タダシテル。

3月3日。「明日漢字テストなんだ。」とジョシュが悲しそうな顔をして日本語で言う。「抜き打ちテストじゃないんでしょ?」と聞くと、彼は「ヌキウチって何?」と聞く。そう言われてみると…と思い、『抜き打ち』という言葉を調べてみると、「刀を抜くと同時に切りつけるということから、予告なしに行う」という語源があることが分かったので、私は彼に英語で教えてあげた。「面白いねー!」と、宮本武蔵が大好きなジョシュは途端に目を輝かして歓喜し、すぐに自身のスマートフォンの辞書に追加した。前回は『攻略本』という言葉に狂喜乱舞して、追加していた。彼は日本が大好きなゲームオタクなのである。

日本ではあまり馴染みはないが、こちらでは「カンバセーションパートナー」といって、外国語に興味のあるネイティブのアメリカ人と英語を学びたい外国人がパートナーを組みお互いの語学力向上を目指す様々なプログラムがある。私はこうしたプログラムを最大限に利用し、今期、三人の熱心なウィスコンシン大学の大学生をカンバセーションパートナーとして得ることに成功した。週に一度、大学のカフェテリアなどで会い、宿題を教えてもらったり他愛もない話をするのが最近の私の日課なのである。そのうちの一人がこの日本語ぺらぺらのジョシュというわけである。ジョシュは上智大学に交換留学の経験があり、日本人になりすまして日本のオンラインゲームをするのが好きなので、ちゃらちゃらした若者言葉をよく使う。

「『は』と『が』の違い、分かる?」とジョシュが聞いてきたので、うーん、難しいね、と私は英語で答えた。「でしょう?」と彼はまた日本語で畳みかけてくる。「日本人は誰に聞いても難しいって言うんだよね。だって“タダシテル”から。“タダシテル”。でしょう?」“タダシテル”が頭の中で『正している』という意味なのか、『ただ、知っている』ということなのか判断するのに時間がかかったが、どうやら後者のことのようだ。日本語で主語に『は』を使うか、『が』を使うかという判断は、強調すべき言葉が主語か目的語かという違いによってなされるのだ。と、ジョシュは私に分かりやすく教えてくれた。でも日本人は皆「これはペンです。」「これがペンです。」というこの二つの文章の意味の違いを、学ぶことなくすでに知っていて使い分けているのだとジョシュは訳知り顔で付け加えるのである。「ウラヤマシイヨ。」と、おまけに彼は一つため息をついてみせた。「追いつけないんだからね。」私のペットボトルを断りもなく手でいじりながらジョシュはまた悲しそうな顔をした。

 タダシテル。これは日本人に限ったことではないと私は反論する。アメリカ人だってそうだ。私は前のセッションでグラマーの授業を取った。現在形や未来形など義務教育で一通り習う内容をもう一度習ってみたわけだけど、授業を取る前にグラマーのクラスについて聞き込みをした際、語学学校のティーンたちは口をそろえて「グラマーはイージーだ」と答えた。グラマーの基礎は彼らも母国である程度習得しているつもりなのである。エッセイを書いたりアカデミックな記事を読まされたりするクラスの方がもっと難しい。グラマーは独学でなんとかなる、と彼らは一様に私にアドバイスしてくれたのである。
けれど、私はそうは思わなかった。グラマーを知れば知るほど、その微妙な英語のニュアンスの違いを習得することの難しさに直面したからだ。もちろん、基礎的なレベルではグラマーはある程度テストの点数が取りやすい科目かもしれなかった。だけど私はwillとbe going to の違いやwouldやused toの違い、あるいは「間違いではないけれど、聞こえのおかしいもの」の微細な違いに注目してはよく躓き、その都度使い方を習得しなければならなかった。

例えば日本語を話す外国人はよく「それは、面白いです。」と言う。彼らはIt is interesting のit isをいちいちそのまま訳す癖があるのである。そしてそれは間違いではない。意味は十分通じるもので、日本語を教える先生も彼らに注意はしない。減点対象になるものではないからだ。だけど、日本人であるならばそんな表現はまず使わないのが普通だ。ただ「面白い」と言うのみである。あるいは「冷える」と「冷める」の違いだって私にはなかなか簡単に説明できるものではないが、その用途は自然と使い分けている。同じように、英語の文法にも、間違いではないけれど少し聞こえの変なものがあるのである。「説明するのは難しいけれど、ここは現在形ではなくて現在進行形の方がよりナチュラルだよ。」と熱心なアメリカ人大学生のミカエラは教えてくれた。ジム先生も「What will you do?というのはネイティブの耳には少しおかしく聞こえるのは確かだよ。」と言った。「What are you going to do?と尋ねるのがよりナチュラルだ。」と。その上、そうやって宿題で教えてもらったネイティブの回答すらもまた、「文法的に」間違いであることもあったのである。あるいはテストで間違えた個所を見せると「どっちでもいいんじゃないの?間違いなの?」と驚かれ「来週まで考えさせて。」とネイティブから言われたこともあった。それは、私たちが『が』や『は』の違いを明確に理解していないようなもので、体に組み込まれて適当に使っているときがあるからである。だから、“タダシテル”ことは強みであるが、弱みでもあるのだろう。

「カラスの群れって、murder(殺人)を使うって知ってた?」とジョシュがにやにやしながら言う。「a group of crowsとは言わないんだよ。a murder of crowsって言うんだよ。おもしろいでしょー?」面白い!と私が食らいつくと、「a school of fish, a pride of lions….」と、ジョシュはとめどなくイレギュラーな群れの数え方を教えてくれた。「面白いけど、なぜなの?」と私が聞くと、ジョシュは嬉しそうにこう答えた。「知らないよ!タダシテル。でしょう?」