ニッポン症候群

 7月16日。「パリ症候群」という疾患がある。これは、メディアなどで取り上げられるパリや異国での華やかな暮らしに憧れた外国人が、暮らし始めてからその理想と現実のギャップから発症する適応障害の一種のことである。確かにパリに限らず、「理想とする海外生活」にうまく順応できない苦しさというのは誰にでもあることである。実際、全米で最も住みやすい町として名高いマディソンですら、「思っていた場所ではなかった」「日本に帰りたい」と日本人留学生が漏らしているのを聞いたことがあるのだから、華やかな「パリ」という町が持つイメージとのギャップが精神に及ぼす影響は計り知れない。その上、パリジャンは世界一冷たい人種で有名である。10年前、パリに旅行で訪れた際にも、モンサンミッシェルをガイドしてくれた日本人のガイドさんが「パリはパリジャンさえいなければ素晴らしい。」と臆面もなく語ってくれたことがあった。パリはオシャレで美しくて美味しい。だけどそればかりではないのだから、期待と失望のスパイラルというのは起こりうることなのかもしれない。

 事実、私もパリに着いてすぐに掏摸に遭遇した。ある時はピカソ美術館に行く途中、日本に知り合いがいると言って親しげにフランス人が声をかけてきたことがあったが、彼はチケット売り場まで来ると、チケットを買ってきてあげるからお金を出せと言ってきた。(断るとどこかに行ってしまった。)パリから一時間半ほど郊外のプロヴァンに日帰りで遊びに行ったら、「テロで爆弾がしかけられた疑いがある」と言って帰りの駅が封鎖されていたこともあったし、南仏に遊びに行こうと計画していたらニースでテロが起きた。パリ祭のエッフェル塔の見物に行ったら、シートを踏んだだけですごく怒られたこともあった。おまけに、パリはどこもかしこも全く冷房がきいていないし、道端はウンコだらけだ。だから、手放しでアメリカやパリでの「海外暮らし」を礼賛することは危険なのである。

 だけど今日、白井君とパリで人気のラーメン屋さんに足を運んだ時のことである。それは日本人が経営しているレストランで、店内は広々として明るく、ラーメン屋さんというよりは綺麗な食堂という感じだった。お腹が空いていたので、カレーやかつ丼、定食などのメニューがあることに私は心ときめかせていたのだが、ふとこの店がどこかいつもと雰囲気が違うことに気付いて顔を上げた。見ると、店内をあわただしく歩き回る従業員の人たちは誰一人として私語をしておらず、きびきびと接客にまい進している。彼らは常に店内に目を光らせ、どんな合図も見過ごさないように待機し、空いたテーブルは瞬時に磨き、一つとして無駄な動作がない。注文をすれば「少々お待ちくださいませ」と一礼して去っていくし、私がぼんやり空を眺めていると、「もしかしてまだ注文を聞いてなかったでしょうか?」と違う店員が飛んでくることさえあり、しまいには、白井君の足元に店員が落とした伝票を白井君が拾おうとした途端、「私が拾いますのでそのままで!」と駆け寄ってきたのである。一年以上海外の接客に慣れていた私たちは、すっかりその対応に感動し、言葉を失って顔を見合わせてしまった。

 もちろん、こんな接客は日本に居たら日常茶飯事なことかもしれない。だけど、一年以上日本に帰国していない私たちにとって、それは日常茶飯事ではなかった。カリフォルニアの日本人街のレストランでさえこういう日本のクオリティに出会うことはなかったし、そもそも最初から期待をしていないので私たちは失望すらしなかった。もちろん、そういう日本食のレストランにはたいてい、インターンシップで働いていると思われる日本人の従業員がたくさん働いているのだが、彼らだってアメリカ式、パリ式の接客を心がけているのが常である。語学学校のネイサンは、ロシア人の不愛想な接客はアメリカ人にとっては不快感を与えることがあるのだと、カルチャーショックについてビデオを見せてくれたことがあったけれど、日本人からしたらアメリカ人の適当な接客も十分カルチャーショックだと私は思わずにはいられなかった。けどそれは、もともと「ない」ものなのだから、「ある」と主張する方がおかしいのである。郷に入っては郷に従え、である。

だから、そうやって体内時計を合わすかのように、海外の「接客」というものにも適応してきた私たちにとって、今日、パリで出会った「日本の接客」というものは、思いがけず懐かしさと感動を運んできたものだったのである。日本では当たり前のように感じている、「お客様」というポジションが、これほど心地よいランチの時間を提供してくれるのかということに驚きつつ、私は密かにこの感動を、「パリ症候群」ならぬ「ニッポン症候群」と名付けた。それは、遠い異国で思いがけず祖国の美しい精神性に出会い、胸がいっぱいになるという精神疾患のことである。