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2006年10月 アーカイブ

2006年10月03日

スーさん、メンタルトレーニングについて考える

10月2日(月)

新人大会は惨憺たる結果に終わった。

まあ、ある程度は予想をしていた結果だったのでそんなにショックはないのだが、予選リーグ時の試合ぶりを考えれば、もう少しやれたのではないかという気もしている。

市内の新人大会は、先月の24日(日)から始まった。夏の大会と同様に、まずは1ブロック3~4校から成る計12ブロックの予選リーグである。予選リーグを1位、または2位で通過すれば、決勝トーナメントに出場できる。合併前の旧市内新人戦は、団体戦と1年個人戦が行われていた。ところが、とても1年生の個人戦を行うだけのコートと日程の余裕がないとのことで、1年個人戦は今年から中止となった。団体戦のみでの新人戦である。

本校は、第3シード校のブロックに入っていた。シードは、前年度の1年生大会等の結果を参考にして決められているのだが、残念ながら本校は昨年の1年生大会もベスト16止まりで、とてもシードに名を連ねることができるような実績もない。決勝トーナメントにシード校として出場したければ、リーグ1位になるしかないのである。

本校の新チームは、他校に比較すればスタートが出遅れている。今夏東海大会団体3位に入賞したレギュラーメンバーのうちの1人(ジュニア経験者の1年生)が残ってはいるが、彼は前衛選手だから、ある程度ボールが打てる後衛をつけなければ、その持てる力は発揮できない。2年生は、前任のモリ先生が「すみません、ほとんど何も教えてません」という生徒たちであったから、技術的なレベルははっきり言って低い。この4月以降も、練習は3年生を中心に行っていたから、その間1,2年生はひたすら基本的なストロークの練習しかさせてこなかった。全国大会が終わって、新チームとしての練習が始まったのは、夏休みがもう終わろうかという20日過ぎからである。その間、他校がほぼ1ヶ月の練習をこなしていることを考えれば、スタートの遅れはそれなりに影響があるだろうとは思っていた(それを負けた言い訳にするというわけじゃないんだけど)。

そんなチーム状況で臨んだ今回の新人戦であったが、何と予選リーグは全勝して1位通過することができた。正直言うと、これは予想外であった。同じリーグには、昨年度の1年生大会団体戦で旧市内優勝した学校が入っていた。そこには勝てないであろうという予想だったのである。残る1校に勝ち、2位通過できれば御の字だと思っていたのだ。

その予選リーグ、初戦はどうしても勝たねばならない相手であった。本校は第2試合だったため、残る2校の対戦をじっくり見ることができた。初戦の相手校は、サウスポーの後衛選手がよくボールを打っていた。だから、その選手のペアがトップで来るだろうという予想で、左対策では相性がいいと思われるペアをトップに据えた。しかし、オーダーは外れた。相手がオーダーを変えてきたのである。相手はそのサウスポー選手を3番に持ってきていた。これなら3番まで回らずに勝てるかもしれないと思った。

試合が始まった。トップの試合は本校の2年生ペアがストレート勝ち。2番は件の前衛をつけたペアである。ところが、いきなり2ゲームを先行されてしまう。後衛選手のボールが入らないのである。しかし、相手のミスにも助けられてタイブレーク。こうなると追いついた方が有利である。挽回の勢いをそのままにゲームセット。とりあえず、トーナメント出場が決まった。リーグ戦なので、勝敗が決まっても試合は3番まで行う。その3番、やはりサウスポーのペアには勝てず、結局2-1の勝利である。

次の相手は、第3シード校である。もうトーナメント出場が決まっていたから、策は弄せず、実力順のオーダーを組んだ。トップは相手の大将ペアにストレート勝ち、2番は1ゲームを取ったものの敗戦、3番勝負となったが、3番は本校の1,2年生ペアが最初のゲームこそ落としたものの、その後は流れをつかんで勝利、かくして1位でのリーグ通過となったのである。しかも、第3シード校にも勝ったということで、トーナメントも第3シードに座ることができることとなった。

ここまでは順調だった。と言うより、「出来過ぎだった」と言うべきか。30日(土)に行われた決勝トーナメントでは、2回戦からの出場であったが、シードしたから上がってきた学校にいきなり敗退してしまったのである。どころか、県予選を兼ねた地区大会への出場権をかけた敗者復活戦でも全敗し、ベスト16校中14位までが出場できるにもかかわらず、出場が叶わない2校のうちの1校になってしまったのである。

予選リーグから決勝トーナメントまでの間、選手たちの気持ちにどのような変化があったのかは想像もできないが、少なくとも何らかの変化があったと思わざるを得ないようなゲームであった。ふだんどおりに試合ができていたのは、この夏からの経験がある前衛が付いた1年生ペアだけ(このペアは、結局全勝であった)。2年生、特に前衛陣が全く機能しなかった。それも、「おいおい、普通にボール打って相手コートに入れとけばいいんだぞ」と思わず言いたくなるようなミスを繰り返しての敗戦だったのである。練習で打てていたボールが打てなかったなどというレベルの話ではない。とにかく、自分が何をしているのかということが全くわかないままにゲームが進行し、ふと我に返ったら試合が終わって負けていたというような感じのゲームだったのである。

まあ、これはことテニスに限らず、あらゆるスポーツに共通のことであろうが、よく言われる「緊張のあまりに、ふだんどおりの力が発揮できなかった」という、お決まりのフレーズで片づけられてしまうことが起こっただけのことであろう。でも、そう簡単に片づけられてしまっては困るのである。

試合に臨んで、緊張感を感じることなくプレーできる人間などいるはずがない。ましてや、その試合が何らかのプレッシャーを感じざるを得ないような種類の試合(勝てば、上位大会に進出できる、賞状がもらえる、カップやメダルがもらえる等)であれば、必要以上の緊張感を感じつつ試合に臨むということになろう。畢竟、「どのようにプレッシャーを克服するか」ということが、あらゆるスポーツをコーチする人たちの大きな関心事となる。

だから、「メンタルトレーニング」の必要性が高唱されるのであろう。かく言う手前も、以前はその「メンタルトレーニング」なるものの文献を渉猟したり、講演を聴いたりもしてみたが、どうもしっくりこないのである。そもそも、人間の心とは摩訶不思議なものである。科学的にどこまで解明されているのかは寡聞にして知らないが、そう簡単にコントロールできるような代物ではないということは、自分自身の心のことを考えてみれば容易に想像できるというものであろう。そう思うようになってからは、選手たちに所謂「メンタルトレーニング」なるものを課すことは一切やめた。

「緊張する」というのは、あるプレッシャーから自分を守ろうとする「自己防衛本能」の発現であろう。ということは、きわめて人間的な反応である。だから、「事に臨んで緊張しない」というのは、ある意味「自己防衛本能が機能していない」とも言えよう。それでは日常生活でも困ることになる。スポーツの場面において困るのは、その「自己防衛本能」が発現すると、自分を守るために身体感度をできるだけ低くしてしまうということである。これが「体が動かない、頭の中が真っ白」という状態を作り出してしまう。これでは試合には勝てない。では、どうするか。

その一、一時的に「自己防衛本能」を麻痺させる。
でも、どうやって?薬物を使用するとか?そんなことをすればドーピングである。とりあえず、直面していることが「自己防衛する必要がないことである」と思わせるようにすればいいのだろうか。でも、「別にこの試合負けたっていいじゃん」とは言えないしなあ。そんなこと言えば、逆に集中力がなくなって雑な試合をしてしまう可能性もあろう。うーん、難しい。
その二、技術面に集中させる。
「そんなことはわかってる。プレッシャーがあるから集中できないんだろ?そのためのメンタルトレーニングなんだよ」と言う声が聞こえてきそうである。とにかく、技術の一つ一つに心を砕かせるのである。「サービスのトスはちょっと高めに」とか「ストロークの踏み込み足は踵から」などと、逐一自分に言い聞かせながらプレーさせるのである。そうすれば、余分なことは考えないで済むのではなかろうか。でも、そうやってプレーしてもひたすら相手にポイントされるようなゲーム展開になったなら、自分に語りかける余裕もなくなってくるんだろうなあ。うーん、難しい。

やっぱり、緊張しないでプレーするためには、メンタルトレーニングしかないのであろうか。あるいは、試合経験を積ませるために、ひらすら練習マッチを繰り返すしかないのであろうか。どちらもあんまり気が進まないんだけどなあ。

どなたか、ヒントになるようなことがありましたら、ぜひともご教示をお願いいたします。

2006年10月10日

スーさん、校長の知的条件について考察する

10月9日(月)

“北海道滝川市の小学校の教室で昨年9月、6年生の女児(当時12歳)が首をつって自殺を図り、死亡した問題で、同市の田村弘市長と安西輝恭教育長らは5日夜、遺族宅を訪ね、いじめを認めなかったこれまでの対応や女児の自殺を防げなかったことについて謝罪した。(中略)女児は昨年9月9日朝、江部乙小の教室で首をつり、4カ月後の今年1月6日に亡くなった。教壇に残された7通の遺書には「みんなに冷たくされている」「『キモイ』と言われてとてもつらくなりました」など、同級生からのいじめを疑わせる記述が多数あったが、市教委はこの1年余、「自殺の原因は特定できない」といじめを認めなかった。
5日に開かれた臨時の教育委員会議で「遺書の内容を踏まえ、いじめであると判断する」と、これまでの見解を一転させた。”(毎日新聞)

よくわからない。

どうして女児の自殺から1年以上経っての謝罪になったのだろう。報道にあるように、自殺の原因が特定できなかったからか。しかし、女児が縊死した教室の教壇には遺書が残されていたそうだ。それを学校関係者が誰も目にしていないなどということは考えられない。

その間の詳しい事情はよくわからないが、はっきりしていることが一つある。それは、学校・教育委員会側で、自殺に直接的に結びつくと考えられる情報(遺書等)が、(意図的であったか無意識にであったかは別にして)チェックされなかったということである。そうして、(ほとんど想像できないことではあるが)そのチェックに1年以上を要したということである。

学校現場で何か子どもに関わる事件や事故が起こった際、学校の情報伝達は以下のように行われる。
まず、その事件事故に直接関わった教員が、一部始終を教頭または校長に報告する。
次に、校長は教育委員会にその顛末を報告する。必要に応じて、PTAや自治会にも連絡をする。
だから、具体的な対応についても、当面は校長の指示、経過に伴い、教育委員会の指示にも従って行われるということになる。

今回の事件のように、遺書等に関わる情報のチェックが不十分であったということは、情報伝達のいずれかの段階で、チェックが漏れていったということである。具体的には、関わった教員か、校長か、教育委員会かということである。いずれにしても、そのチェックの遺漏に関しては、ことの重大さを勘案しても、現場教員を監督する校長と、所轄する教育委員会の失は責められても仕方のないことであろう。

学校もご多分に漏れず、タテ社会である。教員は校長の、校長は教育委員会(行政)の指示に従わなければならない(地公法第32条「法令等及び上司の服務上の命令に従う義務」)。もちろん、それに伴う責任も発生するわけであるから、今回のように最終的には行政が謝罪という形を取ることになるのであるが、現場の教員としては些か気になるところがある。

責任の所在をはっきりさせることは大切であろう。そうして、それに伴う処分が行われるのも致し方ないことであろう。地公法では、その「職責を果たせない場合」には「分限処分」(重い順に、免職、降任、休職、降給)が行われることになっている(第27、28条)。しかし、その前に校長なり行政職なりの適格性をチェックする機能はあるのだろうかという疑問である(あるのかもしれないのだが、手前は無知である)。

今、巷間では「指導力不足教員」についての議論が喧しい。従来の勤務評定とも関連させつつ、今後はその結果を給与にも反映させていく(成果主義)という動きも出てきている。もちろん、いい加減な授業を行い、分掌事務もまともにできない教員がいるであろうことは否定しない。しかし、事に臨んで適切な指示も出せず、文書事務も部下に任せっきりにしている教頭・校長がいることもまた事実であろう。一般教員の「指導力不足」をチェックするのなら、管理職にもその適格性をチェックする機能があってもいいのではないか。

あまりこんなことは書きたくはないが、仄聞するところによれば、本市にも女性教員へのセクハラ言動(「あんた胸小さいねえ」などの発言、酒の強要)や、酒席での教員への暴言がひどい校長もいるらしい。でも、「オレは新聞社にも知り合いが多いから、タレ込んだっていくらでも握りつぶせるんだよ」とか、「行政の人間とは月に1回飲んでるから、オレの息のかかった教員をいくらでも集めることはできるんだ」などと宣わっているとのことである。いくら酒席でのことであったとしても、許される発言ではなかろう。
「そんなひどい校長なら、組合とかに実態を言って、何とか善処してもらうようにすればいいじゃない」と言うと、その実態を話してくれた先生は、「でも、みんな職場に波風立てたくないし、もしもそんなこと言って自分に何か不利なことされたりしちゃイヤだって我慢してるんですよね」と力なく言った。言葉もない。

カール・ポパーは、その著『開かれた社会とその敵』(内田詔夫・小河原誠訳、未来社刊)の中で、以下のように述べている。
“知的卓越性の秘密は批判精神であり、知的独立ということである。そしてこれはどんな種類の権威主義も乗り越えられられないことが示されるはずの困難に通じるものである。権威主義者は一般に、自分の影響力に服従し、それを信じ、それに応える者たちを選抜するであろう。だがそうすることで、彼らは凡庸な者たちを選ぶことにならざるを得ない。というのも、彼は自分の影響力に反逆し、それを疑い、あえてそれに抵抗する者を排除するからである。権威者は知的に勇気ある人々、すなわちあえて彼の権威を拒む人々が最も価値のある型であるかもしれないということを認めることができない。もちろん権威者は常に、自発性を探し出す能力があると確信し続けるであろう。だがこの際彼らの意味するものは、自分たちの意図を素早く察知することにすぎず、彼らは永遠にその違いに気付くことができないであろう。(…)軍隊での昇進の方式では、あえて自分でものを考えようとする者が通例排除されるようになっている。知的自発性に関する限り、服従において優れた者が指揮においても優れているという考えほど真相から離れたものはない。”(第1部第7章「指導者の原則」138p)

教育現場がタテ社会であることは致し方ない。でも、少なくとも「軍隊」ではないはずだ。実際の現場を掌る校長には、その管理能力もさることながら、何より「知的卓越性」や「知的自発性」こそ求めたい。しかし、それはポパーの言うように「権威主義」とは相容れないものである。行政が権威主義に陥り、「自分の影響力に服従し、それを信じ、それに応える者たちを選抜」した結果、その「権威主義」にどっぷりと浸かった校長ばかりが送り出されてくるのでは現場はたまらない。

今回の滝川市のことも、そんな「権威主義」の悪弊とは無関係であったと信じたい。でも、そうやって教育現場にいつまでも「権威主義」が蔓延っているのなら、それは排除していかなければならないのではないか。

ポパーの言葉を再度噛みしめたい。
「絶対権力を与えられて堕落しない性格の人物を見出すことは困難である。アクトン卿が言っているようにーすべての権力は腐敗し、絶対権力は絶対に腐敗する。」

2006年10月18日

校内合唱コンクール

10月17日(火)

今日は校内合唱コンクール。通常であれば、学校の体育館で行うのであるが、本校では昨年に引き続き、JR浜松駅すぐ隣の「アクトシティ中ホール」にて開催することになった。

本市では、音楽発表会事業として、校内で行われる中学校の合唱コンクールを、本格的な音楽ホールである「アクトシティ中ホール」で開催できるよう教育委員会が予算を組んでくれている。原則的には、3年に1回の割合で市内の全中学校が開催するとのことである。当日のホール利用料はもちろん、ホールまでの交通費(バス代)も教育委員会持ちという、浜松市が目指す「音楽のまちづくり」に相応しい事業を展開してくれているのである。

しかし、学校によっては、遠方であることや聴きに来る保護者への配慮、生徒指導上の問題等で、残念ながら積極的に利用しない学校もあるとのこと。そうなると、せっかく準備した予算が十全に活用されなくなってしまう。本校のように2年連続して利用できるような学校も出てくるのは、そういう事情も手伝ってのことだろうと思われる。それはそれで、たいへんありがたいことなのである。

何が違うって、本格的な音楽ホールは響きが違う。外を走る車の音など、外部の音が遮断された空間には、音楽を紡ぎ出すのに必要な静寂さが担保されている。曲の完成度が高くなればなるほど、響きの良さは演奏の聴き応えに大きく影響する。学校の体育館とは比べものにならないのである(当然だけど)。さらには、照明や音響設備も違う。目映いばかりに照明の当たった舞台、逆に照明の落とされた客席。しんとしたホールに響く司会の声。全てが学校で行う場合とは比較にならないのである。

こういう空間での振る舞いは、きわめて定型的に行われなければならない。司会は、「お決まりのフレーズ」を多用しなければならないし、客席での振る舞いもお行儀よくしなければならないのである。それができるかできないかで、生徒たちの文化資本を量ることができるとも言えよう。

その点、本校の生徒たちは、きわめて場に応じた振る舞いをすることができる。司会も挨拶も、ほとんど台本なしで行えるし、静かにしなければならない場面では、それこそ物音一つしない静寂さを保つことができるのである。よい子たちである。

さて、合唱コンクールである。

オープニングは、リコーダーの演奏。地区・県予選を抜けて、来年3月に全国大会に出場する生徒たちによるアンサンブルである。曲目はドビュッシーのピアノ曲をリコーダー用に編曲したもの。静かな雰囲気のままに開会式が始まる。選択音楽の器楽合奏を挟んで、まずは1年生の合唱。

本校は、1年生4クラス、2,3年生3クラスの計10クラスである。学年全体の生徒が舞台に乗っても、十分合唱ができるということから、それぞれの学年の発表の前には学年全員の合唱が行われる。1年生の合唱は、まだ声変わりをしていない男子生徒もいるから、2,3年生のように張りのあるテノールやバリトンの声は期待できない。しかし、ソプラノの女子生徒に2,3人混じって歌う男子生徒のボーイソプラノもなかなかいい声なのである。どのクラスも甲乙つけがたい出来映えである。

そうそう、本校では、クラスの合唱を発表する前にそれぞれの学級担任が曲の紹介をすることになっている。これがまたいい。歌詞を紹介しながらクラスへの思いを語る担任、練習への取り組みぶりを紹介しながら生徒たちの未来を語る担任、一つの物語を作って曲を紹介する担任と、それぞれ工夫を凝らして曲の紹介を行うのである。何より、担任の思いがじんと伝わってきて、つい「どんな合唱を披露してくれるのだろう」と思ってしまうのである。

2年生の合唱が始まった。コンクール前から、2年生の下馬評は高かった。本校では、各学年の最優秀賞受賞学級の中から最もすばらしい合唱を披露した学級に特別賞が贈られることになっている。通常は3年生が選ばれるのであるが、今年は「2年生が取るのでは」と専らの評判であった。それだけ、練習段階からレベルが高かったということなのであろう。

合唱が始まった。トップはその「特別賞」候補の最右翼と言われていたクラスである。曲は「風のめぐるとき」。混声4部で中学生のクラス合唱としては演奏が難しいのではないかと思われる曲である。う、う、うまい!指揮者も抜群!これがクラス合唱であろうかと思ってしまうほどのすばらしい合唱である。クラス合唱というと、その声の大きさとかがまず話題になるのだが、いくら大きな声で歌おうとも、それが地声の場合には響きがよくない。このクラスの生徒たちは違うのである。特に女子生徒の声がすばらしい。本格的な合唱団の声かと聞き紛うほどの声なのである。

次のクラスは「木琴」。これまた、すばらしい合唱である。歌詞の持つ雰囲気を歌い手が自分なりに感じつつ、曲調を見事に表現している。先ほどのクラスと甲乙付けがたい合唱ぶりなのである。「2年生、恐るべし」。聴いて青ざめたのは3年生であろう。

昼食後は、いよいよ3年生の合唱である。2年生の合唱に危機感を持ったのであろうか、昼食もそこそこにすぐに練習を始める。昼休みの中ホール前広場に歌声が響き渡る。それだけでも「音楽のまち」に相応しいではないか(って、通行人にはうるさいとしか受け取られなかったかもしれませんが)。

さすがに3年生は、どのクラスも最上級生らしい堂々とした歌いぶりであった。曲は、それぞれ「郷愁歌」、「親知らず子知らず」、「君とみた海」。どれもいい曲ばかりである。3年生の思いがひしひしと伝わってくる。歌い終わってステージを降りてくる女生徒の中には、感極まって泣いている生徒もいる。「親知らず子知らず」は特にすばらしかった。2年生との特別賞争いは、たぶんこのクラスとの間になるであろうと思われた。

吹奏楽部の発表が終わって、いよいよ結果発表である。特別賞のクラスは、アンコールでもう一度舞台に上がって歌うことになっている。さて、2年生で最優秀賞を獲得したクラスは、予想どおり「風のめぐるとき」。3年生は「親知らず子知らず」。本校では校長先生が音楽科ということもあり、審査員は校長先生がお願いした特別の審査員(本校の音楽教諭の他に、不肖手前の娘の通う高校の音楽科主任、地元の合唱指導者)の計4人で行われる。つまり、専門家によって審査されるのである。それだけに、「特別賞」はまさに「特別」の意味合いを持つ賞なのである。果たして、「親知らず子知らず」であった。妥当であろう。講評では、「僅差でした」とのことであった。2年生の健闘ぶりを讃えたい。

かくして、すばらしい合唱コンクールは幕を閉じた。何より、生徒たち全体の文化資本の高さを実感させられた一日であった。どのクラスも、合唱練習を始めたのはほぼ1ヶ月前。2年生などは、コンクール直前の3日間、野外活動に出かけていたから、練習期間が十分であったとは言い難い。でも、それを何とかしてしまうところが本校生徒たちのすばらしいところである。クラス合唱の伴奏者を男子が務めるクラスも多かった。それだけ、小さいときから音楽に親しんでいるということなのであろう。

たぶん、どこの学校でも合唱コンクールには力を入れて取り組んでいることであろう。そんな各学校のすばらしい歌声を、ぜひ聴いてみたい。本県では4年前に「中学校文化連盟」が発足した。その中文連主催で、「各中学校の合唱コンクール学校代表によるコンサート」を開催してはどうだろうか。幸い、本校の校長先生は、その中文連の会長である。さっそく、お願いしてみることにしよう。

2006年10月24日

教師の仕事がまた増えた

10月23日(月)

今日は、午後から市教委主催の「緊急」生徒指導研修会へ参加するため、天竜・浜名湖地区総合教育センターへと出張。合併後の「新」浜松市すべての小中学校の生徒指導主事・主任が招集されての研修会である。

「緊急」と銘打たれるからには、たぶん「いじめ」のことなんだろうなあという予想であったが、そうではなくて「インターネットについて、ブログや出会い系サイトなどの実態や児童生徒に悪影響を及ぼす心配のある内容について」の研修会であった。

以下は、市教委指導課長の話。
“本市でも、ここ3年間に補導された児童生徒のうち、ネット関連のものが全体の3〜4割を占める。インターネットは、ある意味「陰の世界」との媒介となるものである。子どもを守るために、まず、われわれ大人が危機意識を持たなくてはならない。そのためには、ITについての知識を持たなくてはならない。”

かような「緊急」研修会が持たれた背景には、今月に入って、本市の小学校教諭がチャットで知り合った女子中学生とみだらな行為に及び、懲戒免職になったということも背景にあるのだろう。研修会には地元のテレビ局も取材に来ており、実際の研修会の模様が報道されるとのことであった。

課長の話に続いて、担当指導主事(本校のソフトテニス部前任監督であるモリ先生!)より、「インターネットに関する指導のあり方について」の講義があった。豊富な資料を用意しただけでなく、実際その場でご自分のケータイから怪しいサイトにアクセスしてみせたりして、なかなか楽しい(「楽しい」などと言ってはいけないのかもしれないんだけど)プレゼンであった。

いくつか、「へ〜え、知らなかったあ」ということがあった。

まずはチャット。一昔前のイメージでは、ただひたすらやりとりの文字だけが階段状に羅列されていくだけのものと思っていたが、いやあ進歩してるんですねえ。チャットの相手の詳しいプロフィールが確認できるだけでなく、その相手が実際にPCの前にいる姿も、リアルタイムで見られるのである。ウェブカメラかなんかを使用してるんだろうけど、それにしてもよく考えたものだ。これなら商売になるであろう。

それから、「なりすましサイト」。しっかし、こんなサイトがあっていいのだろうか。自分のメアドを偽って、他人がメール送信したようにできるという代物だ。これでは、メアドを公開しているような公共機関や会社などには、いくらでも「なりすましメール」を送りつけることができてしまう。「こんな学校、つぶれちまえ!」とかね。

モリ先生も指摘していたが、これが個人の間で行われるようになると、事はさらにややこしくなる。例えば、恋する二人の仲を邪魔しようと、その二人のメアドを入手して、一方の恋人に「なりすまし」て相手に「アナタのこと、もうキライになったから」などというメールを入れることだって可能だ。もちろん、これは互いが確認すればすぐに誤解は解けるだろうけど、友達同士の間などではそのメールによって互いに疑心暗鬼になり、次第に疎遠になっていくということも起こり得るだろう。疎遠になるだけならまだしも、2年前の長崎県佐世保市で起きた小学6年生女子による同級生殺傷事件のようなことが再び起こってしまうということも考えられる。

これは、「匿名性」にも関わる問題なので、一概に「とんでもないことだ」とは言えない面もあるのだろうが、それが悪用される危険性を十分に孕んでいるということだけは、心に留めておかなければならないだろう。利便性は「諸刃の剣」ということなのだ。私たちに課せられているのは、それをどうやって子どもたちにアナウンスしていくかということである。子どもたちだけでなく、保護者にもその啓発はしていかなければならない。子どもに持たせたケータイが、単に電話やメールをやり取りするだけのものではなく、「携帯パーソナル・コンピュータ」であるということを。

国が、「IT戦略本部」なる組織を立ち上げ、「我が国は、すべての国民が情報通信技術(IT)を積極的に活用し、その恩恵を最大限に享受できる知識創発型社会の実現に向け、早急に革命的かつ現実的な対応を行わなければならない。市場原理に基づき民間が最大限に活力を発揮できる環境を整備し、5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す」と宣言(e-Japan戦略)したのは、5年前のことであった。確かに、この5年間に日本の情報通信技術は格段に進歩したであろう。しかし、その進歩は、主にIT関連のインフラ整備にかなりのバイアスがかかったものであったということを明らかにした。

「e-Japan戦略」の「基本戦略」の中には、「目指すべき社会」として「すべての国民が情報リテラシーを備え、豊富な知識と情報を交流し得る」ということが最初に謳われている。しかし、そのための「重点政策分野」には、まず「超高速ネットワークインフラ整備及び競争政策」が挙げられており、肝心の「インターネット接続環境の整備による国民の情報リテラシーの向上」については、その「重点政策」の最後に掲げられているのである。

「箱物行政」もいい。でも、そのことで立ち後れている「情報リテラシー」の整備はどうやってカバーしていくのだろう。「学校にも高速インターネットを整備しました。ちゃんと使えるように指導してください。ついては、その危険性についても、道徳の時間を活用するなりして、学校で十分指導してください」じゃあ困るんだよなあ。しかし、愚痴ってる場合ではない。

「パンドラの箱」は開けられた。飛び出した「不幸」から子どもたちを守るのは、開けた大人の責任である。でも、「パンドラの箱」には「希望」も残っていた。国が、立ち後れた政策に重い腰を上げる前に、とりあえず目の前にある危険からは子どもたちを守っていかなければならない。「箱」の底に残っていた「希望」とは、そんなことなのだろうか。それにしても、世界中に張り巡らされたWEBと、市場拡大のためにもはや家族に1台の勢いで普及するケータイのことを思うと、いかにもはかない「希望」ではある。

2006年10月30日

とっても濃い三日間

10月30日(月)

「濃い」週末3日間であった。

金曜日は、娘の通う高校音楽科の定期演奏会。不肖の娘も高3。今回が高校最後の定演である。そんな思いもあってか、今回は「ホールをいっぱいにしたい!」と、かなり宣伝にこれ努めたようであった。妻も仕事が休みの日には、「つきあってよ」とポスター配布のアッシー(もう死語ですかね?)に駆り出され、「ここならポスター貼ってくれるかも」と、自分からどんどん店に入ってお願いしたりしたそうだ。

そんな甲斐あってか、決して親バカではなく、ここ3年間ではいちばんの入り(発表では1,200人)だったように思う。いつもは客席の後ろの方は空席が目立っていたのだが、今回は後ろまでぎっしりの客入りであった。もちろん、入場は無料である。

プログラムの最後は、音楽科全員による合唱。その全ての曲の伴奏を務めたのが、不肖の娘であった。娘の専攻はピアノであるが、将来はソリストを目指すというわけではないらしい。「伴奏者」になりたいとのことである。伴奏でソリストを引き立てる方が自分には合っていると思ったらしい。賢明な選択であると思う。

演奏会には、オノちゃんも駆けつけてくれた。音楽科の定演を聴くのは初めてとのことであったが、「いやあ、レベル高いっすね」と感心しきりであった。オノちゃんとこのご子息も、実はジュニアオーケストラに入っていたりした経緯もあり、将来は音大への進路も考えているとのこと。いいことである(お金かかるけど)。

最後の曲は「Jupiter」(平原綾香)。演奏会後に妻が聞いたところによれば、アレンジがやや盛り上がりに欠けるからと、不肖の娘がアレンジを一部変えたらしい。先生から、「あなたはヤマハのJOCに参加してたんだから、多少は編曲もできるでしょ?」と言われてのことだそうだ。知らなかった。アンコールを受けながら、指揮者が伴奏者を紹介してくれた。照れくさそうに礼をしていた娘の姿が印象的であった。親バカと言われようが、ええいかまわぬ。「お疲れさまでした」と心から労ってやりたい。

さて、土曜日は教え子の結婚式。式が昼前ということで、その日休みだった妻に会場である「ホテルコンコルド浜松」まで送ってもらう。沼津のスガイ先生も「高校時代の恩師」ということで、家族連れで会場まで来られていた。

彼女は、高校時代にはインターハイでベスト16に入り、皇后杯にも出場した選手である。お相手も中学時代はソフトテニス部に所属していたとのこと。「ソフトテニスが取り持つ縁」ということであろうか。職場の同期生で、お付き合いを始めて1年半。めでたくゴールインとは相成ったのである。

同席していた当時の同級生たちと、ビールを飲みながら歓談暫し。隣に座った教え子の一人であるマヅカさんは、来春「理化学研究所」への就職が決まったとのこと。内田先生の著作もよく読んでいて、手前の日記も必ずチェックしているらしい。「先生、小指まだ治りませんねえ」と言われてしまう(まだ矯正器具を装着してます)。そうそう、mixiの話題で盛り上がったっけ。「え?先生も参加してるんですか?じゃあマイミクに登録しましょう!」とのことで、メアドを聞いてさっそく「ご招待メール」を送ることになった。けっこう、若年世代にはmixiって支持されてるんだと実感させられる。

それにしても、昼間に飲む酒はよく回る。宴後は、よろよろとタクシーに乗り込み、そのまま自宅に戻って暫時熟睡。2次会には参加する予定はなかったのだが、オノちゃんたちが市中心部で飲んでるからということで、夕方からバスに乗って再び市中心部へ。これだから酒飲みは困る。オノちゃん御用達のお店にはいつものメンバーが参集し、件のmixiなどを話題にしながら飲むこと数時間。このメンバーだと、「東回し2回くらいやって帰りますか?」という話になる。すぐに近くの雀荘へと移動して、約束どおり東回し2回。だけど、僅差から南入し、結局は3回やったことになる。結果は…。まあ、昼間から飲んでたから、頭も働かないということで。

明けて日曜日は、ソフトテニス県大会地区予選の個人戦。浜松市から掛川市までの県西部地域から新人大会を勝ち抜いてきた64組によるトーナメントである。ベスト16以上が、県大会への出場権を得られる。

本校から参加したのは、旧市内大会の個人戦をベスト8で通過した1年生ペア。それぞれが各郡市の予選を勝ち上がってきたペアばかりだから、「初戦突破、県大会に行ければラッキー」という目標設定で試合に臨んだ。

やはり、初戦からシーソーゲームとなった。ファイナルゲームまでもつれ込んだが、タイブレークは流れをものにして何とか初戦は突破。とりあえず、最初の目標は達成である。次は、県大会出場をかけての2回戦。相手の前衛はあまり動かない選手だったから、そう苦戦はせずに勝てるだろうなどと高を括っていたのが大まちがいであった。相手後衛選手の配球がなかなか巧妙なのである。うまく繋いだかと思うと、いきなりこちらの前衛のダウン・ザ・ラインに打ち込んできたりして、この試合もファイナルゲームまでもつれ込む。最後は相手後衛の配球が単調になってようやく勝利、これで県大会への出場が決まった。

次は、ベスト8をかけて第2シードとの対戦である。さすがに1年生ペアでは上位シードには勝てないだろうと思っていたのだが、相手前衛のミスにも助けられて、この試合もファイナルゲームになってしまった。タイブレークは終始リードしつつも、途中で相手後衛にサービスをびしっと入れられ、ポイント5-5。しかし、次のポイントはウチの後衛選手が見事なバックハンドで相手前衛のポジションの甘いところをブチ抜いてマッチ。「サービスが入れば勝ち!」とほくそ笑んでいたら、何と次はダブルフォルト。ベンチから転げ落ちそうになってしまう。これで集中力が切れたか、最後の2ポイントはあっけなく決められてゲームセット。善戦したどころか、勝てるチャンスも十分にあっただけに、悔やまれる敗戦(魚を釣り上げ網の中に入れようとしたら、網に穴が開いていたとでも言おうか)であった。でも、まだ1年生だからね。あまり欲はかかずに、大きく育てるのである。

かくして、「濃い」3日間が終わった。休みとは言っても、これではあんまりゆっくり休めないのである。夕方から髪を切りに行って、少し気分を変えることにする。さっぱりして家に帰り、「おお、今朝は慌ただしくて新聞も読んでなかったっけ」と地元紙を読み始めたとたん、すっかり気分が悪くなってしまった。

千葉県の教諭が自殺した件に関し、遺族が校長のパワーハラスメントが原因だったとして、公務災害認定を請求したという記事である。気分が悪くなったのは、その校長の言動である。亡くなった先生が“管理職選考試験の受験断念を伝えたところ、「辞表を書け」「おれに恥をかかせるのか」などと約五十分間立たせたまま怒鳴り続けた。(…)今年四月の着任以来、校長から「役立たず」と言われたり、生徒がベランダから落ちる事故があった際には、ほかの教諭らとともに「おまえらは殺人者だ」と怒鳴られた。”(静岡新聞)

何をか言わんや。ゼウスよ、その怒れる雷もて、この愚かなる権力者を打たしめたまえ。

3日間の疲れがどっと出た。

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