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2007年04月 アーカイブ

2007年04月03日

浜寇日記

4月2日(月)

週末の土曜日は、本部連盟との交流戦のために芦屋まで。

今回は、支部より7名が参加した。「シューマッハ」オノちゃん、「会計係」ヨッシー、「質問マニア」オーツボくん、「下野国」ヤイリくん、「忍者」ハットリくん、「ちょんぼ」シンムラくんと手前である。車はオノちゃんアルファード。いつもの店でうなぎの白焼きを積み込んで、東名を一路西へ。

高速道路は所々で渋滞していた。この土日を利用して引っ越しという人も多いのだろうか、荷物を後部座席に積み込んだワンボックスをよく見かけた。そう言えば、娘もついにこの日から家を離れた。出立の日に立ち会えなかったのも、それはそれでよかったような気がする。

芦屋には昼過ぎに到着。近くの中華料理店で昼食を済ませて体育館へ。いつものように、稽古着に着替えて途中から稽古に参加させていただく(手前以外は見学)。今月はしばらく稽古をしていなかったので、体が動き出すまでに時間がかかる。正面打ちからの技を中心に2時間ほど稽古して汗だくになる。

稽古終了後、すぐにホテルへ行ってチェックイン。さっとシャワーを浴びて汗を流し、JRにて芦屋へと引き返す。今回の宿も、前回の「朝カル」の時と同様、塚本駅すぐ近くのビジネスホテルである。このホテルは何より安価に、そして静かに宿泊できるところがいい。ロビーでは挽き立てのコーヒー飲み放題というのもうれしい。これから芦屋へお邪魔するときには定宿にしようと思う。

さて、芦屋到着後は、地下のコープでビールやら簡単なつまみ類を購入して、いざ先生宅へ。既に卓が囲まれていた。まずは腹ごしらえというわけではないが、持参したうなぎをヨッシーが中心になって焼き、手前は笹かまで簡単なつまみを作ってビールを飲むことにする。ちょうど半荘が終わるころにうなぎが焼けたので、まずはみんなで乾杯。うなぎはあっという間になくなっていく。今回は、「うな正会」の会長であるだんじり親分にも「いやあ、浜松のうなぎはうまいっすね!」と言っていただいたのが何よりであった。

ひとしきり飲み食いが切りになったところで、牌の掴み取りで卓を決め、会長のご発声で一挙に3卓で交流戦が始まった。手前は、最初の半荘は、十分にトップを取るだけの点棒を稼いでいたのに、かんチきくんにハネ満を振り込んだのが痛く、その後もかんチきくんの「ノミ攻撃」にペースを乱されてトップから滑り落ちてしまう。しかし、メンバーを替えて、会長・だんじり親分・ドクターと手前という「初代聴講生」メンバーによる対戦では、着実に和了ってトップを獲得し、まずは1勝を挙げることができた。

ノリにノっていたのは、先生の日記にもあるとおり浜松支部の「下野国」ことヤイリくんであった。彼が、浜松支部においてどれほど弱い存在であるのかということについては、昨年2月14日付けの「うなとろ日記」をご覧いただければ納得されることであろう。しかし、彼は昨年もそうであったが、芦屋遠征の時にはなぜか抜群の強さを発揮するのである。とにかく、これで2年連続プラス100以上という結果を残したのである。そのヤイリくんに強さの秘密を尋ねたところ、「いやあ、芦屋まで遠征してるんだから、負けちゃあいかん!と気合いを入れてるだけなんですけど」という答えが返ってきた。そうなのだ、「負けないぞ!」という気合いこそ何より大切なことなのだ。

対戦も進み、このまま支部の優勢のままに終了しようかというところで、本部の「弱雀先生」が登場された。勝敗の行方は、全てこの最後の対戦に委ねられたのである。支部からはヨッシーとシンムラくん、対する本部は、弱雀先生とドクター夫人である。シンムラくんはあてにはならないが、ヨッシーが何とかしてくれるだろうと思っていた。しかし、勝負は一方的であった。弱雀先生がひたすら和了り続けて勝利、トータルの対戦は6勝同士の五分五分となってしまったのである。

さすがに、本部もこの1年でかなり雀力をアップされ、この日に備えられたものと思われる。前回のようには勝たせてはもらえなかった。しかし、存分に楽しませていただいた。それは支部から参加した誰もがそう思ったことであろう。

「え?麻雀するためだけに、わざわざ芦屋まで出かけて行くの?それも泊まりで?」などという野暮なことを申してはいけない。それはこの交流戦の楽しさを知らない人の言であろう。こういう楽しみがあればこそ、今日から始まった新年度(まだ生徒は来ていませんが)を乗り切る活力を得ることができるのだ。

内田先生、お忙しい合間を縫って支部との交流戦の機会を設けていただき、ほんとうにありがとうございました。どうやらまたも決着は持ち越されたようですが、次回の対戦までには支部もさらなるレベルアップを目指して精進しておくことをお約束いたします。だんじり親分やドクター夫妻、かんチきくん、社長、老師、そして対戦はしませんでしたが、合間にお酒のお相手をしていただいたウッキー、ありがとうございました。よろしければ、ぜひ支部にも交流戦のためにおいでください。おいしいうなぎをご用意してお待ち申しております。

2007年04月09日

スーさん、「学級作り」について考える

4月9日(月)

新学期が始まった。

ちょうどそんな時期に合わせてという意図もあったのだろうか、先週の火曜日(3日)に放映されたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」では、東京都の中学教師である鹿嶋真弓先生の実践が紹介されていた。ご覧になった方も多かろうと思う。

鹿嶋先生は、ご自身の学級づくりの中心的な手法として、「構成的グループエンカウンター」(リーダーの指示した課題をグループで行い、そのときの気持ちを率直に語り合うことを通して、徐々にエンカウンター体験-本音を表現し合い、それを互いに認め合う体験-を深めていくもの。この体験が、自分や他者への気づきを深めさせ、人とともに生きる喜びや、わが道を力強く歩む勇気をもたらすとされているカウンセリングの手法)を実践されていた。きっかけは、生徒たちのコミュニケーション力が低下しているという実感だったという。

どうもこの「構成的エンカウンター」ばかりがクローズアップされることで、それがいかにも学級づくりに中心的な役割を果たしているかのように思われがちであるが、そうではないと思う。番組の中でも言及されていたが、エンカウンターは万能ではない。あくまで学級づくりのための方法の一つとして使用されているに過ぎない。学級づくりの中心を成しているのは、何と言っても先生の学級と生徒への愛である。

番組を見ながら、「そう言えば、こういう先生って昔はたくさんいたよなあ」と思っていた。たぶん鹿嶋先生も、「私は特別な教員ではありません」とおっしゃるのではないか。先生が、手前のような凡庸な教員と違うのは、ともすれば加齢とともにマンネリズムに陥りそうになるところを、いつまでも初めて担任を持ったときの新鮮さを失わずにいるというところにあると思われる。

手前が教員になってから10年くらいの間は、校内でも学級づくりについての研修が盛んに行われていた。「全国生活指導研究協議会(全生研)」の常任委員会が編集した『学級集団づくり入門』 (明治図書)という本は、熱心に学級づくりを研究している先生の間ではバイブルのように読まれ、「班づくり」と「リーダーづくり」を中心に据えた学級づくりの方法論が積極的に実践されていった。

具体的には、班競争を意識的に仕組むことで、班としての意識を高めさせ、リーダーを育てていくということを基本的な手法として用いていた。競争する項目は、班長会(学級運営委員会)によって決定された「取り組み項目」(ちょっとがんばればすぐに達成できるもの-例えば、「8時5分には全員着席しよう」というようなもの)。達成までの期間を決め、全ての班が達成できたら、また次の競争項目を決める。ただし、達成できない班が固定化したら、学期途中であっても全ての班の編成替えを行うというような方法であった。

ところが、いつのころからか学級づくりが話題にならなくなっていった。雑駁な印象では、たぶん平成になってからのこと(1990年代)であるような気がする。平成元年というのは、世界史上で大きな事件のあった年である。ベルリンの壁が崩壊し、事実上東西冷戦に終止符が打たれた年なのである。それがどうして学級づくりと関係があるのか。

全生研の学級集団づくりは、旧ソ連の集団づくりの手法(マカレンコの集団主義教育の方法論等)に範を採っていたと仄聞している。つまりは、その実践を裏打ちする理論が、イデオロギーと無関係ではいられなかったということである。ソ連の崩壊は東西ドイツの統一から2年後。「どうも、集団主義教育はよくないみたい」という印象が広まったのではないか。

また、日本で80年代後半から盛んに提唱されてきた「個性重視」とも無関係ではないのだろう。「集団」よりも「個」を育てるという方向に大きく舵が切られたということである。学級「集団」を育てる集団主義教育が後退していったのは自然な流れだったのかもしれない。

さらには、全生研の方法論が「競争原理」を採用していたということも、小学校などを中心に「学校現場に競争を導入しない」という動きの中で、集団主義教育が退潮していった大きな要素であるのかもしれない。

ただし、(これも印象論であるが)「学級づくり」がまともに研修されなくなっていくのと、子どもたちの人間関係調整力(コミュニケーション能力)が問題視されるようになっていくのとは、時期を一にしているような気がするのである。同時に、クラスのことを第一に考えるような教員が周囲から消えていったような気がする。

今や、学級内で「なぜ班を組織するのか」という議論なく班が編成され、教師もその班を「学級づくり」の機能としてどのように生かしていくのかという視点もなく、日常的には生活班として学級内に班が設置される。したがって班員相互のコミュニケーションも組織されることはなく、生徒一人一人が学級という織物の糸の結節点になっていかない。いじめや学級崩壊は、ある意味で起こるべくして起こっているのかもしれないのだ。

学級づくりにおいて大切なことは、「生徒一人一人をテクスチュアとして絡ませることで、自らを生成し、自らを織り上げていく」ということである。それは同時に、「コミュニケーションの回路を開く」こと、言葉のやりとりの中からコミュニケーションを「解錠」する(@『先生はえらい』)ことにもつながっていくであろう。鹿嶋先生の実践は、何よりもそのことが意識されている。

実は、手前も生徒指導主事として2年目を迎えるということもあり、少しは学校のためになることをしなければとの思い已まず、今春から本校の教員を対象に「生徒指導だより」を発行することにした。しばらく担任をやっていなかった年配の先生や、新採2年目で初めて担任をする先生たちのために、少しでも今まで自分が蓄積してきたノウハウ等を提供していこうと思ったからである。

2回目の職員会議で「原則として週刊」と言明したにもかかわらず、つい3号も立て続けに作ってしまった。もちろん、「プロフェッショナル」が刺激になったということもあるが、今こそ「学級づくり」の大切さを再認識すべきではないかとも思いが強い。幸い、本校職員にはだいぶん好評であった。気をよくして、支部会員たちにも配布することにした。何せ、「ちょんぼ」シンムラくんなどは今年から初めて担任を持つのである。少しでも援護射撃になればと思っている。

シンムラくん、がんばるのだぞ。

2007年04月17日

スーさん、定年後について考える

4月16日(月)

定年後のことなんて、今まであんまり考えたこともなかったのだが、手前もちょうどあと十年で定年を迎える。そんな意識も働いてか(どうかは分からないが)、『定年後』(加藤仁/岩波新書)という本を読んでみた。

筆者は、25年以上にわたって三千人以上の定年退職者にインタビューし、その日常を描き続けてきたそうだ。そんな蓄積もあってのことであろう、この本では様々な人たちの定年後の生活ぶりが次々に紹介されていく。

いくつか、印象に残った言葉を挙げてみる。
“たとえば、八十歳になったとき、それまでの人生を振りかえって、こう言えたならば、定年後の生活が充実していたということであろう。「サラリーマン時代は『リハーサル』、その後の人生が『本番』だった」と。
このように語る定年退職者に私は数多く会った。”(8頁)

どうしてこのようなことが言えるのか。筆者は、定年まで働いた時間と定年後に過ごす時間が同一であるということを根拠として挙げている。
“二十歳から働きはじめて六十歳で定年を迎えたとすると、それまでの労働時間の総計は二千時間(年間労働時間)×四十年間=八万時間になる。この八万時間の報酬としてマイホームの購入、子育て、社内の昇進昇格をやってのけたことになる。
では、定年後はのんびりと過ごすことにする。睡眠や食事、入浴の時間を差し引くと、一日の余暇時間は平均して十一時間以上もある。八十歳まで生きるとすれば十一時間×三百六十五日×二十年間=八万三百時間である。つまり定年後の余暇時間は、会社で働いた時間とほぼおなじということになる。この『八万時間』によって、これからはなにを得ようとするのか。”(77頁)

そりゃあ、いつ死ぬかなんて誰にも分かりゃしないんだから、こんなふうに定数化して計算など出来はしないとも思うのだが、定年後が無病息災で過ごせるのなら、ともあれ「八万時間」の「余暇時間」ができるということだ。うーむ、どうしてくれよう。

もちろん、三千人以上にインタビューすれば、成功例ばかりではなく「失敗例」も数多くあったのだろう。「ああ、こんな生活は確かによくないよなあ」と思わせる事例も紹介されている。
“その夫はこの地に進出した大企業の工場に勤め、定年後も六十五歳まで下請け企業で嘱託として働いた。しかし仕事を辞めてからは、わずかながら畑仕事をするだけで、ほとんどテレビの前に腰をおろしている。その姿を見るだけで妻はストレスが溜まるし、それまでのように自由に外出できないのが不満でもあった。夫婦の対話はほとんどなく、妻はせめて自分の気持ちを落ちつかせるためにも、働くのがいいと考えた。そうした妻の姿に触発されて、夫が趣味活動か地域活動をはじめてくれるのではないかという期待もあった。しかし、夫はテレビに釘づけになり、ひとり画面にむかって政治批判を繰りかえす日々がつづいているという。”(125〜126頁)

あり得る。最近、娘のいなくなった居間でテレビを見ていると、思わず「ひとり画面に向かって政治批判」をしている自分を見出すことがあるのだ。こ、これはまずい。

他には、こんな言葉。
“ギブ&テイクはかつての職場に払い下げておき、定年後は「ギブ&ギブ」を心がけると、新たな処世が拓けてくるし、自分らしさも貫ける。”(170頁)
“趣味活動であれ、地域活動であれ、学びであれ、自分たちの活動に「未来」の共有という要素があるのかどうか、ぜひとも確認しておきたい。”(179頁)
“こだわりを持ちつつ打ち込める対象があれば、多病ともつきあっていける。”(187頁)
“自立か、さもなくば依存か、という二者択一が定年後の生活ではない。”(216頁)

なるほど。

読み進むうちに、自分にもそれらしい「定年後」のイメージがわいてきた。まだ、とても他人様には公開できるようなものではないが、とりあえず、「こういうことなら自分でもできそうかな」というようなものである。

今まで、時折は「早く退職して悠々自適の生活をしたいよ」とか、「退職したら妻と旅行三昧だな」などと言ったりすることもあったのだが、それは飽くまで漠然としたイメージであって、実際にはかなりシビアな生活が待っているのではないかということを想像させられた。

十年なんて、過ぎてみればあっという間である。「その時」が来て、あたふたしなくてもいいように、今から少しずつ心の準備を始めることにしようか。そんな気にさせられた著作であった。

2007年04月26日

スーさん、依存する

4月25日(水)

ひょっとして、本格的な活字中毒者になりつつあるかもしれない。

このところ、購入する本がどんどん増えていき、とりあえず居間のPC周りと寝室の枕元とに分けて「積ん読」状態であるのだが、さすがに1日1冊というようなペースでは消化できないため、自然と積まれる本が増えていく状態である。

だから、「よし、今週は本屋に行くのはやめよう」と決意して、土日にそれまで購入した本をじっくり読むようにしているのだが、悪いことに、新聞の書評は日曜日に掲載される。そこで、「おお、これはおもしろそうだ」と思える本を見ると、居ても立ってもいられなくなり、「ひょっとしてあそこの書店には置いてあるかもしれない」などと考え始めるともうダメである。いそいそと家の近所の書店周りをすることになってしまうのだ。

「だったら、新聞の書評欄も見ないようにすればいいではないか」とお考えの向きもあるとは思うのだが、そうはいかない。書店で見かけた本に「毎日新聞の書評欄でも紹介された…」などとキャッチ箋などが着いていようものなら「ううう、何たる不覚!」と甚だしく後悔すること必定なのである。

かくして、毎日曜日は地元紙と毎日新聞2紙に紹介された本を求めに、書店巡りをすることになる。困るのは、お目当ての本がなかったときだ。そういう場合でも、「え?こんな本出てたの?」と思わぬ出版物を衝動買いをしてしまうことが多々あるのだ。こうして、購入予定外の本もどんどん増えていく。

例えば、こんなふうである。今週月曜日、購入目的の本があって書店に立ち寄った。だけど、目的の本はぱらぱらと読んでみたところあまりおもしろそうではなかったので、文庫や新書の新刊書紹介のコーナーを見ていたところ、つい『詩に誘われて』(柴田翔/ちくまプリマー新書)が目にとまる。目次を見てみるとなつかしい吉原幸子などの名前を見つけてしまう。即座に購入。目を転じると、隣の棚に『ゲーム的リアリズムの誕生』 (東浩紀/講談社現代新書)が置いてある。「おいおい、こんな本出てたのかよお!」とすかさず購入。さらには、文庫本のコーナーで『老人力』(赤瀬川原平/ちくま文庫)を見つけ、つい手にとって少し読んでみると、もう止まらない。「こ、これはおもしろい!」と即座に購入を決めてしまうのであった。かくして、ほんとうならば何も買わずに書店を後にするはずであったのに、逆に3冊増えて帰宅することになってしまったのである。

かように、本は増える一方である。そう言えば、先週の日曜日は『読書の腕前』(岡崎武志/光文社新書)を読んでいた。その中に「積ん読」の効用が述べられていたので、「おお、そうだそうだ、そのとおりなのだ」と激しく納得したのはいいのだけれど、それで何か後ろ盾(何のだ?)を得たような気になり、本の購入にさらに歯止めがかからなくなってしまったところがある。

その『読書の腕前』でも紹介されていたこともあり、それまでその存在は十分に知りつつも、どうも積極的には入ってみようという気にはならなかった「ブックオフ」にも、「じゃ行ってみっか!」ということになったのである。

「ブックオフ」は、自宅から自転車でも数分で行ける距離である。だけど、なぜかはわからないが今まで利用したことはなかった。「オイラの読むような本は置いてないらあ」というのがその大きな理由であった。ところが!知らず嫌い(こんな言葉あるのだろうか?)というのはあるものだ。先月終わりの毎日新聞書評欄で三浦雅士が「刺激的な本である。今後の日本と世界、少なくとも東アジアの行く末にかかわると言ってもおおげさではない」と評した本を見つけたのである。

その本とは、『古事記の起源』(工藤隆/中公新書)である。初版は昨年末だから、出てからはしばらく時間が経過している。そんなこともあってか、何店舗か書店巡りをしてみたのだが、残念ながら見つけられないままでいた。まあ、「今すぐにでも読みたい!」というような切迫したものがある本ではなかったし、とりあえず中身を見てから購入するかどうか決めようと思っていたので、アマゾンとかで注文することもなく経過していたのである。

さすがにワンコインではなかったが、半額である。ずいぶん得をした気分になった。これで、また中毒に拍車がかかった。だって、今まで足を向けなかった書店、通常の書店にはない古本を扱っているところがまた一店舗増えたのだから。同時に、今まで読んだ本で、もうこれはたぶん読まないという単行本の小説などは、売りに来てもいいなあと思うようになった。何せ、もうほとんど本の置き場所がなくなりつつある現状なのである。

パチンコ店と同じで、そこへ行かなければお金を使うこともない。だから、ブックオフでも普通の書店でも、とにかく寄って帰らなければいいのだが、件の『読書の腕前』に、「ブックオフには週明けに行くと掘り出し物がある」と書いてあったので、ついつい昨日も寄ってしまったのである。何も買わなければいいのだが、「まあ105円だしねえ」と購入したのが『エヴァンゲリオン補完文書』とかいう本。死海文書と関連づけて、エヴァの解説を試みたものである。あとは、『イチロー262のメッセージ』。これはワンコインではなかったけど、「まあ半額だし」ということで。

とにかく、ブックオフでは「まあワンコインだし」とか「まあ半額だし」というのがくせ者である。結局、買わなくていいものまで買ってしまうのである。だから、次々と本が積み上げられていく。これは、やはりどう考えても「本依存症」、あるいは「書店依存症」である。これって、真剣にまずいのではないか。

どうしよう。せっかく禁煙がここまで2か月以上続いているのに、その代わり活字(本、書店)中毒が亢進しているということなのであろうか。うーむ。どうやら、オイラは依存症に弱い体質であるらしい。そう言えば、週末にいつもの居酒屋で飲んでいつものメンバーで麻雀するっていうのも「依存症」なのだろうか。

うう、医者に行った方がいいかもしれない。

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