アハメはアハメ

 11月15日。「今回の大統領選は歴史的なものになる。」というのは、選挙前からよく聞くセリフだった。ヒラリーになれば、史上初の女性大統領の誕生で、トランプになれば史上稀に見るクレイジーな大統領の誕生、という意味だ。私の住むマディソンは学園都市ならではのリベラルな人が多く、ヒラリー支持者が圧倒的多数を占めていたけれど、一歩マディソンを離れれば、そこは全く違うファーマー達の住む世界に囲まれた「陸の孤島」なのだと先生たちはかねてから危機感を募らせていた。そしてその言葉の通り、あの夜ヒラリーの敗北にとどめを刺した州であるウィスコンシン州は、マディソンとミルウォーキーなどの数少ない都市部を除いてはトランプ支持という形で結末を迎えたのである。

 そんな「歴史的選挙」が過ぎ去り、選挙前からずっと停滞していたどこかそわそわした空気からも解放され、語学学校にも何も変わらない日常が戻ってきた。以前からトランプ当選の折にはカナダ移住を表明していたベス先生もトム先生も、もちろん移住などすることはなく、以前と変わらず語学学校で教鞭を取っている。私もフリーのカンバセーションアワーに参加したり大学の授業に聴講に行ったりする日常であるが、だけど何かの折にはふと政治の話になったりするのが興味深かったりする。アメリカ人の彼氏のいるタイ人のパニカは、お茶をした際、今は5年間のビザがあるけれど今後どうなるか分からないと不安を漏らしてみせたし、先週帰国したコロンビア人のフェリペは、「トランプのせいでマディソンに行くのは今後、もっともハードになるだろう。」と、本気か冗談か分からない、ませた内容のメールをわざわざ送ってきた。

先日行われたカンバセーションアワーでは、トルコ人の女の子と韓国人の女の子、そして白人のジェシー先生と私の四人で行われたが、すぐに話題はアメリカのトランプの話、韓国のパク・クネ大統領の話、そして少し前のトルコのクーデターの話になったりした。韓国人の女の子は、長い時間をかけてまず「パク・クネが嫌い」だということ、「こんなことになって恥ずかしい」ということ、「パク・クネの父親が大量の人を殺した」ということをとても中身の薄い英語で熱弁した。とりわけ、「恥ずかしい、恥ずかしい」と終始大げさに言っていたので、ジェシー先生は「うちだってトランプになって恥ずかしいわよ。」と言ってフォローしていた。トルコ人の女の子は、クーデターのことはよく知らないと言いながら、つたない英語で何やら人が大量に殺された話をしていたが、気付いたら私以外の全員が、自分の国の「酷さ自慢」になって迷走していた。韓国人の女の子はとにかく大げさで、「うちはナチスみたいなものよ。」とまで言っていたが、「だけど私の友人でアメリカの軍人に入りたがっていた男の子が居たんだけれど、トランプになったせいでもう入りたくなくなったって言ってたわ。」とアメリカを軽くディスることを忘れなかった。

だけど、その時「ナチスみたいなものよ。」と軽く言った韓国人の女の子のセリフに、私はふと既視感を禁じ得なかった。どこで聞いたのだろう。そう思うとふいに「ダラルだ」と思い当たった。サウジアラビア人のダラルが、先月「うちは北朝鮮と同じなの。」と言ったセリフと、韓国人の女の子のセリフがオーバーラップしたのである。それは中国人が祖国でフェイスブックを禁止されているという話になった時にダラルが「うちだって」と言った時のセリフだった。新しい王政になってから、サウジアラビアではフェイスブックもスカイプもメッセンジャーも禁止されてしまい、ダラルはまだ禁止を受けていないアプリを駆使して祖国の家族とコンタクトを取っているのだと言った。私が「でも何故わざわざフェイスブックとか禁止する必要があるの?」と聞くと、側で聞いていたベス先生が「政府が人々をコントロールするためでしょう」と憤然と言った。だけどそんなことを規制することで、いったい人々の何をコントロールできるのだろう?私には疑問だった。

実際、先週中国へ帰国したビッキーは、帰国前日、私にメッセンジャーから最後のメールを送ってきて、「WeChat」というアプリをダウンロードしてくれ、と頼んだ。「何それ?」と私が聞くと、中国で使える中国人達にとっての唯一のコミュニケーションアプリだという。「中国人なら全員がやってるわよ。」とビッキーは言うと、私に丁寧に使い方をメールでレクチャーしてくれた。「中国ではツイッターもフェイスブックもインスタグラムもメッセンジャーもラインもスカイプも使えないから。」とビッキーは言った。「WeChatは安全よ。」とビッキーが言うので、「e-mailは使えるの?」と私が聞くと「使える。」とビッキーは言った。だけどビッキーのことが大好きなので、私はすぐにWeChatというアプリをダウンロードして使えるようにしたのだが、すると登録した直後にダラルからWeChatの追加の申請が来たので何だか私は笑ってしまった。これまで私はWeChatなんて知らなかったのだが、禁止されれば禁止されるほどに、中国人達もサウジアラビア人達も、抜け道を探して躍起になってコミュニケーションアプリをダウンロードしているのだと思うと面白かったからだ。人をコントロールするというのは、とても皮肉なことなのだなと私は考えずにはいられなかったのである。

ところで、もう一つ面白かったのは、WeChatをダウンロードした後、今度はサウジアラビア人のアハメからフェイスブックを通じてあるアプリのダウンロード依頼がたまたま来たことである。また知らないコミュニケーションアプリなのだろうか?と思った私は、依頼されるままにその聞いたこともないアプリをダウンロードしたが、開けてみるとただの「出会い系」アプリでとてもびっくりした。しかもそれはとてもよく出来ていて、出会いを求めて登録している人全員の位置情報が瞬時に分かり、その人たちの人気順位や顔写真も観放題なのである。アハメはこんなものを使っているのか…と思ってびっくりしていると、ダウンロードして30分も経たないうちに「●●さんがあなたに興味を持っています。会いますか?」という案内通知が届いたので、私は大急ぎでアプリを削除した。全く、アハメは何を考えているのか…。「歴史的選挙」を終えてもなお、アハメは大金持ちの能天気なアハメのままだったのである。