これがお菓子外交

 8月3日。語学学校の午後一の授業でアラブ人がすごい勢いでポテトチップスを食べている。一つの授業には10分の中休みがあるのだが、7月中旬にラマダーンがあけてから彼らは授業の休憩時間の10分が経ってもなかなか戻ってこないことがよくある。業を煮やして先生が授業を始めると、ようやく戻ってきた彼らの手にはおのおのコーラやスターバックスの戦利品がしっかり握られていたりする。あと50分少しで授業が終わるというのに我慢できなかったみたいだ。こういう姿を見ると、「ラマダーンは小さい頃からしていることだから慣れてるよ。」と得意気に笑って答える彼らのセリフが疑わしいものに思えてくる。

 いずれにしても、アラブ人に限らず、成長期のティーンたちはよく授業中にバリバリとお菓子を食べている。ひどいときなど、軽いテスト中にも食べる音が聞こえてくる。しかし、最近の私はというと彼らのそうした習性を利用して時々「お菓子配り」という名の「プレゼント外交」にいそしむことを日課としている。先週、初めてコロンビア人のビクトルにチョコレートをあげたとき、彼は予想していた以上に目を輝かせて、「お菓子を受け取ったとき」、「授業の途中」、「食べる直前」、「二日後」、という計四回もお礼を言ってくれた。二回目は自習室でビクトルが勉強しているところに差し入れしたのだが、彼は私が自習室を出ていくまでずっと親指を一本ぴんと立てた「GOOD!」の状態で微動だにせず、私の姿が消えるまで微笑みながらこちらを見ていてくれた。それだけではない。同じくコロンビア人のマリアは二回お礼を言ってくれたし、中国人のゾーイは「放課後、遊びに行くけど一緒に来るか?」と遊びに誘ってもくれた。大人しい中国人のジェニーは、次の授業で自分のお菓子を私にお返ししてくれた。

 そんなこんなで今日、ライティングの授業で四人のグループに分かれて作業をしていた時のことである。みんなで一生懸命ワークシートに向かっていると、ふいに私の向いの席から小さな袋をパーティ開きする音が聞こえてきた。顔を上げると、7月末から私よりも後に転入してきた韓国人のミンである。ミンは来たばかりで私以上に大人しい若い女の子だ。彼女の英語はとてもゆっくりで、ほとんど話をしない。話しかけても英語に慣れてない上にシャイだからか、一言返すくらいしかしてくれない。そんな彼女が、作業の始まりとともに、持ってきていたお菓子をパーティ開きし、そこから一かけらを食べてみせ、おずおずとその袋をテーブルの中心に置いたのである。そしてまたうかがうようにして、私やモンゴル人のサラ、中国人のパトリシアに「食べろ」と目で合図をしたのだった。

 作業の途中だったので少しめんくらっていた私を尻目に、血も涙もないモンゴル人のサラは瞬時に「ン、ン。」と首を横に振り、中国人のパトリシアもそれに続いた。彼女たちは、新参者のこの勇気ある行動を一瞬にして拒絶したのである。気持ちいいほど大ざっぱな性格の持ち主たちである。残念そうなミン。そして、出遅れた私はというと、実は一昨日から扁桃炎を患っており、固形物を食べると口の中に激痛が走るという不幸なコンディションで、朝は涙が出そうになりながらトーストをジュースで何とか半分流し込み、昼はスープとヨーグルトで刺激を受けないようにお腹を満たしていたところだった。だけど、どうしてこのミンの誘いを断れるだろうか。ミンはまだ来たばかりで、私以上に大人しくて、つまらなそうに休み時間は携帯を触っている子だ。だいたい、この瞬間に私まで「ン、ン。」と断ったら、イジメに該当する気がする。いや、それ以上に私にはミンの気持ちがとてもよく分かった。こんなけなげな申し出を断れるはずがなかったのである。 

 かくして彼女が差し出したお菓子は、とてもさくさくしたパイ生地にチョコレートがコーティングされている甘い固形物だった。サラやパトリシアには理解できないものかもしれないが、ある境遇に瀕した人間にとっては、物々交換は生きるための手段になり、大きな意味を持つことがあると私は思うのである。少なくともマディソンに来て、友達もできずに慣れない英語を勉強する私にとっては、自分のためじゃなくて人のためにスーパーでお菓子を選ぶ時間はとても重要な意味のある時間だった。

 ちなみにTylenolという薬が、日本での「痛み止め」に該当するものらしく、4ドルほどで購入できるということを今日初めて知った。帰りに買って帰ったのは言うまでもない。