妊娠にまつわるエトセトラ

 9月29日。「いったいどこに赤ちゃんが居るの?七か月だなんて信じられない。ちょっと立ってみんなにお腹を見せなさい。」ベス先生が朝一の授業で、私を立たせた。「本当に妊娠してるの?鳥の子?猫の子でも入ってるんじゃないの?」みんな笑っている。まあ、確かに妊娠中期も終わりだというのに、私のお腹はあまり目立たない。これでも妊娠前に比べて五キロ太ったのだが、それでも人からは「ベビーはどこにいるの?」とよく冗談を言われる。この語学学校には、私を含めて今、妊婦が三人いるのだが、私以外の二人はどちらもすでに臨月かと思うほど大きなお腹で学校に来ている。が、私はバスに乗っても席を譲られることもなく、自分で「実はね、妊娠してるの!」と言わないと、誰からも相手にされないのが現状なのだ。だから週三日の朝一で上級のグラマーを教えてくれているベス先生はいつも何かと私のお腹にイチャモンをつけてくるのだが、それでもいつも「ベビーは元気?」と言わない日はない。そしてしまいには私のお腹をまじまじと見つめて、「胴が長いんじゃないの?」と言ってくるのだ。

 だけど、私から言わせると、アメリカ人は全員妊婦みたいだ。自分が妊娠しているせいで、街を歩く妊婦がとても気になるようになったのだが、最初の頃は、誰もかれもが妊婦に見えることがあった。70歳くらいの白人のおばあちゃんでさえ、バスケットボール一個分ほど前に突き出たお腹を揺らして歩いているので、何度も振り返って「あの人は、妊婦なのだろうか?妊婦じゃないのだろうか?」と首をひねったものだ。そんなことは妊娠する前は考えもしないことだった。語学学校のフロントデスクで働くタイ人のプンにそう言うと、「アジア人はやっぱりどうしてもそうなるのかもね。」と言って共感してくれたのだが、その後、私がカフェラテを飲んで歩いているところを目撃すると、「だからお腹が大きくならないのよ!」とすごい剣幕で怒った。(ちょっと飲んだだけなのに。)そして「もっと食べろ、食べろ」と言う。プンの提案は「毎日牛乳とチョコレートブラウニーを食べること」だった。特にプンの牛乳信仰は厚く、夫のケビンは毎日牛乳とブラウニーを食べているから、大きくなったのだそうだ。(ケビンはただの巨漢に見えなくもない。)

サウジアラビア人のダラルは、もちろんかいがいしくデーツを私のために持ってきては、「妊婦はだいたい三つは食べるのよ。」と言って机にデーツを三つ、置いて帰る。コロンビア人のフェリペはまだまだ若いティーンの男の子なので、妊娠が発覚してからというもの私に出くわすといつもモジモジして「とにかく、おめでとう…。」と照れ臭そうに言うようになった。しかし、毎回毎回妙に堅苦しくそんなことを言ってモジモジするので、私がそのことを笑ったら「周りに妊娠してる人っていないんだ。」と言い訳をした。(ティーンだから当たり前な気もする。)そして「いや、四人は今まで会ったことはあるけど…。とにかく気を付けて…。」と逃げるようにしてどっかへ行ってしまった。ジュディー先生は、私が皆に「もっと食べろ食べろ」と言われて落ち込んでいるのを見かけると、「病院の先生が大丈夫って言ったのなら、気にしなくていいのよ。」と慰めてくれた。「なんで皆がそう言うのか分かる?」ジュディー先生は言う。「それはね、ジェラス(嫉妬)なのよ!」ジュディー先生のこの慰めは思いがけなかった。先生に言わせると、誰もが細いことを実は妬ましく思っているのだそうだ。優しいジュディー先生…。でも実は彼女は歩行困難なほど太っていたので、私はとっさに返す言葉が見つからなかった。
 
 そんな中、日本人の友人からは、よく「海外で出産することは不安ではない?」と聞かれることがある。それから、「アメリカだったら無痛分娩になるのか?」ということもよく質問される。不安かどうかはさておき、私もアメリカなら無痛分娩以外選択の余地はないと思っていたのだが、アメリカ人と結婚している友人にその話をすると、彼女の旦那さんの妹が最近、カリフォルニアで自然分娩で子供を出産したのだと教えてくれた。もともと“意識が高く”、“健康志向”の強い義妹だったそうだが、今回の自然分娩に対して、彼女は“最先端の医療”だと語ったそうだ。だけどそういえば、イギリスで結婚した私の友人もまた、ここ最近、自宅に簡易プールを作ってそこで無料で水中出産をしていた。私が「何故そんなことを?」と驚いていると、十年以上もイギリスで暮らしている彼女は、「自宅出産も水中出産も割と最近は一般的よ。イギリスの出産事情はとても“進歩”しているからラッキーだったわ。」と私に語ったのである。病院の一室で自然分娩をしたり、自宅で水中出産をすることが、“進歩的”で“最先端”な出産なのだとすると、アマゾンの奥地で出産する原住民たちは、それこそもう最先端中の最先端医療を駆使した出産ということなのだろうか。そんなことを考えながら、私は三か月後の出産を控えつつも、まだまだ身軽に学校へ通う日々である。