それぞれの住環境

 12月16日。日本人留学生のユウト君から、先月のサンクスギビングの動画が送られてきた。毎年11月末にあるサンクスギビングはアメリカの大切なホリデーの一つで、家族で集まってターキーを食べるなどして過ごすのだが、家庭によっては食後の団欒として余興のようなものをすることがあるそうで、その時の記念の動画を送ってくれたのである。ユウト君が参加したホストファミリーの余興の動画は歌の披露だったが、それはただ歌を披露するのではなく、ちょっとした小芝居も組み込まれていた。それはサンクスギビングの晩餐後、バンドマンであるホストファザーがギターを片手に一族の前で歌を披露するところから始まる。けれどなぜかその日、ホストファザーはいつもの調子が出ない。ホストマザーが助けに入るもなぜかうまくいかず、場は白けた雰囲気になる。そんな二人を見かねた留学生のユウト君が「オーケー」と立ち上がり、ビートルズのhere there and everywhereを歌い上げる。という筋書きなのである。サンクスギビングの一週間ほど前から、学校の宿題の合間に歌や小芝居の練習をしなければならないと焦っているユウト君の姿をみて、私は密かに、「そんなことをさせられるホームステイ先は嫌だ」と思ったものだが、まだ19歳の彼は割と楽しんでこなしていたので、すっかり感心してしまった。そうでなくても、ユウト君のホストファミリーは日ごろからユウト君に「今日は先生に質問を一つすること。」などと課題を出したり、予定のない週末にはクッキー作りを手伝わせたりしていたので、私だったら耐えられずにホスト先を変えてしまいそうなものだと思っていたのである。

 実際、ホームステイ先との相性が合わないといったトラブルというのは、語学留学に来ている生徒の間ではよく聞く話である。先々週、カンバセーションアワーに参加していた韓国人のジャイアンという女の子は、「最近どう?」というジェシー先生の社交辞令的な第一声に対して、「私の部屋のエアコンだけが動かないの。」と言って泣きだしたからである。「大丈夫?」と周りが心配していると、ホストファミリーはとてもケチで、“シャワーは5分以内で浴びる”などを含む27個のルールが定められていると言って彼女はノンストップで不満をぶちまけた。その上、ホストファザーが車で送ってあげるというから車に乗ると、後で15ドル請求されたそうで、ジャイアンは自分がこんな目に遭っていることを韓国に居る母親が知ったらと思うと涙が出るのだそうだ。カンバセーション開始早々の事態に困惑しながらも、ジェシー先生は優しくティッシュを差し出して、「どう?皆、何か彼女に言ってあげられるいい解決案はあるかしら?」と、本日のカンバセーションのお題にして私たちに話を振ったが、その日集まった数名の生徒たちによって絞り出された解決策はたった一つだった。「ホームステイ先を変えること。」

 ジャイアン(それにしても面白い名前)の話も確かにひどい例だったけれど、留学生たちの話を聞いていると、ホームステイ先というのは本当に当たりはずれがあるように思われる。飼っている犬がうるさい、とか、家の子供たちが反抗期、食事中によく夫婦喧嘩が勃発する、というのはまだましな方で、ホストマザー一人だけの家庭だと思っていたら、実は地下に「知り合いの乞食(!)」を住まわせており、人目を避けて夜な夜な乞食が台所に出没していたという話や、毎週金曜日の夕食はカリカリのベーコンとフレンチトーストだけで、もう二度とフレンチトーストは見たくなくなったという話、猫が直前までお尻をつけて座っていたお皿に気にせず料理を盛られた話、食後は指先で料理の皿を嘗め回す家族の話、いつもトイレを流すことのない家だったので、来る日も来る日もホストファミリーの大便小便を流していた話など、多岐にわたる。とりわけ、大便小便を流さないホストファミリーの逸話は他の2,3人の留学生から聞いたことがあったので、私の中ではちょっとしたマディソンの七不思議の一つだった。

 もちろん、ホームステイをすることで、サンクスギビングなどのアメリカの伝統的な家庭を体験出来たり、ネイティブの人の英語に常に触れる機会があるというのは、私のように個人でアパートに住むよりも楽しそうで羨ましく思うことはあるけれど、ホストファミリーとのトラブルの多くは、潔癖性な日本人留学生から漏れ聞く話が多かったので、私は、これはこれで良かったかなとも思う。とりわけ、ここマディソンでのアパートは、私が結婚してからこれまで暮らしてきた五つのアパートの中で一番広くて快適である。マディソンのアパートにはどこもたいていジムとプールが付いていて、私のアパートにもジムとプール、サウナとちょっとした集会場のようなものがあって、その上卓球台や屋外バーベキューもある。寒い土地ならではのセントラルヒーティングのため、冬でも常にアパート内は暖かいし、アパートの前には広々とした芝生の公園が広がっていて、リスやウサギが走っている。歌を歌わされることもなく、大便小便を流さないホストファミリーも居ないので、気楽なものである。

 だけど、そんな私がちょっと住んでみたかったな、と思うのは、ウィスコンシン大学が経営している特殊な寮の話である。ダウンタウンに住む学生達のほとんどがシェアハウスや寮に住んでいるのだが、そのうちの一つに、語学向上用の寮があるという話を聞いたからである。私のカンバセーションパートナーだったパラヴァノフ君の彼女が、その「フランス語専用」の寮に住んでいたそうだが、その寮に住む寮生たちは、フランス語しか話してはいけないルールなのだそうだ。そういった語学向上用の寮は他の言語もあり、パラヴァノフ君は日本語専用の寮に入りたいと私に語っていた。しかもそういった寮ではその言語専用のTAも少し安めの金額で一緒に住んでいるので、月に何度かは勉強会のようなものも開かれているのだそうだ。勉強熱心な学生の町、マディソンならではのなんとも素敵な住宅事情だなぁと私は思うのである。

発音ができないのは楽しい

12月4日。リピートしていた語学学校の『発音』の授業が今日で終わった。来週から臨月に入るからである。トム先生のこの授業は二度目だったので、重複する部分などもありながらも、私はこの授業で発音にまつわるあれこれを沢山学ぶことが出来た。どの言語にしても発音の問題は生きた言語を習得する上では避けては通れない問題で、とても奥が深いと私は思う。授業ではアメリカ人が単語を本当はどのように発音しているか、そしてそれが表記通りでは決してないこと、音の強弱の癖のようなもの、それから7,8割の確率で「単語の意味が分からなくても発音だけはできるようになるルール」、またアメリカ人が好む「くだけた言い方」など、とてもユニークな内容をゲームなどを通じて楽しく学んだ。トムは「こんなこと君たちの祖国では学ばないだろう?」と得意気に教えてくれ、そして何よりも私たち生徒の、それぞれがそれぞれの母語にとらわれた発音の問題によって四苦八苦する姿を露呈したとき、授業中、誰よりも一番嬉しそうに笑った。

とりわけ、音域の狭い日本語を持つ日本人の私にとって、学ぶべき発音のルールは沢山あった。日本人はLとRの区別が出来ない。大半の生徒はThを発音するとき、舌をかむことが出来ない。スペイン語を母語とする生徒たちはYのサウンドをJで発音してしまう。私たちが住むマディソンは、「Medicine(薬)」ではない。それから、私が一番苦手だったのは、『Syllable(音節)』の問題である。このSyllableとは、英語話者が単語の中で一つの音として感じる単位を表していて、例えば「That」は日本語では「ザ・ッ・ト」と三音節で表されるのに対し、英語では一音節と数えられるルールのことである。「Chocolate(チョコレート)」は日本語では「チョ・コ・レ・エ・ト」と五音節であるのに対し、英語は「チョッ・コリ」という二音節の音になるのである。だから、Syllableのクイズゲームをするとき、私は授業をリピートしているにも関わらず、いつもワークパートナーにぼろ負けし、トムにからかわれていた。

だけど面白いのは、この授業を通じて、私は英語話者たちにとっても「日本語」のこのフラットな発音が難しいのだということを発見したことだった。私はこのSyllableの問題を逆手に取って、トムにPerfumeの「チョコレートディスコ」という曲を紹介した。この曲は「チョコレートディスコ」とリフレインする部分で、「チョ・コ・レ・エ・ト」の五音節を使って拍を取る曲だからである。だから、二音節でしかチョコレートを発音できないアメリカ人達は、この曲を決して正しく歌うことが出来ないのである。トムにこの曲を紹介すると、トムはこの異国のポピュラーソングを聴きながら、「日本の曲は本当にクレイジーだ!」と嬉しそうに笑った。また、トムは日本の車のNISSANのことを、いつも「兄さん」と発音した。「兄さんではない、『ニ・ッ・サ・ン』だ!四音節だ。」と私が指摘すると、トムは「セイコは大人しい生徒だったのに、いつからそんなことを言うようになったんだ?」と悲しそうな顔をした。(まあ、一年も居たら口が立つようになるのは仕方ない。)

こうした発見は、現在聴講に行っているウィスコンシン大学のフィルム学の授業でもあった。前学期で私が正規の聴講生ですらない聴講生として座っていることを許可してくれたカプレイ教授の授業である。エジソンの発明から始まって、1960年代までの世界のフィルム学の歴史を紐解きながら、毎週さまざまな映画におけるジャンルを扱うこの授業で、先週はついに日本が世界に誇る「ジャパニーズ・アートシネマ」の回を迎え、カプレイ教授は、聴講生ですらない私にこの日何度も授業中、意見を求め、話しかけてくれたのだが、そのほとんどが「これ、日本語でどう言うの?これ、発音あってる?」というものだったからである。「黒澤明の『蜘蛛の巣城』は日本語で何て言うの?」とカプレイ教授は私に聞き、それがマクベスを題材にした映画であるということから、「英題より邦題の発音の方がマクベスに近いねぇ。」などと呟いたりした。そして「トーホー(東宝)は黒澤明の映画の会社だからこの発音には自信があるんだ」と私に笑いかけてくれた。だけど私はその時、細心の注意を払ってカプレイ教授が意味せんとする日本語の発音に耳を澄ませていた。というのも昔、カプレイ教授と話をした際、私はこの日本語の発音の問題で大失敗をしたことがあるからである。

その日、教授は日本の「ベンシ」にとても興味があると私に言って「知っているか?」と聞いてきた。私は、教授がまた発音を間違えていると早合点し、咄嗟に「武士!武士!サムライ!」と叫んで、刀を抜く武士のモノマネをしてみせた。カプレイ教授は驚いて、「もう一度発音してくれ!」と叫び、私は「武士、武士」と刀を携えたジェスチャーのままでもう一度単語を繰り返した。「ほお…」とカプレイ教授は目を細め、「やっぱり本場の発音はぜんぜん違うな…。」と呟いた。が、実は「ベンシ」というのは、サイレントムービーが日本を席巻した際に日本で登場した映画を盛り上げる「語り部」として一時期活躍していた「活動弁士」のことだったのである。教授とのちぐはぐなやり取りのすぐ後にそのことが判明し、私は、教授が発音を間違えているものだと思い込んだこと、無駄に武士のモノマネをしたことから、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたというわけである。もうそんな間違いをしてはいけないと思ったのである。
『発音』というのは習っても習わなくても、私には本当に難しい問題だった。だけど一方で、こうして日本語の発音と英語の発音が分かり合えない遠い立ち位置にあるからこそ、トム先生は楽しそうに授業中生徒の間違いを大笑いして指摘するし、私はカプレイ教授の授業で初めて、ウィスコンシン大学の正規の学生たちの前で日本語の発音を披露し、自尊心がくすぐられるような、とても誇り高い気持ちになれたのである。

アハメはアハメ

 11月15日。「今回の大統領選は歴史的なものになる。」というのは、選挙前からよく聞くセリフだった。ヒラリーになれば、史上初の女性大統領の誕生で、トランプになれば史上稀に見るクレイジーな大統領の誕生、という意味だ。私の住むマディソンは学園都市ならではのリベラルな人が多く、ヒラリー支持者が圧倒的多数を占めていたけれど、一歩マディソンを離れれば、そこは全く違うファーマー達の住む世界に囲まれた「陸の孤島」なのだと先生たちはかねてから危機感を募らせていた。そしてその言葉の通り、あの夜ヒラリーの敗北にとどめを刺した州であるウィスコンシン州は、マディソンとミルウォーキーなどの数少ない都市部を除いてはトランプ支持という形で結末を迎えたのである。

 そんな「歴史的選挙」が過ぎ去り、選挙前からずっと停滞していたどこかそわそわした空気からも解放され、語学学校にも何も変わらない日常が戻ってきた。以前からトランプ当選の折にはカナダ移住を表明していたベス先生もトム先生も、もちろん移住などすることはなく、以前と変わらず語学学校で教鞭を取っている。私もフリーのカンバセーションアワーに参加したり大学の授業に聴講に行ったりする日常であるが、だけど何かの折にはふと政治の話になったりするのが興味深かったりする。アメリカ人の彼氏のいるタイ人のパニカは、お茶をした際、今は5年間のビザがあるけれど今後どうなるか分からないと不安を漏らしてみせたし、先週帰国したコロンビア人のフェリペは、「トランプのせいでマディソンに行くのは今後、もっともハードになるだろう。」と、本気か冗談か分からない、ませた内容のメールをわざわざ送ってきた。

先日行われたカンバセーションアワーでは、トルコ人の女の子と韓国人の女の子、そして白人のジェシー先生と私の四人で行われたが、すぐに話題はアメリカのトランプの話、韓国のパク・クネ大統領の話、そして少し前のトルコのクーデターの話になったりした。韓国人の女の子は、長い時間をかけてまず「パク・クネが嫌い」だということ、「こんなことになって恥ずかしい」ということ、「パク・クネの父親が大量の人を殺した」ということをとても中身の薄い英語で熱弁した。とりわけ、「恥ずかしい、恥ずかしい」と終始大げさに言っていたので、ジェシー先生は「うちだってトランプになって恥ずかしいわよ。」と言ってフォローしていた。トルコ人の女の子は、クーデターのことはよく知らないと言いながら、つたない英語で何やら人が大量に殺された話をしていたが、気付いたら私以外の全員が、自分の国の「酷さ自慢」になって迷走していた。韓国人の女の子はとにかく大げさで、「うちはナチスみたいなものよ。」とまで言っていたが、「だけど私の友人でアメリカの軍人に入りたがっていた男の子が居たんだけれど、トランプになったせいでもう入りたくなくなったって言ってたわ。」とアメリカを軽くディスることを忘れなかった。

だけど、その時「ナチスみたいなものよ。」と軽く言った韓国人の女の子のセリフに、私はふと既視感を禁じ得なかった。どこで聞いたのだろう。そう思うとふいに「ダラルだ」と思い当たった。サウジアラビア人のダラルが、先月「うちは北朝鮮と同じなの。」と言ったセリフと、韓国人の女の子のセリフがオーバーラップしたのである。それは中国人が祖国でフェイスブックを禁止されているという話になった時にダラルが「うちだって」と言った時のセリフだった。新しい王政になってから、サウジアラビアではフェイスブックもスカイプもメッセンジャーも禁止されてしまい、ダラルはまだ禁止を受けていないアプリを駆使して祖国の家族とコンタクトを取っているのだと言った。私が「でも何故わざわざフェイスブックとか禁止する必要があるの?」と聞くと、側で聞いていたベス先生が「政府が人々をコントロールするためでしょう」と憤然と言った。だけどそんなことを規制することで、いったい人々の何をコントロールできるのだろう?私には疑問だった。

実際、先週中国へ帰国したビッキーは、帰国前日、私にメッセンジャーから最後のメールを送ってきて、「WeChat」というアプリをダウンロードしてくれ、と頼んだ。「何それ?」と私が聞くと、中国で使える中国人達にとっての唯一のコミュニケーションアプリだという。「中国人なら全員がやってるわよ。」とビッキーは言うと、私に丁寧に使い方をメールでレクチャーしてくれた。「中国ではツイッターもフェイスブックもインスタグラムもメッセンジャーもラインもスカイプも使えないから。」とビッキーは言った。「WeChatは安全よ。」とビッキーが言うので、「e-mailは使えるの?」と私が聞くと「使える。」とビッキーは言った。だけどビッキーのことが大好きなので、私はすぐにWeChatというアプリをダウンロードして使えるようにしたのだが、すると登録した直後にダラルからWeChatの追加の申請が来たので何だか私は笑ってしまった。これまで私はWeChatなんて知らなかったのだが、禁止されれば禁止されるほどに、中国人達もサウジアラビア人達も、抜け道を探して躍起になってコミュニケーションアプリをダウンロードしているのだと思うと面白かったからだ。人をコントロールするというのは、とても皮肉なことなのだなと私は考えずにはいられなかったのである。

ところで、もう一つ面白かったのは、WeChatをダウンロードした後、今度はサウジアラビア人のアハメからフェイスブックを通じてあるアプリのダウンロード依頼がたまたま来たことである。また知らないコミュニケーションアプリなのだろうか?と思った私は、依頼されるままにその聞いたこともないアプリをダウンロードしたが、開けてみるとただの「出会い系」アプリでとてもびっくりした。しかもそれはとてもよく出来ていて、出会いを求めて登録している人全員の位置情報が瞬時に分かり、その人たちの人気順位や顔写真も観放題なのである。アハメはこんなものを使っているのか…と思ってびっくりしていると、ダウンロードして30分も経たないうちに「●●さんがあなたに興味を持っています。会いますか?」という案内通知が届いたので、私は大急ぎでアプリを削除した。全く、アハメは何を考えているのか…。「歴史的選挙」を終えてもなお、アハメは大金持ちの能天気なアハメのままだったのである。

ESLクライシス

11月7日。語学学校の“スチューデントラウンジ”にジェンガという積み木のゲームが置かれていた。このラウンジのスペースはもともと生徒たちが食事をしたりくつろいだりできる地下にある広いスペースで、居心地のいいソファがいくつかと、テーブル、他にもお菓子やジュースの自動販売機、電子レンジも置かれているのだが、ゲームが置かれているのは初めてだった。見ると「毎週金曜日の昼休みはゲームの時間!来てね!」とテーブルごとに黄色い紙で作った案内が置かれている。今期から始まった生徒のための新しい試みなのだろう。それだけではない。見るとラウンジの自動販売機はすっきりとして新しいものに変わっていた。すごいなあと私は思う。

そもそも私の通っている語学学校はとても評判のいい学校である。先生たちや授業の質も去ることながら、授業以外にも毎月沢山のイベントを企画するスタッフが駐在していて、季節ごとにハイキングや野球観戦、サイクリング、シカゴ旅行、遊園地やペインティングといった多岐にわたるイベントを週末や放課後に企画しては生徒たちを連れ出してくれる。他にも、取っている授業以外で「フリーカンバセーションアワー」や「ライティングセンター」といった無料のクラスも毎日開かれており、暇な人はそういったフリーのクラスにいくらでも参加できるし、コンピューター室の印刷機も使い放題である。学校の寮に住んでいる人は、毎週金曜日の夜にもスタッフの部屋でフリーカンバセーションアワーやパーティに参加できるし、一番の強みは、この語学学校の卒業証明書でマディソンにあるいくつかのカレッジの入学することが出来るという点でもある。

それにもかかわらず、である。今、生徒たちの間でまことしやかに懸念されているのが、この語学学校が危機に瀕しているのではないか?という事案である。私がそのことに気付いたのは先月の終わり頃だった。次のセッションで開講される授業の案内の紙に、いくつか消えたクラスがあったのである。スチューデントラウンジはなんとなくいつもひっそりしているし、聞くところによると『ビジネス&コミュニケーション』というクラスでは、「どうしたらもっと生徒がうちの学校に入学するようになるのか?」というお題について生徒たちにそれぞれ考えさせて、最終的にこの学校の管理者の部屋で生徒たちにプレゼンまでさせたそうだ。また、いつも駐在しているスタッフの部屋が最近暗いのは、生徒を集めるべく世界中にリクルーティングに行っているからだと言う。

先月末、授業でベス先生にそのことを聞いてみると、ベスはあっさり「確かに生徒数は今すごく減っている」と認めた。だけどそれはうちの語学学校に限ったことではなく、世界中で起こっていることで、マディソンにあるもう一つの語学学校では今や生徒数がたったの四人なのだそうだ。他にもウィスコンシン大学が開いているESLのクラスも今期の生徒は一人きりだと言う。「なぜ?」と私が聞くと、ベスはサウジアラビア人のダラルを見て、「あなたの国のせいよ。」と冗談めかして言った。どうやら去年サウジアラビアの国王が世代交代したせいで、これまで大量のサウジアラビア人が留学出来ていた制度が廃止になってしまい、そのせいでこれまで主要な顧客だったサウジアラビア人の生徒が激減してしまったのである。幸いダラルはまだ廃止になっていない留学制度を利用しているので残っているが、彼女だってその新しい王政の煽りを受けて自身の収入も半減したと主張した。ベスは頷いて、「それから中国人も減った。」と、今度は中国人のビッキーに目配せをした。「そうなの?」と私がビッキーに聞くと、ビッキーは頷く。なんでも、最近では中国全体でアメリカ人のネイティブの先生を公立の学校に呼んで授業をする方針が主流になりつつあるので、わざわざ語学留学だけのためにはアメリカに来る生徒が居なくなっているのだそうだ。そうでなくても世界中にESLはある。アメリカのドルは高いし、ウィスコンシン州のような知名度の低い場所に来る人もとても少ないのだそうだ。

 気付いてしまうと、私はなんだかすっかりこの大好きな語学学校を心もとなく感じてしまった。そしてそう思うと、毎セッションの終わりごとに生徒たちに配られるクラスアンケートの「評価」も、どこか先生たちがいつも以上にナーバスになっているように感じられたりもしたのである。トム先生は最終日、このアンケートの内容を読み上げて「この質問は使ったテキストについての評価だね。うーん、僕はこのテキストはとてもいいテキストだと思うね。」とわざわざ説明していたし、ベスは「先生についてどう思いますか?」という質問欄に関して、「毎度のアンケートでうんざりしてると思いますが、私を辞めさせたいと思っているなら、この質問は絶好のチャンスでしょう。」などと皮肉なことを言った。ジム先生に至っては、アンケート記入の時間に隣の教室に待機すると言ってクラスを出て行ったそうだが、生徒の目撃情報によると、彼は待機している間ずっと両手をぎゅっと握って教室で一人ウロウロと心配そうに歩き回っていたのだそうだ…。もちろんこのアンケートで酷評されて辞めさせられた先生は居る。非正規雇用として雇われている先生たちは、自分が受け持つクラスを次のセッションで持てるかどうかは、セッション開始日の二日前に知らされる。そこで初めて、いくつのクラスが開講されるか知り、それによってその月の給料が決まるのである。生徒の縮小に伴い、クラスが減少している今、このアンケートは先生たちの死活問題なのである。

 先月の終わり、セッションの終わりにベス先生は一人ひとりの生徒に「次はどの授業を取るのか?」と聞いて回っていた。そして一人ひとりに自分の授業をもう一度取ることを丁寧に勧めていた。もちろん私にも「あなたが書きたいと思うことを書いていいのよ。」と言ってもう一度ライティングの授業をリピートしてはどうか?と提案した。トム先生の『発音』の授業に至っては、最終日にトムは「次のクラスは生まれ変わる」と驚きの宣伝を怠らなかった。事実、このクラスはクラス縮小のために消えた他の『スラング』というクラスと合併した新しい授業内容になるそうだ。『発音』のクラスを終えたばかりの私たちが、再度この授業を来月から取っても損はないのだとトムは強調した。「単語テストはある?」と私が聞くと、あまりにも苦しそうな長考の後、「5問だけだ!たったの5問だけやるかもしれない。」とトムは言って生徒の顔色を窺った。結局、私はトムの言葉を信頼して、もう一度その新しく生まれ変わるという『発音』の授業を受講することに決めたけれど、必死に「自分の授業をリピートせよ」とリクルーティングする先生たちを目の当たりにして、「英語を外国人に教える」という仕事を誇りにし、毎日を楽しみ輝いていると思われた先生たちが、思いがけず直面しつつある時代の世知辛さについて胸を痛めずにはいられなかった。とりわけ日の短くなってきたマディソンは、今月から誰もが忌み嫌う冬の季節の幕開けである。誰もが春を待ち遠しく思う極寒の世界の始まりである。ひっそりとした“スチューデントラウンジ”にポツンと置かれたピカピカのジェンガの山を見て、私は日々生き残りをかけて模索しているESLの実情を、少しだけ悲しく思ったのである。

ダラルの恋

 10月14日。ずっと仲良くしていた台湾人のジエルが一年間の語学留学を終えて台湾にいよいよ帰国することになり、サウジアラビア人のダラルが、急きょ続けざまに私を誘ってディナーやお茶会を提案した。友情を重んじるダラルは授業をサボってまでジエルのために時間を作ることにし、お茶に行く前にそのことを丁寧にジム先生に断りに行った。「ジエルが最後だから授業には出られません」とダラルがきっぱり言うとジム先生はぽかんとして「今日の成績はゼロになるけどいいの?」と聞いたそうだが、ダラルは憤慨して「いいです!ジエルが最後なんだから!」と言って教室を出てきたそうだ。そしてダラルは自分の車に私とジエルを乗せると、あらかじめ決めていた台湾カフェ(ジエルは台湾に帰るのに。)へと私たちを連れ出した。

 学校で仲良しの二人とはいえ、外でゆっくりと話したことはなかったので、私は今までダラルがサウジアラビアの大学の教授だということを、こうしてしっぽりお茶をするまで知らなかった。それにダラルがPhDを取得するための難しい奨学金を得ているということも知らなかったし、それは他のサウジアラビア人のティーンの奨学金とは違った種類の奨学金で、月に2500ドルが得られるもの、一年半は語学学校で過ごせるものなのだということを初めて知った。だから、実はこの夏、サウジアラビアの政権が変わったことでこれまでサウジアラビア人のティーン達が大量に留学できていた奨学金制度がすべて打ち切りになり、のらりくらりと語学留学に来ていた彼らが夏の間にこぞって帰国してしまったのに対して、彼女は今期もマディソンに残って引き続き勉強が出来ているのだそうだ。その上彼女には月々、大学教授としての給料1500ドルが入ってくる。シングルマザーで大学教授で息子二人を育てながら勉学にいそしんでいるのだというダラルの知られざる身の上話に、私もジエルもとても興味津々に聞き入っていた。

 ダラルの話は、結婚話にも飛び火し、ダラルの子供たちの父親であり前の夫である人は、彼女の従兄弟なのだそうだ。そしてサウジアラビアでは、結婚をするとき親族全員にお伺いを立て、家族全員の了解が得られなければ結婚できないのだとダラルは教えてくれた。だけど、そこはサウジアラビア人である。たいてい結婚に反対するとき「辞めた方がいい」とは思っていても、そんな否定的なことは決して口にしない。ただ、「分からない。私には何も言えない。」と言えば、それは直ちに「結婚反対」の意思表明となり、その結婚は破談になるのだそうだ。「離婚したら女の人も再婚出来るの?」と私が聞くと、「何十回でも出来るわよ。」とダラルは言う。そして「私、再婚したいのよ。」と言って豪快に笑うと、実はアメリカに居る間に二人の男の人に告白をされたのだと打ち明けた。

 私とジエルが色めきたったのは言うまでもない。そして、ダラル自身、珍しくその浅黒いエキゾチックな頬をほんのり紅く染めながら、一人はイラン人で今乗っている車をダラルに譲った人で、もう一人は黒人のアメリカ人のムスリムなのだと言った。二人とも美人のダラルの事を好きになったそうだが、ダラルは親戚が反対するのは分かっているから、どちらとも結婚することは出来ないと伝えたと言う。サウジアラビア人以外の国の人と結婚するなら、アメリカ人の白人かヨーロッパ人の白人のムスリムでなければ必ず反対されるとダラルは言う。ジエルが試しに「黄色人種は?」と聞くと「ノー」とダラルは即座に言う。「こっちに居るサウジアラビア人の男の人はどう?」と私が聞くと、「一人、バツイチで子持ちの男の人がいるけど…」とダラルは言った。「友達よ。」そう言うと、ダラルは携帯に入っている一つの画像を私とジエルに見せてくれた。

見ると、ヒジャブを身に着けたエキゾチックで目元の涼し気な男性が写っていた。どうやらこの人がそのバツイチのサウジアラビア人のようだ。「ハンサムなんじゃない?この人」と私が言うと、「ハンサムだと思う」とダラルは言い、「ただの友達」だともう一度強調してから「彼は娘が居るからいろいろしてあげたくて、私は買い物とか手伝ってあげているだけなの。」とポツリと言った。聞いてもないのに「私は愛してないわよ。」とまでダラルが言うので、試しに「この人がダラルに告白したらどうするの?」と私が聞くと、ダラルははにかみながら「結婚する。」と迷うことなく言ったのである。

 「だけど、私は愛してない。だって、分かるでしょう?私たちの国では女の人からそんなことは言えないし、思うこともないの。もちろんこの人が結婚しようって言ったらするけど、私からは何も言わないし、思うこともないの。」私とジエルが顔を見合わせていると、「私は愛してないし、ただの友達。」とダラルがまた言った。「だってこの人は、いつも自分の娘のことばかり考えているんだもの。電話してもメールしても娘のことをいつも考えているもの…。でも、ただ私は手伝ってあげたいからイスタンブールマーケットに一緒に行ったりしてあげるの。夫婦以外の男の人と歩くのは誰が見てるかわからないから、私たちは夫婦のフリをして、手をつないでイスタンブールマーケットに行くの。ただそれだけ。」私もジエルもそれ以上、何も言わなかった。日本ではそれを『恋』と呼ぶことがあるのだけれど、ダラルはきっとそれを認めないだろう。台湾人のジエルの送別会だったのだけど、その日は思いがけずダラルの、サウジアラビアの恋愛事情を聞くお茶会となった。