風雲三宅坂劇場・2003


2003年12月31日

かねがね考えているのであるが、人間は鼻水を一年分まとめて出すことはできないのであろうか。

その日は「おこもり」と称して学校・仕事の公休が認められ、それこそ飯も食わず家族にも会わずに部屋に閉じこもり、ひねもすズビズビと鼻水を排出し続けるのである。

苦行であろうが「これで一年間鼻水とはおさらばさ」と思えば安いものだ。

間断なくあふれ出る鼻水というものは、かような妄想を抱かせるほどに勤労者にとってストレスの種である。

会議室でも頭の中は「鼻水が落ちませんように」で一杯だし、だいいちビシッとしたことを言ってもハナタレでは説得力のかけらもない。

 

風邪で寝込んでいる間に山崎豊子「白い巨塔」第一巻・第二巻を読み、続いてフジのドラマを再放送で見る。

前半のテーマは「財前五郎助教授が首尾よく教授になれるかどうか」。

国立大学医学部教授選の票取りをめぐって、分かりやすいキャラ付けの人たちがごじゃごじゃと裏工作を展開する。

1978年のドラマ化はバカ売れし、「白い巨塔」は大学医学部の閉鎖性を示す慣用句になり、財前五郎は故田宮二郎の畢生の当たり役になった。

当時は「閉ざされた医学界のどす黒い内幕を暴く」みたいなセンセーショナルな売れ方をしたが(児童だった私はよく覚えていないが)、いまの私の目からは、カネだのポストだのをエサにしたこのような裏工作は全くもってふ・つ・うーのことである。

といっても別に私が袖ノ下のやり取りを日常的に行っているという意味ではなくて、「悪いことだけどまあ世間には当然そんなことする人もいるわいな」という意味である。

ある程度の規模の組織の中で仕事をしている人なら、誰しもそう思うのではあるまいか。それとも私の腹が黒すぎるのか。

まあ当時は舞台が「国立大学医学部教授選」だったからこそ好奇の的になったのであろう。

いまや国立・大学・医学部・教授の、どれ一つとして神通力をもたないご時世である。

内田百間先生は「私は官僚的なものが好きである」と言っておられるが私にもそのケがあって、官僚的なものにはスタイリッシュな魅力を感じるし、権威主義的なものは世界を活性化するために必要であると思っている。

国立・大学・医学部・教授の皆様にはぜひ頑張っていただきたい。

 

テレビの方は「真珠夫人」を踏襲するコテコテの脚本と演技。

台詞もほぼ原作に忠実に作っているのが功を奏している。

脇役男優陣が総じて快演だが、西田敏行は見ているのがつらい。

財前五郎(婿養子ね)の舅財前又一は、個人医院の経営に水も漏らさぬ手腕を見せ、お客をバリバリバリと診察して、音曲の一つも嗜み、料亭の女将を長らく囲い者にしている、大阪のど真ん中に生まれ育ったバイタリティあふれる旦那である。

しかるに今回の西田敏行は無知無教養で粗暴なだけの田舎者である。

原作とキャラが違っても別に構わないが、「金持ちで下品な大阪弁の男」の拙劣なカリカチュアでしかないのではブチ壊し。

西田敏行に正しい大阪弁を喋れというのも無理な話で、これは役作りとかなんとかいう前にキャスティングした方が悪い。

 

これに対し特記すべきが二人。

医師会の岩田会長を演じる曾我廼家文童。

このキャスティングには絶賛快哉、あまりのリアルさにひいひい喜んでしまった。

舞台出身の役者がテレビに出ると往々にして芝居が画面からはみ出してしまうのだが、こういう大芝居型のドラマだと舞台で鍛えた底力がいかんなく発揮される。

発声にもご注目ください。

ああいう骨格のああいう声は「大阪の小賢いオヤジ」の一典型なのである。

そして大河内教授を演じる品川徹。

常に正論を述べて譲らぬ謹厳実直頑固一徹の病理学者。

「鶴のような痩身」と書かれるまさに原作そのままで、よくこんなにぴったりのルックスの人がいたなと思う。

この二人に象徴されるように、「白い巨塔」はキャスティングの時点ですでに勝負あった、というドラマである。

つまり「ニン」と「役柄」が適合するかどうかが決定的な力をもつ、まさにこれは「歌舞伎」なのである。

 

2003年11月28日

 

宣伝です。

一年間滞在したイタリアでのおもしろ体験を月イチで掲載しています。その名も「月刊ボンジョルノ」。ありかはこちら。

 

「京劇カフェ 極楽茶館」

http://www.bekkoame.ne.jp/~maomi/

 

友人の京劇役者・魯大鳴さん(おっとこまえ〜)のHPに間借りしております。細き流れの幾間借り 末は田川へ入谷村(@河竹黙阿弥)。

こちらの方もなにとぞご贔屓のほどを。

 

イラクでイタリア大使館に砲撃。

この間はイタリア軍司令部で自爆テロがあり、イタリア人・イラク人26人が死亡した(その後増えてるかも)。

短期間とはいえイタリアに寝起きしすこぶる好感を抱いた者としては胸が痛い。

イタリアから派遣されているのは「カラビニエリ」という組織で、厳密にいうと軍隊ではない。

ちょうど軍隊と警察の中間的な存在で、町をパトロールして噴水に飛び込んでいるアメリカ人観光客を注意したりもすれば、こうやって軽武装でイラクに派遣されたりもする。

広ーい意味での治安維持活動に従事するわけである。

「花の駐在さん」的な警察官のいでたちと違い、町で見かける彼らは実にファッショナブルな制服でキメている。

動きにくいんじゃなかろうか、というぐらいカッチリ身に合った黒の制服で、徽章や革ベルトタスキ掛けが時代錯誤スレスレのマッチョなゴージャス感を醸し出す。

車は濃紺のスポーツカー。ボディには真っ赤な稲妻ラインに「CARABINIERI」のロゴ。

フィレンツェの中心街には騎馬警官ならぬ騎馬カラビニエリもいて、観光客の撮影にご陽気に応じてたりする。

たぶん仕事の方はイタリア名物のお役所仕様なんだろう(知らないが)。

カッコばっかで役に立たないカラビニエリ(常に二人連れなのがポイント)をおちょくるジョークが山ほどある。

広場でヤクの売人を取り締まろうとしたカラビニエリが、逆に取り囲まれてパンツ一丁で放り出された、てな話も聞いた。

いずれにしてもイタリアに暮らす人にとっては大変なじみの深い人たちなのである。

なじみの深い人たちが直接の交戦国でもない戦地(ですよねどう見ても)に送り込まれて殺される、というのは「巻き添え」という言葉でしかとらえようがなく、割り切れない苦しい体験である。

自分がすっかりイタリアにかぶれているのを再認識した。とあえて狭小な結論で終了だ。

ちっ、ブッシュめ〜。

 

2003年11月19日

 

雅楽公演が終了。創作曲が主体の公演であった。

「雅楽で創作曲?」と思われる向きも多かろうが、こういう創作活動は昭和40年代以来コツコツと行われているのである。

ちなみに新作雅楽の金字塔とされているのが武満徹の「秋庭歌」。

初演は国立劇場委嘱で宮内庁楽部の演奏、と聞くと「へぇ」って感じですよね。

それで確かに名曲なんだこれが。

そうなると私は「伝統芸能の新作って一体何じゃらほい?」と考えざるをえないのである。

「伝統芸能の新作」が基本的に嫌いなのにもかかわらず。

 

「伝統芸能の新作」というのは、関係者にとっては厄介な問題である。

お客様にとっては「今度は新作かあ。どうせつまんねえから見なくてもいいや」てなもんだが、作る側にとってはそういう訳にもいかない。

「伝統芸能には新作が必要だ」。この命題は正か否か。

 

2003年10月29日

 

『仁義なき戦い』の「第一部」「広島死闘編」「代理戦争」「頂上作戦」「完結編」全五作をたて続けに見る。

「70年代の伝説」(ビデオパッケージより)といわれるこの名シリーズ、「おとぼけ映画批評」にもきちんとのっかっている。

なので「けっ、なにをいまさら」と言われそうであるがそこはそれ。

素人がぬけぬけとものを言えるのもネットならではのことである。

タランティーノのオマージュとこの「風雲三宅坂劇場」のおかげで、深作作品のレンタル貸出も増えようというものである。わははは。

 

第一部のオープニングはなんと原爆のキノコ雲。

『仁義なき戦い』は、ヒロシマの原爆で幕を開けるのである。

原爆ドームの姿はどの作品にも必ず登場するし、原爆スラムと呼ばれる貧民街の息苦しい風景も印象的。

原爆、ヤミ市、MP、復員兵。

『仁義なき戦い』はこういう近代史のアイテムの中から生まれ出でた。

 

出てくる役者がだれもかれも濃い。

とりわけ「広島死闘編」の成田三樹夫のカッコよさには腰が抜けた。

何が良いって、その姿である。

スーツ姿の美しさには、松田優作『探偵物語』の時すでに子供心にときめきを感じたものだが、その着物姿のスッキリしたことといったらもうあなた。

まずもって着こなしがカタギの町人ではない。

かといってヤクザぶったキザさや嫌味やルーズさがない。う、美しい。

 

内田先生もちゃーんとお書きになっているが、これも「広島死闘編」の千葉ちゃんが抜群におもしろい。

梅川昭美(※昭和54年三菱銀行籠城事件の犯人)を連想させる衣裳で登場(って連想の順序が逆ですが)。

声が頭のてっぺんからスコーンと出ていてお見事。キレキレぶりに絶妙のリアリティを与えている。

千葉ちゃん演じる大友勝利は、めちゃめちゃに見えて実は言ってることが論理的である。

論理的であるが現実的ではない。

これはつまり子供っぽいということである。

千葉ちゃんを見ていて私の脳裏に浮かんだのは「子供の破壊的な屁理屈にタジタジの大人」というイメージである。

これってきわめて「戦後」的な風景なのではあるまいか。

 

組長菅原文太収監中につき留守を守る若頭伊吹五朗も良い。

派手なシーンが全くなく演技も実に行儀がよいのであるが、「オヤジは留守だし時代錯誤のオジキはうるさいし若い衆は暴れたがるし金はないし、とにかく今は辛抱辛抱。でも状況次第では黙っとらんけんね」という、ジッと様子を伺っている冷静さ&知性&凄味みたいなものが伝わってくる。部下に欲しい。

 

任侠道のしきたりが面白い。

おなじみの「指ヅメ」は謝罪の象徴として想像以上に強力な価値を持つらしい。

江戸時代のお女郎さん(時には素人の男女)も指を切った。

変わらぬ愛の心中立てに「指切りゲンマン」するのであるが、そうそう指を切っていてはプロは勤まらない。

細工師にこしらえさせたニセ小指をあちこちの客に進呈して「指何本あんねん」というツッコミを受けたやり手さんもいたそうである。

「忠臣蔵」六段目で、祇園に売られていく娘お軽に向かって老母が

「色街ではヤレ指を切れの、髪を切れのというそうなが、髪は切っても生えるもの。指など切ってたもんなや」

というようなことをかきくどく。

田舎暮らしの老母の慈愛があふれ出すまことに良い台詞で、いつも切なくなってしまうのである。

以上指ヅメこぼれ話でした。

で、お女郎さんの指ヅメとヤクザの指ヅメとは、文化史的にどこかで直接つながるのだろうか?

 

盃をもらう・盃を返す。

象徴的な表現ではなくて、文字通り盃を与えたり返却したりする。

奉書に「右の者侠道にあるまじき行為を・・・」など墨蹟淋漓としたためた、破門状や絶縁状がやり取りされる。

そして気になるのが神道との関係である。

儀礼の場では床の間に「天照皇大神」の軸がかかり、榊、八足台、御神酒徳利が並ぶ。事務所には御神燈。

芸者さんの置屋にも御神燈がつきものであるが、極道の方はたぶん乾坤一擲、博打の方のつながりで神様とつながっているのではなかろうか。

ナショナリズム、などという単語もちらつくが、古来の任侠道には「日本」という国家は存在しないはずだ。

オヤジ・ネエサン・アニキ・オジキ・舎弟。

擬似血縁制度によって成り立つ「一家」のネットワークがあって、それぞれに縄張りという地縁が結びついている。

国家と神道と博打と任侠道。自分でやるのは恐いので誰かフィールドワークしてくれないかな。

 

弱い組は強い組を後ろ盾にして生き残りをはかる。

強い組は弱い組を取り込んで勢力拡大をはかる。

こっちはあっちと兄弟分だし、あっちとこっちは先代からのお付き合い。

人間関係のパワーゲームがハンパじゃなくややこしい。

相当クレバーでないと、この蜘蛛の巣の上を渡っていくのは不可能だ。

そしてこの感覚は、国家間の政治的かけひきに酷似している。

国民国家じゃなくて極道国家だね。なんだかよく分かりませんが。

 

2003年10月14日

声明公演が無事終了。

お運びいただいたお客様、ご出演のお坊様、皆様ありがとうございました。

おかげさまで良い公演になりました。

前売券は発売初日に完売という景気のよさ。

「よく売れてるねえ」「ほら、声明はいまブームですから」などという会話がチラリと耳に入ってくる。

さして深い考えのない会話にしても、軽々しくブーム扱いするのは勘弁してほしい。

ブームブームと言われるようになった時点で、その言われたモノはすでに「終わっている」。盛りのパワーを失って惰性で動いている。いわゆる「消費された」状態である。

いや「ブーム。」と指さされることによってパワーを失う、といった方が正しいか。

ブームの呪いに捕らえられた者は、罪があろうとなかろうと不幸になるのだ。

だから私は「雅楽がブームですね」なんと言われると血相を変えて否定する。縁起でもない。鶴亀鶴亀。

 

ブームという単語はヤング・ハッスル・バカウケなどの棲息する「懐古型小ネタ語の世界」に属している、と思っていたのだが、マジな文脈で「いまブーム」を口にする人(50台後半から60がらみの男性)が私の周りには結構いる。

こういう物騒な呪文を気軽に使わないでいただきたい。

うっかり「癒し系音楽・声明がひそかなブーム」なんてダサダサの見出しをつけられたらどうするんです。

 

そんな呪いをはねかえすぐらい、相変わらず声明は結構でした。

御導師の説得力に満ちた美声は言うに及ばず、若手のお坊様たちが驚くほどウデをあげていて(僭越ですみませんが)ボリュームだけでなく声にツヤがある。倍音出まくり。いや良かったです。

 

終演後、舞台でお供物として使ったリンゴとミカンをみんなでいただく。

声明を浴びると果物の糖度がアップする。

かどうかは知りませんが、リンゴもミカンも非常においしゅうございました。功徳功徳。

 

 

 

 

2003年10月7日

 

申し遅れました。

私、東京の某劇場で伝統芸能公演の企画制作をしております。

 

「えーなんでもこちらの長屋におタナが空いてるって承ってきたんスけどねぇ、あちしみたいなモンでも借りられますかね?」

「はいはい、どなたであろうと貸し物借り物、明日からでも勝手次第にお入んなさい。ただし看板だけはあたしが決めさせてもらうよ」

 

というわけで内田センセイから頂戴した看板が、劇場の在り処にちなんで「風雲三宅坂劇場」。暗雲でなくてよかった。

 

便宜上「プロデューサー」と呼ばれもし、また名乗ることも多いのですが、実は英語のproducerとは全く仕事の内容が違います。

企画をたて、予算を組み、演出を考え、出演交渉をし、ちらしの原稿を書き、チケットの売れ行きを見守り、道具や楽器の手配をし、リハーサルに立ち会い、本番当日は舞台裏でパシリと化し、その合間にロビーで爽やかな笑顔を振りまく。

劇場の隙間隙間に出没する謎の生命体、それが日本の劇場プロデューサーなのです。

 

声明公演の稽古を行う。

といってもエクササイズではなくリハーサルのことである。

 

稽古場はおもしろくも恐ろしい空間である。

「異界への入口」が、ぽっかり開けているというよりは、ちょろっ、ちょろっと顔を出したり引っ込めたりしている感じ。

ご出演の皆様が「おはようございま〜す」「ちや〜す」と普段着でわらわら集まってくる。

時間がきて「じゃ、よろしくお願いします」となった途端、稽古場は日常から非日常へポンとジャンプする。

いま・こことは違うもう一つ別の世界が、演者の体からムラムラと立ち上がってくる。

演者はユニクロのポロシャツだし、背景はのっぺらぼうの壁とパイプ椅子、足元に「まろ茶」のペットボトルが置いてあったりする。日常臭いアイテムが満載。

だからこそ、芸という絵空事が非日常の世界をパタンパタン織り出していくさまを、手にとるように感じることができる。

それは例えば歌舞伎や落語なら「幕末江戸の大川端」みたいな具体的な状況だったり、雅楽なら「ぐるぐる回る多色のらせん物体」だったりするのだが、ジャンルを問わず、私はこの「別の世界」がいかにはっきりと見えるかを芸の上手・下手の基準にしている。

しかもとびきり上手な人だと、「別の世界」がはっきり見えるうえに、まぎれもない生の本人の姿が重なって見えたりする。

だから

 

身体が世界を描ききった瞬間、その身体はかき消えてしまう。

描かれた世界に、創造主たる身体は存在しないのだ。

 

てなフレーズを思いついたが、これはウソである。

芸能する身体はどこに存在するか。

ややこしや〜、ややこしや。

 

そんなことより声明である。

言葉の音と意味と旋律とリズムとが、一体となってうねり寄せてくる。

しびれるう。

この稽古場での時間を幸いといわずして何といいましょうか。ふふふのふ。

 

2003年9月30日

明恵上人の「涅槃講式」である。

まずは義太夫なら大序というところ。

 

「それ法性は動静を絶つ。動静は物に任せたり。如来は生滅なし。生滅は機に約せり」

「今月今日を迎ふる毎に、四座の法莚を開演して、泣く泣く双林入滅の昔を恋ひ、ねんごろに現在遺跡の徳をしのぶ」

 

長唄の「娘道成寺」、あるいは講談の語り口を思い出す、そのリズムの快さ。

 

八十歳を過ぎたお釈迦様は、旅中に重い病を得て入滅を覚悟する。

二月十五日、菩薩から小鳥・昆虫にいたるまで五十二類のものたちが集まり、お釈迦様の最後の説法に耳を傾ける。アッシジの聖フランチェスコだね。

 

「禽獣は花茎樹葉をふくんで、双樹の間を往詣し、如来の前に集会す。悉く汗を流して満月の尊容を瞻仰し、各々涙を連ねて微妙の正法を聴聞す」

 

法要の道場には入滅の場面を描いた涅槃図が掲げられる約束だが、象だの虎だの猿だの、集まってきた動物たちの様子が大変いじらしくかわいらしい。

あんまりかわいらしいのでポスターに加工して自分の部屋に飾ることにしたぐらいだ。

涅槃講式は、いわばこの涅槃図を「絵解き」していくわけである。

 

「面々に憂悲の色を含み、声々に苦悩の語を唱ふ。諸天龍神の涙は地に流れて河となり、夜叉羅刹の息は空に満ちて風に似たり。漸く中夜に属して涅槃時至れり」

 

お釈迦様は耐えがたい全身の痛みに襲われながら、説法を終え入滅する。

 

「遍身漸く傾き、右脇にして臥す。頭北方を枕とし、足は南方を指す。面を西方に向え、後東方を背けり。即ち第四禅定に入って、大涅槃に帰したまいぬ」

「青蓮の眼閉じて、永慈悲の微笑を止め、丹菓の唇黙して、終に大梵の哀声を絶ちき」

 

明恵上人は法要の途中この部分で感極まって絶句し、そばにいた弟子が咄嗟にフォローしたというエピソードがある。自作の名文に思わず泣いちゃったのである。明恵かわいい。

 

「跋提河の浪の音、別離の歎を催し、沙羅林の風の声も、哀恋の思ひを勧む。凡そ大地震動し、大山崩裂す。海水沸涌し、江河涸渇す」

 

まさに森羅万象がお釈迦様の入滅を哀しみ嘆き、SFXばりの凄まじい光景が展開されるのである。

 

「まことにおもんみれば、八苦火宅の中にも忍びがたきは別離の焔なり」

 

八苦火宅の中にも、忍びがたきは別離の焔なり。なんだか身にしみるなあ。

バカ学生の時分は「いつか別れるのが人間ってもんだ。当然じゃん」と悟りすましたつもりでいた。自分が死ぬのもちっとも怖くなかった。

しかし年々、自分も含めた「ひと」への執着が増しているような気がする。

年とってやっとこさ人間らしくなってきた、ということか。とほほ。

 

 

2003年9月19日

声明の話のつづきです。

法要(法用)はコース料理のようなものである。

食前酒から前菜・メインを経てデザートまで、様々な声明曲を数珠つなぎに組み合わせることによって次第(プログラム)ができあがる。

どの法要にも登場するおなじみの声明があるかと思えば、決まった法要にしか使われない特別な声明もある。

その組み合わせが法要全体の目的や格式を決定するわけだ。

そして料理と同様、その演出・構成は実によくできている。

 

今回の「常楽会/四箇法用付涅槃講」は、お釈迦様の入滅をテーマにした法要。

その中心に据わるのは、1215年に明恵上人が作った「涅槃講式」という声明である。

 

お経は梵語や漢文をそのまま音読みしていくものが多いので、耳で聴いただけでは意味が分からない。

しかし「講式」という声明はストーリー性の高い読みくだし文を朗唱するので、聴いただけでもある程度意味が分かる。

和文にフシがつくとなると、これはもう「芸能」にぐっと接近する。

当然平曲・謡曲など後のカタリモノは、講式に大きな影響を受けている。

むしろ講式から平曲や謡曲が生まれた、と言ってもよい。

さらにそれが義太夫など近世の浄瑠璃にまでつながってくる。

声明は日本のカタリモノ芸能のチョー偉大なご先祖様なのである。

 

話がとぶがフシといえば思い出す。

明治生まれの祖母は新聞などを読むときにフシを付けて小さな声に出して読むことがあった。

義太夫の「帯屋」で儀兵衛が「伊勢ーまーいーりーのー下向ーみーちー」と手紙を読む、あれに近い抑揚だったように記憶している。

 

フシというものは世の中から段々減っているのかもしれない。

縁日でも啖呵売なんか見たことがないし、電車のアナウンスはほとんど機械化されてしまった。「車内アナウンスの物真似」は伝統のマイク芸をしのぶ貴重な資料になるだろう。

デパートからはエレベーターガールがいなくなった。たまにいてもかつてのような謎めいた鼻声とフシ回しは聞けない。

バスガイドさんとかはどうなんだろう。

イタリアの特急電車の車内アナウンスは「シニョーレ・シニョーリ ボンジョールノォ」で始まるが、やはり妙なフシがついていておかしかった。

多くの人に向かって定型的なフレーズを言おうとすると、人はフシを付けずにはいられない。その方が発声が楽な上に効果的なのである。

セールスの人には会話に変なフシの付いているのがいるが、発話が自動化している証拠である。

不特定多数向けのアナウンスとは違って、一対一のコミュニケーションでこれをやられるとあまり気持ちのいいものではない。

 

で、明恵上人の涅槃講式。

これがまことに気持ちのいい名文なのである。

 

 

2003年9月9日

職場の海外研修で滞在していたイタリア・フィレンツェから一年ぶりに帰国。
翌日出勤すると、物置と化しながらもかろうじて自分の机が残っていた。
しかも復帰第一弾の仕事は真言宗豊山派の声明公演。ラッキー。
制作の仕事はどのジャンルにも違ったヨロコビがあるが、特に声明は勉強になることが多くて楽しい。

声明が劇場の舞台に初めて登場したのは昭和41年11月8日。
東京・国立劇場の開場公演として、天台宗の「魚山秘曲三十二相」と真言宗の「大般若転読会」が上演された。
上演?
そう、上演された。
その後声明公演は国立劇場で細々と、しかし定期的に行われることになる。

なにしろ昭和40年代に声明をショウミョウと読める人は少なく、「過激派が犯行声明」のセイメイとよむ方が普通の感覚だった。
だから当時のチラシ・ポスターでは、声明の「声」にわざとややこしい「聲」を使ってある。
セイメイではないことをアピールするための苦肉の策だったという。
ちなみに今は「声」に戻っている。
舞台公演はバンバンあるわCDは出るわで声明の知名度がアップし、あえて存在をアピールする必要がなくなったからだ。

公演開始当初は幕の内外で色々と議論があったそうだ。問題は主に二つ。
「大切な声明を、お金をとって舞台で見世物にするのはいかがなものか」
「宗教行為を公の場で行うのはいかがなものか」
しかし劇場という空間で声明を取り上げる以上、答え方は自ずと決まっている。
「声明公演はあくまで声明の芸術的側面に注目し、伝統音楽・伝統芸能としての声明を舞台公演として紹介するものである」と突っ張るのが劇場のとり得る唯一のスタンスだ。
「それは変でしょう」と言うことはいくらもできる。
しかしこの建前の上にこそ「声明公演」というものは成り立つことができた。
おかげで声明というものすごいお宝が陽の目を見ることになったわけだ。
声明や民俗芸能など、本来舞台で演じられるものではないパフォーマンスを舞台にあげることには大きな疑念がつきまとう。
しかしいま声明に瞠目しているわれわれにとっては、「声明公演」の誕生は実に幸いだったと評価するのが妥当ではあるまいか。