あれは偽物の英語なのか?

 2月4日。台湾人のジエルが首をかしげている。私の通う語学学校には「先生育成プログラム」というものがあり、そのプログラムの一環で「英語を教える先生になりたい生徒」が「英語を習いたい生徒」に無料で毎週二日間、2時間ほどカンバセーションクラスを開講しているのである。そのプログラムに参加してきたジエルが、同じく参加してきた日本人のキクちゃんと何やら神妙な面持ちで話し込んでいるのである。「なぜだか分からない。」とジエルは言う。彼女はカンバセーションクラスの先生の話が全く聞き取れなかったのだそうだ。「使われている単語は一つ一つ聞いたことのある単語なのに、先生が何を言っているのかさっぱり分からなかった。」とジエルは言う。キクちゃんはそんなジエルに対して、「あれがネイティブの英語なのだ」と優しく励ましている。「きっとあれが本物の英語なんだと思うよ。」ジエルは驚いてキクちゃんを見る。そしておもむろに職員室の方を指さして聞く。「じゃあ、あれは偽物の英語なのか?」
 
 確かに、語学学校のベテランの先生の英語は信じられないほど聞き取りやすい。彼らはプロだ。幼稚園並みの英語力の生徒たちに二時間英語を教えるだけの特別な英語力を備えている。しかも彼らはチャングリッシュもジャングリッシュも聞き分ける耳を持っている。時には手ぶり身振りで生徒が伝えようとした言葉を言い当てるし、ジム先生は台湾人の男の子が私に「アニメで、日本で人気で、小学生…」と言っただけで、「クレヨンしんちゃんの事ではないか?」と言い当てた。先生たちがそれほどゆっくり丁寧に私たちに接してくれているのだということに普段はなかなか気付かないが、まだ先生になりたてのネイティブの授業に出ると、その差は歴然としている。

 前の秋のセッションで私も一度そういう経験をしたことがある。新しく先生になったばかりのケリーというハンサムな先生の授業でのことである。初めての授業でケリーもとても緊張していたが、彼の言葉が全く聞き取れない私たち生徒もかなりの緊張感を毎回要した。時には、出された宿題が何かすら分からなくて、生徒同士で相談し合ったこともあった。しかもケリーの英語は少しなまっていて、複雑な言い回しを好んだ。さらに悪いことに、ケリーはケリーで私たち生徒のジャングリッシュ(日本語英語)やチングリッシュ(中国英語)、スパングリッシュ(スペイン英語)を聞き取ることが出来ないのである。
コロンビア人のマリアはそんな新米のケリーにはやばやと見切りをつけて、クラスを変えてしまった。私はというと、あまりにも授業が分からないのでよくケリーに宿題の質問のメールをしたが、ケリーはケリーで、イエスかノーで答えればいいのに、「It is not just OK but*▽●×☆…」という構文でだらだらと何行も返事を書くので、「結局NOなのか?」ともう一度確認のメールを送ると、「青子、OKだよ。」というため息をつくしかないような一文をもらうこともあった。(それはそれでいい思い出である。)だから、ジエルの言っていることはよく分かる。語学学校だけに通っていると、壁の外から聞こえてくる「本当の英語」というものの迷宮に迷い込むことがあるからである。(外人が東北弁や播州弁にぶち当たるようなものかもしれない。)

今期もそうだ。私は、この1月末からまた新たにウィスコンシン大学の『ソビエト・フィルム』という講義へ聴講に行けることになった。前回もぐりこんだ『映画学への招待』の講義が終わったからである。新しいこの『ソビエト・フィルム』の授業は大学院生などが受講する20人ほどの小さなクラスだ。毎週二日、ソビエトの歴史的地理的背景をなぞりながら映画史を紐解いていくこの授業はとても面白くてマニアックだが、なかなか教授の英語の聞き取りも難しい。時に教授が生徒に質問を投げかけるが、悲しいことに私は質問そのものがわからないのだ。だから、授業開始の初日、私はクラス全員に配られた紙に何を書いたらいいかわからなかった。大きな円卓を囲んで、一緒に座っているクラスメイト達はさらさらと紙に何やら書き、次々と教授に手渡して教室を去っていく。私はもうどうしていいのか分からず、とりあえず「私の名前は青子です。私は日本から来ました。聴講の許可を下さりありがとうございます。私は映画が好きで、特にソビエトフィルムに興味を持っています。特に好きな映画監督は、レフ・クレショフ、カネフスキー、アンドレイ・タルコフスキー、ソクーロフ、アレクセイ・ゲルマン、ボリス・バルネットなどです。授業がこれから楽しみです。」と書きなぐって提出した。

あれで良かったのかは謎である。私だけ指示が聞き取れなかったのだから仕方がない。そのうえ、実は「Looking forward(楽しみです。)」と書いたつもりが、後で思い返してみると、「Looking for(探しています。)」と書いてしまっている。(つまり、どっちにしてもあれでは良くはなかったということになる。)全くもう、ネイティブの英語は難しい!早く聞き取れるようになりたいものである。