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2005年08月 アーカイブ

2005年08月02日

敗軍の将、教育を語る

8月1日(月)

あっという間に7月が終わって、早8月。

練習での手応えを感じながら臨んだ県大会であったが、昨年と同様に団体戦は準々決勝にて敗退してしまった。

2回戦で第2シードとの激突が予想されていたため、大会前の練習はその対策を中心に行ってきた。

初戦を無難に勝って、その2回戦。相手は、やはり予想どおり第2シード校であった。しかも、相手は昨年本校が敗戦したチームであった。

同一校との対戦とあば、いきおい「よおし、昨年の借りを返したるわい!」という気持ちにさせられるというものである。それは、もちろん選手たちとて同様であったろう。

やや苦戦しつつも、相手大将ペアを倒し、2番手ペアも難なく倒して、昨年の雪辱を果たすことができた。

そして、準々決勝。相手校は、ちょうど隣のコートで試合をしていたので、本校の試合の合間にちらちらとその様子も窺っていたのだが、速いボールも打てる代わりにミスも多かったりしたので、「まあ何とかなるのでは」という予想であった。

ところが、本校との対戦では、相手はほとんどノーミスで厳しいコースに次々とスピードボールを打ち込んできた。本校選手たちは防戦一方である。

何とか流れを変えようと繰り出した技も、ネットに掛けたりコースが甘くなったりしてうまくいかない。

結局、そのまま2組ともストレートで敗戦してしまった。

相撲で言うならば、「横綱相撲電車道一直線」という感じであった。

こういう言い方は適切ではないのかもしれないが、こうも一方的にやられてしまうと、「まあ力負けだわね」と案外さばさばした気持ちであった。

昨年は競り合いの末の敗戦であったから、何ともやりきれない思いが残ったが、今年の敗戦はそんな思いがなかった。

「負けて悔しい」とあんまり思えないようになったということは、やはり監督を引退する時期が来たということなのかもしれない。

翌日行われた個人戦では、本校選手5組のうち3組初戦で敗退。2回戦に残った2組も、善戦しつつ敗退してしまった。

3年生の夏が終わる。

小学校からの競技経験がある選手と、中学校から競技を始めた選手との差はますます拡大している。

もはや、中学校からソフトテニスを始めた選手が、県以上のレベルでジュニアの選手たちに対抗するのはほとんど不可能に近いのではないかと思う。

唯一、対抗できるのは団体戦しかないであろう(しかし、その団体戦もジュニアの選手たちが複数組いる学校にはなかなか勝てないであろう)。

気になったことが一つあった。

個人戦初戦で敗戦した選手が、本校のテントに戻ってきてもずっとその場で泣いていた。

隣にはまだこれから厳しい2回戦(団体優勝した学校の大将ペアとの対戦)を戦わなくてはならない選手が座っている。

次の対戦を控え、対戦相手への自らのゲームイメージをつくって集中するよう指示しておいた選手の、そのすぐ隣で泣いているのである。

自分たちが負けて悔しい悲しい気持ちはわからないではない。しかし、少しでも周囲のことが考えられるならば、そこで泣いてはいけないということに気づかないのだろうか。

いつもなら、「どこか他へ行って泣いてこい!」などと言うのであるが、その場にはその選手の保護者もいて、わが子をつらそうに眺めていたため、そんな冷たい言葉も言えずに黙っていた。

「自分のことにしか関心が向かず、周囲のことなどお構いなし」という言動の傾向は、授業場面のみならず、こと部活動指導の場面でも頻繁に見られるようになった。

こういう傾向は、これからもさらに目立つようになっていくのだろうか。

私たちを含めた多くの人たちが、子どもに「それぞれの場面に応じたふるまいの適切さ」というものを一つ一つ丁寧に教えていかなければならないのではないか。

敗戦の原因を考えながら、この光景がどうも気になって仕方がなかった。敗因の一つは、こういうところにも存していたのかもしれない。

2005年08月15日

長距離国語教師の孤独

8月15日(月)

「濃い」4日間が終わった。

今年も、東海・近畿ブロックから、「ソフトテニス・フリーク」の先生方が指導するチームが浜松に参集して、「新人研修大会」が行われたのである。

大会は8月12日からであったが、前日の午後から浜松に入るチームがあるため、迎える地元はその日から昼間は試合会場である花川運動公園テニスコートに、夜は懇親会場へと詰めながらの応対に明け暮れる。

なかなか大変な4日間なのであるが、レベルの高い選手との対戦や、顧問同士の情報交換など、その大変さと引き換えにしても十分に見合うだけのものが得られる大会なのである。

今年の大会には、今月23日から始まる全国中学校大会に選手として出場する1・2年生も参加していて、例年に負けず劣らずレベルの高い大会になった。

本校の選手たちももちろん参加したのであるが、なんと団体戦では準優勝、個人戦も3位に入賞する健闘ぶりを見せてくれた。

手前は、先月の県大会をもって、今まで手前のもとで2年間副顧問を務めていた先生と監督を交代することにしたのであるが、その先生が見事初陣を飾ってくれたのである。

監督を交代したとは言え、全く指導をしないというわけではない。もちろん顧問の一人なのであるから、練習の時にはテニスコートにも出ていくし、気がついたことは指導するようにしている。

手前は一時期、「どうせ小学校から競技経験のある選手には勝てっこないんだ」と思い(今でも思ってるけど)、顧問はしていたがそんなに熱心にソフトテニスの指導をしていなかったことがある。

そのときは、夏休みも練習はほどほどで切り上げ、さっさと家に帰ってせっせと本を読んでいた。

もちろん、そういう生活に戻るのも悪くはないのであるが、ここ数年(熱心なコーチに後押しされたということもあり)また以前のように指導を復活させてみて、なんだかんだ言いながらもソフトテニスの指導をするのが好きである自分を発見したのである。

しかし、手前も現在校勤務が6年目で来年は転勤が予想されるし、年度末になって「じゃあ顧問交代ね」というのもなんだか無責任のような気がして、ちょうどこの夏が新チームへと切り替わる時期であるので、いい潮時かもしれぬと思って交代したのである。

さて、いつもは大会初日の夜に懇親会を開催して、その場で自己紹介をしつつ近況報告をするということにしているのであるが、今年はその際に「担当教科」も言ってもらうことにした。

顧問同士、試合会場で顔を合わせてソフトテニスの技術等については話をするものの、なかなかふだん自分が指導している「教科」についての話などはしないものである。

でも、「えーっ!あの先生、おいらと同じ教科だったの?」と、ただそれだけで親近感を持ってしまうということってあるでしょ?

また、「えーっ!まさかあの先生が英語しゃべるの?」などと、外見とはおよそ想像できない教科名を聞いて、逆に親近感を持つということもあるかもしれないでしょ?

そこで質問。

「今回、参加した顧問の先生方のうちで、最も多かった教科は何の教科でしょう?」

答えは、「技術(家庭)科」。次が「数学」。次いで、「理科」、「保健体育」と続く。

何と、ソフトテニスの指導者、特にこの浜松に集う「ソフトテニス・フリーク」と形容されるほどの先生方は、「理数系」の先生たちであったのである。

ちなみに、手前と同様の教科の先生は一人もいなかった。

手前は「国語」の教員である。そうかあ、ソフトテニスの指導には、文学だの思想だの哲学などは不必要であったということか。

でも、それにしては、(少なくとも手前には)これだけ意気投合できる先生が多いというのはどうしたことか。

内田先生は「コミュニケーションを駆動しているのは、たしかに『理解し合いたい』という欲望なのです。でも、対話は理解に達すると終わってしまう。だから、『理解し合いたいけれど、理解に達するのはできるだけ先延ばしにしたい』という矛盾した欲望を私たちは抱いているのです。対話へと私たちを駆り立てるのはその欲望です。」(『先生はえらい』)とおっしゃっておられる。

手前が、この浜松に参集する先生方と好誼を結ぶことができたのは、たぶん手前が国語の教師で、他の先生方にしてみると「あいつは何を言っているのかよくわからない」と思ったからなのであろう。

そういうことがわかっただけでも、新しい発見のあった4日間であった。

遠方より浜松においでいただきました先生方、ほんとうに暑い中お疲れさまでした。また、来年も来てくださいね。また、大会を運営してくださった地元の先生方、ありがとうございました。来年もいい大会にしましょう。

2005年08月28日

スーさん、やっと夏休み

8月27日(土)

ああ、夏休みもとうとう残すところあと5日となってしまった。

今年は何とも短い夏休みであった。

1学期の終業式が台風で1日遅くなったということもあり、計35日間の夏休みであった。

巷間では、「いいねえ学校の先生は。35日間も休みがあってさあ」などと宣わるようであるが、とんでもない誤解である。

平日は、ほとんど通常勤務であるし、それに校内外の研修が加わる。夏休みの前半は部活動夏季大会の引率指導に明け暮れ、その合間に補充学習を指導し、はたまた後半は部活動の新チームの指導と、ほとんど休んでいる暇はないのである。

もちろん、授業はないので本務は開店休業とも言えるのであるが、それ以外の「夏休みにしかできないこと」というのが多々あるのである。

ちなみに、正式な休暇は5日(夏季休暇)。それ以外に、希望すれば3日の「家族休暇」を取ることができる。

手前は、まだ夏季休暇を2日取っただけである。残りの3日は、来週月曜日からの「うなぎ宴会in芦屋&城崎温泉麻雀ツアー」に残しておいた。

つまり、「ようやく手前も夏休み」というわけなのである。

今週の水曜日(24日)には、岐阜市にて行われた全国中学校ソフトテニス大会(個人戦)を、部員ともども観戦しに行った。

昔は、「全国大会は見るものではない、参加するものである」との一念から、いそいそと観戦になど出かけていったことはほとんどなかったのであるが、今年は同じ東海ブロックの岐阜市にて開催ということで、「まあ近くだから行ってみっか!」と観戦希望生徒を募り、貸切バスにて出かけてきたのである。

会場で、この3月にて神戸松蔭女子学院大のソフトテニス部監督をご勇退された表先生とお会いすることができた。先生は、現在日本連盟の副会長をされていて、この大会には日本連盟の代表として参加されておられるとのこと。大会本部にて久闊を序し、あれこれとお話をする。お元気そうで何よりであった。

他にも、さまざまな大会等でご縁のあった先生方と顔を合わせることができた。いやあ、やっぱり全国大会はいいっす。

試合の方は・・・男女ともすばらしい選手をたくさん見ることができた。思わず拍手したくなってしまうようなプレーも多く見ることができた。

そして、(そんなことはとうに分かっていたことであるが)最早中学校から競技を始めたプレーヤーでは、全国大会で太刀打ちすることなど到底不可能であるということを改めて確認したのであった。

もちろん、今回の大会には中学からラケットを握った選手も出場していたことと思う。しかし、そういう選手と小学校からの経験を積んだジュニア育ちの選手との対戦は、言わば太平洋戦争中のマリアナ沖海戦で米軍パイロットが評した「マリアナ沖の七面鳥撃ち」という形容に相応しい(見たことないけど)ものであったように思われる。

女子個人戦で優勝(翌日行われた団体戦も)したのは、中高一貫校の私立校に在籍するペアであった。

小学校からの競技実績のある選手を、学区のない私立の中高一貫校が優先的に入学をさせてチーム編成をすれば、公立中学校など物の数ではない(ちなみに、その学校は今夏のインターハイでも団体・個人ともに優勝を飾っている)。

御多分に洩れず、中学校のソフトテニス界でも二極化の階層分化は着実に進行しているのである。「がんばって、全国大会に出場しよう!」というのは、今や小学校からの競技経験のある選手が入学してくるチームにのみ許されたスローガンとなりつつあるのである。

夢のない話になってしまった。

恨み言や羨望を言い募っても仕方がない。悔しければ、自分もジュニアのクラブをつくり、あくまで全国大会で勝利することを念頭に置きながらそのシステムづくりと具体的な指導に腐心すればいいのである。

しかし、たぶん手前はそういうやり方とは違う方向性を指向していこうと思う。

あくまでも、「中学校に入ってから初めてラケットを握った」生徒たちを教えていくことにこだわりたい。

なぜなら、全国のんどの中学校でソフトテニスの指導をしている先生方の多くは、そのような現状の中で指導を模索しているからである。そして、そういう全国の多くのソフトテニス部員によって、日本のソフトテニス競技はその競技人口を支えられているからである(でもこれって、やっぱり「負け犬の遠吠え」ですかね)。

まあ、そんなことはれて、手前は来週からの今年の最後の貴重な「夏休み」を十分堪能してくることとしよう。内田先生、うなぎをお楽しみに!

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