« 2007年08月 | メイン | 2007年10月 »

2007年09月 アーカイブ

2007年09月01日

スーさん、最後の夏休み

8月30日(木)

○神戸元町別館牡丹園の中華料理は、激美味だった。
○先生の新居は、周りが閑静でよいところだった。
○麻雀は、勝てなかった。
○先生のBMWの中での会話は、生涯忘れることのできないものになるであろう。
○出石の皿そばは、町おこしの一環で始まったことを初めて知った。
○城崎温泉「湯楽」は、値段もリーズナブルでいい宿である。
○城崎温泉外湯の一つである「御所の湯」は、広くて新しくて気持ちのいい湯である。
○コウノトリを、生まれて初めて見た。
○鞄を買うなら、豊岡市へ。
○玄武岩は、人工的に組成されたような岩石である。

今回の「城崎極楽温泉麻雀ツアー」の顛末をキーワードにすると、以上の十箇条にまとめられようか。楽しく、そして充実した3日間であった。

オノちゃんのアルファードで浜松を出発したのは、日曜日(26日)の朝。いつものうなぎ屋さんでその日の朝一の白焼きを積み込んで、東名をひたすら西へ。同乗者は、私とヨッシーとオーツボくん。アルファードの所有者であるオノちゃんは、その日の午前中に資源物回収があるということで、後から新幹線で追いかけることになっていた。

その日の宿舎である神戸元町のプラザホテルに到着したのは、ちょうど昼の12時過ぎ。すぐに、「鉄火場」アオヤマさんお薦めの「別館牡丹園」に電話を入れる。「1時ごろにという予約だったと思いますが、今からすぐ行ってもいいですか?」と尋ねたところ、「あ、はい、いけますよ、どうぞ」と、快諾のお返事である。それまで、途中のSAでも一切の間食とかはせずに、ひたすらこの昼食を楽しみに神戸までやってきたのである。さっそくホテルに荷物を預け、逸る心を抑えつつ別館牡丹園へと向かう。向かうも何も、別館牡丹園は、プラザホテルのすぐ裏であった。

入店の前に「それでも昼メシだしなあ、ちょっと飲んで2〜3千円ってとこか」などと昼食の予算を考えていた自らの臆見を恥じた。何と、結局3人で18Kほど飲み食いをしてしまったのである。食した料理は、蒸し鶏、ピータン、パイクーの豆鼓炒め、牛肉と木耳とニッコウキスゲのつぼみ炒め、酢豚、小海老の天ぷら、焼売、葱そば、炒飯の以上9品。もちろん、これらの料理以外にビールを大量摂取したことは言を俟つべくもない。

紹介してくださった「鉄火場」アオヤマさんが、「どこにでもあるメニューも驚愕の旨さです」とおっしゃっていたので、酢豚や焼売、炒飯なども注文したのだが、まさにその言葉どおりであった。手前は特に「葱そば」が激うまであった。というか、今まであのような料理を食べたことがなかった。うう、今こうやって書いているだけでそのうまさが思い出されて、自然と口中に消化液が分泌されてくるほどである。

そんなことで、ヨイヨイになって先生宅へ向かったのが夕方。阪急御影駅で下車すると、ちょうどカンキくんと合流する。開口一番、「すんごくお酒くさいんですけど」と言われてしまう。仕方がないのだ。あんなに美味しい料理を前にしては、酒を飲むなと言う方が無理なのだ。一緒に近くのスーパーに酒類やつまみやらを買い出しに行き、先生宅へ。

ちょうど先生宅の近くでドクター夫妻とも合流する。ドアを開けると、出迎えてくれたのはウッキーであった。どうやらウッキーには、うなぎの匂いを感知する特別な器官が備わっているようである。既に、画伯やアオヤマさんや平尾くん、ジロー先生がいらっしゃった。そのうちに先生がお帰りになって、みんなで乾杯!

麻雀は、3卓でスタートした。手前も含め、「別館牡丹園ヨイヨイ組」の3人は撃沈。支部で唯一気を吐いたのは、その激うま昼食に間に合わなかったオノちゃん。一緒に囲んだだんじり親分も、その強さについ唄が出てしまうほどであった。「明日もあるから」と、先生宅を辞去したのは11時過ぎ。先生から、来月出版される『私の身体は頭がいい』(文春文庫)をサイン入りでいただいて、宿舎へと戻る。

明けて27日は、9時過ぎに先生宅へお迎えに行くことになっていた。前日、神奈川県で知人の結婚披露宴に参加していたため、この日の朝一の新幹線で神戸までやってきたシンムラくんを新神戸駅で拾って御影へ。

先生にお迎えの電話を入れると、「じゃ、すぐに出発しましょう」ということであったが、前日に先生から「一緒に城崎に行きませんか?」と誘われた画伯がお見えになっていない。先生が電話を入れると、どうやら画伯は昼過ぎに神戸を出発すると思っていたらしい。今からすぐに行くからということで、画伯が到着するまで一同先生宅にて待つことになった。先生が入れてくださったコーヒーをいただきながら、先生と画伯の出会いの経緯などを詳しくお伺いする。

ほどなく画伯も到着されて、一路昼食場所である出石へと出発。手前は、画伯と一緒に先生のBMWに同乗させていただいた。2年前も同乗させていただいたのだが、今回は画伯も同乗ということもあってか、あまり緊張せずに楽しくいろいろなお話を聞かせていただくことができた。得難い時間であった。こうやって楽しく話をしていくと、時間が過ぎるのは速い。1時過ぎに出石に到着し、実家に里帰りされていた沼津のコヤタ先生が待つ「甚兵衛」へ。もちろん、名物である皿そばの昼食である。コヤタ先生のお話では、出石の皿そばも、町おこしの一環で始まったらしいとのこと。知らなかった。昔からの名物だったとばかり思っていたが、そうではなかったのだ。しかし、だからと言って皿そばのおいしさが減じるというものではない。たっぷり食べて(飲んで)、城崎に入る。

チェックインして、すぐに外湯へ。外はまだかなりむし暑い。浴衣の裾が汗で纏わり付く。どうも歩きにくいと思っていたのだが、先生はさらりと浴衣の裾を絡げてすいすいと先を歩いている。さすがに着物に慣れていらっしゃると実感させられた。入った外湯は御所の湯。滝が流れる露天風呂やミストサウナ、ジャグジーも備えた比較的大きな外湯である。湯はだいぶん熱いのだが、えい!と気合いをいれて入るとそのうちに慣れてくる。熱い湯に入った後は、外を歩いても汗が出てこない。不思議なものである。みんなでかき氷を食べて宿に戻る。

前回もそうであったが、胡座をかいて麻雀をするというのは、足腰が疲れるということで、部屋にあった応接用の机と椅子を持ち出して、何とか椅子に座って麻雀ができるようにしてみた。今回は椅子が2脚足りなかったので仲居さんにお願いをすると、何と低い机にぴったりの高さの椅子を持ってきてくださった。何でも、足腰の悪いお年寄りの方とかに使用してもらうための椅子だそうだ。いい宿である。

麻雀は、総勢7名で行うということで、トップ以外が総入れ替わりでやることにした。出番でないときには、内湯に入ったり、マッサージ機を利用したり、寝たり、テレビを見たりと、それぞれ思い思いに過ごせばよいのである。抜群の強さを発揮したのは、飛び入り参加の画伯であった。途中、内田先生に一度トップ譲ったことと、最後にオノちゃんに点棒を供出し続けて大敗した以外は、すべて画伯がトップであったと思う。いやはや、最近の本部は強い!支部も負けないように雀力を磨かなくてはならない。

翌日は、チェックアウト後に円山川沿いの土産物店にて買い物をして、先生たちとお別れをする。「超」多忙の先生にご同行していただいた今年の「城崎極楽温泉麻雀」も、画伯のご参加もあって、以前にも増して楽しく思い出に残る旅になった。内田先生、画伯、ほんとうにありがとうございました。来年は内田先生がフランスに行かれるので、どうやら「城崎極楽温泉麻雀」は2年おきの開催になりそうですが、次回もぜひよろしくお願いいたします。

さて、先生たちとお別れした後は、のんびりと帰途に就くだけである。城崎や出石のある豊岡市は、コウノトリでも有名である。「ひょっとして、コウノトリが飛んでるとこ見れるかも」ということで、「コウノトリの郷公園」を訪ねた。まさかここで本物のコウノトリが見られるとは思わなかった。次回はぜひ飛翔しているところを見たいと思った。

そこへ行く途中、「玄武洞」なる案内が目に入った。オノちゃんとシンムラくんは理科の先生である。「玄武岩でできているってことですよね」などと、まるで理科の先生のような会話をしている。「じゃあ、見に行こっか」ということで、小雨そぼ降る中を玄武洞へ。石の階段をふうふう言いながら登って見ると、思わず「おおお!」と声が上がった。まるで、六角形の柱を束ねたように玄武岩が積み重なっている。国の天然記念物にも指定されているのだそうだ。そうであろうと納得させられる奇観であった。

そうそう、玄武洞へ行く途中、「かばん製造販売」という大きな看板のある工場があった。行く前からヨッシーが、「豊岡には鞄の自動販売機があるらしいですよ、ぜひ見てみましょう」と言っていた。中へ入ってみると、それこそありとあらゆる種類の鞄が展示販売されている。店員さんの話だと「すべて値札の半額で販売します」とのことである。だったら、最初からその値段を付けておけばいいじゃない、と思うのは「いけず」のもの言いか。「ではここは一つ妻に」ということで、通勤に使えそうな革の鞄を購入。城崎、コウノトリ、鞄と、豊岡市の名物をかなり制覇したというところであろう。今年も楽しい旅であった。

これで夏休みはおしまい、と言いたいところだけど、実はまだあるぴょ〜ん。明日から、妻と二人で伊勢鳥羽方面へ一泊旅行である(実は、今日30日は妻の誕生日で、そのお祝いも兼ねてということで)。天気は悪いみたいだけど、この5月に改装されたばかりの「大人の隠れ宿」と銘打たれた宿へ泊まるのは、何とも楽しみなのである。帰って土曜日は、夕方から高体連ソフトテニス部の先生方と、静岡市にて懇親会。それで夏休みが終わる。悲しい。

2007年09月03日

二学期が始まってしまった

9月3日(月)

2学期が始まってしまった。

夏休みが終わってしまう昨日の夕方の、得も言われぬ寂しさを何と表現しよう。

それより、毎年のことだが、「明日の朝はちゃんと起きられるだろうか?」と、まるで子どもたちが心配するようなことを案じてしまうのであった。

風の便りに、8月29日から2学期という学校もあるやに聞いた。北国の学校ならいざ知らず、温暖なこの静岡県でか?言語道断であろう。だいたい、始業式や終業式をそれぞれの学校で独自に決めるのが「学校の特色を出すこと」などと、真剣に考えているヒトとかいるのであろうか?まさかね。授業時数の確保は大切だけど、夏休みを短くすることで帳尻を合わせなくてもいいと思うのだが。

久しぶりにスラックスを履いてみる(夏休み中は、部活の指導がほとんどなのでハーパン&Tシャツという毎日でした)と、うう、胴回りがく、苦しい。どうやら、夏休み中のビール大量摂取により、かなり胴回りがメタボ化しているようなのである。また、夏休みは給食がない。いきおい、昼食は学校近くの飲食店にて摂取することになる。そうすると、つい食べ過ぎてしまうのである。それも、メタボ化に一役買っていると思われる。2学期の始業式は、「何とかこれ以上のメタボ化は阻止しなければならない」という決意を新たにする日でもあるのだ。

その夏休みが終わらんとする8月最後の週末は、妻と二人で伊勢鳥羽方面へ小旅行に出かけていた。妻の休みが、たまたま8月31日と9月1日が連休になったということもあって、「じゃ、ちょっとした旅行に行こっか」ということになったのである。

お盆の後で宿を取ったのだが、「R天トラベル」を見ていたら、「遅い夏休みに泊まる宿特集!」などという謳い文句が目についた。覗いてみると、いろんな宿が紹介されていたのだが、中でも、「花と光が織りなす心温まる空間。相差という漁師町に、隠れた大人の和宿」という惹句の、三重県相差(おうさつ)というところにある「重兵衛」という民宿旅館は、今年の5月に改装したばかりなのだが料金がリーズナブル、料理も美味しそうということで、「ここだあ!」と即決したのであった。

妻と二人で旅行に行くのは、昨年秋の伊豆松崎大沢温泉行以来である。不肖の妻は、こういう旅行をするときには、「ここにしよ」とかそういう注文を一切つけない。今回も、「どこ行くの?」などという質問はなかった。どんなところへ行こうとも、「へえ、ここいいとこじゃん」とか言いつつ、とにかくそれなりの満足感が得られるヒトらしのである。だからこそ、いい加減な場所は選べないということもある。

31日、プリウスを駆って、東名から伊勢湾岸道、さらに東名阪から伊勢道へ。途中、昼食を伊勢神宮内宮の参道門前町をなしている「おはらい町」と、伊勢名物「赤福」本舗を中心とする「おかげ横丁」あたりで昼食を、と考えていた。しかし、どこも結構混んでいて、落ちついて食事もできないような感じだったので、ひととおり歩いただけでそこはスルーし、そのまま鳥羽へ行って、鳥羽駅近くで何か食べようということになった。

ところが、鳥羽のミキモト真珠島近くの駐車場へ到着したとたん、雷が鳴って豪雨に見舞われる。ちょっと車から出ようかと気にはならないほどの雷雨である。多少小止みなったところで車から出て、近くの和食処へ。これも名物の「てこね寿司」と「伊勢うどん」のセットを注文してビールを飲む。このセットはなかなかいける。

昼食を食べ終わって外に出てみると、雷雲は去って青空が覗いている。「せっかくだから真珠島見てく?」と妻に言われ、入口まで行ってみると、何と入場料が1,500円である。受付のお姉さんに、「もちょっと安くなんないんすか?真珠とか中で買いますからあ」などと言ってみると、「JAFの会員証とかお持ちですか?」と宣わる。「ありますよ、車の中ですけど」と答えると、「じゃ、わざわざ取りに行ってもらうのもなんですから、割引しますね」と言ってくれた。いやあ、いいお姉さんであった。

妻は、真珠のアクセサリーは持っていないとのことであった。「買えばいいじゃない、どうせ誕生日ってこともあるでしょ?」と後押しし、ちゃんと全国のミキモトでメンテしてもらえる刻印のあるネックレスを購入することにした。うれしそうであった。

鳥羽から宿のある相差までは、妻の運転である。程なく到着する。HPに違わぬ、きれいな宿であった。ここの売りは、何と言っても料理である。夕食は、鯛・アワビ・伊勢エビの造りを中心に、出された料理を二人ですべて平らげてしまった。それほど美味な料理であったということである。心ゆくまで堪能して、そのまま部屋に戻って意識不明となる。
翌日は、パールロードから見られる展望を楽しみながら、鳥羽に出て買い物。さらに、伊勢の老舗のうどん屋である「河崎屋」で昼食。今まで、「伊勢うどんはいまいち」と思い込んでいた臆断を恥じた。それなりのお店ならば美味しく食べられるということなのだ。昼食後は、(またビールを飲んでしまったので)妻の運転で、午後3時前に浜松へと戻る。よい旅であった。

で、自宅で旅装を解いていると、シンムラくんがやってきた。この日の夕方から、静岡市にて催される高体連ソフトテニス部の先生方との懇親会に参加する予定だったのだが、あまりにも時間が早すぎる。「あれ?待ち合わせは4時じゃなかったっけ?」と言うと、「え?ヨシダさんももうこちらに向かってるんですけど」と言うので、時間の打ち合わせをしたはずのオノちゃんに連絡を入れると、どうやら連絡がうまくいってなかったということがわかった。とりあえず、3時半に出発ということで再確認する。

静岡市で夕方から始まった宴会が終わった後は、K学園高のスガイくん、同じくK学園高男子ソフトテニス部顧問のハラくんらと卓を囲む。そのハラくん、以前浜松に来たときにも無類の強さを発揮したが、今回は何と「字一色」!を和了ったのだ。手前は、字一色を初めて見た。驚きであった(一緒に囲んでなくてよかった)。

場替えして(人も入れ替えて)臨んだ第2対戦、今度は先ほどハラくんが座っていた同じ場所で、今度はスガイくんが国士を和了った。フリ込んだのはオノちゃん。その場はオノちゃんが最下位であったのだが、最後の最後にとんでもないフリ込みが待っていたのであった。「泣きっ面に国士」と、力なくつぶやくオノちゃんであった。

こうして夏休み最後の日曜日が終わったのである。今年の夏も、いい夏休みであった。こういう生活をしているから、休み明けは、また普段の生活にちゃんと戻れるかどうか不安に思ってしまうのである。さて、明日からは授業だ。がんばろ(やや力なし)。

2007年09月12日

国立蕃書調所(案)

9月10日(月)


長い1週間だった。どうも、単位時間に縛られながら、きっちりと日課に従って生活するという習慣が再形成されるのには、時間がかかるみたいだ。と言うか、年々時間がかかるようになってきているような気がする。と言うことは、それが加齢によるものであるとも言えるのかもしれない。


しかし、暑い日が続く。先週は、週半ばにいきなり台風9号が来襲して、午前中で授業カットになった日もあったが、風のある日ならともかく、油照りの日などはじっとしているだけでもシャツが汗を吸って不快なことこの上もない。われわれ教師は、業閒に職員室で冷風に浴することもできるが、生徒たちはそうはいかない。「なあに、修行の身に過ぎた惻隠の情は無用のこと」などとは申すまい。著しい不快感に耐えながら、尚かつ学習意欲を高調に保て、というのは生理的に不可能な要求である。


さて、いつも夏休みにはまとまって読書することにしているのだが、今年は村上春樹訳の小説を集中的に読んだ。『グレート・ギャツビー』(S.フィッツジェラルド/中央公論新社)、『レイモンド・カーヴァー傑作選』(R.カーヴァー/中公文庫)、『ロング・グッドバイ』(R.チャンドラー/早川書房)の3冊である。どれもおもしろく読めたが、中でも「感歎措く能わず」だったのが、『ロング・グッドバイ』であった。584頁に及ぶ大冊であったが、まったくその長さを感じることなく一気に読んだ。


そんなことを、「城崎極楽温泉麻雀」時、出石へ向かう内田先生のBMWの中で話していた。先生は、「マーロウは、訳者によって、その訳者だけのマーロウになるんですよね。村上春樹訳のマーロウは、まさしく村上春樹のマーロウなんです。」とおっしゃっていた。そうして、お話は「翻訳というお仕事」というようなことに発展していった。たいへん興味深いお話であった。


私たちが、日本語以外の言語にて書かれた作品を読もうとするには、二とおりの方法によるしかない。辞書を片手に原書を直接読むか、日本語訳されているものを読むか、である。外国語というものは、「ちょっとやってみようか」などという軽いノリでは、辞書を片手でも原書を読めるようになるまで習得することは難しい。いきおい、そんな手間も時間も才能もない手前のような者は、日本語訳者によるものを読むようになる。


告白するが、手前は今まで外国の作品を読んでその意味するところや、情景描写及び登場人物らの心情がいまいち把握しきれないのは、偏に自らの読解力の不足によるものであると頑迷に信じていた。ところが、最近になって、『完訳ファーブル昆虫記』(奥本大三郎訳/集英社)が話題になったり、光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳)が脚光を浴びたりしたことを見るにつけ、どうやら外国の作品の読解は、偏に訳者にかかっているのではないか、と思うようになってきたのである。


そこへ『ロング・グッドバイ』である。手前が「偏に訳者に…」という感を強く持ったであろうことは言を俟つべくもない。まるで村上春樹の小説を読むように読めてしまうのである。よく言われるような「翻訳調」の言い回し(くどい、主語と述語がずいぶん離れている、挿入句が多いなど)を微塵も感じさせない訳であると思う。こういう訳で外国語の作品を読んでしまうと、もう「偏に訳者」と思ってしまうのである。


そんな名訳に触れた経験がなかったわけではない。学生時代に読んだゲーテの『ファウスト』は、手塚富雄の訳(中公文庫)であればこそ、その深い感動を味わえたのであろうと確信しているし、SFの『幼年期の終わり』(A.C.クラーク)や『夏への扉』(R.A.ハインライン/ハヤカワ文庫)は福島正実の、『アルジャーノンに花束を』(D.キイス/早川書房)も小尾芙佐の名訳があってこそ、その名作ぶりが堪能できたということだろうと思う。然様に、訳者の果たす役割はきわめて大きい。


さすがに、哲学や思想の関係の書物となると、訳者の力だけではどうしようもないということもあるのだろうか。たぶん、原文で読んでも難解な語句が並べられているのに、それを日本語に直すだけでなく、内容も正確を期そうなどということになれば、その訳が難解至極になるであろうことは想像に難くない。よく引用されるキェルケゴールの『死に至る病』の冒頭などが、その典型であろう。


しかし、と敢えてお願いしたい。例えば光文社古典新訳文庫などには、レーニンの『帝国主義論』(角田安正訳)などもラインナップされている。斯様に、どうか外国語に堪能な方におかれては、思想・哲学関係の書にも読みやすい邦訳を施して出版していただきたいのである。


以前は、岩波文庫がまさにその役割を果たしていたと思う。岩波文庫は、その範をドイツのレクラム文庫に採り、文芸・哲学・自然科学・社会科学など広範なジャンルの本を廉価で提供してきた。岩波文庫が日本人の知識向上に果たした役割は、もちろん小さくないであろう。しかし、(別に岩波書店には何ら含むところはありません、念のため)いかんせん、今となってはその訳は、あまりにテクストに正確を期そうとしたためか、読みにくいものが多いのではないか。「よし、ちょっと難しい本に挑戦するぞ!」と意気込んで本を手に取っても、書店で頁を開いた瞬間に、「う、これ無理」と思ってしまうような本では、せっかくの古典に触れるチャンスをみすみす逃してしまうのではないか。そうすると、それは岩波文庫創刊のコンセプトに悖ることにはならないだろうか。


岩波文庫には、今でも巻末に有名な岩波茂雄の「読書子に寄す」が載せられている。文中、「生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう」とある。しかし、この尺牘が書かれた時代に比べ、残念ながら現代は日本語の読解力が落ちていると思われる。そうなると、「ちょっと難しそうだけど、読んでみようかな」と思えるような本であるためには、訳を工夫していくしかないと思うのだ。


もちろん、難解な哲学や思想の書が軽々しく扱われてよいというわけではなかろうが、今やマンガの「現代思想入門」の本だってある時代だ。外国語で書かれた優れた書物を、できるだけ多くの日本人が読めるように提供していくことは、社会的にも有用なことであると思うのだが。こういうことは、一出版社が何とかするとかではなく、公に行われてもよいことなのではなかろうか。


例えば、江戸末期の「蕃書調所」のようなものを、国立で設けてくれないだろうか。曰く、「国立蕃書調所」。そこに、世界中のあらゆる言語に対応できるよう、人物を招集する。もちろん、そこの所員には高いギャランティをもって遇する。そうして、有益と思われる外国語の書物を、次々と翻訳・出版せしめる。もちろん、公刊であるから安価に頒布する。なあに、以前不良債権対策のために金融機関に大量に降下した「公的資金」のことを思えば、その運営資金など高が知れている。それより、この施設による文化的・社会的・経済的な費用対効果こそ、これからの日本に計り知れない福徳をもたらすであろう。どうか、政治家・官僚諸賢には、その設立を伏してお願いする次第である。

2007年09月20日

スーさん、夏休み気分がまだ抜けない

9月18日(火)

ようやく授業の生活にも馴致してきたかと思いきや、3連休である。いや、休みなどいらぬということでは決してない。3日も休んでしまうと、またぞろ夏休みモードに戻ってしまい、連休明けの勤労意欲が著しく萎えていて、臥所から身を起こすのにかなりな難儀を伴うということが問題なのだ。

その3連休のことである。別に何かイベントがあったというわけはない。「いつもの休みの日」という感じの3日間であった。

まず土曜日は、シンムラくんからの要請もあり、K中のホームコートである高丘公園テニスコートまで出向いて練習マッチ。シンムラくんとこは、この1,2年生の新チームから再建の途上にある。2年生部員が確か6名しかおらず、必然的に1年生を入れてチーム力アップを図らねばならないことから、技術力の全体的な低下は如何ともし難く、本校との試合はわずかに大将ペアが2勝したに過ぎなかった。

まあ、監督をやっておればこういう事態はよくあることで、それでもめげずに地道に指導を積み重ねていくことこそ、また次なるチャンスが巡ってきたときに実をつけ花を咲かすことにつながる。シンムラくんには、長い目でがんばってほしいものだ。

その日の夕刻からは、いつものお店でいつもの週末小宴。最近は、「いつもの店でいつもの時間から宴会です。来られる人はどうぞ〜」とかメールを入れておくと、自然に誰かしら集まるようになってきた。もちろん、小宴後は麻雀である。

その麻雀であるが、今年は年明けから絶好調(半年で昨年のトータル勝ち分に迫る)で、他の追随を一切許さず、「一人荒野をゆくが如し」といった勢いであったが、さすがに半年を過ぎるとその勢いも衰えを見せ始めた。特に夏休みに入ってからは、配牌だけでなく自摸にも恵まれず、大敗はしないもののマイナスで終えることが続いた。神戸や城崎でも同様で、浮上のきっかけを掴めないままでいた。

その間に着々とプラスを伸ばして来たのは、年間王者に輝くこと幾度かのオノちゃんであった。オノちゃんは、神戸・城崎遠征でも絶好調で、たぶんそのあたりでトップが逆転していたと思われる。ところが、その「絶好調」オノちゃんも、今月初めの静岡中高体連合同懇親会後の、K学園コンビによる怒濤の役満攻撃によってどうもツキがなくなったらしく、トータルで下降線を辿るようになってきていたのだ。

そのオノちゃんと対照的にツキが戻り始めたのが手前である。ここ2回ほどでプラスは100を超え、夏休みに負けた分も取り戻したばかりでなく、さらにプラスが上乗せされてきているのだ。よいことである。もちろん、現時点で再びトップに返り咲いたことは申すまでもない。

さて、3連休の中日(日曜日)は、テニス部員たちに、「朝8時の時点で雨が降ってなかったら練習ね」と言ってあった。起きて外を見てみると、雨は降っていない。しかし、つい先ほどまで雨が降っていたような地面の湿りようである。急いで学校へ行ってみると、はたしてコートは使用不可能であった。「これじゃあできないから、今日は休みだね」と部員たちを解散させた。そのまま帰ろうとしたのだが、エヴァのことを思い出した。

エヴァンゲリオンの劇場版が、今月初めに封切られていたのだ。昨年末に大阪日本橋でエヴァ弐号機のフィギュアをゲットした身としては、でき得ることなら見ておきたい。ところが、浜松では公開している劇場がないのである。で、調べてみると、お隣の豊橋市で公開されていることが分かった。浜松から豊橋までは車でおよそ1時間。しかも、その劇場は朝一の「ファーストショー」なら千円で見られることが判明したのだ。行かないテはない。

そのファーストショーに行こうと思い立った。しかし、時間はあまりなかった。とてもファーストショーには間に合わないだろうと思った。なのに、プリウスは豊橋へと向かったのである。なんでかはわからない。国1のバイパスに出、浜名湖と太平洋を分かつところの直上を跨ぐ橋を通って、一路豊橋へ。ところが、目的の劇場まであと6キロというところで、公開の時間になってしまった。遅れてでも見ようとも思っていたのだが、急に見ようという気が失せてきてしまった。

こうなると、せっかく豊橋に来たのであれば、どうしても寄っていくところがある。駅前広小路通りにあるS文館書店である。ここの品揃えには、昔から一目も二目も置いていた。欲しいと思っても浜松では手に入らなかった本も、ここならほとんど手に入れることができたのである。何を隠そう、内田先生の『「おじさん」的思考』は、この書店で手に入れたのだ。

そのS文館書店に入って、エスカレーターを上りながら、急にある本のことを思い出した。いつか内田先生がお薦めの本(コミック)として紹介されていた『坊ちゃんの時代』(関川夏央・谷口ジロー/双葉社)である。今まで思いつくたびに書店で探してみたのだが、見つけることは叶わなかった。そうそう、神戸三宮のジュンク堂でも見つけられなかったのだ。逸るココロを抑えつつ、コミック売り場へと急いだ。と、いきなり、「谷口ジロー」の文字が目に飛び込んできた。あったあった!しかも5冊揃って!どうやら、豊橋行きはこの本が喚んだのだと思った。他に、『荷風随筆集(上・下)』(野口冨士男編、岩波文庫)なども購入し、満足感に浸りながら帰途に就く。

3連休最終日は、またもや朝から雨。部員には、「今日も練習はお休み」と連絡を入れ、もちろん前日見ることが叶わなかったエヴァを見るために、再び豊橋へ。途中、今春まで本校で用務員をしていたMくんに「豊橋までエヴァ見に行くんだけど、行く?」とメールを入れると、ぜひ同行したいという旨の返事が返ってきた。彼も「隠れ」エヴァ・ファンだったのである。

途中でMくんを拾って、一路豊橋へ。彼は今春から市役所勤めになった。いろいろと苦労もあるようだ。車中そんな話をしていると、程なく到着。駐車場がいっぱいだったので、ちょっと離れたところに車を停めなければならなかったが、何とかファーストショーには間に合った。暗い中を場内に入ると、既に始まっていた。あっという間の2時間弱であった。エヴァ劇場版は、今後も第4作まで続くのだそうだ。最も関心が高まるのはもちろん最終作だと思う。続編が楽しみである。

家に帰ると、母が、「どうもカーポートの排水が悪いんだけど、詰まってるかどうか見ておくれでないかい?」と言うので、梯子を持ち出し、屋根に上って排水溝の泥などを取り除く作業を続ける。4カ所の掃除を終え、ついでにプリウスも洗車すると汗まみれである。エアコンの冷風を浴びながら、居間でのんびり『「命令違反」が組織を伸ばす』(菊澤研宗/光文社新書)を読む。太平洋戦争のいくつかの場面を、経済学の学説から読み解こうというおもしろい発想の本であった。

こうして、豊橋へ2日続けて行った3連休は終わった。連休明けの朝が、いかに起きたくないものかは、冒頭に書いたとおりである。さてと、今週もがんばろっかあ。4日勤務すれば、また3連休だし(おっと、そうなるとまた連休明けが起きたくなくなるんだろうなあ)。

2007年09月27日

また三連休

9月25日(火)


また3連休であった。


何もなければ、甲南合気会の合宿に参加していたところだ。しかし、次の日曜日には市内新人大会の予選リーグが予定されている。試合1週間前なのに、「じゃ、オイラは合気道の合宿行ってくっからさあ」とは、とても選手たちには言えなかったのである。


だから、この3日間は、特にどこに出かけるということもなく、午前中は部活、午後は家で昼寝&読書、晡時よりいつもの小料理店にて小宴&麻雀という、判で押したような3日間であった。


まずは麻雀。土曜日、ヤイリくんが大三元を和了った。振り込んだのはヨッシーである。実は、ヨッシーがヤイリくんに大三元を振り込んだのは、これが2度目である。ヤイリくんは、發と中を晒していた。もちろん、その時点で役満警戒である。白を自摸ったなら、ひたすら抱え込むしかないのである。ところが、何を思ったか、ヨッシーがいきなりその白を打牌したのである。間髪を入れずにヤイリくんの牌が倒された。やはり大三元だったのだ。しかし、「なんで?」と発したのは愚問であった。何と、ヨッシーは小四喜を聴牌していたのである!いやはや、恐ろしや。しかし、終局してのトップは手前なのであった。これで、トータルのプラスは700を超えた。


たまたま、週末だけ開店するスーパーの近くを通りかかった時、ふと閃いたことがあった。駐車場まで買ったものを満載して運ぶカート。大量にあることは間違いない。だって、駐車場にそのまま放置してあるものもあるほどである。このスーパーとかで使用されているカートであるが、テニスのボール出しをする際にうってつけのアイテムなのである。コロがついて移動は自由自在だし、ボールが入ったカゴを載せても程よい高さでボール出しに便利なことこの上もないのである。


このようなカートを購入しようとすると、数万円はかかるのである。ただでさえ部費はボール代で精一杯であるから、斯様なモノを購入するだけの余裕はない。無償で提供してもらうには、スーパーなどでそろそろ廃棄かというものをいただいてくるに如くないのである。


すぐに駐車場に車を停め、近くのおばちゃんに、「すみません、中学校の教員です。部活の指導で使用したいんですが、古くなって処分間近のカートとかってありますでしょうか?テニスの指導で使いたいんです」と尋ねてみた。「え?はあ。ちょっと待ってね、店長に聞いてみるから」とインターホンを手に取った。待つこと暫し。「いいみたいですよ。いま警備員がカート持って来ますから」との嬉しいお返事であった。


程なく、警備員さんが大小二つのカートを運んできた。「どっちがいいですか?」と言うので、小さい方を選ばせていただいた。「あんた、管理職?」「いえ、違います」「じゃ、何?」「テニス部の顧問ですけど」などとやり取りをしていると、先ほどのおばちゃんが、「いいのいいの、話はわかってるから。持ってってもらってよ。その分、また買いに来てくれるって言ってるから」とアシストしていただいた。プリウスの後部座席に何とか収めると、心なし「ぐふふふ」と笑みが零れてくるのであった。


折り畳み式のベンチも購入した。校内試合をする際、試合の際、また試合時にテントの中で待機する際など、使う場面は多い。近くのホームセンターやディスカウントショップに行ってみたのだが、夏に山積みしてあった目的のベンチを置いている店はなかった。どうやら、仕入れ分がなくなったところで販売は終了したものらしい。


何とか手に入れたいと思い、校外の大規模ショッピングセンター内にあるスポーツ店を訪れてみた。お目当てはキャンプ用品売り場である。確かにベンチはあった。しかし、高価なのである。特に、より小さく折り畳めるものほど高価であった。辺りをよく見てみると、ずいぶん安価なベンチがあった。しかも、他の高価なベンチと違って、ちゃんと背もたれも付いている代物である。


ところが、1脚しかなかった。コートの両サイドに置こうと思っていたから、2脚購入するつもりだったのだ。すぐに店員に聞いた。「これ、一つしかないんでしょうか?」と聞くと、はたして、「すみません、現品限りなんですけど」との答えであった。「えっと、系列店とかから入手することってできますかあ?」と尋ねると、「確認してみますね」とのお返事であった。暫時待機。「数日で系列店より入荷できることがわかりました。ご注文なさいますか?」と聞かれた。逡巡することは何もない。とりあえず、1脚だけ購入して帰途に就いた。


翌日、カートとベンチを生徒たちに披露した。「おお!」、「すげえ!」と感嘆の声が挙がった。何よりであった。中学校の部活動の指導においては、こういうことがとても重要である。練習環境や用具を整えるのは、監督の仕事なのである。


午後の読書では、ちくまプリマー新書を2冊読んだ。『音楽を「考える」』(茂木健一郎・江村哲二)、『未来形の読書術』(石原千秋)である。特に、前者がおもしろく読めた。茂木健一郎氏がクラッシック音楽を好むとは知らなかった。リヒャルト・シュトラスの「ナクソス島のアリアドネ」が聞きたくなった。


その日の夜は、前日に諸般の事情で麻雀ができなったオノちゃんやオーツボくんを迎えて、支部定例会の第2夜。手前とヨッシー、ヤイリくんが連日となる。この日も手前はプラス50で終えることができた。トータルは800に迫ろうという勢いである。このまま年末まで疾駆したいものである。


3日目は、午前中の部活指導を終えた午後から、昼寝の後で近くのTUTAYAにて、「ゲド戦記」を借りてきて夕方まで見ていた。公開された際には、紛々たる議論(不評が多かった)を巻き起こしたと記憶しているが、とにかく見てみようと思ったのである。


確かに、「ん?なんで?」とか、「何それ?」と言いたくなるような場面がなかったわけではない。しかし、それなりにおもしろく見ることができた。何より、「ゲド戦記、読んでみるかなあ」と思わせられたところで、映画制作は意義があったと言えるのではないか。DVDを返却したついでに書店へ走り、とりあえず第1巻を購入してきた。


かくして、平穏なる3連休が終了した。来週からは新人戦が始まる。来年の夏に向けてのスタートが切られるのである。がんばろう。

About 2007年09月

2007年09月にブログ「スーさんの熱血うなとろ日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年08月です。

次のアーカイブは2007年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35