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2007年06月 アーカイブ

2007年06月05日

先生はつらいよ

6月4日(月)

久しぶりに、何もない土日。

部活動の指導を終えた土曜日の午後は、今月19日に発表の機会をいただいた大学院内田ゼミでの、教育についての発表草稿を考えていた。以下は、発表しようと考えていることの一つ、生徒指導のことである。

今年の2月、文科省初等中等教育局は、銭谷局長名で「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」という通知を、各都道府県教育委員会教育長、各指定都市教育委員会教育長、各都道府県知事、附属学校を置く各国立大学法人学長宛てに出した。以下は、その通知の一部である。
“いじめ、校内暴力をはじめとした児童生徒の問題行動は、依然として極めて深刻な状況にあります。(…)また、学校での懸命な種々の取組にもかかわらず、対教師あるいは生徒間の暴力行為や施設・設備の毀損・破壊行為等は依然として多数にのぼり、一部の児童生徒による授業妨害等も見られます。
問題行動への対応については、まず第一に未然防止と早期発見・早期対応の取組が重要です。学校は問題を隠すことなく、教職員一体となって対応し、教育委員会は学校が適切に対応できるようサポートする体制を整備することが重要です。また、家庭、特に保護者、地域社会や地方自治体・議会を始め、その他関係機関の理解と協力を得て、地域ぐるみで取り組めるような体制を進めていくことが必要です。
昨年成立した改正教育基本法では、教育の目標の一つとして「生命を尊ぶ」こと、教育の目標を達成するため、学校においては「教育を受ける者が学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」ことが明記されました。
(…)学校の秩序を破壊し、他の児童生徒の学習を妨げる暴力行為に対しては、児童生徒が安心して学べる環境を確保するため、適切な措置を講じることが必要です。
このため、教育委員会及び学校は、問題行動が実際に起こったときには、十分な教育的配慮のもと、現行法制度下において採り得る措置である出席停止や懲戒等の措置も含め、毅然とした対応をとり、教育現場を安心できるものとしていただきたいと考えます。
この目的を達成するため、各教育委員会及び学校は、下記事項に留意の上、問題行動を起こす児童生徒に対し、毅然とした指導を行うようお願いします。
なお、都道府県・指定都市教育委員会にあっては所管の学校及び域内の市区町村教育委員会等に対して、都道府県知事にあっては所轄の私立学校に対して、この趣旨について周知を図るとともに、適切な対応がなされるよう御指導願います。”

おっしゃりたいことはわかるし、もちろん「毅然とした指導」もしたいとは思う。でも、学校が実際に困っていることって、ちょっと違うのだ。

実際に、生徒指導で困っていることを例話として挙げてみよう。
性行不良生徒が複数(4~5名)集まって、授業をサボり、校庭の一角にたむろしているとする。見かけた先生から職員室に連絡が入るから、執務中の教員が対応することになる。
「こんなとこで何やってるよ、授業行かないのか?」
「るせえんだよ」
「ちゃんと授業受けなきゃダメだろ?」
「あっち行けや」
「だからさあ、いま授業中だろ?学校は勉強するところなんだぞ」
「るせーって言ってんだろ!」(以下略)

昔(今から20年ほど前)であれば、強面の体育科教師とかが行って、ある時は厳しく叱責しながら、またある時は優しく宥めながら、何とか教室に入れたり別室に連れて行って話を聞いてやったりしたものだ。しかし、最近ではそういうことがとんと難しくなってきている。見るからに強面の先生がいない学校では、指導はかなり難しくなる。上記のやり取りのように、まずは生徒たちが簡単には言うことをきかない。かと言って、特に法律に触れる行為(喫煙とか)していない場合には、警察に連絡するというわけにもいかない。とにかく、言うことを聞かないままに、その場にいつまでもたむろしているのである。教師は手をこまねいて見ているしかない(場合が多い)。

彼らの行動は、件の通知によれば「学校の秩序を破壊し」ていることになろうか。しかし、「適切な処置」とは、どのような処置を言うのだろう。事が対教師暴力とか器物破損とかであれば、即座に警察に通報するということもあるだろう。ところが、たかが授業エスケープ程度のことでは、そうはなかなかいかないのである(そんな「中途半端な」行動が最も始末に負えないのだ)。

どうもニュアンスを伝えにくいのだが、そうやってたむろしているときの雰囲気というのは、とてつもなく悪い。「コンビニの前に座り込んで、タバコを吸ったり何かを食べていたりする制服姿の中学生、または高校生」というような姿(雰囲気)を想像していただければよいであろうか。そんな集団に、教師たちが近づいた際、彼らがどんな表情をするかということは容易に想像できるであろう。まずは、目が三角になっている。威嚇する態度を体中から発している。場合によっては挑発もしてくる。できれば近づきたくないなあというのが本音であろう。でも、行かなければならない。

そんな連中ではあっても、個人的に話をするときはそんなに反抗的ではない。集団になるとどうしようもなくなる(ことが多い)のである。そうやって、あまり雰囲気が良くないままに生徒たちが勝手な行動を繰り返すようになると、学校の秩序は徐々にではあるが確実に崩壊していく。

もちろん、そうならないように、保護者や警察、児童相談所、教育委員会とも連絡を取り合いながら対応していくのだが、一朝一夕には彼らの行動を変えていくことはできない。そもそも、彼らもせいぜい喫煙をするくらいで、「ここまでやるとヤバイ」という一線は心得ている。だから、すぐにでも警察に通報されるようなことはしないのだ。

困っているというのは、こういうことである。

教師には、「強制力」がない。その場においては、「宥める」「諭す」「叱る」などという方法しかない。これほど「体罰」が社会的に容認されていないにもかかわらず、依然として「体罰」による教員の不祥事が絶えないというのも、学校(教師)に「強制力」がないからではないか。勘違いしては困るのだが、「だから教師や学校に強制力を持たせろ」と言いたいのではない。そんなもの、持たせられたくはない。

これは、「学校」というシステムの根幹に関わることだろうと思うのだが、そもそも学校というところは「教える」-「学ぶ」という関係が大前提にある。「学ぶ」側は、「学ぶ姿勢」を持って学校に来てもらわなければならない。義務教育の場合は、それが国から保護者に科せられた義務でもあるから、何より保護者がその子どもに「学ぶ姿勢」を十分に涵養させた後に、その子どもを学校へと送り出してもらわないと困る。「教育を受ける権利」があるからには、当然その権利行使に伴う責任だってあるのだ。どうも、そこがおかしくなっているような気がする。

これは、問題を全て保護者に負わせるということでは、もちろんない。どうしてそうなってしまったのかということを、もう一度私たちが基本的なことから丁寧に考えていった方がいいのではないかということなのである。昨今の教育再生会議での話題も大抵は目を通しているつもりではあるが、どうもそんな議論がされているような形跡はない。

だからこその、内田ゼミでの発表である。上記の生徒指導のことも含め、草稿はほとんどできあがった。土曜日の夜には、いつものメンバーに大凡の発表内容を聞いてもらった。あとは、少し「寝かして」必要な手直しをするだけである。

発表の機会をいただいた内田先生には、感謝の言葉もありません。でも、あんまり期待はしないでください(してませんよね)。そうそう、手前の発表には、久しぶりにナガミツくんも参加したいと申しておりました。懐かしい顔ぶれが揃うのでしょうか。楽しみです。

2007年06月12日

スーさんの雨の日曜日

6月11日(月)

土曜日は県中学生ソフトテニス選手権。富士宮で開催ということで、前日の金曜日から泊まりがけで行こうと思い宿舎も予約していた。シンムラくんのとこも2組出場することになっていたので、「じゃ一緒に行こ。ネットで安く予約できるホテルあるよ。そこなら、ホテルのレストランで生ビールが半額になるし」と同行する予定でいた。

例年、この試合があるときには、沼津のK学園高合宿所に宿泊させてもらって、試合が終わったら高校生と一緒に練習もさせてもらうという予定で行くのだけれど、今回は合宿所で野球部が合宿をしていて宿泊できないということと、翌日に高校生は試合が入っているとのことで、K学園高には残念ながら行けなくなったという事情もあった。

浜松から富士宮までは車でおよそ2時間。選手のコンディションを考えれば、早朝から2時間も車に揺られて会場入りするよりは、前日に宿泊した方がいいに決まっている。というわけで富士宮で宿舎を予約していたのだが、週末が近づくにつれ、どうも天候が怪しくなってきた(当日の降水確率70%)。シンムラくんからも連絡が入る。
「どうします?」
「しょうがないから、ぎりぎりまで待ってキャンセルするかどうか決めようっか」
ということで、木曜日の夜の天気予報を待つことにしていた。

その木曜日、やはり富士宮の降水確率は70%のままである。シンムラくんにも連絡して、宿舎はキャンセルすることにした。試合の順延が十分に予想されるのに、わざわざ宿泊をすることもない。試合開催の確認をして、当日の朝早く出かけることにした。

その土曜日、起きると外は雨である。雷も鳴っている。そのうちに、地区代表役員として早めに現地入りしていたヨッシーからメールが入る。「開催です」とのことである。選手たちと保護者には、雨であろうがなかろうが6時過ぎに東名浜松西インター入口に集合と連絡してある。すぐに選手たちと合流して出発する。

東名は、時折前方が見えなくなるほどひどく雨が降っている。静岡市を過ぎても、状況はいっこうに変わらない。「これでホントに試合できるんかよう」と思いつつ、視界不良の東名をひたすら東へ。しかし、富士インターで降り、西富士道路に入った頃から雨が止んできた。会場入りして、アップを始めるよう選手たちに指示する。

受付を済ませ、そろそろ地区割り当ての練習時間かという頃から、雨がひどくなってきた。「おいおい、これじゃあ試合できそうにないらあ」などと思っていたら、会場にアナウンスが入り、試合の中止順延が決定された。ふう。何のために早起きして来たのだろうと、どっと疲れが出てしまう。選手たちはそのまま保護者に任せ、そのまま一人で帰途に就く。

時間はあるので、「ええい、かくなる上は高速代節約のために国1で帰るのじゃ!」と決意し、富士市内に降りてそのまま国1へ。県内の国1バイパスは、確か3年前から全ての区間が無料になった。富士市内からは富士・由比バイパス、清水に入ると静岡まで静清バイパス、焼津からは掛川まで藤枝バイパス、掛川からは磐田まで掛川バイパス、そして磐田からは浜松まで磐田バイパスが利用できる。途中、一般道に降りることもあるが、ほとんどは自動車専用道で、無料化されるまでは通行料を徴収していた道路である。渋滞箇所もあるのだが、かなり快適に走れる。

富士市内では土砂降りの雨であったが、静岡市を越えたあたりから雨は小止みになってきた。国1は旧東海道である。由比の辺りでは海岸近くを、藤枝からは山の中を走ることになる。「夜泣き石」で有名な「小夜の中山」のすぐ近くも通るのだ。雨で洗われ滴るような木々の緑の中を走るのは気持ちがいい。降って湧いたような予定外のことが出来したときには、それを楽しむようにしないとつまらないのだ。

そんなふうにして、浜松に戻ったのはちょうど昼過ぎ。約2時間半のドライブであった。東名を使ってもそんなに時間は変わらないと思う。何より、高速料金はかかっていない。しかも、プリウスだとリッター23キロくらいは平気で走る。試合は中止になったが、少しは得した気分になる。

夕方からは、いつもの店で飲んで定例会。今回は、何と数え役満を和った。親でダブ東と白を晒し、萬子一色手のトイトイで、ドラの南と四萬で聴牌。で、九萬をカンしたら何とそれがカンドラに。ツモ牌は南で、ドラ7。まさに、「ウルドラセブン!」だったのだ。「これって、数え役満ですよね」とオーツボくんが力なく言い、皆様から1万6千点ずつをいただく。もちろん、その日はトップ(それでも+33)であった。試合もなく、早朝から富士宮まで出かけていったのだから、これくらいのことは「あらまほしき」ことなのである(それはシンムラくんも同様であったが、彼はいつものように最下位に沈んだのは何故?)。

明けて日曜日は、朝から雷雨混じりの大雨。もちろん、部活動はできない。こういう日は終日蟄居しているに限る。しかし、前日のドライブの余韻が残っていたためだろうか、このところ近所の書店巡りをしてもなかなか見つけることのできなかった雑誌『大航海』を探すため、雷雨の中を隣の豊橋市にあるS文館書店まで出かけることにした。

自宅からは、奥浜名湖の三ヶ日を通って行くのがいちばん近い。雨は相変わらず強く降っている。奥浜名湖は風光明媚なリゾート地。特に、三ヶ日の町内を迂回して湖畔を走る浜名湖レークサイドウェイは、最近無料化されたすばらしい道路である。何しろ景色がいい。だから、走っていてもたいへん気持ちがいい。

静岡県と愛知県の境には、湖西連峰という山々が連なっている。いくつか山越えの峠道があるが、レークサイドウェイからいちばん近い峠は多米峠である。峠を登り切るとトンネルである。トンネルの手前までは雨が止んでいない。ところが、トンネルを抜けると雨が止んでいるではないか。どころか、青空まで見えている。「トンネルを抜けると…」とは小説の中の話だけではなかったのである。

さて、件の書店に到着。すぐに『大航海』を探す。ほどなく見つかった。他に、『ちくま評論選』も見つけた。「やれやれ、わざわざ来た甲斐があったわい」と帰るときには、来るときの大雨がウソのようにきれいな青空が広がっている。雨上がりの緑は、青空に映える。午後は、昼寝と洗車を挟んで、ずっと『消費社会の神話と構造』(ボードリヤール/紀伊国屋書店)を読む。夜は半袖シャツをまとめて9枚アイロンがけ。部活動がなくても、休日って過ぎるのが早い。

2007年06月19日

スーさん、大津で甲野先生に出会う

6月18日(月)

「相」とは、『常用字解』(白川静/平凡社)によれば、
“木と目を組み合わせた形。相は木を目で「みる」の意味である。盛んにおい茂った木の姿を見ることは樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味となる。(…)見ることは人の生命力を盛んにするという魂振りの力があると考えられたのである。”
との説明がある。

何が「相」なのか。日曜日、滋賀県大津市にて行われた「京滋身体操法研究会」主催の、甲野善紀先生の講習会のことである。

この講習会のことは、高橋佳三さんのご案内で知るところとなった。ぜひとも参加したいと思っていた。いつものメンバーを誘ってみたが、今回はさすがに中体連夏季大会の前ということもあり、部活動指導のため残念ながら不参加というメンバーがほとんどであった。ちょうどテスト前ということで、部活動が休みだったオノちゃんだけが参加することになった。また、直前、多田塾の本部稽古に参加する予定が急遽キャンセルになって体の空いた浜名湖道場のタカバさんから、「何とか参加できますでしょうか?」との問い合わせがあり、それも高橋さんにお伺いしたところ快諾をいただき、都合3名で参加することになったのである。

オノちゃんと二人だけならば、燃費のいいプリウスで行こうと思っていたのだが、タカバさんが参加するとなれば、彼のX-TRAILで行くに限る。何しろ、彼は長距離ドライブにめっちゃ強いのである。手前とオノちゃんの「おじさん2人組」は、「じゃお願いね」とそれぞれ助手席と後部座席に乗り込んだのである。

日曜日の高速道は空いている。ぐいぐい走って、何と会場に近い名神大津インターを出たのは11時。途中2回休憩をしたのに、それでも2時間半ほどで着いてしまったのだ。いやあ、やはり若い人の運転にはかなわない。ゆっくり昼食を取り、会場である県立武道場まで向かう。

この武道場は、琵琶湖畔に建てられたたいへん立派な建物である。講習会は2階の柔道場で行われることになっていた。階段を上がって柔道場を覗くと、すでに数人の人が体をほぐしている。それにしても、この柔道の広いこと!ざっと見渡しても余裕で200畳以上はある。さらに、観客席付き!なのである。

開始時間の1時になって、佳三さんが来られた。かんきくんも一緒である。久闊を叙しているうちに、甲野先生がいらっしゃった。いよいよ講習会の始まりである。どんな講習会になるのやらと、期待に胸がふくらむ。

甲野先生は、それまでテレビやDVD等でそのお姿は拝見したことはあったのだが、実際にその謦咳に接してみると、想像していたよりも穏やかな感じを受けた。静かな語り口、時折差し挟まれるユーモア。そして、切れ味鋭い技の数々。知らぬ間に、先生の繰り出す技に目は釘付けになってしまっていた。その技については、何と形容すればいいのだろう。まるでマジックを見ているかのようなのだ。

驚きの連続で、時間はあっという間に過ぎていく。途中休憩を告げられたのが始まってから2時間ほどしてから。しかし、休憩となっても甲野先生の周囲には人垣ができている。いろいろと先生に質問する方もいて、それに先生が実際に技を見せながら丁寧に答えていらっしゃるのである。

終了時刻は4時。一応終了の挨拶はしたのだが、それでもまだ先生の周りには10人以上の方が集まってあれこれ体を動かしている。ようやく先生の周囲から人が退けた頃合いを見計らって、一緒にカメラにも収まっていただき、持参した内田先生との対談本(『身体を通して時代を読む-武術的立場』)にもサインしていただく。

たいへん無礼であることは重々承知の上で、敢えて甲野先生の印象を述べさせていただくとすれば、甲野先生は少年のような方であった。いろんな技を試してみるのが楽しくてたまらないし、「こんなことだっててきるよ」と他の人にもつい見せたくなる。野山を駆け回って、自分のやりたいことに目を輝かせて熱中している永遠の少年。そんなイメージである。

こういう方にお会いすると、当然のことながらその大量のオーラを浴びることになる。技を集中して見れば見るほど、その見ることにより「生命力」が感化されるのである。つまりは、「相」なのである。このことと関係があったのかどうかはわからないが、家に帰っていつものようにビールを飲んで、いつものように寝たのだが、1時間ほどして目が覚め、それからずっと眠れなかったのである。

得がたい機会をお世話いただいた佳三さん、どうもありがとうございました。おかげさまで、「杖の押し合い」のコツはなんとなくつかめたような気がします。次回も都合がつけば行かせていただきますので、ご紹介をよろしくお願いします。

さて、いよいよ明日はゼミ発表。久しぶりに岡田山を登ることになる。終了後の宴会も楽しみだけど、はたして、内田先生はお酒を飲んでも大丈夫なのであろうか??

2007年06月22日

スーさん、大学院で発表する

6月21日(木)

火曜日は、久しぶりに大学院内田ゼミにて発表の機会をいただいたことから、西宮の神戸女学院大まで。

授業を2時間目まで行い、そこから有給休暇をいただいて、いったん自宅まで車を置きに戻り、バスで浜松駅まで向かって、駅で簡単な昼食を済ませて新幹線に。こうやって内田ゼミに通っていた4年前を思い出す。

新大阪から大阪駅へ、さらに阪急に乗り換えて西宮北口へ、最後に今津線門戸厄神駅で降り、守衛さんのいる正門から坂道をふうふう息を切らせながら登って文学館へ。到着したのは、ちょうどゼミが始まる15分ほど前。

汗を拭きながら文学館入口で待っていると、向こうから顔はどこかで見たことがあるような、しかし風体があまりにも記憶とは違っている人が近づいてきた。ナガミツくんであった。ずいぶん、恰幅のよい身体に変化していた。開口一番、「ついにユニクロの服も着れなくなっちゃいましたあ!」と宣う。そうか、歳月流るるが如く、身体徒に膨張するが如くか。まさに、「かの将軍さまのご子息か」と見紛うばかりであった。

4年前に講義を受けていた教室の前で待っていたのだが、どうも違うらしい。かんきくんにメールを入れたのだが、すぐには返事がない。「でも、たぶんこのへんの教室だよね」ということで、事務室前にてしばらく待っていると、聴講生と思しき男性が数人、事務室向かいの教室に入っていく。「たぶんここだよ」ということで、ナガミツくんが確認を取ってくれた。その教室にて、同じく1期生のワタナベさんとも再会。懐かしい。しばらくぶりに「わが家に帰ってきた」というような感じがする。

開始時刻から10分ほど過ぎて、ようやく先生が入ってこられた。紹介されて教壇へ。「では、お願いします」と言われ、話し始めようとしたのだが、資料がない。先週水曜日に先生のところには送ってあったのだが、どうやらその日は先生が体調不良でダウンされていて、メールのチェックができなかったらしい。とりあえず、発表用に1部持参したものをコピーして間に合わせていただく。

先生がコピーに行かれている間に、ワタナベさんから「今しか言えないこと、しゃべってよ」と言われたので、どうやら先生がかなり今回の手前の発表を誇大に広告している(かんきくん情報)ということについて、「けっしてそんなことは申しておりません」と誤解のないよう弁解をさせていただく。「いや、そんなことじゃなくてさあ…」と言われている間に先生が戻られて発表開始。

大きく4つのことについて、話をさせていただいた。(1)林竹二先生のこと、(2)学級集団づくり、(3)学校教育法の改正、(4)生徒指導、である。詳細は割愛させていただくが、ずいぶん気持ちよく話をすることができた。オーディエンスの質が高いと、自然、話す方も弾みがつくということなのだろう。

しかし、手前の発表などよりも、続く内田先生のお話こそ、その日の講義の心髄であった。「やっぱり、ここまで来てよかった」としみじみ実感させられるすばらしいお話であった。以下に、いくつか、印象に残ったお言葉を挙げさせていただく。先生の思考のスピードにメモが追いついていってないこともあって、言い回しに多少不自然なところがあるのはご寛恕いただきたい。

「林竹二先生の授業は、生徒が自分の体の内側に意識を向けさせるようなものであった。」

「教育の場を成り立たせているものは、ノンバーバルなもの、身体的なものである。」

「教師は、ブロードバンドで子どもたちと会話できるような、共感能力の高さを持ちたい。」

「文学には、コミュニケーション・プラットフォームという上質なトリックがある。そんな文学の可能性を考えれば、教育現場はもっとやれることがある。」

「教育の要諦とは、聞き手がそれと気付かずに、“聞きたかったと思うこと”をコミュニケーションの場に差し出すことだ。」

「教師が“自分の内側に起きていること” に敏感でなければ、他人を感化することはできない。敏感とは、僅かなノイズをシグナルに変換すること、身体的なことである。」

「“うぜえ”とか型にはまった反応しかできない生徒というのは、自分の外側を既製品でデコレーションしているだけ。“オレ、ホントは何したいんだろう?”と自分自身に問いかけさせること、それが学びを起動する。」

「“自分を傷つけた人間への報復は、自分が楽しく生きること”ということがある。“楽しくする”というのは、心を閉じた人の扉を開かせる。教師は、“自分の仕事を楽しんでいる”ということがベスト。暗い顔の教師からは、生徒は何も学ばない。“なんで先生は、あんなに楽しそうにしているんだろう?”と生徒に思われること。それが、生徒に学びを起動させる。だから、教員免許更新制などと教師にストレスをかけてはならない。」

希望をいただいた。来てほんとうによかった。

終了後は、ウッキーが段取りをしておいてくれた西宮北口の居酒屋さんに移動して打ち上げ宴会。しゃべって喉が渇いたためか、ビールが水のように飲める。先生は痛風とのことであったが、ビールが飲めるほどには回復されていたようだ。よかったよかった。ここでも、先生からは貴重なことを教えていただいた。3時間ほど飲み且つ語ってお開き。先生、かんきくん、ナガミツくんと4人でJR西宮駅までタクシーに乗り、そのまま先生とかんきくんが神戸方面、手前とナガミツくんが大阪方面に分かれてお別れする。

内田先生、今回は貴重な機会を与えてくださって、ほんとうにありがとうございました。これから、いつも先生のお言葉を思い出しながら、日々の業務に励んでいこうと思います。教職最後の10年も、おかげで充実したものになっていくことと思います。このお礼は、今夏の「城崎にて」、存分にさせていただく所存です。

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