英語はむずかしい

  1月19日。ウィスコンシン州に引っ越して半年が経った。「半年も海外に暮らしていて日常会話は英語なんだから、ぺらぺらになったでしょ?」とたまに聞かれるけれど、そんなことは勿論なく、英語に対する難しさは日に日に増すばかりである。

最近私がてこずるのは、コロケーションという連語関係である。Mistakeという単語はmake mistakeだが、create mistake することはできない。Homeworkはdo homeworkであり、end homeworkではない。そういう法則を添削帰りの自分のエッセイで発見するようになった。このそこらかしこに張り巡らされたコロケーションの罠は、私を陰鬱にする。自由な発想で日本語の翻訳をそのまま貼り付けるだけでは、意味が通用しないからである。また、今日はin addition とbesidesも同じ意味なのに、使えるときと使えない時があると言われてエッセイがBという成績と共に戻ってきた。添削したジム先生からは、なるべく英英辞書を使うようにと言われた。

 また、発音も私の悩みの一つだ。あまりに発音が出来ないので、今月から私は新しく、20年以上アメリカで暮らす日本人の先生の「発音」の個人レッスンを受けることになった。一時間の個人レッスンで発音記号について学ぶのだが、やはりとても難しい。思えば日本の英語教育では、発音記号はそれほど重視されてこなかった。だからこそアメリカに来るまで、私も発音がそれほど大切なものだとは思ってはいなかった。けれど、読み書きが出来ても正しく発音が出来なければ、当たり前のことだがスピーキングは出来ない。人は自分が話すことのできない音を聞き取ることが出来ないという。だから、話せなければリスニングも出来ないのである。さらに、無知な私が驚愕したのは、アルファベットの並びとその単語の発音の間に、何の関係性もないという事実そのものである。Kellyは「ケリー」ではない。Womanは「ウーマン」ではない。そんなことを一から教えてもらい、私の中に義務教育時から定着してきた「英語」という概念そのものがゆっくりと姿を変え、扱いにくいものになっていくのを感じるのである。
 
 先生がアメリカのテレビを見ることはとても役に立つと言ったので、さっそく我が家のリビングにテレビが購入されることになった。32インチで200ドル、チャンネル数は50チャンネルもある。DVDも、YouTubeも観ることができる。英語向上へのマストアイテムである。わくわくしながらさっそく、YouTubeの大画面で真っ先にSMAPの謝罪会見を観てしまったのは言うまでもない。