った。続く第2ゲームから立て続けに3ゲームを連取して勝ち、決勝戦への出場が決まったのである。


さて、大将ペアの方はというと、さすがに初戦から第1シードらしい堂々たる試合ぶりであった。失ゲームはもちろん、失ポイントもほとんどなくベスト8入りを果たす。その準々決勝の相手、硬式テニス経験者として1年生の時から話題になっていたC中の大将ペアであった。ひたすら相手前衛のダウン・ザ・ラインに打ち込んでくる嫌な相手であった。しかも、そのサイドにプレースメントしたボールが決まると、「カモ〜ン!」とか言ったりして、思わず「キミ、外人?」とか言いたくなってしまうような選手なのだ。


本校の大将前衛は、もちろんそんなことは知っていた。ゲームが始まった。案の定、来るわ来るわ、取られても取られても前衛のところに打ってきた。多少はミスしたボールもあったが、大将前衛はうまくボールを処理して第1ゲームを取った。ベンチ戻ってきた大将前衛は「いやあ、来ますねえ、こんなボールもサイドにくるのかよって感じです」と言っていた。とにかく、しっかり守ってろよと言って送り出す。後から考えると、このアドバイスが失敗であった。


第2ゲームは接戦になった。ウチの大将後衛も、負けじとスピードボールを打ち込んでいった。力勝負の感じになってきた。本校ペア優勢のままに進行するのだが、ゲームが取れない。結局、最後は焦れた本校ペアがミスを繰り返して、このゲームを落としてしまう。これで流れが変わった。第3ゲームは、相手後衛が神懸かり的なショットを次々と繰り出すようになって取られ、第4ゲームも動けなくなった本校前衛のサイドにプレースメントされてゲームセット。


観客席からどよめきが起こった。第1シードが負けるというのはそういうものである。敗戦の原因として考えられることはいくつかあった。負け惜しみを言うわけではないが、まだ秋の段階である。第1シードで優勝したりすれば、そこは中学生、どうしても憍慢の心が忍び寄ってくることは避け難い。敗戦は、それを今後の糧とすれば意義あるものとなる。そうやって、来年の夏までにレベルアップを図っていけばよいのだ。それにしても、悔しい敗戦であった。


試合の方であるが、当然そのC中ペアが決勝まで勝ち上がってくるものと思っていた。ところが、本校ペアとの対戦にすべてを使い果たしてしまったためか、準決勝はタイブレークの接戦になった。途中、C中の前衛選手の足が痙ったらしく、試合は中断。何とか再開されたが、C中ペアはそのまま敗退してしまった。ったく。ウチとやるときだけは「喧嘩テニス」で向かってきて、望みどおり第1シードを倒したと思いきや、すぐに敗戦とは。そのままちゃんと優勝しろよ、って悪口の一つも垂れたくなってしまう(でも、このペアが優勝しなくてよかった。だって、マナーが悪いのである。ちなみに、このペアは3位決定戦でも負けた。ホントにいい迷惑であった)。次回対戦したときには、きっちりお返しさせてもらうことをここに誓っておく。


拍子抜けしたのは、その前に決勝進出を決めていた本校の2番登録ペア。「あれ?同士打ちだと思っていたのに」と言いつつ決勝戦に臨んだ。その決勝戦、試合は相手のペースで進行した。途中、本校ペアが盛り返して決着はタイブレークに。しかし、そのタイブレークは、要所で相手前衛がいい動きとポジション取りから連続してポイントを重ねる。本校ペアは、そのまま流れを取り戻せないままに敗戦、準優勝に終わった。それでも、大将ペアが負けた分を十分補ってくれた。その健闘を称えたい。


晡下より、いつもの旗亭にてお疲れさま会。いつものメンバーが揃い、松茸のホイル焼きなどに舌鼓を打ちながら、しかし「くやちい〜!」などとも言いつつ杯を重ねる。終宴後はいつもように麻雀。試合に負けたからか、麻雀は好調であった。トータルのプラスはこれで900超。どうやら、年間王者連覇が視野に入ってきた感じがする。


さて、試合が一段落した今週は、佳事が目白押しである。週半ばは、ちょうど2年生が宿泊訓練に出かけている(手前は2年生の国語を担当しているので、その間は授業がないのである)ことを幸いに、2日間の休暇をいただくことにした。詳細はちょっとここでは言えないが、来月予定していたことが試合やらテストの関係やらで実施できそうにないので、それを授業等に最も支障のないこの時期にずらしたのである。


週末の金曜日から3日間は、この浜松にて、全日本ソフトテニス選手権大会(天皇杯・皇后杯)が開催されるのだが、その競技役員として大会に参加することになっている。役員仕事の合間に、日本で最もレベルの高い試合を見られる。何とも楽しみである。


さらに、その間を縫って、土曜日の昼前からは「小林秀雄賞受賞記念 内田樹先生を囲む会」に参加するため、浜松支部総勢7名で神戸まで行くことになっている。本部連盟のみなさんにお会いできるのはもちろん、宴会場がアオヤマさんお薦めの神仙閣と聞き、今からその料理も大いに楽しみにしているのである。おっとその前に、本部からは「支部の出し物を」を言われているので、その練習もしておかなくてはならない。「濃い」1週間になりそうである。

2007年10月22日

とっても濃い一週間

10月22日(月)

贅沢とは、「ものごとが必要な限度を越えていること」という意もある(@広辞苑)。湯殿高窓から零れてくる日の光を浴びながら、誰もいない湯船で、それこそ「必要な限度を越えている」源泉を独り占めすること。これを贅沢と言わずして何と言おう。

西伊豆松崎、大沢温泉ホテルの湯温は摂氏41度。決して熱い湯ではない。確かに、冬場の湯上がりには多少の寒さを感じるのかもしないが、むしろ程よい温かさと言うべきであろう。暫く湯中にいると、そのうちに自分の体と湯水との境界が溶解していくような錯覚を起こしてしまう。母親の胎内にいる感覚とは斯様なものかと思う。

湯上がりの芯から温まった体を、西伊豆山海の幸が迎えてくれる。数多の馳走も、じっくり時間をかけて飲み且つ食していくほどに、知らず一品残らず平らげていることに気づく。陶然たる食後。睡房に入る前にラウンジにて一盞。二更、閑適のうちに眠りへと誘われる。

翌朝、朝餉の前には屋上の露天風呂へ。紅葉には未だしの山を借景にして、周囲に薄を配した湯気の立つ湯船には朝陽が的歴と降り注いで明媚。湯上がりの朝餉の膳は、那賀川の鮎雑炊に駿河湾の焼鯵、鹿尾菜に香の物。飯が進む。

もちろん、伊豆には此処以外にも佳宿が数多くあろう。年ごとにそんな宿を探し求めてゆくのも一興ではあるが、逸興の情昧が確実であるならば、敢えて他宿を探すこともないのではないか。此処に投宿していると、宛然、少年の頃に住まいしていた浜名湖畔の住居にいるかのような思いにとらわれるのである。

旅程の決まった旅にも、小さな発見はあらまほしきものである。今次は、西伊豆宇久須にある旗亭「八起」の小鰺寿司と、堂ヶ島の嶼遊覧船、河津の大滝が格別であった。中でも、小鰺寿司は「八起」のご主人自らの御考案なされた一品である。たたきのように玉葱と生姜を添えられた小鰺が、握られた鮨飯の上に載せられている。全体にちょっと醤油を落としていただく。美味。いくつでも食べられそうな気にさせられる。

帰路の昼餉は、不肖の妻がどうしても小海老の掻揚げを食べてみたいということで、焼津港東入口近くの旗亭「かどや」へ。以前一度だけ訪れたことがあるこのお店は、港近くという立地もあり、特に海産物の献立が充実している。どれを頼んでも、滋味に富んでいること請合いである。手前は刺身の定食を頼んでみたが、定番の鮪や鰤がそれぞれ蕩けるようなやわらかさだ。妻の頼んだ掻揚げも、結構な大きさなのだが、まるで菓子のように食べられてしまう。機会があれば何度も再訪したいお店である。

さて、週末の金曜日からは、地元浜松の花川運動公園庭球場にて開催される「第62回全日本ソフトテニス選手権大会」に役員参加。仕事は、会場2カ所に設置された組み合わせ掲示板に、逐一試合結果を記入していくことである。合間に、現在の日本ソフトテニス界における、最高峰の技術・戦術を拝することができる希有の機会である。もちろん、土日は本校のソフトテニス部員たちにも参観を呼びかけてあった。観戦した感想を尋ねると、どの選手も目を輝かせてその感嘆ぶりを語ってくれた。何よりである。

土曜日は、その役員仕事を午前中に済ませ、オノちゃんアルファードに総勢7名が乗り込んで、一路神戸へ。内田先生の小林秀雄賞受賞記念奉祝宴に参加するためである。会は晡時からのスタートであったが、開宴1時間半前には到着。今回は、宿を取るのに苦労した。神戸三宮には土曜日の宿が皆無だった。仕方がないので、最近は定宿になりつつある塚本のオークスリーゼに投宿。ここから三宮までは、JRで約半時間ほどである。

開宴までの時間を、三宮センター街ジュンク堂で過ごす。高橋佳三さんの『古武術for SPORTS 2』(スキージャーナル社)を見つけたので、他の支部員たちにも紹介して即購入。もちろん、内田先生の『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)も忘れずに。他に、『古人往来』(森銑三/中公文庫)と『置き去りにされる人びと』(村上龍/幻冬舎文庫)。書物の袋を抱え、宴会場である「神仙閣」へ。場所がよくわからなかったので、カンキくんに連絡を入れると、わざわざイワモトくんが迎えに来てくださった。

程なく到着。それにしても、神仙閣は一流ホテルかと見紛うほどの、まさに大楼であった。会場の階に上がると、大迫力くんが受付をしている。契濶を陳べて会場内へ。すぐさま、出し物の音曲装置についての確認をする。どうやら、隣室からの遠隔操作になりそうであった。

参加者が陸続と参集してくる。お祝いの会とあって、どの人もそれなりの服装である。そう思って、事前に服装については主宰ホリノ社長にも問い合わせておいたのだが、「当日は普段着でオッケーです」という社長の返事のままに参加した自らの愚昧さを悔いた。どうも我ら浜松支部だけが浮いてるような気がしてきた。やれやれ、これでは出し物もうまくやれるか甚だ心許なくなってきた。

宴が始まった。司会はドクター。開宴の辞はだんじり親分。もちろん、先生からも受賞の辞が陳べられる。暫し会食。「御祝儀」と銘打たれた出し物は、我らが浜松支部が嚆矢。早く酔っておかねば、とビールを急ぎ痛飲し、この日のためにわざわざ練習日までも設けて準備してきた「マイムマイム」を披露。途中、やはり音曲との合わせがうまくいかなかったりしたが、無事し終えることができた。実は、社長からは、「知的かつ大胆かつ盛り上るネタを、ひとつよろしくお願いします」などと難題を課せられていたから、愚案を練るのにも苦労した。とにかく安堵。

続く「御祝儀」の数々は、そのどれもが内田先生への景仰の情に溢れた歌あり語りあり、特段、カワカミ牧師による「本部連盟会歌」の公開並びに、弾き語りによる「内田先生頌歌」たるや切々、楽しく笑いさざめきながらも、頌歌の一節を皆で唱和していくうちに、先生への欣慕の思いは弥増していくのであった。

初更、欣快の宴も画伯による中締めとなる。佳宴であった。遠路浜松から出向いて本当によかった。二次会の予定はないということであったが、だんじり親分が近くの雀荘を見つけてきてくれたので、麻雀組はそちらに移動して、5卓を占めることになる。そろそろ終電ということもあり、三更前に麻雀はお開き。カンキくんとともにタクシーでお帰りになる先生をお送りして、吾々も宿舎へと戻ることにする。

翌朝は、部活(ソフトボール)の大会があるとのことで、新大阪駅始発の新幹線で浜松に戻ったオーツボくんを除く6名、それぞれ朝餉もそこそこにアルファードへと乗り込んで、急ぎ浜松へと戻る。全日本選手権の最終日、特に準決勝〜決勝戦を見逃さないためである。

8時に塚本を出、途中朝食を摂りつつ浜松に到着したのは正午。正しく準決勝の最中であった。何より、まず日本連盟の役員控室に赴き、元神戸松蔭女子学院大ソフトテニス部監督であった表先生に無沙汰を侘びる。表先生こそは、手前のソフトテニス指導における第一の先達である。先生にお会いするのは、客歳夏の全国中学校大会以来。お元気そうで何よりであった。

男女の決勝戦の模様は、次週日曜日のNHK教育TVにて放映の予定だそうだ。TV放映用に人工芝の砂をだいぶん取り除いたセンターコートにて、その決勝戦を観戦する。男女とも、それぞれ見応えのあるすばらしい試合であった。ソフトテニスのおもしろさを、あらためて実感させてもらった。

大会を通じ、どの役員もすばらしい働きぶりを見せたと思われるが、そうさせたのは、全国から参集した心からソフトテニスを愛する人たちとの出会いであったと思う。その試合ぶりを通じて、自らもソフトテニス同好の士であることの誇らしさを感知させられた。得難い機会であった。

斯くして、濃い1週間が終わった。1年のうちでも、これほど濃い1週間はなかったのではなかろうか。今回こそは、その疲れも心地よいものであった。

2007年10月30日

スーさんの恩返し

10月29日(月)

日曜日は、県西部地区中学校新人ソフトテニス大会の個人戦。計64組によるトーナメントで争われ、2回戦突破組(ベスト16)に県大会出場権が与えられる。

本校からは3組が出場した。それぞれ危なげなく初戦を通過し、県大会への出場がかかる2回戦も、多少は競り合いになる場面もあったが何とか突破して、3組とも県大会への出場を決めた。さらに、ペアによってはタイブレークになる試合もあったりしつつ、それぞれ3組ともベスト8に進出することができた。

その準々決勝、特に大将ペアは、前回の市民スポーツ祭で敗れたC中ペアとの再戦となったが、前回の敗戦をふまえ具体的な戦術の確認も周知し、気力充実させて試合に臨んだことから鎧袖一触、ストレート勝ちして前回の雪辱を果たすことができた。

他の2組は、前回市民スポーツ祭で準優勝したペアが敗退してしまったが、もう1ペアはタイブレークの接戦を制してベスト4に勝ち上がってきた。もしも2組が準決勝を勝ち上がれば、決勝戦同士討ちの1,2フィニッシュというところだった(が、果たしてそうはならなかった)。

準決勝が始まった。大将ペアの相手は、市民スポーツ祭の優勝ペア。第1ゲームは難なく取ったが、続く3ゲームを連続して落としてしまう。これで相手が勝ちを意識したか、ミスが出て2-3。ベンチに戻ってきた際に、前衛選手の微妙なポジションのずれを修正するよう指摘して送り出すと、簡単に次のゲームも取ってタイブレーク。しかし、そのタイブレークは、一進一退の攻防から最後は前衛のダウン・ザ・ラインにプレースメントされてチップミス、2ポイント差の敗戦であった。もう1ペアも、相手前衛の変則的なポジションに幻惑されたか、後衛選手の配球が甘くなって敗れ、結局2組とも準決勝で枕を並べての敗戦となってしまった。

優勝こそ逃したが、それでも出場した3組すべてが8強に入り、さらに4強に2組進出という結果は、上出来であったと思う。秋口にいくら勝っても、最後の夏に勝てなくては何にもならない。今は、課題を探すことの方が大切と思う。

それよりも、今回は大会を通じていろいろと感じたことがあったので、そのことを記しておきたい。

対戦をしたいろんなペアを見ると、身体的に明らかによいものを持っていると思われる選手もいる。しかし、その展開するゲームについては、「ん?」と思わせられることが多いのである。例えば、2人ともベースラインに位置してひたすらロビングを上げ続け、こちらが焦れて強打してミスするのを待ち続けるテニス。もちろん、試合ではどんなスタイルも「あり」だからそれはそれで責められるものではないのだろうけれど、「中学生がやってんだから、何も老人がするような、恰も昭和初期に行われていた(知らないけど)ようなテニスを展開させることないじゃない」と思うのだ。これは、偏に顧問の戦術指導の問題であろう。

また、年若い顧問というのは(これは何も部活動の顧問に限らないと思うが)、試合会場などで気さくに声をかけてくれて、「今度練習試合やるから来ない?」などと先輩顧問から優しく言われたりすると、「ハイ!ぜひよろしくお願いします!」とか言ってしまうことがあるだろう。当然のことだ。そうやって声をかけてくれる人に、「なんだこいつ、何か目論見あんのか?どうでもいいけどお節介なんだよ、けっ」とか思うのは、よほどその心根捩曲している者(手前のような人間)である。問題は、そうやって声をかける者が、ソフトテニスの指導に関しては誰もが一目置く見識ある人なのかどうかってことなのだ。

試合会場で、若い顧問たちに甘言をもって近づき、練習マッチに勧誘しているヤツに限って、いるのだ、以下のような類の顧問が。選手が試合をしていて、ミスをしようものなら、観客席や監督席から大喝叱咤罵詈雑言を浴びせるマナーの悪い輩。選手にしてみたらどうだろう。それで力が発揮できるであろうか?「だったら、オマエがやってみろよ」って言いたくなってしまうのではなかろうか。少なくとも、手前はそんな監督やコーチの下では試合もやりたくはないし、指導も受けたくはない。でも、年若い顧問はそんなことは知らないから、そういう指導の仕方が当たり前に思えてしまったり、練習はそっちのけでひたすら土日に練習マッチを繰り返すことが当然のことのように思えてしまったりはしないかということが危惧されるのだ。

もちろん、どのような指導を範とするかは、受け入れる者の価値判断に委ねられているから、そのことについてあれこれ言うつもりはない。だが、若い顧問たちにはそんな輩とは違う指導者(部活動の教育活動における位置づけ、生徒指導との関連、部としてのプライドとモラル育成、技術指導のノウハウ、具体的な戦術の理念等について、それなりに筋の通った考えを持って指導する指導者)も示してやる必要があると思うのだ。

今までは、そういう指導者たちが「指導者講習会」などの場を通して、若手にその一部始終を伝授していった。しかし、そんな講習会を受講した人たちも、現在は40歳以上の先生たちばかりになってしまった。開催しても人が集まらないことや、そもそも依頼する指導者がいないというような事情もあったと思われるが、現在の30代を含む若年顧問たちは、そんな会の受講経験がない。そこに大きなギャップができてしまっているように思われるのだ。

新規採用教員の減少により顧問の高齢化が進んだのは、何もソフトテニス競技に限ったことではなく、他の競技についてももちろん同様のことと思うが、ここへ来てまた少しずつ若手の顧問が増えて来つつある状況もあり、それは今後更に増え続けていくことが予想される。どの競技部も、若年指導者の育成に、再び力を入れて取り組む必要が出てきているのではないだろうか。

このことについては、実は手前にも十分に反省しなければならないことがある。今までは、その指導方法のノウハウについては、ソフトテニスの本に書いてあるようなありきたりなことは公開してきたけれども、肝心な「かんどころ」については、どちらかと言うと秘匿してきたところがある。公開することで、自分のチームが勝てなくなることが嫌だったのだ。

でも、最早そういう時代ではないのだろう。Web2.0と言われ、これからはオープンソースと著作権フリーが主潮になるらしい。そもそも、手前の「秘匿」してきた指導法のノウハウにしたって、諸先輩方から教授されてきたものであり、手前に「著作権」があるわけでもないのである。馬齢知命を過ぎ、浜松市の中学校のソフトテニス競技が全体的にレベルアップしていくのなら、手前の貧しいソースでよければ、それを公開することについては聊かも吝かではないということを言明しておきたい。

そんなことを、現在県西部地区中学校ソフトテニス競技部のまとめ役をしているヨッシーに話した。「オイラでよければ何でもするから、20代と30代の顧問を対象にした指導者講習会をやろうよ。誰も講師の引き受け手がなければオイラがやる。講話、実技、そして夜の懇親会のセットで考えよう」と。ヨッシーも快諾してくれた。手前のような老頭児でも、みなさまのお役に立てる場面があるのなら、喜んで挺身させていただくばかりである。それが、今までソフトテニスの指導を通して自分が感得してきたことへの、せめてもの恩返しとなるであろうから。

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