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2006年12月 アーカイブ

2006年12月05日

教育再生会議にひとこと

12月4日(月)

政府の教育再生会議がいろいろと今後の改革案を提案しつつあるようだが、どうも「?」と思えるような内容が多くて、「それでホントに大丈夫なの?」って感じがしているのは手前だけであろうか。

例えば、「いじめ問題への緊急提言」中の以下の部分。
(2)学校は、問題を起こす子どもに対して、指導、懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応をとる。
(4)教育委員会は、いじめにかかわったり、いじめを放置・助長した教員に、懲戒処分を適用する。

子どもへの「毅然とした態度」は、既に現行法(学校教育法)に規定されている。
「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」(第11条)
「市町村の教育委員会は、(…)性行不良であって他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる」(第26条)

問題は、「懲戒の基準を明確に」というところか。でも、どうやって「基準」を作るのだろう。そもそも、いじめの、特に加害生徒をはっきりさせることというのは、とても難しいことなのである。
「キミ、ナガミツくんをいじめてるそうじゃないか」(←ってこんな訊き方しないけど)
「いいえ、そんなことしてません」
「だって、キミがいじめてるとこ見たっていう生徒がたくさんいるんだぞ」
「してませんよ、一緒に遊んでただけです」
こういうやり取りになると最悪である。たぶん、その日のうちにその保護者から電話が入る。
「先生、ウチの子どもがいじめをしてたんですって?うちの子はしてないって言ってるんですけど。いったい、どうなってるんですか?いじめてないって言ってるのに、犯人扱いみたいにされて。ウチの子はもう学校行きたくないって言ってるんですけど。」

毅然とした態度を取るどころか、逆にひたすら平身低頭しなければならなくなってしまうということだってあるのだ。そのくらいに、加害生徒をはっきりさせるというのはデリケートなことで、いかな「懲戒の基準」を作ろうとも、そのことで加害生徒への指導がしやすくなるということはほとんど考えられない。ということは、この提言も有名無実になってしまうのではないかと思うのだ。

また、(4)の教員への懲戒処分であるが、いじめを助長したという教員に懲戒が加えられるのは当然のことであろうが、「放置した」ということで処分されるというところが気になる。いじめを放置してよいなどと思っている教員などいるはずがない(と思いたい)。何とか一生懸命対処しようとしているうちに、さらにいじめがエスカレートしてしまい、その結果「放置した」と教員が処分されるのは、どうにも理不尽なことであるような気がするのだが。

さらに、次のような新聞記事。
“学校教育の改革を協議する第1分科会は30日、中間報告の素案を公表した。「不適格教員を排除するため、あらゆる制度を活用する」との姿勢を打ち出し、保護者や児童・生徒が教員評価に参加する第三者評価を打ち出した。”(毎日新聞)

これは、現場からはおよそ受け入れられない提言ではあるまいか。生徒が教員を評価するというのは必要なことかもしれない。しかし、そのことが必要以上にアピールされるようになると、生徒指導担当などで校内での「叱り役」を引き受けている教員などに対して、「あの先公、ムカつくんでみんなで評価低くしようぜ」と企む生徒が出てくることだって考えられる。「それは指導が悪いからそうなるのだ」と言われるかもしれない。でも、まだ発達段階にある生徒に、大人を評価しろということ自体無理があるのではないか。評価するにしても、せめて授業についての評価くらいに止めておいた方がいいのではないか。

さらに保護者からの評価である。今でさえ、学校は保護者には多大な配慮をしている(はずだ)。何か訴えがあれば、すぐに対応する体制ができている(はずだ)。この上さらに、保護者に教員を評価してもらうことで、どんなメリットがあるというのだろう。そもそも、評価をするだけの情報を保護者がどれだけ持っているのだろう。保護者は毎日学校へ足を運んでいるわけではない。いきおい、教員に関する情報のほとんどは、子どもからの情報になるだろう。あるいは、年に数回の授業参観、数回の三者面談時の印象か。とにかく、学校(教員)が今まで以上に保護者に気を遣うようになることだけはまちがいない。

生徒や保護者に評価をしてもらうことが、いいとか悪いとかいうことではない。手前が心配するのは、そうやって評価で縛られることによって、いつも子どもや保護者、教育委員会のことを気にしながら指導する教員が増えてきはしまいかということである。それって、本当に子どもや保護者のためになることなのだろうか。

もちろん、今まで教師であるということに胡座をかいて、邪知暴虐の限りを尽くしてきた教員もいるかもしれない(「お前がそうだ」って言われそうです)。でも、大多数の教員は、何より子どものことを第一に考えて日々の教育活動に精励恪勤してきただろうし、今もそうであろうと思う。

教員は、良くも悪しくも誇り高き生き物である。縛ろうとすればするほど、その抵抗は大きいであろう。今回の教育再生会議に、現場の教員がどれだけ参加しているのかは寡聞にして知らない。はっきりしていることは、現在の子どものことは、その現場の教員がいちばんよく知っているということである。その教員たちを気持ちよく働かせるにはどうすればよいのか。再生会議のお歴々には、そのことをまず第一に考えられた方がよいのではないか。

「現場の教員が信用できないから、こうして対応策を考えているのだ」とおっしゃるかもしれない。でも、その現場の教員を動かす最もよい方法は、その現場を預かる教員たちを、いかにディセンシーをもって遇するかということである。現場の教員たちに、「ノーブレス・オブリージ」を喚起させること。それなくして、現場の教員は動かないであろうと思う。

再生会議がいかな提言を打ち出そうとも、それが教員たちに枷を嵌めるようなもの、教員たちの意識を逆撫でするような、その誇りを貶めると感じられるようなものであるかぎり、その提言は画餅に帰するであろうことは必定、再生会議は実質的な成果の得られないままに閉会せざるを得なくなるのではないか。どうかご再考いただきたいと願うばかりである。

2006年12月13日

「インフォームド・コンセント」って何だろう?

12月12日(火)

先週の金曜日、実の弟が重傷を負った。職場で揮発性物質の処理をしていた際、至近距離で小爆発と火災が発生し、それが着衣に延焼して、下半身を中心に全身の約3割から4割に、Ⅲ度の熱傷を負ったのである。

母から連絡を受け、収容先の病院に駆けつけたときには、既に救急処置の真っ最中であった。主治医の副院長先生から、症状のあらましと具体的な治療について説明を受け、輸血等の承諾書に次々とサインをした。「実際にご覧になってください」と言われ、救急処置が行われているところにも立ち合った。

救急治療を施すこと約3時間。その後、集中途医療室へと移動してようやく面会が許された。幸い、気道等への熱傷はなかったため、意識もはっきりしていたし、酸素マスク越しに話をすることもできた。
「おお、兄貴も来たんか。頼みがあるんだけどな」
「何だ?」
「あのさあ、ビデオショップでDVD借りてて、明日が期限なんだよ。返しといてや」
「わかったよ」
とりあえず、ほっとした。

その後、別室にて治療にあたる医師団から説明を受けた。
「かなりの重傷です。このくらいの熱傷になると、一般的に死亡率は5割から8割です」
それから、具体的にどの部分がどの程度ダメージを受けているかの説明、そして治療の方針や方法等が説明された。
「お分かりになりますか?」
「分かるかと言われれば、よくわかりません、としかお答えできません。知りたいのは、希望があるかどうかってことです」
「もしも、治療が絶望的であれば、私たちも治療は施しません。そういう意味では希望はあるということです」
「では、よろしくお願いします」

幸い、最初の危機と言われる48時間はクリアできた。昨日から酸素マスクが外れて、今日からは食事も普通に食べられるようになった。担当の医師からも、「最初の段階は乗り越えましたね」と言われた。老齢の父母も、事故の日に比べて日に日に回復していると思われる弟の姿を見るたびに、安堵の胸を撫で下ろしていた。

その今日、次回の手術についての説明があった。熱傷を負った部分に形成外科手術が施されるのである。父母と手前の3人で説明を聞いた。
「今でも予断は許されないんです。通常ならば、10人中3人から4人は死亡してしまうほどの熱傷なんです。治療には時間がかかります。ある意味では、一生かけて治していくとも言えるんです」

この言葉を聞いて、母が深く溜息をついた。説明が終わって「同意書」にサインし、弟の治療室に戻った。戻る途中、それまで決して涙を見せなかった母が泣いていた。

「説明責任」もいい。後々のトラブル回避のために、考え得る最悪のケースを説明するのも仕方がないことかもしれない。「お医者さんの説明って、すごく恐いこといろいろ言われるでしょう」とは、自分の周囲にいる人たちが異口同音に言う言葉である。ということは、聞く方はその説明の中から少しでも希望と思われる情報を探し出すようにして聞いているということだ。それを「説明責任」と言うのだろうか。せめて、「形成外科手術が行えるようになったほどに、体力は回復しているとも言えます」とさえ言ってくれれば、父母も安心したであろう。説明の場に父母を同席させたことを悔いた。

それにしても、説明をしてくれる医師たちはみんな若い。救急科の医師だからだろうか。たぶん、みんな30代だろうと思う。きっと腕はいいのだろう(それは弟の回復ぶりが物語っている)。でも、「治す」ということを、患者とその家族も含めてイメージするだけの余裕はまだないのかもしれない。年季ということもあるのだ。

実際、弟は「一生かけて治していく」と言われるほどの回復ぶりである。喫緊の生死を危ぶむということもなくなった。弟のことは医師たちにお任せするとして、手前は年老いた父母のケアを第一に考えることにしようと思う。

2006年12月18日

スーさん、今週も忙しい週末

12月18日(月)

先週金曜日は、弟の1回目の形成外科手術があった。午後から約4時間の予定ということで、夕方に病院へ顔を出したのだが、控え室にいた両親から、予定よりも手術開始時間が遅れまだ終わっていないと聞き、一度自宅に戻ってから再び病院へと出向いた。終わったのは午後8時半過ぎ。それから、執刀医による説明があった。大手術だったが無事済んだということ、重傷ではあるが思っていたよりも熱傷部分は悪くはなかったということ、年内にはもう一度残りの部分の手術を行う予定であること等を聞かされる。お礼を言い、病院を出たのが10時過ぎ。とりあえず、無事手術が終わったことに安堵する。

翌、土曜日は沼津K学園高のスガイ先生と共に新幹線で芦屋へ。午後から予定されていた甲南合気会の稽古に参加するためである(スガイ先生は見学)。内田先生の稽古を受けるのは今年の4月以来である。呼吸法から始まり、主に「後ろ両手取り」からの技をたっぷりと稽古する(2時間ほどで息が上がりました)。終了後は、自宅へ戻るドクターと一緒にJR芦屋駅まで歩き、その日の宿舎へと向かう。

宿舎にて、その日の「後発隊」であったオーツボくん、ヤイリくん、シンムラくんら甲南麻雀連盟浜松支部の面々と合流し、5時半から予定されていた朝日カルチャーセンターでの平尾さん(神戸製鋼ラグビー部)と内田先生との対談を拝聴するため、大阪肥後橋の朝日新聞社ビルへ。

1時間半の対談であったが、あっという間であった。いろいろと興味深いお話が聞けた。終了後は、北新地にて打ち上げ宴会。何と、その場で支部の面々以外に浜松から来られている方がいるということを知った。神戸女学院合気道部出身のエビサワさん(通称エビちゃん)である。まさか、大阪の北新地で「ボクんちは追分のアピタの近くなんですよお」などという超ローカルな話をするとは思わなかった。「お近くなので、また飲みましょう!」ということになる。

甲野先生門下の高橋さんは、実はスガイ先生の大学の後輩であるということもわかった。スガイくんは、その高橋さんの著書である『古武術forSports』も購入していた。宴の途中からは、二人で身振り手振りを交えながら、何やら長いこと話し込んでいた。いやはや、世の中というのはほんとうに狭いのである。

シンムラくんは今回初登場である。彼は今年の新採教員(そう言えばヤイリくんもそうだった)なのであるが、何の因果かその配属先の学校にオノちゃんとヨッシーがおり、あまつさえ自分が中学時代に所属していたソフトテニス部の副顧問にもなったということから、必然的に甲南麻雀連盟浜松支部の「準会員(お茶くみ係)」に認定されたのである。今回、内田先生にお会いすると聞いた「指導教員」オノちゃんは、「内田先生とお会いするのに先生の著書を『先生はえらい』しか読んでいないとは何たること、すぐに10冊は注文せよ!」と厳命され、すぐさまオノちゃんから渡された著作リストの本全て(19冊)をアマゾンに注文したという剛の?者なのである。

そんな事情を先生にお話しし、先生からいたくお褒めの言葉をいただいたことに気をよくしたのか、シンムラくんは「あのお、今日の対談でお伺いしたことの中でちょっとお聞きしたいことがあるのですが…」と先生に質問し始めた。いいことである。若いときというのは、そうでなくっちゃあいけない。そうやって、どん欲に何でも吸収していこうという姿勢こそ、彼のような若い教員には何より大切なことなのである。

そうこうしているうちに、時間はあっという間に過ぎて11時近く。宴今や盛りではあったが、そこでお開き。参加者の面々が、三々五々帰途に就く。内田先生にお礼のご挨拶をして、支部の面々と心斎橋へ。実は、今回は手前の日記を読んだグルメのスガイくんが、どうしても「まつりや」の「ちりとり鍋」が食べたいとのことで、さんざん飲み食いした後ではあったのだが、「まだまだ別腹」と地下鉄御堂筋線肥後橋の駅へと向かったのである。

つい先月の終わりに、大迫力くんたちと行ったばかりだったので、場所はわかっていたつもりだったのだが、どうも記憶の場所に行ってもそれらしき店がない。仕方がないのでカンキくんのところに電話を入れて場所を聞く。ところが、さんざん探し回ってようやく店を見つけると、ちょうど閉店したばかりの様子。外にいた店員さんと思しき人に「もう終わりですよね」と尋ねると、「ハイ、今日はもう終わりました」とのこと。諦めきれない様子のスガイくんを慰撫しつつ(してないけど)、宿舎へと戻る。

さて、日曜日は待ち待った(5年ぶりの)「甲子園ボウル」である。部活動の指導のため一足早く浜松に戻ったオーツボくんを除いた4人で、シンムラくん提供のカローラフィールダーに同乗して一路甲子園へ。前日までは天気が危ぶまれたが、昼に近づくにつれ青空が広がり、キックオフ1時間前には雲一つない快晴の空となった。球場近くのショッピングセンター駐車場に車を入れ、まずは腹ごしらえ。ショッピングセンター内のお好み焼き屋さんでビールを飲みつつ(誤解のないように申し添えておきますが、ドライバーであるシンムラくんは一滴も飲んでません、念のため)雰囲気を盛り上げ(誰とは申さぬが昼間から酎ハイを飲んでた人が若干1名いました)、球場へ。レフト側18番ゲートのところで、ゑびす屋さんからチケットを受け取り、観客席へと向かう。

既に、両校の選手たちがフィールドに出て練習を始めていた。外野の芝生をフィールドに仕立ててあるのだが、芝生の緑が鮮やかである。「人工芝なの?」とゑびす屋さんにお伺いすると、「いえ、天然芝ですよ」とのお答え。ユニバー球技場などとは違って、トラックがない分、選手たちが近くに感じられる。アメリカンフットボールの試合を見るのは初めてというシンムラくん、ヤイリくんも興奮した面持ちである。

いよいよキックオフ!前半のチョイスは、関東代表トマホークスのレシーブである。ファイターズのキックはタッチバック、自陣20ヤードからのトマホークス第1ダウンである。ショットガン隊形からのリバースのラン。「な~んだ、こんなのすぐ止まるよ」と思っていたとおり、ファイターズディフェンス陣が襲いかかって難なくタックル、と思いきや、そのタックルをかわした#29のRBがあれよあれよという間にファイターズエンドゾーンへ向かって猛スピードで駆けているではないか!「おい、おい、おい!止めろよおおお!」と叫んでも止まらない。そのままTD。試合開始後、わずか数十秒の出来事であった。先が思いやられた。

戦前の予想では、トマホークス優位が報じられていた。圧倒的強さで関東リーグを勝ち上がったこと、ファイターズとの比較でもパス・ラン共にファイターズを上回っていること、特にその攻撃力は恐るべき破壊力を持っていること、特に春のヨコハマボウルでの対戦では、45-3とトマホークスが鎧袖一触でファイターズを退けていることなどがその根拠として挙げられていた。まさに、そのとおりの強さを見せつけられた思いであった。

さらにトマホークスは2回目のオフェンスシリーズでTDを決め、14-0とリードを広げる。対するわがファイターズ、たぶんこの日のために用意したと思われるスペシャルプレー(QBからWRへ横パス、それをWRがさらに前パス)でTD、1本を返す。「よしよし、これで一方的な展開になることはないだろう」などと思っていた直後、まともやファイターズのキックをリターンしたトマホークス#29に独走され、そのままTDされてしまう。沈黙のファイターズ応援席。また2本差である。長い第1Qであった。

しかし、この日のファイターズは負けてはいなかった。第1Qの終了近くから始まったドライブでは相手エンドゾーン近くまでじりじりと攻め込み、ついにエンドゾーンまでインチを残す。パワープレーの隊形から誰もが力で押し込むと思いきや、突入すると見せたQBがふいに起きあがってほとんどスクリメージラインに集まった相手DLをあざわらうかのようにふんわりとしたパスを投げたのである。ボールはきれいにファイターズWRの胸に納まってTD、また1本差となる。それにしても、見事なプレーであった。

ところが、やはりトマホークスは強い。第2Qにはランとパスでさらに2本のTDを決め、一時は35-14と引き離されてしまう。ファイターズも諦めない。前半終了まで残り2分を切ったところで、QBが自ら持ち込んでTDを奪う。結局、2本差のまま前半が終了。このころから、それまできれいに晴れていた甲子園上空に、怪しい黒雲が立ち込めてきた。

後半はファイターズのレシーブである。ぽつりぽつりと雨が降り出してきた。合羽は用意してきたのだが、午前中の天気を思えばよもや雨は降るまいと車の中に置いてきてしまった。用意万端とは、あらゆることを視野に入れておかなければならないのである。しかし、試合の方は雨で流れが変わるかもしれないと思っていた。神戸ユニバーでのパンサーズ戦も雨だったではないか!

その最初のドライブ、おもしろいように1stダウンが更新されていく。パスとランで相手エンドゾーンまで攻め込み、最後はRBがTD、これでまた1本差。前半は相手にいいようにやられていたディフェンス陣も踏ん張り出し、トマホークスの追加点を許さない。

降雨とともに攻撃が手詰まりとなったトマホークスに対し、ファイターズは攻撃の手を緩めない。テンポよく相手陣まで攻め込み、「おーし、これでもう1本取って同点だあ!」と意気込んでいたちょうどその時、甲子園上空に閃光が走り、直後大きな雷鳴が轟いた。ファイターズオフェンスは、既にFGレンジまで入っている。審判団から試合中断のアナウンスが入った。「おいおい、どうせ第4ダウンなんだから、そこまでやってから中断にしろよ」とは、ファイターズ応援席の誰しもが思ったであろう。そのまま選手たちはベンチまで引き揚げることになってしまった。

雨は止まなかったが、約30分の中断ののち、試合が再開。第4ダウンだから当然FGである。しかし、このキックが外れてしまう。後から思えば、これが大きく勝敗を分けたと思う。これで息を吹き返したか、第4Qに入った直後、トマホークスはパスで6本目のTDを奪って、またもや2本差。しかし、ファイターズもTDを奪い返して1本差、試合は雨中の激戦の様相を呈してきた。

試合終了まであと5分少々、パスでファイターズ陣まで攻め込んだトマホークスは、第4ダウンでFGを決め、スコアは45-35。TD1本では勝てない。時間は刻々と過ぎていく。それでも諦めないファイターズは#35のRBが執念とも思えるTDを上げる。さらには、PATでは見事な2ポイントコンバージョンも決め45-43、ついに2点差にまで詰め寄ったのである。

残り時間は3分を切っている。ファイターズが勝つためには、次のキックオフでボールを確保し、時間を止めながら相手陣まで攻め込んで、FGを決めるしかない。オンサイドキックでボールを奪えるかどうかにこの試合の勝敗がかかっていた。そのオンサイドキック、ボールは相手DLの手前でイレギュラーバウンドした。両チームの選手たちがボールに群がる。ボールは!ボールはどっちが取った?!トマホークスであった。これでファイターズの勝利はなくなった。最後はトマホークスQBがニーダウン。トマホークス応援席からカウントダウンが始まって試合終了、無情の2点差が残った。

もちろん身贔屓であるが、ファイターズの選手たちはほんとうによく戦ったと思う。心からその健闘ぶりを讃えたい。トマホークスも、戦前の予想に違わず、すばらしいチームであった。その実力は決してフロックなどではなかった。「東西大学王座決定戦」の名に相応しい、好ゲームであったと思う。

前日の「朝カル」で内田先生がお話になっていた「ノーサイド」のことを思い出した。まさに、この試合も「ノーサイド」で終わらせてもいいような試合であったと思う。試合後、初めてアメリカンフットボールを見たシンムラくんが、「また来年も甲子園ボウルを見に来たいです!」と言っていた。何かしらの感動を覚えたのであろうと思う。そんな試合を展開してくれた両校の選手たち、監督、コーチたちに心からエールを贈りたい。トマホークスのみなさん、おめでとうございました。ライスボウルでのご健闘をお祈りします。そして、ファイターズのみなさん、すばらしい試合をありがとう!

ゑびす屋さんには、チケットの手配を含め、いろいろとお世話になりました。残念ながら試合には勝てませんでしたが、ファイターズOBとしては満足できる試合だったのではないでしょうか。また来年も甲子園にご一緒できることを楽しみにしています!

2006年12月27日

スーさんの今年の30大ニュース

12月26日(火)

年の瀬である。しかし、こう暖かい日が続くと、なんだかあまり年の瀬のような感じがしない。でも、今年も残すところあと数日である。今年は、例年になく早く年賀状を書き終え、昨日投函することができた。あとは、毎年恒例の「大阪忘年会」に参加し、家の大掃除をして大晦を迎えるばかりである。

さて、今まであまりこういうことはしたことがなかったのだが、1年を振り返るという意味で、以下に「今年のベスト3」を挙げてみたいと思う。

「事件編」
① 弟の事故(12月)
今日は2回目の手術が行われた。形成外科の先生のお話では、1回目の手術以降、高熱の出る日が続いていたが、今回の手術でそれも収束してくるでしょうとのこと。まだ予断は許さない状態であるが、とりあえず大きな山場は乗り越えたように思う。
② 左手小指の脱臼(8月)
まだ完治せず。先日の「北新地宴会」の折、矯正器具を紛失してしまった。そんなこと、とても主治医に言えない…。
③ 財布を拾った(8月)
大阪インターハイに行く途中、ヨッシーと一緒に財布を拾った。愛知県の高校生のものであった。後からわかったことだが、その高校生は何とソフトテニス部に所属しており、われわれ同様に大阪インターハイへ行く途中だったらしい。お礼に、おいしいメロンをいただいた。もちろん、ヨッシーと山分けさせてもらった。

「生活編」
① 転勤(4月)
よい学校に転勤させていただいた。今まではどちらかと言えば「荒れる学校」に勤務することが多かったが、今の学校はほんとうに「学校らしい学校」である。何より、授業をするのが楽しい。本来、学校とはこうあるべきものだと思う。
② ライフプラン休暇(11月)
新婚旅行以来の妻との二人旅であった。伊豆の大沢温泉ホテルは、すばらしい宿であった。生涯の思い出に残る旅となった。またぜひ行こうと思っている。
③ mixiへの本格参加(10月)
WEB2.0などと言われる昨今、上場して話題のmixiを本格活用してみようではないかということで、支部の面々にも呼びかけて、コミュニティも作ったりしてみた。みんなそれぞれ楽しんでやっているようである。それにしても、参加者の多いことには驚かされた。また、手前の日記の愛読者ということで、内田先生の「エージェル」の日記に出てくる沢崎先生のご子息とも辱知の間柄となることができた。紹介してくださったイワモトくんに感謝!である。

「ソフトテニス編」
① 全国大会出場(8月)
もう出場することもないだろうと思っていた全国大会に、9年ぶりに出場することができた。やっぱり、「全中」はいい。しかも、ベスト16。申し分のない結果であった。連れて行ってくれた選手たちに感謝!である。
② 教え子たちのインターハイ(8月)
沼津K学園高のKKコンビが、大阪インターハイに出場した。暑い中であったが、その晴れ姿を見ることができた。何よりである。
③ 水が引かないテニスコート(5月)
本校のテニスコートは、ほんとうに水捌けが悪い。とにかく、自然乾燥を待つしかないのだ。気温の高い日ならいいのだけれど、冬ともなれば雨天後少なくとも3日間はコートが使用できない。さらに、秋冬には枯葉が舞い落ち、コート面のほとんどが埋め尽くされてしまう。うう、篤志家のどなたか、コート造成代を寄付してくださいませんかあ?

「麻雀編」
① 年間王者(12月)
これを書いている時点で、まだ最終結果は出ていないのだが、このままでいけば初の支部年間王者に決定しそうである。年明けからのスタートダッシュが効いたと思う。かくなる上は、来年も連覇を期すのである。
② 本部連盟との対戦(4月)
内田先生からは「浜冦」と呼称されるほどに、支部の面々が大勝を収めた対戦であった。中でも、支部では「最弱」と言われている下野国ことヤイリくんなどは+100以上という結果で、「また芦屋へ行って、ヒラオさんと囲みたいでえす!」などとほざいているほどである。かく言うワタシも、「アオヤマさんと囲みたいでえす!」(ウソです)
③ 浜松の弱雀小僧(2月)
その下野国ことヤイリくんであるが、何と初の役満(大三元)和了(振り込みヨッシー)直後に、あろうことか親に四暗刻単騎を振り込んだのである。これは驚いた。同時に、ヤイリくんの麻雀における勝ち運のなさを実感させられた。その後、ヤイリくんも着々と腕を上げているのではあるが、今年も支部年間最下位が決定したのである。ヤイリくんには、もっと修行を積んでもらいたい。

「感動編」
① ファイターズ、甲子園へ(11月)
横殴りの雨の中、わがファイターズが5年ぶりに関西リーグを制した。今年もいい試合であった。その甲子園ボウル、キックオフ時は晴天、ハーフタイム後から雨が降り出し、またもや雨中の観戦となったが、これもいい試合であった。試合には負けたけれど、ファイターズらしさを存分に見せてくれた試合であったと思う。
② 教え子たちのインターハイ出場(5月)
沼津K学園高女子ソフトテニス部が、21年ぶりに県の団体を制覇、さらには教え子のペアも個人戦でもインターハイ出場を決めてくれた。卒業後の活躍ぶりを見られるのは何よりうれしい。スガイ先生に感謝!である。
③ 合気道昇級審査(5月)
自分でも、これほど体が動くのかと感心させられた。たぶん、一緒に審査を受けたマッちゃんのおかげもあると思う。途中、稽古がつまらないと思うようになったこともあったりしたが、ウッキーのアドバイスや芦屋での稽古を受けたこともあり、そんな迷いもなくなった。順調に稽古に参加すれば、今度は1級の審査である。まあ、審査のためというよりも、「自分の体の持つ可能性を知るため、常に課題を持って稽古に臨む」という姿勢で励みたいと思う。

「読んだ本編」(内田先生の著作は除く)
①『義務教育を問い直す』(藤田英典/ちくま新書)
現在の義務教育の抱えている諸問題を、これほどきちんと整理してとらえた本はないであろう。さらには、今後の方向性も示されている。義務教育に関わるすべての人に読んでほしい著作だと思う。
②『UFOとポストモダン』(木原善彦/平凡社新書)
「新たな神話のベールがはぎ取られ真相が暴かれたとき、そこに見出されるのは、近代の理想でもなく、虚構的な陰謀でもなく、ある意味で現実的な攪乱者の姿でしょう。神話のベールをかぶった現実。そこにある神話性を見破るのはおそらく容易なことではありません」(193頁)UFOを題材に、近代の神話の流れを俯瞰しつつ、これからの都市伝説がどのようなものになっていくのかをわかりやすく解説している。なかなかおもしろかった。
③『漢詩のこころ』(林田眞之助/講談社現代新書)
空海から漱石まで、日本人による作詩を鑑賞した本である。特に気に入ったのは、恒遠醒窓の作品。恒遠は、幕末の儒学者。豊前宇島の生まれ。広瀬淡窓に詩才を認められ、長崎に遊学したのち、帰郷して私塾の自遠館を開いた人物。「矮屋田園の裏、疏籬野水の東、功名是れ何物ぞ、閒臥して松風を聴かん」(「松風窟」)
こうして挙げてみると、新書ばかりである。まあ、なかなかじっくり読書する時間もない身には、新書が手頃な読み物ということか。いつもは夏休みに「重い本」を読むのだが、今年は試合の関係でじっくり本を読めなかったということもある。そう言えば、今年は新書の創刊が相次いだ。「新書の時代」である。

「購入したCD編」
① C.アイヴズ作品集/M.T.トーマス、シカゴSO他
20世紀アメリカの作曲家、チャールズ・アイヴズの作品集。全ての交響曲と、主な作品のほとんどが入っている。指揮者もオケもいいから、当然演奏もいい。確か、CD3枚組で2,000円くらいだった(三宮のHMVかナンバのタワレコ)。これはいい買い物をしたと実感した。
② バレエ組曲「ロメオとジュリエット」(プロコフィエフ)/スクロヴァチェフスキ、ケルンRSO
かのソフトバンクモバイルCMのバックに流れる曲の原曲。娘に「なんていう曲だあ?」と聞いて教えてもらって購入。演奏はいい。しかし、指揮者の名前は舌を噛みそうである。
③ ミニグルーヴオーケストラ/L.O.V.E
これって、一応ジャズって言うのだろうか?よく知らないけど、新鮮な響きだった。帰り道、車の中で聴くとなかなかいい感じなのである。

「教育関係編」
① いじめによる自殺
あまりにも多くの中高生が自殺してしまった。教育現場として深刻に受け止めるのはもちろんであるが、メディアの報道のあり方を問いたくなった。
② 教育再生会議
何を話し合ってんだか。思いつきの提言はお願いだからやめてほしい。
③ 教育基本法改正
そんなに必要なことなの?と思うのだが…。

「購入したもの編」
① VHS・HD・DVD録画再生機
これで、わが家でもDVDを見られるようになった。しかし、HDに録画するのは便利である。ビデオテープを買わなくなった。
② クロッグのサンダル
履きやすいし、軽いし、疲れない。これを履くと、もう他のサンダルは履けません。
③ ユニ・アルファゲル多機能ペン
グリップがプニュプニュしてて書きやすい。シャープと赤・黒ボールペンがセットになっているのもよい。愛用してます。

「番外編」
① プリウスの燃費がリッター25キロを超えた!
ライフプラン休暇の伊豆旅行時に記録。だいたい、給油は月1回、40リッター。「ガソリン代が助かるわあ~」とは、妻の弁。
② パチンコに行かなくなった
長期休業中や時間の空いた平日などにちょくちょく行っていたが、10月以降まったく行かなくなった。きっかけは、ヨッシーが「もうボクはパチンコやめます!」宣言をしたので、「んじゃあオイラもつき合うわ」と二人で行かないようにしたこと。負けたときのムカムカ感がないのは、精神衛生上きわめてよい。
③「エヴァンゲリオン」を全巻見た
それまでは「けっ、あんなもんオタクが見るもんだろーが」などと思って何の関心もなかったのだが、TUTAYAの会員になったので、「借りてみっか」と見始めて、ハマった。大阪で大迫力くんと会ったときにエヴァの話をしたが、結論は「よくわからん」ということで一致。日本橋の電気店街でエヴァ弐号機のフィギュア見つけ、思わず衝動買いしてしまった(バカだねえ)。そのフィギュアは、家のマックミニの横にちょこんと端座している。

以上です。ちなみに、以上の項目のトップのみを列挙すれば、「十大ニュース」となります。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。きっとよいお年を迎えられることと思います。

2006年12月31日

スーさん、大晦日に思うこと

12月31日(日)

今年も、残すところあと数時間となった。

昨日までは、毎年恒例の中体連ソフトテニス部大阪忘年会に参加していた。行くのに難儀した。「ETCを有効活用したいから、ちょっと早めに出ましょう」というオノちゃんの提案でいつもよりは早めに出発したのはよかったのだが、伊勢湾岸道に入ったころから雪がちらほら降り出した。と、見る間に視界を遮るほどの雪になった。雪の関係だろうか、名古屋港を渡り終えたあたりから渋滞となった。交通情報を聴くと、「四日市まで30キロほど渋滞しています」とのこと。それもそのはず、東名阪道の手前で一車線を塞いでみんなチェーンを装着しているのである。

高速道は諦めて下道を走ることや、車を四日市辺りで乗り捨てて電車で大阪まで行くことなどが提案されたが、名阪国道は雪も降っていないし流れているということを聞き、「まあそのまま行ってみようや」ということで東名阪道へ。幸い、東名阪道はそれほどひどい渋滞ではなかった。そのまま名阪国道を西へ。結局大阪到着は夕方の5時。何と、9時間近くもかかってしまったのである。

忘年会には間に合った。いつもの「母や」にて、てっちりを存分にいただく。翌日は、ミナミにてショッピング。今回初参加で、あまり大阪のことを知らないシンムラくんにお付き合いして、いろいろな店を回った。妻と娘から購入してくるよう命ぜられていた財布も無事にゲットして、帰途に就く。

で、今日は朝から家の掃除。まずは、居間のPC周りの片付け。今までPC横にあったテーブルを移動し、もう少し使い勝手がいいように、ホームセンターでテーブルとその下に入れるボックス等を新調し、せっせと整理に励む。ひととおり終わったところで掃除機と雑巾がけ。

午後は浴室の掃除。なかなか落ちないカビを、バスマジックリンとカビキラーを相互に発射しながらきれいにしていく。夕方近くまでかかってようやく終了。例年、わが家の大晦日は兵庫県の香住港から直送してもらった松葉カニの「カニすき」。これが得も言われぬほどに美味である。もちろん、最後は雑炊、そして年越しそば。静かな大晦日である。

さて、本部連盟に倣い、今年の支部の最終結果を記しておこう。本部と違って勝率等は出しておらず、トータルのプラスマイナスで順位が決定されている。では、謹んで「2006年甲南麻雀連盟浜松支部年間順位」をご報告させていただきます。 
1位 支部長 +696(ええい、下がりおろう!初の年間王者)
2位 オーツボくん +504(猛追及ばず)
3位 オノちゃん +348(シューマッハの引退とともに、雀力にも翳りが…)
4位 元消防団員 +253(コバルト爆弾炸裂!親の四暗刻単騎が効いた)
5位 ケイイチくん +34(アサリの酒蒸しを食べて勝つ!)
6位 スガイくん −122(コ、コンビ麻雀だあ!)
7位 シンムラくん −124(正式会員に認定いたそう)
8位 ヨッシーくん −464(昨年王者だったが、ヤイリくんに大三元を振り込んでからツキがない)
ビリ ヤイリくん −877(よえ〜)
番外その1 ハラくん +50(K学園高男子ソフトテニス部顧問、1回だけ参加。つえ〜)
番外その2 フミタカくん −34(1回だけ参加、これからもやろうね)
さて、来年は?

せっかくなので、ヨッシーが記録していた「20世紀の記録」もご紹介しておこう。
1位 オノちゃん +1,321(フェラーリ!)
2位 オーツボくん +1,239(やっぱり麻雀はダマですよ)
3位 支部長 +256(プラスでよかった)
4位 ヨッシー −1,184(じっと我慢の子であった)
ビリ 元消防団員 −1,364(意味不明な言動多し)

では、みなさま、よいお年をお迎えください。

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