ヘル葉柳の長崎通信

 

 

 

 

その58

 

こんにちは、一ヶ月ほど充電期間をいただき、この『通信』の新しいスタイルについてのイメージも湧いてきたので、今日から再開させていただきます。

新しいスタイルといっても、要するに、「(長崎)短信」にしようというだけのことです。これまでも長いものを書こうという意図はなかったのですが、どういうわけかかなり長い文章を「通信」してきました(このHTMLファイルも4900行もあります)。しかし、一昨年の十二月から自分のホームページにも複数の日記(うち一つは休眠中)を書いていて、それだけで手一杯になってしまうことも多く、去年の後半は「通信」の更新が次第に間延びしてきてしまったのです。

けれども、自分のホームページに一人称で書くのと、内田さんのホームページのパラサイトの形で、しかも、二人称の内田さんに「通信」を送るのとでは、言葉の置かれている関係のあり方がずいぶん違います。その違いというか、落差は、ものを考えるときに、適度な刺激を与えてくれます。

というわけで、今回から「短信」スタイルで書かせていただきます。

 

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そもそもどうして今この瞬間「通信」を書いている余裕があるかというと、卒論提出を二日後に控えてゼミ生諸君が原稿を続々と提出してくるかと思いきや、未だにゼミ室で呻吟している者がほとんどで、僕自身は嵐の前の静けさの中に置かれているからです。

内田さんの1/7の日記に「ハヤナギ先生は、右手に赤ペンでぐいぐいと訂正してしまうようだが」とありましたが、これは少し違います。

僕としても他人の原稿を添削するのはあまり好きではありません(添削料をいただけるのなら話は別です)。便宜上、「添えて削る」という言葉を使っていますが、僕自身が答を示すことはできるだけ避けるようにしています。

僕のゼミでは各章少なくとも三回「添削」を受けるというのを卒論提出の条件にしていますが、一回目のコメントでは、「こう書きなさい」という具体的指示は極力出しません。「ここはさっきの話と矛盾してるのでは?」、「うーん、子どもが書いたような表現だねえ」、「1/2の長さで同じ情報量の文が書けるんじゃないの?」、「ここは面白いからもっと書き込んだらどうかね」、「もうちょっと言い換えてみてもいいのでは」、「内容はgoodだから、文章をもう少しスタイリッシュにすると、読み手に親切なのだが」(実際の文言はもう少しきつい場合もあります)といった問いかけや示唆を学生たちに返して、彼らがそれをどのように受け止めるかを楽しみに待つ、というのが基本的なスタンスです。

(まあ、実際には、締切が迫って、じっくりと考える時間がない時には、「提案」という名の「答」を書いてしまう場合も少なくありませんが・・・)

これまで三年間卒論指導をしてきた経験から言うと、一回目に提出された原稿はほとんどの場合人様にお見せできるようなものではありません。上のようなコメントがびっしり書かれた原稿を返されて、多くの学生は一時的に「へこんだ」状態に陥ります。しかし、そこから立ち上がって何とかコメントに応えようとする中で、何かが起こります。

人によって早い遅いはありますが、第二稿か第三稿を書いている間に、ポーンといった感じで飛躍する瞬間がやってくるのです。本人たちは気づいていなかったりするのですが、一週間前とは全く別人のように明晰で説得力のある文章を書くようになるので驚きです。

この飛躍というか変貌ぶりがあまりにも鮮やかなものだから、その瞬間を見たくてせっせとコメントを付けているようなものです。

卒論という後がない状態で書くからなのでしょうか、学期末のレポートではあまりこうした現象を見たことがありません。そういう意味では卒論というのは内実のある通過儀礼のようなものなのかもしれませんね。卒業間際のこの試練を通じて「大人の」文章が書けるようになるのですから。

誰も原稿を出してこないので次第に不安になってきました。ゼミ室を覗いてきます。さようなら。

追伸:内田ゼミでは、卒論の全文をホームページで公開していますが、HTMLファイルは学生たちが作って提出するのですか? それとも内田さんがワードのファイルを自分で変換しているのですか?

(ウチダより:学生の送ってきたワードのファイルを私が変換してアップしてますけど、たいした手間じゃないですよ。卒論のネット公開は教育効果が高いし、plagiarism に対しては読者から即時きびしい叱正がきますから、オススメです)

 

 

その57

こんにちは、お久しぶりです。夏の間、『通信』をさぼっていたので、これまで 一体 どういう構えで書いていたのか、手探りしながらキーを叩いています。

僕の職場でもいよいよ後期の授業が始まりました(註:と、書いてから一ヶ月が 経っ てしまいました)。今年の前期は、新カリと旧カリの移行期間のせいもあって、 担当 コマ数が少な目だったので、目の前の一本の論文に特化した研究に限定すること なく、 割ときままに研究の幅を広げてゆくことができました。大学院の講義の正規受講 生が ゼロだったので、その時間を利用して制度的には受講資格のないリピーター院生 たち や卒業生と一緒に歴史記述についての「自主講座」を開き、それを核にしてあれ これ 読んだり考えたりしたのですが、そのおかげで自分の立っている場所とこれから 進む べき方向がしだいに見えてきました。

内田さんが先日(註:これも一ヶ月前)の日記で教員評価について書いていまし たが、 例えば、こうした自主講座がいかに充実したもので、僕も院生たちも研究者とし て一 つの壁を突破することができたとしても、それは教員評価システムの中では 0pointで すよね。

そのような評価の仕組みは良くない、と言いたいのではありません。内田さんの 言う 「きわめて不完全な査定」のグレーゾーンに「自主講座」は位置すると思うから です。

もし僕が評価委員会のメンバーであったとしても、「自主講座はカウントから外 しま しょう」と提案するかもしれません。どこかで線引きをしないといけないわけで すか ら。

逆に、「教育や研究に少しでも関係する活動なら全てをポイント化する」という 仕組 みを考えれて見ればすぐに分かりますが、そんなのは息苦しくてたまらないし、 「関 係する活動」かどうかのグレーゾーンが限りなく広がって、結局は査定として意 味を 成さなくなるでしょう。

とは言え、「きわめて限定的な能力」の「きわめて不完全な査定」であるという 「断 念」が、「居直り」に変わってしまってはまずいと思います。限定的な指標に よって 計算された数値と相対としての教育・研究活動との間に、(係数は小さくても) 正の 相関関係あるというのが話の前提です。「他大学での非常勤講師」をやればやる ほど 「学外での社会貢献」のカウント数値が上がる」、といった査定方法では、現実 を把 握し損ねるどころか、モラル・ハザードを暗に推奨しているようなものです。

「絶対 的には断念しつつも、相関係数を上げるよう絶えず見直しをはかる」という方向 性は 必要ですよね。

というわけで、教員査定に関する内田さんの日記に特に異論はないんですが、対 比す るために挙げられている学生の「知的資質」の評価に関しては、ちょっと付け加 えた いことがあります。

「フランス語なんかできようができまいが、それはその人間の知的資質とは関係 ない」

というのは、大まかに言えばたしかにそうだと思います。けれども、(内田さん がよ くやるように)「フランス語」を「卒論」に変えてみると:

「卒論なんかちゃんと書けようが書けまいが、それはその人間の知的資質とは関 係な い」

というテーゼになりますが、これにはどうしても違和感があります。

そこまでいかなくてもでも、中級のフランス語の授業で、ちょっと難しいテキス トを 訳す、といったレベルになってくるともう事情はかなり違ってきますよね。その 学生 が約20年にわたって言葉というものとどのように関わってきたのかということ が、数 行の訳文の中に凝縮されている、というのは特に不思議なことではないでしょ う。

ましてや、卒論となるとそうです。「その学生が道でおばあさんの手を引いてあ げる」 かどうかまではいくら「眼光紙背に徹す!!!」と念じながら読んでも分からな いか もしれませんが、書き手の歩んできた知的風景がどのようなものであったのか、 入学 してこの方、学知とどのように関わってきたのか、今書き手はどのような領野を 眼前 にとらえているのか、といったことが否応なく読み取れてしまうことはよくあり ます。

つまり、「その人の蔵する人間的豊かさや人格的卓越性」とまでは言わないにし ても、 その人の「知」に関する限りでの「資質」や「豊かさ」を卒論のテクストの中に 見出 すことは可能だと思うのです。書き手の「知」の歴史と現在、そして可能性がそ こに は書き込まれています。

問題は、こうした性格を持ったテクストとしての卒論をどのようにして査定する のか というところにあります。たとえば学術論文を査定するときと同じ基準で卒論を 評価 することも不可能ではありません。しかも一番楽です。通常の論文指導はこのレ ベル で行われるわけですし、メルクマールを設定すれば数値化も比較的容易です。

しかしそれだと、「間違いなく筋はいいし、知的誠実さもあるのだが、現時点で は< 歪んだ真珠>」といった論文の評価が低くなってしまいます。懸命にまとめよう とし ながら、どうしてもまとめきれなかった論文であるにもかかわらず、そこには非 常な ポテンシャルが感じられるといった事例は決して稀ではありません。(という か、卒 論レベルでこぎれいにまとまったものを書いても、その後伸び悩むことが多いん です よね。僕の場合もそうだったように)

というか、せっかくの潜在力をうまく引き出せなかったのは、ゼミにおける指導 全体 にも問題があったはずで、学生を評価しているようでいて、結局は自分の「教育 力」 を自己評価しているような気分になるときもあります。

では、何をどのように評価すればいいのか?

こういう問題について大学教員の間で真剣な話し合いがなされたという話は寡聞 にし て耳にしたことがありません。

これから卒論シーズンに入ります。毎年のことながら「いい卒論とは何か?」、 「そ れを適切に評価する方法はあるのか?」と自問し続けながら、赤ペンを手にする こと になりそうです。楽しくもあり難儀でな日々でもあります。

(2003年11月4日)

 

 

その56

こんばんは。季節外れの台風が接近しているせいもあって長崎は異常に蒸し暑いです。

今日のドイツ語の講義中などは、いきなり視界が曇ってきたので、「ああついに教壇で倒れるのか。これを教師冥利に尽きる、と言っていいものか」などと半ば観念しつつ何度か瞬きをしているうちに、単に開け放った窓から極端に湿度の高い温風が吹き込んできて眼鏡が曇っただけだったことに気がついた、という経験をしました。

日記を拝見するに梅雨時の道場も蒸し暑そうですが、冷房の効いていない「亜熱帯」の教室もかなりのものですよ。

さて、『月刊ウチダ 6月号』alias『映画の構造分析』を拝読いたしました。名古屋での集中講義は初日と最終日しか参加できませんでしたし、アメリカン・ミソジニーの「原型」はワインをかぱかぱ飲みながら聞かせていただいたので、今回まとまった論攷として読みながら、なんだか補習でもしているような気分でした。

たぶん僕はこの本の「いい読者」ではないと思います。「何か原因が「あって」、物語が動き出すのではありません。何かがうまくゆかないとき、何かが「ない」ときにだけ、物語は語られ始めるのです」といった、「事情は文学テクストでも映像テクストでも同じ」ところに強く感応してしまう読者、つまり、台本だけを読んで「演戯」について論じるという「奇習」から足を洗い切れていない物語論者だからです。

しかも、ここのところ「語りえないもの」についてずっと考えていたせいもあって、「ウチダさんはこの問題にどういうスタンスを取っているのだろうか」という問いによって強くバイアスづけられた読みをしてしまいました。

こうした読みをすると、「物語において、そこにあるはずのものをあえて言い落とすことによって、メッセージを送る」という否定性による媒介的語りは、「語りえないもの」をそれでもなお語らずにはいられないという人間学的状況において、自分が語ったことを「本当の物語」だと錯視することなく語るために必須の戦略である、「語りえないものについては沈黙しなければならない」(野家啓一)というのはやはり暴力的な禁止に他ならない、といった非映像的な方向に連想が拡がっていってしまいます。

「語りえないもの」をそれでもなお語るためのもう一つの戦略は嘘をつくことです。

嘘というのは否定を内包していますから、否定的媒介の一つの系だと考える方が適切かもしれません。ワシントンの桜の木の逸話に典型的にみられる正直モラル=嘘を禁圧するイデオロギーが規範化している国において、『ゴーストバスターズ』は、症状を緩解させるための「嘘と騙しの言説効果」をハリウッド映画に構造的に組み込むという大胆な戦略を取ったというわけですね。

 「語りえないもの」について語らなくてはならないけれども、嘘をついてはならない、語りえないものの皮膜ギリギリのところで真摯に語らねばならないというのでは、結果として「翻訳」禁止、パスするなと言っているのとあまり変わりません。「ゴーストのふざけきった顔」によってしか語られない「切実なもの」はほとんど無限にあるはずです。

そして、否定的媒介という迂路を通って書き換え/範囲をなぞられ(umschreiben)ることで「漸近線的に接近」可能となる「語りえないもの」は、決して実体的な何ものかとしてではなく、関係の形として、どんなふうにあるのかというhowとして感知されるものだと思います。関係の形だからこそ、その場にいなかった人たちもそれを自分の問題として受け取ることができるのではないでしょうか。

といった感じで、第一章は自分の今の仕事のコンテクストに引きつけた読みをしてしまいました。

第二章を飛ばして、第三章について書けば、読んでいるうちに、アメリカという症状の深刻さにうんざりしてきた、というのが「正直」なところです。その一方で、「では、たとえばヨーロッパの文化現象を研究している自分が「アメリカからの輸入品」ではない言葉で、グローバリゼーションに抵抗するための言説戦略を展開するにはどうすればいいのだろうか」、というにわかには答えられない問いも湧いてきました。

そこからさらに、ニューヨークに長らく住んでいたひねくれ者のスイス人の手になるアメリカの表象なんかを手がかりにしてこうした問題にアプローチできるだろうか、といったことも思いつきましたが、考えがそこから先に進みませんでした。

 

第二章の視線の問題については、宿題にさせてください。一つは、物語テクストを読み解くための「視点」や「パースペクティブ」という分析装置と、ウチダさんが二つの映画の分析で使っている「視線」という概念との間にどのような違いがあるのか、今のところよくわかっていないからです。

もう一つの理由は、今後二年くらいのタイムスパンで僕にとって研究上の最大の課題となるのがまさに視線の問題であるにもかかわらず、自分のスタンスが定められずにうろうろしているからです。

「盲人のふりをして黒眼鏡をかけた男が女優のひもになって「主夫」業をこなす。男は、自分が見えていないということを前提にして他人が振る舞うのを見ている自分を見ている他人はいないという前提で振る舞う=演戯する。」

こうした視覚的シチュエーションについての語りについて考えることが、僕の最大にして、かつ、ずっと迂回し続けてきた課題なのです。

とまあ、こんな感じで、手前勝手な読みをしてしまいましたが、その一方で、「次の「メディア環境論」の講義ではいっちょがんばって映画論でもやってみようか」という気持ちにもなっています。「にわか勉強のにわか引用。その不安を解消するための自転車操業」。これって実に頭の回転がなめらかになるんですよね。

ではまた。

まるは

(2003.6.19)

その55 

こんばんは。『非中枢的』を拝読しました。

不遜だと非難されるのを覚悟で書けば、『夜ため』よりもはるかにいい仕上がりですね。何というのか、まずもって文章に張りがあります。

内田さんは気づいておられるとは思いますが、僕はこれまで内田武道論には全くリアクションをしてきませんでした。稽古という行為というか、その関係性になじめそうにないもんで敬して遠ざけていたといったところです。

ところが今回、「非中枢的身体論」の「人形のように」の項を読んでいて、思わず「おお!」と声が出そうになりました。「これはもしかしてフリッシュが、舞台上での俳優の身振りはマリオネットのよう(marionettenhaft)でなくてはならない、と言っていることと関係があるんじゃなかろうか?」と牽強付会的にピンと来たからです。

フリッシュも、身体が何本かの操り糸によって、外側から、俳優以外の誰かによって操られているという動きに着目しているし、それは<自然な>身体運用とは違う「尺度」で、「不自然」な「人工的な」身振りで演じられるところにポイントがあるといっています。そして、この演戯を観る私たちもまた、「全く文字通りに、自分の外にいる/我を忘れている(ausser uns)」のだ、と。

こうした演戯論は、これまでブレヒトの異化効果との関連で解釈されてきました。

そして、それでかなりの部分説明できるのは確かなのですが、「マリオネット」が選ばれたことの理由を説明し尽くすことはできません。ブレヒトの場合私の外部」の範囲が限定されていますから。「非中枢的身体論」はこうした問題を考える上での手がかりになるような気がしたのです。(あくまで思いつきですが)

一番感動的だったのは「非中枢的身体論」の序論、「本論考は」から「以上である」までです。パスティーシュ小説の出だしとしてならともかく、学術論文でこういう序論があるのを初めて見ました。学術論文においてこの序論で書かれていることは当然クリアーされていてしかるべきなのですが、実際にはそうでもないですよね。武道というこれまで学術的な言語の中でほとんど分節化されてこなかった対象を論じるときの冒頭に置かれることで、この序論は一論文の前置きであると同時に、学術論文の世界全体に対する批評的な機能までも担っていますね。

あと「お勧め」は「胆力について」です。出来事の「偶有性」と「可能性」とを結びつけるところまでは僕にはなじみのある議論なんですが、それを「驚き」と「胆力」へとリンクさせていくロジックにはちょっと唸らされました。高校生向けに話されたことみたいですが、大学に入ってまでお仕着せのカリキュラムをこなすことが学問だと思っている学生さんたちこそ読むべき文章だと思います。

というわけで、部数は『夜ため』ほど出ないでしょうが、少なくとも僕が10年後に再読する可能性があるのは『非中枢的』だと思います。

まるは

(2003.5.19)

(ハヤナギ先生、ご過分のお言葉をありがとうございます。でも、あんなこと書いているくせにカール・ポパーって、論争のときにけっこう自説に固執する奴なんですよね。ウィトゲンシュタインと喧嘩したりするし)

 

その54 

こんにちは。今日の長崎は多少風が強いものの、からりとしたいい天気です。

『夜ため』を昨日の昼休みに行きつけの喫茶店あかねやで読了しました。

この前のメールでは、「文体がどうもウチダしてないな」ということを書きましたが、20ページくらい読んだところで慣れてきたのか、スルスルと読めるようになりました。

読みながら、「あ、これは、間もなく不惑を迎えようかという僕のような「おじさん」ではなく、人生のもっと早い時期に読んだ方がいい本だ」ということがよくわかったので、研究室に戻ってすぐにゼミ生たちに次のようなメールを送りました。

 

葉柳ゼミ関係者のみなさん、こんにちは。今、内田さんの『疲れすぎて眠れぬ夜のために For a hard day's sleepless night』を読み終えたところなんですが、最近のウチダ本の中では一番「若者向き=バイトという形で自分とその時間を切り売りすることによって家庭と学校以外の<社会>に身を置くことを始めた人たち宛て」のいい本でした。別の言い方をすれば「手遅れになってしまう前に読むといい本」、というか、「読み始めるのに遅すぎるということは決してないが、早めに読むとそれだけいいことがある本」です。とりあえず今日の午後はゼミ室においておきますので、手に取ってみて、気に入ったら自分で買いましょう。(は)

夕方、ゼミ室を覗いてみると、『夜ため』を読んでいる学生が二人いました。さっそく買ってきたんだそうです。

さすが角川書店というところですね。長崎の本屋にもちゃんと入ってるんですから。

僕自身には、「いつもと同じ」話を書く/曲を作る作家や作曲家についての話が一番興味深かったです。内田さんは、受容者にとっての快楽という視点から「差異を含む反復」について論じていますが、これは作る側からしても同じことだと思います。つまり、一人の人間が持っている(というか、いつの間にか持たされてしまっていた)問いの型というのはそれほど多いものではなく、しかもその答というのは一義的に表現できるようなものではないので、繰り返し、素材やアプローチを少しずつ変えながら、結果として出てきたものの間の関係のネットワークの向こうに垣間見るよりほかないものだと思えるのです。

これについてはもっとあれこれ書きたいこともあるんですが、また今度にします。

まるは

(2003.5.17)

(ハヤナギ先生:私もそう思います。同じ問いを繰り返し自分に向けてみるのですが、そのつど微妙に答えが違っています。私たちが取り組んでいる問題はある種の「謎」ですから、それについての一義的な「最終的解決」を求めてはならないものなのでしょうね、きっと。それにつけても「販売促進活動」へのご協力ありがとうございます。こんど「新装ジャック」でシャンペン奢りますね。ウチダ)

 

 

その53

 こんにちは。ご無沙汰しております。今日の午後に『夜ため』を拝受しました。いつもありがとうございます。でも文字通り拝受しただけで、まだ読んでません。とりあえず御礼のみでお許しください。

 これまた文字通りパラパラっとめくってみましたが、なんだかいつもと文体が違いますね。この本ってもしかして、例の喫茶店かどこかでテープレコーダー(ICレコーダー?)を前にして滔々と語ったのを文字に起こして本にするという企画のやつですか? もちろん文字原稿に何度も手を入れているんでしょうけど、文体は語りに近いですね。

 大半のセンテンスが「です」か「ます」で終わっているし、なんと言っても一人称の主語が「ぼく」です。

 WEB日記を含めて内田さんが公表した文章の中で、自分のことを「私」ではなく「ぼく」という人称代名詞で指すのは初めてじゃないでしょうか。

 普段インフォーマルな場で話すときはたしかに「ぼく」をつかってますよね。しかしだからといって、この本の中で内田さんが「ぼく」として登場していることが、「今目の前で内田さんがしゃべっている」という印象にはつながらないが不思議です。

 たぶん、これまでずっと、「内田さんの書いたものを読む」という行為が、「私」として登場する語り手ウチダ(のキャラ)との仮装の、いや仮想の対話としてあったので、「ぼく=ウチダ」のキャラに別人格を感じてしまうのでしょう。

 あるいは、(無論実際には出版社の人が質問してそれに答えるという形だったのでしょうが)、二人芝居なんだけど、一方の登場人物だけが舞台上に姿を現して大いに語り、もう一人は不可視のままにその語り口によってのみその舞台上での実在が推測される戯曲ような形式で書かれているからかもしれません。

 以上、文体だけを見ての第一印象です。ちゃんと読んだらまた感想を送りますね。

 

 僕の方は連休が終わってようやく仕事にリズムがでてきたところです。実を言うと、今月から半年間内地研究に行ける可能性があったのですが、三月の末になって文科省から不採用の連絡が来て、それからばたばたと今年度の体制を整えることになったのです。(科研費もそうですが、文科省関係の研究活動支援プログラムは、結果が分かるのが年度が変わる直前か、始まってすぐという時期になります。もう少し早くならないもんなんでしょうかね。審査の結果次第でその年度の研究-教育生活の全体が全く違ったものになってしまうわけですから。)

 学内の推薦順位が低かったので不採用になる可能性は大いにあったし、そのことはちゃんと理解していたにもかかわらず、心はすっかり内地研究だったようです。だめだった場合に備えて授業の準備もしていたのですが、いざ本当に授業をする段になってみると、そうした気もそぞろな準備というのは全然使えないものであることが判明し、まずは心の体勢(Einstellung)を変えてゆくところから始めなくてはならなかったのです。

 すでに自分のホームページに書いたことと重なるので詳しくは書きませんが、僕の場合いい仕事ができているのは、(たとえ忙しくてもいいから)一定のリズムで生活ができているときです。夏休みなんかはもちろんそうですが、通常の授業期間中も一週間単位での同じリズムの生活リズムが繰り返されるので、極端にたくさん講義を受け持っていいないかぎりは、頭は動いてくれます。二月や三月はその反対で、講義はないけれども学内行政的な仕事が不規則に入ってくるので、生活にリズムが生まれず、振り返ってみると一体何をしたのやら、ということになることが多いのです。(甘すぎると言われればそれまでですが)

 というわけで一ヶ月ほどかかってようやく、心-身ともに授業中心モードに入ったところなのです。

 今年は、「メディア性」と「物語性」と「再帰性」について考えることを基本ラインにして演習、講義、自主講座をデザインしました。

 自主講座というのはまあ何というか、大学院の講義の正規受講生がゼロだったので自主聴講希望の院生とやっているコロキウムのようなものです。テーマは「歴史・物語・倫理」で、野家啓一と高橋哲哉の歴史記述をめぐる論争の中に、フロイトとフリッシュの虚構論を「ねじ込む」ことで、二人の話の噛み合ってない部分に筋道をつける、のが狙いです。しかもそのネタで11月に台北で話をしてこようというのですから、ずいぶんと無謀な企てだというのはご理解いただけるでしょう。

 無謀は無謀なんですが、10年以上にわたって「物語ること」について研究してきたせいか、内田さんの言う「ハードコア・ナラトロジー」と「ソフトコア・ナラトロジー」についての専門的なトレーニングを積んでいない「物語論者」たちの議論の脆弱さがどうも気になってならないくなり、ここらですっきりさせておきたいということになったのです。

 

 僕が自分のナラトロジー研究のもっとも重要なポイントは「語りえぬもの」であることを明確に意識したのは1994年頃でした。まだレヴィ=ストロースやフロイトの仕事がナラトロジーの原論たりうることも知らなかったし、歴史記述の問題がさまざまな領域で問い直されていることにも(恥ずかしながら)気が付いていませんでした。

 フリッシュの「順列の美学」というドラマトゥルギー&ナラトロジーを人文・社会科学のコンテクストの中に置いてみたらどうだろうかという思いつきが「到来」したので、こんなことをやっているのは世界中で自分だけだろうと、多少の自負心と圧倒的不安を抱きながら、「出来事の記述と物語(り)」というテーマにかかわってきそうな文献をぼちぼちと集めて読んでいきました。

 ところが1999年の秋に二年にわたったスイス留学から戻ってきてみると、出来事の記述の問題はずいぶんメジャーなテーマになっていました。その中で僕の構想する「フリッシュ・ナラトロジー」の基本的問いに密接に関連していたのが、野家-高橋論争だったのです。

 この論争は話の噛み合わないままになってしまっているようですが、お二人にはもっとしっかり意見を戦わせて欲しかったので、僕が微力ながらも自分の見解を交えつつ論争を仮想的に継続させていることにしたのです。

 台北でのシンポジウム(といっても大学間交流に毛が生えた程度のものですが)の原稿の締切が7月末なので、時間はありそうで実はあまりありません。(台湾ではシンポジウムの前にちゃんと注まで付けた原稿を提出するのが普通なんだそうです。これって当日のライブ性は半減してしまいますが、報告したことが確実に論文になるという点ではなかなかよくできたやりかたですね。僕なんかだと、学会や研究会で発表したまま店晒しなっているネタがたくさんありますから・・・・) だから、毎週一回自主講座という形で「経験の記述」についてのテーマを変奏させることを自らに課すことで、なんとか議論をまとめてみようと考えているわけです。とはいえ、正規の講義ではないので甘えが出てしまい、毎回の報告のためのメモづくりは前日の晩と直前の昼休みに自転車操業的に行い、しかも肝心な部分は講座中にしゃべりながら考えているというていたらくです。

 

 それではそろそろ失礼します。

まるは。

 

追伸:そういえば、内田さんのアイデアを勝手に拝借して、僕のホームページにも「パラサイト」を設置しました。やってみてよくわかりましたが、自分の声を自分で聞くよりよっぽどおもしろいですね。 (2003.5.12)

葉柳先生へ:ご賢察のとおり、あれは最初は「語りおろし」という形式のものだったんです。8時間ぶっとおしで話したものをテープから起こしたのですが、内容に重複が多かったり、うねうねしていたので、結局ほとんど全部書き直すことになりました。

主語も「ぼく」にしようか「私」にしようかちょっと迷ったのですが、「私」というのは、もっと「毒のある」テクスト用に取って置いて、わりと「脇の甘い」「ぼく」という一人称を使ってみました。ふだん書き物では使わない主語なので、自分で読んでてもけっこう違和感が強いです。

ナラトロジーについては、こんどの『映画の構造分析』の最初の章がもっぱらその話です。

あまり既存のナラトロジーのフレームワークになじまないことばかり書いていますけれど、まあ、あれが私のナラトロジーの現段階だと思って下さい。感想をお待ちしています。(6月12日頃にお届けしますね。ウチダ)

 

その52

こんばんは。お久しぶりです。ちょうど一ヶ月前にお目にかかって以来ですね。

 

おぼえていらっしゃらないかもしれませんが、あの晩、内田さんが、「出来事は偶発的なもので、意味なんかないんだ」とおっしゃったのがずっと頭の隅に引っかかっていました。別にそれに反論したいわけではなく、「それはそうなのだが、偶発的事態の中でどのような選択をするか、とりわけ、選択の連鎖の軌跡というのは、決してランダムではない」ということについてぼんやり考えているうちに一ヶ月が経ってしまったのです。(子どもの頃から、こういう問いを立てると、必ず問題設定の無限後退が始まるのです。)

 

そうこうしているうちに、(そのことと微妙に関係しつつ)歴史記述の問題について自分のスタンスをはっきりさせておく必要性が出てきました。その一環として、一ヶ月前に話題にした岡真理の現時点での主著『彼女の「正しい」名前とは何か』(青土社、2000年)をじっくりと読みました。この本は出版の時期は、『記憶/物語』より半年ばかり後ですが、論文集ですから個々のテクストが書かれた時期は、それより前になります。

精読してみての印象については、別の場所で簡単にまとめてあるので、ここでは書きません。ここで書きたいのは:

 

内田さんは常々、「自分は底意地の悪い人間だ」と言っているが、それは一種の韜晦だとずっと思っていたが、この本を読んで初めてその意味がわかった

ということです。

内田さんは『ため倫』の中の『記憶/物語』を取り上げた箇所で、

「ポストモダニズムはほとんど「語り口」のことだけを中心的な論件にしてきたはずなのに、なぜ自分たちの「語り口」のこのような不自由さについては構造的に見落としつづけるのだろう。」(P.175)

と書いています。そして一ヶ月前の晩、確か、『彼女の「正しい」名前とは何か』は読んでないとおっしゃっていましたよね。(以下、「読んでない」というのが話の前提です)。

「しかしながら、テクストの身ぶりは、作者の意図として語られるこれらの言葉をむしろ裏切る結果になってはいまいか。」

 

『「正しい」』のP.97にこのような一文があります。この本の基本的な分析装置は、こうした「内容」と「形式」のズレの徹底したクローズアップです。まさに「語り口」こそが「中心的論件」となっているのです。

僕は、先の『ため倫』からの引用の前半部分を軽く読み流していましたが、ここまで「語り口」が問題になっているとは思っていませんでした。つまり、内田さんは『「正しい」』を読んでいないにもかかわらず、『ため倫』の「当為と権能の語法」の章が、その意趣返しになっているのです。これって内田さん本人が意識している以上に意地悪かもしれませんよね。(他にも語彙や言い回しが似ている箇所がいくつかあります)。

そしてだからこそ、「岡にはその『病識』があるだろうか」(P.175)という文の「語法」が内田さん自身にもはね返ってくるわけです。こう考えてみると、「追記」は書かれるべくして書かれたということになりますよね。

 

ただ、一冊を通して読んでみると、確かに文体や口吻にかなり違和感はあるけれども、『歴史/物語』よりもはるかにていねいに書き込まれていて、いい本だと思いました。少なくとも僕自身がナラトロジーについて考えるときの「クリアカット」な差異線を引いてくれたことは間違いありません。ゼミの基本文献にしようかとさえ思っています。

 

春休みも、はや残りわずかになってきたし、教務関係の「お仕事」もあれこれあるのですが、少しづつでも、「嘘をつくこと」と「出来事について語ること」との間にある問題について考えていこうと思っています。PolitikとEthikに繰り返し立ち戻りながら。

まるは

 

その51

こんばんは。昨日は長崎でさえも雪がうっすらと積もっていました。神戸は相当寒いんじゃないですか?

え、センター試験中って内職しちゃいけないの?

「国立大学ルール(いやもしからしたら「N大ルール」?)」では当然、内職厳禁です。

例年は文庫本持ち込んでいて読んでいます。

うーん。うちなら次の科目の答案を配布する際に、「監督中に文庫本を読んでいる人がいらっしゃたたそうですが、そういったことは認められておりません」と文言は比較的一般論風に、しかし、眼差しは禁を破った当人にしっかりと向けながら、「注意」のお言葉が下されてしまうところですね。(文体が変なのは主語を明示しないためです)。さらには翌年の打ち合わせのときにも、禁止事項に抵触する事例として必ず言及されるでしょう。

以前、学生が手を上げて「用便」の意思表示をしているのを見逃して気の毒してからは反省して、本を読むときは3分に一回 会場を見渡す、ということにしています。

ということは最大三分間手を挙げたままにさせておく可能性があるってことですか?

今年は持ち込んだ本がつまらなくて(『ナショナリズムのなんたら』という対談本) 読む気がしないので、原稿を書いていたのでした。

確かにこういうときに持ち込んだ本がつまらないと、本当にがっくりきますね。取り替えようがないわけですから。

大学でダイレクトにISO9000取得をめざすかどうかは別として、品質管理とい う発想はある程度導入せざるを得ない趨勢だと思います。

 

僕もそう思います。原稿用紙換算で100枚以上のボリュームがありかつ部分的にはプロ研究者よりも優れた知見を含んでいるわがゼミ生たちの卒論と、12月も終わろうかという頃になって大慌てで、参考文献をパッチワークして作った盗作まがいのしろもととに、同じ成績が付くというのはあんまりですからね。当然、同じように「学士様」になるというのも。

それだけ教員も学生も社会そのものも品質が劣化している、ということなんですけどね。

このトリアーデにはまってしまうと抜け出すには相当血を流さないといけないでしょうね。

 

で、先日ご依頼いただいた件ですが、K大学大学教育センターのY君から、高等教育評価の専門家の立場から、つぎのようなメールをもらいました。

 

1.教養教育に力を入れているかどうか

2.授業評価システムを導入し、有効に活用しているかどうか

3.教員の教育FDがなされているかどうか

4.教員の教育業績がきっちり評価されているかどうか

5.卒業生の学力・知識の品質保証・最低保証は以下に行われているか

こういったところがわかりやすいポイントのようです。しかし、実際何が基準か分かりません。もーしわけない!!!

 

高等教育の専門家にもよくわからないということは、研究トップ30のときと同じように教育トップ100の場合にも、選考委員会内部でのミクロポリティックスが大きく関わっているということだと推測します。

にしても、2〜4は、多かれ少なかれどこでもやっていることでしょう。

となると、特徴を出せるか否かは、1と5にかかっているということになります。

1.に関しては、やはり、<「主専攻1、副専攻2」or「主専攻2」>システムを導入することで、複数の分野にまたがった知識や技能を身につけながら、かつ、専門分野を深める、という方式がベストだと思います。

この場合、「最短四年間で、四大卒相当の学位一つと短大卒相当の学位一つが取れる。がんばれば四大二つ分の学位だって取れちゃう」というのは、(欧米では今でも可能ですが、日本では)それなりに斬新なんじゃないでしょうか?

5.はやはり、返品保証制度に尽きるでしょう。「こんな使えない「商品」をうちの会社に送り込みやがって」と会社の人事部が判断すれば、「返品」可であり、大学は半年間(場合によっては一年間)でこの卒業生を「無料修理」して、再度「納品」させていただく、という制度です。ただし「保証期限」は3年、そこから先は会社の人材養成システムの責任、等々。(これは確か既に導入している大学があるはずです。)

もちろんこの場合、「うちの卒業生が身に付けているはずの基礎的能力」と、「会社が求めている能力」との間のズレをどのように扱うか、といった問題は当然生じてきますから、細部を詰めるのは大変です。しかし、ズレが大きくなるのは専門性の高い部分であって、「基礎的能力」という点ではある程度の共通メルクマールを設定できるのではないでしょうか。(卒論を第三者に評価してもらうとか、「大学卒業センター試験」を実施するとかいった形での品質維持の方法もなきにしもあらずですが、これらはいずれも学位授与機構や大学入試センターといった官僚機構を大きくするだけ(かつ骨抜き)に終わりそうな気がするので、僕なら避けたいです)

とまあ、思いつくのはこんなところです。あまり具体的なことをお答えできなくてすみませんでした。

では。

まるは

その50

こんばんは。ここしばらく自分のゼミのホームページのリファインとコンテンツ作成にかかりっきりで、研究と『通信』の方はすっかりご無沙汰になっていました。

仕方がないので、試験関係の書類にあれこれと必要事項を記載するふりをして教壇 で「監督要項」の余白に、「関西電力メールマガジン」用の原稿を書く」

ウチダさんも大胆ですね。いや、センター試験の監督中に内職していたことが大胆だっていうんじゃありません。それくらいならやっている人は全国のセンター試験会場の監督の中に263人くらいはいたでしょう(数字には何の根拠もありません)。

そうではなくて、それを自分のホームページに堂々と書くところが大胆なのです。だって、ウチダさんって神戸女学院FD委員長かなんかの役職に就いているんじゃなかったんですか? その御仁が堂々と「私内職してました」と書くのだからたいしたものだといっているのです。

僕もセンター試験監督をやりましたが、うちなんかは委員長を筆頭に異常なまでにぴりぴりしていて、各会場が<標準時刻>から5秒と違わず一斉に始まり一斉に終わっているかどうか、スパイが放たれる程の厳戒体制でした。

とはいっても、試験が始まり、ドアを閉めてしまえば、そこはスパイも入り込めない世界です。今回は一緒に監督をやった他のお二人の先生が「実効性のある制度運用」をモットーとされていたおかげで、一昨年に較べてずいぶん気が楽でした。

あたりまえといえばあたりまえですが、どんな管理システムも末端の人間の裁量次第で、その居心地はずいぶん違ったものになるんだ、ということが実感できました。試験場って、やるべきこと、やれることが限定されているので、そのことがはっきり見えてくるのだと思います。

でも、僕自身は自分のホームページには、自分がセンター試験の監督中にやっていたことの半分しか書く勇気がありませんでした。

つまり、暇をもてあまして、「大学入試センターが真に望んでいるのは実は学力の低下なのだ云々」といったことも考えたのは確かなのですが、それだけではなく、「監督要領の間に紙片を挟み、要領に目を通しているふりをしながら。なんとか年度内に書いてしまいたい論文のアイデアをメモっていた」のです。実は。しかもこういう状況って、まさに泉のごとく次々とアイデアが湧いてくるんですよね。(後になって使えるかどうかは別にして)。でも、そのことを書くことは自主規制してしまいました。

小心者なんです。実は・・・

 

葉柳先生

おっととと、長崎大学はISOを取得したんですか?

もう始まってるんですか、教育の品質管理・・・

ISOの専門家がキャンプ仲間なんで、去年の夏に「大学教育のISO取得ってありうるかな」と訊いたら、「うーん、そのうち始まるかもね」という答えだったんで、まだ日本の大学ではどこも手を着けてないだろうと思っておりましたのに・・・

もう少し詳しいことを教えて下さい。お願いします。

 

いや、取得したのはISO14000です。つまり環境に関する国際標準規格です。しかも僕の所属学部だけです。

毒物や廃棄物の管理と処理が必要とされる理系はともかく、文系の教員の場合、「コピーの裏を再利用しましょう」とか「電気はこまめに消しましょう」とか「コンビニ弁当を買わずに愛妻弁当を持ってきましょう」(マジですよマジ!)といった、小学生が学級会で決めたのか、と錯覚してしまいそうな、行動目標の設定とその実現が求められています。

 

個々の行動目標自体に対しては、「愛妻弁当」のような妙なやつをのぞいて、まあ、Ich habe nichts dagegen. (別に反対はしません)が、仮にも「環境科学部」を自称しているくせに、ISOの規格自体が、そもそも「我らが理念<文理融合>の環境科学」の視角から見たときとき、どの程度妥当なものであり、どこに問題があるのか、といった批判的検討を一切行わずに、民間企業に適用されている基準を丸呑みして大学にもあてはめる、というやり方には開いた口がふさがりませんでした。

 

ISO委員会というのを作ったので、そういった批判的検討をまず行って、その上で「環境科学」の専門学部として、この規格を自らに適用することは学問的に適切なのか、といった順番で話を進めていくのかと思ったら、いきなり「愛妻弁当」ですからね・・・

 

話はとびますが、理系の世界では、大学教育の国際標準化の動きは年々活発化しているみたいですね。具体的なネーミングは忘れてしまいましたが、この理系大学国際標準化規格の認証を受けた大学の理工系学部の卒業生は、世界中どこに行っても同じように遇される、といった主旨のものだったと記憶しています。

 

文系の学部に対して、同じように標準化を行うことについては、僕の立場は「微妙」です。もちろん、「みんなが右向け右するのなら、僕は斜め上を向いてやる」というのが僕の基本的スタンスですから、基本的には標準化には反対です。(センター試験だって廃止した方がいいと思います)

 

しかし、理念はさておき、大学の教育の現場に目をやると、「やっぱ、ある程度の標準化は、教育サービスの提供者としてやっていくしかないんだろうな」という気持ちにさせられる現実もまた一方ではあるわけです。

 

まあ、それはともかく、今年の葉柳ゼミの卒論は、力作and/or秀作and/or傑作ばかりですよ。僕が独断で決めた卒論標準化規格はみな十分にクリアーできそうです。締切が一週間後なので、みんな今、最後の章あたりをせっせと書いているところです。僕も今からまた赤ペンを片手に、「指摘おじさん」をやりに戻ることにします。

では。

まるは

その49

こんんちは、冬休みも終わってしまいましたね。

今年の冬休みは、12/19-22を卒論指導デーにして、四年生の「作品」の前半部分を徹底的に検討し、それについて話し合うというのを集中的に行いました。

今年の卒論生たちは、三年の時から指導しているせいか、指導する僕の言葉のメタメッセージを割とうまく捉えてくれているようで、草稿→検討→修正稿→再検討→再修正稿の呼吸がリズミカルです。稿が改まるに連れて、内容も目に見えて良くなってきます。この調子なら、気分良く今年の卒論発表会を迎えられそうです。

同僚たちがどう思っているのか知りませんが、卒論についての15分間の発表を聞けば、その学生が二年間どのような指導を受けてきたのか、つまり、指導教官がどのような指導をしてきたのか、手に取るようにわかります。

これからの大学は自らの「作品」(ビジネスの用語で言うと「生産物」?)に対する品質保証を行わざるをえなくなってくると思いますが、その点検の場のようなものとして僕は卒論発表会を捉えています。

しかし、現状では、それを<内実のない儀式>として、捉えている者が多すぎます。学生も、教官も。(自分の研究者としての力量や教育者としての姿勢が、その15分の中に現れているのだということを認識していない教官が特に問題です)

大学内部での卒論評価がきちんと機能しないのなら、中橋さんが紹介してくれたように、評価を外部に委託した方がいいと思います。

むろん、そこにはさまざまな技術上の問題はあるでしょうが、「20000字書けば通してもらえる/通してやる」といった現状に較べればはるかにましです。少なくとも単なる紙くずを生み出すよりは、よっぽど「環境に優しい」でしょう。

あ、また、筆誅モードに入ってしまいましたね。

その後は二週間ほど、卒論から解放してもらって、今度は研究者としての仕事をしようと思ったのですが、読みかけた『カミュ全集第二巻』をちょうど盛り上がったところで某所に置き忘れ、未だに手元にない、といった失態もあって、「念のために」持ち歩いていた別の本をポチポチと読んでいるうちに、冬休みが終わってしまいました。

その間、なるべくまめにホームページの更新はしていました。カミュに関するリアクションが結構あったのが印象的でした。

山口の仙人、西條君のメールにあったのですが、僕の世代が大学に行った頃、古本屋の100円本コーナーとかに、マルクスとかサルトルとかカミュとかの文庫本が大量に積まれていました。僕自身も、こうした思想家の本はほとんど古本で入手しました(読みました、とは全面的に言い切れないが恥ずかしいです・・・)。

あれから20年近く経ちました。西條君は、カミュだけは読み返そうと思うし、読み返され続けるだろう、と言っています。(僕は、マルクスも昔とは違った読み筋が見出されていくんじゃないかと思います)

カミュについては本が戻ってきてからまた書きます。

ホームページは、昨日でアクセス件数が100を越えました。そのうち15回くらいは僕自身がアクセスしたやつですから、二週間で85回、一日6回の訪問があったことになります。もう少しコンテンツを充実させて、一日10アクセスを目標にしようと思います。

それではまた

 

その48

こんにちは。昨日、ゼミの時に、サイン本+感想と感想を学生たちに手渡しました。

ゼミが終わってから、みんなうれしそうに、ネコマンガや感想の感想を見せっこしていました。お忙しい中ほんとうにどうもありがとうございました。

 

以下、11月27日の『通信』の補足です。『通信』を送った次の日、つまり昨日なんですが、大学のコピー室で同僚の某先生が『寝な構』をコピーしているのを見かけました。自分のゼミ生たちに読ませるんだそうです。(わが同僚にウチダ本の読者がいたということも少々驚きでしたが、それはさておき)そのときに、『女は何を欲望するのか?』についての、僕の感想を少し話しました。その内容は27日の『通信』とほぼ同じようなものだったのですが、その先生から、「要するにハヤナギ先生は、この本[『女欲』(省略すると違うジャンルの本みたいですね)]をほめているんですか、けなしているんですか」と質問されました。

自分としては言いたいことははっきりしていたんですが、頭の中で整理する前におもいついたところから書いたりしゃべったりしたのでわかりにくかったのかもしれません。

で、もしかして『通信』の読者の中にもそういった感想を抱かれる人もいるやもしれぬと思い、今、補足しているわけです。言いたいこととというのは:

『女欲』はフェルマンの思考をマッピングし、その行程をたどるための(ハヤナギの知る限り)最高のガイドである」

です。ついでに言えば、コジェーヴという人についても知りたいという気持ちを強く喚起してくれる本でもあります。僕などは、読み終わった直後にコジェーヴの『ヘーゲル読解入門』を注文し、既に手に入れました。(同時に購入した『ちびくろサンボよすこやかによみがえれ』(これは『女欲』の中に挟んであった径書房の出版案内で見つけた本)と並んで、まだ、本棚に鎮座しているだけすが・・・・)

以上補足です

まるは

 

その47

こんばんは。今日の午後、「サイン+ネコマンガ+感想文の感想」を拝受いたしました。

お忙しい中、僕の思いつき企画におつきあいいただきどうもありがとうございました。

特に感想文の感想には感謝いたします。一旦世に出されてしまうと、読み手の恣意と気まぐれに翻弄されるのが書物というものの運命であるとはいえ、ずいぶんと???な感想もあったのではないかと推察します。が、彼らの感想は多分普通の大学生たちの読みとしてはサンプルとしての代表性を持っているのではないでしょうか。

今日はなぜか、ゼミ生たちが姿を見せなかったので、明日のゼミの時間に「授与式?」を行いたいと思います。あ、今、ゼミ室の方から物音がしたので、後で覗いてみます。

 

『女は何を欲望するか?』を拝読させていただきました。いつもありがとうございます。今回は、自宅のベッド→空港のラウンジ→瀬戸大橋上空(というアナウンスがありました)と読み次いで読了しました。

この本はタイトルからして、フェルマン論ですね。フェルマンの『女が読むとき 女が書くとき』の原題がWhat Does a Woman Want?ですから。そしてこの本の副題はReading and Sexual Differenceですが、この「性的差異」を特権化する「読み」に対する批判として、ウチダ版『女は何を欲望するか?』はあるのだとあたりを付けて、本を開きました。

ところで、僕のマックのデスクトップに「ウチダ」というフォルダがあります。アイコンは合気道家ウチダが(こういう言い回しが適切なのかどうかよく知りませんが)投げを打っている写真から取っています。フォルダに入っているのは、ウチダさんのホームページ上の日記や書評の中から、僕のアンテナに引っかかったものをそのつどダウンロードしたもので、一種の私家版『ため倫』です。

その中に、「ウチダフェルマン論のぶれ」というファイルがあります。これは、ウチダさんのフェルマンについての言及を時系列的に並べたものです。

そもそも何でそのような「実証的ウチダ学」をやろうと思い立ったかというと、2001年夏頃と2002年初夏以降の日記を較べるとフェルマンに対する評価がずいぶん違ってきているような気がしたからです。

と書けば、なんであんたがそんなことを気にするのか?という疑問が出るかもしれません。答は簡単です。僕自身がフェルマンの本にいたく感銘を受けたからです。それは単に一読者としておもしろかったというレベルにとどまるのではありません。

「「私」が「私」について語るand/or演戯するという状況はマックス・フリッシュのほとんど全ての仕事の原状況であり、そこに避けがたく存する「根本的疎外」こそが語り、演戯するという行為を人間学的に生み出している」

これが、10年余りに亘ってフリッシュについてあれこれ考えたりしゃべったり書いたりしていくなかで、次第にはっきりと見えてきた僕のフリッシュ論の最も重要なポイントなのです。

で、「ウチダフェルマン論のぶれ」を辿ってみますと、2001年8月24日の日記には、「フェルマンさんは私が尊敬する数少ないフェミニスト理論家である」という一文があります。(ちなみにこの日の日記の中では、イリガライは呼び捨てなのに、フェルマンは一貫して「さん付け」です)そして、システムの外部に立つ視座から議論を始めることの不可能性を見据えているフェルマンに対する肯定的評価に続いて、「あれ?じゃ、私はフェミニストなのか」と結論/おちが書かれています。

つまり、この時期のウチダさんは、フェルマンを自分とかなり近い場所に置いているのです(少なくとも日記の記述から推察する限りでは)

ところが2002年に6月8日の日記になると、「「男性は自分を主語として語ることはできるが、女性はそれができない」とイリガライやフェルマンは主張するが、これは間違いである」と、「フェミニスト十把一絡げ」的な言い回しが現れます。とはいえ、ここでも「ショシャーナ・フェルマンはイリガライほどバカじゃないから」と、二人のフェミニストを区別しているということも明示されてはいます。

それが6月12日の日記(学生さんたちのレポートに対する講評)では「フェルマン=イリガライの主張する…」という言い回しに見られるように、「十把一絡げ」的スタンスが前面に出てきます。

さらにそれからしばらくしていただいたメール(日付がわからなくなりました)では「イリガライやフェルマンの議論(の一部)を私が疑問視するのは…」という書き方がなされています。

つまり、このように「言葉尻」をとらえてゆくと、自分の思考の布置のどこにフェルマンを置くのかという点で「ためらい」があるでは、という印象を読み手に与えるのです。

<この調子で書いていると、終わりそうにないので、要するに言いたいことを先に書かせていただきます。>

結論:「フェルマンに対してはあんまり意地悪じゃなかったですね」

本の帯には「「宿敵」フェミニズムとの終わりなき戦い」とか「「万能の理論」はどのようにしてその思想的役割を終えるのか」とか「底意地の悪い…本人が感動するほどの邪悪なフレーズ」などと、思いっきり派手な言葉が並んでいます。で、タイトルが『女は何を欲望するか?』です。

そういうわけで僕は、「ついにウチダはフェルマンに対しても「底意地の悪さ」を全開にするのか!?」といった期待(?)を抱きつつページを繰り始めたのです。(要するに、格闘技の観客のノリですね)

そして、上のような「フェルマン論のぶれ」を知っている読者からすると、「持ち上げたり降ろしたりしながら、この本の一体どこでフェルマンに対して<思想的役割の終焉>を告げるのだろう」というところにその期待の核心はあるわけです。(合気道のことはわかりませんが、プロレスなら「持ち上げたり降ろしたり」があってこそ、キメ技は観衆を魅了するはずです)

ところが結局のところ、フェルマンに対して「底意地の悪い」言葉はついに吐かれることなく、「唯一の問題は、まさに彼女の洞見が「すべての人間」について妥当するということである。[……]その理由がわからない」という一点のみにウチダさんのフェルマン批判はあるということが明らかとなります。

これは格闘技の観客からすると肩すかしです。

しかし、僕自身がフェルマンを呼んだときの感想は、「なんでここまで<女性>にこだわるのかよくわからないけど、その点を除けば、「私」が「私」について書くという問題をここまできちんと突き詰めた本を読んだのは初めてだ」というものだったので、ウチダさんがフェルマンに対して意地悪になろうとしても成り切れないというのはよくわかります。ウチダさんのまえがきにあるように「フェミニズムの最良の文化的成果」を救い出すという仕事とは、結局のところ、フェミニズムのいいところを全て選り出す、つまり思想的役割の終焉を宣告するのとは全く逆のことをすることに他なりませんからね。数多のフェミニストの中でフェルマンが最も良質の思考を展開しているのであれば、フェルマンはそこまで言っていないかもしれないけれど、彼女が言っていることから演繹すれば、言いうることまでも含めて、フェルマンの可能性を探ることが、この本の課題とならざるをえないのです。

だからこの本は、フェルマンの「悪口」にはなっていないし、その反対だということになるわけです。

にしてもフェルマンの思考のスタイルというのはダイナミックですね。彼女がラカンについて書いた別の書物などは、僕にはずいぶん難解で、途中で投げ出してしまったのですが、もう一度ねばり強く読んでみようかという気になってきました。

ではまた

まるは

 

その46

こんにちは。『おじツー』拝受。いつもありがとうございます。

「リンガーハット」→官舎のベッド→喫茶「あかねや」と読み次いで読了しました。

 

読みながら感じていたのは、「リズムに安定感があるな」というこおtでした。そのリズムがどこから来るのかにわかには把握できませんが、おそらく形式ではなく(文体そのものはいつものウチダ調改行体ですから)、話を展開するときの呼吸というか、ある命題を説明するための言葉の費やし具合が、一定の幅の中に収まっているので、一冊の本としてまとまりが出ている、ということではないかと思います。

 

これは一つにはベースになっているのが『ミーツ』の連載だからかでしょう。対話形式が多数を占めているからかもしれません。あるいは、(実際に確認したわけではありませんが)収録されたエッセイが書かれた期間の幅がが、『おじワン』よりも短いことから来ているのかもしれません。

 

いずれにせよ、「読み物」としての完成度は『おじワン』より高いというのが読了直後の印象です。

 

独断を恐れずにベストを挙げれば、「邪悪なものが存在する」です。

何の超越的な意味づけもないままに私たちが陥ってしまう疎外状況。それはまさにあらゆる意味づけを嗤いながら私たちを待ち伏せしています。そうした偶然の悪に対するアンテナを張りながら、意味づけの根拠のなさを明るみに出してゆくこと、とはつまり疎外を正視すること、これが私たちの仕事なのです。その果てに「「気分のよいバーで飲む冷たいビールの美味しさ」のうちにかけがえのない快楽を見出すこと」あるいは「九月のとある午後、木陰のテーブルに座って、魚が焼けるまでパンをかじり、手のひらでボトルに触れてワインが冷えているかどうか確かめ、のどの渇き、それから空腹を覚える」こと。私たちがこのような希薄な現在を奇跡として感受することができる限り、「生きることは私の気に入っている」と思えるのではないでしょうか。

 

最近、このホームページで大学論が盛り上がっています。僕も前々から、大学は卒業生の品質保証をしなくてはならない、と思っていました。僕のゼミがN大K学部のゼミとしては「とても厳しい」のは、「自分が疑問に思ったことについて調べ、書き、発表する」という基本的な学術能力を卒業生に付けさせるのは、大学教員としての最低限の責任だと思っているからです。

 

このテーマに関して、少し前に『通信』の数少ない愛読者にして若きハイデガー研究者の中橋誠さんから次のようなメールをもらったことがあります。(中橋さん、無断で転載しますがお許し下さい)

 

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妻の大学での審査でした。

愚妻はいま、通信制ではありますが、イギリスのリーズ大学の修士課程に在籍しております。

課題が与えられ、週に一度天王寺でチューターの指導を受け(専属のチューターがイギリスから派遣されています)、それに加え、夏休み、冬休みにイギリスから派遣された教授陣により集中講義をうけ、ようやくこの9月に修士論文提出に至たわけですが(最近、そのせいで家事をやらされて、もとい、やらせていただいております)、その審査たるや日本とは大違いです。

まず、学期ごとのレポートがすでにそうだったのですが、指導教官が採点することは「ない」のです。

指導教官はもちろん、指導します。

しかし、レポートは複数の他大学に送られ、全然関係のない3人ほどの先生たちが評価を下し、その平均で点数が決定されます。

指導教官の指導技量は一目瞭然というわけです。

それゆえ、教授になってからも淘汰の可能性があります。

 

修士論文に関しても評価は厳密です。

修士論文に関して、妻はイギリスの指導教官とメイルでやりとりしているのですが、指導教官が妻に要求するのは、「アウトラインを送れ」のみです。

もちろん、そのアウトラインをもとに指導教官が参考文献を提示したり、コメントを寄せてくれたりするわけですが、ただ、完成稿だけは送ってはならないそうです。

さすがに今回は、指導教官として論文審査の一人に加わるのですが、評価を厳密に行なうために事前に論文全体に目を通すことは許されないのだそうです。

もちろん、これに関しては、善し悪しあると思います。

指導教官に全面的に指導してもらう方がより良いものが出来る可能性もあるでしょう。

しかし、オープンさに関しては、日本と比較することもできません。

 

オックスフォード大学やケンブリッジ大学の教官たちがすでに他大学で評価を受けた老年の方ばかりだと聞いたことがありますが、学生の時から、そして教授になってまでこれらの洗礼につねに晒され、そしてそれに耐え抜いた者のみがこれらの大学に招聘されるならそれも当然かと思う次第です。

日本で少しでもこれに近い大学といえば、東大くらいでしょうか。

なんといっても中卒者でも実力さえあれば講師に迎えるくらいですから。

でも、よく考えたら、東大でも派閥があるのは間違いないですね。

哲学の分野でも、論文一本で就職している例もありますから。いやはや。

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日本の大学では、学生の評価にしろ、学生からの評価にしろ、教官による教官の内部評価にしろ、外部評価にしろ、いちおうやっているポーズだけ取っておいて、実際にはお互いの問題点を隠蔽するような仕組みができてしまうのは何ででしょうかね。

ではまた

 

その45

 

こんばんは。『通信』復活を宣言した割には間隔が開きすぎてしまいましたね。

 

ウチダさんの日記では全く話題に上らないので、きっと経験されていないのでしょうが、(私立もそうかもしれませんが、とりわけ)国立大学の教員にとって「科学研究費」の申請というのはほとんど義務的なもので、10月の上旬は申請書類書きに忙殺されることになります。地方国立大の非実験講座の教員の場合、何も申請しなくても配分される個人研究費は年間せいぜい二十数万円です。この中には消耗品代やコピー代や電話代も含まれています。それらを差し引いた残金で本を買ったり、本棚を買い足したりしないといけないのです。もちろんそれだけではパソコンも買えません。特にマックは・・・

しかもN大の場合、申請したらたとえ不採用になっても研究費2万円アップ(とはつまり初めから2万円引いてある)というローカルルールを作って、申請件数を増やそうとしています。申請件数やとりわけ採択件数と金額がその大学の社会的「ポジション」を如実に反映していると「業界」では考えられていて、そのためにこのようなせこいルールが作られたりするのです。

ちなみに科研費の採択率は平均して20数%です。だから、参加賞(?)の2万円しかもらえない可能性の方が確率的にはずっと高いのです。

そんなわけで、科研費の書類書きはとても神経を使います。たかだか10ページ足らずの書類ですが、2週間は確実につぶれます。

 

僕の場合、1.やろうとおもっている研究内容にうまく合致する「分野」がカテゴライズされていない(「ナラトロジーの視点からの人文・社会科学における記述の理論の再検討」というのはどう見ても、「西洋文学」でもないし「社会学」でも「歴史学」でもないですよね。伝統的な分野か「環境」とか「バイオ」といった「流行り」の分野しかカテゴライズされていないのです。それで一体どうやって「独創性」の高い研究をやれというのでしょうか)ことと、2. 2年とか3年とかできちんと成果の出る「独創的」研究を計画しろといわれても、「思いつき」と「自転車操業」を基本スタイルにしているせいで計画らしい計画が出てこないことが問題です。まあ、結局は、それらしい作文を書き上げることはできたのですが、短めの論文を一本書くくらいのエネルギーを消耗しました。

 

そうこうしているうちに、後期に担当している「言語環境論」という講義の自転車操業ぶりに拍車がかかり、イメージとしては一輪車を全力でこぎ時速20キロで地図も持たずに見知らぬ街を迷走している、という感じになり、暇さえあれば走力を維持するために飯を食いまくっているという状態に陥ってしまいました。

もともとは、学生たちの生活世界を「言語的環境」という点から見直すところから始めて、丸山圭三郎を経由したソシュールの再検討というあたりで話をまとめようと計画していたのですが、「日本語」とは何かということを考え始めたあたりから迷走が始まり、「言文一致の成立」とか「植民地の言語政策」とかを経由して、今は「言語帝国主義」の中を走っています。

どうやらこういった分野はここ10年くらいの間に「ポストコロニアル」というキーワードとともに一つの大きなパラダイムを形成してきているらしいのですが、不思議なことに、20年間も社会とか言語とか文化とかについて読んだり書いたりしてきたにもかかわらず、こうした分野は僕の中で全くの空白地帯だったのです。

僕だけではありません。直接、間接的に僕の研究に影響を与えてきた人たちがそういったジャンルに言及したことがあるという記憶さえないのです。

これは多分、僕がほとんど無意識的にそうした話題を聞き落としてきたのだと思うのですが、にしても、これほどまでに空白であるというのは不思議です。「日本語」というものが持っているイデオロギーから意識せずして目をそらし続けてきたとでも言いましょうか・・・

おかげで、「はー、なるほど、二葉亭四迷と言文一致ってのは神話みたいなものだったのね」とか「戦前の日本の植民地政策と言語政策の絡み合いの中で<国語>ってのが出来てきたのね」とか、「福沢諭吉の翻訳ってのはなかなかよく考えてあるんだね」といった、多分「ポスコロ」業界の人たちにとっては常識中の常識だと思われることがとても新鮮で、新しい本を読む度に講義の構成(ゲシュタルト)が変換していくのです。

これって僕自身にとっては、慌ただしいとはいえ知的刺激に富んでいて楽しいのですが、講義を聴かされる学生さんにとってはたまったもんじゃないかもしれませんね。

ほんとうは、「N大K学部は若手教員蟻地獄だった!」という内部告発ネタでいこうかと思っていたのですが、これはまたこんどにします。

ではまた

ウチダも科研の「不採択」というのは二度経験があります。でも作文はしないですみました。(作文のうまいひとが代表者だったので)去年アプライしたやつなんかは菅野賢治・合田正人・内田樹の共同研究による「フランス・ユダヤ思想史研究」という「このての話」についての業界精鋭をそろえたラインナップだったのに落ちちゃいました。一体何を基準に評価しとるんですかね。あれは(ウチダ)

 

 

その44

こんばんは。新潟から戻ってきました。学会が終わってから、『新潟通信』ができないかと思っていたのですが、ビジネスホテルに泊まるのも芸がないので、新潟市内ではなく、少し離れた弥彦温泉に宿を取ったところ、PHSの圏外に位置していて、メールのチェックすらできませんでした。携帯電話は使えたのですが、情けないことに、携帯をシグマリオンに繋ぐ方法を知らないのです。今日のホームページの内容から察するにメカ音痴を自称しているウチダさんですらも、携帯とパソコンを繋いでメールを送ったりするのはできるみたいなのに・・・・

 

新潟出張の感想を思いつくままに書けば、やはりお米がおいしい!というのが一番印象に残りました。ということは当然のことながら日本酒の出来もすばらしく、普段はビールかワインばかりなのに、新潟空港で帰りの便を待っている間も未練がましく空港の寿司屋で『八海山』(これはいぜん旧ウチダ亭でごちそうしていただいたやつですよね)をチビチビと飲みながら海鮮丼を喰らって今回の出張を締めました。明日からゼミ合宿ですが、学生さんたちへのおみやげも新潟の地酒です。

 

僕自身の発表の方は、まあ、何というのか、例によってリアクションがほとんどなかったので、聴いて下さった方たちがどういう感想を抱いたのかよくわかりません。というか、もともと学会参加者が少なかった上に、僕が発表した部会は、大きなシンポジウムの谷間にある一番マイナーな部会だったので、聴衆が常時10人くらいしかいなかったのです。どの発表に対しても質問は一つまたはゼロといった状態で盛り上がりに欠け、僕の発表に対しても、昔からの知り合いの先生と司会者から質問があっただけでした。僕の発表の内容がよくなかったのかもしれないし、やり方がまずかったのかもしれないのですが、もうちょっと批判なりお褒めの言葉なりが欲しかったですね。

 

にしても、これはよろしくないと思ったのは、同じ部会で最初に発表したRK大の助手とW大の非常勤の二人の態度です。二人はもともと知り合いだったみたいなのですが、自分たちの発表が終わったらさっさと退場してしまい、どうやら廊下で雑談をしていたのです。全員(しんがりは僕)の発表が終わってから二人は荷物だけ取りに戻ってきて、あいさつもなく出ていきました。

僕自身も、実力もないのに不遜な態度を取ってひんしゅくを買うことがよくある人間なので、あまり他人を責めることはできないかもしれませんが、学会で発表したらたとえ自分の発表が先に終わっても、その部会が終わるまでは、他の発表をちゃんと聴くというくらいの礼儀はわきまえています。彼らはその程度のことすら誰からも教わったことがないのでしょうか?

去年、うちの学部で卒論の発表会があったとき、自分の発表の後、姿を消して、ゼミ室で寝ていたS君をたたき起こして、発表会場まで引きずっていったことがあります。そして、同じ場所を共有して研究の成果を発表している者同士の最低限の仁義というものについてこんこんと説教しました。もう卒業が決まている学生を叱りつけるのもどうかなとは思ったのですが、S君は大学院進学が決まっていたので、最低限の仁義は知っておいた方がいいと思ったのです。

それとも、自分の言いたいことさえしゃべれば、後は退場してもいいという彼らの考えの方が今風なんでしょうかね?

 

そして、彼らのような人が出てくるのは、決して特殊な例外的な現象ではなく、西洋の文学あるいは文化を扱う学問全体が日本の知的世界の中で、凋落していることと関係しているように思えてなりません。実際、新入会員が少ない上に、現会員の中にも退会者が多くて困っているとか、新潟大学のドイツ語担当専任教官の中で最も若い人が47歳だとか、学会費をを銀行自動引き落としにすれば、来年度分に限って2000円引きだとか、そういった個別の現象は全て根っこのところで繋がっているのです。たぶん。

その主たる原因は、(少なくとも国立大学に限って言えば)ここ15年くらいの間、文部科学省が主導して、改革という名の人文科学つぶしを仕掛けてきたことにあります。それは間違いありません。(「文理融合」と称して、理系の人と論文数を競えと言われている僕のポジションからするとそう言わざるをえません。ある会議の合間の雑談中に、結構本気で理系の先生に、「私は年に多くても二本しか論文を書けない遅筆家ですが、本数ではなく、文字数で比較すれば、先生方より多産かもしれませんよ。さらに、共著論文は共著者の数で割ることにすれば、もっと多産になります。え?そんなのナンセンスですって?だったらなぜ本数で比較するのはナンセンスじゃないんですか?」と発言して、これまたひんしゅくを買ったことがあります)

 

とはいうものの、こうした人文科学つぶしに対抗できなかった理由の一つは、(かつてウチダさんも同じようなことをおっしゃっていたような気もしますが)、「人文科学を学ぶとこんなにいいことがある」ということを、僕たち人文科学の研究者たちが外部に向けてきちんと発信してこなかったということにあると思います。たとえば、僕の職場では、理系2講座、文系2講座(環境政策と文化環境)の中で、文化環境が最も不人気講座ですが、それは文化環境の先生たちの研究者としての業績が他の講座に比べて落ちるということでは決してありません。それぞれの先生の専門分野の中でのポジションという点ではむしろ上なのではないかと思われます。しかし、それぞれの専門分野を学ぶ快楽を学生たちや同僚たちにきちんと伝えられているかというと疑問符を付けざるを得ません。(前回に引き続き、自戒を込めて)

 

ドイツ語で書かれた虚構テクストを扱う学会発表で、柳田国男を引用したりすれば、こうした方向に関わる議論もできるのでは、とも思っていたのですが、不発に終わってしまいました。

 

何はともあれ明日からゼミ合宿です。温泉につかってエネルギーを充電してくることにします。では。

まるは

そうですか・・・独文学会も落日のようですね。仏文も事情は似ています。最大の理由は、70年代以降、仏文学者が政治や社会問題について、まったく発言しなくなったことが決定的だったと思います。人文科学的な教養と、学問の方法は個人の知的愉悦の道具ではなく、ある種の「社会的能力」のはずです。それを生かして、どんな社会的貢献ができるのか?仏文学者は現代日本社会にどんな「贈り物」ができるか、ということを真剣に考えることなく30年が過ぎ、誰からも敬意も興味もいだかれない学問領域になってしまったのだと私は思っています。(ウチダ)

 

その43

こんばんは、ほんとにお久しぶりです。

ほとんど毎日のように『長崎通信』の更新がないかチェックしてくださっている奇特かつ貴重な読者がいらっしゃることがわかりました。その方から、「ハヤナギ先生は大いに怒ってるままなのですか?」というメールをいただいてしまいました。

 

もちろんそんなことはなくて、「大いに怒った」出来事は8月の10日過ぎには一応片が付き、その後は、「名古屋大学への研修」などを間に挟みながら、アカデミック・ハイとまでは言わないにしても、「ほら吹きの論理と倫理」について考えたり、読んだりすることを中心に据えて夏を過ごすことができました。

 

9月に入ると夏バテに加えて、大学院入試や「降って湧いた淡江大学国際シンポジウム事件」などでバタバタしましたが、気持ちの方は切れることなく、月末の「ほら吹き」発表に向かっていました。(とはいうものの、例によって貧乏性のせいで、勉強したことをなるべくたくさん盛り込もうとして、25分の持ち時間を大幅にオーバーしそうなノートができてしまい、話の筋を残しつつ削るのに四苦八苦しているところです。「貧乏性ではあかんよ、10勉強して1出せばいいんやから」というのは日頃学生に言い聞かせていることなのですが・・・・にしても、フリッシュ、柳田国男、オスカー・ワイルドにリップ・ヴァン・ウインクルというのは詰め込みすぎですね。反省)

 

で、その間、何度か『通信』しようと思ったのですが、頭に浮かぶことが全て「三人称」か「一人称」なのです。この『通信』の基本的な語りの姿勢はウチダ氏に「二人称」で呼び掛けるというものですから、「ああ、このネタは『通信』には向かないなあ」とつぶやくことが度重なってしまったたのです。三人称の語りのほとんどは、視点を変えれば一人称の語りに変換できるはずだし、二人称の語りというのは、一人称の語りの入れ子のようなものなので、要するに、一人称で書けば同じことだといえないこともないのですが、呼び掛けられている「通信」の受け手が、(仮にヴァーチャルな存在であるにせよ)具体的なウチダという人格であるのと、とりあえず誰というわけでもない誰かとでは、語り口から何から違ってしまいます。というわけで『通信』も夏休みをいただいていたわけです。

 

いっそのこと『長崎日記』として再出発した方がいいとも思ったのですが、先の読者の方とは違う方から、今のスタイルのままでどこまで続くか楽しみにしているという励まし(?)もいただいたので、とりあえずこのままで続けさせていただきます。

 

「一人称のつぶやき」については、ハヤナギゼミのホームページをオープンさせてそっちでやろうと思っていたのですが、我がゼミのコンピューター主任が就職活動に忙しくとん挫したままです。自分でも簡単なhtmlファイルくらいまでなら作れそうなのですが、そこから先どうすればいいのかよくわからないし、どうすればわかるのかもよくわからないのです。ああ、これって勉強が苦手な学生が、どこがわからないのかよくわからないし、どうしてわからないのかもよくわからない、とこぼすのに似てますね。

 

しあさってから新潟で、戻ってきたらそのまま二泊3日でゼミ合宿なので、再来週から『通信』を本格的に再開させますね。

 

きょうのところはごあいさつまで

まるは

(ハヤナギ先生のカムバックを期待しております)

その42

ウチダ:

今日、非常に不愉快な出来事があった。

非常に不愉快な出来事であるので、それがどのように不愉快であるのかを詳細をきわめ微細にわたって記述し、読者諸氏と怒りを共有したいのであるが、それをすることが許されない種類の不愉快事であるので、たいへん腹膨るる心地がする。

マルハ:

今日、非常に不愉快な出来事があった。正確に言えば昨日だ。

非常に不愉快な出来事であるので、それがどのように不愉快であるのかを詳細をきわめ微細にわたって記述し、読者諸氏と怒りを共有したいのであるが、それをすることが許されない種類の不愉快事であるので、たいへん腹膨るる心地がする。

官舎の自治会のお仕事があったので、さっさとかえって、お仕事を済ませ、そのままワインでも飲んでふて寝しようと思ったのだが、このままでは腹が立って眠れそうにないので、誰かを呼び出して飲み屋で日付が変わるまで怒りを共有したい。しかし、今回は普段のみ友達でわいわいやっている先生たちも私を激怒させた張本人に含まれているという事情があるので、それもできない。だから、自治会のお仕事を終えてから、再度大学方向に引き返し、ビールを購入して、ゼミ室に乱入し、レポートをせっせと書いている学生たちにコップを持たせ、ビールを注いでまわり、それでも具体的な話はできないので、一般論やたとえ話に翻訳しつつ、無理やり怒りを共有させてしまう。

ごめんね、HR君、HDさん、HMさん。おかげで先生は今から帰って安眠できそうだよ。

君たちのレポートの完成は2時間くらい遅れるかもしれないけど・・・・もし、締切に合わなかったら、先生のせいにしてもらってもかまわないよ。

と、まあ、こんな感じで、この『通信』をはじめてから、ベスト(orワースト)3に確実に入る「怒り脱力失望会議」でした。

今回は許せないことが普段よりもいっそう複雑に絡み合っているのですが、なんにせよ、自分たちの怠慢や不手際のせいで何の進展もないままに会議をだらだらと長引かせることによって、きっちり準備してきて1時間でけりを付け、次のステップに進める体勢を作っている者の時間を奪っているという意識がない人間というのは、本当に許し難いです。

あんたたちがそこまでだらしがなくて、19世紀の遺物で、責任感がなくて、理念も、戦略も、戦術もないのは勝手だが、俺をそこに巻き込まないでくれ!

しかし、何が悲しいといって、僕は彼らによって選ばれて、ここで禄をはんでいるということほどに悲しいことはありません。だから、こうやって彼らを批判することは、同時に自己を批判しているということになってしまうのです。

僕はもう、授業をちゃんとやって、ゼミ生たちの面倒をきちんと見て、自分の研究をきっちり進めること、この三点にのみ精力をそそぐことにします。

「物言えば唇寒しNG大」

元気のでない話ですみませんでした

マルハ

ハヤナギ先生、そんな悲しいことを言わないで、いっしょに日本の大学教育をなんとかしましょうよ。ウチダなんか、授業もゼミも宴会気分で済ませ、研究の代わりにバカエッセイの本を出し、そうやってやっとの思いで捻出した「余力」をもって、大学再建戦略のために東奔西走してるんですから。

その41

こんばんは。「高温多湿。日本の夏はほんとうに亜熱帯である。」(ウチダ:7/15)

神戸が亜熱帯なら長崎は間違いなく熱帯です。昨日の夕方、大学の裏の道でツクツクボウシの大合唱を耳にしたときには一瞬、現実感覚を失ってしまいました。

 

しかも、今年度からカリキュラムが大幅に変わって、8月9日まで授業+テストがあって、前期の成績の締切は8月20日なんですよ。(8月の下旬には大学院入試の準備が始まるので、「愉しい夏休み」は実質3週間しか在りません・・・大阪K大のM浦先生にその話をすると「そんな鬼畜な大学があったのか!」と一緒になって怒ってくれました)おかげでようやく講義室にエアコンは付きましたが、後付のエアコンというのは騒音がひどくて、なんだか喉が疲れるし、ドイツ語を読む学生のぼそぼそとした声が聞こえなくて、やりにくいんですよね。

で、以下、ウチダさんと鈴木先生に質問です。

『大人は愉しい』の中で、凡人教育と変人教育が話題になっていますね。

そこで、ウチダさんは、「「凡人」に向かって「君自身の個性を発見して、独自な生き方をクリエイトせよ」と望むのは、「変人」に向かって「世間並みに生きろ」と望むのと同じように残酷な仕打ちであります」と書き、「凡人にも変人にもひとしく優しい教育」の構築が求められる、と結論しています。

それに対して鈴木先生は、「変人でありながら凡人だと思いこまされている子供たち」に個性を発揮させるような仕組みがまずもって必要だと答えています。

お二人の考えに異論があるというわけではないのですが、僕の最近の経験などからすると、事態はもうちょっとややこしいのでは、と思えるのです。

まず、今の日本の教育の場においては、「変人であれ」という命令と、「凡人であれ」という命令は、子供たちに向かって同時に発せられますよね。発する主体は別々のこともありますが、同一の教師が二つのメッセージを交互に発するというケースもよくあります。すべての子供はすばらしい個性を持っていてそれを伸ばして創造的な人生を切り開かなくてはならないと同時に、出る杭は打たれるので世間並みに生きなくてはならないというわけです。これば典型的なダブルバインドです。それも引き裂き型の。今の世の中では、大人になってゆくプロセスの中で、一方の命令だけを受けるということはほとんどありえないのではないでしょうか。

大抵の人間は、二つの相矛盾する命令の間を何らかの形で調停するか、どちらかを選択してどちらかを無視するという形で、このダブルバインドをやり過ごそうとします。

僕なりに解釈するならば、子供がどのやり過ごし方をしても許されるような制度とルールを作ろう、というのがお二人のご意見だということになります。

しかし、引き裂き型のダブルバインドからは、論理的に言って、ウチダさんも鈴木先生も、直接は言及されていない、もう一つの類型が出てきます。

それは、「凡人でありながら変人だと思いこまされている子供たち」です。「自身の個性を発見して、独自な生き方をクリエイトせよ」という命令を内面化する形で、理想的自己を作り上げ、それに同一化して生きることだけが人生だと考える「凡人」です。「変人であれ」というのは、現代の教育の世界では、公式の命令であり、「凡人であれ」というのは、どちらかというと本音の命令です。だから、彼らは、公式の命令だけを内面化した非常に「まじめな優等生」であるとさえ言うことができるかもしれません。メッセージのもう一つの層を聞き漏らし続けたという点では「劣等生」なのかもしれませんが・・・そこまで言わなくても、「気が付くのが遅すぎた子供たち」ではあるでしょう。

「凡人であれという命令のみを受け入れた凡人」や「変人であれという命令のみを受け入れた変人」は、まあ、幸せでしょう。「凡人であれという命令のみを受け入れた変人」つまり「眠れる変人」というのは、「もったいない」とは思うけど、自分が「思いこまれている」ということを知るまでは、そう不幸ではないでしょう。

ただ、「凡人でありながら変人だと思いこまされている子供たち」の場合にのみ、事態は深刻なのです。

通過儀礼というものが形骸化し、少子化のせいで大学入試も年々易化すると、子供たちに制度的に試練を与える機会は、スポーツ以外にはなくなってきます。つまり、スポーツ以外の領域では、自分を「変人」だと思いこんだままで22歳になってしまう可能性があるのです。大学院入試が急激に易化しているので、場合によっては、30歳近くまで、「変人としての自分」を守り、いやそれどころか、想像的に肥大させることすらあるでしょう。

しかし、こうした「子供たち」もいつかは、「凡人」としての自分に向き合わなくてはなりません。「いまごろになって凡人になれって言われても、小さい頃は、個性を伸ばすのが人生だって説き続けてたじゃないの!」と怒っても、学校の先生はもういないし、親はすっとぼけるだけです。

こうした「子供たち」が現実に直面したときの挫折感は相当大きいもののようです。

「変人」としての自分と「凡人」としての自分との間をどうしても調停することができないのです。乖離がもっと小さいうちに、「二枚舌」とか「面従腹背」とか「落としどころ」とかを身につけておけば良かったのでしょうが、「まじめな優等生」だからこそ「公式」だけを内面化してきたのです。

こうした「子供たち」の抱えるコンフリクトを解消させるにはどのような方途が考えられるのでしょうか?

みなさん教えてください。

まるは

追伸:上のケースとは反対に、最近、「変人でありながら凡人だと思いこまされている子供」にも出会いました。より正確には、「自分で自分を変人だと思ってはいるのだが、本人が思っているよりもはるかに変人度の高い子供」です。その変人ぶりときたら、僕などは凡人以外の何者でもないと痛感させてしまうほどです。僕にできるのは、その「子供」に、自分の変人ぶりのスケールの大きさを教えて、それに磨きをかけるためのお手伝いをすることだけでしょう。もっと都会に出て、ウチダさんや鈴木先生に弟子入りするといいと思うのですが、とりあえずあと二年間は、僕のところで変人教育をすることにします。

なお、ホットメールの方は最近ほとんど使っておりませんので、ご用の節は

hayanagi@net.nagasaki-u.ac.jp

の方にお願いいたします。

というハヤナギ先生からのご質問です。

うーむ、なかなかむずかしいね。みなさんも一緒に考えてください。(ウチダ)

その40

こんばんは。『寝な構』と『大人は愉しい』拝受。(あとの方ははまだ略称ができてないんですよね。たしかに、ちょっと略するのが難しいです。『大愉』だと字面はいいけど、「オトタノ」ってのは響きがいまいちだし・・・)

 

『寝な構』の方は、献本が届くより先に購入して読みかけていたので、その読みかけた方を、今日のゼミで、「カルチュラル・スタディーズをするとどんないいことがあるのか、30分で、三年生たちに説明せよ」という無理難題にチャレンジしてくれた遥山君にプレゼントしました。

 専門用語に出くわしたとき、それを別の専門用語のセットによって説明するのではなく、自分が普段使っている言葉で言えば「要するにこういうこと」と理解すること、今度は、日常の言語使用の範囲内である現象について説明した文を、専門用語(のシステム)の中に「翻訳」してみること、さしあたり異質な二つの専門用語のシステムで述べられた事項を、「要するにこういう点では同じことを言っている」という形でリンクさせること。ゼミの中でこういったトレーニングをやっているところだったので、「たとえばなし」とか「落語的解釈」とかがビシバシと使えて、実にタイムリーな本でした。

 

「寝ながら」というのを愚直に実践しようとおもったのですが、実際には、「駅前の豚カツ屋→路面電車→(半日置いて)→喫茶店→ちゃんぽん屋→(半日置いて)→喫茶店」と場所を変えながら読了しました。だから「喰いながら」とか「茶飲みがてら」構造主義を学んでしまったわけです。新書という形態もさることながら、ウチダさん特有の頻繁に改行して意味の単位ごとにリズムを作ってゆく文体は、「街読み」にはぴったりですね。

 

先日、メールに添付してお送りした、「『伝記』改作論文」原稿(マックで作ったんですけど文字化けせず読めたでしょうか?)を、フロッピーの提出までに、どうやってブラッシュアップするか、ということを思案しつつ日々を送っています。従って、複数の行動/筋の可能性を、虚構の演戯(=ゲーム、遊び)として変奏するというフリッシュの「順列の美学」と精神分析の方法論との同型性というところにどうしても目が向いてしまうせいか、「四銃士」のとりであるラカンについての章が一番ハイな状態で読むことができました。「そうかそうか」というよりは、「そうなんですそうなんです」というノリで。

 

日常の生の中で「私」が陥っている疎外状況の由来を、正確には、「どうして「私」は疎外状況を強迫的に反復して生きてしまうのか」ということの理由を、虚構の演戯の変奏を通じて迂回的に探していった果てに「私」が出会ったのは「根元的疎外」であった。これが「私」の「生きそこない」を作り出していると同時に、ほら話=虚構の物語/歴史を語ったり、演じたりすること、語りや演戯の「効果」として「私」が「私」とは何者であるのかを知ることを、「私」にとって切実なものにしているのだ。

というのがフリッシュの美学における「嘘と遊びの効用」なのですが(というか、少なくとも僕の読みではそうなのです)、これが(ウチダを経由した)フロイト=ラカンの治療の実践と実に似ていると思えるのです。

 

この「私」ichというものはもはや決して自明なものではないけれども、「私」はとりあえず「私」として出来事に身を投じ、それを経験しているわけで、それについて語ろうとすれば、語りを発動させるための起点としても「私」という人称代名詞が必要である。「エゴ-イスト」と非難されても、そこから始めるしかないでしょう、「私」的には。というのがフリッシュの「ハードコア・ナラトロジー」(?)の基本的構えなのですが、ラカンが「自我」「私」、「主体」という同義語を使い分けて分節化しているところなどは、「なるほどそうきましたかラカンさん」という感じで、演戯=ゲームを堪能できました。

 

ゲームが堪能できたのは、ウチダ語訳のラカンの引用が分かりやすかったということによる部分が大きいです。「精神分析における語りと言語の機能と領野」などは何としても全文を味読したいという気持ちになりました。でも、フランスの現代思想って、日本語訳が取っ付きにくいんですよね。とはいえラカンをフランス語で読もうなどと思うと気が遠くなるので、さっそく『エクリ』の独訳を注文することにしました。(以前、独訳を読んではじめて『神話作用』がわかったという経験をしました。)

 

 

『大愉』の方は、まだ、大学論と師弟論のところしか読んでいません。(というか、すでにホームページ上で読んでいるので、「再読していません」というのが正確です。)

今年のN大学の夏学期はは大イベントである学長選挙で締めくくられます。今回の選挙で学長になると独法化したときにほぼ自動的に(だって(最悪の場合)自分とその「ブレーン」が指名した人たちに学長を指名させるような仕組みになるんですから)、独立行政法人N大学の学長になれます。(僕の制度理解がまちがってたらすみません) そして新制度での学長は従来の学長とは比べものにならないくらいの「パワー」を制度的に保証された形で手にすることになります。だから候補者のみなさんはいつにも増して(田舎に行けばいくほど選挙が盛り上がるというのは、政治家を選ぶ場合と同じのようです)テンションが高いようです。

そうなったとき、大学とか師弟といったもの、より具体的には自分自身のポジションとかハヤナギゼミはどんな場なり関係になってゆくのだろうか、といった観点から読ませてもらいました。

ゼミ生から急ぎのメールが来たので、ここら辺で終わらせていただきます。ではまた。

 

 

その39

こんばんは。早くもウチダの日常に復帰されたみたいですね。父上の位牌と共ある日常というのはそれ以前とはどこか本質的に違った日常なのかもしれませんが。僕にとって父親の死とは、あまりにも突然で、人間の身体というのはこうして機能を停止してゆくのだというのを見つめていただけだったようなきがします。そのことについての思いというのはずっと後になって生まれてきたものであって、そのときには呼吸と心拍が意志のマッサージという外部の力によってのみ持続させられて、生きてある、というのをただもうただもう知覚しているだけでした。

今は、「長崎大学大学院環境科学研究科設置記念式典」に参加して、戻ってきたところです。記念講演に招待されていたのが加藤尚武鳥取環境大学長兼日本哲学会会長氏と立川某元高知大学学長でした。立川某氏は土壌汚染の専門家で、話していることもニセ環境科学者である僕にもまあ納得のいくものでした。言いかえれば、内職をせずに話を聞いていても損にはならないレベルでした。それに比べて、加藤氏のは、ここまで手抜きして銭がとれるんだったら、人生楽だよな」というレベルでした。始皇帝氏は恐いですね。あるいは我々がなめられているというだけのことなのかもしれませんが。(聴衆がどのくらいの知的訓練を積んできているのかに考慮するのは当然として)、その聴衆が自分の位置からしてどのような知的位置に立っていようと、手抜きはしない、もし手を抜くにしても、手を抜いていることを決して悟られないようにするために入念な準備をする(矛盾か?)のは、お座敷がかかった者の仁義ですよね。

加藤氏は倫理学者だそうですが、文化芸者の仁義とか倫理が彼にはないのでしょうか。

祝電が延々と読み上げられている間、秋の学会のための口頭発表要旨をボーっと考えていました。メインタイトルは先日『通信』で書いたように、「ほら吹きの論理と倫理」で決まりなのですが、どうもピタッとくる副題が思い浮かばず「シュティラーはなぜ「現実」を否定するのか?」、「真実を書くという極限状況」あるいは「メタフィクションとしての手記」等々、いまいちのものばかりが出てきました。で、はたと気が付いたのが、人がほらを吹くとき、そこで仮構されているものと同時に否定されているもの、ほらを吹いている主体、ほらを吹かれている主体(たち)といったものの間で、リアリティの在処をめぐるゲームが生じるのに、そのゲームのルールを僕がまだ十分に把握していない、という事態でした。とかなんとか考えながら、意識を再度、記念式典という物理的/身体的なリアリティの側に移してみると、あたかも時間が停止していたかのように、まだ、祝電の披露が続いていました。

ではまた

まるは

追伸:朝日と読売の書評をコピーして、学生たちに配り、「これが僕のお友達のウチダさんだよー」と『オジ的』の紹介をしました。ウチダの威を借るマルハでした。小人物なんです。

 

その38

お久しぶりです。『オジ的』を拝受しておきながら、リアクションが遅くなって申し訳ありません。レヴィナス論のときは途中から論旨というか思考の型をなぞってゆくのに時間がかかってしまい、終わりが近づくにつれて終わりが遠くなるといった感じで読んでいたのですが、今回はテンポよく読み進むことができました。レヴィナス論はやはり「愛」をめぐる議論が、<外在的読者のほとんどがそうするであろう読み(イリガライに代表されるような)>が粘性の高い空気のように広がっている現代の知の状況の中で、あえて別の読みを、あたかもその的割りつく空気を絶えず払いのけながら、論を展開されているからだと思います。

 で、『オジ的』ですが、たまたま大学院の講義で(丸山圭三郎を経由した)ソシュールを読んでいたときに届いたものですから、ウチダさんのスタイルの一つは、ソシュールの言う「関係的同一性」思考あることがよくわかりました。つまり、「AはBである」という命題と「CはB(orB')である」という命題との間に論理の同型性を見出し、AをCの場所に代入する、という論の立て方です。

 これは僕が常々

 

……と、上の文章を書いたのはいつだったのかはっきりと思い出せません。いつにもましてぎくしゃくしているのは、そう、シグマリオンで書いた最初期の文章だからです。名古屋でシグマリオンを見せて(見せびらかされて)からずっと入手して「私のエッカーマン」(@三木正之先生)として愛用したいと思いつつも、使えるようになるまでの悪戦苦闘にについて「日記」でたっぷりと読んでいたので、「接続」関係に弱い僕としては、ドコモの店にわざわざ足を運ぼうという気持ちになかなかなれなかったのです。で、何とかメールができるようになったのが連休が始まる少し前でしたから、上の文章はかれこれ二週間近く前のものということになります。

 

で、例によって、二週間も経つとその文章を書いていたときの頭の中のコンテクストがうまく再現できないのですが、「これは僕が常々」の後には、「異質な要素を結合する能力こそが学知にとって最も重要である、と感じていたのと「同型」を描いては以内でしょうか」といった文を続けて書こうとしたのだと思います。(後、ウチダさんの言うマッピングの能力とか自分にできないことを知っていることとかも大切ですよね)

 そして、どうせなら誰もが気付いていなかったようその間に関係的同一性を見出した方がおもしろいですよね。連休前に(松本人志について卒論を書いた)院生のAR君と修論のテーマについて話していたときに、これまた大学院の講義のためにフロイトを読んでいたこともあって、「お笑いとは公開の場における集合的精神分析である」という命題を思いつきました。これはAR君と話しながら瞬間的にひらめいたものなのですが、「これはいけるのでは」という手応えがありました。で、その場であれこれ枝葉を付けてしゃべっていたら、それまでは「修論では硬派なドキュメンタリー番組をテクストとして読み解きます」とななんとか「まじめ」な研究計画を口にしていたAR君が、見る見るうちに「集合的精神分析」の方に傾いてきました。明日あたりもう一度修論のテーマについて彼と話そうと思っているのですが、どんな計画を出してくるのか楽しみでもあり、恐くもあります。

 

ウチダさんも風邪を引きやすいようですが、僕もここ二年ほど、つまりこっちに来てから、すっかり風邪を引きやすくなりました。特に昨年の10月以降は、風邪を引いていないときの方が少ないという感じです。医学的根拠はないのですが、熱が出ない代わりに、ウイルスが死なないのか、一度引くとずるずるといつまでも引きずります。

しかもたいてい喉に来ます。連休中もずっと喉が腫れていました。昔は、ストレスや疲れが胃や十二指腸に来ていたのですが、今では、コーヒーを一日に何倍も飲めるほどにすっかり丈夫になりました。その代わり、子供の頃に弱かった喉とか扁桃腺とかに疲れがたまっている感じです。

 

研究の方は「遅々として進んでいる」状態です。年頭の計画では、連休明けまでに、「フリッシュがやっているように、出来事の偶有性を強調してゆくと、ある可能性が現実化されるときの選択に有責性をもって関わってくるのは個々の「私」、正確には「私の構造」以外にはないということになる。とすればこの「構造」がそもそも閉ざされたものなのか開かれたものなのかが次に問題になる。で、「私=自我の構造」についての探求とは結局は精神分析的営為ということになる。とはつまり60年代末以降のフリッシュは意図せずして(あるいはフロイトの名前を挙げているわけではないが)フロイト的問題圏に足を踏み入れたということになる」

といった感じの論文を仕上げようと思っていたのですが、結局またしても編集委員長に電話を入れて、「あと3週間待ってください」と懇願することになってしまいました。(院生の頃は論文の締め切りに遅れるということは一度もなかったことを考えれば、これは明らかに甘えですよね)

 で、これまた例によって、論文の難所に出くわすと、逃避行動として、次や次の次に書く論文の構想を練ってしまいます。現時点では、あと一年くらいの間になんとか物語論のコンステレーションを僕なりにまとめてそこにフリッシュの仕事を位置づけるというマッピング本を書くつもりなのですが、最近の遅筆ぶりではどうなることやら。(まあこれはウチダ版物語論についての凡庸な注釈のようなものになってしまいそうです)にもかかわらず次の次として、フリッシュの物語論を今度は重箱の隅をつつきながらひたすら掘り下げてゆくという、世界中で自分を入れて三人くらいしか読者のいなさそうな論文を構想しています。ついでにいえば秋の学会で「ほら吹きの論理と倫理」という発表をしようかどうかも思案中です。

 

 物語論で思い出しましたが、少年鑑別所での「出来事の記述における物語性」についての講演は(特に講演の後の話し合いは)僕にとっては貴重な経験でした。法務省関係の仕事というのは「真実は一つである」ということを前提にしないと、「措置」を決定することができません(たぶん)。所長の向田先生は次のようなことをおっしゃいました。

「非行少年について「鑑別」をする際には、かれらの生活史を再現して、そこに一本の因-果で結ばれた糸を見出さねばならないのですが、様々なデータソースから取り出してきた生活史の断片を組み合わせてそれに所見を付けるプロセスを省みると、それは生の物語化という要素を必然的に含んでいる。ただ、このような疑問を持つことは、現に目の前にいる少年の処遇をどうするかという問題の前では、プラクティカルではないし、法務省的な現実観との間にも齟齬をきたす。しかし、臨床心理学のプロとして考えるならば物語化の問題は、少年非行の現場においてももっと前景化してもいい。例えば、酒鬼薔薇君のケースでは、決まり文句を抜きにすると彼は出来事について言語化することができなかったことが大きな問題だったのだが、ある種の視覚的な記号による物語を作ってゆくことで少しずつ出来事を「語る」ことができるようになってきた。というより「語り」によってはじめて彼のリアリティが構築されたのかもしれない」

 向田所長は四月から岡山の鑑別所に転勤されましたが、「岡山でも年度末の予算が余ったら、今度は福本さん(前回の『通信』参照)も呼んで、もうちょっと大々的にやりましょう」とのお誘いを受けました。実現するかどうかわかりませんが、お座敷がかかればどこへでも行こうと思っています。

ではまた。

まるは

 

その37

こんにちは

今、文化環境論講座の卒論発表会が終わったところです。午後の部ではぼくが司会をやったので少し疲れました。

発表者は、就職活動がらみでこれない人を除いて、12人。彼らの発表を通して聞いてわかったのは、時々『通信』にも登場するゼミ生AR君の卒論は実は力作だった、ということです。<註:ここら辺までは先々週の金曜日の夕方に書きました>

というより、ほとんどの発表は、「君、自分のテーマを自分でおもしろいと思ってる?」と質問したくなるものばかりでした。ウチダ的に言えば、愛がないとでも言いましょうか、自分が面白くないと思っていることについて聞いて他人が面白いと思うことはないのだということがわかってない発表者が多すぎました。(いつも書いているように、自分はおもしろいと思っていてもそのおもしろさが他人に伝わるかどうかほとんど賭みたいなものだというのに)二次文献をいやいや読んでパッチワークして、そこに「みんなで心を開いて話し合いましょう」式のお題目をくっつけたもののいったいどこが他人にアピールするというのでしょうか?

そしてその賭の確率を少しでも高くするために、つまり自分の論文はどこがおいしいのかを分かりやすく示すために、先行研究の踏査から始まって、論の構成や、プレゼンテーションのやり方を工夫する。こういったこういったプロセスが存在するということ自体を一度も耳にしたことのなさそうな発表者が多かったです。

とはつまり、自分の研究に対する愛のない学生も悪いが、自分のゼミ生に「研究」の楽しみと楽しみに至るための階梯をきちんと教えていない愛のない教官も悪いということです。

身びいきでいうわけではないけれども、AR君の発表は対象への愛はあふれんばかりにあったし、二次文献を批判的再検討してそこから先は自分の頭で考えようと「努力」しているということだけは伝わってきたので、僕としては納得のいく出来でした。いつも説教ばかりしてごめんね、AR君!

だから、自分のゼミの運営方針が間違ってはいなかったという確信を持たせてくれた研究発表会であったとも言うことができます。

とはいえ、AR君の発表には、レジュメの作り方とか、壇上での原稿の読み方とか、僕の指導の至らなさもあれこれ露呈していました。今年の4年生用のゼミではここらへんを鍛えようと思います。(ちなみに来年度、再来年度と発表者全員に占める葉柳ゼミ率が高くなっていくので、研究発表会が面白いものになるか否かのかなりの部分は、我がゼミ生たちの活躍にかかってくるのです)

ウチダさんとも面識のある準ゼミ生SD君の発表は、「どうして自分の論文の中のウリじゃないところばっかりをしゃべってるの?」(は)と聞きたくなるようなものでした。気分が防衛的になっていて、的を外した質問に対して、「ほれ、逆に切り返したれ!」(は)といったところで沈黙したりして、全くヒヤヒヤしました。論文自体の出来は良かっただけに実にもったいなかったです。阪大に行ったら、読み手や聴き手を想定した文章やプレゼンテーションを心がけようね、SD君!

かくいう僕も、長らく学会発表ではがちがちに防御を固めて、ちょっとだけジャブを放つというスタイルを取っていたせいで、不評した。だから、自分の弟子のプレゼンテーションの出来を云々する資格は本当はありません。まあ、昨年度、フリッシュとレヴィ=ストロースの比較という一見したところ荒唐無稽な発表をやってみて、ガードを下げて戦う方が楽しいということがわかったので、今後は放談を基本テキスタイルにしようと思っています。ちなみに今年の秋あたりの学会では「ほら吹きの倫理」をテーマにして発表しようと思っているのですが、思いつきを何人かに話したかぎりでの反応は「???」が多かったです。

 

発表で思い出しましたが、先週の頭に突然、長崎少年鑑別所の所長からあり、講演の依頼を受けました。この前の『通信』に登場した福本さんが、(どうやら彼の方でも長崎のバーで僕と話したことがおもしろかったらしく)、所長の向田さんにその話をしたところ、じゃあ一度話しに来てもらおうということになったのです。

さっそく翌日には、生まれて初めて運転手付きの黒塗りの車で鑑別所に向かい、向田さんと講演の打ち合わせをしました。ウチダ語で言えば、とってもフレンドリーな人で、およそ他流試合という雰囲気にはなりそうにないので安心しました。

ついでに所内を見学させてもらいましたが、僕が、個室(独房の鑑別所版)や心理判定室の「箱庭」に必要以上の好奇心をあらわにしたせいで、案内してくれた方はちょっと困っていたようでした。にしてもあの「個室」は、フーコーならずとも、なかなか「哲学的」な装置でしたよ。

というわけで3月22日に、鑑別所や児童相談所の先生たちの前で、「出来事の記述と物語性」について話をすることになりました。虐待の研究をされている同僚のI先生などは、僕が聴衆を怒らせて問題になるんじゃないかと本気で心配されていますが、僕自身は結構楽しみにしています。

ではまた

ハヤナギ先生ご活躍のご様子ですね。講演がんばってください。

ウチダは警察とご縁ができたし、ハヤナギ先生は鑑別所・・・なにか、ふしぎな流れが来てますね。

 

その36

今晩は。今にも雨が降ってきそうなのでちょっとだけ。

「他人の訳文」ついてはぼくもちょうど言いたいことがあったのです。先週、大学院の授業で院生と読む本を選ぶために、「もしかしたら大事かもしれないと思って入手しておいたけど、何となく手に取る気になれなくて、そのままになっている本たち」のいくつかに目を通していたのですが、そのなかにギアーツの『文化の読み方/書き方』も混じっていました。

この本の訳文が実にわかりにくいのです。二三重のゆがんで不透明なフィルターを通してギアーツさんの話を聞いている感じなのです。読んでいるうちにウチダさんが、この本を「うほほい」で取り上げていたのを思い出して、ホームページで確認しました。

たしかにギアーツの論の立て方の特徴の一つに「二回ひねり」があって、「判断保留したまま、うねうねと続く否定辞の羅列に耐え」なくてはならないのですが、それはまあなんというか、こっちが我慢してメモでも取りながら論理を追って往けば何とかなる話です。

が、読んでゆくうちに、この訳本の読みにくさの真の原因は、そういうところにあるのではないということに気がつきました。日本語のレベルで、文と文、語と語のつながりがあまりにもなさすぎるのです。とはいえそれもまたギアーツの文体のせいかもしれない(手元に原書がないので)と考えることができなくもありません(二重否定)。

自分の文章にまで否定語が多くなってきたので、簡単に言えば、訳者がテクストをあまり理解していないのではないか、というのがぼくの結論です。

特に訳し分ける必要のない箇所で、同じ言葉に別の訳語を宛てたりしている箇所がいくつかあることもそのことを傍証しています。

訳者がテクストをきちんと把握していれば、たとえ多重否定が多くても、こちらが胸一杯に空気を吸い込んでロジックを折り目正しく追って行けば、たとえ時間がかかったとしても、最後にはゆっくりと深呼吸できる地点にたどり着きます。たとえば同じく多重否定の例としてウチダさんが挙げているイーグルトンの大橋訳なんかがそうです。『イデオロギーとは何か』の第一章は確かに多重否定の極致ですが、語と語、文と文の関係は明確です。だから流し読みはできないけど苦痛ではありません。

ギアーツのような、ちょっとひねくれて屈折した感じのする人類学者というスタンスというのはとても好きだし、人類学的テクストのレトリックの分析それ自体も楽しそうであるがゆえにいっそう、訳文のフィルターとしての「物質性」が気になってしまいます。

悪文書きのぼくが言うのもなんだか気が引けるのですが、こんな訳文を学生と一緒に読んだら、学生の論理的思考力が低下してしまいそうなので授業で使うのは止めました。

院生にはできるだけ入門書や概説書ではなく、一流の思想家や研究者ががちんこで書いたものを読んでもらいたいと思っているのですが、翻訳書の場合、重要書だけど誤訳・悪訳というのが結構あって選択に苦労します。

カルチュラル・スタディーズ関係も悪訳が多いですね。

話をウチダさんの訳でいうと、『パフォーマンス』や名大で配ったレジュメの中のバルトの訳といい、今回のフーコーの訳といい、桃尻語訳が出ないんだったら、やっぱりせめてフランス語原文を、独訳と対照させながらでいいので、ちゃんと読めるようにならないといかんなーという気になってきます。

もちろん、偉大な思想家だけど語学は苦手というひとが日本には何人かいて、そういった人たちは、語訳・悪訳のフィルターの背後を眼光鋭く見抜いて、ほとんど的をはずさずに自らのロジックの中に引用しているという事実があるというのも一方ではあるのですが・・・・

いよいよ雨が降りそうなのでまたこんど

(ギアーツを一読したときに、ウチダの身体が「ぴっ、ぴっ、こいつバカですよ、ぴっ」という信号を送ってくれたので、そのまま「あ、バカなんだ」と思って済ませていましたが、ハナヤギ先生のご指摘で、訳文のせいかもしれないということに思い至りました。ギアーツさんにはすまぬことをしました。ごめんねクリフォード。)

 

その35

こんにちは

>真実というのはカバリッジが最大の物語である、というのが私の持論です。

>ですから、「自分の起源」についての物語は新しいデータがくわわるたびにどんどん

>変化するし、深まって当然だと思います。

>「カバリッジが最大の物語」とは、言い方を換えれば、新しいデータ(とくに過去の

>「忘れていた出来事」の想起)に対していちばん開放性の高い物語、いちばんフレキ

>シブルな物語でもあるのだと思います。

 

なるほど。しかし、「カバリッジが最大の物語」が「真実」であるとすれば、今日なお、人々が<自分の真実>だと思いそのようなものとして語っているものの圧倒的大多数は、「真実」ではないということになります。そして人々はその「真実」ではないものを<真実>だと信じ(ようと)しています。<少なくとも私にとっては本当のこと」という<相対主義的>身ぶりと共に、<自分探しの旅>にでてゆくのです。

そのような<旅人>にとって、「一番開放性の高い物語」とは最も理解不能な「物語」でしょう。あるいは<真実>を脅かす悪魔のごときものとして受け止められる可能性すらあります。ある閉じられた物語に逢着し、その内部に身の置き所を見出したとき、<旅人>は一瞬にして出不精な住民になってしまいます。かといって、ムラの物語に違和を感じて、さらに旅を続けたところで、それが<自分探しの旅>ある限りにおいて、<本当の目的地>などどこにも見つかりません。だとすれば、ムラの物語を<真実>として生きる方が楽に決まっています。

極端に単純化して言えば、二〇世紀の思想や芸術の先鋭的な試みは、多かれ少なかれ、こうしたムラの物語の書き割りを明るみに出すことに関わっています。しかし、このムラの物語はリアリズムという理論と技法と一体化することで、自らを空気のように自明なものとすることに成功しているのです。そしてこの自明なものが自明ではないことを(たとえ誰にとっても追試可能なやりかたでであっても)を明示する者に対する、ほとんど憎悪にも近い反発の強さは、(象牙の塔に閉じこもっている?)物語論者の想像をはるかに凌駕しています。つまり、二〇世紀の言語革命は既に失敗したか、せいぜいその緒についたばかりなのです。

(この空気が人工的な構築物であり、いつの間にか汚染が進み、健康を蝕んでいるということを、一定の手続きを踏めば誰でも理解できるようにすることが「環境科学」であるならば、自分の専攻か環境科学です」とためらいもなく言えるのですが(仮定法過去))

>もし人間の精神に健全さというものがあるとすれば、それは自分が何ものであった

>か、いま何ものであるか、について定見をもたない精神であると言えるのではないか

>と思います。

 

(以下、手前味噌風に言えば)

フリッシュが「僕は何者なのか?」という問いでもって自らの物書きとしての経歴をスタートさせながら、この問いを最後まで、言説の相互否定ないし相対化の中に宙づりにしておいたのは、きっと彼が、(過度の喫煙と飲酒にも関わらず)「精神の健全さ」を最後まで保っていたからなのでしょう。

 

Du sollst dir kein Bildnis machen. 「汝、偶像を作るなかれ」:この聖書の言葉、この否定形のモットーを、否定形の言説(たち)を語り続けること(それは、それでもなお自ら作ってしまう偶像を絶えず破壊してゆくというしんどい作業を含んでいます)を通じて生きたのが、「不信の美学」の作家フリッシュだったのです。

 

そしてフリッシュが選んだ方法は、「いちばん開放性の高い物語、いちばんフレキシブルな物語」を語ることとはちょっと違います。相互に整合性をもたない虚構の物語たちを(真実ではなく)あくまでも虚構として語り倒すことに、(少なくとも60年代の彼は)有り金の全てを賭けたのです。

 

飛躍が多くてすみません。「出来事をありのままに」とか「真実の経験」とかいったフレーズの「リアリティ」があまりにも強力で、攻めあぐんでいるもんですから。

ハヤナギ先生、刺激的な論考をありがとうございます。ウチダも少し考えてみましょう。

 

その34

こんにちは、今日は年度末の道路工事で出張に出ています。

で、前回の物語論の続きですが(もしよかったらアップしておいてください)、

先週、なかなかおもしろい話を聞きました。

先週の頭に阪大時代の友人福本さんから、電話があって、木曜日から長崎に出張なので久しぶりに会わないかというのです。福本さんは、人間科学部の同級だっただけではなく、同じ学生寮に住んでいたこともあって、昔はほとんど毎晩のように飲んだり議論をしたりしていたのですが、ここ七年ほどは年賀状だけのやりとりになっていました。で、さっそく木曜日に中華街でお食事ということになりました。(さん付けで呼ぶのは、彼は(少なくとも)三浪していて、入学したときには既に院生の貫禄を漂わせていたからです。浪人中に京都大眠で中華職人としての腕も磨いていました。当然、人の道にも長けていて、世界の裏の姿をあれこれ教えてもらいました。感謝。)

その福本さんは、現在、臨床心理士にして松山刑務所のNo.3 です。はじめは、彼のところにいくつかの大学からオファーが来ているが、就職までさんざん苦労した葉柳の目から見て、どの大学が彼にふさわしいだろうか、という転職話だったのですが、次第に、「で、おまえは最近どんな研究をやっとるんだ」ということになり、僕が「出来事の記述における虚構性」云々の話をすると、彼が「ふうん、全然違う道に進んだようで似たようなことを考えてるんだな」と言って、裁判でどのような鑑定書が採用されるのか、という話をしてくれました。(以下、「職業上知り得た秘密」が混じっているので概略のみ)

裁判で二つの精神鑑定が対立することがあります。先日、彼が担当した事例もそうでした。彼の見立て(?)と真っ向から対立する検察サイドの臨床心理士は、警察的リアリズムの枠内で、事実and/or証言として証明できるものだけを手がかりにして鑑定書を書き、対する彼は、そういった事実の隙間を、彼のこれまでの経験を手がかりにして、フィクションの領域に微妙に足を踏み入れながら、埋めてゆき、一つの「物語」を書きました。その結果、裁判官に採用されたのは彼の鑑定の方でした。

これは、客観的な事実の羅列よりも物語的構成を持ったテクストの方が裁判官にとって「リアリティ」を持つということの一時例です。が、僕にとって興味深かったのは、被告もまた物語論的鑑定の方に「好意」を示し、仮に後になってその物語のフィクション性が部分的に立証されたとしても、フィクショナルな物語の方に「愛着」を示すという点です。

で、福本さんは最近は鑑定というのは言語によるゲームであるという立場に立ちつつあるそうです。

「福本さんの物語論的転回」の話を僕はとても興味深く(というか、なつかしく)聞いていました。というのは、入学した頃には同じような学問を目指していたはずの彼ですが、卒業する頃には、心理学といっても医学的な行動生理学を研究していて、人文科学的なものの「不確実さ」に対してはいつもいらだちを顕わにしていたからです。だから、僕は彼と自分との学問的な仕事が交叉することは永久にないだろうと、少し寂しく思っていたのです。それがいつの間にか、4000以上の事例を見てきた臨床心理士の口から、ほとんどフリッシュの物語論と同じロジックが語られたのです。(フリッシュは親族殺人の裁判がチユーリヒの裁判所で行われるときには必ず傍聴に行ったそうです。)

ちなみに、酒の席での話なのでどうなるのか分かりませんが、そのうち松山刑務所の研修で、僕が「物語論」について講演することになってしまいました。一つのテクストを何年もかけて云々する僕のような研究のスタイルを、何千、何万の事例を分析してきた臨床心理士の方々がどのように受け止めてくれるのか楽しみです。

ではまた

 

その33.5

こんばんは

ゼミ生のAR君も準ゼミ生のSD君も無事に卒論を出し終えました。他にも育休をとっている先生のゼミ生一人の指導もしていたので実質的に三人分の卒論(これを我がN大K学部では「卒業研究」と呼びます。それどころか今度から「環境政策特別研究」というネーミングにしようという意見すら出ています。そのような言葉の政治のはらむ暴力性に鈍感な人たちも含め・・・・あ、いかんいかん。今年のキーワードは宮澤賢治だったのに:「決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル サウイフモノニ ワタシハナリタイ」)の完成に付き添ったということになります。まずは一安心です。(が、来年度の四年生は5人、三年生はなんと7人。どうなることやら)

で、卒論をつらつらと読んでいるうちにわかったのは、「良い卒論とは第一章と第四章が微妙に矛盾している論文のことである」ということです。この逆説的テーゼを、レヴィナスにおける愛の問題と、ウチダさんが日記で書いていた論文への愛と、フリッシュにとっての愛の問題をからめて論じるという、「アクロバット兼『愛の現象学』の読書感想文」を構想しているのですが、今日はそこまでのエネルギーがないので今度にします。

今日はAR君の卒論の進行状況にこまめにチェックを入れながら、ドイツ語のテストを二つこなし、その合間をぬって、「文化構造論」の講義の準備の続きをしました。この講義は、「単位に関係ないリピーターがいる」「毎回課題を出すのに受講生がほとんど減らない」という僕にしては珍しい講義だったので、何とかうまく着地しようと思っていました。

講義の結論としてたどり着いたのはは、出来事を言葉へともたらすためには嘘をたくさんつくのが一番である、という「騙りの倫理」の確認でした。

それは、フリッシュの「順列の美学」の方法的核心である、いくつもの虚構を虚構として騙る/語ること、をパラフレーズしたものです。とはつまり、広い意味での人文科学の理説の布置の中でのフリッシュの位置づけがよくわかったということでもあるので、僕としてとても「ユリイカ!」な気分でした。

ところが、その直後に、「騙りの倫理」についてフリッシュとほとんど同じロジックで「語って/騙って」いた人物のテクストを(再<というのは既に読んでいたはずなのにそのことを忘れていたから>)発見してしまい、自分の記憶力の脆弱さに愕然としているところなのです。

二人のテクストを比べてみると・・・

フリッシュ:ひょっよしたら、いくつもの出来事を、つまりいくつもの物語を語ること以外には、経験を表現する手段はないのかもしれない。

[……]経験というものは自身を読むことができるようにしようとする。経験は自分が生じたきっかけを案出する。それゆえ経験は好んで過去を案出する。

私たちの経験を表現することができるがゆえに、私たちに迫ってくる出来事は、実際に生じたものである必要は決してない。

しかし、私たちの経験が理解され、信じられるために、私たちが自分自身を信じるために、私たちはそれが実際に生じたふりをするのである。

そうするのは作家だけではない、あらゆる人がそうするのである。

いくつもの物語とは過去へと遡ってのいくつもの構想であり、想像の遊びである。それを私たちは現実だと称しはするが。

いかなる人間も一つの物語を案出する。

そうしてそれを、往々にして大きな犠牲を払って、自分の人生だと見なす。あるいは一連の物語を。

それらは場所の名前や日付によって隈なく証明されうるので、それらの現実性は疑いえないほどである。

作家だけがその現実性を信じない。

それが違いである。

いかなる物語も、それが事実によっていかに証明されうるとも、私の案出品であることを知っていることによって、私は作家なのである。

きっかけもなくそこにある一つの経験、すなわち、現実の物語の側から出来したのだと称さないような経験は、ほとんど耐えがたいものだ。[……]

 

件の人物:もちろん私が今言った「あなたに届くように語る」というのも一種の修辞、一つの物語にすぎない。けれども私はそれがフィクションだということを知っている。

私たちは嘘をつくことによってしか、漸近線的に「真実」に近付くことができない。だから私はこまめに嘘をつき続ける。だって嘘をつかないと語れないことが、嘘をつかないと届かない言葉がやまのようにあるからだ。

私には自分が「嘘つきやろう」だという「病識」がある。

 

この前名古屋で飲んだとき、ウチダさんとフリッシュって世界に対する態度がずいぶん違うなあとつくづく思ったとこだったので、二人の物語論に類縁性があることをすっかり忘れていました。思い切り盛り上がった後にこのことに気がついて、なんだか力が抜けてしまったのです。

今日はここまでにします。

 

 

まるはその33

今晩は。今日は降ったり止んだりの一日でした。いや、「降ったり止んだり」という日本語のニュアンスは、事態をあまり的確に表現していないかもしれません。降っているときと止んでいるときの差がとても激しいのです。7時前にゼミ生のA君と大学前の喫茶店まで(約200m)まで歩いたときは雨は降っておらず、生暖かい強風が吹いているだけだったのですが、約一時間後に店を出たときには、暴風雨に変わっていて、傘をさしながら200m歩く間に膝から下は完全に水浸しになってしまいました。

シグマリオンIIですか。実は僕も新聞の折り込み広告を見て、ちょっとだけ心ひかれるものがあったので、興味深く読ませていただきました。

僕のような旺盛な記憶力も、緻密な思考力も、粘り強い探索力も、説得的な文章力もない人間が、かろうじて研究者として禄を食むことができているのは、「あ、このテクストをこんなふうに読んだら、これまでよりも面白い解釈ができるんじゃないか」とか、「そうか、こういう論点を組み込むと、一見するとつながりがなさそうに見える二つのロジックがすっきりつながって、気持ちいいじゃないか」といったことを時々思いつくからです。むろんその思いつきは、傍から見れば大したものではないことが多いし、しばらく経ってから見てみると自分でも何がそんなにいいものなのかわからないといった程度のものに過ぎません。しかしそれでもそういった思い付きのいくつかを育てていくことで、学術誌に掲載してもらえるレベルの論文(それが決してたいそうなものではないことはご存知の通りです)を書くことは十分に可能であり、だからこそ『長崎通信』を書けるポジションに就くこともできたわけです。

で、問題なのは、この思い付きが文字通りドイツ語のEinfallであることです。つまり、einfallenという動詞は、ものが主語で、人間が目的語なのです。ある考えが、ある人の中に入ってくるのです。それも突然、これといった前触れもなく。それがやってくるまでの間、僕はそのテーマについて意識的にロジカルな思考を展開しているわけではないのです。(ここまで書いて、これについては以前書いたような気がしてきました。そういえばこの前書いた論文のタイトルは『既視というリアリティ』でした・・・)だから、それがやってきたとき、僕は自転車に乗っているかもしれないし、居酒屋で焼酎を飲んでいるかもしれないし、学生を説教しているかもしれないのです。

ここまでなら誰にとってもそういうものなのかもしれませんが、僕の場合、先に書いたように、記憶力が脆弱なものですから、その場で記録しておかないと、30分も経つともう、「あの時自分は何かいいことを思いついた」ということ以外何も思い出せないことが多いのです。しかも、極端な悪筆なので、その場で走り書きしたメモを後で読み返しても、そもそも解読できないことすらあります。

(ちなみに、今日の昼休みに、「文学B」という授業のために書いたメモを読み返していて、「『傘がない』、『宮本武蔵』、『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』」という走り書きの中の『宮本武蔵』を、二ヶ月前の自分がいったい何を意図して書いたものなのかどうしても思い出せませんでした)

iBookを買ったのも一つには、零れ落ちてゆく思いつきたちを少しでも、(判読可能な)文字の形で残しておこうという意図があったからです。しかし、内田さんも書いているように、ノートパソコンは極端な寸暇を惜しんで仕事をしたり、その場で思い付きに形を与えるのには向いていません。大きさはともかくとして、立ち上げるのに1,2分かかってしまうのがいけません。その間のろのろと続くアイコンパレードを見つめながら、「ああ、思いつきが色あせてゆく」と嘆いたことも一度や二度ではありません。

(まだ留学する前、この「思いつき問題」をクリアーするために、ポケットに小型のテープレコーダーを忍ばせ、思いつきがやってきたらその場で録音する、というやり方を実行に移したことがあります。しかし、一人でいるときはともかく、電車や喫茶店の中でこれをするのはかなり勇気が要ります。知人と一緒にいるときにもちょっとできません(これはシグマリオンでも同じですが)。また、自分のモノローグを事後的に聞くのはかなり「つらい」作業です。で、当然のことながら、三日坊主で終わってしまいました。(ちなみにこの前ゼミで「インタビュー調査の練習」というのをやったときに、何年ぶりかでその小型テレコを引っ張り出して、ついでに、その三日間の録音を聞いてみたのですが、既にコンテクストの失われたモノローグの断片たちは、今後の研究の核になるような思いつきからは程遠いものばかりでした・・・・))

何が言いたかったかというと、シグマリオンを使えばここまでごたごた書いてきた問題がかなりの程度解決できるのでは、と思っていたのですが、内田さんの日記から推測するに、シグマリオンを「私のエッカーマン」(@三木正之)にするには、相当な忍耐が必要だということがよくわかったということです。(でも、使わなくなったら安く譲ってくださいね!)

内田さんの日記にはよく「説教」ネタが出てきますね。僕は長いこと学生を説教するというのをしたことがありませんでした。そもそも誰に対してであれ、批判するということはしても、説教するということはしなかったし、しようとも思わなかったのです。説教をするにはする側とされる側に年齢なりポジションなりの落差が必要ですが、その落差が他の人との間になかったということなのでしょう。しかし、ここ二三ヶ月の間に説教モードに入ることがずいぶん多くなってしまいました。これは歳をとったということなのでしょうかね?

時々、説教モードに入ることでわかったことが二つあります。比較的大人数の講義で説教をすると、何人かの学生が二度と出てこなくなる代わりに、教室全体の空気は概してよくなります。毎回提出させているミニレポートの質も上がります。それも、「こらぁ、静かにせんかい!!」(関西弁で)などと怒る場合よりも、条理を尽くして説教した場合の方が効果があるようです。(廊下に座り込んでおしゃべりをしている連中に対してはもっぱら「こらぁ!」ですが・・)もう一つは、少人数の読書会などで特定の学生に説教をたれると、それを境にしてその学生が飛躍的に「できる」ようになることがあるということです。ゼミ生のH君などは、一度の説教で見違えるほど正確に英語が読めるようになりました。

これってもしかするとあたりまえのことなのかもしれませんが、効果が予想以上だったのでちょっとびっくりしています。(無論、説教されてへこんだままというケースもあります。)

実は、内田さんが時々、「ゼミ旅行に行ってわざわざ外国で学生に説教をたれた云々」と書いたりしているのを見て、こんなことをされて喜ぶ学生がいるんだろうか、と思っていたのですが、(完全に内在的理解はできないながらも)、説教の効用について認めざるをえません。

にしても、自分の中では「説教=おじさん」という図式があるためか、いったいどんな風に説教をすればいいのか、逆に、どんな風に説教されればいいのか、いまだによくわかりません。特に、「へこんだまま」といったケースをなくすにはどうしたらいいのか悩んでしまいます。もしかすると「武道」なんかをやっている人たちは、いろんな意味で「落差」がある世界に生きているので、説教をする-されるという関係が自然に身についているのでしょうか? 内田さんは一体どんなスタンスで説教したりされたりしているのですか? ぜひ教えてください。(できればライブで。たとえば名古屋大学でやってみるとか)

ではまた

まるは

そういえば『長崎通信』その32は無事に届いたでしょうか? ちょっと変な送り方をしたもんで・・・

 

その32 共鳴箱の中で

お久しぶりです

復活宣言をしたにもかかわらず、結局、一ヶ月以上新しい『通信』を送ることができませんでした。その間の僕の生活を簡単に要約すれば、「風邪をこじらせて、一ヶ月半以上にわたってあれこれの症状に悩まされ、とても苦しかった」、「授業の準備に忙殺された」、「ある大学院進学希望の学生から『やっぱり就職します』という言葉を引き出すまでに神経のほとんどを磨り減らしてしまった」の三点に尽きます。

 

僕は留学中を除いて毎年、一年の中で九月が一番心身のコンディションが悪く(夏休み中に論文を書いてエネルギーを使い果たすからです)、ひらすらボーッとして時を過ごし、秋雨前線の南下とともに復活という経過をたどるのですが、今年は論文の執筆を九月まで引っ張ってしまったのが失敗でした。それに輪をかけたのが十月頭のゼミ旅行で、もう若くもないのに、毎晩朝の六時まで熱い(?)議論に盛り上がるゼミ生たちに(途中までですが)付き合ったのがトドメとなりました。来年の四月から阪大の院に行くことが決まっているS君(ちなみに彼は、映画を題材に卒論を書いているし、名古屋市出身なので十二月の集中講義に参加するそうです)の言葉:「疲れを癒そうと思って温泉に来たのに、かえって疲れがたまってしまいましたね」がことの全てを言い当てています。(にしても、今回行った小浜温泉といい、雲仙温泉といい、九州の温泉は地面の底から沸き上がってくるエネルギーが圧倒的です。ありあまって使い道のないお湯をジャバジャバと海に捨てているのが何とも豪快です。北陸とか和歌山の温泉も捨てがたい魅力をそれぞれに持っていますが、「効きそう」という点では九州ですね。のんびり温泉に行ってられないのが実に残念です。本当は一泊2000円くらいの自炊専門の旅館に一ヶ月くらい逗留して、鍋一つで細々とご飯を作る以外は、お風呂-散歩-読書-(思索)-といった生活を送りたいのですが・・・・子供たちが大きくなったら夏休みにでも提案してみることにします)

その後は一度も熱は出なかった代わりに、延々と風邪を引き続けました。まず耳に来て、飛行機が離着陸するとき耳の奥がたまらなく痛くなるので、初めは耳鼻科系の医院に通っていたのですが(浸出性中耳炎だとか)、症状が改善しないどころか、「変な」ウンチが出るようになり、あわてて駆け込んだ胃腸科系の医院で、「耳鼻科で処方された抗生物質のせいで腸内細菌がほとんど全滅しかかっていますね」という診断をもらってしまいました。仕事は二日しか休みませんでしたが、生まれて初めて、「このままでは確実に入院してしまう」と感じました。ここ数日でようやく体力が回復し始め、咳を除いて風邪の症状もほとんどなくなりました。

 

僕は今年、全学教育(旧教養部)科目を全学で一番多く担当しています。年間7.5コマです。そのことは分かっていたのですが、先日の会議で配布された資料を見てびっくりしたのは、全教官の全学教育担当コマ数の平均はなんと0.62でしかないという事実、しかも、全教官が全学教育に責任を持つということが明文化されているのに、全教官671人中、全学教育を全く担当していない者が271人もという事実です。平均との比較で12.1倍。全くやっていない人たちのと比較では当然∞倍。国政選挙の一票の格差なんて目じゃありません。

全学教育の担当を逃げまくっている人たちは、「自分は専門科目に重点を置いているとか」、「似たような専門の先生が多いので、そもそも人文系の先生ほどたくさんの全学教育科目を担当する必然性がない」等々の、理由を挙げています。しかし、僕だって、環境科学部の専門科目も人並み以上に担当しているし、ゼミだって卒論だってやっているし、来年度からは大学院の演習と講義も担当するのです。全学教育に「経済」や「自然科学」の科目がそんなに多く必要ないのなら、英語とか、教養セミナーとか、作文とか基礎的学術能力を要請する科目をたくさん担当すればいいのです。

ついでに言えば、総合大学を自称しながら、人文・社会学系の学部を一つも持っていなくて恥ずかしくないのかね君たち! 

 

「そうだねえ。野球で言えば、大学院入試はドラフト会議みたいなもんだろ。修士課程は1Aとか2Aで、博士課程が3Aみたいなもんだね。ODで非常勤だけでやっている人は一軍半みたいなもんだ。野球と違うのは一軍に上がったとたん練習をしなくなる選手がいるってところだね。それでもやっていけたのがこれまでの大学業界だったんだよ。

でも、そんな時代もそろそろ終わりで、今はみんな、これまでの決め球以外に新しい変化球の投げ方を研究したり、内野安打を稼ぐ方法を編み出したりしてるんだよ。

卒論というのは大きな大会の公式戦で、レポートや宿題は練習試合みたいなもんだろう。普段の授業やゼミは日々のトレーニングや練習だね。そんな風に考えると、君は、ドラフト会議で上位指名されたいと願っているのに、実際には練習試合に遅刻したり、それどころか試合をすっぽかしたりしてるってことなんだよ。

もちろん君が野球大好き少年だということはよく分かっている。だけど、どんなに野球が好きでも、草野球の補欠で終わってしまう人だっている。それは野球の才能のあるなしの問題でもあるけれど、それ以上に「努力する才能」(@ウチダ)のあるなしの問題なんじゃないか。プロ野球選手なんて女子アナと付き合ったりしてチャラチャラしてるみたいだけど、一軍でやっていくために必要最小限の「努力する才能」は持っていると思うけどね。

え、努力してるって? 主観的努力はだめだよ。そりゃあ、ウサギ跳びで神社の階段を上がれば体はへとへとになるし、やみくもにバーベルを持ち上げればなにがしかの筋肉はつくだろう。だけど、それって本当に野球選手になるために必要な練習なのかい? [……]」

 

ってなことを、ゴホゴホとせき込んだり、鼻水をズルズルとたらしたりしながら考えたり、しゃべったりしていたのです。

 

で、何が「共鳴箱」なんだって?

 

今日は午前中はドイツ語検定の監督で長崎外国語大に行き、午後に戻ってみると長崎大の大学祭が始まっていました。研究室に足を踏み入れると、部屋の中に大音響が響き渡っていました。窓の下を見ると研究室のほぼ真下にロックコンサートのステージが設置されていました。今日のメールはその「騒音」の中で書いたものなのです。

 

ちなみに長崎外大では警備のおじさん、そしてだれよりも、検定の仕事を手伝ってくださった事務の方がとても親切で、気が利いて、仕事が丁寧でかつ早いのに感動しました。「響一郎のお嫁さんになってくれませんか?」とその場でお願いしたくなったほどです(三〇歳くらいの方でしたが・・・・)。なんにしろ、国立大学民営化への道のりは遠い、と実感させられた一件でした。

 

まあ、体調も良くなってきたし、それに連動して、頭も少しずつ動き始めたので、少しでも時間を見つけて、Lesen-Denken-Schreibenモードに入ってゆこうと思っています。

 

十二月の名古屋での集中講義は、何とか初日の午前中と最終日だけでも顔を見せようと思っています。(その週は休講にして初日から出ることも考えたのですが、水曜日に今年最後の教授会があって、そのあと長崎の老舗旅館で殿様風呂(?)+忘年会というお楽しみが待っているのです)

ではまた

まるは

 

その31

 

お久しぶりです。

長らくさぼっている間に、七月二一日で『長崎通信』の更新が途絶えてしまっていることに、少数の読者の方々からおしかり、励まし、問い合わせをいただいたりもしていたのですが、慣性の法則に従って今日まで停止状態を続けていました。

 ジロー先生の掲示板に書き込んでありますが、七月の下旬に新型のiBookを購入し、さっそく飛行機や新幹線の中で見せびらかすべく(なんせ使用中は背中のリンゴマークがぼんやりと光るもんですから)持ち歩いていました。その記念すべき「iBookで書いた文書第1号」が『長崎通信 その31』になるはずだったのです。ところが、書いている途中で、バスが自宅前の停留所に着いてしまい、中断してしまいました。日付を確認すると七月一九日でした。翌日続きを書こうとして、その前にメールをチェックしてみると、ゼミ生のA君と準ゼミ生のS君からSOSメールが来ていました。二人とも大学院進学希望なのですが、願書と一緒に出す「卒業研究の要旨」とか「研究計画」などに目を通してほしいというのです。(僕自身も締め切り直前にならないとテンションが上がってこないので、あまり人のことは言えないのですが)締め切りは一週間後だったのですが、二人が書いてきたものにざっと目を通した瞬間に、これは「問題点の指摘」→「書き直し」→「再度問題点の指摘」→「再度書き直し」→「最終確認」というプロセスを経ないと、「要旨」や「研究計画」を目にした瞬間に不合格にされてしまう、と判断しました。二人はそれぞれ複数校受験する予定でしたが、大学院ごとに要求している書類や字数などが少しずつ違うので、そのための改訂作業にもつきあうことになりました。教師がそこまでやる必要があるのかという内面の声もあるにはあったのですが、やらないと結果は見えているのです。(まあ、ウチダさんの方がこういった状況に直面した経験は多いでしょうけど)(二人の学生の大学院入試秋の陣の結果についてはまたいつか・・・・)

 この「お仕事」が終わった頃にははや八月。八月末には、学会誌に投稿する原稿の締切。その時点では研究ノートさえほとんどできておらず、「このテーマは極私的(あるいはせいぜいフリッシュ研究者にとって)決定的に重要だ」という予感だけを抱いているという状態でした。しかも父親の墓を建立(?)したこともあって(それまではお骨をお寺に預かってもらっていました)、一週間ほど山口に帰省することが決まっていました。

 

(論文の方は結局、編集員会に頼み込んで締め切りを一週間延ばしてもらい、やっとのことで書き上げました。時間切れというのもあったのですが、より本質的には、「宿命論」と「偶有性ないし可能性感覚」という二つの極の間にフリッシュをうまく位置づけることがまたしてもできなかったこと、というより、フリッシュ自身がこの二つの間に自分の定位置を見出していなかったのではないか、それどころか見出すことなどありえないということこそがフリッシュの美学の核心なのではないか、などと考えていうちに、問題が自分の知識と思考力の限界を超えてしまったのが、なかなか書けなかった最大の原因です。ウチダさんが以前使った比喩をお借りすれば、息を思い切り吸い込んで水の中に飛び込んで、潜行を始めてみたのはいいが、目的地までたどり着く前に苦しくなって、浮上してしまったというところでしょうか。まあ、論文そのものはさしたる問題もなく掲載されることになったのですが、審査に通ったかどうかとは関係なく、自分の知力の限界ないし低下を痛感した一件でした。)

 そんなわけでばたばたしているうちに、『長崎通信』の続きを書く機会を逸し続け、そうなると、自分が何を書こうとしていたのかも忘れてしまって、ずるずると今日に至ってしまったのです。

 

(よく言われることですが、何事にも勢いというのは大事ですね。僕の場合、研究活動にしても、学会や研究会で発表したものを、「もう少し時熟させてから論文にしよう」などと思って寝かせておくと、結局そのままになってしまうことがほとんどです。現に、去年学会で発表した「「私」の神話学:フリッシュとレヴィ=ストロース」も、その後手つかずのままです・・・)

 

以上言い訳です。今回はとりあえず復活のお知らせです。次回は「FD研修の怪」、その次は「大学院バブル」、そのまた次は(裏がとれれば)「マスダさんの講演会が中止になった訳」の予定です。

 

ちなみに、件の「書きかけメール」というのを探し出してきたので、付録として付けておきます。

 

こんにちは

今、瀬戸内海の島々を見下ろしながらこの手紙を書いています。

そうです、ついに、ジロー先生もホームページで批評されていた新型のiBookが届いたので、うれしそうに飛行機の中で使っているのです。(とはいってもこのiBookをケータイにつないで、移動中にメールを送信するといった「高度」な使い方はまだできないので、結局このメールは、名古屋についてから送ることになってしまうのがちょっと情けないですが・・・・)

 

最近、内田さんの『日記』は少なくとも3回連続して、「暑い!」で始まっていますが、それを目にする度に、僕は「甘い!」と叫んでいます。長崎の梅雨は半端なものではありませんでした。気温が高い上に、降水量がすさまじく、関西では年に数えるほどしか経験しないような、文字通りバケツをひっくり返したような降り方をするのです。ただし一日中降り続くのはまれで、むしろ、雷のない夕立みたいなのが繰り返しやってきたり、ほんの15秒ほど激しく降って、いきなり何事もなかったかのように止む、というパターンが印象に残っています。なんにせよ、「ああ長崎は今日も雨だった」などという悠長なものではありません。

 

(と、ここまで書いたところで飛行機が着陸態勢に入ったので、中断。}

 

{で、いまは名古屋空港でバスを待っています。}

 

しかも、6月の中旬には蝉が鳴き始めます。これまた半端じゃない音量で。雨が降っている間は蝉たちは静かですが、雨粒が落ちなくなると合唱が始まります。だから、雨が降っていても、雨が上がっても、窓の外が静かになることはありません。

別に不快ではありませんが、この亜熱帯的な「梅雨」に慣れるまでには時間が必要でした。

湿度も半端ではなく、

 

(いまはバスの中です)

 

大学の正門から我がK学部までの「メーンストリート」に立っている木々の幹や枝は、深々と苔むしています。一番びっくりしたのは、冷房のきいた研究室から、廊下に出ただけで、眼鏡が真っ白に曇ってしまったときです。

 

ただし、ヒートアイランド現象による暑さではないので、夜は割と過ごしやすいです。エアコンをつけなくて