チチカット、フォーリーズの夜

 4月1日。「もちろん無料だよ。ウィスコンシン大学が映画を愛するすべての人のために配っているチケットだよ。」そう言って授業の後、カプレイ教授は毎年この時期に開かれているウィスコンシン大学のフィルムフェスティバルの上映映画のチケットを私に手渡してくれた。私の他にも何人かの学生がチケットをもらいにカプレイ教授の周りに集まっている。私は嬉しくて手渡されたばかりのピカピカのチケットをしばらく眺めていた。チケットには「10ドル」と書かれていた。それから「土曜 18時15分 チチカット・フォーリーズ」の文字が踊っている。『チチカット・フォーリーズ』!私は嬉しくて何度もそのタイトルを眺めた。『チチカット・フォーリーズ』!それはドキュメンタリー映画の第一人者、フレデリック・ワイズマンによる伝説のデビュー作品のタイトルなのである。「弁護士かつ映画監督」という異色のキャリアを持つワイズマンは、60年代にナレーション、サウンドトラック、テロップなどの説明手段を一切使わないという極めて実験的で挑戦的な“ダイレクトシネマ”という手法を用い、数々の素晴らしいドキュメンタリー映画を作った(今なお作り続けている)ドキュメンタリー映画界のドンである。授業で彼の『法と秩序』という素晴らしい作品を観て以来、私はすっかりこのワイズマンの世界の虜になっていたのだが、この『チチカット・フォーリーズ』は、そんなワイズマンがマサチューセッツ州の精神異常犯罪者の矯正院の日常を撮影し、その衝撃の内容から一般上映が長らく禁止されていたという作品なのである。

 「セイコ、一緒に行かない?」私が恍惚としてチケットを眺めていると、同じクラスのベリチアンナという中国人の学生が声をかけてきた。ベリチアンナはドキュメンタリー映画と日本語に興味のあるウィスコンシン大学の女学生だ。高校からアメリカに住んでいるので英語は第二の母語なのだが、今は日本語を習得したいらしく、ドキュメンタリー映画の授業に潜り込んでいる私によく興味を持って声をかけてきてくれるのである。「それで映画の前に一緒にディナーでもどう?」とベリチアンナは誘う。私は一人で行くつもりだったが断る理由もないので、「もちろん」と快諾した。「16時に会って、私のアパートで一緒に料理を作って食べない?」とベリチアンナはなんだか楽しそうな提案をしたが、私は赤ちゃんの世話のことを考えて「17時からしか会えない」と断った。すると彼女は「じゃあ、私が17時までに夕食を作る。セイコは何もしなくていいから17時に私のアパートに来て、一緒に私が作った餃子を食べよう。」と提案してくれた。私はもちろん快諾した。17時から中国人の女の子が作る本場の餃子を食べて歓談し、18時からずっと観たかったワイズマンの映画を観るなんて、なんて素敵な週末の予定だろう。私はウキウキしながら土曜日、マディソンにある日本食材のお店でベリチアンナの家に持っていくお土産のどら焼きを購入し、家のことを片付けて、一人でバスに乗ってベリチアンナのアパートへ向かった。

 17時8分。約束の時間より少し到着が遅れた私がアパートのドアをノックすると、顔中が汗だくのベリチアンナがアパートから出てきた。眉毛と眉毛の間も鼻の頭も、びっしりと大粒の汗が光っている。「ごめんなさい。ジムでトレーニングしててシャワーを浴びていたの」とベリチアンナは言うが、どう見ても未だ汗だくである。「とにかく座って」とベリチアンナは部屋に招き入れた。大きな可愛いベッドが部屋の中心にあり、横にキッチンの付いたワンルームの学生らしい部屋だ。部屋の端に長い机があり、その机には餃子の代わりにリンゴが三切れ皿に盛られていた。「今日は本当に忙しくて、クレイジーな一日だったの!」ベリチアンナはそう言って何やらバタバタしている。どうやら餃子の種を今から作るようだ。私は嫌な予感を感じながら「何か手伝おうか?」と聞いた。「じゃあ、セロリを切ってくれる?」そう言ってベリチアンナは鶏肉のミンチを冷蔵庫から出した。私は時計を見た。17時15分。ワイズマンの映画の上映は18時15分である。映画上映まであと一時間しかない。だけど私には、今からセロリを切る以外選択の余地もなかった。

かくして私は、ベリチアンナと一緒にセロリを切り、餃子の種を作り、それを皮に詰め、ボイルし、食べる、ということを凄いスピードで行うことになった。ベリチアンナは時々手を止めて喋ったり、彼氏の写真を見せてきたりして、餃子の種を皮に詰める際は「わーお、セイコってすごく速いのね!」と悠長に、私のスピード重視の醜い餃子がすごい速度で作られてくのを見て感嘆していたが、こっちは必死である。この日の映画を楽しみに生きてきたのだから、私はこのワイズマンの『チチカット・フォーリーズ』に一分、一秒だって遅れたくはなかったのである。もっと言うと、余裕をもって15分前には席に着きたかった。何が悲しくて、大好きな映画上映の40分前に餃子をせっせと作らないといけないのか…。だけど種を詰めながら、私はベリチアンナがカプレイ教授の授業や、授業で扱う映画上映の時、よく遅刻して部屋に入ってきていた姿を思い出し、自分が今日、人生の大きな選択ミスをしたのではないかと感じていた。そんな私の心境を知ってか知らずか、ベリチアンナはまた私の餃子の食べる速さに感心した。そして自分はフランス映画が好きで、好きな監督はアニエス・ヴァルダだ、と語った。

私はそんな会話もそこそこに、5分で餃子を胃に収めると、18時には玄関で靴を履いてドアを開けてみせたが、ベリチアンナはアパートの鍵を探し出してなかなか玄関に現れなかった。18時5分に二人で小走りでアパートを出発し、しばらく歩いていると上映開場が見えてきた。(幸い彼女のアパートは大学のすぐ近くだった。)開場が見えてくると私は少しだけ安心し、歩く速度は緩めすぎないよう注意し、少し遅れて後ろを歩くベリチアンナを振り返りながら、「『5時から7時までのクレオ』は観た?」と聞いてみた。ベリチアンナはきょとんとして「何?」と聞き返すので、私が「『5時から7時までのクレオ』…アニエス・ヴェルダの作品の…」と言うと、ベリチアンナは私に追いつこうと頑張りながら「フランス映画に詳しくないの。」と、にべもなく言った。それから「そんなに急がなくても大丈夫よ。」と私に笑いかけた。

 結局、私の努力は報われ、私たちは映画開始2分前に会場に滑り込むことに成功し、私はワイズマンの『チチカット・フォーリーズ』を一秒も見逃すことなく楽しむことが出来た。期待した通り、映画はとても興味深いドキュメンタリーだった。ナレーションも、サウンドトラックも、テロップも無い映像の連続。見続けるのは少し疲れる作品である。目をそむけたくなるような衝撃的なシーンも沢山あった。そんな映画に夢中になっている私の隣で、ベリチアンナは眠りこけていた。こっくり、こっくり、横で単調にリズムを刻むベリチアンナの頭は、静かに、そして永遠に、映画が始まってから終わるまで、気持ちよさそうに揺れ動いていた。そして『チチカット・フォーリーズ』が終わる数分前に目を覚ますと、彼女はどこやらのパーティに顔を出すとかなんとか言い、あわただしく闇の中へと消えて行った。