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2007年05月 アーカイブ

2007年05月02日

今年もきました選手権

5月1日(火)

連休前半、3連休中日の「昭和の日」は、浜松市ソフトテニス協会が主催する「浜松市中学校ソフトテニス選手権大会」。今年から、合併した周辺市町も加わっての大会である。とは言え、旧浜北市や引佐郡の学校が参加していなかったり、湖西市のように浜松市には合併されていないところの中学校が参加したりと、やや変則的な参加チームによる大会となった。

もともと、選手権はソフトテニス協会が主管する。旧市町の協会は、合併後も浜松市の協会に吸収されていないところもあり、逆に協会はあるのだが中学校の設置校数が少なくて、大会を開催することができないという事情もあったりして、今回のような大会となったのである。

参加したのは、各中学校からそれぞれ5ペアずつ、男子は計145組が参加してのトーナメントである。この大会は、県選手権の予選も兼ねている。ベスト16に残ると、県大会への出場資格が与えられる。3試合(1回戦からの出場であれば4試合)勝てば、県大会出場が決まるのである。

さて、本校から出場したペアは、5ペア全てが順調に初戦を突破した。3年生ペアが2組、2,3年生ペアが1組、2年生ペアが2組である。最初に敗退したのは、5番登録の2年生ペア。登録順が下位だと、どうしても組み合わせはシード選手の下に入ることになってしまう。相手は第6シードのペアであった。その第1ゲーム、互いにアドバンテージが行き来するシーソーゲームとなった。こういうときは、そのゲームを取らないと後が苦しい。しかし、接戦の末に第1ゲームを落としてしまう。ところが、次のゲームを取り返してゲームカウントは1-1。こうなると、ますます第1ゲームを落としたのが痛い。続く第3ゲームは2-2までポイントを競ったのだが、そこからファーストサービスを2本びしっと入れられ1-2。第4ゲームも粘ったのだが落として結局そのまま敗退してしまった。

3年生ペアは、2ペアとも3回戦で敗退してしまった。そのうちの1ペアは、ゲームカウントを2-1とリードしながら、タイブレークに持ち込まれ、しかしそのタイブレークは逆にポイント1-5とリードされ、先にマッチを握られて1ポイントも落とせないままに続けて3ポイントを取り返すも、そこで万事休す。勝てた試合であった。もう1ペアは、ジュニア育ちのペアにいいようにボールを回され、苦しくなったところを前衛に決められてストレートで敗退。ジュニアのテニスには、その対処法を知らないと一方的にやられてしまうのである。

2,3年生コンビも、3回戦で敗退してしまった。それも、ゲームカウント2-2からのタイブレークを10-12くらいで落としての敗退である。この相手もジュニア育ちのペア。後衛がボールを回し、前衛はがっちり守っているテニスである。かなり攻めてゲームカウントも2-1とリードしたのであるが、やはりミスの少なさからタイブレークに追いつかれ、最後は力尽きてこちらが先にミスしてゲームセットという試合であった。この試合も、どちらに勝敗が転んでもおかしくはない試合であった。

本校の大将ペアは2年生ペアである。さすがに、ジュニア育ちの前衛がいる分、ポイント力がある。難なくベスト16入りを決めて、4回戦に臨んだ。その試合も、第1ゲームは失ポイントなしで先取、「なんだ楽勝じゃん」とか思わせるスタートであった。ところが、次のサービスゲームをストレートで落としてから流れが変わってしまう。第3ゲームも先行されたのだが、何とか1ポイントを返して流れが変わろうかというところで、相手のコース変更のロビングを追った前衛が痛恨のチップミス。ゲームカウントを1-2でリードされると、ふだんはほとんどミスをしない前衛が、正面のボレーすらもネットに引っかけるようになってそのままゲームセット。県大会への出場権は得たものの、何とも釈然としない敗戦であった。

それで勢いを得たのか、そのペアが結局決勝戦まで勝ち上がって優勝、おかげで本校の大将ペアは棚ボタの9位という順位で県大会に出場できることになった。もちろん負け惜しみで言うのだが、本校の大将ペアにも十分優勝できるチャンスはあったと思う。しかし、まだ2年生である。勝敗よりも、これからの課題を意識させた方がいい。勝負は夏なのだから。

負けはしたものの、他のペアもそれなりに成果が認められたと思っている。何せ、昨年秋には大将ペアを除くどのペアもすべて初戦負けだったのだから。まあ、「夏を楽しみにしていてもらおうじゃないの」という感じである。

試合が終わった日の夕方からは、いつものメンバーが集まって反省会。さすがに、テニスで勝てないときには麻雀は強い。+40で、再びトータルで+500を超えてのだんとつトップである。このままトップを維持し、「支部年間王者連覇」を目指すのである。

さて、連休後半は、例年どおり新緑の美しい滋賀県甲賀市まで2泊3日の遠征(関西・中部中学校選抜ソフトテニス研修大会)である。この3月でご退職されたデグチ先生の「お疲れさま会」も計画されている。幸い、天気は良さそうである。途中の渋滞は難儀ではあるが、それよりもいつものソフトテニス仲間たちと再会できる楽しみの方が大きい。久しぶりに「鹿深の湯」でも入ってこようか。

2007年05月08日

スーさん、忙中閑あり

5月7日(月)

後半の4連休も、あっという間に終わってしまった。さすがに、連休明けは勤労意欲が乏しい。布団から出るのに、「エイヤッ!」と気合いを入れないと起きられなかった。

さて、滋賀遠征のことである。3日に出発したのだが、ご多分に漏れず、東名浜松西インターに入ると同時に鈍々運転であった。ナビは、「この先渋滞です。通過に20分ほどかかります」とか盛んにお知らせしてくれている。そのうちに、交通情報をモニターしていると、「この先、音羽蒲郡インターを過ぎたあたりで事故が発生したとの第一報が入りました」との情報である。「おいおい、まずいじゃんかよう」と思っていると、すかさず「渋滞回避のために新しいルートを選択しますか?」とナビが訊いてきた。「はい」を選択して、とりあえず音羽蒲郡インターで降りることにする。

しかし、インター出口から右折して国1に出る交差点に右折信号がない。一度に右折できるのはせいぜい4~5台。3回ほど信号待ちして、ようやく国1に出られた。幸い、国1は空いている。岡崎まで走って、再び東名に入ろうと思ったのだが、どうも東名は岡崎以降も渋滞しているらしい。ナビは岡崎での合流を推奨しているが、「ええい、ここは勘を信じるのじゃ!」と、そのまま国1を走って豊明あたりで伊勢湾岸道に入ることにした。さほど時間もかかることなく、そのまま伊勢湾岸道に入る。

伊勢湾岸道は渋滞していない。しかし、途中で休憩しようと思っていた長島では、PAと出口とが重なっているためか、長島スパーランドへ行く車で2キロ近くの出口渋滞になっている。休憩を諦め、そのまま東名阪道との合流地点へ。昨年と同様に、四日市の手前からは渋滞が始まっていた。こういうときには、昨年の経験が生きる。すかさず、「みえ川越インター」で23号線に降りる。そのまま亀山まで走るつもりであったが、東名阪道が少しずつ流れているとのVICS情報で、四日市東インターから東名阪道へと戻る。

さすがにここまで休憩なしで走ってきたため、東名阪道の御在所SAで休憩。それにしても、車の多いこと!広い駐車場内は、所々に交通整理員が出てはいるが、いつ接触事故とかあっても不思議ではない状態である。そのSAを出て、そのまま走ったり止まったりを繰り返しながら亀山まで。

亀山インターを出て名阪国道(25号線)に入ると、渋滞はなくすいすいと走る。そのまま上柘植インターから甲賀市へ。周囲の新緑が目に染みるように美しい。それだけでも何となくいい気分になってしまう。そのまま練習試合の会場である甲賀町の中央公園テニスコートに到着。まだ昼前であった。手前たちより30分ほど遅れて後発したヨッシーに連絡を入れると、まだ長島の辺りを走行しているとのこと。何と、30分早く出ただけで、2時間近くも差が出てしまったのだ!

昨年末以来お会いするニシカワ、デグチ両先生に久闊を叙し、いつもの店に同行して昼食。戻って練習試合を行い、夕方からは宿舎のある水口町へ。夜は前日から現地入りしていた姫路のハラ先生らも交えて小宴。暑かったこともあり、ビールが大量に飲めてしまう。

明けて4日は団体戦。4チームの予選リーグと、上位2チームによる決勝トーナメント(予選3,4位は研修トーナメント)である。本校の初戦の相手は、昨夏の全国大会で対戦して敗れた岡山の中学校。主力は別の大会に出場しているとのことであったが、それでも3番勝負でようよう勝利。第2試合は、昨日の練習試合で対戦した地元の学校。この試合も3番勝負の末に勝って2勝。第3試合が始まる頃に、「おいメシ行こか」というお誘いが来る。まあ、この調子なら勝ってくれるだろうと思っていたのだが、昼食後に戻ってみると3番勝負で負けたとのこと。それでも、何とか決勝トーナメントには進出できることになった。

さて、決勝トーナメントは互いにリーグ2位同士の対戦。大将ペアがストレートで敗退してしまうも、2番が踏ん張って勝ち、またもや3番勝負。この試合にはかなり気持ちが入っていたと思われる3年生ペアが、接戦を制して勝ち、これでベスト8。しかし、続く準々決勝では県代表の選手を擁する和歌山県のチームにストレート負けして、6位という結果であった。

早めに負けてしまったので、一度宿に戻って、入浴の支度をさせて「花風香(かふか)の湯」へと出かけることにする。この施設は、数種類の入浴機能のついたマッサージ風呂やサウナに加え、ハーブ風呂や露天風呂がある町営の入浴施設である。できたばかりの頃、大阪のシモムラ先生と入ったことがある。そこへ行くことにしたのだ。その旨を宿の人に話すと、ご主人が「じゃあ地元の市民用の割引券を持って行ってください」と人数分を用意してくださった。何ともありがたいことである。

子どもたちは大喜びであった。手前もゆったりといろんなお湯を楽しむことができた。特に、周囲がまだ明るいうち、快い薫風を感じながら入る露天風呂は最高である。それまで疲れが出たのか、湯上がりにはぐったりと脱力してしまった。どうやら子どもたちもそうらしい。へろへろになって宿へと引き返す。

その日の夜は、例によって懇親会。今回は、デグチ先生の「ご退職お疲れさま会」も兼ねている。宴も闌となった頃、もう一人の主催者であるニシカワ先生の司会で、その「お疲れさま会」が始まった。感謝状の贈呈は、大阪府のソフトテニス専門部委員長であるシモムラ先生。続く、記念品の贈呈が不肖手前。さらに、奥様への記念品の贈呈を奈良県の前委員長であったオクムラ先生、旅行券の贈呈が岡山県のタカミ先生よりそれぞれ執り行われた。最後はデグチ先生から感謝の辞。余力を残して退職するというのは、大切なことではないかと思うようになった。

最終日(5日)は個人戦。試合形式はリーグトーナメント。予選リーグの順位により、その順位別トーナメントを行うのである。本校は3組中2組が2位トーナメント、残る1組は予選全敗で4位トーナメントに廻ることになってしまった。このペア、リーグ戦の初戦をタイブレークの接戦の末に敗れたことで集中力が切れてしまったためか、その後のトーナメントも初戦で敗退してしまった。敗因を尋ねると後衛選手のストロークが全く入らなかったとのことである。しかし、そんなことでは困るのだ。さすがに最終日ともなると、里心がついたのかもしれない。

2位トーナメントの2組も、それぞれ初戦で敗退してしまった。特に、大将ペアは最初に3ゲームを連取したあと、ずるずるとゲームを落とし、そのまま流れを変えることなく敗れてしまった。どうも、この前の選手権の時と言い、いったん劣勢になったときの立て直しがうまくできないことが課題である。もう1組も、前回の選手権の時と同様に、競り合いでゲームをものにできない。ポイント決定力に課題が残るということであろう。

しかし、いつも不思議なのは、監督が「もうそろそろこのへんで負けてもらわないと、帰りの時間に影響するよなあ」と思っていると、うまい具合に試合も負けるということである。いつもそうというわけではないだろうが、遠征に出た先ではそうなることが多い。口には出さなくても、監督の身体全体から発せられるシグナルを、選手たちが微妙に感じ取っているということなのだろうか。だとするなら、何とも身体感受性がよい選手たちということである。

3日間お世話になったニシカワ、デグチ両先生にご挨拶をして帰途に就く。帰りは東名阪道が四日市辺りまで多少は混んでいたが、伊勢湾岸道はすいすい、東名も車の量は多かったが渋滞することなく7時前には浜松に到着することができた。

翌、日曜日(6日)は、雨ということもあり終日蟄居して読書でもしようと思っていたのだが、1ヶ月ぶりに大学から戻っていた娘から「おとーさん、ピッチ同士って通話無料だから、おかーさんと2台持てばケータイはメールだけにして、通話はピッチにすれば通話料とか安くなるから買ってもらえる?みんなそうしてるよ、みんな」と言われ、「じゃあそうしよう」と言ってしまうところが親バカである。とりあえずどこで売ってるのかググってみると、どうやらY~ダ電機に売ってるらしい。すぐに行ってみることにした。

ケータイ売り場のおねーさんに「あの、あそこに並んでるピッチほしいんですけど」と言うと、「機種の番号はおわかりになります?」と言うので、「あれあれ、あそこのいちばん端に並んでるヤツ」と指さすと、「お客さま、すみません、現在コンピュータの端末に使用するカード型のものはございますが、それ以外のPHSは全ての機種が品切れでして、入荷するのは今月末、しかも既に予約のお客さまがいらっしゃいますのでさらに納期は遅れるかと…」と宣わる。あのなあ、だったら「どの機種?」などと聞かずに、最初からそう言えってば。

娘はこの日に帰ってしまう。もしも持たせるならどうしてもこの日に購入しなければならない。Y電機の駐車場を出ようかというところで、家を出る前にググった際、Y電機以外に「キューブ」なる店舗にPHSが置いてあるというウェブページの記述を思い出した。住所も覚えていたので、さっそくプリウスのナビで検索をかけてみる。おお、あるではないか!電話番号も出ている。すぐに電話。「あのお~PHS2台、今日中に手に入りますかあ?」と尋ねる。「ハイ、ご用意できますが」とはまるで天の声である!直行する。

あれこれ在庫の機種を見せられたが、とにかく同じもので2台揃い、いちばん安価なものにしようということで、ベネトンデザインのものを2台契約した。この間も、しきりに「母親と若い娘」というペアが店を訪れる。どうやら、みんな同じようなことを考えているらしい。手前の入店よりほんの10分ほど遅れて入ったペアは「できれば今日すぐほしいんですけど。2台」と言っていた。「おお、タッチの差で手に入れることができなかったかもなあ」と安堵の胸をなで下ろした。それにしても、ピッチって人気あるんだなあ。

夜、そのピッチを持って、「あ~あ、帰りたくないなあ~」とつぶやきながら、娘は大学に戻っていった。また、妻と二人だけの生活に戻った。それにしても、今日は勤労意欲に欠ける一日であった。

2007年05月16日

スーさん、メカに苦しむ

5月15日(火)

前回の日記で、大切なことを記し忘れていた。

3日、東名を音羽蒲郡インターで降り、逐一更新される交通情報を聞くために、ラジオ(確かCBC)を聞きながら国1を走行していたときのことだ。武田鉄矢が出演していたトーク番組だった。いきなり、「ウチダタツルさんが、カリュウシコウという本の中で…」と話し始めたのだ。

それまで交通情報以外は軽く聞き流していたのだが、「え?内田先生のこと?」とにわかにボリュームをアップしてみた。まちがいない、内田先生の『下流志向』の内容に触れながら、若者たちのことについて話をしている。そうなのだ、武田鉄矢も『下流志向』を読んでいたのだ。おかげで、渋滞のドライブも気にならなくなってしまった。

もう一つ、遠征が終わって家に帰った日、そのことを妻に話していたら、「あら?私が聞いたのとは違うのかしら?内田先生が直接ラジオ出演していた番組」と言うではないか。「はあ?オイラが聞いたのは、先生が直接じゃなくて、武田鉄矢が…」「じゃあ、違うわよ。内田先生がアナウンサーのインタビューに答えながら、電話で直接お話しされてたのよ。あれは確か、3日の朝、出勤途中の車の中のラジオで聞いたわ。途中でもう職場に着いちゃったから、最後まで聞けなかったのが残念だったわあ。確か、憲法のことをたーくさんお話しされてたわよ。」

何と。先生が出演されていた番組を聞き逃すとは、何たる不覚。このラジオ番組出演のことは、帰宅してから先生のHPを見て知った。全国区の放送だったのだ。うう、聞きたかった。NHKにはぜひ再放送をするよう検討していただきたい。

さて、DVDレコーダ(SH社製)のことである。昨春に購入したのだが、実は購入したときからBS放送の受信感度が悪かった。それまではBSをビデオに接続していたのだが、何の問題もなく録画することができていた。ところが、DVDレコーダに換えてからBS番組の映りが極端に悪いのである。特に、雨が降ったりして天候の悪いときなど、映像はおろか音声すらキャッチできないような状態であった。

接続の仕方が悪いのかと思い、何度もマニュアルを見ながら接続の確認をしたのだが、どうやら間違ってはいないようだ。となると、アンテナに問題があるとしか考えられない。昨年のちょうど6月、2階のエアコンが壊れて新調した際、工事に来てくれた人にいろいろとそのへんのことを尋ねてみた。ウチのアンテナは、隣にある実家と共有である。「そうですね、コードの内部が一部断線しているのかもしれませんね。アンテナを新調して、コードも引き直した方がいいかもしれません」とのことだ。「でも、隣はちゃんとキレイに見れるんだよ」と言うと、「じゃあ、アンテナじゃないのかもしれないですね」とはっきりしない。そのまま1年の歳月が流れた。まあ、騙し騙し使っていくしかないかと思っていたのだ。

しかし、先日ベルリンフィルのジルベスター・コンサートを録画して、翌朝「どれどれ、キレイに録れたかな?」と確認したとき、ついに堪忍袋の緒が切れた。画面はざらざらで判別不明、もちろん音声すら拾われていない。「おのれ、このバカレコーダめ!せっかくサイモン・ラトルの指揮ぶりが見られると思ったに、何たる不始末、ええい、どうしてくれよう!」とレコーダからBSのアンテナ線を引っこ抜いたのは言うまでもない。

仕方がないので、不使用だったビデオデッキを再び持ち出し、とりあえずBSだけはビデオで録るようにアンテナの接続を変更した。しかし、DVDレコーダをそのままにしてはおけない。取扱説明書を見ていると、どうやら「お客さま相談センター」なるものがあるということがわかった。

先週の土曜日の午後、さっそく電話してみた。音声ガイドに従って、番号やら記号やらをプッシュする。しかし、「ただいま電話がたいへん混み合っていますので、そのままお待ちいただくか、後ほどお掛け直しください」とのアナウンスが繰り返される。どうせフリーダイヤルだから、とそのまま待つこと数分、ようやくオペレーターと電話がつながった。説明すると、「では、月曜日に係の者を派遣させていただきます」とのことであった。

その「係の者」が、昨日わが家を訪れてくれた。こういう人って、車で全国を行脚していたのかと思っていたら(バカだねえ)、車は浜松ナンバーだった。そりゃあそうだろって。すぐに作業にかかってくれたが、あれこれ接続を換えてみながら、「うーむ」と唸ってばかりいる。どうやら、原因がはっきりしないようなのである。ところが、持参した同一機種をつなぎ直してみたところ、突然BSがキレイに映るではないか!なーんだ、ウチのレコーダが不良品だったってことなんだ。「そうですねえ、まだ何とも言えませんが、どうも内蔵のBSチューナーに問題があるのかもしれませんねえ。とりあえず、しばらくお借りしてよろしいですか?」とのことであった。一も二もない。ついこの日曜日の夜に録画したロストロポービッチの追悼番組(NHK教育)をまだ見ていないが、ハードディスクの中身はきちんと保存されるとのことであるから、とにかく直してもらうに如くはないのだ。

というわけで、今までDVDレコーダがあったところには代替機が鎮座している。修理にどれほど時間がかかるのかわからないが、できれば来月の9日までには直ってもらいたいものだ。だって、その日の夜には、NHKのBS「クラシック倶楽部」という番組で、ブルックナーの交響曲第8番が放映されるのだ。オケはN響だけど、指揮がスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ。しかも、ノヴァーク版による演奏(ブルックナーの交響曲はやはりノヴァーク版がいい)だというから、なおさら聴いてみたい。まあ、直らなくても代替機で録って、DVDに焼き直せばいいんだけど。

しかし、これで地デジとか始まったらどうなるのだろう。BSですらトラブっているのに、さらにチャンネルが増えるということは…。ふう。先が思いやられる。

2007年05月22日

スーさん、教育三法について考える

5月21日(月)

先週(18日)、教育改革関連三法案が衆院を通過した。メディアによれば、今国会で成立の見通しとのことだ。

いくつか「?」「?」と思うことがないではないし、「そんなに急いで成立させなくても」とも思うが、どうせもう採決されちゃったんだし、まあなるようにしかならんかあって感じである。例えば、10年で教員免許を更新するそうだが、なあにどうせオイラはその頃には円満?退職しているので、特にどうってことないのである(シンムラくんとかヤイリくん、どうするんだろう?タイヘンだよなあ)。

この法案成立については、先週発売の『サンデー毎日』に、「改正教育三法で教師は大量リストラ死する」とのシミュレーションが掲載されたとのことで、さっそく近所の書店に行って買い求めてきた。一読、「シミュレーションはやや現実感に欠け、ちょっと危機感煽り過ぎ、まあ週刊誌だから仕方ないのかもしれないけど」という印象であった。

例えば、学校教育法を改正して副校長や主幹等の管理ポストを増設することに対しては、その増員によって持てなくなった授業時数を他の教員の持ち時数に上乗せしていくことから、「現場は悲鳴を上げるしかないだろう」(22頁)と書かれているが、ただでさえ高齢化した現場で、モチベーションが低く、退職後のことしか考えていない教師(オイラのような教員のことです)が、管理ポストを与えられることで、「じゃあ退職までもう一働きすっか!」と高齢化した教員たちにも有用感を持たせられるかもしれないと思うのだ。

もちろん、管理ポストが増えるということは、当然のことながらそのポストに「不適格」の教員も出現するだろうから、そんな教員には容赦のない「降格人事」が待っているとのことだ。でも、それも仕方がないことかもしれない。少なくとも、現状ではよほどのチョンボをしない限り、管理職が「降格」させられることなどない。とてもここでは書けないようなことを、日常的に行っている管理職がいることも仄聞する。しかし、まず降格されることはないだろう。そういう意味では、責任あるポストを任せられているのなら、それなりの厳しい査定を受けるのもやむを得ないということではあるまいか。

このことについては、この4月から本県でも全面施行された「教職員評価」のこととも関連している。つい先日、校内提出締め切りだったので大急ぎで件の書類を作成したが、この「教職員評価」については、評価される方ももちろん快くないが、評価する方はもっとイヤだろうなあと思う。「心ある」管理職ほど、そう感じるであろう。しかし、この制度で最も疑問に思うのは、現場の評価を行う管理職を誰が評価できるのだろうということだ。どう考えても、現場の管理職を評価できるのは「現場の教員」でしかないと思うのだが。だってねえ、日常の管理ぶりを子細にわたって実際に見ているのだから。ところが、実際にはそうではない。管理ぶりは、その日常を確認しなくともわかるということなのだろうか。よくわからない。

どこの世界でもそうだと思うのだが、例えばJリーグに所属しているチームがなかなか勝てない場合には、まず監督のクビが切られるであろう。業績の上がらない会社は社長が更迭されるであろう。では学校は?今回の「教員免許更新制」についても、どうも問題とされているのは「現場の教員をどうするか」という視点ばかりが目立っているような気がする。管理職は「それなりの人物」が務めているのだから「評価は無用」ということなのだろうか。どうも違うような気がするのだが。

さらには「歴史認識」の問題がある。今回の「改正」学校教育法では、「我が国の郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き」と表現されている。これについては、同誌で指摘されている藤田英典先生のコメントにあるとおりである。
“歴史に対して「正しい理解」と殊更書いたのはなぜでしょう。歴史の理解には多様性が求められますが、「唯一、正しい日本の歴史」を想定しようとし、特定の考え方を教えるべきだとのニュアンスを含んでいます。思想・良心の自由に抵触するおそれがあるし、ある種のイデオロギー性が透けて見えます。”(21頁)

いくら何でも、「これが日本の正しい歴史だ!」などと誰が言えるのであろうか。ちょっと想像力を働かせて考えればわかることであると思うのだが。こういういかにもバカげたことを誇らかに「学校教育法」に記した人たちに、カール・ポパーの言葉を贈りたい。
“実在するすべての歴史、われわれの偉大なるものと権力あるものとの歴史は高々浅薄なる喜劇にすぎない。それは、現実の背後の諸権力者によって演じられた茶番である(それはホメロスが描いた、人間の諸闘争という場面の背後にあるオリンピアの諸権力者の茶番に比較しうる)。それは、われわれの最悪の本能の一つ、偶像崇拝的でもある権力と成功の崇拝が、われわれをして真実であると信じさせるに至ったものなのである。”(小河原誠・内田詔夫訳『開かれた社会とその敵』第2部252頁、未来社刊)

やれやれ。教育関係の話は暗くなるので、週末の麻雀のことを。久しぶりに四暗刻をツモりましたあ!半荘4回で+99。トータルのプラスは600を超えました。それにしても、シンムラくんは弱いです。

2007年05月30日

高校生たちの熱い二日間が終わる

5月28日(月)

この土日は、両日とも静岡市にある県営草薙テニスコートへ。高校ソフトテニスのインターハイ県予選に出場する教え子たちを応援するためである。昨年のこの大会は、すばらしい結果で幕を閉じた。そのことは、昨年の日記(5月30日)にも書いたとおりである。さて今年は?

土曜日は、本校の中学生の部員たちも同行である。県内のソフトテニスをしている高校生がいちばん熱くなる日、それがこの県予選である。そんな高校生たちのひたむきなプレーぶりを、ぜひその目で見てほしいという願いがあってのことである。生徒たちも楽しみにしているようで、浜松駅に行くと、既に集まっていた生徒たちからは「優勝候補は○○高校だらあ」などという話が出てくる。

JRは、団体券(生徒8人以上)を使用すれば運賃が半額になる。1時間とちょっと、電車に揺られて静岡駅に到着。そこからは、徒歩で新静岡駅まで移動し、静岡鉄道に乗り換えて草薙の運動場前駅まで。既に試合は始まっている。

沼津K学園高にお世話になっている前任校の教え子は3人(3年生2人、1年生1人)。3年の一人は、団体・個人ともに昨年の大阪インターハイに出場している。他に、K学園高以外の高校でソフトテニスを続けていて、この県総体に出場している教え子もいるが、やはりわざわざ沼津まで行き、監督の家に下宿してがんばっている生徒たちの応援が第一である。

土曜日は団体戦。もちろん、インターハイに出場できるのは優勝校のみである。K学園高、初戦と2回戦は難なく勝ってベスト8。準々決勝の相手は、優勝候補の一角である県西部地区の優勝校である。試合が始まった。トップはK学園高の大将ペアが力で相手をねじ伏せるが、隣のコートは相手の大将ペアが勝って3番勝負。K学園の3番は、教え子のペアである。最初のゲームは簡単に取ったのだが、次のゲームから相手後衛にコースを散らされ、それにこちらの前衛が対応できなくなってきた。結局、そのまま流れを引き戻すことなく敗戦。「あっさりした負け方」という印象であった。そのまま、その相手が団体戦の初優勝を飾った。

明けて日曜日は、オノちゃんアルファードで、ヨッシー、シンムラくんの計4名で草薙へ。K学園高の教え子は3人とも個人戦に出場している。特に3年生ペアには、何とかインターハイへの出場を決めてほしいと願っていた。

その3年生ペア、初戦の相手は昨秋の新人県大会で対戦して敗れているペアである。しかし、さすがに同じ轍は踏まないと思っていたのだろう、苦戦することなく初戦を突破する。2回戦も苦戦することなく勝ち、迎えた3回戦。ほぼ互角の展開であったが、競ったゲームをものにできず、要所でミスが目立ってあえなく敗戦。これで3年生ペアのインターハイへの出場はなくなった。昨日の団体戦と同様、何ともあっさりした負け方であった。どうにもそのことが気になった。

今回は、会場入りしても、教え子たちと話をする機会がなかった。もちろん、そうやって話をしたからとて、何かが変わるわけではない。こちらは、ただ励ますだけである。しかし、思わずそうやって励ましたくなってしまうという「空気」というものはあるのではないか。敢えて負けた原因を探すというわけでもないのだが、今年はそんな「空気」が感じられなかったように思う。

昨年、インターハイに出場したK原崎(卒業生)には、試合当日「鬼気迫る」雰囲気があった。容易に近寄り難いオーラを周囲に発生させていた。欠けていたのは、そういうことだったのかもしれない。試合前の選手たちの表情には、どうもきりっとしたところがなかったように思う。へらへらしているというわけではないのだが、緊張のあまりか「弛緩」あるいは「蕩然」としているとでもいうような印象であった。気を呑まれていたのかもしれない。

出場した5ペアのうち、ただ1組気を吐いたのは1年生ペア。その前衛選手も前任校の教え子である。入学していきなりの県大会ということもあってか、あまりプレッシャーも感じなかったのだろう、あれよあれよという間にベスト8入りを果たしたのである。個人戦でインターハイに出場できる組数は6組。準々決勝で負けたとしても、敗者復活のリーグ戦がある。それで上位2ペアに残ればインターハイである。

しかし、1年生ペアの快進撃もここまでであった。準々決勝は、それまで試合をしていたコートとは違ってメイン会場のコートになって緊張したためか、後衛選手のボールが入らず、前衛もリターンミスを繰り返して敗戦。敗者復活のリーグ戦も、善戦はしたものの結果全敗でインターハイへの出場はならなかった。

学生スポーツのいうのは、毎年メンバーが入れ替わる。すばらしい選手が中心選手としている年もあれば、そうではない年もある。しかし、いわゆる伝統校といわれる学校やチームは、そんな中でもそれなりにチームづくりをしてくる。それが監督・コーチの技量であろうし、学生スポーツの大きな特徴であろう。はっきり言えることは、K学園高はまちがいなくそんな伝統校の中の1校になったということである。

「え?今年はインターハイ出られないんだろ?なのにそんなこと言えるの?」と思われるかもしれない。言えるのだ。それは、1年生ペアがベスト8に残ったということが何よりの証左であろう。伝統校としての指導の積み重ねがあったからこそ、ちゃんとインハイ出場圏内の8本に残ることができたのだ。練習の裏付けのない、素質のいい選手頼みの学校ではこうはいかない。スガイ先生の指導力の賜物と言うべきであろう。

今年も、高校生たちの熱い2日間が終わった。1ヶ月後は中学校の番である。こちらも、そろそろエンジンを始動し始めようか。

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