カプレイ教授の退官

4月27日。「今日だよ!」教室に来るなりカプレイ教授が私に言った。もう三回ほど言われているので忘れるはずがないのだけれど、私は「四時からですよね?」と確認する。カプレイ教授は大きく頷いて「ルーム4070だからね。」と念を押した。忘れるはずがない。今日はカプレイ教授の退官の記念講演会の日なのだ。最初にそのことを言われたのは3月の上旬のとある授業の日だった。授業の始まる直前に教壇から私を手招きして呼び寄せ、カプレイ教授は今日の講演会の日程を個人的に教えてくれたのである。そして「デーヴィッド・ボードウェルも来るよ。」といたずらっぽく言った。それはマディソンで映画好きを気取っている人なら誰もが知っている名前である。もちろんマディソンでなくても、映画好きを気取っていなくても、知っている人は知っている有名人である。日本でも何冊か彼の本が翻訳されて出版されているし、ウィスコンシン大学の映画講義のいくつかは彼の本を中心に展開されている。デーヴィッド・ボードウェルはウィスコンシン大学が世界に誇る映画批評の生きた権威であり、ウィスコンシン大学の映画を学ぶ豊かな環境に大きく貢献した人なのである。

だけどデーヴィッド・ボードウェルが来るということよりも、私はとにかくお世話になったカプレイ教授の退官の記念講演会なのだから、今日は雨が降ろうが槍が降ろうが這ってでも講演会にはいかないといけないと思っていた。ただ、カプレイ教授が毎回私にしかアナウンスしないので、一瞬同じクラスのベリチアンナに今日の講演会の連絡メールのようなものが生徒たちには送られていたりするのかどうか確認しようと思ったが、前回のチチカット・フォーリーズのようなことがあってはいけないと思い辞めておいた。いったいどんな講演会なのかもよく知らないけれど、カプレイ教授が熱心に誘ってくれるのだから行かないわけにはいかない。わくわくしながら、私は3時半頃に大学に到着し、会場に向かった。そこはよく知っている会場で、ウィスコンシン大学の内部に併設されている歴史ある映画館である。

会場に入るといきなり私はデーヴィッド・ボードウェルに出くわした。というよりも、デーヴィッド・ボードウェルと一人の助手しかいない。そして何やら大きな声でスクリーンをチェックしている。恐ろしすぎて私は引き返し、何度も女子トイレと会場の入り口のあたりをウロウロと往復し、やはりもう一度出直そうと決意したところでカプレイ教授が現れた。「すいません、早く来過ぎて…」ごにょごにょと言い訳をしている私に構わずカプレイ教授は「こっちこっち!」と言って私を会場に招き入れた。そして逃げ出さんばかりの私の手を取って中に連れて行くと、私をボードウェルに紹介してくれたのである。「ボードウェル!こちらは日本から来たセイコだよ。素晴らしいシネフィルなんだ。」デーヴィッド・ボードウェルは作業の手を止めて、面白そうに私の所に駆け寄って来ると、「日本には四度行ったことがあるよ。」と言った。が、私はもう他にどんな会話をしたのか覚えていない。

始まって気付いたが、集まっていたのは完全に関係者だけだった。生徒など一人も来ていない。ほとんどがウィスコンシン大学のフィルム学に関わるカプレイ教授の素晴らしい同僚やTA、少数の親族と一人のカメラ小僧だけだった。退官の記念講演会と言えば、私は内田先生の講演会のようなもの(沢山の取材陣や卒業生が集まり、講演そのものがまるっと一冊の本になったりするもの。)を想像していたので、きっと講演会というよりは内輪のイベントのようなものだったのだろう。とてもアットホームでカジュアルなものだった。だけど、私はとにかく自分が場違いではないかと思い終始、恐縮しきりだった。カプレイ教授はデーヴィッド・ボードウェルと私を引き合わせた後、今度は奥さんのベティ・カプレイの所へ私を連れて行き、紹介してくれたからである。また、講演が始まると冒頭の挨拶で沢山の関係者にお礼を述べたのち、最後の方で「それから」と言って「皆は知らないと思うけれど、あそこに座っているセイコにもお礼を。日本から来た素晴らしいシネフィルです。」と私をまた大々的に紹介してくれたのである。いくつもの目が私に注がれ、知らない人がこちらを向いて「ハーイ」と手を振ってくれた。デーヴィッド・ボードウェルも見ている。私は恥ずかしくて恐縮して、ぎこちなく笑うしか出来なかった。

まったくもって不思議なことだった。なぜカプレイ教授は、何の関係もない部外者の私に、こんなにも良くしてくれるのか。白井君がウィスコンシン大学に二年間留学することになり、目的もなくウィスコンシン州マディソンにやって来たただの映画好きの主婦である。大好きな映画学を盗聴することに生きがいを見つけ、三セメスター、カプレイ教授の恩恵にあずかり、その合間に子供を産み、産んでもなお授業に通ってきたよくわからない日本人がもの珍しかったのかもしれない。あと一週間でカプレイ教授の40年の教員生活は終わる。そしてまた、あと二か月で私たちのマディソンでの生活も終わる。だけどカプレイ教授は講演会の後、「日本に帰っても連絡を取り合おう」と言ってくれた。人生というのは本当に不思議で何が起こるか分からないものだ。私はマディソンに来て今日と言う日ほど、それを噛みしめた日はなかった。