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2007年08月 アーカイブ

2007年08月02日

スーさんの、夏休みはまだ始まらない

8月1日(水)

県大会が終わった。個人戦で1組のみの参加であったが、残念ながら初戦で敗退、今夏の挑戦は幕を閉じた。

県大会は団体戦からのスタートであったが、その団体戦の日は朝から雨であった。大会役員で静岡市へ先乗りしているヨッシーから、「待機する場所もないのに、生徒は木陰で傘をさして耐えています。雨が降り出す前に(本部には)避難場所もないから中止にしなさいと進言したのに、(大会の)予備日に台風が来るかもしれないという理由で待機しています」という怒りを含んだメールが入った。

すぐに電話をかけた。「こっち(浜松)は、7時を過ぎたというのに、車がヘッドライトを点けて走っているくらいに真っ暗だよ。今にも大雨が降ってきそうだ」などと言っていたら、まもなく激しい雷雨になった。「おい、聞こえる?ものすごい雷雨だぜ。この雷雲がそのうちそっちにも行くんだよ。中止にした方がいいよなあ」とは言ったものの、どうもすぐには中止決定が出そうな状況ではなさそうであった。「もし中止になったら教えてね」と電話を切る。

団体戦が延期された場合でも、個人戦の日程は変わらない。実施できなかった団体戦は、予備日に行われるようになる。それより、こちらの練習をどうするかを考えなければならない。学校の体育館は他の部が使用している。屋根付きコートがある花川テニスコートは、月曜日がお休みである。となると、いつもK中が練習で借用している高丘公園のテニスコートしかない。もちろん、雨が止むということが前提である。

本校の選手から電話が入ったが、また電話するからと待機させておくことにする。そのうちに、雷雨がだんだん収まってきた。雨も小降りになって、遠雷に変わった。雲も少しずつ途切れて、明るくなってきた。ネットで高丘公園テニスコートの空き状況を調べてみたら、第4コートだけが午前11時から午後1時まで使用できることがわかった。すぐにシンムラくんに電話をかけた。「わかりました。今から予約に行ってきます」とレスがいい。選手のところにも電話をかけ、「宿泊できる用意をして10時半に学校集合ね」と連絡を入れる。

10時過ぎ、ヨッシーから再びメールが入った。「中止が決定されました」とのことである。しかし、台風の接近が心配されるため、個人戦もベスト16が出揃うまでは5ゲームマッチに変更して、初日でベスト8、できればベスト4までを出したいとのことであった。波乱の個人戦になるような予感がした。しかし、もう決定されたのだからどうしようもない。その中でどう力を発揮させるかということを考えなければならない。

選手たちが集まってきたので、簡易テントやクーラーボックスやらを積み込んで高丘公園のテニスコートへと移動する。もうこの頃には雨はほとんど止んでいた。これなら練習はやれそうである。11時になって、K中の大将ペアもコートにやってきた。さっそく練習を始める。手前はこの間に、簡易テントをルーフキャリアに縛り付けたり、クーラーボックスを運ぶための折りたたみキャリーをホームセンターまで買い出しに行ったりしていた。

昼食なしで1時まで練習を行い、1時間ほど昼食休憩をさせて出発しようと思っていると、どこやらで見かけた人物がテニスコートに現れた。M中のイケヤ先生であった。浜松から県大会個人戦に出場する女子のペアを集めて、合同練習をするのだそうだ。自分とこの選手だけでなく、そうやって他校の選手たちも面倒見てあげようというところが、いかにも彼らしい。よい先生である(そう言えば、彼も最近は私たちがいつも行く居酒屋の常連客になりつつある)。すると、「先生、もしも午後もコートを使用するなら、僕らは2面借りてますから1面使ってもらってもけっこうですよ」と言ってくれるではないか。いやはや、持つべきものはテニス仲間である。「では、言葉に甘えて」とお願いをする。

シンムラくんと昼食を済ませて帰ってくると、選手たちはもう練習を始めている。ホントに練習が好きな生徒たちである。そのまま4時過ぎまで練習やらゲームやらを行い、コートを融通してくれたイケヤ先生にお礼を言って、静岡市へと移動する。

宿へ到着後は、選手たちは風呂に入って食事をして寝るだけである。その指示をして、ヨッシーに連絡を入れる。支部部長のオーシロくんや、審判員として夕方に静岡入りしたオノちゃんらと、地元の黒はんぺんフライの美味しいお店で合流して小宴。明日の健闘を誓う。

明けて7月の最終日は、前日の雷雨がウソのように晴れて、朝から蝉の声が喧しい。本校の選手たちは、5試合目の登場であった。この個人戦を迎える前には、土日を利用して、沼津のK学園高にて練習やゲームをさせてもらった。スガイ先生にもずいぶんと選手たちを教えていただいた。どれだけ勝てるのかは目算が立たなかったが、それなりの手応えは感じていた。

試合が始まった。最初のポイント、後衛選手がいきなりレシーブを相手前衛にぶつけにいった。しかし、いとも簡単に取られて失点。その後も何度か相手前衛にポイントされて、気がつけば2ゲームダウン。5ゲームマッチだから、既に王手をかけられたに等しい。それでようやくエンジンがかかったのだろうか、続く第3ゲームは競り合いになった。しかし、ここでも要所で後衛選手のボールが入らない。並行カウントになっても、常に相手が先行する状況から、最後はレシーブを前後衛共に連続して失点してゲームセット、何ともあっけない幕切れであった。

2年生ペアだからということもあるのだろうか、どうも勝ち負けに淡泊であるような印象が強かった。もちろん、「最後の大会」に賭ける3年生の執念のようなものを、2年生に求めるのは無理ではあろう。しかし、持てる技術を十分に発揮できず敗戦してしまうのは、本人たちも不本意に感じるのではなかろうか。まだ来年があるからとも言えるが、気持ちの部分でまだまだ改善の余地があることを実感させられた試合であった。

試合に負けたのだからすぐに撤収してもよかったのだが、まだK中の大将ペアが残っている。彼らは、顧問のシンムラくんが三者面談ということもあり、夏休みに入ってから毎日のように本校にやって来て一緒に練習をした。おかげで、本校の2年生たちともずいぶん仲良くなった。沼津のK学園高へも一緒に行った。そんな経緯もあって、彼らを応援してから帰ることにしたのである。

ちらほらと他の試合結果が聞こえてきた。どうやら、第1シードは初戦で飛んだらしい。都道府県対抗戦の県代表ペアも初戦か2回戦で飛んだとのことだ。やはり、戦前に予想していた「荒れる兆候」は随所に顕れているように感じた。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。何とかK中のペアにはベスト8に残って、東海大会への切符を手にしてもらいたいと思っていた。

K中ペアの試合が始まった。後衛選手は打ってよし回してよし、前衛選手もいいところでポイントを決める。軽く初戦を突破して波に乗り、そのまま3回戦までクリアしてしまった。いよいよ東海がけの8本取りである。相手は、昨冬の新人戦県大会個人戦、6月の県選手権と制覇して、優勝候補との噂の高いG中の2年生ペア(もちろんジュニアの選手たち)である。相手にとって不足はない。

第1ゲームから競り合いになった。K中の前衛が何本もスマッシュを打つのだが、悉く相手後衛にフォローされて得点できない。逆に、死角を打たれたりして失点してしまう。さすが、噂に違わないだけの技術は持っている選手たちであった。K中ペアも負けてはいなかった。後衛選手がいいコースに打ち、前衛もポイントを決めてゲームカウントを2-1とリードする。しかし、K中ペアの善戦もここまでであった。続く3ゲームを連取され、そのまま2-4で敗戦。要所でミスが出たのが痛かった。

試合後、K中ペアがお礼を言いにやってきた。「いいゲームだったよ。中学校の最後に、いい相手と試合ができてよかったじゃない。二人とも自分のいいところを出せたと思うし、東海大会に行けなかったのは悔しいだろうけど、あれだけのゲームができたんだから胸を張っていいと思うよ」と話した。二人ともいい顔をしていた。「負けて悔いなし」という顔であった。とりあえずほっとした。彼らの今後に、幸多かれと祈りたい。

大会も終わり、「さて新チーム!」と思いきや、県大会の予備日にはU-14の県レベルでの選考会が行われるということで、本校の選手たちを連れて、またもや草薙まで行かなければならない。いやはや、のんびりと読書ができる夏休みは、まだ当分やって来そうにない。ふう。

2007年08月09日

スーさん、医者にプチ切れ

8月7日(火)

弟のその後のことを、ご報告しておきたい。

昨年末に熱傷三度の重傷を負った弟も、その後数回の手術を経て、何とか一命は取り留めることができ、傷の回復と並行しながらリハビリに励む毎日を送っていたのだが、この4月に担当医から、「このまま入院されていても、リハビリの進捗状況も改善されないし、何よりご本人に治そうという強い気持ちを持ってもらうためにも、一度退院して通院しながら治療することをお勧めします」という説明があった。

その当時の弟の状況は(今もそう変化はないのだが)、歩行器を使用しても自力歩行が困難な状況であったから、それを聞いた両親は慌てた。
「通院って、どうやって…?」
「介護タクシーを使えばいいんですよ」
「でも、家も車椅子とかが出入りできるようにはしてないし…ベッドの用意も…」
「とにかく、そうやって本人が“周囲に迷惑をかけているから、今以上にリハビリをがんばらなくては”という気持ちになってもらうことが肝心なことなんです」

どうも腑に落ちない説明だったので、手前は以下のように質問した。
「ってことは、もうかなり治癒していると考えていいのですか?」
「そうなんです、あとは食事をしっかり取って栄養をつけ、リハビリをがんばってもらうだけなんです」
ホントにそうなのか、どうも母から聞く弟の様子と、医師の説明の状況とが一致しないように思われて仕方がなかった。

毎日病院に通って弟の様子を見守ってきた母は、その説明がどうにも納得いかないようであった。帰宅後、「あんな医者ってないよ。ひどい。まだろくに歩けもしないのに、病院を追い出すようなことを言う。足の傷だって、毎日ガーゼを替えたりしないといけないし、車椅子にだって一人では乗れないのに。それを全部家でやれっていうのかね!」と憤懣やる方ない様子であった。手前も同様の思いであった。

困った両親は、病院の相談窓口に出向き、一部始終を話した。話を聞いた窓口でも、「それはちょっとひどい話ですねえ」ということになり、担当医に話をしてくれた。すぐに退院して通院加療するという話はそれで終わった(と思った)。ところが、それから2ヶ月後、またしても同様の話が担当医から持ち出されてきた。さすがに今回は父親も堪忍袋の緒が切れたらしく、労災の関係者等に相談を持ちかけた。それら関係者からは、「前代未聞の話だ」と言われたそうだ。「そんなの、体のいい厄介払いじゃないか!」と。これで、話は別の病院を探す方向で進んでいった。

幸い、市内で内科医を開業している母親の甥っ子に相談したところ、自分が以前勤めていた総合病院に話をしてくれた。最初は受け入れを渋っていたようなところもあったのだが、院長先生のご厚意もあり、何とか受け入れてもらえることで話が決まった。

7月、浜松K病院へ入院が決まった。転院後は、弟もがんばって食事をとるようになり、体力を示す数値も徐々に高まっていった。7月中は大会が続いたこともあり、弟のこともしばらく無沙汰になっていたのだが、先日母が家に来て「今度6日に手術するから」と言う。「はあ?手術ってどういうことよ?」と尋ねると、どうやら手術に耐えうるだけの体力もついてきたので、臀部に残っている大きな傷に植皮の手術を施したいとのことで、それは現在入院しているK病院ではなく、浜松医大で行うとのことであった。

その手術が昨日行われた。午後2時から行われた手術は、7時近くになってようやく終わった。終了後に、医大形成外科の担当医から説明があった。比較するわけではないが、それまで入院していた浜松S病院の担当医よりは数段真摯な印象を受けた。とにかく、事故直後に運ばれたときからそうであるが、何につけS病院の医師たちはどうも居丈高な印象が強かった。そういう病院なのであろう。

浜松S病院は、人的、物的リソース豊かな、全国でも指折りの病院だそうだ。しかし、肝心なことを忘れてはいけないのではないか。言い古された言葉ではあるが、「医は仁術」である。豊かなリソースも、それを活用する「人」があってこそのことである。その「人」は、患者及びその家族から、「あの先生なら…」と信頼を寄せられるような人間性の持ち主でなければ困る。それは実際に患者やその家族と応対する際の身振りや言葉づかいに端的に表れてくるものなのである。少なくとも手前は、入院の必要に迫られても、絶対にS病院だけは選択肢の中に入れたくはない、ということを明言しておきたい。

弟も、これで8ヶ月以上に及ぶ入院となる。火傷の傷も癒えていないことから、リハビリも順調には進んでいない。思うように足も動かせないことから関節の拘縮も懸念され、最悪の場合、生涯車椅子のお世話になることも考えられるそうだ。でも、一度はなくなってもおかしくはないと思った命である。まだ生かされているのだから、そのことに感謝してこれからを生きていってほしいものだ。生きてりゃ、つらいこともあるけど、うれしいことやいいことも多いから。そうやって励ましていこうと思う。

2007年08月18日

スーさん、蟄居を夢見る

8月17日(金)

猛暑である。とにかく暑い。日陰でじっとしているだけでも、体中にじっとりと汗が滲んでくる。まるで、サウナの中にいるようだ。エアコンの効いた部屋から一歩外に出ようものなら、それこそ熱さが一挙に襲ってくるような感じがする。こんなときは、とにかくどこへも出ずに、ひたすらエアコンの効いたわが家で本でも読みながらじっと蟄居しているのがいちばんである。

にもかかわらず、このお盆休み(13~15日)は、昼はテニスコートに、夜は懇親会場にと、およそ「家で蟄居」などとは言ってられない3日間であった。例年この時期に浜松で行われている、「中学校選抜ソフトテニス新人研修大会」の運営に携わっていたからである。不肖手前が「総務委員長」である。略せば(略さなくてもいいけど)「総長」なのである。「だから何だ」と言われても困るが、「じゃ、お願いね」と言っておれば大抵のことが進んでいくという、まことにお気楽な立場である。その実態は、主として県外からお見えになる顧問の先生方の接待役というところであろうか。

大会は13日からであったが、例年その前日から浜松に入ってくるチームもある。そのため、スタッフは午後から試合会場である花川テニスコートに詰めなければならない。もちろん、練習のためにコートは夕方まで10面ほど確保してある。県外チームのみならず、スタッフの学校の選手たちも練習することになっている。

今回、前日に入ったのは、京都府の4チームであった。例年だと、午後1時前には到着しているのだが、今回は愛知県内がかなり渋滞したとのことで、2時を過ぎてからの会場入りであった。京都のミヤタ先生やキシ先生とお会いするのは、5月の滋賀での大会以来である。それぞれ自チームの今夏の健闘ぶりなどを情報交換しながら、練習マッチを行う。

それにしても、いつもながらミヤタ先生率いるNJ中は強い。今夏も、団体・個人戦共に近畿大会までは出場し、特に個人戦では、2年生ペアながら勝てば全国大会出場というところまで勝ち上がったということだ。本校のボクちゃんたちでは、とても太刀打ちできる相手ではないのである。それでも、練習マッチの中では、何とか相手に食らいついていこうという気持ちが随所にプレーとして見られた。大会中にも、そんな気持ちで臨めれば、それなりの成果も上げられるのではと思っていた。

夜は、今年初参加の京都O中の顧問の先生も交え、いつもの居酒屋にて前夜祭。前夜祭から参加した顧問には、その店特製の鰻の蒲焼きをご賞味していただくことになっている。「え?これ一匹ぜんぶワタシが食べちゃっていいんですかあ?」と言いながら、O中の先生もうれしそうに召しあがっている。鰻って、けっこう好んで食べる人が多いということを実感させられる。

明けて、13日は大会初日。団体戦の予選リーグが行われた。西の外れは姫路から、東は富士宮から参加した男女合わせて41チーム(うち、県外からの参加が21チーム)を、それぞれ4チームずつ12ブロックに分けての予選リーグである。予選1,2校は決勝トーナメントへ、3,4位校は研修トーナメントを行うことになっている。少なくとも、4試合は確実にできるのである。

本校は、何とか予選リーグを全勝で抜けることができた。その日の最後に行われた決勝トーナメントの1回戦も、何とか突破することができた。今年の夏季大会は、2年生が半分入ってのチーム構成で臨んだということもあり、2年生はそれなりにゲームをこなしているということの結果であろう。それに、本校の大将ペアの前衛は、先日行われたU-14の県内最終選考にも選ばれて、次の東海ブロック段階選抜(STEP3)に参加することが決まっている選手である。頼りになる中心選手がいるときのチームは、そう簡単には負けない。

その日の夜は、ほとんど全ての顧問が参加しての懇親会。会場は、浜松城近くのホテルコンコルド浜松。宴が佳境に入って、それぞれの府県からの参加校の顧問がまとまって自己紹介。この時間が楽しい。最後は、近畿ブロックの長である滋賀のニシカワ先生が締めてくれて散会。二次会は、「浜松の夜の委員長」こと、マチイくんが案内してくれたスナック。41度の焼酎をロックで飲む。これが効いた。前後不覚になって、よろよろと自宅に辿り着き、そのまま意識不明となる。

翌日は、決勝トーナメントの2回戦以降から決勝まで。残念ながら、本校はその2回戦で敗退してしまった。対戦相手は、同じ静岡県内のチームであった。ジュニアのファームを持ち、典型的なジュニアのテニスを展開するチームである。さすがに、本校後衛陣にはまだ打ち切って勝てるほどの力量はついていない。今後の課題ということであろう。

男子団体戦は、京都NJ中が昨年に引き続き連覇。女子は、久しぶりに参加してくれた奈良K中が優勝した。男女とも、決勝戦は高レベルの試合であった。現時点で、これだけのレベルの高い試合が見られるということだけでも、参加した選手たちにはいい目標づくりになるのではないかと思われる。

団体戦の表彰式に引き続いて、個人戦のリーグ戦が始まった。個人戦も団体戦と同様に、それぞれ4組のリーグ戦、1,2位ペアによる決勝トーナメント、3,4位ペアによる研修トーナメントが行われる。リーグ戦は、それぞれ6試合あるのだが、最終日の試合のことを考えると、4試合くらいは消化したいところだ。今回の組み合わせを作成したオノちゃんが本部席に陣取り、なるべく早く進行するよう指示を出している。いいペースでリーグ戦が消化されていく。本校から参加した4組は、リーグ6試合中5試合が消化でき、3組がそれぞれ2勝1敗の2位で、決勝トーナメントへの進出が決まった。上出来である。

その日の夜は、「お別れパーティー」とも言うべき最終夜の宴会。場所は、浜松駅近くの繁華街にあるビアホール。さすがに3日目ともなると、ビールもそうたくさんは飲めない。県外の先生たちも、それぞれおとなしく宿舎へと戻っていった。

最終日は、個人戦のリーグ戦の残りと決勝・研修トーナメント。本校の決勝トーナメント残留組は、3組中2組が初戦で敗退した。それぞれ勝てるチャンスもあったと思われるが、負ける方が課題をはっきり意識できるからいいのだ。

気を吐いたのは大将ペアである。2回戦で、第4シードの愛知県のクラブチームの大将ペアに勝って勢いに乗った。続く3回戦も、姫路H中2番手ペアに勝ってベスト8。さすがに準々決勝は奈良K中の大将ペアに鎧袖一触で退けられたが、それでもこれだけレベルの高い中での8強は立派であった。さぞかし自信になったことと思う。今まで、遠征に出たりしても、なかなか結果を残せないままにここまで来たのであるが、これで一段階ステップアップしたと思う。確かな手応えを感じることができた。

優勝は、男女ともNJ中であった。ミヤタ監督の面目たるや躍如ということであろう。来夏が楽しみである。でき得れば、来年の富山全国大会で顔合わせできるようになりたいものである。そんな思いを残しながら、3日間の大会の幕が閉じた。毎年そうであるが、この大会が終わって「ようやく夏休み」という感じがする。運営を支えてくださったスタッフの先生方、そして、今年も高速道路の渋滞をものともせずに県外から参加してくださった先生方に、心から感謝の意を表したい。

昨日は出勤する予定であったが、さすがに疲れ果てていたので、休みを取ることにした。終日家にいたのだが、あまりにも暑くて、あんまり疲れが取れたという実感はない。天気予報では、この日曜日くらいから猛暑も和らいでくるそうだ。少しは涼しくなってもらわないと、とてもじゃないけど2学期からの勤務には耐えられないような気がする。はあ(ため息)。

2007年08月25日

スーさんの、ようやく来ました夏休み

8月25日(土)

ようやく夏休みだ。
うれしい。

私たちには、夏期休暇が5日間与えられている。それ以外にも、「家族休暇」なる休みもある(年間で3日間)のだが、それらしい事由(子どもの入学式とか)がないと、なかなか取得しようという気にはならない。つまりは、堂々と「休暇です」と言って取得できるのは、(年休を別にして)夏休み中に5日間しかないってことなのだ。

「え?だって、学校が休みなんだから、先生たちも休みなんじゃないの?」などという、広く世間一般に流通していると思われる風説にはどうか惑わされないでいただきたい。授業はなくとも平日は出勤するし、研修や出張も組まれている。尤も、教員の仕事の主たるものは授業であると考えれば、長期休業中はお気楽であると言えば言える。平日も、ほとんどは部活動の指導と、学期中に積み残した仕事を片付けたり、備品の点検をしたり、次学期に備えて教材研究したりというようなことで経過していくからだ。

手前は、5日間の夏期休暇のうち、既に3日間を消化している。前回の日記に書いたソフトテニスの研修大会のためである。正式な大会であれば出張扱いになるのであろうが、この大会はそうではない。部活動の指導も、顧問が自らの休みを取って行うということもあるのだ(まあ、基本的に私の場合には、部活の指導は趣味のようなものであるから、別段そのために休暇を取っても、どってことはないのだが)。

で、残りの2日を、週明けの月曜日から取らせていただくことにしている。これぞ今夏の文字通り「夏期休暇」である。予定は以下のとおりである。

明日の日曜日から神戸へ。ちょうど昼くらいに着く予定なので、ホテルにチェックインする前に、元町にて中華の昼食。「神戸でおいしいものを」と言えば、「鉄火場」アオヤマさんに紹介してもらうのがいちばんである。アオヤマさんからは、さっそく詳細なメールをいただいた。お店には事前に予約の電話も入れてくださった。アオヤマさ〜ん、お礼にうなぎを持参しま〜す。

その日は内田先生が夕方まで能のお稽古ということで、先生の新居には夕方お伺いすることになっている。持参したうなぎで小宴(先生のお引っ越し祝いも兼ねて)後に、本部連盟との対戦となるはずである。

明けて月曜日は、先生とともに城崎へ。途中、出石にて名物「皿そば」の昼食。城崎到着後は、外湯で温泉を満喫後、「極楽温泉麻雀」に突入、深更までというところであろうか。
翌、火曜日は、のんびり起床して遅めの朝食後にチェックアウト。先生は、お忙しいのでたぶん早めにお帰りである。われわれは、豊岡でコウノトリでも見ながらと、途中下車もしながらゆるゆると帰途に就く。

とまあ、こんな予定である。

参加予定者は、オノちゃん、ヨッシー、オーツボくん、シンムラくんである。「あれ?ヤイリさんは?」とすかさずカンキくんは思われたことであろうが、残念ながら今春入籍したヤイリくんは、新妻を伴い、故郷の下野国に帰省中である。地元では弱いのだが、本部連盟との対戦では、無類の強さを発揮するヤイリくんではある。その代わり(にはならないだろうが)は、東京で友人の結婚披露宴に参加するため月曜日の朝から参加のシンムラくんである。カンキくんは、さぞかし喜んでいることであろう。

などということをこうして書いているだけで、今すぐにも行きたい気持ちになってくる。あああ、一刻も早く行きたい!明日になるのが待ち遠しい。あああ。

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