小さくて美しい町マディソン

 7月29日。マディソンは湖に囲まれたとても美しい小さな町だと思う。ダウンタウンに白くそびえたつ州会議事堂は美しい町のシンボル的な存在で、姫路でいうところの姫路城とよく似て、町中の人から愛されている。マディソンでは州会議事堂よりも高い建物を建てることができないので、この州会議事堂がこの町で一番大きな建築物ということになるが、そういわれるとマディソンには高層ビルは一つもない。その美しく白い建物から巨大なウィスコンシン大学のキャンパスが連なっている界隈へとメインストリートがのびており、それがマディソン一の繁華街ということになる。この繁華街が姫路で言う所の、姫路駅から姫路城へのびる「みゆき通り商店街」ということである。

 また、ウィスコンシン州はかの有名な建築家フランク・ロイド・ライトの出身地であり晩年を過ごした土地でもあるので、このマディソンでもライト建築を楽しむことができる。よくマディソンの絵葉書で目にするのは、ライトがモノナ湖に作ったモノナテラスと、湖越しにそのモノナテラスと州会議事堂が重なり合っている写真である。ライトは州会議事堂の屋根が特徴的に丸いという所をモチーフとし、この美しいモノナテラスをすべて円状で設計した。それはモノナテラスのトイレや駐車場の案内板まで円状にするという徹底ぶりで、マディソンのシンボルへの敬意が伝わってくる素晴らしい建物である。

 とにかくそんなマディソンは、いちいち引き合いに出すが、姫路のような規模と美しさと素朴さを持つ町だ。マディソンに暮らす人はそろって「マディソンの人は人柄がいい」とマディソンの良さをあげるが、私は密かにその「人の良さ」はこの規模の小ささゆえではないかと訝っている。「東京は人が冷たい」と言われることの逆バージョンである。マイノリティに属する日本人でさえ、休日にダウンタウンを歩けば知り合いの日本人に出会う。その知り合いはまたこちらの知り合いと連れ添って歩いていたりするのである。そうなると、どこでだれがどう繋がっているのか分からないと、性格の悪い私などはうっすら恐怖感を覚えたりする。数週間住んだだけでそう思うのであるから、なおさらではないだろうか。

 今日はバスで知らない白人のおじいさんに話しかけられた。つたない英語でのコミュニケーションで分かったことは、何やら歴史が好きで、シカゴが好きで、でもNYは行ったことがなく、これから病院に行くということである。彼が「あ、次で降りるよ!」と言うので、私は彼の代わりにバスのストップリクエストを押してあげた。「またね」と言って立ち去るおじいさんを見ていて、そういえば姫路でもよく知らないおじさんに話しかけられたな、と懐かしい思い出がふいに蘇ってきた。名前も知らなかったけど、スポーツセンターで走っていたら、「あと何キロ走るの?」とよく声をかけられて、仲良くなった人もいた。姫路を去る時には、一応「アメリカに行くことになりました。」と名前も知らないけれど、報告までしたのを思い出す。

 姫路には一年しか住まなかったけれど、これから二年間住むマディソンでもそんなことがあるだろうか?知り合いでなくても、すれ違い様に微笑む不思議なアメリカ人たち。ダウンタウンへ差し掛かり、州会議事堂が見えてきたバスに揺られながら、この慣れない優しさに思いを馳せる今日この頃である。