マリアと私と最終日

 8月21日。気付けば、語学学校も今日で終わりである。私の通う語学学校は二か月ごとのワンセッションになっていて、今日で7月、8月の夏のセッションが終わった。ここの語学学校はワンセッションごとで授業を受けて、最終日にファイナルテストを受けて終わりだ。その後は次のレベルへ進む子もいれば、進まないでそのまま帰国する子もいるし、それは一人ひとりの事情によって異なっている。大好きだった中二病のトリスはセッションの途中で帰国してしまったし、アラブ人のおしゃれなメシャールも帰国する。モンゴル人のサラは来月からシカゴで新しい生活を始めるし、中国人のジェニスやキャサリンは、アメリカのハイスクールへ進むために違う土地へ去って行った。私は引き続き9月から一つ上のレベルのクラスを三つ受ける予定である。
 
いずれにしても、いろんなところで別れを惜しむ声が聞こえる。私もいつの間にかそんな輪に入り、帰国してしまう彼らに「keep in touch!(連絡してね)」などと叫んで、写真を撮り合ったりしていた。コロンビア人のマリアはしょっちゅう抱き付いてきて可愛い。彼女はクラスのリーダー的存在で、女王蜂のようにクラスに君臨しているのだが、その実、一人ひとりに対してとても愛情深く接する21歳の女の子だ。

マリアとは、ちょうど何週間か前に一度同じバスに乗り合わせたことがあった。セッションも後半に入っていた時期だったので、肉体的にも精神的にも私はすこし疲れていて、隣に座った女王マリアに「ホームシックにならないのか?」とその時に質問をした。しまったと思ったときは遅く、みるといつの間にか隣に座るマリアの目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。いつも女王のようにクラスに君臨していて、真面目で頭のいいマリアが泣き出したのである。そして、彼女は「もちろん、ホームシックでさみしい。」と私に心細そうに言った。聞くと、彼女は12月まであと2セッションを終えるまでは、コロンビアへ帰国できないとのことだったのだ。英語を勉強し、あと二つレベルの上のクラスを卒業してから帰国し、英語を使う仕事に就くのが夢なのだ。ただ問題なのは、今コロンビアにいる彼氏と何やらごたごたしており、とにかく一刻も早く帰りたい気持ちで毎日過ごしていたのだという。

バスに揺られてすすり泣くマリア。そんな彼女を慰めながら、「私もホームシックだよ。」と言うと、すかさずマリアは「あんたには旦那がいるじゃない。」とぴしゃりと言ってまた泣いた。「マリアにもビクトルがいるよ。」と同じコロンビア人の男友達の名前を出してみると、今度は嘲笑の混じった泣き方で「ビクトル?あんなの、ただの友達でしょ。」とマリアは言った。気の強いマリアは泣いていても強かった。私はなすすべもなく、とりあえず慰めたり、慰めるのをやめたりしながらバスに揺られていると、語学学校への留学生活を謳歌しているように見える彼女たちも一人ひとりいろいろな思いがあって、いろんな事情を抱えているのだなという当たり前のことに思い至ってなんだか少し切なくなった。私だって単純に毎日が楽しいばかりではなかったけれど、それでもマリアからしたら、気楽な主婦に見えていたのかもしれない。

バスが私の住むアパートに近づいてきた。「うちは近いから、さみしくなったらいつでも遊びにきていいよ」と言ってみると、やっとマリアの顔に笑顔が見えた。「もう降りるね」と立ち上がろうとすると、マリアが「それにしても、」と言った。「あんたの旦那さんっていつもシリアスそうに歩いてるよね。」それから今度はもっと悪戯っぽく笑いながらこういった。「あんたはあんたで、なんかいつもファニーだし。いったいどうやって恋に落ちたわけ?」爆笑しながら手を振るマリア。やはり、言うことは言う女だ。

思えばその日からである。マリアは放課後、私をよく探すようになった。授業後トイレに行こうとしては、「SEIKO! Where are you going?」とくる。私がこれから図書館に行くと言っては、「私も行くわ。」と言って付いてくる。来たら来たで早く帰りたがるし、なかなかのわがまま娘だったのだが。いずれにせよ、そんな彼女との下校すらも、今日でとりあえずはいったん終わりというわけである。二か月の興味深い学園生活。振り返ると、なんだかとても楽しい毎日だったように思う。