嵐の夜に

 8月19日。学校の近くの人気のピザ屋でピザをほおばっている。昨日、マディソンは嵐のような雨に見舞われた。洪水のように道路に水があふれ、落雷の音が鳴り響いた夜だったが、一夜明けて今朝はすっかり空気が冷たく、秋のような寒気が町中を駆け抜けている。アラブ人のメシャールは半そでのTシャツにマフラーを巻いているし、私もすっかり秋服を来て登校している。恐ろしい雨から一夜あけて、変わったのは季節だけではない。私の体調もピザを食べられるほどまで回復したのである。
 
 昨晩、どしゃぶりの雨の中、私はついに喉の痛みに耐えかねて病院へ向かった。家からバスで15分ほどの総合病院である。ずっと病院へ行くことを敬遠していたけれど、ここ一週間で再び扁桃腺が腫れてしまい、毎日ろくにご飯も食べられず水を飲むのもままならない状態が続いており、もう限界だったのである。

 ホテルのチェックインカウンターのようなところで、保険証を見せて登録を行い、症状を伝える。なぜか足の折れた女性が快く受け付けてくれた。30分ほど待合室で待っていると、「Mrs.Shirai!」と呼ばれて、診察室に通される。青色の医療服を着た腰の低い白人の女性が入ってきてパソコンのある机に座った。彼女はうかがうように「通訳はいるか?」と聞いてくれた。私が通訳をお願いすると、隣にある電話でどこかに電話をし、すぐに日本人の少し年のいった甘ったるい声のする女性が電話口に出てきた。症状を聞かれ、それを通訳が日本語に訳し、私が答え、それをまた通訳が答えてくれる。症状は喉の扁桃腺の腫れでそれ以外には何もない。「その症状はいつからですか?」と白人の女性が英語で尋ねる。通訳が日本語で「一週間ですよね?」と私に聞く。熱を測ると、「熱はござぁません。」といちいち訳してくれる。「イエス」と答えればいいだけのところをなんとなく私が「はい、そうです。」と丁寧に答えると、医療服を着た女性はわざわざ通訳の人の「That’s right」が聞こえるまでぴくりとも動かなかった。

 熱も脈も血圧も異常なしというのが判明したところで、今度は喉のバクテリアを検出すると言って綿棒が取り出される。私が一瞬ひるむと、医療服を着た女性は「大丈夫よ。これはとてもソフトだから。あ、彼女、すごく恐ろしそうな顔してるから、いま私が慰めてあげてるの。」と電話越しに逆に通訳へ説明をした。通訳は通訳で「大丈夫でござぁますよ。あのお、綿棒はとても柔らかいものなので。」とデビ夫人のようなしゃべり方で勝手な意訳をして伝えてくる。すぐさま喉に綿棒が押し入れられ、私が痛さと気持ち悪さに一瞬餌付いたが、その瞬間、さらに綿棒が押し付けられて、「I got it! She did a good job!(やったわ!あんたよくやったわ!)」と医療着の女が興奮気味に叫んだが、なぜかこのときは通訳は電話の向こうで黙ったままだった。

綿棒を抜かれてから痛くて涙目になりながら喉をさすっていると、申し訳なさそうに医療着の女が何事かを言う。すると通訳が、「えー、これから、先生が来ますので、しばらく待っていて頂けますかぁ。ほかに何か聞きたいことはござぁませんかぁ?」と言った。目の前にいるこの医療服を着た人が医者ではなかったことが、衝撃だった。しかも、この医者ではない女性は、去り際になぜか「私たちの国では、日本の評価は高いわよ。」と言って去って行った。
ともあれ10分ほどたつと、今度は男みたいな迫力のある白人の女医さんが入ってきて、バクテリアの検査結果は「ネガティブ」だったことを伝えてくれた。私がとにかく抗生物質を欲しいとねだったので、医師はしぶしぶ5日分の抗生物質を出すと言ってくれた。

チェックアウト(ホテルみたいだ。)を済ませ、病院を出ると恐ろしいほどダイナミックで迫力満点の土砂降りの雨。鳴り響く落雷。家の近くの薬局で薬を受け取り、雨に打たれて震えながらやっとの思いで家路に着く。家に着くと、ここ何日かの緊張と不安に加え寒さと疲労感が押し寄せてきたが、とにもかくにも、やっと喉から手が出るほど欲しかった抗生物質を手に入れることができたのである。もうこれで大丈夫だと一安心して、言われた通り二粒の抗生物質を飲んで就寝することになった。

恐ろしい夜だった。なぜならその夜、私はひどい腹痛に襲われたからである。どう考えてもあの抗生物質だろうと思いながら、トイレに駆け込んだ。さらに、朝起きたら顔がパンパンにむくんでいた。このむくみもどう考えてもあの抗生物質だろう、と朝一番に鏡をみて思ったが、それでもお昼までにはあのひどい喉の痛みが和らいで、ピザをゆっくりだが飲みくだせるほどまで回復したのは、感動的だった。気付けばマディソンの町中に秋の空気が垂れ込めている。なんだかもう、何もかもが嘘みたいな悪夢のような嵐の夜だった。