センチメンタル・サマー

4月16日。マディソンの冬は厳しく長い。だから誰もがマディソンの冬を呪う言葉を口にする。寒いし暗いし何もする気がおきない。日照時間の問題が精神に及ぼす影響が大きいので、マディソンでは太陽の光と同じ光を出す特別なランプを無料で手に入れることができる。トム先生は、海外生活を終えて戻ってきたある年の冬、マディソンの冬と海外生活のギャップから精神を病み、そのランプを一日に数時間浴びていたことがあるという。「雪を見て喜ぶのは最初の数日だけだ。」とトム先生はよく言っていた。「そのあと何が起こるか、僕は知ってるからね。」だけど、今年は異例の暖冬だったせいか、私にとってマディソンの冬というのは、誰からも呪われるというほどひどいものではなかった。何日かマイナス20度の世界を経験したこともあったけれど、湖が凍れば、人々はその上でスケートをし、ホッケーをし、ホットチョコレートを飲む。道行く除雪機は雪が降ればすぐに作動し、かつ彼らの仕事ぶりは白眉だった。雪はパウダースノーで、どこまでもマディソンの町を美しく、白く染めあげていた、というのが私の印象だ。
 
 だから、私はどちらかというとマディソンの夏が長いということに驚いている。というのも、この一週間でマディソンは冬から夏へ、一気に季節の駒を進めてしまったからだ。それは気温が20度を超えた昨日の金曜日のことだ。示し合わせたかのように、町中があっという間に夏色に変わった。先週まで雪がちらつきダウンコートを着ていた人たちが、今日は短パンにタンクトップ姿で歩いている。議事堂の周りでは野外コンサートが始まり、カフェというカフェのオープンテラスが解禁となり、人でごった返している。まだ少し肌寒いのもお構いなしに年頃の女の子たちは短いワンピースにサンダル姿でアイスクリームを食べているし、道ではバイオリン弾きが陽気にバイオリンを奏で、ファーマーズマーケットのテントが芝生という芝生に姿を現している。ジム先生だって、私が地下で勉強していると、「せいこ!こんないい天気に、こんな所で何をしているんだ?」と聞いてくるし、他の授業では「いい天気だから外に出ましょう」と先生が発案し、困惑気味のアジア人たちをよそに屋外でリーディングの筆記試験が実施されたそうだ。カンバセーションパートナーの一人であるミカエラも、この日はカラフルなチューブトップのワンピースで現れて夏の到来を言祝いでいた。去年は10月になってもキャシー先生は「まだ夏でしょう。」と生徒を叱咤激励していたので、ともすると、マディソンの夏というのは、「雪が降る季節」以外の全てということになる。

 土曜日の今日もまた、道という道に夏めいた人々が楽しそうに家族や友人、恋人同士の時間を過ごすべく、マディソンのメインストリートをそぞろ歩いていた。私はというと、来週上海に帰るというスカイラーとジャクソンに久しぶりに再会し、三人でその華やぐ群れをかき分け日本料理店まで歩いていた。「アジア人にはこの陽射しはキツイわ。」と、スカイラーが不満そうに言う。「もう今から夏だなんて信じられない」というのが、我々の一致した意見だったが、夏が好きだと言うジャクソンは嬉しそうだった。相変わらず、スカイラーとジャクソンとの会話は面白く、ジャクソンは「帝王切開という日本語の言葉が面白い」といってケラケラ笑った。「日本語の手紙ってletterのことだと思うんだけど、中国ではトイレットペーパーのことなのよ。」とスカイラーが教えてくれるので、きっと昔トイレットペーパーを中国人から渡された日本人が、「手紙」だと勘違いしたんじゃないか、と私が言うと、二人はすごく喜んでくれた。ジャクソンはしばらく会わないうちに、日本のドラマのせいで英語ではなく日本語がだいぶ上達していた。「オタクって言葉は、日本から中国へ輸入されてるわよ。ジャクソンはオタクなのよ。」とスカイラーはジャクソンをからかっている。

 それにしても夏が到来した今日と言う日は、私にとっては少しセンチメンタルな日になった。というのも、レストランの席に着くやいなや、そんな上海人二人から中国製の扇子をプレゼントされたからだ。餞別という意味だろうか。日本の扇子の二倍以上はある大きな中国の扇子はとても美しく、二人からの思いがけない贈り物だった。もちろん二人はまた今年の八月に上海からホワイトウォーターというマディソンから一時間ほどの田舎に戻ってくる。そこのカレッジに進学するのだ。だから、しばらくのお別れということなのだが、歳の離れた友人たちからの気持ちに、なんだかほろりとなったのである。

「青子のバス停はどこ?」夕食を終え、まだまだ明るいマディソンの町を歩きながらスカイラーが聞いた。実は、私のバス停はだいぶ前に通り過ぎていたのだが、二人と離れがたかった私は、反対側にある二人のバス停までいつまでもついて歩いてきてしまったのだ。「二人と話をしていたくてここまで来てしまった。」私が白状すると、ジャクソンが笑いながら、「じゃあ今度は青子のバス停まで僕たちが送るよ。」と言い、三人でまたもと来た道を引き返した。相変わらずオープンテラスはたくさんの家族や恋人たちで賑わっていた。これは、去年の夏、私がマディソンに来た頃に見た景色そのものだった。何の前触れもなくマディソンが夏色に変わったせいで、私は心の準備ができぬままいやおうなしに「時間の流れ」を感じずにはいられなかった。夏が始まったということは、これは私にとってマディソンで過ごす最後の夏の始まりなのだということを意味していたからである。ジャクソンとスカイラーと語学学校での思い出を語りながら、メインストリートを抜け、涼しい風を感じながら、私はいつまでもいつまでも、こうやってバス停に向かって三人で歩いていたいものだと願ったのである。