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2007年02月 アーカイブ

2007年02月05日

スーさん、国産品を愛用す

2月4日(日)

今日は立春。

ついこの前、年が明けたばかりだと思っていたのに、月日が経つのは早いものである。通勤の途中で梅の花をよく見かけるようになった。例年よりも些か開花が早いような気もするのだが、気のせいかしら。暖冬だからだろう。

其処此処で咲いている花を見かけると、心なしか日差しも明るくなってきているような気もする。外で活動する部活動の顧問をしていると、日に日に日暮れが遅くなってきていることが実感できる。「春立つと古き言葉の韻(ひびき)よし」(後藤夜半)寒さの中にも着実な春の歩みが感じられるこの時季が、手前は好きである。

ちょうど今くらいの季節になると、マーラーの「大地の歌」が聴きたくなる。
第5楽章「春に酔えるもの」
「一鳥 花の間に鳴く
借問す 此れ何れの時ぞと
春風 流鶯に語る
之に感じて嘆息せんと欲し
酒に対してまた自ら傾く
浩歌して明月を待ち
曲尽きて已に情を忘る」
第6楽章「別れ」
「いとしき大地に春来たりなば
至る所 花は開き 緑は新たに萌え出でて
見晴るかす彼方 とこしえに青き光」
別に春を迎えるからって、何かよいことが待っているわけではないのだろうけれど、何とはなしに心も温かくなっていくような気がするのである。

今日はテスト前で部活動も休みだったので、学校で学年末試験の問題を準備していた。もう進級・卒業の時期なのである。手前の不肖の娘も例外ではない。先週は、横浜まで第2希望の大学の音楽学部を受験しに行っていた。次週はいよいよ本命校の受験である。はてさて、どうなることやら。どちらの大学に合格しても、とにかく音楽学部はお金がかかる。まあ、手前も親には好きなように大学を選ばせてもらったので、娘にもあれこれ注文をつけるつもりはない。好きな道に進んでもらえばいいのである。

さて、今回は近況報告。

「毎月1日は映画の日」とは、知ってはいたがなかなか行く機会には恵まれなかった。その2月1日。朝、出勤前に新聞を見ると「本日ファーストデイ!どなたさまも1,000円!」という劇場案内が目に入った。「おお、そうか、今日は千円で映画が見れるんだな。よおし、まだ見てなかった『硫黄島からの手紙』を見に行くべ」と思い、さっそく支部の面々にもお知らせしたところ、すぐにオーツボくんが「行きましょう!」とレスしてくれた。

オーツボくんは、浜松にある件の映画館に行くのは初めてとのこと。あのなあ、映画くらいたまには見に行けよってば。もう封切られてしばらくになるからか、客は10人程度。ゆったりと鑑賞することができた。終了後、二人で駐車所へと向かいながら、「日本人って…」という話になる。それにしても、指揮官の命令を無視し、独断専行した士官の命令によって、次々と自決させられていく兵士たちの姿は見るに忍びなかった。どこにもいるのだ、威勢ばかりよくて、いかにも情実を述べているかのように錯覚して振る舞う手合いが。いずれにしても、自分は日本人である。日本人のよさと、どうしようもない愚かさとを常に自覚して生きていきたいと思う。そんなことを感じさせられた映画だった。

次は、『古武術for SPORTS』(高橋佳三さんのご著書、スキージャーナル刊)のこと。年末の「朝カル」で佳三さんとご懇意になったK学園高のスガイくんが、すっかり佳三さんに紹介された体の使い方にハマってしまって、部活動の練習に積極的に取り入れていることは先日ご紹介したとおりである。最近では一本歯の下駄まで購入して、部員たちに履かせているとのこと。「そんなにハマるのなら」と、手前も件の著書をアマゾンで注文して取り寄せてみたのである(高橋さ〜ん、印税収入に貢献しましたよお〜)。

いやあ、これはすごい本です!というか、これは「あんまりいろんな人には紹介したくない、できることならごくごく限られた人だけの秘密にしておきたい」という気持ちになってしまった。だって、この本を読んで、DVDを見て、体の使い方を変えてどんどん上達していくライバル校が増えると困るじゃあないですか!

DVDを見て、さっそく自分も同じようにやってみた。えっ??おいおい、なんだよ、オレって前屈こんなに曲がるじゃん!な〜んだ、体やわらかかったんだあ!と、とにかく驚くことばかり。翌日、さっそく部活動で「股関節を畳み、肩胛骨を使ったサーブ」をやらせてみた。子どもたちにはたいそう好評であった。ゲームでいとも簡単にファーストサーブが入るようになった部員など、「見たか、オイラの肩胛骨サーブ!」などと言い出す始末である。

「膝の抜き」も、説明だけではなかなかわからないところもあるのだが、DVDを見れば一目瞭然、しかも段階を追った動きづくりができるようになっているので、自然に「抜くコツ」みたいなものも体得できるようになると思われる。何より、「おもしろそうだ、やってみよう」という気になるというところがいい。

さっそく、支部定例会に顔を出したオーツボくん、ヤイリくん相手に、いつもの小料理店の奥の座敷をちょっと間借りて「即席紹介講習会」を開く。「姿勢の力」で紹介されていたことをちょっとだけやってみただけで、「おお!なになにどうして?!なんでそうなんの?!」と大受けである。「ねえねえ、DVD貸してくださいよお!」とすっかりハマってしまったのである。もちろん、オーツボくんもヤイリくんも、すぐさま本を注文するであろうことはまちがいない。さらには、「一本歯の下駄もみんなで買いましょう!」ということで話がまとまる。いやはや、こんなにもインパクトがあるのだ。

「スポーツ」ということで、そのトレーニング法から全てが外国からの輸入に頼ってきた歴史があるが、どうやらそれも頭打ちになってきたような気がする。「日本人には日本人に合った稽古法がある」ということに、少なからぬ人たちが気づき始めたということではないだろうか。そう言えば、映画の興行収入も邦画が洋画を上回ったとの報道もあった。いい意味で、日本のよいところが見直されていくのはよい傾向ではないかと思う。

2007年02月13日

教師は何のためにいるのか?

2月12日(月)

学年末試験が終わったある日、職員室でA子さんのことが話題になった。A子さんは、残念ながら教室に入ることができず、週に2日ほど登校して別室にて授業を受けている生徒である。
「ねえ、見て見て、A子さんこんなに点数取ったわよ!」と社会科担当教諭。
「数学もけっこうできてたよ」と数学科担当教諭。
「毎日学校へ来てても、A子さんよりテストが悪い人たちって、いかに授業をいいかげんに受けてるかってことだわよねえ」
「そうだね、まったく教室で授業を受けなくても、これだけの点数が取れるってことだからねえ」

そんな会話を傍らで聞きながら、「ったく、何やってんだろうな、授業を受けてない生徒よりもテストができないなんて、おかしいじゃないかよお」と思ったのは束の間、「ちょっと待ってよ、それってけっこう重大な問題なんじゃないだろうか?」と思ってしまったのである。

確かに、きちんと毎時間教室で授業を受けてはいても、テストの結果が思わしくない生徒もいる。しかし、問われているのは、そんな生徒たちの授業を受ける際の態度や学習方法のことではなく、実は教師そのもの、さらに言えば近代の学校制度そのものが問われているのではなかろうか。

教師に問われていることの一つは、「教師って必要なの?」ってことだ。ほとんど授業を受けなくても、自習によってテストにも解答できるとするなら、教師が授業をとおして生徒に教えることとはいったい何なのだろう。

もう一つは、「授業って何?」ということである。教師は授業で何を教えるのであろう。よく言われるのは、「教科書を教える」のではなく、「教科書で教える」ということだ。教科書「で」何を教えるのか?教科書に書いてあることを教えるのはもちろんのことだとするなら、さらに何を教えるのか?

さらには、「学校制度」のことである。「学校って、行かなくちゃいけないの?学校へ行かなくたって、家で教科書を一通り読めば、その内容は理解できるよ。参考書やインターネット等を利用しても学習はできるじゃない」という問いには、どう答えればいいのだろう。

「学校へ行かなければ、社会性が育たない」とでも答えるのであろうか?現実には、学校を卒業しても「社会性が身に付いていない者」はいくらでもいる。そもそも、学校は(社会性の定義にもよるのだろうが)「社会性を育てること」が、その存在の第一義ではあるまい。

4月から正式に実施される特別支援教育は、A子さんのように教室に入りたくても入れない子どもたちにも、その支援策を考えていくということである。多様性を認めていくということだ。それはそれで、必要なことと思う。同時にそれは、文科省が気付いているかどうかは知らないが、学校や教師というものの根本を問い直していくということになろう。

そもそも、教師は、学校は必要なのであろうか?

敢えて「然り」と答えたい。

内田先生は、その著『先生はえらい』や、近著『下流志向』の中で、「師弟関係」について言及されている。
「師弟関係で重要なのは、どれほどの技量があるとか、何を知っているとかいう数量的な問題ではないんです。師から伝統を継承し、自分の弟子に伝授する。師の仕事というのは極論すると、それだけなんです。」(『下流志向』)

「やっぱり、教師は必要だし、学校も必要です」といわれる所以は、そこで「師」と出会えるかもしれないということなのである。もちろん、学校へ行かなくても「師」と出会えないわけではない。しかし、だからこそ「学校」というところを、「師」と出会う場としたい。

そのためには、「学校」の「教師」が、常に「教師は必要なのか」、「学校は必要なのか」と問い続けていくことが必要であると思う。そのことを忘れ、教師が自らの存在や「学校」というものを当為のものと考えてしまうこと、それこそ、私たち教育という仕事に口を糊させていただいている者の、最も戒めなければならないことと思う。

2007年02月20日

スーさん、禁煙する

2月19日(月)

まだ公表の段階ではないのかもしれないのだが、昨日から禁煙を始めた。

何かきっかけがあったというわけではない。土曜日、いつもの支部メンバー飲んで麻雀をしているうちに、タバコがなくなった。日曜日の朝、起き抜けのヤクルトを飲んだ後、いつもはそこで一服となるのだが、「そうだ、タバコ買ってなかったっけ、まあいいや、今日だけやめてみっか」と思い、そのまま日がな一日を過ごしてみることにしたのである。

朝のうちは、どうということはなかった。まあ、定期健康診断の時など、朝からタバコを吸わずにいる日だってある。「タバコなんて吸わなくても、どってことないじゃん!」そんな感じで時間が過ぎていった。ちょうどこの日は部活動も休みであった。じっくり本でも読んで、のんびり過ごそうと思っていた。

ところが…。

午後になると、やたらタバコを吸いたくなってきた。特に、本をある程度のところまで読み進めた後は、気分転換にタバコを吸わずにはいられないのである。「でも、我慢我慢」と自分に言い聞かせ、ジュースを飲んだりして気を紛らすことにした。

「そうだ、本読んでるのがよくないんだよ、やっぱり体を動かした方がいいんだ」と思い、洗車をすることにした。プリウスにホースで水をかけ、スポンジで車体を洗い、セーム皮で水分を拭き取るという作業を黙々とこなす。さすがに、作業中はタバコを吸いたくはならない。しかし、ひととおり終わると猛烈にタバコが吸いたくなってしまった。

どうやら、喫煙の欲望というのは、一つの行動が限になって、次の行動に切り替えたりする際に発生したちょっとした時間に、激しく昂進するものであるらしい。それに、いつも胃の辺りが膨満しているような感じと、頭の中心部が白く濁っているような感じがしている。

「何か運動をするしかない!」と思い、自転車に乗って自宅の近くを走ることにした。いつも週末に行くホームセンターまで走って、ホームセンター内をひととおり見てから自宅に戻った。途中、いつもタバコを買っていた店の自販機前には極力近づかないような道を選んだ。

入浴後は、いつものようにビールである。350mlを3缶ほど飲んで一息つくと、そこでどうしてもタバコが吸いたくなってしまう。でも、タバコは買ってない。ここでも、何とか我慢ができた。かくなる上は、もう寝てしまうしかない。いつもより2時間ほど早く布団に入る。

そして、今日である。ヤクルト後のタバコがないと、いつもより早めに家を出られることがわかった。朝の3分・5分はかくも貴重なのである。出勤後、打ち合わせの後はいつも外の出てタバコを吸っていたのだが、外へ行くこともなく1時間目の準備をする。

給食を食べた後も、タバコを吸いに行くことなくそのまま歯磨き。でも、やっぱり午後は苦しい。月曜日は部活動が休みの日である。仕事が一段落するたびに、外へ出て喫煙する欲望に負けそうになる。でも、タバコはない。とにかく、タバコを持たないこと、これがいちばんの禁煙法であろう。

こうやって日記を書いている時も、正直言ってタバコは吸いたい。でも、まだ我慢している。はてさて、いつまで持つものやら。でも、ひょっとしたら、これで禁煙が完成できるかもしれません。だいたい、「おーし、今日から禁煙するぞ!」とか決意して始めても、禁煙はできないと思う。思いついたときに、何となく始めてこそ、うまくいくのではないかと思っている。そういう意味では、今回はいかにも自然に始まっている。きっと成功するに違いない(と思いたい)。

今後、経過は日記の更新の度にご報告させていただきます。ご声援をよろしくお願いいたします。

2007年02月27日

資本主義には猛省を促したいところですが、あいつは人じゃないからなあ。

2月26日(月)

おかげさまで、禁煙は継続しております。でも、まだ時々喫煙の衝動に襲われることがあります(ううう、苦ぴ~)。その度に、「いやいや、せっかくここまで我慢したんだし、もう吸ってもおいしいとは感じないよ、きっとそうだよ、そうに決まってる」と自分に言い聞かせて、なんとか1週間が過ぎました。この間、mixiのメッセージ等に「がんばってください」とか「応援してます」などというありがたいお言葉もいただき、それも禁煙継続の大きな励みになっております。引き続き、ご声援をよろしくお願いいたします(次なる目標は1ヶ月)。

さて、週末の土曜日は支部の面々で映画鑑賞会。作品は『ダーウィンの悪夢』。ナガミツくんのお薦めということで、インターネットで公開劇場を確認したところ、浜松でも見られる映画館がある(1日1回レイトショー上映、4日間限定公開)ということがわかった。さっそく支部メンバーにお知らせをして参加者を募ったところ、オノちゃん、ヨッシー、オーツボくん、シンムラくんのいつもの面々が参加を表明したので、映画の前に小宴、そして映画、最後に麻雀という3点セットメニューが組まれたのである。

ご存じのように、この映画はドキュメンタリーである。しかも、社会問題をシリアスに訴えた内容らしいということになれば、当然見に来る観客は限られるであろう。しかし、地方都市浜松で、4日間限定公開中に、どれくらいの人数が見に来るのかということには多少なりとも興味があった。というのは、それで多少なりとも浜松住人の文化関心の程度が知れるかもしれないと思ったからである。

公開は金曜日の夜からだったから、いちばん人数が多そうなのは公開初日の金曜日、そして翌日の土曜日あたりだろうと思っていた。はたして、私たちが行った土曜日は80名ほどの観客であった。初日も大凡同様の人数であったろうと想像される。浜松市の人口は、合併しておよそ80万人。ってことは、土曜日の夜は市民1万人に一人の割合でこの映画を見に来たってことだ。それが多かったのかどうかはわからない。まあ、こんなものなのだろう。

映画が8時半からの上映だったので、6時前に映画館近くの居酒屋に集合し、オノちゃん、ヨッシーらと飲み始めることにする。ヨッシーはライフプラン休暇から帰ってきたばかり。入手至難の「トワイライトエクスプレス」のチケットをゲットしての北海道ツアーの話を肴にしながら、くいくいとビールを飲む。そのうちに、オーツボくんも合流して談論風発、あっという間に上映時間が近づいてきた。

映画館前にてオーツボくん夫人、そしてシンムラくんとも合流して館内へ。こういう時のシンムラくんは気が利いている。飲み物やちょっとした食べ物をちゃんと人数分買い込んである。些細なことではあるが、こんなちょっとした心遣いはうれしいものである。もちろん、「今後の勉強のため」と、パンフも購入してある。よい若者である。

映画が始まった。ドキュメンタリーであるが、解説のナレーションがほとんどない。映画は映像をもって語らせる、ということなのであろう。衝撃的な映像やインタビューが続く。描かれているのは「資本主義」である。

大澤真幸は、その著『文明の内なる衝突』(NHKブックス)の中で、ウォーラーステインの「世界システム論」を引きながら、資本主義について以下のように書いている。

“資本主義は、資本主義の相対的な後進地域を常に保存し、再生産し、そして活用しているのだ。われわれは、普通、貧困という現象は、資本主義から完全に無関係な地域、資本主義の恩恵をまったく受けていない地域で発生すると思っているが、そうではない。資本主義とまったく無縁であれば、そこは、貧困でもなければ、裕福でもない。極端な貧困は、むしろ、資本主義との接触面でこそ起きるのである。資本主義は、常に、自らの内に周辺部を、つまり資本主義の中にありながら資本主義から見放されているかのように見える部位を、産出しているのである。”(105p)

こうして、資本はひたすらその増殖を目指す。その運動には、「真」も「善」も「美」もありはしない。

“資本主義が宗教的なものに見えるのは、交換の手段に過ぎぬもの−貨幣−が目的それ自身となり、人々が取り憑かれたように、飽くことなく、その増殖を目指しているからである。資本が循環するたびにー投資が回収されるたびにー、人は、貨幣という神との契約を更改し、あらたな契約を取り結んでいるのだ。”(153p)

人間が貨幣を操っているのではない。人間が貨幣に操られているのだ。身を剥ぎ取られたナイルパーチの残骸は、資本主義というシステムに絡め取られた人間の欲望が、姿形となって発現したものであろう。

「これは遠くタンザニアで起こっていることだから」とも申せまい。ナイルパーチの主な輸出先はヨーロッパと日本である。日本へは、年間約3,000トンが輸出されているとのことだ。今までは「白スズキ」というような名称で流通していたとのことで、外食産業や学校給食で白身魚のフライとしてよく使われるほか、味付けされた商品としてスーパーなどの店頭に並ぶこともあるそうだ。「じゃあ、オレらも食ってんじゃん!」ってことなのだ。

私たちには、何ができるのだろう?

もう一度、大澤真幸に戻る。
“資本主義的なシステムには、階級の分化が、あるいは中核部が周辺部を搾取する関係が、孕まれている。このことが含意しているのは、原罪の観念が、交換の関係を搾取の関係(奪う関係)へと質的に転換させてしまう潜勢力をもっている、ということである。本源的な恥の観念の内に宿されている潜勢力は、これとはまったく反対の方向に作用する。それは、交換の関係を贈与の関係(与える/与えられる関係)へと
転換させる可能性を秘めているのだ。”(223p)
これだけではだいぶん説明不足なので詳しくは同書を閲していただきたいが、キーワードはの一つは、「羞恥」である。

まずは、「こういう経緯で日本に入ってくる魚を食ってんの、恥ずかしいよ」ってことでいいのだろう。って言うか、「この映画には、自分も無関係ではないということが、どうしようもなく恥ずかしい」ということから始めればいいのだ。

そして何をするか?手前は、マルクスの『資本論』(とりあえずマルクスが書いた第1巻だけ)を読んでみようと思う。

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