ヤベッチのミネソタ無宿
2004年3月16日
「待てー!」
職務に忠実な、銭形警部の十八番。
ですが、「待て待て待てー!」と何回叫んだところで、たとえ相手がルパンでなくても、犯人が、待ってくれるはずがありません。こんな言葉は、むしろ逃走を促進するようなもので、漫画の世界ならばいざ知らず、日常生活では、まず耳にしないでしょう。
馬の目の前に人参をつるすごとく、警察官の目の前で、万引きの商品と一緒にダッシュをしたとしても、この台詞は、そう簡単に引き出せないと思われます。
日本では、警察官が発砲することなど、滅多にありません。ホルダーから銃を出すだけでも、始末書が待っている、と警察官の友人から、以前、聞いたことがあります。
筋力トレーニングのオモリと化した銃を、腰でガチャガチャと言わせながら、犯人を追跡しなければいけない日本のお巡りさん。彼等は、「待たぬなら、待たせてみせよう 犯罪者」という、秀吉さんスタイルを、涙ぐましくも貫いているのです。
しかし、アメリカでは、全く、事情が違います。銃社会のアメリカの犯罪には、銃がつきものなので、警察官も命がけです。「撃たれる前に 撃て」というわけで、たとえ万引きレベルの犯罪でも、不用意な動きをすれば、容赦なく撃たれる、とか。
警察官自身の命も危険にさらされている以上、「待たぬなら 殺してしまえ 犯罪者」という、信長さんスタイルをとらざるを得ないのです。
というわけで、お巡りさんの十八番も、いたってシンプルで明快。
「フリーズ!」
もちろん、プリーズではありません。犯人に対して、プリーズしてしまうようなお巡りさんは、頼りなくてしょうがありません。(「凍りつけ!」非常に分かりやすい意思表示です。)
市民を守るお巡りさんが、「待たぬなら、待つまで待とう 犯罪者」という、家康さんポリスでも困ってしまうのですが、それでも、血気盛んなアメリカの警察官が、私はどうも好きになれません。
これは、「たとえ世界が滅びようとも、俺は、悪と闘う!」宣言のもと、バルタン星人と戦いながら、街を完全破壊してしまうウルトラマンを、好きになれないからでしょうか。多少の悪の存在には目をつぶるので、世界は滅びないでほしいなと思ってしまいます。
そもそも、銃が簡単に入手できるというところに、根本的な問題があると思うのですが、護身用の銃が、犯罪に悪用されるという悪循環は、そう簡単に断ち切ることができないのでしょう。
厳しい開拓時代以来の伝統となっている、「自分の身は、自分で守る。」という精神も、ちょっと考えものです。
銃取得ライセンスの基準は、州や郡、町によって、まちまちだそうなので、一概に同じとは言えませんが、少なくとも、ミネソタでは、ショッピングセンターの一角などで、普通に売られています。
今のところは、表立っては販売されていませんが、低価格化が進めば、「年末大売出し!!先着100名様に限り、一丁お買い上げの方に、もう一丁サービス!!」
という、豆腐のごとき扱いになるかもしれません。ですが、人の命に関わるものですから、イチキュッパで売られるような事態は、ぜひ避けてほしいものです。
警察の話に戻りましょう。ともかく、一般市民が、銃を所持している国なので、善良な市民といえども、警察官を惑わすような怪しい素振りを、決して見せてはいけません。
迷子の子猫ちゃんといえども、泣く時は、TPOをしっかりと考えなくてはならない、ということです。こちらのお巡りさんは、困ってしまうと、バン バン ババン♪ ということが、本当にありえてしまうのです。
銃に関して特権がある分、せめて、善良なお巡りさんであってほしいのですが、残念ながら、彼等の態度は、いささか横暴と言わざるを得ません。
前方を走る、パトロール中のパトカーが、いきなりサイレンを鳴らしだし、周囲の車を脇に追い払い、マクドナルドのドライブスルーに颯爽と消えていった、という事例もあるくらいです。それとも、チーズバーガーが、重大事件の鍵を握っていたのでしょうか。
ちょっとした交通事故でも、サバンナのハイエナのごとくに、パトカーが、ワサワサと群がってきます。個人主義の国でありながら、アメリカのお巡りさんは、仲間意識が強いのでしょう。派手なネオン、サイレンの轟音とともに、ハイスピードで、次々と駆けつけてくるパトカー。これで、新たな交通事故が起きない方が、不思議なくらいです。
「なぜ、警察がいるのか。」「そこに事故があるからさ。」
本来は、こうであるべきですが、
「なぜ、事故が起こるのか。」「そこに、警察がいるからさ。」
こんな問答も、案外、間違っていないと思います。
2004年2月16日
問:次の 「のる」のうち、文法上、正しくないものは、どれでしょうか。
(1) 電車に のる
(2) 車に のる
(3) バスに のる
(4) くつに のる
車社会で育ったゆえに、電車で本を読んだことがなければ、電車で寝たこともなく、さらに電車を見たことさえないという、ミネソタの高校生ならば、(1)を選ぶかもしれませんが、もちろん答えは(4)です。
しかし、ハイヒールが大好きな女性達にとっては、この「くつに のる」という表現は、必ずしも間違いではないように思います。
スニーカー、サンダル、ブーツ・・・靴の仲間も色々ですが、「足の保護」が靴の本来の目的と考えると、足に負担をかけるハイヒールというのは、まさに靴社会の反逆者です。
しかし、女性というのは、足を長く見せるという誘惑には、なかなか勝てないもので、枝豆のようなマメができようが、踵がカメの甲羅のようになろうが、健気にハイヒールを装着します。反逆者に味方するのも、決して楽ではありません。しかし、足腰の犠牲なんて、なんのその。いじらしい女心です。
ところで、ミネソタでは、そのような「くつに のる」人を、あまり見かけません。
ダウンタウンに行けば、ごくごくたまに、発見することもできますが、確率でいうと、「小学校四年生で、サンタクロースを信じていた人」を発見するくらいの確率ではないでしょうか。
学校で、ハイヒールを履く生徒を発見しようともなると、「サンタクロースに会ったことのある人」を発見する確率で、まず皆無と言っていいでしょう。私が見る限り、ほとんどの生徒の足元は、スニーカーです。
そして、白色が灰色になろうが、黒色が灰色になろうが、灰色が灰色になろうが、まったくおかまいなし。お手入れゼロです。
穴が開こうものなら、ここぞとばかりに誇らしげに見せてくれます。
指をグイグイと穴に突っ込んで、
「このくつは、だめです。かわいそうに。でも、だいじょうび。」
などと、覚えたばかりの日本語で報告してくれます。
しかし、寿命が尽きたと思われた靴も、まだまだ、安らかに眠ることはできません。
穴にバンドエードが貼られ、なけなしの手当てが施されます。
靴底が本体と離れる瞬間まで、ご主人様に仕える靴のことを思うと、「おーおーきな あーな の 古シューズ、 おじいーさん の シューズー♪」と、どこかで聞いたことのあるメロディーが聞こえてきて、切なくなります。
穴の開いた靴では、さぞかし寒いだろうと思うのですが、この寒さでも、サンダルというツワモノもいるくらいですから、きっと、寒さは、大した問題ではないようです。
靴が、このような状況ですから、服の待遇は、推して知るべし、です。
ここで、生徒の服に言及してみましょう。
少々のローテーションはあるものの、その組み合わせは、せいぜい4通り。毎日、生徒と顔を合わせるので、彼等彼女等の服も ほとんど覚えてしまいました。もう、特注の制服のようなものです。
建物の中は、暖かいので、トレーナーとTシャツが半々ですが、中には、キャミソールにミニスカートで頑張る女の子もいたりします。寒い寒い寒い・・
こちらの高校生の間では、「寒さなんて、へっちゃらだい」と振舞うのが、カッコイイらしく、平均気温0℃の11月では、屋外も半袖、という命知らずな生徒がたくさんいました。
しかし、さすがに、最高気温・マイナス10℃という1月や2月は、生徒も屋外では、大人しくジャケットを着ています。ちなみに私は、赤いロングのダウンジャケットを愛用していて、その姿は、「レッド・ワーム(赤虫)」と呼ばれています。金魚の餌だろうが何だろうが、私は、ミネソタの冬を越さねばならぬのです。
さて。服のプリントについて、面白いことがあります。
以前、日記にも書いたのですが、こちらでは、日本語がクールなものとして受け止められているので、日本語がプリントされている服を、お洒落なお店で、見かけることがあります。
「和平」「愛」「情熱」「誠」、といった漢字が一般的ですが、「スパンコール」とか「ファンキーダイナマイト」といったカタカナも、たまにみかけます。ですが、何のメッセージを伝えたいかは、よくわかりません。「日本人彼女募集中」というTシャツも、ポピュラーなようです。
もちろん、日本語が間違っているものもありますが、こちらの人に言わせれば、日本の服にプリントされている英語も、かなり変だそうなので、お互い様といったところでしょう。以前、訪れた中国で、「チャイナドしス」という看板を発見した時のことを、ふっと思い出しました。
私の生徒の中には、自分でTシャツや鞄に、「毒」「おに」「かみ」「怒」「燃」などと日本語を書く生徒もいます。「かっこいい?」と聞かれた時は、「う(ぅ)ん」と答えるようにしています。日本語は便利ですね。
生徒が、どのように服を買い物をしているかはわかりませんが、お洒落に頓着しない方々の服の購入の仕方は、なかなか迫力があります。
子牛が入りそうな「ドナドナ」サイズのショッピングカートに、ポイポイと服を放り込んでいきます。手にとって見ること約10秒。野菜や果物と同じです。
ただし、これは、返品可能なお国柄ゆえに、できること。
たとえプレゼントでも、もしも気に入らなければ、その日は謝意を表すにしても、次の日には返品。日本人なら眉を上げるところでしょうが、こちらでは、プレゼントする人もそれを分かっているので、なんとプレゼントと一緒に、レシート(ギフト・レシートと言います)まで渡すのです。
というわけで、大量のプレゼントが交換されるクリスマスの翌日は、「大・返品デー」といって、デパートやショッピングモールは、多くの人で賑わいます。おそらく、店員の人にとったら、一年で一番、嫌な日でしょう。
さて。靴、服に続いて、残るは、鞄です。
こちらでは、学校からたんまりと宿題が出ます。日本のように、塾はありません。学校の勉強が全てです。テキストは、厚みも重さも、日本の5倍以上あります。
そして、10人中10人がリュックです。バックパッカーのごとく、教科書や大量のプリントを詰め込むため、鞄の重さも半端ではありません。登下校時には、1500匹の子泣きジジイが、生徒の背中にくっついて、オ―ンオーンと泣いているはずです。
そして、また、このリュックの背負い方一つにしても、日米のファッション文化の違いを見ることができます。
日本の若者の間では、腰位置でダランとカバンを背負うのがファッションですが、こちらの高校生は、紐を短くして、肩や背中にキュッと密着させて背負います。重い鞄を背負うための、生活の知恵でしょうが、その姿は、キンジロウ・ニノミヤ。
もちろん、勤勉かどうかは、また別の話です。明日のテスト、皆、だいじょうびでしょうか・・・。
2004年2月3日
大根。人参。玉葱。椎茸。筍(竹の子)。・・・
普段、あまり意識することのない野菜の名前ですが、これらの野菜の名付け親は、素晴らしい美的センスを持ち合わせていると思います。
白太棒。赤細棒。白球。菌傘。茶塔。
・・・私なら、きっと、このレベルです。
さて、幸いなことに、こちらのスーパーに並ぶ野菜は、なじみのあるものばかりなので、自炊に困ることはありません。
鍋には、欠かすことのできない、白菜まであります。
確か、日本の学校では、a Chinese cabbage と習うと思います。
しかし。
NAPPA。
ナッパ。これが、こちらでの白菜の呼び名です。
水菜 も NAPPA。
菊菜 も NAPPA。
蕪菜 も NAPPA。
アジアから輸入される葉菜に、アイデンティティーをもつことは、許されないようです。
万歳、NAPPA。
ただ、野菜の種類は、豊富にありますが、ほぼ、どの野菜も生食です。
にんじん、セロリはもとより、ブロッコリーやカリフラワー、ほうれん草やNAPPA。はたまたマッシュルームや椎茸まで、泣くウサギも黙る勢いで、ボリボリボリ。
生の魚を食べる日本人を驚異の目で見る前に、ぜひ、自分たちの食生活も客観的にみてほしいところです。
そして、こちらには、ベジタリアンの方も多いのですが、そのレベルもさまざま。
「肉、魚、卵。生きとし生けるもの、すべて絶つ。」
という、敬虔な僧侶タイプ。
「肉、魚は食べないが、卵はまだ生まれていないから、よしとする。」
という、頭のいい僧侶タイプ。
「肉は食べないが、魚はオーケー。」
という、自分でルールを決めてしまう、ジャイアン型僧侶タイプ。
私のまわりでは、この最後のタイプが、一番多いでしょうか。もちろん、宗教上の理由から、豚肉や牛肉を禁じられている人々もいます。
しかし、はたして、ジャイアン・ズは、魚をどれだけエンジョイしているのでしょう。
まず第一に、ミネソタ州は、海に面していません。
日本ならば、今の時代ですから、長野県や奈良県の両県にも、良質の魚が流通していると思いますが、ミネソタでは、そううまくはいかないのです。
「ひょっとしたら、この鮭はおいしいかもしれない。」
結果: 硬いシーチキン。
「ひょっとしたら、この鱈はおいしいかもしれない。」
結果: 軟らかいシーチキン。
「もう、缶詰のシーチキンでいいや。」
結果:シーチキンなのに、シーチキンでない、シーチキン。
こんな私の内情を知ってか知らないでか、以前、親や友達が、真空パックで、鰊の昆布巻きや、ウナギを差し入れてくれました。
しばらくは、我が家の棚で、祭られていましたが、「おいしいうちに食べないと」「食べたらなくなる」という大論争の末、ついに先月、昆布巻き大明神も、ウナギ天神も、天界に還ってしまいました。ああ、嘆かわしい・・
人々が、「血まみれの眼球」とイクラを本気で恐れ、鯛の尾頭に半泣きになるミネソタでは、竜宮城体験をできるわけがないのです。
鯛やヒラメは、極寒のミネソタで舞い踊ることはありません。どこか暖かいところへ、舞い戻ってしまうのです。
そして、一番考えさせられるのが、何と言っても、お肉です。
部屋から自力では出ることのできないほど、太ってしまう人もいれば、何千ドルというお金をかけて、健康に命をかける(?)という人もいます。
日本も、似たような状況がないとは言いませんが、それでも、アメリカはちょっと行き過ぎているように思います。
そして、皆が口をそろえて言うのが、
「健康=高P(たんぱく質)+ 低C(炭水化物)」です。
ですが、厚さ3センチのステーキを目の前に、
「ダイエット中だから、つけあわせのポテトは、少なめにしてちょうだいね・・・あ!ちょっと!多いわよ!!」
は、ないだろうと思います。
そして、デザートに添えられる、山盛りのアイスクリームはぺロリ。ジャイアニズムは、なんと都合がいいのでしょう。
うどんと炊き込みご飯、という「ザ・炭水化物セット」の国から来た私にとっては、アメリカ人の炭水化物嫌いは、異様な気がします。
「ラーメン・チャーハン・ギョーザ」セットをアメリカの人が食べた後には、きっとおびただしい数の罪悪感が戦場に横たわっていることでしょう。
2004年1月23日
私は、「セイラム・グリーン」というアパートに住んでいます。
セイラムというと、アメリカ史上、魔女裁判があった場所として有名です。どうも陰気臭い名前なのですが、陽気なアメリカ人は、そういうことは気にしないようです。
彼等が日本の不動産を扱ったら、「雨月住宅」や「四谷アパート」などと名付けることも、ありえるのでしょうか。ウラメシヤー。
いきなり不吉な話をしてしまいましたが、名前とは裏腹に、実際は、とても素敵なアパートです。
私の部屋は5階にあるので、アパートの前に広がる湖を、部屋から見ることができます。、
まぶしい太陽の下、輝かんばかりの緑が、鮮やかな夏。これが秋となると、湖の周りに、所狭しと立ち並ぶ木々が、次々に紅葉します。冬でさえ、湖が完全に凍ってしまうと、一種、独特の美しさが生まれます。たまに、朝焼けや夕焼けを見ることができるのですが、紫、オレンジ、ピンクや水色という、自然が織り成す、見事なグラディエーションは、息をのむほどです。
と、ちょっとしたリゾート気分なのですが、これは、あくまで、部屋から、の話。
冬、バルコニーに出て、氷の彫刻になる気もありませんし、夏、目前の湖で大量繁殖する、蚊の餌食になる気もありません。ちなみに、おサイズは、日本の蚊の兄貴分。
さて、次は部屋についてですが、温水が流れる管が、部屋の周りに張り巡らされているために、冬の間、いつも適温に保たれています。
色の配色を無視して、シャツ、セーター、トレーナーに続いて、はんてんを着、タイツを仕込んだ上から、流行に置いてきぼりにされた起毛のズボンをはいて、モコモコスリッパを装着した上で、ブランケットをかぶりながら、それでもブルブル震えなければいけない、日本の自宅の方が、よほど辛いです。
そして、台所とバスルーム以外は、絨毯が、敷き詰められています。
「うーん。何だかモダンで豪華♪」
と、西洋文化を受け入れだした、明治初期の日本人のごとく、喜んでいたのですが、こちらでは、フローリングの方が、断然オシャレで、人気があるそうです。そして、畳となると、いつか、タタミ・ラッシュが起きそうなほどの価値で、畳屋さんに知り合いがいたら、ぜひ、アメリカを推薦してみたいと思います。
さて、床論議(?)については、フローリングにしろ、絨毯にしろ、賛否両論あると思うのですが、私の部屋の、誰からみても明らかな難点を、いくつか挙げてみましょう。
まずは、部屋に干した洗濯物が、たった一夜で、スルメになってしまうほど、乾燥していることでしょうか。夜、寝る前に加湿器をつけるのを忘れると、朝の鼻歌は、by 和田ア○子 。
そして、豚の丸焼きができそうなほど、不必要に大きいオーブン。食器洗浄器も、これと同じく、巨大。しかも、一度、試しに使ってみると、1時間、泡をブクブクと吐き出し続けて、床まで綺麗にされるところでした。早く気がついて、泡が出てきては拭き取るという作業を始めたからよかったものの、もしも気がつかずに外出していたら、雲をつかむような台所になっていたところでしょう。
他にも、石灰分を多く含んだ水にも、苦労をします。水を沸かした鍋を洗ったり、濡れ布巾で拭いたあと、急いで乾いた布巾で水を拭き取るなど。水で水を洗う、とは、まさにこのことです。
台所の難点といえば、もう一つ。台所のシンクです。表面的には、穏やかな銀色の顔をしているのですが・・アメリカ人は、野菜の皮、卵の殻や残飯といった、生ゴミを、シンクに捨てるため、シンクの奥には、恐怖の粉砕機がとりつけられているのです。
二つの椅子を使っても、奥のものをとることが出来ない、収納力抜群のクローゼット。などなど、とにかく、いろいろ難点もありますが、私は、「セイラム・グリーン」の我が部屋が、大好きです。
こんなにお世話になっているというのに、恩知らずにも、この日記の題名が、「ミネソタ無宿」だと、我が部屋に知れたら・・・ウラメシヤー。
2004年1月16日
「1月16日。くもり。今日は、とっても寒かったです。」
小学生の夏休みの日記並みの文章ですが、これがミネソタの冬です。
くもり?寒いのに、なぜ雪が降らないのか。
答えは単純明快で、寒すぎるからなのです。
ニュースキャスターは言います。「今日は、家にいましょう。」ありがたいお言葉なのですが、かといって休校ニュースを流してくれるわけではありません。日本でいえば、暴風大雨洪水波浪・・注意報といったところでしょう。
空気中の水分が、建物や木に、氷となってはりついてしまうというミネソタでは、当然、車に関しても、日本と同じというわけにはいけません。
そもそも、こちらでは、タイヤのチェーンは、禁止なのです。雪はおろか、道が所々、凍ってさえいるというのにも関わらず。
その理由。
これまた単純明快で、道路が傷つくからだそうです。
事故で、車や人が傷つくのは、構わないのだろうか、などと思ってしまうのですが、「事故は、己の責任で防ぐべし。」と「テイク・イット・イージー」を同時に言われてしまうと、反論のしようもありません。
戸外に放置された車の窓ガラスには、氷がビッシリとこびりつきます。というわけで、車を運転するためには、まず、氷漬けの車を、解凍しなければなりません。
しかし、エンジンの熱で氷を溶かすのでは、あまりにも時間がかかります。そこで、もっとも原始的な方法、すなわち、人力で氷を削り落とします。
夜、学校の駐車場に、「ゴリゴリゴリ」「ガリガリガリ」という、ホラー映画の効果音のような音が、響きます。寒さと戦いながらの作業のため、皆、この時ばかりは必死で、同映画に出演可能の表情を見せます。
そして、ガラスの氷を見事に退治して、車に飛び込むのですが・・寒さとの戦いは、まだまだ終わりません。シートも冷たければ、ハンドルも冷たいですし、バックミラーに映る我が顔は、美白そのもの。
さて、冷たい冷たい車内では、自分の吐く息が、よく見えます。
そういえば、小さい頃、ホオッと息を吐いては、「今日は、寒いねー。ほらほら、吐く息が白いよ。」などという会話を、よく友人と交わしていました。
なんと日本は、平和なことでしょうか。
冬のミネソタ人が吐く息というのは、同じ息でも、「ホオッ」という、せいぜい30センチの程度の、可愛らしい息ではありません。
ゴオオオオオー ゴオオオオオオオー
1メートルを軽く越える、すさまじい勢いのホワイト・ブレスが、運転手の口から吐き出されます。
口に含んだアルコールを、火に吹きかけて、炎を吐くというパフォーマンスをご存知でしょうか。ちょうど、そんな感じです。
「ドラゴンのような炎(しかも白!)を吐いてみたい」という、寒さに負けない、元気いっぱいの方は、ぜひ、冬のミネソタにいらしてください。アルコールもいらなければ、火種もいりません。何といっても、天然モノなのです。そして、呼吸している限り、24時間持続することを保証します。特に、明け方がオススメです。
ちなみに、学校の始業時間は7時30分。私の出勤時間は、ちょうど明け方です。
アーメン。
2004年1月13日
内田先生へ
あけましておめでとうございます。
年末に一度メールを打ったのですが、どこでどうなったのか、太平洋の藻屑となって
しまったようなので、再度チャレンジしてみます。海底トンネル、ファイト!
私は、アメリカ中西部・ミネソタ州のヘンリーシブリーという公立高校で、日本語、あるいは日本の文化を教えています。
アメリカの高校は、日本の大学のように、単位制になっていて、生徒が個々の時間割を組みます。日本語は、「外国語」という分野になります。
大学と違うのは、毎日が同じ時間割ということでしょうか。すなわち、月曜日から金曜日まで、毎日決まった時間に、いつも決まった顔ぶれがそろうのです。ちなみに、
私は、レベル1が2クラスと、レベル2が2クラスと、レベル3を1クラスを受け 持っています。
渡米する前は、どのようにすれば日本に興味を持ってくれるか、と心配していたのですが、これは杞憂に終わりました。
少なくともミネソタの高校生の間では、日本文化はカッコイイものとして受け入れられているようで、日本語を習っているというのは、一種の自慢にさえなっているようです。これは、日本でいえば、フランス語とかドイツ語とかいったところでしょうか。
初回の授業で、自分の名前を漢字で黒板に書いた時は、なんと、「カッコイイ!」と生徒から拍手を受けました。
矢部智子。
日本人からしたら、イマイチ面白みに欠ける名前なのですが、ほどほどに画数もあるので、どうやら生徒の感動ラインを超えることができたのでしょう。
これまで、そして、これから先も、自分の名前を書いて拍手をもらうなどという機会はないと思います。
しかし、生徒は、私のことを「せんせい」と呼んでいるので、一度は感動ラインを超えた私の名前も、生徒にとっては遠い過去のものになっているようです。
以前、レベル1の授業で、ひらがなのディクテイションのテストをした時、その事実が判明されました。
「お・ちょ・う・ふ・じ・ん」や「こ・い・ず・み・しゅ・しょ・う」など、絶対に生徒が知らないであろう言葉を聞き取って書く、というテストだったのですが、生徒が苦しんでいたので、「や・べ・と・も・こ」をボーナス問題として加えたのです。
結果、お蝶夫人や小泉首相にもまして、私の名前は聞き取りにくかったらしく、生徒の答案には、「やでとおこ」とか「あべつもこ」という、私にはとうてい馴染みのない名前が書かれていました。
ひどい生徒になると、もはや原型をとどめておらず、「ゆべつもお」という、怪しい部族の名前です。
と、いう感じで、何かしらのドラマのある日々を過ごしています。内田先生からいただいたこの機会に、今まで一人胸のうちにしまっていた、数々の出来事を、日本の皆さんに少しでも伝えることが出来ればいいなと思います。