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2006年11月 アーカイブ

2006年11月14日

スーさん、いじめについて語る

11月13日(月)

このところ、メディアは毎日のように中高生のいじめによる自殺を報じている。

「現場の教員はこの事実を真剣に受け止めるべきだ、全国にはこんなにもいじめで悩んでいる子どもたちがいるってことじゃないか!」
「教育現場が荒廃していることの証左だ」
「学校に通う子どもたちには、それだけストレスが溜まってるってことなんだ」
「そのストレス発散の対象として、おとなしかったり、ちょっと気の弱い子どもたちがいじめのターゲットになっているじゃないか」
「先生たちは、そんな子どもたちを守ってやってるのか?」
「先生の目の届かないところで、密かに陰湿ないじめが進行しているんだろ?どうして気がつかないんだ?」
「守ってやるどころか、先生が率先していじめを助長しているってことだってあるじゃないか!」
「いじめられている子どもたちは、自らの命と引き換えにいじめをなくしてほしいって訴えてるんだ!」

そんなメディアの声が聞こえてきそうである。

おっしゃるとおり。返す言葉もない。でも、敢えてメディアの方々にお願いをしたい。もうこれ以上、いじめが原因と考えられる自殺についての報道は、自粛していただけないだろうか。

確かに、子どもが自らの命を絶つというような悲愴なことはあってはならないことである。その原因と考えられることが、いじめであるということも、学校はもちろん社会全体が考えなければならないことであろう。ましてや、教師の心ない言葉がいじめのインセンティブになるようなことは沙汰の限りだろうし、学校の現場を預かる教師としては、それらの声に真摯に耳を傾けなければならないであろう。そうして、これ以上いじめによる自殺者が出ないよう対応していかなければならないであろう。

メディアが、いじめによる子どもの自殺という事実、そしてそれを助長しているかのような教育現場の等閑ぶりを世に問う目的で報道したくなる気持ちもわからないではない。しかし、賢明なるメディア諸兄姉のことだろうから、発達段階にある子どもたちが、メディアの報道に接してそれと同様な行為に及ぶことがあるということくらいは、知悉されていることであろう。そして、それも十分に勘案された上で、「しかしこれは断じて報じなければならない」というメディア人としての使命感のようなものに突き動かされての報道であろう。

でも、もう報道はやめてほしい。これ以上子どもたちの自殺者が増えるような要因をつくってほしくない。メディアに関わる人たちも、「いじめによる子どもの自殺者が増えること」を望んではいまい。何をもって「メディアの良心」と言うのかはよく知らないが、少なくともこれ以上の報道は、いたずらに自殺を幇助するだけの結果をしかもたらさないような気がするのである。

現場の教師としては、文科省の主導で行われてきた「心の教育」だけでは、いじめによる自殺に十分対応できないということも肝に銘じるべきであろう。内田先生は、ちょうど昨年の11月の日記で以下のように書かれている。

“想像力の弱い人間は、個体としての自分の死さえうまく想像することができない。
成長し、さまざまな経験を重ね、愛したり、憎んだり、出会ったり、別れたり、得たり、失ったり・・・気の遠くなるほど長い歴程の「後に」、老いたり、病んだりして、いままさに死のうとしているときの「私の気持ち」を想像することができない。
そういう想像力の弱い人間であっても、「死んだ私」を想像すること抜きには、「いまのリアリティ」を確保することができない。
想像力がないために「今の私」とはまったく別の人間となった「私」を想像できない人間が想像する「死んだ私」というのは、「今の私のままの人間が死んだときの私」である。
それは成長も経験も出会いも変化も加齢も何も起こらない「無時間的な人生」が終わる瞬間の私である。
「無時間的な人生」というのは論理矛盾だが、ひとつだけそれを具体化できる契機が存在する。
自殺である。
自殺というのは「今の私」という無時間的存在者が、「今の私ならざるもの」へと私を拉致し去るかもしれない時間を支配し返すための唯一の方法である。
わかりにくくてすまない。
とにかく、「今の私」のままで「私という物語」を最後まで読み終えたいと願う人間には、自殺という方法がある。
あるいは、自殺という方法しかない。
それゆえ、「今の私」であることに固執し、かつ「今の私であることのリアリティの希薄さ」に耐えられない人間は、「今の私のまま死んだ私」という想像的消失点を立てることでかろうじて、今の無意味さと非現実性に耐えることができる。
だから、自殺サイトが繁昌する。
逆説的な話だが、「今この瞬間をやりすごすためには、自殺することを想像するしかない」という事況は「よくあること」なのである。
それは想像力の不足がもたらす出口のないループである。”

想像力の不足ということで言えば、社会的な経験も乏しい子どもたちが、より「死に近い存在」であるということは言えよう。また、刹那的な快楽の追求だけが「今を生きる」ためのイデオロギーとして子どもたちの間に親炙されるようになってからかなりの時間も経っている。そんな子どもたちの現状を鑑みるとき、「今の私とは全く別の人間となった私」を想像できるようにするということ自体が困難なことでもあろう。

現場の教員としてできることは、日々の教育活動のあらゆる場面で、子どもたちが「昨日の自分とは違う自分」になっているということを発見させていくことであろうか。「先生、わかった!」「ボクもその気になればできるんだね」という自覚へ至らせるための導き、子どもたちが自らの成長を実感できるような実践を積み重ねていくしかないのであろう。

少なくともそれは、今の政府が焦眉の急として成立させようとしている教育基本法の改正とは、最も遠いところにあるものであるとも言えよう。とにかく、自分にやれることから地道に取り組んでいくしかない。

2006年11月21日

休日を待ちながら

11月20日(月)

こんなにも待ち遠しく思うものなのかと、今さらながら自分でも驚いている。

あんまり職場では大きな声で言えないのだが(言ってるけど)、ライフプラン休暇のことである。特に、今週の水曜日から不肖の妻と出かける伊豆温泉ツアーは、よおく考えてみると新婚旅行以来の二人旅ということで、(柄にもなくときめいちゃったりしていて)とにかく仕事にならないのである。

こういうことはあまり紹介したくはないのだが、手前が結婚するときの条件というのが、「部活動の指導をしたいので、とにかく日曜日とか休日は言うに及ばず、夏休みとか冬休みとかも、二人でまたは家族でどこかへ出かけたりするようなことはたぶんできないと思います。それでもよかったら…」というものであった(「でも、その分、部活動では成果を出します」というオマケもついてたけど)。

妻はそれを承諾してくれた。以来、18年の余。まだ乳児だった娘を連れて兵庫県の香住へ行ったことと、前任校でお世話になった校長先生夫妻と一緒に長野へリンゴ狩りに行ったくらいで、とにかくおよそ家族と旅行などというものはしたことがなかったのである。

言い訳がましいのだが、自分の中では当時世に喧伝されていた「ニュー・ファミリー」なるイメージはどうにも落ち着きが悪かった。
「なにい?妻と手を繋いでスーパーで買い物だとお?なことできるわけないだろうが!」
「乳母車に子どもを乗せて近所をお散歩だとお?やってらんねえ」
「休みの日はキャンプう?バーベキューってか。黒こげの肉なんぞ食いたかねえやい、ガンになっちまうじゃんかよう」
などと嘯いていた(言ってないけど)のである。悪い夫、また父であった。許してほしい。

さすがに、そろそろ知命を迎えようかという歳ともなると、かつてのようなことは言ってられない。孔子は「天命を知る」と宣わったが、自分としては「自己の限界を知る」と解釈した方がよいのかもしれない。とにかく、今まで生きてきた時間よりもこれから生きていく時間の方が短いということに気がついたのである(これも今さらながらですが)。

そう思うようになってからは、休みの日で午前中に部活動が終わると、すぐに家に帰って掃除機をかけたり、自分の着るものは言うに及ばず妻や娘の服も片付けたり、家の中で壊れている箇所を補修したりと、少なくとも家の中で自分にできることはやるようにしようと努めてきた。

これは、内田先生の影響も大きい。先生が「アイロンかけは楽しい」とおっしゃっていたから、初めは半信半疑で始めたアイロンかけであったが、今ではすっかり定着した。家事も、やってみるとそれなりに楽しくできるものだと実感するようになってきたのである。そんな生活ぶりが日常化してくると、今まで以上に家族のことも大切に思うようになってきた。

そんな経緯もあっての今回の伊豆旅行である。楽しみでないはずがない。幸い、宿の予約をお願いした旅行社の営業マンがガイドブックを進呈してくれた。それを見ながら、妻と「お昼は松崎港のすぐ近くにある地魚料理店で食べよっか」などと話をしているのである。何とも楽しいひとときである。今回の旅行には娘も誘ったのだが、「学校あるから…。いいよ、たまには二人で行ってくればいいじゃない。私も受験が終わったら連れてってもらうから」と言ってくれた。ありがたいものである。

プリウスでのんびり走りながら、途中下車もよし、伊豆の山海の珍味を賞味しながら、のんびり温泉に浸かってゆったりとした時間を過ごす。何と贅沢なことであろう。天気予報では、勤労感謝の日に雨が降るような予報であるが、なあにどうってことないのだ。雨の伊豆もまたよし、ではないか。

ううう、早く行きたい。

休暇の後半は、神戸行きである。日曜日に予定されている神戸ユニバ競技場での決戦(関西学生アメリカンフットボールリーグ最終戦)を見届けなくてはならない。越後屋さん改め、ゑびす屋さんたちとの再会も楽しみである。そして、試合終了後は三宮にて小宴。内田先生も駆けつけてくれるとのことである。

あああ、何と楽しみな休暇であるか、あああ。

2006年11月24日

至福の旅

11月24日(金)

休暇の前半、伊豆旅行が終わった。

何と贅沢な旅行であったろうか。「贅沢」とは、こういうことを言うのかと改めて実感させられた。

今回訪れたのは、伊豆の松崎から那賀川沿いに少し山間に入ったところにある「大沢温泉ホテル」である。正直申し上げて、今回の止宿で手前の「温泉宿」に対するイメージは一変してしまった。とにかく、すばらしい宿だったのである。

浜松から松崎へはおよそ250キロ弱。通常ならば東名沼津インターで下車して伊豆方面へと向かうのであるが、せっかくETCを装着しているのだから「通勤割引」を利用しない手はない(だって高速料金が半額!ですよ)と、ちょうど浜松西インターから100キロ弱の清水インターで降り、そこから国道1号線のバイパスを走ることにした。

別に急ぐ旅ではなし、「まあ、お昼を松崎で食べるくらいで行こっか」ってな旅である。助手席に乗った妻は、しきりとガイドブックを見ている。「へ〜え、美術館とかあるんだ、見てみたいな」とか、「ここ景色よさそうだな〜」などと独り言ちている。楽しそうで何よりである。

手前はと、運転する身には好きなバックミュージックが必要だと、出発前にあれこれ考えた末、ちょうど3時間ほどの音楽といえばこれしかない!とバッハの「マタイ受難曲」のCDをセットしてきた。何もねえ、妻と二人のドライブに、よりによって「受難曲」をかけていかなくてもいいだろうにとも思ったのだが、これがまた何ともいい雰囲気なのである(妻はどう思ったか知らないが)。

さて、沼津、三島を抜け、韮山から伊豆長岡を通って修善寺へ。天城越えの手前から船原峠を通って土肥へと降り、そこから西伊豆の海岸線を走る。途中、駿河湾越しに富士山が見え隠れする。岩場の多い景勝の地堂ヶ島を経由して松崎へ。ようやく昼食である。

ここでは、ガイドブックに載っていた地魚料理を食べることにしていた。長八美術館のすぐ向かいにある「さくら」というお店である。ここのお薦めは「鰹のまご茶漬け」。料理が出てくるまで、地元のさらし天草の心太(無料)を肴にビールを飲んで待つ。

ちょうど1本飲み終わったころに、件の「鰹のまご茶漬け」が出てきた。明日葉の天ぷらとご飯、味つき玉葱のスライスの上に丼を埋める鰹が乗っている。「玉葱がしなっとするまで、鰹と一緒にまぜてくださいね、で、半分だけご飯にかけて食べてください。食べ終わったら、残り半分をまたご飯にかけて、カウンターまで持ってきてください」とのことである。それにしてもすごい量だ。

言われたとおりに、鰹と玉葱をわしわしとまぜ、ご飯を半分だけよそって、その上にかけて食べてみる。う、う、うまい!あっという間に平らげてしまう。さらに残り半分をセットしてカウンターまで持っていくと、何とあつあつの魚スープをかけてくれた。これで「茶漬け」にするのである。鰹はあつあつスープで表面がやや白んでいる。刺身で食べるのとはまた違った味が楽しめるというわけだ。「こんなことならビールなんか飲まなきゃよかった」と後悔するほどお腹が満たされる。「これって、漁師さんたちが船の上で食べてたような感じの料理だよね」と妻。

飲んだら車の運転はできない。ここからホテルまではそんなに距離もないので、妻とドライバーを交代。「うう、食べ過ぎて、く、苦しい」と助手席に乗り込む。妻はプリウスを運転するのが初めてである。「ちょっと恐いなあ」と言いつつ、ナビに導かれてホテルまで。そのナビが「目的地周辺です、音声案内を終了します」と宣わった。「って言われても、ホテルらしきものないよねえ」と妻に言われるままに辺りを見回す。確かに普通の民家が建ち並んでいるような場所である。と、ちょうど土塀が切れたところにホテルの看板が見えた。「ここだここだ!」と左折したとたん、大きな水車が目に入る。そこが、目指す大沢温泉ホテルであった。

駐車場らしい駐車場もない。
「入口、どこ?」
目の前にある建物には「歓迎」と書かれている。
「あそこから入るんじゃないの?」
大きな木戸の一隅に、障子の戸があった。そこをくぐって中に入ると、大きな土間であった。右手がフロントである。誰もいない。呼び鈴が置いてあった。ちりんと鳴らすと、奥から人が出てきた。
「こんにちは、浜松のスズキです、あのお、車はすぐ前に停めておけばいいですか?」
「ようこそいらっしゃいました、今ご案内いたします」
こうして、贅沢な時間が始まったのである。

フロントを抜けると中庭である。廊下伝いに部屋へと案内される。静かである。部屋を案内してくれた従業員からいろいろとお話を伺った。荷物を置いてお茶で一服したあとは、まずお風呂。大きな浴場は二つ。日によって男女を分けているとのことである。この日は、男性用がより大きな浴場(「庄屋の湯」)、女性用はやや小さめではあるが露天風呂付きの浴場(「化粧の湯」)であった。また、宿泊している棟の屋上は露天風呂になっていて、これも日によって男女の使用が分けられていた(この日は女性用)。

その「庄屋の湯」、総檜造りの湯船が二つある。高い天井の天窓からは自然光が零れてくる。先客が一人入っていたがほとんど貸切状態である。「ここの温泉はあんまり熱くないんですよ、ですから熱いお湯がお好みですとちょっと物足りないかもしれません」と従業員の方がおっしゃっていたが、確かに湯はあまり熱くはない。熱い湯が苦手な手前には、ちょうどいい湯加減である。これなら、多少長い時間湯に浸かっていても上せるようなことはない。それにしても贅沢である。大きな湯船にそれぞれ一人ずつ、湯は源泉のかけ流しである。たった二人で、この湯を独占していいものなのだろうかと思ってしまう。

たっぷり時間をかけて風呂に入り、部屋に戻ってしばし休憩。
「女性用はどうだった?」
「いやあ、よかったわよお。あなたがなかなか来ないから、屋上にある露天風呂にも入って来ちゃったわよ、夜だとたぶん星空がすごくきれいに見えるわねえ」
相当にご満悦の様子である。

などと話しているうちに夕食である。このホテルでは、すべて部屋食とのことで、仲居さんが部屋まで運んできてくれる。部屋にはテーブルも兼ねた囲炉裏がある。その上に料理を並べてくれるのである。ちなみに、メニューは以下のとおりであった。
(食前酒)蜜柑ワイン
(光付)海鼠ポン酢和え
(前菜)杉板敷き(海老の手綱巻き、秋刀魚の祐庵焼き、いが栗、鳥の二色巻き、むかご寄せ)
(造り)地魚、鮪、烏賊、甘海老、山葵の花、天城山生山葵
(鍋物)伊勢海老の宝楽焼き
(洋皿)駿河湾金目鯛燻製
(蒸し物)茄子・鶏ロール巻き、冬爪
(焼き物)太刀魚の柚香焼き
(飯物)桶寿司
(吸い物)白子豆腐・まいたけ・小メロン・柚子
(お新香)自家製大根味噌漬け等
(水菓子)柿・メロン・桃のゼリー寄せ
どれも残さず食べてしまうほどおいしい料理ばかりであった(ちょっと間をおかないととても食べきれなかった)。昼に食べ過ぎたことを後悔した。

食事の後は、入口の土間のところで餅つき。こういうことになると、不肖の妻は俄然やる気を見せる。「どなたか…」と誘われるままに杵を振り上げている。やれやれ。そのつきたての餅を賞味しながら、宿泊客が全員ロビーに集まって、このホテルの由来等についてお話を聞く。何と、フロントのある母屋は築300年だそうで、今は重要文化財に指定されているとのこと。中庭を隔てた土蔵の一部は資料館になっている。この宿全体にゆったり流れている時間は、そんなところから醸し出されてくるのだろうと思われた。

それにしても、この日の宿泊客は全部で13人。休日前ということを考えれば、決して多くはない客であろう。何よりいいのは、こういう雰囲気の宿であるから、若いお姉さん方がいないこと。「ウッソー、ホントにい?マジでえ?すっごーい!」とかいう声が聞こえないのがうれしい。と言うか、宿泊の値段を考えれば、若い方たちはそうおいそれとは泊まれないのであろう。

お話の後は、再びお風呂へ。もう、何度でも入りたくなってしまうのである。今度は一人で貸切。言葉が出ない。ややぬるめの湯であるのだが、湯上がりに湯冷めすることがないのが不思議である。体が芯から温められるという感じである。運転の疲れもあり、そのまま布団に入って朝まで熟睡。

翌朝、天気予報では朝から雨とのことであったが、雨は降ってない。「おーし、露天風呂行ってくるぞお」と、昨日入れなかった屋上の露天風呂へ。やや寒かったが、なあに入ってしまえばこっちのものと、エイヤっと風呂に飛び込む。極楽である。湯上がりに食べる朝食もまた格別であった。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。入口のところで妻と記念撮影をし、後ろ髪を引かれる思いでホテルを後にする。
「また来たいね」
「これから、毎年この時期に泊まりに来よっか」
ということで、11/22〜23を「大沢温泉の日」とすることが決定された。めでたしめでたし。

帰り道は早い。途中、沼津港の魚市場内にある「双葉寿司」で昼食(ここのお寿司も絶品!)をとったあと、今回の宿を紹介してくれたK学園高のスガイ先生へのお礼を兼ねて、雨天順延となった県高校新人大会個人戦をやっている会場に立ち寄る。妻も「どうしてもお礼が言いたい!」と言っていたのだ。教え子たちがベスト8をかけて敗戦したところで帰途に就く。

いい旅であった。生涯の思い出に残る旅の一つになるであろうことはまちがいない。何より、妻が「あ〜ホントに幸せ〜」としみじみ言ってくれたのがうれしかった。行ってよかった。

さて、明日からは神戸・大阪行きである。明日の夜は、久しぶりに大迫力くんたちとミナミで宴会。これも楽しみである。そうして、日曜日はフットボール観戦、終了後は内田先生宅にて開かれているゼミ卒業生たちの宴会に合流することになっている。いやあ、後半も充実した休暇になりそうである。

2006年11月28日

スーさん晩秋の二都ツァー

11月27日(月)

休暇の後半は、土曜日から大阪へ。夕方から、大迫力くんがセットしてくれたミナミでの「ちりとり鍋」宴会である。

実は、土曜日の宿が全く取れなかった。例年、この時期は京都の紅葉見物客が大阪・神戸にまで溢れ出し、京阪神の宿は(特に休日前は)ほとんど空いていない。たまたま、いつも年末大阪忘年会で宿泊しているホテルに直接連絡を入れたところ、「1部屋だけなら空いてます」と返事だったので即座に予約を入れ、何とか宿を確保することができたのである。

大阪に泊まるのならと、「ミーツ」の取材でいろんなお店に詳しいと思われる大迫力くんにすぐさま連絡を入れたところ、「夕方からは予定ないっすよ。おいしいもん食べましょう。ドクターとか他の人たちにも連絡入れときますね」というお返事。いやあ、持つべきは「内田ゼミ聴講生仲間」である。

大阪には昼過ぎに到着。とりあえず、餃子とビールで昼食。喉が渇いていたのと、餃子との相性がよかったのとで、つい2本も飲んでしまう。そのままホテルにチェックインして、近くをぶらぶらとショッピング。と、どうも靴の中で足が滑るような感じがするなあと思って靴を見たところ、何と!靴底とアッパーを綴じ合わせていた部分が所々見事に分離して、あんぐりと口を開けているのである。

この靴は年に数回しか履かない靴で、街中を歩き回るときだけ使用していたものである。でももうたぶん10年くらいは履いている。寿命と言えば寿命であろう。とりあえず、靴は買わなくてはならない。難波の辺りを「靴屋靴屋」と呪文のように唱えながら歩き回り、まず目に入った店で「歩き回るのにタフな靴で、防水加工がしてあるヤツください」とお願いする。いくつか見せてもらい、すぐさま購入する。もちろん、壊れた靴の処分もお願いした。

そんなことをしているうちに、大迫くんから何度かメールが入る。「もうそろそろ出られそうです。今どちらにおられますか」とのことである。「タワレコの6階にいるよ」とお返事をして、大迫くんを待つ。程なく合流。「結局、イワモトくんと3人だけになりました。みなさん、都合が悪いみたいで」と恐縮していたが、とんでもない、無理を言って「飲みましょう」と持ちかけたのは手前の方である。一緒に飲んでくれる人がいるだけで十分なのである。

イワモトくんとの待ち合わせ時間にはまだ間があったので、「ちょっとフライングして熱燗でも飲みましょう」ということになり、法善寺横町近くの「久佐久」というお店へ。鯵の刺身やらをつまみながら日本酒をいただく。そのうちにイワモトくんからも連絡が入ったので待ち合わせの心斎橋へ。メイン宴会は「ちりとり鍋」である。行く前までは、てっきり「トリちり鍋」なべだとばかっかり思っていた。違うんだよね、「チリトリ」って、あの学校の掃除の時間とかに使用するヤツのことだったのである。そのちょうどちりとりくらいの大きさの鉄板の上で、モツやらを甘辛のタレで煮焼き?しながら食すのである。これがうまい!つい、ビールをごくごくと飲んでしまう。仕上げはうどんを投入。しみじみとおいしい。

満ち足りた気分のままに、今度は「Bar Jazz」に移動してバーボン。さすがにこのへんから酔いが回ってきた。「ではそろそろ」ということで宿へ戻ることにする。いやあ、大迫力くんにはたいへんお世話になりました。おっしゃるとおり、「ちりとり鍋」は絶品!でした。イワモトくんもわざわざ大阪まで駆けつけてくれてありがとございました。

明けて日曜日は、二日酔いでぼーっとした頭のまま神戸へと移動し、まずは投宿先であるホテルにチェックイン。ゑびす屋さんとは12時半の待ち合わせだったから、それまで三宮のジュンク堂へ。内田先生の本が置いてあるコーナーで『東京ファイティングキッズ・リターン』を発見、すぐさま購入。昼食後、ゑびす屋さんと合流して、いざ神戸ユニバ競技場へ。

競技場に到着した直後からぱらぱらと雨が落ちてきた。既に多くの観客がスタンドを埋めている。特に、屋根下はほとんど空いていない。二手に分かれて場所を探すことする。何とかゑびす屋さんがぎりぎり雨が避けられそうな場所を見つけてくれたので、そこでキックオフを待つ。

フィールドでは、両チームの選手たちがウォーミングアップをしている。もちろん身贔屓であるが、ファイターズのブルーのユニフォームって、緑の濃いきれいな人工芝に映えるなあと実感する。そのうちに、カンキくんが合流。そろそろキックオフかというところで、ウッキーも合流。ウッキーは、今までアメリカンフットボールの試合を見たことがないのこと。ゑびす屋さんが隣で「解説者」を務めることになる。

さて、試合開始。ファイターズのレシーブである。立ち上がり、ファイターズのオフェンスは進まず、まずはパント。対するパンサーズオフェンスは、パスとランを巧みに交ぜておもしろいように進む。幸い、反則による罰退もあって得点には結びつかない。しかし、このまま第1Qが終了しようかというところで、パンサーズがまずは先制する。

うう、今年もパンサーズは強いわいと思っていたのだが、第2Qに入るとファイターズのオフェンスもだいぶ進むようになってきた。ディフェンスのアジャストもよくなってきている。ファイターズが押し気味にボールを運び、ついにエンドゾーンまで迫った。そして、QBがキープしてタッチダウン!あれ?ボールをこぼして転がってるぞお?おいおい!おおお!拾った拾った!やったあ!ファイターズQBがファンブルしたボールを、ディフェンスラインの選手が押さえてタッチダウンしたのである。これで同点。

勢いに乗るファイターズはそのままディフェンスもパンサーズを敵陣深くに釘付けにする。このまま第2Q終了かと思われたパンサーズの第4ダウン、パントスナップが浮き上がって、パンターの上を通過してしまった!あれれ?およよ?あれってセイフティだらあ?ね、ゑびす屋さん?って、もうハーフタイムになると思ったゑびす屋さんは、コーヒーとかを買い出しに行ってくれていて不在なのである。ファイターズディフェンスの選手たちが両手を上げて喜んでいる。やっぱりセイフティだ!やったあ!これで逆転である。

この頃から、雨は横殴りにひどくなってきた。こんな中でハーフタイムショーをやらされるチアの人たちもたいへんである。さて、後半。相変わらず、パンサーズオフェンスはよく進むのだが、肝心なところで反則による罰退が響いて得点できない。ファイターズのオフェンスも、強力なパンサーズディフェンスに阻まれて進まない。試合はそのまま第4Qへ。

「去年も第4Qに入ってとんでもないドラマが待ってましたよね」とゑびす屋さん。しかし、勝利への執念だろうか、ファイターズのオフェンスがここへ来てまた進み出した。敵陣まで攻め入り、エンドゾーンまでインチを残してRBがダイブ!これで16−7。でも、まだ安心はできない。何せ、相手はここ4年間もファイターズを甲子園から遠ざけてきた強敵なのである。

案の定、試合終了まで2分を切ったところでパンサーズは見事なパスでタッチダウンを奪う。差は2点。当然、オンサイドキックである。「ここでボールを取られなければたぶん勝ちです」とゑびす屋さん。パンサーズはノーバウンドで自校の選手をねらってきた。しかし、ボールはファイターズの選手が押さえた。これでほぼ勝利が確実になった。後は時間を消費するだけである。応援席からはカウントダウンが始まった。残り3秒、ファイターズの第4ダウン、パンターがそのままボールをキープして試合終了!ファイターズ、5年ぶりの甲子園である!

雨にも濡れてだいぶん体が冷えて消耗した。そのまま三宮へと戻って、カンキくんがご存じという餃子屋にてゑびすや屋さんたちと祝杯!夕方まで昨晩のアルコールが残っていたはずなのだが、不思議とおいしい餃子を食べ出すと、またビールが飲めてしまう。カンキくんからいろいろと部活動の指導やらについての鋭い質問などを受けながら、くいくいとビールを飲む。

祝勝会の後は、ウッキー、カンキくんと内田先生宅へ。今春卒業したゼミ生たちが集っているところへお邪魔させていただく。さっそく『東京ファイティングキッズ・リターン』にサインしていただき、教育のことどもについて、先生から興味深い話を伺う。先生とこんなに話をしたのも久しぶりである。ゼミ生たちが帰った後も「まだ終電には間に合いますよ」と言われてそのまま深更まで。先生のところは、何度お伺いしても居心地がいい。つい、時間の経つのを忘れてしまう。

こうして、計6日間に亘った休暇が終わった。しかし、有意義な休暇であった。おいしいものをたくさん食べた。贅沢な思いもさせてもらった。ふだんはあまり会えない人とも話をすることができた。ファイターズも勝った。いいことずくめの休暇であった。休ませていただいた分、明日からはまた業務に励むのだ。いい知命が迎えられそうである。

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