かわに おうのfrom USA to Japan
2003年10月9日
カワニ(ウチダさんふう三人称)はアメリカを離脱するため、この地から送らせていただいていた「ティファニーの角を曲がって三軒目酒屋へは三里、豆腐屋へ五里」は今日で終了になります。
今度はしばらく、豆腐屋のほうからティファニーを眺め、夢想することになるのでしょう。
ところで、アメリカについて書いたことをもう一度読み返してみると、話が抽象的になってますね。私が抽象的なことを書いても面白くないことに、今になって気がつきました。私がここでさせていただくべきだったのは、もっと日常生活のなかでの具体的な出来事について書くことだったのではないかと思います。これって日記なんだし。でも、ここのところ、日常生活のなかで面白い具体的な出来事が何もなかったというのもあります。
ま、それはそれで、過去のこと。Let's move on.
「部屋を貸して」くださった内田先生、長いあいだ「家賃」を滞納してすみませんでした。この感謝の気持ちは、必ず何かにつなげてゆきたいと思います。
内田さんが私のために「空けて」くださったこの「部屋」から、読者のみなさんに何か「贈り物」ができたかどうか分かりませんが、読んでくださったみなさん、ありがとうございました。
「根っこ」を持たないカワニは、日本へ移住してまた「生まれ変わり」たいと思っています。って言うか、単に「すかすか」で「ふにゃふにゃ」なだけなんですけど、それもひとつの生き方かと。
2003年10月6日
Two Cheers for America (6): Final Thought, or To Be Continued ...(最後に、あるいは、つづく)
なんかいっぱい書いちゃいましたが、今まで書いてきたことを読み返してみると、個々の内容に問題があるだけでなく、かなり矛盾したことを書き連ねたと思います。でもまあ、一貫性はなくてもいいかと。エマーソンも「愚かな一貫性は、狭量な心に巣くう子鬼だ」(A foolish consistency is the hobgoblin of little minds)と言っておりますし。
私は掲示板に長文を書き込むとき、別ファイルに下書きをするんですが、内田さんの掲示板にはじめて書き込みをさせていただいた頃、古賀さんやチナ・ロカさんといった南米にお住まいの方々とちょっと人種の話をしたときの下書きを検索してみました。そうしたら、以下に引用する自分の書き込みが出てきて、それを読んで唸ってしまいました。「そのときの私」に語っていただきましょう(内田さんふう):
Tanaka さんの指摘に、ああ、なるほど、そう言われてみれば、そうだよなあと思いました。そうですか、日本の方々から見れば、アメリカも均質的なのですね。これは、「均質性」というのは、その外からでないと認識できないというのを、よく示していますね。アメリカで生活している私には、日本の「均質性」はよく分かっても、そこから自文化を相対化して、アメリカの「均質性」に気づくということが欠けていたようです。前回書きましたように、アメリカ人というのは、そういう「メタな視点」をしばしば欠いていると思うのですが、私も結局そんな一人だったのかもしれません。恥ずかしいかぎりです。
アメリカの文化は、その「多様性」を誇りにしています。アメリカには長い人種差別の伝統がありますが、アメリカ・インディアンから土地を奪ってこの国を創ったアメリカ人は、この「原罪」が許され、また、自分たちがしたことを正当化するために、自分たちも、ここにやって来る他者を許し、受け入れなければならいという意識も持っているように思います。しかし、内田さんもよくおっしゃっているように、それは、たいへん理念的なものなのだろうと思います。「他者を受け入れる」とは言っても、その他者をアメリカのイデオロギーに同化しようとしてきたのも事実でしょう。「多様性」という名の「均質性」なのかもしれませんね。
私はニューヨークに住んでいるのですが、ひとつだけ思うのは、ニューヨークや、アメリカのその他いくつかの都市にくらべて、大部分のアメリカは、私には恐いくらい「均質的」に感じられるということです。ちなみに、Tanaka さんはアメリカのどちらへ行かれましたか? ニューヨークの住人は、アメリカでも、その態度が無愛想で、暴力的なくらい荒っぽいことで知られています。私は10代まで日本で育ったこともあり、それが嫌になることがあるのですが、逆に、とても心地よくも感じるんです。ここの人たちは、「裏がない」というか、他人とコミュニケーションするとき、「内面」というに意味がないことを肌で知っているというか、人々に共有しているものが少ないので、取りあえず言いたいことをデカイ声ではっきり言わないとコミュニケーションが成り立たないような感じなんですね。ここの人たちは、そういう感覚を共有していると言いますか。この街の人たちは、他者とコミュニケーションするのに非常に慣れていると思います。人種差別なども、「もっと丁寧な態度の人たちの住んでいるアメリカ」にくらべて、ずっと少ないと思うんですね。アメリカ人一般にある「単純さ」というのも、そういうプラグマティズムに起因しているんではないかと思うときがあります。日本人が、その社会を上手く機能させるために取ったやり方と、そういう点では、正反対のような気もします。そのアメリカ人の「単純さ」に、「メタレベルに立った大人の深み」のようなものを感じられるときは、非常に心地よいのですが、単に自分勝手なバカみたいなのを多く生んでしまうのも確かなような気がします。ようは、内田さんがいつもおっしゃっている「他者への敬意」があるかないかですかね。
私は内田さんの日記を読むようになってから、今までとは違った意味で、日本というのが、ものすごく良いところに思えるになったんです。ちょっと時間がなくて難しいかもしれませんが、私が内田さんの日記や本を英訳して、こちらのサイトに掲載していただきたいと思うくらいです。(残念ながら、本は読ませていただいたことがないのですが。)アメリカ人が読んでも、絶対面白いんじゃないかと思うんですよね。
これを読んで何に唸ったかって、なんとも節度とバランスのある文章だなあと。
私は今回この「アメリカに万歳二唱」という長文で、この短い書き込みで言っている以上のことを基本的に何も言っていないだけでなく、今回の長文のほうが視野が狭くイデオロギッシュで、節度もバランスもなくなっていたように感じます。
内田さんが最初に私を「店子」になるよう誘ってくださったのは、たしかこの私の書き込みを読まれてのことだったと思います。内田さんがこれを読まれて期待したようなものと、この日記はずいぶん違ったものになっちゃったんだろうなと思いました。まさかアメリカ賞賛と日本の悪口ばかりになるとは思われなかったのではないでしょうか。
上に引用した書き込みをしたとき、私は内田さんの著作をまだ一冊も読ませていただいたことがなかったのですが、今になって読み返してみると、なんかこの書き込みの内容って『レヴィナスと愛の現象学』で説明されいることと重なっているように思えました。特に、アメリカ・インディアンが「場所を空けた」という話が。
当時、私は内田さんの日記にしばしば出てくる「他者への敬意」という言葉に強烈に惹きつけられていて、そのときは「他者っていうのは、自我の構造の外にあるものってことなんだろうな」という程度の想像しかしていませんでした。
でも、そこに私は自分がアメリカでしてきた経験を強烈に読み込んで、上のようなことを書いたんだと思います。
その私の感じていた「問題」が、私にはそのまま『レヴィナスと愛の現象学』に読み込めてしまうのですから、その作者である内田さんの日記に私が惹きつけられてしまったのは当然ではないでしょうか。
この「問題」は、外国で生きたことのある人、「異邦人」になったことのある人ならば、「だれでも」肌で感じ、考えたことがあることなのではないかとさえ思えました。(これは、皆さんそれぞれの他者性を無視した勝手な想像ですが。)だから、「内田さんの文章は、海外で生活している日本人には特別に訴えかけるものがあるのではないか」と思ったのです。
そして、この共通していると思われる問題意識から、肯定的な説得力をもって語られる内田さんの「日本」が、私にとって魅力的だったのも当然であるような気がします。
内田さんがはじめて『全体性と無限』を読まれたとき、その文章に「そこのキミ!」と語りかけられたように、私も内田さんの日記に「そこのキミ!」と語りかけられました。
ちなみに、2003年3月12日の日記で、NYの街について「巨大な空間のなかに『無限』にある、相対的に自律したさまざまな『部屋』が、細いチューブでつながっているような感じ」とか、「この街全体を見渡すことができないという感覚は共有していると思う。ストリートに出たとき、そこがまるで一つの大きな均質的な部屋であるような、そういう共通感覚を私たちは持っていないという、そういう共通感覚を私たちは持っているような気がする。だからこそ私たちは、対等に言葉が交わせる」と書いたときも、まだ『レヴィナスと愛の現象学』を読んでおらず、レヴィナスの「全体性と無限」の議論も、「家」の概念も知りませんでした。
上に引用した書き込みを読むと、「そのときの私」は、『レヴィナスと愛の現象学』に書かれているいくつかの問題を「すでに知っていた」のだと思います。
私は『レヴィナスと愛の現象学』を読むことによって、自分が何を「すでに知っていた」のかを教えてもらったのだと思います。ですから、『レヴィナスと愛の現象学』を読むことなしに、私は自分が何を「すでに知っていた」のかを知ることはなかったでしょう。
『レヴィナスと愛の現象学』を読んだときは、「そうそう!」の連発でした。例えば、「他者への欲望」(「顔の彼方」)の論考に、自分が日々の生活のなかで考えていた問題が読み込めて感激しました。いろんな異文化的コミュニティに積極的に首を突っ込んで(突っ込むなよ)、そこで他者と対話できる表層を探りながら、想像できなかったものを経験・実験してゆくことによって、知らず知らずのうちに自我が未知の地平へ変容してゆくことの可能性を、私は「他者への欲望」という言葉を使って人に説明したことがありました。そして、内田さんが説明されている、他者の「うわべ」(surface じゃなくて appearance)への欲望を契機にした、「肉欲と超越の同時性」による他者との出会いというレヴィナスの考察について読んで、「おお、これじゃん」という感じでした。たいしたことじゃないんですけど、嬉しかったのです。
しかし、最も重要なのは、この「そうそう!」という「同一性」ではないと思います。最も重要なのは、そうやって「これがキミの感じていた問題だよね」と言って惹きつけてもらってから、さらにそこから「ずらして」くれる、「おー、なるほどー」とか「なんだなんだ」という「プラス・アルファー」ではないでしょうか。
『レヴィナスと愛の現象学』を読んで最大の「プラス・アルファー」だったのは、「他者への有責性」の論考でした。いろんなことがつながって、目からウロコでした。「アメリカに万歳二唱」も、それにおもいっきり影響を受けて書きました。
今度は『全体性と無限』読んでみよーっと。
「最後に」の最後に、「つづく」の表示として、アメリカの「多様性」についてもう一言だけ。
私は、例えばNYで生活する中国人の生き方を見て、いろいろなことを感じ、考えます。そして、こういったことを、私は中国に住んでいる中国人を見て考えるのではなく、アメリカという一つの場所で他者たちと共生している彼らの姿を見ることによって考えます。こういった日常的な出来事こそが、「アメリカ的体験」(the American experience)だと思います。
アメリカには、世界中からさまざまな人々が、さまざまな事情でやって来ます。そうしたなかには、アメリカに住み着く者たちも多くいる一方で、私のようにいずれまたこの地を離れ、どこかへ去って行く者たちも膨大な数います。今この時点でアメリカで生活している人々のうち、アメリカ国籍を持たない人々の割合は、他のどの国にいる外国人の割合よりも高いのではないでしょうか。9/11のとき世界貿易センター・ビルで亡くなった人々は、国籍にして92カ国の出身者であったことが思い出されます。
NYで生活していると、毎日のように、そうした異邦人たちに出会います。そして彼らと、アメリカについて、彼らの出身国について、その他いろいろなことについて話をします。彼らもまた、アメリカ社会の「モザイク」を構成する「タイル」として、アメリカ社会の「色合い」を決定づけているのです。
アメリカとは、国家であると同時に、人々の「中継点」や「寄港地」でもあると思うのです。アメリカで生活する多くの人々にとって、この地は「始まり」でも「終わり」でもなく、物事の「あいだ」であり、物語の「途中」なのではないでしょうか。移民の国、異邦人の国アメリカとは、巨大な「港町」なのかもしれません。
2003年10月3日
Two Cheers for America (5): Listenting to Silence(沈黙を聴くこと)
"America in black and white"(白黒はっきりしたアメリカ)というフレーズがあります。
日本語でもまったく同じ言い回しをする、「認識がはっきりしている」状態に「色のコントラスト」を掛けた比喩表現にさらに掛けて、「すべてが黒人と白人の問題に還元されるアメリカ」という社会的・文化的な事態をこのフレーズは表しています。
アメリカにとって最も根源的な問題は「人種」であると言う人は多いですが、伝統的なアメリカの人種問題というのは、このように「黒人」と「白人」の問題として前景化されてきました。
この事態は、例えばO.J.シンプソン裁判の判決が出た瞬間、テレビに映し出された白人の国民と黒人の国民の反応の違い──驚愕する白人たちと、歓喜する黒人たち──あの異様な光景によく表れているでしょう。
しかし、もちろん現代アメリカは「白黒はっきりと」語ることはできません。
ここまで私は「アメリカ人」という一つの括りで、その特徴を物語ろうとしてきましたが、「アメリカ人」というのは流動的であり、さらにそれ自体のうちに多様性をはらんでいます。
アメリカで10年に一度おこなわれる国税調査の2000年度の結果を見てみると、上位4「人種」の人口比率は以下のようになっています。アメリカ全体では「白人」70%、「黒人」12%、「ヒスパニック」13%、「アジア系」4%。都市別に見てみると、NY市では「白人」40%、「黒人」23%、「ヒスパニック」25%、「アジア系」9%。サンフランシスコ市では「白人」51%、「黒人」5%、「ヒスパニック」17%、「アジア系」23%。
この2000年度の国税調査で、合衆国建国以来はじめてヒスパニックの人口が黒人の人口を上回りました。
近年、ノース・カロライナ州の街では、低賃金労働者として怒濤のようにヒスパニックの人たちが南米から移住してきて、伝統的な南部の世界──白人と黒人が棲み分けをしながら共生してきた世界──に劇的な変容をもたらしました。「白人」「黒人」「ヒスパニック」それぞれのコミュニティの大きさはちょうど同サイズとなり、今では同じ土地に3者が肩を並べて生活しています。
ヒスパニックの人たちは、アメリカの白人とも黒人とも文化や価値観が著しく異なります。他者が「侵入」してきたとき多くの人たちが感じるのは恐怖であり、ほとんど英語がしゃべれないヒスパニックの人たちは、白人と黒人の両者から差別を受けることも多いようです。しかし、3者が共生できる方法を模索し、ノース・カロライナ州の学校や教会ではさまざまな試みがおこなわれているようです。
近年「ヒスパニック」が、従来のアメリカ社会の「白黒はっきりした」認識をずらしているのは、単に「ヒスパニック」がその人種的差異の構造にもう一つの「色」を足したというだけではありません。ここには、「ヒスパニック」というアイデンティティの構造的な異質性の問題があります。
国税調査の「注」にあるように、ヒスパニックは「人種」(race)ではなく「民族」(ethnicity)です。国税調査は「人種」と「民族」について別々に質問する形式を採用ているため、ここには差異化の枠組みが2つあります。その結果、国税調査において「民族」としての「ヒスパニック」は、同時に「黒人」「白人」「アジア人」といった「人種」的アイデンティティを持つことができます。
上記に引用した国税調査の上位「4人種」の割合はどうやって計算されているかと言うと、まず、「民族」を「ヒスパニック」と答えた者は、「人種」を「黒人/白人/アジア人」に選んでいても「ヒスパニック」として。そして、それ以外の「非ヒスパニック系」を、それぞれ「黒人/白人/アジア人」としています。
現代アメリカ社会で劇的な増加を見せている「ヒスパニック」というアイデンティティは、このようにして伝統的なアメリカ文化の「人種」の認識自体に矛盾をもたらしています。
国税調査に示されるのは、それぞれのアメリカ人が「自己申告」したアイデンティティです。そのとき、「その他」というカテゴリーを選択して、自分を「無人種」にすることもできます。ただ、2000年度の国税調査で「人種」を「その他」に選んだ人は 0.17% しかいません。しかし、国税調査の結果を送り返していないため、表象されていない人口というのもかなりあるのではないでしょうか。
さらに興味深いのは、2000年度から「2つ以上の人種」というカテゴリーが選択肢として設けられたことです。一人の個人が、「2つ以上の人種」を自己のアイデンティティとして選択できるということです。これは明らかに、アメリカ文化において「白黒はっきりした」人種的差異化の構造がゆっくりとながら崩れてきていることを表しています。2000年度の結果では、「ヒスパニック民族」も含めた全体として、自分の「人種」に「2つ以上の人種」を選んだ人は 2.4% しかいませんでした。
国税調査の「質問形式」が変わってきているということは、まさにアメリカで「人種問題」を思考する認識の枠組みに変化が起こっているということです。
このようにして、アメリカ文化の「白黒はっきりした」枠組みは、これからもどんどん組み替わってゆくでしょう。
今回、私が注目してみたいのは、ヒスパニック系アメリカ人ではなく、アジア系アメリカ人です。
アメリカの「白黒はっきりした」文化に、「アジア系アメリカ人」というもう一つの「項」を導入して、さらに「アメリカ」について考えてみたいと思います。
伸び率で見ると、1990年から2000年の人口増加は、アジア系がトップになっています。(その内訳で最大なのは、フィリピン系だと思います。)
NYにも人口の10人に1人の割合で住んでいるアジア系アメリカ人を見ていると、いろんなことを考えさせられます。
NYでは、黒人がかたまって住んでいる代表的な地区にハーレムがあり、アジア系アメリカ人がかたまって住んでいる代表的な地区にマンハッタンのチャイナタウンがあります。それぞれ他にもかたまって住んでいる地区はいろいろありますが、代表的なのはこれらの2地区でしょう。
この2つのコミュニティの大きな違いは、チャイナタウンが経済的に「自律」していることです。
「チャイナタウンで買えないものはない」のです。
例えば交通機関。中国人が始めた画期的なビジネスのひとつは、アメリカ全土のチャイナタウンを繋ぐバス・サービスです。NYからボストンまでグレーハウンド(アメリカ最大の長距離バス会社)を使うと片道$30です。NYのチャイナタウンからボストンのチャイナタウンまで、中国人が経営するバス・サービスを使う$10で行けます。さらに、乗客の階級的にアメリカ最下層の長距離交通手段であるグレーハウンドのバスにくらべ、中国人経営のバスはとても清潔で快適であり、グレーハウンドと違って直通なので所要時間もずっと短く、運行頻度も1時間に一本と申し分ない利便性です。ボストンに行くのにこの中国人経営のバスを使わない手はないわけで、今では中国系以外のアメリカ人もみんな利用しています。
こうしたほとんど驚異的な中国人の経済的自律性と商売魂にくらべ、ハーレムには黒人の経営するビジネスというのがほとんどありません。
これは、中国人と黒人の経済格差の決定的な原因になっているだけでなく、黒人が白人の経済システムのなかに取り込まれてしまっているということも意味します。
この白人の経済システムにとって、黒人は「消費者」として分類され、リサーチされ、ターゲットにされます。音楽市場などを見ると分かるように、黒人はこの経済システムのある部分では重要な生産者になっており、さらには独自のレコード会社などを持つことによって自律してる部分もあります。しかし、社会全体として見たとき、自律した「黒人経済」(black business)の割合がまだまだ低いという事実は、アメリカの資本主義社会において人種的経済格差を生むだけでなく、黒人が白人の均質的な尺度で差異化されるこも意味しているのではないでしょうか。そう考えても、資本主義というのは人種差別の原因になっているのかもしれません。
中国人のコミュニティや、その他アメリカ社会にある経済的・文化的に自律したさまざまなコミュニティというのは、たとえばハリウッド映画などを見ていても、それらの独自な視点というのが見えてこないものです。もちろんハリウッド映画に表象された世界も「アメリカ」(an America)であり、さらに、ブッシュ政権がそうであるように、それは「支配的なアメリカ」(the dominant America)ではあるのでしょう。しかし、私にとってアメリカの魅力とは、異質で多様な「ネットワーク」たちが同時に脈々と流れつづける、その重層的な空間性です。
私の日系の友人に、中学生の娘がいる女性がいるんですが(夫は白人なので、この子は「ハーフ」ですが)、こないだその娘の学校で成績順のクラス分けをしたら、トップ・クラスが全員アジア人になってしまったそうです。そこはクィーンズ区にあるフォレスト・ヒルズというユダヤ人の多い閑静な住宅地で、決してアジア人の子どもが多い学校ではないんです。
カリフォルニア州の人口のうちアジア系は10%ですが、カリフォルニア州に分校のたくさんあるカリフォルニア大学(UCLA, UC Berkley, etc.)は学生の50%がアジア系です。聞いた話では、理系学部は生徒の80%くらいがアジア系らしく、「成績だけで入学を決めたら、全部アジア系になってしまう」んだそうです。(誇張した言い方だと思いますが。)カリフォルニア大学では、アジア系の学生の入学者数を抑えるために、他人種の入学志願者よりも成績の良いアジア系入学志願者を落として(逆アファーマティヴ・アクション?)、これが問題になりました。
ここで私が言いたいのは、「アジア人は優秀だ」ということじゃないんです。勤勉であるのは価値のあることかもしれませんが、商売が上手いとか、学校の勉強ができるというのは、人間的能力のほんの一側面だと思います。
私が注目したいのは、アメリカ社会でアジア系アメリカ人はこれだけ活躍していながら、あまり「目立たない」存在だというです。
アジア系アメリカ人の人権活動家には、「エイジャン・アメリカンは非政治的である」ということを批判する人がいます。「エイジャン・アメリカンは、もっと声を上げて、自己主張をしなさい」と。(アイリス・チャン、キミとかね!)
声を上げて自分のアイデンティティや権利を主張しない人は、アメリカのメインストリーム社会では「存在しない」ような感じなのです。
しかし、アジア系アメリカ人は、他人種から差別に合おうと、マス・メディア的な表象から排除されようと、何も文句を言わずに黙々と働き、黙々と子供の教育にエネルギーを注いでいる、そんな感じがします。
声を上げない、商売熱心、教育熱心──なんとなくユダヤ人にも似ています。
ユダヤ人はアジア人と違って、アメリカ社会で絶大な権力を持っていて、マイノリティとは言いづらいかもしれません。でも、そんなユダヤ人のなかでもマイノリティである、ユダヤ教最保守派のハシディムの人たちを見ていると、なんと控えめな人たちだろうと思います。私が勤めていた仕事場の目の前には、「ダイアモンド街」(Diamond Street)と呼ばれる、ハシディムの人たちの経営する宝石店が軒を連ねるユダヤ人街があって、通勤に使っていた地下鉄にはいつもハシディムの人たちが大勢乗っていました。そうやって街で出会う彼らは、だれに対してもフレンドリーで、自己主張するような雰囲気がまったくない感じです。フロイトの伝記で、フロイトは子供のころ、父親が街で差別的な目に会っても何も反抗せず、黙ってやりすごしている姿を見て育ったという話を読んだことがあります。これは、私の持っている典型的なユダヤ人のイメージです。
ヨーロッパでは「世界中にユダヤ人のいない国はない」と言われるようですが、同じことは中国人についても言えると思います。世界中にチャイナタウンのない国はほとんどないのではないでしょうか。中国人のほうが母集団がずっと大きいでしょうし、中国人のほうが世界中に散らばっている感じがします。この両者に共通しているのは、「異郷の地で異邦人として暮らす方法」を知っていることなのかもしれません。中国人もユダヤ人も、異郷の地でお金儲けをしているわけで、そうした生き方を維持するには、「目立たないようにする」のが戦略的に正しいのかもしれません。もし目立ったら、妬まれて、差別される可能性があります。だから差別されても、ことを荒立てず、静かにしているのが彼らの戦略なのでしょうか。
逆かもしれません。逆ですね、きっと。
これは、ユダヤ人と中国人が異郷の地で成功するために選んだ戦略だったのではなく、彼らがもともと持っていた文化であり、それが彼らを異郷の地で成功させたのではないでしょうか。私は、勤勉に働き、人種差別をすることなく、どんな他者に対してもフレンドリーな中国人たちを尊敬しています。中国の舎者からやって来た人たちには、かなり強烈な「野蛮さ」を感じることもありますが、彼らにしても、まったく差別的なところはありません。私は絶対に中国語を勉強したいです。インド人にも似たところがあるかもしれません。そして、私がNYで出会うユダヤ人たちも、たまにスノビッシュで嫌なヤツがいる以外は、人種差別的でなく、つき合いやすい人たちです。中国人もユダヤ人も、もともとああいう人たちだからこそ、世界中で生きてゆけているのでしょうか。
こうした自己への人種差別に対する態度を考えたとき、ユダヤ人や中国人と対照的だと思うのが、現代アメリカの黒人です。
黒人の人種差別に対する態度の典型的なイメージは、声を上げて戦闘的に抵抗するというものです。この違いの理由には、彼らが歴史的・社会的に置かれてきた人種差別の文脈の特殊性があるのではないでしょうか。ユダヤ人も中国人も宗教的・人種的マイノリティとして長らく迫害を受けてきましたが、経済的には自律していました。まさにそれが、彼らへの差別の原因になった部分もあるのでしょう。それと比較してアメリカの黒人は、経済的弱者であり、それは今でも変わりません。彼らが人種差別に対して取った態度は、その固有の歴史的・社会的文脈の中で、彼らが生きてゆくために取った戦略だったのでしょうか。フランツ・ファノンは、黒人のことを「この世で最も哀れな存在」(The Wretched of the Earth)と呼びましたが、それは彼らが自分たちをそう見なしたからなのか、そう見なさなくてもそうなっていたのか、私にはよく分かりません。しかし、彼らが近代社会の人種問題の中で特別な位置にいるのは確かだと思います。
さらに白人アメリカ人から暴力的な迫害を受けた人種というと、アメリカ・インディアンがいます。
彼らは声を上げませんでした。
声を上げないことによって、彼らはより不幸になったのか、より幸せになったのか、私には分かりません。アメリカ・インディアンは、経済的にはアメリカ政府から援助を受けていますが、アメリカ社会でアルコール中毒患者の割合が最も多いのも彼らであり、精神的に幸せな生活をしているとは思えません。
さらに、現代のアメリカ社会において最も控えめな人たちというと、南米からやって来たインディオたちではないかと思います。「アミーゴ」という愛称で呼ばれる彼らも「ヒスパニック」になりますが、カリブ海系の黒人と白人が混血した感じの人たちとはたいへん印象が異なります。現代のアメリカ社会で、最も低賃金で、最も勤勉に働いている人たちは、アジア系アメリカ人ではなく、この穏和で無口な「アミーゴ」たちだと思います。北米インディアンや南米インディオには、人種的にもアジア人に通じるものがあるのでしょう。ここで生物学の話をするのは慎重になるべきだと思いますが、大学時代に読んだ心理学の教科書に、人種的な性格の違いという話が出ていて、その例として、コーカサス系(白人)の赤ん坊は激しく泣くが、インディオの赤ん坊は穏やかで泣かないというのを読んだことを思い出します。
前回、「アメリカ文化というのは母性を欠いているんだろうか?」と書きましたが、私はアメリカ社会を眺めていて、アジア系アメリカ人のことを「女性的」だと思うことがあります。
それと対比したとき、黒人を「男性的」と感じます。こういう認識をするのは、「白黒はっきりしたアメリカ」と変わらない二項対立の罠にはままっているように感じられるかもしれません。しかし、「白黒はっきりしたアメリカ」の枠組みをずらすために、「女性的なアジア系アメリカ人」という「異質なもの」を導入できないでしょうか。
日本文化とアメリカ文化が異なるように、両文化におけるセックス・アピールというのも異なります。自己主張のできるマッチョな男性が好まれるアメリカ文化においては、黒人男性はセックス・アピールが高く、アジア人男性はセックス・アピールが低い傾向があります。
逆にアジア人女性は、アメリカ人男性にとってセックス・アピールが特別に高いです。また、アジア人に特別な嗜好を持っているゲイのことを「ライス・クィーン」と言いますが、アジア人男性が好きなゲイは多いです。もちろん、これらは個人の単独性を無視した一般化であって、カッコ良いアジア人男性は白人女性や黒人女性にもモテるだけでなく、柔和なアジア人男性にセックス・アピールを感じる白人女性や黒人女性もいます。そういうのは、当然それぞれの個人によって多様です。
異人種間結婚(inter-racial marriage)の統計を見ると、他人種と結婚する割合は、黒人の場合は男性のほうが女性よりもずっと多く、アジア人の場合は女性のほうが男性よりもずっと多くなっています。(特に「白人男性/黒人女性」の結婚割合が非常に低い。)
他にも、例えばテレビのニュース・キャスターを見ていると(カリフォルニア州とかの地方放送局については知りませんが)、白人キャスターは男女ともにもちろん多く、黒人キャスターも男女ともに多いですが(男のほうが多いかな?)、アジア人キャスターは女性はけっこういるんですが、男性はほぼ皆無です。
日本に行ったとき際立って目につのは、若い男の子たちの「女性性」です。一般的に求められているのは筋肉美ではなく、男の子たちがとてもスリムです。そして、髪の毛とか美容とか、外見のお手入れにとても力を入れています。私は日本へ行くと、そういう日本の男の子たちが可愛くてたまりません。大好き。(おもいっきりオヤジ入ってます。)でも、アメリカ人の目から見ると、そういう日本の男の子たちは「なよなよ」ということになります。最近の日本の男の子は、眉毛を剃ったりしてますよね。あれをアメリカ人に見せると、「オカマかよ」と言って笑います。
ここに見たような日本文化とアメリカ文化の「男性的/女性的」という差異は、「平面的な二項対立」として捉えられるべきではないはずです。
ここで「男性的/女性的」というのを「平面的な二項対立」として捉えると、両者が同一の文化内にある相補的(complementary)な関係になってしまいます。しかし、上のような現象に見られる日本文化とアメリカ文化の差異は、そういうものではなく、2つの文化が自律して機能しているために、一方が他方にとって「異質」なものとして感じられるということでしょう。
すなわち、ここで「男性的/女性的」という差異は、「平面的な二項対立」ではなく、「立体的な構造の違い」として捉えられるべきです。ですから、アメリカ人による「オカマかよ」というような見方には、一方の文化構造をそのまま使って、他方の文化現象を平面的に認識したような、一種の暴力性があると思います。
機会があったら、現代のアメリカ文化と日本文化の「笑いと欲情」(Laughter and Arousal)の構造について比較してみたいです。「笑い」と「欲情」という現象は、それが起こる文化構造の形式性を際立たせる出来事であると思うので、両文化の構造的な差異もいろいろ見えてくるんじゃないかという気がします。
さて、私がここで「男性的/女性的」という二項対立を使ってみたいのは、「白黒はっきりしたアメリカ」と「アジア系アメリカ人」の関係を、相補的なものではなく、「自己」と「他者」の関係として考えてみたいからです。「自己」と「他者」という認識をしたとき、それはすでに相補的な関係になっているのかもしれません。しかし、とりあえず、「男性的」な「白黒はっきりしたアメリカ」を揺るがすために、「女性的」な「アジア系アメリカ人」というのを考えてみたいと思うのです。
アジア系アメリカ人は、日本人男性のように着飾りの面で「女性的」ではありませんが、やはり「女性性」を持っている感じがします。攻撃的じゃないんです。「出る」のではなく、「引く」感じです。または、攻撃の仕方が違うという感じでしょうか。「芯を通す」のではなく、「拡散する」感じです。
前回、「アメリカ人は他人に合わせない」と書きましたが、アジア系アメリカ人は「他人に合わせる」傾向があります。
例えば、「カフェテリア現象」。
「カフェテリア現象」というのは、アメリカの学校のカフェテリアで、同人種の生徒たちがグループを作り、異人種の生徒たちのグループと分かれて座って食事をする現象のことです。
こういう「カフェテリア現象」は、私が行っていたNY市立大学ではあまり見られませんでしたが、アヤの行っている地方大学では顕著です。NYでも、地方から多くの学生たちがやってくる私立の大学では、「カフェテリア現象」が顕著に見られると聞いたことがあります。ちなみに、学部の学生というのは、まだ目的のはっきりしない「子供の集団」みたいなところがあって、「カフェテリア現象」もそのために起こるのですが、これが大学院になったり、会社になったりすれば、こういった人種の壁は基本的になくなります。
アヤの大学のように、周りに何もないような地方で学生たちが寮生活をしていると、カフェテリアというのは、全校生徒が同じ時間に同じ場所に集まる特殊な社会空間として、学校社会にあるアイデンティティの役割が一同に演じられるスペクタクルの様相を呈します。
アヤの大学は圧倒的に白人の学生の多いところなんですが、カフェテリアに行くと、例えば、アメフト・チームのマッチョな男子たちのグループ、アニメ好きなオタクっぽい子たちのグループ、お金持ちのお嬢様たちのグループ、みたいな感じになって食事をしているわけです。その中で、黒人と白人の学生は基本的にまったく混じらずに、それぞれのグループを作っています。ときどきラスタっぽい黒人の男子生徒と白人の女子生徒が2人で座ってるとか、そういう「異端系」もいたりします。これが典型的な「カフェテリア現象」です。
白人の生徒たちと黒人の生徒たちは(少なくとも表面上は)イガミ合っているわけではありません。黒人の生徒たちは白人の生徒たちに対して非常に不信感を持っていますが(こういうのは黒人の生徒とだけ一緒になると分かる)、両者はお互いふつうに挨拶するし、しゃべるし、そういう社交的な関係ではあるんです。
しかし、イガミ合っている集団というのがあります。「色の薄い黒人(lighter blacks)」と「色の濃い黒人(darker blacks)」の生徒たちです。すなわち、「純粋な黒人」と「黒人と白人のハーフ」の生徒たちです。これら2つのグループも分かれて行動しているんですが、「色の薄い黒人」の生徒たち(特に女子生徒)は、白人の生徒たちには好意的なんですが、「色の濃い黒人」の生徒たちを嫌っていて、その結果、両者がイガミ合っているんだそうです。これはもう完全に近親憎悪です。私はこういう現象をNYで見たことがないので、ああいう圧倒的に白人ばかりの環境で起こる現象なのでしょうか。アヤによると、アジア系と白人のハーフの学生たちにも、同じ傾向が見られるそうです。
アメリカでは、異人種の両親を持つ「ハーフ」の子供たちが、成長の過程でしばしば「アイデンティティ・クライシス」を起こすことが知られています。そして、こうした「ハーフ」の人たちは、同じ社会的ポジションにいる「ハーフ」同士でかたまるわけです。
さて、こうした「カフェテリア現象」における、アジア人の生徒たちの行動はどうでしょうか。
それなりの人数いるアジア系アメリカ人の生徒たちは、絶対にかたまらず、白人か黒人のどちらかのグループに混ざって座っています。
こうしたアジア系アメリカ人の「同化現象」(assimilation)というのは、カフェテリアだけでなく、アメリカ社会全体に見られる特徴として知られています。
異人種間結婚の統計によると、白人と黒人が結婚する割合は最も低くなっており、人種的アイデンティティの差異化は「白人/黒人」が最も「はっきりしている」ことを示しています。
現代のアメリカ社会において、上位4「人種」のうち異人種と結婚する割合が最も高いのはヒスパニックで(そもそも「ヒスパニック」というのは「人種」ではないので、こういう結果になるのでしょう)、次ぎに高いのはアジア人になっています。かつてからアメリカ社会において、アジア系移民は極めて混血と同化の進んだ人種として知られていました。ちなみに、アメリカ社会で最も混血が進んだ人種として知られているのは、アメリカ・インディアンです。
異人種間結婚の統計から言えることは、ヒスパニックやアジア人は、目立たず、静かに、しかし、おそらくじわじわと、「混血」という形で「白黒はっきりしたアメリカ」を浸食しているのではないかというこです。また、過去数十年の「黒人男性/白人女性」の結婚割合の増加にもめざましいものがあります。
アメリカのアジア系移民たちの中で、歴史的にもっとも「同化」したのが日系移民たちでした。
第二次世界大戦前、アメリカのアジア系移民として最も人口が多かったのは、中国人と日本人です。(戦後は、ベトナム人やフィリピン人といった東南アジア系が多くなります。)中国人の移民一世たちは、出身社会の慣習を捨てずにチャイナタウンで生活していましたが、日本人の移民一世たちは積極的に出身社会の慣習を捨て、アメリカ社会へ同化しようとしました。真珠湾攻撃の後、強制収容所へ連行された日系移民たちが、みんなアメリカ風の服装をしている映像を見たことがあるのはないでしょうか。そして、日系移民は、アジア系移民の中で最も経済的に成功しただけでなく、アメリカ社会のすべての移民たちの中でもめざましい成功をおさめましました。
アジア人のコミュニティでも、朝鮮戦争後に急増した韓国人のコミュニティでは、親が子供を韓国人と結婚させたいと望んでいる場合が多いようです。伝統的な慣習を維持しようとしているようで、韓国系アメリカ人のコミュニティは結束が固い感じがします。日本人や中国人と違い、韓国人はキリスト教徒ですが、そのこととも何か関係があったりするのでしょうか。NYにも、韓国系キリスト教会がたくさんあります。フィリピン系の移民もカソリックですが、彼らのコミュニティはどんな感じなんでしょう。(私の知り合いのフィリピン系アメリカ人は、奥さんもフィリピン系です。)
ちなみに、私は人種差別的な日系人や中国系アメリカ人に一度として出会ったことがありませんが、韓国系アメリカ人だと、たまに黒人を差別している人に出会うことがあります。1992年にロサンジェルスで起きた暴動のとき、銃で武装した韓国人たちが自分たちの経営するグロッサリー・ストア(コンビニと八百屋がいっしょになったような、アメリカで一般的な商売形態)を防衛しているインパクトのある姿は記憶に新しいです。(ところで、あの暴動は「黒人の暴動」として広く認識されていますが、あのとき略奪行為を行っていた人たちにはヒスパニック系が多くいたそうです。)
現代のアメリカでは、グロッサリー・ストアというのが「韓国人の商売」になっていて、どこへ行っても韓国人の経営するグロッサリー・ストアがあるのですが、それと同じように、テイク・アウト専用の中華料理屋というが「中国人の商売」として街中どこへ行ってもあります。そういうふうにどこの地域にもいる中国人だって、韓国人と同じように差別を受けてきたはずですが、それへの対応の仕方に違いがあるような感じもします。東アジア系の移民の中では、韓国人は「引く」よりも「出る」印象があります。
アジア系アメリカ人に「同化」の傾向があるのは、なぜなのでしょう?
他のアジア人に対する近親憎悪の表れなのでしょうか? 私自身も他人種とつき合う傾向がありますが、なぜだろうと考えてみると、いろんな人とつき合ったほうが愉しいからです。別に他のアジア人や日本人を避けたりはしていません。
ただ、日系人の一見した「アイデンティティの可変性」は、どこへ行っても同じように見られるものではないのかもしれません。内田さんの掲示板で以前、ブラジルにお住まいの古賀さんが、「ブラジルでは混血が激しいなかで、ドイツ人や日本人といった旧枢軸国系の人たちは混血せずにコミュニティを作っている」とおっしゃっていました。イタリア人もでしたっけ?(ところで、古賀さんのホーム・ページの更新を愉しみにしていて、ときどき覗いているんですが、ずっと停止状態のようですね。)
合衆国では、際立って同化の進んだ非ヨーロッパ系移民として日本人が知られていますが、ヨーロッパ系移民としては、ドイツ人がほとんど跡形もなく同化したことが知られています。これはふつう、ドイツ人の文化がアングロ・サクソンの文化に近似していたからだと説明されますが、その他に何か日本人に通じる理由もあるのでしょうか。フランス人のような人たちは自国の外へ出るのも嫌がる傾向があるようですが、ドイツ人と日本人は海外観光旅行が大好きな民族ですね。
アングロ・アメリカでは同化し、ラテン・アメリカでは同化しなかった日系移民、というふうに考えると、同化するかしないかというのは、移民先の社会に独自の文脈のなかで成功するための戦略的な選択ということなのでしょうか。
アジア系アメリカ人のコミュニティにもいろいろありますが、「サブカルチャー系」の一つとして、こないだNYのパーティーに行ってきた Giant Robot があります。同名の雑誌を発行していて、本部はロサンジェルスにあるらしいです。パーティに来ていたのは、アジア人だけでなく、半数くらいが非アジア人なので、とても開かれたコミュニティです。ウェブ・サイトには掲示板があって、友人なんかはそこで侃々諤々やってるらしいですが、私は最近そういう元気というか興味が失せていて、覗いたことはありません。学生時代だったら、こういう場所での議論にハマッていただろうと思います。NYには、若い日本人のコミュニティでがんばっているのもいくつかあります。
「女性的」、「出ない」で「引く」、人種差別をしない、他者と同化する、声を上げずに黙っている──こうした特徴を持った現代のアジア系アメリカ人は、「白黒はっきりしたアメリカ」への他者として、アメリカ社会が内包する多様なアイデンティティの重要な一つを構成しているのではないでしょうか。
そうやって、アメリカ社会が内包する「白黒」以外の多様なアイデンティティたちは、アメリカ文化に「すきま」や「陰」を作っているのかもしれません。
「声を上げる」アイデンティティたちにかき消される「沈黙」。そこに耳を澄ませることが必要なのではないでしょうか。
ドゥルーズ/ガタリが『千のプラトー』の「序──リゾーム」で述べている「アメリカ」も、「2種類の思考形態の共存」についての指摘です。「西洋的」な思考形態は「ツリー状」であるの対して、「東洋的」な思考形態は「リゾーム状」である可能性を論じたのち、アメリカではこの両者が共存しているとドゥルーズ/ガタリは指摘します。出版されている邦訳より引用します:
アメリカについては、特別の場所を割くべきだろう。もちろんアメリカにしても樹木の支配と根の追求から免れているわけではない。それは文学においてさえ、国民的アイデンティティーの、さらにはヨーロッパの祖先ないし系譜の探求においてさえ見てとれることだ(ケルーアックは自己の祖先たちを探しに出かける)。にもかかわらず、かつて起きた重要なことのすべて、いま起きつつある重要なことのすべてが、アメリカというリゾームを通して行われていることに変わりはない──ビートニック、アンダーグラウンド、地下運動、徒党とかギャングなど、一つの外とじかに連結する数々の継起的側面的激動だ。たとえ樹木を追求しているときでさえ、アメリカの本とヨーロッパの本とは違う。それは本の考え方そのものの中にある違いである。『草の葉』。しかもアメリカにはさまざまな方向が存在する──<東部>においては樹木状の探求と旧世界への回帰が行われる。けれども<西部>はリゾーム状なのだ。その祖先なきインディアンたち、つねに遠くへ逃げ去ろうとするその限界、可動的であり移動してやまないその辺境(フロンティア)などにおいて。<西部>にはまさにアメリカ的「地図」があり、そこでは樹木でさえもリゾームになる。アメリカは方位を逆転させた──その東方(オリエント)を西部に置いたのだ、あたかも大地がまさにアメリカにおいて円くなったかのように。アメリカ西部は東部の縁そのものなのである。(西洋と東洋のあいだの中間項をなすのは、オードリクールが信じていたようにインドではなく、回転軸と逆転装置としてのアメリカである。)アメリカの女性歌手パティ・スミスはこんなふうにアメリカ歯科医の金科玉条を歌っている──根を求めてはいけません、運河[歯根管]に沿って行くのです……。
私がアメリカで生活していて肌で感じる「アメリカ」に、このドゥルーズ/ガタリの記述はかなりの実感的な説得力をもって語りかけてきます。
「アメリカは方位を逆転させた──その東方(オリエント)を西部に置いたのだ、あたかも大地がまさにアメリカにおいて円くなったかのように」とドゥルーズ/ガタリは書いていますが、それは西部のフロンティアに「インディアンたち」がいたからだけではないでしょう。
かつてヨーロッパから大西洋を渡ってアメリカへやって来た移民たちは、自由の女神像に出迎えられながら、アメリカ東海岸のNY沖にあるエリス島へ到着しました。ここで移民の手続きが行われたわけです。しかし、アメリカへの移民たちが海を渡ってやってきたのは、東海岸だけではありません。中国や日本をはじめ、アジアからの移民たちは太平洋を渡って西海岸のサンフランシスコ沖にあるエンジェル島に到着しました。エンジェル島は、もう一つのアメリカの出発点なのです。
文字どおり「沈黙を音楽として聴く」ことを行ったのは、アメリカ人の音楽家ジョン・ケージでした。
ケージはたいへん柔和で「女性的」な人でした。彼は自分のホモセクシャリティであるとか、そういうアイデンティティの問題については語らなかった人で(隠しもしませんでしたが、それを語ることに肯定的な意味があると考えていなかった)、そういう意味で「50年代的」な人であったと思います。
ケージは日本の禅の思想に傾倒していました。欧米文化に最も影響を与えた日本の思想家というと、50年代から60年代にアメリカで禅ブームを起こすことになった鈴木大拙ではないでしょうか。道元が『正法眼蔵』で説いた「心身脱落」(自我の放棄)や「自他一如」(対象物との同一化)といった禅の思想は、現代のアメリカ的な「アイデンティティ」の考え方とは正反対の方向性を持っていると思います。
私はアメリカに来た最初の年にコンサート会場でケージに出くわし、挨拶を交わさせてもらったことがあります。(ケージは1992年に80歳の誕生日を目の前にして亡くなりました。)世界でも屈指の文化人だったケージは、みんなから「ジョン」と呼ばれ、誰に対してでもニコニコと温かい視線を向けて話をするのが非常に印象的な人でした。そういうケージを慕って、ケージに全面的に肯定してもらって、60年代70年代にはさまざまなアーティスト(多くは「無名」のアーティスト)が活動していたわけです。
あの時代のアメリカのアート・ワールドにとって、おそらくケージは最大の影響力を持っていた人物でしょう。
ケージ的な「全面肯定」によって、若いアーティストたちは勇気づけられ、それによってさまざまな出来事が起こりました。そう考えると、ケージはあの時代のアート・ワールドに抑圧的な権威を行使した「父」というより、すべてを受け入れる大いなる「母」だったのかもしれません。
そうした「ケージの子供たち」として生まれたムーヴメント/コミュニティの一つには、NYのフルクサスがあります。そのメンバーの多くは「無名」のアーティスト、いってみれば「ぷーたろう」のような人たちだったのだと思います。フルクサスは、NY在住の日本人のメンバーが多いのも特徴でした。
あの時代にくらべて、NYの街はすっかり変わりました。
治安はよくなり、イースト・ヴィレッジやロウワー・イースト・サイド(!)さえもファッショナブルな観光地のようになる変貌をとげました。70年代には、このへんは殺気だっていて、軽い気持ちでは歩けないような場所だったそうですし、私がここに来た80年代の終わりでも、まだまだヤバそうで硬質な空気が張りつめていました。あのNYの緊張感は、すっかり過去のものになってしまった感じです。
それと同時に、ケージのような「母性的なアメリカ人」もどかへいなくなってしまったような気がします。これは私の単なる気のせいなのかもしれません。でも、なんとなく、「死と愛が背中合わせになっていたNY」から「ファッショナブルなNY」への変貌は、このことと関係しているような気もします。
「いつホールド・アップにあうか分からず、つねに意識を集中していなければならい」ような場所が良いのだと言っているわけではありません。たぶん、私が求めているのは、「人間的な温かみ」だと思うんです。人は、超えることのできない「不自由さ」──特権さえあれば超えられるような「不自由さ」ではなく、もっと根源的で普遍的な「不自由さ」──を感じたとき、はじめて「自由」になり、「人間的な温かみ」を獲得できるのではないかという気がします。
うちの近所は10年前にくらべて、すっかり貧乏人が住めない地域になってしまいました。前市長のルドルフ・ジュリアニが、住民の反対運動にあいながら、警察の力で強行的にホームレスやドラッグ・ディーラーを一掃してしまい、90年代のアメリカの好景気に後押しされて、この地区の家賃はうなぎ登りに上がって行きました。最近うちのアパートに引っ越してくるのは中産階級風の白人の若い人たちばかりで、彼らは廊下ですれ違っても目も合わせず、挨拶をしないんです。すごい嫌な感じです。こんな世の中にくらべたら、街路にクラックを入れるカプセルや注射針が転がっていたあの頃のイースト・ヴィレッジのほうが、まだ「人間的な温かみ」があったような気さえしてくるのです。
これはイースト・ヴィレッジやロウワー・イースト・サイドだけの「ヤッピー化」現象なのかもしれません。子供づれの家族の多い住宅地とか、NYでも別の地区へ行けば近所の住民同士が挨拶を交わしていて、だいぶ雰囲気は異なると思います。(そもそも「ニューヨーカーは挨拶をしない」というのは、昔からアメリカ国内では有名で、そういう比較の問題としてはNYもご多分に漏れず「都会的」な街ではあります。)80年代初頭のイースト・ヴィレッジのアート・シーンのような雰囲気も、またどこか別の場所に移っているだけで、アート・スクール・スラッカーたちは相変わらずなのかもしれません。
でも、NY全体が、ここ10年20年ですっかり治安がよくなり、こぎれいになって、なんだか「反動的」な感じがしてしまうのは確かだと思うんです。今でも、行くところに行くとヤバいのでしょうが、そういうものはブロンクスかどこかの奥地へ追いやられてしまった感じです。
こないだ友人が、「むかしNYにはカッコイイ人がいたよねえ。今はダサいヤツらが闊歩してるよ」と言っていました。NYだけでなく、ロサンジェルスからは「フィリップ・マーロウ」もいなくなってしまったのかもしれません。
繰り返しますが、私は「治安が悪いほうがいい」と言いたいのではありません。「街路にクラックを入れるカプセルや注射針が転がってい」るような場所は、「文明的」な世界ではないかもしれないし、少なくともあまり住み心地のいい場所でないでしょう。それをロマンティックに美化して語るのがここでの目的ではありません。そういう美化は、また今度の機会にします。
私が言いたいのは、NYという特定の場所に限って見たときの問題として、「不自由な街」から「こぎれいな街」への変化が、何かと期を一にしているような気がするということなのです。逆説的に、それによって失われてしまった「自由」があるのではないかと。
現代のアメリカで、人種間の経済的・社会的な不平等がそれなりに是正されたのは良いことです。しかし、そうすることによって人々はさらなる「自由競争」に駆り立てられ、同等の「権利」を要求し、自分が「犠牲者」であると主張し、かつてあった普遍的な「不自由さ」の感覚を失ってしまったような感じもします。アメリカも、現代の日本のように均質化しているのではないでしょうか。そういう意味では、アメリカが「日本化」しているような気がします。
えっと、何の話してたんでしたっけ。「沈黙を聴く」って話か。
経済が落ち込み、落書きにあふれ、歴史上もっとも荒涼としていた70年代のNYと、ジョン・ケージの母性は、時間軸的に偶然一致してるだけで、直接の関係はないかもしれません。
アメリカの政治と文化は、振り子のように右に振れ、左に振れというのを繰り返しながら展開してきました。私がここで過ごした1990年代というのは、非常にリベラルな時代でした。シングル・マザーに育てられたベイビー・ブーマーの民主党員ビル・クリントンが2期大統領を勤め、60年代的な左翼の思想が「階級闘争」ではなく「文化戦争」という形でリバイバルし、新左翼の教条的な傾向をアイロニカルに指し示した「ポリティカル・コレクトネス」という言葉もリバイバルしたような、そんな時代でした。
この90年代のリベラルな空気は、当時「あの頃は酷かった」という形でよく耳にすることのあった、(50年代にはハリウッドで赤狩りをしていた)共和党員ロナルド・レーガンが2期大統領を勤めた80年代の保守的な文化の後にやってきたものでした。私が直接知らない70年代のNYというのは、この「お金と権力」の80年代のさらに「向こう側」から、戦後もっとも激しく「右に振れている」現在のアメリカにいる私に語りかけてくるのです。
「右」だろうが「左」だろうが、「白黒はっきりした」イデオロギーというのは「沈黙」に耳を澄ますことをしないのだろうと思います。でも、今みたいな時代になると、まだリベラルな時代のほうが良かった気がしちゃうんでしょうね。
アジア人って言えば、DJ文化のおかげで、NYでもクラブとかの音楽シーンでけっこう活躍しています。ああいうコレクターっぽいもの、オタクっぽいものっていうのは、これからどうなってくんでしょうね。こういうのは、やはり均質的な「郊外の文化」でしょう。アヤの大学で語学の選択で日本語やってる学生って、ほとんど日本のマンガが読みたいっていうオタクな人たちなんですって。オタク文化おそるべし。
追記:
NYが「不自由な街」から「こぎれいな街」になったのは感じが悪いという上の文章を書いてから、友人と食事をしに外に出たのですが、愉しそうに行き交う多様で活気のあるニューヨーカーたちを眺め、彼らと言葉を交わしていたら、やっぱり平和なNYも良いもんだと考えが変わってしまいました。半日後に前言撤回です。
2003年9月30日
Two Cheers for America (4): The Third Cheer Withheld for Selfishness(自分勝手さに万歳三唱目は差し控え)
今回は、私の思うアメリカ文化の問題点について書かせていただきます。
また出発点として、「タルムード」させていただきます。
内田さんは以前日記で、「権利より義務のほうが先行しなければ、住みやすい良い社会にはならない」という意味のことを書かれていました(3月14日):
誰かがその役を引き受けないと話が始まらないような役を「じゃ、ぼくがやっときます」といって何気なく引き受けるような人、それが「大人」であると私は理解している。
このようなふるまいは「すべての国民は等しい権利を有し義務を負う」という前提からは導出できない。
許されているより多めに権利を行使する人がいるなら、誰かがその分の義務を抱え込まないと帳尻が合わない。そのときに、さらっと義務を多めに負う人、それが「大人」であり、それが日本国憲法が無言のうちに指示する日本国民の範例である。私はそう理解している。
ある目的を持った共同体が形成され、活動しているとき、それを取りまとめている人が、「これ、誰かやっといてくれる?」と共同体に向かって訊いたとします。そのとき、「じゃ、ぼくがやっときます」と誰かが手を挙げるのがアメリカ人、「しーん」としてしまうのが日本人、というのが私の経験知です。そういうとき私は、「アメリカ人は大人だなあ」と感じます。
ただ、これは義務感の問題なのかと考えると、よく分からない気もするんです。
日本人の価値観を述べた言葉に、「義理と人情」というがあります。こういう言葉は誰が考え出すのか知りませんが、上手いこと言うものだなあと思います。「義理」というのは、一種の義務感のことではないでしょうか。日本人は、率先して自分から手を挙げて仕事をしなくても、与えられた仕事に関しては、アメリカ人よりもずっと義務感を持ってやりとおす感じがします。
「人情」というのも、他人のことを想って、何かしてあげるという一種の義務感ではないでしょうか。日本人は、友人をよく助けると思います。それと比較して、アメリカ人の場合、「オマエ、友達なんだからさ、もうちょっと気を遣って何かしてあげたらどうなの?」というような場面に出会うことがあります。
アメリカの大学の授業風景を想起すると、教師が「これ、誰かやっといてくれる?」と生徒たちに向かって言ったとき、必ず誰かが手を挙げて、すぐに担当者が決まります。さらに、やはり日本の授業風景と対照的なのは(私は日本の大学の授業風景というのを知りませんが、きっと対照的なのではないでしょうか)、生徒たちが自分の考えをガンガン述べて、積極的に授業に参加することです。
彼らが「自分の意見を述べる」のは、義務感からではないと思います。どちらかと言うと、自分の意見を聞いてもらう権利感だと思います。「じゃ、ぼくがやっときます」と「自分の意見を述べる」に共通しているのは、個人の自律した能動性ではないでしょうか。
権利が発生すると、同時にどこかに義務も発生しないとバランスが取れないように思います。例えば、王様が多大な権利を持っている場合、それにバランスを取るために家臣や農民に不釣り合いな義務が生まれるのではないでしょうか。アメリカ文化においては、この権利と義務のバランスが、そうした社会全体のヒエラルキーにおいて均衡しているのではなく、個人の一点において均衡しているような感じがします。これがアメリカの「自立」した個人なのかもしれません。
現代の日本文化においては、この権利と義務の均衡が、個人の一点においてでも、社会全体のヒエラルキーにおいてでも、そのどちらでもない場所で起こっているような感じがします。ではどこで起こっているのかと言うと、集団に対する義務として、そして集団に対する権利として均衡しているような感じがします。これが日本的な「集団責任」の考え方であり、さらには「集団によって守られている」感覚なのではないでしょうか。
「他人に良いことをしていれば、必ずそれは自分にも返ってくる」ということを日本人はよく言いますが、アメリカ人もああいう考え方をするのでしょうか。そういう英語のフレーズは、ちょっとすぐに思い浮かびません。
アメリカ人も、「社会的責任」(social responsibility)とか「歓待」(hospitality)ということは言います。これらは、自立した主体が他の自立した主体を支える義務、すなわち主体が「自ら立つ」ための縦方向の超越的な価値観なのではないでしょうか。それと比べたとき「義理と人情」は、社会全体を機能させる個々の役割を持った非主体的なメンバーが、他のそうしたメンバーに負っている義務、すなわちメンバー同士が「寄りかかる」ための横方向の価値観ということはないでしょうか。
しばらく前になっちゃいますが、こっちの日本語放送でテレビ・ドラマの『顔』をやっていて(オダギリ・ジョーかっこいー!)、その次ぎに『大奥』をやっていました。これが両方とも面白かったんですが、何が面白いと思ったかと言うと、登場人物たちの主体性を欠いた「キャラわり」です。大奥は、女の牢獄なのでございます。「江戸」「薩摩」「京都」のお国言葉の「キャラわり」も綺麗だと思いました。
ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』を作ったとき、C3P0 と R2D2 のコンビのアイデアを黒沢明の映画のキャラクターから取ったと聞いたことがあります。ああいう弥次さん喜多さんの凸凹コンビみたいな、主体性を欠いた「キャラわり」って、日本っぽいということはないでしょうか? 西洋でも、近代的な主体が生まれる以前は、あんな感じだったのでしょうか。
こないだ、江戸時代の儒学者/兵学者である山鹿素行の「士道」を英訳で読みました。これがえっらい面白いんですが、そこで素行は「平和な現代における侍階級の社会的役割とは何なのか?」ということを考察しています。「農工商」の階級は、それぞれ生産的な役割を果たしているのに、「士」の階級は何のために社会に存在しているんだ? ということを真摯に探究していて、「その社会への役割と義務が理解できない侍は、ただちに農工商の階級へ落ちよ」と書いています。
こうした「自分が所属する社会への単独的な役割と義務」という考え方は、アメリカの「社会のなかで単独的に自立した個人」という考え方と対照的だと思いました。(他にも、伊藤仁斎・東涯、荻生徂徠、さらに鎌倉時代の栄西、道元といった人たちを英訳を読んだんですが、おっもしろーい。)
アメリカ社会の自律した個人は、日本人にくらべて権利感も強いと同時に、ある種の義務感も強いのかもしれません。「自分のことは、自分で決める」という考え方はアメリカ文化の特徴だと思いますが、それは「自分からやる」という自律的な能動性を意味するのでしょう。
そう考えると、アメリカ人が「じゃ、ぼくがやっときます」と言うとき、それは他人のためにやっているのでも、社会のためにやっているのでもなく、自分のためにやっているような感じもします。
なんだか不自然なことを言っているように聞こえるかもしれません。しかし、彼らは、自分が能動的で自律した個人でいるという、そのことのために、「じゃ、ぼくがやっときます」という自発的な行動を起こしているような感じがするんです。他人のためでも、社会のためでもなく、「内なる神」(@エマーソン)のためにやっているような、そんな感じが。
日本人を見ていて、ときおり感じるのは、「ワタシは、自分の力ではどうにもならない世の中のシガラミに抑圧されて生きているんだから、自分の意志で行動を起こすなんてことに何の意味がある?」という悲観的な受動性です。
この日本人の「受動性」は、進歩する近代ヨーロッパの哲学者ヘーゲルが、進歩しないアジアを見て「アジアの停滞」と呼んだ現象なのでしょうか。
しかし、明治維新期や、昭和の高度成長期の日本社会は、欧米人が驚愕するほど能動的な「進歩」を遂げました。
アメリカ的な自律した個人は、権利という「マイナスの力」を有すと同時に、義務という「プラスの力」を有し、この「電荷」の大きさによって社会全体に活発な「流れ」を起こしているような感じがします。
「義理と人情」に見たように、日本人は義務感の強い民族だと思います。「何に対する義務なのか?」という問題がありますし、比較するのは難しいですが、日本人のほうがアメリカ人より義務感があるのではないかと感じるくらいです。山鹿素行も「義務」(義、righteousness, duties)ということを強調していても、「権利」というようなことは一言も書いていません。(現代の日本に儒学的な価値観がどれくらい残っているか分かりませんが。)少なくとも、「義理と人情」的な義務感は、日本人のほうが強いでしょう。この義務感が、明治維新期や、昭和の高度成長期の日本社会の驚異的な能動性を生んだのでしょうか。経済学のことは、まったく分かりませんが。
以前、NYで商売をやっている日系人の友人と話していたとき、「日本には人権がないから、それがすべての問題だよ」と言っていました。彼が「人権」という言葉で意味したかったのは、理不尽な社会制度や権力構造や因習に抑圧されない「自律した個人の権利」というようなことでしょう。
彼は会社を作るのが趣味のような人で、何かアイデアがあるとすぐに会社を作って商売にします。その彼が言うには、日本では彼のようにフラフラした個人がスモール・ビジネスを始めるのが困難で(会社の銀行口座を開くとか?)、彼のようにサラリーマンになりたくない人間は、みんなフリーターになってしまうそうです。
ここにも、アメリカと日本における、「集団」(会社)と「個人」の異なった関係が表れているような気がします。
ひとつ思ったのは、義務の問題を考えるとき、単に「個人がどれだけ自律的に社会に貢献しているか」ということだけを取り出しても、見えてこない問題があるのではないかということです。
もうひとつ思ったのは、義務の権利に対する「相対量」の問題です。最初に引用した内田さんの論考も、義務の「絶対量」について話しているのはなく、義務は権利に先行するべきだという、義務の「相対量」について指摘なさっています。または、どちらに根源的な重要性(priority)があるかという問題でしょうか。
かりに義務の「絶対量」が多かったとしても、やはりアメリカ人は権利の主張が先走っている感じがします。率直に言って、アメリカ人は日本人にくらべて「自分勝手」な印象を受ける人が多いです。
ただ、「自分勝手」(selfish)というのは、定義が必要だと思います。
アメリカ人の自分勝手さは、「他人が嫌な気持ちになっても、自分さえ良い気持ちになれればいい」というようなものとは違うと思います。
例えば、一部のカリブ海系ヒスパニックの人たちが文化的に示すような、すぐ列に割り込むとか、そういう類の、私たち日本人やアメリカ人が「ズルい」と感じるような「自分勝手さ」は、アメリカ人にはありません。カリブ海系ヒスパニックの人たちもアメリカ人なわけで、ここでは伝統的なアメリカ文化をイメージしています。この文化的多様性を内包したアメリカについては、次回考えます。
ヨーロッパでも、フランスとかイタリアとかラテン系の国へ行くと、スリとか、セコくてズルいタイプの犯罪に出会います。それに比べてアメリカ人というのは、あまりそういうことはしません。これはピューリタン的な価値観なのだろうと思いますが、アメリカ人というのは生真面目な人たちです。例えばポリティカル・コレクトネスのような風潮は、そういうアメリカ人の生真面目さをよく表しています。ではアメリカ人は悪いことをしないのかというと、もちろんそんなことはなくて、銃を使った犯罪に代表される正面切って暴力的な犯罪は多いわけです。
現代の日本社会には、痴漢という犯罪現象があります。私はこの痴漢という現象は、現代の日本文化の問題点を端的に表す病理的症候だと思っているのですが、アメリカ社会には痴漢という現象がありません。痴漢というのは、個人が自律的な能動性を持っていないことにつけ込んだ、自分勝手な犯罪だと思います。アメリカ社会に痴漢がない一つの理由は、そんなことをしたら大声で怒鳴りつけられるからです。しかし、アメリカにはスリがなくても銃犯罪がるように、痴漢はなくてもレイプはあります。これらのアメリカ的な犯罪の表出の仕方は、自律した個人が他の自律した個人を暴力によって押さえつけるという現象だと思うのです。
最近、日本で多いらしい万引きという犯罪現象も、自分勝手な犯罪です。すべての犯罪というのは自分勝手な行為なわけで、犯罪を見ると、それが行われている文化の「自分勝手さ」がどういう構造を持っているのかが分かる気がします。こういう犯罪というのは、それぞれの社会に特有の文化構造や機能的システムの表れであって、ひとつの倫理基準に従ってこの文化は倫理的だとか、この文化は非倫理的だとか言えるものではないでしょう。人々が「ズルい」ことをするのが文化的な前提になっている社会では、それで社会がシステマティックに機能するようになっているのだと思います。(だから日本では痴漢をしてもいいということではなく、痴漢は現代の日本文化のシステム的問題点を端的に表していると思います。)
アメリカ人は、他人の権利を尊重します。では、日本人にくらべてアメリカ人に感じられる「自分勝手さ」とは何なのか。
アメリカ人的性格の一つに、自分の正しさを疑わないというのがあると思います。
極端な言い方をすれば、「他人がどう言おうと自分は正しい」というのがアメリカ人特有の態度だと思います。「ワタシはワタシ、アナタはアナタ」なのです。
「他人の言うことに惑わされず、内なる神を信じ、まだ誰も通ったことのない道を進んで行け」という趣旨のことを、エマーソンは繰り返し書いていますが、こういう「カウ・ボーイ」的なところがアメリカ人にはあります。
別な言い方をすると、アメリカ人は他人に合わせないのだと思います。「自分」のまま。他者の存在は積極的に認めるし、他者と「とにかく」言葉を交わし、他者を「とにかく」助けることはするんですが、自分自身は他者性に開かれていないのかもしれません。
アメリカ文化の基本は、「自己保身」ではないかという気がします。だから、最終的に他者との「境界線」が曖昧になることがない。
これは、日本的な「義理と人情」が欠落しているというのに表れているのではないでしょうか。他者への「気遣い」とも言えるかもしれません。「気遣い」というのは結局、他人の立場になって考えるということではないでしょうか。アメリカ文化には、日本文化にくらべて、この他人の視点でものを見ようという意志が希薄であるような気がします。
アメリカ人は、友達思いではあるんです。誕生日を祝うとか、何かあるときは声を掛けるとか、そういう「歓待」はとてもよくします。そして、アメリカ人は貴方をしばしば無条件に "my friend" と呼ぶでしょう。
ただ、彼らには、友達のなかにある異質な部分に共感しようとするという心的活動が希薄であるなような気がします。もちろんアメリカ人にも、繊細で、相手の気持ちに共感しようとする人たちはいます。でも、荒っぽく一般化すると、さっき書いたように「ワタシはワタシ、アナタはアナタ」というのがアメリカ文化の姿勢だと思います。
ヨーロッパ、例えばフランス文化に見られる個人主義というのも、そういうものなのかもしれません。
それにくらべたら、アメリカ人はずっとフレンドリーかもしれません。
そう考えると、アメリカ文化に特有な「自分勝手さ」とは何なのでしょう。
さっき書きましたが、やはり「自分の正しさを疑わない」ということではないでしょうか。アメリカ文化というのは、「ポジティヴ・シンキング」(positive thinking)なんだと思います。
このアメリカ文化の特徴は、アメリカ人自身も分かっていて、よくコメディーのネタにもなります。一部の日本人が「自己啓発セミナー」に行くように、アメリカ人は自己を肯定することに救済を見出します。
落ち込んでる人を慰めるんでも、アメリカ人は「いっしょに苦しみを感じる」のではなく、"Cheer up!"(元気出せよ!)という感じになることが多いです。「それでキミも良い勉強になったんだよ! 肯定的に考えなくちゃ!」というふうに。
もちろんアメリカ人にも、ネガティヴな人、鬱っぽい人、シニカルな人、そういう人たちはいます。でも、彼らの性格は「ポジティヴ・シンキング」の裏返しであって、そこにあるのは実存的なネガティヴさ、すなわち「ネガティヴさ」をポジティヴに生きてしまう姿勢であるような気がします。
イロニー的なメタな視点がない感じです。イギリス人的な皮肉の感覚というのは、カウ・ボーイにはなくなってしまったようです。
アメリカ人は、態度のデカい人のことを "He's so happy with himself"(ヤツは自分に満足している)と言って貶すことがありますが、一般的にアメリカ人というのは "so happy with themselves" な感じもします。
そういえば以前、日本へ出張になって仕事をしていたあるオーストラリア人女性が、居酒屋で下らない内輪話に盛り上がり、他者を招き入れない日本人たちに疎外感を持って、"They are just happy with themselves" というようなこを言っていました。日本人は、集団でいることに「幸せ」を感じ、アメリカ人は自分でいることに「幸せ」を感じるのでしょうか。しかしそのとき、「日本の居酒屋」と「アメリカの個人」のどちらのほうが他者に対してフレンドリーかというと、アメリカ人かなとは思います。
「他人との違いを気にする否定性を退け、自己の単独性を肯定する」とだけ書くと、なんか私の好きなタイプの人間のようです。しかし、アメリカ文化のそれには、欠けているものがあるような気がします。
それは、「自意識」ではないでしょうか。
やっぱり、アメリカ文化はすごい表層的ということだと思います。行動主義的(behavioristic)とでも言うんでしょうか。「内面」がないのです。
アメリカ人は、「言わなかったら、分からない」です。口に出したことだけが、すべてです。良かったら「良い」って言うし、嫌だったら「嫌だ」って言うのです。「深読み」しません。(これに慣れちゃうと、すごいラクなんですが。)
誇張した書き方をしていますが、日本文化にくらべたら、そうです。「男は黙ってサッポロビール」みたいな感覚は、アメリカ文化にはありません。(古いなあ。むかし学校の先生に教えてもらったんですけど、コマーシャル自体は見たことないのでした。)
夏目漱石の『こころ』の主人公が「先生」の内面について想像するみたいに、黙っている人の内面について想像するということをアメリカ人はあまりしないような気がします。
アメリカ文化の表層性とは、「真っ平ら」ということなのでしょうか。
表層は曲がって「ひだ」状になることによって自意識の空間を作らなければ、他者を「気遣う」という空間的な共感への試みも発生しないと思います。アメリカ文化には、「母性」が欠けているということなのでしょうか。そういえば、アメリカ人は女の子でも、我が強くて「男っぽい」子が多いな。
アメリカ文化は、日本文化のように単一の空間を形成していないと思います。しかし、それは無限に多様な複数の空間の集合体でもなく、「真っ平ら」な表層なのでしょうか。
ドゥルーズが、こんなことを書いているのを見つけました。「存在」には、「襞としての魂」という状態の他に、「プリーツとしての物質」という状態があると言うのです:
物質のプリーツたちは、外部の状態にあり、魂の襞たちは、内部に閉じた状態にある。[…]魂と物質は、存在の2つの種類なのではない。存在のなかで、この2つは襞によって差異化するのである。物質とは、襞ではなく、「プリーツ」なのだ。プリーツは襞と同じように生成し反応するが、襞と違い自己の生成を知覚しない。
このドゥルーズの描く「物質のプリーツ」って、私がアメリカ社会に持っていたイメージ──アイデンティティの殻を作りながらも、剥き出しの表層感を経由したプラグマティックな政治性によって、そのアイデンティティの構造が無意識のうちにが変容してゆくようなイメージ──にそっくりだと思いました。
いや、でも、やっぱり私はちょっとへんなことを言っていますね。
やっぱり、アメリカ人に「自意識」がないわけはありません。
私のアメリカ人の友人たちは、深い「内面」を持っています。彼らが語って聞かせてくれるさまざまな省察や、彼らがときおり見せる深遠な眼差しのことを思い出したら、「アメリカ人は内面がない」なんて言ってしまったことが申し訳なくなってきました。
ごめんなさい。
彼らの「内面」は、一部の日本人よりもよっぽど深い気がしてきました。
私はときおり彼らに日本人にはない種類の「自立した大人の深み」を感じます。それは『こころ』の「先生」の深みに近いものさえあるかもしれません。こうしたアメリカ人の「内面の深さ」は、とうぜん「自意識」でしょう。
さらに、私はそうしたアメリカ人たちの深い省察から、どれだけ多くのことを学んだことか。
では、アメリカ人の対人関係にある表層感とは、なんなのでしょう?
それは、ときに「横に深い、底なしの表層感」を私に感じさせるものだと思います。
しかし、ときに「真っ平らなバカ」のようなものを私に感じさせることもあると思います。
アメリカ的な自律した個人に、「自意識」がないはずはありません。「自意識がない」というのは、「人間でない」ということでしょうし、「文化がない」ということではないでしょうか。
アメリカには豊饒な文化があります。20世紀の重要な文化的出来事の多くは、アメリカにおいて起こったと言ってもいいでしょう。
やっぱりアメリカ社会は、無限に多様な複数の空間の集合体なんだと思います。
ただ、アメリカ的な自律した個人は、他の自律した個人の「自意識」を「気遣う」ことをせず、すなわち他者の「内面」に共感することを試みず、ただ表層的でプラグマティックに関わることしかしないということなのでしょう(極端に言うと)。それがアメリカ文化の表層性だと思います。
すなわち、アメリカ的な自律した個人に欠けているのは、個人的な「自意識」ではなく、社会的な「自意識」ということではないでしょうか。
社会的な「自意識」を持つということは、「他人の目を気にする」ことだろうと思います。
もしこの社会的な「自意識」に閉じこもっていたら、人は社会に規定された自己の外部に出て行くことができないでしょう。外部に向かって「行動」し、未知の他者と交流し、「世界を変える」ためには、社会的な「自意識」を一時的に「カッコに入れる」必要があると思います。
しかし、アメリカ人は、そうやって積極的に行動しているうちに、かつて「カッコに入れて」一時的にどけておいた社会的な「自意識」のことをすっかり忘却してしまい、どこかへ置き去りにしてしまったのでしょうか。
社会的にメタな視点から単独的な自己を眺めてみようとすることに、アメリカ的な自律した個人は価値を見出していないのかもしれません。(傾向を誇張するとですが。)
これは、エマーソン的な自立の発想の落とし穴なのでしょうか。
社会が多様すぎると、そこには共通する認識の枠組みがほとんど成立しないため、そこで生活する人々から社会的にメタな視点が消えてしまうのでしょうか。
黒人の人権運動家が、「キミたち(白人)がワタシたちのことを心の中でどう思っているかなんて、問題じゃないんだ。そんなおぞましいことは、知りたくもない。ワタシたちは、ただ外的にハッキリと規定できる対等な権利を要求しているんだ。そうしたら、ワタシたちはその権利を持って、ワタシたちの生きたいように生きる」ということを言うことがあります。
これは、非常に正しい意見であると同時に、非常に寂しい考え方だと思います。
アメリカ人というのは、とても孤独な人たちなのかもしれません。
ここにある一つの問題は、自分のアイデンティティをあまりに確固としたものとして捉えていることではないでしょうか。アメリカ文化では、真理というのは複数あるものだと考えられていたとしても、その一つ一つの真理は絶対的に確立されている感じがします。
アメリカ文化のアイデンティティ・ポリティクスというのは、プラグマティックに到達した真理が流動的であるように、ぶつかり合うアイデンティティの構造にも流動性をもたらすものではないかと私は思っています。しかし、アメリカ文化は、この流動性に対するメタな視点、すなわち普遍的な視点を欠いているように思われます。
ここでちょっと、前回引き合いにだした「NYと東京のホームレス」のことをもう一度考えてみたいのです。
もし私自身がホームレスにならなければならないとしたら、NYと東京のどちらの都市でなりたいか?
ここで、前回の思考の流れが停止してしまいます。
というのは、私はNYでホームレスになりたいとは思わないです。
均質な社会には、序列的な差別も存在しますが、「緩衝材」もつまっていて、そこには居心地の良さがあるのも確かだと思います。剥き出しの生命を生きているようなNYのホームレスは、均質な社会でひっそりと暮らす日本のホームレスよりも、タフな生き方を強いられているような気がします。
内田さんは、多様性に特徴づけられた社会の「水平方向の壁」の構造を説明するのに、「エコロジカル・ニッチ」(生態学的地位)という比喩を使っていらっしゃいました。私はこの考え方に深く頷きます。(ところで、山鹿素行も、士農工商の階級的差異を動物界の生態学的地位にくらべて論じていました。)
しかし、この同じ比喩を使って、ここにもう一つあると思われる問題を前景化できないでしょうか。すなわち、動物界の「エコロジカル・ニッチ」は、人間的な文明性を欠いているという問題です。
「エコロジカル・ニッチ」とは、「多様な生き方の棲み分け」であると同時に、「弱肉強食」の世界でもあると思います。ライオンはシマウマの他者性に敬意を払っているとは思えません。
なぜなら、ライオンやシマウマには社会的な「自意識」がないからでしょう。
これは内田さんが「エコロジカル・ニッチ」という比喩を使って、分かりやすく説明してくださった「水平方向の壁」の問題とはまた別の問題を前景化させているだけで、「水平方向の壁」という考え方自体については、私は深く同意します。
私は、カルカッタとNYに似た空気を感じます。(カルカッタに行ったことなんですけど。)
カルカッタの人たちも、他者に物怖じするすることなく、別世界からやってきた観光客たちと積極的にコミュニケーションを試みます。NYは近代的で豊かなな都市であり、カルカッタは発展途上の貧しい都市であっても、人々がそれぞれの「居場所」を持ち、淀むことなく外部と交流しながら、力強く剥き出しの生命を生きているのに共通したものを感じます。(カルカッタに行ったことなんですけど。)
インドに行った友人からこんな話を聞いたことがあります。インドの街の路上には身分の低い「乞食」が大勢います。彼らの物乞いの態度は「偉そう」に感じられるほど威勢がいいのだそうです。これはNYのホームレスの態度に似ています。インドの乞食にしてみれば、彼らは乞食になることを自由意志で選んだのでも、自由競争から脱落してそうなったのでもなく、乞食という階級に生まれてきたのであって、言ってみればそれは彼らの「天職」なのだと思います。ですから、彼らは乞食であることをを恥じる必要など何もなく、彼らが物乞いをするのは彼らの当然の「仕事」なのです。
私は、インドのカースト制度(って今でもあるんでしょうか?)とアメリカのアイデンティティの棲み分けに、どことなく似たようなものを感じます。
インドのカースト制度もアメリカのアイデンティティの棲み分けも、動物界の「エコロジカル・ニッチ」と違って「文明的」な構築物であり、そこに共生する個人は動物と違い自意識を持っていて、それは弱肉強食の世界ではないと思います。さらに、カースト制度において異なった階級は対等な関係になく、アメリカ社会において多様なアイデンティティは対等な関係にあります。
しかし、両者の「水平方向の壁」には、唯物的に外部と接しているような、表層的な剥き出し感のようなものを感じます。それが、日本の江戸時代の封建的階級制度と違うような感じがします。(って、ものすごいイメージ・レベルの話ですが。)
ただ、そうした多様な個人が人権によって守られているか(アメリカ)、いないか(カースト制度)というのは、決定的な違いでしょう。アメリカは資本主義国家であると同時に、福祉国家です。例えばアメリカのホームレスは、国家から風雨をしのぐシェルターを提供され、食べ物や衣服を支給されています。
しかし、「人権」によってシェルターや食べ物や衣服を与えられている彼らは、「カースト」によって職業や住居を定められている人々と、それほど決定的に違うのでしょうか?
カルカッタとNYと東京の「乞食」は、だれが一番「幸せ」で、だれが一番「不幸せ」なのでしょう?
よく分からなくなってきました。
誰が一番「孤独」なのでしょう? 誰が一番「かけがえのない者」として他者から承認されているのでしょう? 誰が一番「肯定的」に自己の単独性を生きているのでしょう? 誰が一番「愛されて」いるのでしょう?
ここに列挙してみた疑問に限って考えてみただけでも、だれが一番「幸せ」かという答えは出そうにありません。
そもそも、私が彼らの「幸せ」について考えられるのでしょうか? 私にとっての「幸せ」と、彼らにとての「幸せ」は、同質なのでしょうか? 私にとって他者である彼らの「幸せ」を比較するようなことが、私に許されるのでしょうか?
私がすべきとこは、彼らの「幸せ」を比較して認識することではなく、彼らの他者性に対して私自身が「気遣う」責任を負うこと以外ないのかもしれません。
日本文化の「謙遜」や「謙譲」という美徳は、自分が「引いて」相手が「出る」場所を作るということでしょう。これは、まさに他者を「気遣う」ことなのかもしれません。
そういえば、こないだアヤが文化心理学のクラスで、「日本人が謙遜するのは、自分に自信がないからだ」という主張をしているアメリカ人が書いた論文を読んで、それに反論したいと言っていました。「日本人は自分に自信があっても、文化的な美徳として謙遜するんだ」ということを論証したいと。
そのときは、なんか釈然としないものがありながらも、私もアヤの意見に賛成していました。しかし、今になって考えてみると、日本人は確かに「自分に自信がない」のではないかという気がします。そして、それは決して悪いことではないのではないかと。謙遜とは、自分のアイデンティティに確信を持たず、つねに自己を他者性に開くという美徳なのかもしれません。
そのときアヤは、彼女の仮説を「実証的」に証明するためには、どういう実験が考案できるだろうか? と私に相談しました。
学校の課題を手伝うつもりで、私は「まず自信度(self-confidence scale)測定テストを使って、被験者が無意識的に表出させる自信度を計り、次ぎに、被験者が他人に対して意識的に表示する自己評価の度合い(self-presentation scale)を測定するテストを考案して、両者の結果を比較すればいいんじゃない?」とか考えてみました。しかし、そう言いながらも、私は同時に「そもそも、そんなこと実証的に証明できるのかよ」という気もしていました。
実証主義というのも、「A=A≠B」という、メタな視点を持たない「真っ平ら」な世界観だと思います。
こうしたアメリカの実証的な傾向というのは、「実証的に示せないことは、多文化的な他者とコミュニケーションすることが不可能であって、それは個人的な神話でしかない。他者が共生する社会において、具体的な問題を実践的に解決してゆくためには、そんな話をしていても埒があかないし、現実的な変化をもたらすことはできない」という、プラグマティズムの表れなのでしょう。
私は、一面においてこういう考え方に賛成です。しかし、こうしたプラグマティズムというのは、そもそもそういうメタな視点から生まれたものなのではないでしょうか。
もしプラグマティズムがそうしたメタな視点を失ったら、それは最終的に単なる「自分勝手さ」に帰結しないでしょうか?
プラグマティズム自体が目的化し、それが世界を「真っ平ら」にして、他者への「気遣い」を犠牲にすることに何の引け目も感じなくなったとしたら、それは本末転倒なのではないでしょうか?
私たちは、自己の認識を脱構築するようなメタな視点で他者を「気遣う」ために、内面を「カッコに入れて」プラグマティックに行動するのではないのでしょうか。
プラグマティズムという「方法」は、目的を達成するための一種の合理主義でもあると思います。
私がアメリカ社会を見ていて驚嘆と敬服の念を覚えることの一つは、この力強く清々しい合理性です。何か問題を与えられると、アメリカ人は目を見張る行動力を持って、使えるリソースを調べ上げ、適材を適所に配置し、考え出せる批判点を戦わせ、イマジネーションと創造性を発揮し、もっとも現実的にして効率的な方法で最大限のアウトプットを提出します。例えば、ノーベル賞の受賞者数がアメリカにもっとも多いことにも、こういう合理性が表れているのではないでしょうか。
その活動の過程は、効率性を最大限に上げることを求めながらも、同時に基本的人権に配慮し、仲間への愛情を育み、即物的な目的を超えたアメリカらしい美徳に支えられています。その上で、非合理的な煩雑さや受動性を「大人の合意」によってスパスパと切り捨てながら前進して行く潔さのようなものが、そこには感じられます。
しかし、このアメリカ文化の合理性は、暴力性もはらんでいるような気がするのです。
「強い者」には魅力があります。しかし、その強さはどこかで他者を排除していないのでしょうか。それとも、それは他者を排除しないための「強さ」なのでしょうか。
「基本的人権に配慮し」と書きましたが、「人権擁護」というのは、「他者への敬意」とはちょっと違う気もします。「他者への敬意」というのは、明白に主張される権利の確保ではなく、「声なき者」への思いやりなのではないでしょうか。
アメリカ人がよく、日本人が「はあ?」と思うようなことで裁判を起こすことにも、「権利」を主張するのが大好きなアメリカ文化を見ることができるでしょう。
なんでも裁判で解決しようとするというのは、いっけん絶対的な正義の審判を信じているようでもあります。しかし、アメリカでは日本に馴染みのない陪審員制が採用されているのを見ても、彼らは絶対的な正義を信じているというより、「真理というのは相対的であり、そうした複数の真理が共存するためには、自己の真理のスペースを裁判というプラグマティックな方法で確保するしかない」という発想なのではないでしょうか。
彼らは一種の「ゲーム」をやっていると言えるかもしれません。
ネオコン思想も「明瞭な道徳性」ということを言いますが、彼らはこの「近代的な合理性を超えたポストモダンな価値観」を自明の真理だとは思っていません。(ブッシュ大統領はそう思っているかもしれませんが。)
彼らは、この「ピューリタン的な価値観」(ユダヤ人のクリストルがそう言っている)を、「現実主義的」な外交政策によって確保しようとしています。そういう意味では、これもアメリカ的な「プラグマティズム」だろうと思います。(もちろん、ネオコンの現実主義は、「真理」の確立を民主的な方法で行おうとしておらず、そんなことを言ったらデューイが棺桶の中で寝返りをうちそうですが。)
内田さんが、日記にこう書かれていました(9月24日):
もちろん、社会的公正の実現、正義の成就は人間が人間的であるために必須のものである。
しかし、それは原理的に「喧嘩腰」で語られる他ない種類の要求である。
だから、「正義の実現」が「被収奪感を感じている私」を基体とする限り、それに基づいて構築されるいかなる社会理論も、この世界に「親密圏」を立ち上げることはできないだろうと私は思う。
[...]
悲しい話だが、正義の実現と無償の贈与は両立しない。
正義とは「奪われたものを奪い返す」ことを求め、無償での贈与は正義に悖ることとされる。
正義は赦すことを許さない。
人間の人間性は、おそらくこの「社会的リソースの公平な配分」と「非相称的な贈与」に引き裂かれてあるという根源的な矛盾のうちに存する。
収奪は収奪、贈与は贈与である。
この二つは論理的に同一次元には存在することができない。
それを両立させるのは、矛盾を矛盾として生き、引き裂かれてあることを存在の常態とするような人間の成熟だけであると私は思う。
一部のアメリカ人が自己の公正な権利領域を確保するときに示す「自分勝手さ」とは、ここで言われている「正義の実現」なのかもしれません。そして、この「自分勝手さ」に欠けている他者への「気遣い」とは、「無償の贈与」なのかもしれません。
内田さんは以前掲示板のほうで、「正義は必要だが、無償の愛が一歩先を行って、それを牽引していなければならない」という趣旨のことも書かれていました。(私が All You Need Is Love, With a Little Help From Justice って書いたときですね。)
「正義」とは、他者に「無償の愛」を贈るために要請されながら、同時に別の他者を糾弾することを意味する。ここには、「無償の愛」を贈るために「無償の愛」を犠牲にするという矛盾がある。
公正な権利を与えられ人間的に自律した個人とは、他者に「無償の贈与」を受け渡すことのできる者のことではないでしょうか。逆に言えば、公正な権利を享受した人間的な個人は、他者に「無償の贈与」を受け渡すために自律する。
個人が自律するということは、「水平方向の壁」を造るということであり、そうして形成された複数の中心のあいだで、「無償の贈与」の連なりが起動される。しかし、この「水平方向の壁」を維持するためには、「自分勝手さ」が要請されるという矛盾がおきる。
人間的に自律した個人はこの矛盾を生きる責任があり、他者を「気遣わ」ず、ただ「自分勝手」になるために「水平方向の壁」を作るのは本末転倒である、ということでしょうか。
強固でなければ生きられない。優しくなければ生きている価値がない。
If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
と言ったのは、たいへん「アメリカ的な」アメリカ人でした。
彼(レイモンド・チャンドラーの「フィリップ・マーロウ」)は、「正義」についてこんなことも言っています:
ぼくはロマンティックな人間なんだ、バーニー。暗い夜に泣いている声を聞くと、なんだろうと見に行く。そんなことをしても、カネになんかならない──歩合はゼロだ。おもいっきり顔を殴られたり、留置所に放り込まれたり、割のいいカネ儲け目当てのチンピラに恐喝されたりする以外は、なにも得るものなんかない。
I'm a romantic, Bernie. I hear voices crying in the night and I go to see what's the matter. You don't make a dime that way. . . .No percentage in it at all. No nothing, except sometimes I get my face pushed in, or get tossed in the can, or get threatened by some fast-money boy.
そして、宿敵アル・デガルモの逮捕直前に、この腹黒い汚職警官に向かって:
もうキミのことは憎み終わった。憎しみは、きれいさっぱり、ぼくの中から流れ出ていった。ぼくは人を激しく憎むが、あまり長くは憎まない。
I'm all done with hating you. It's all washed out of me. I hate people hard, but I don't hate them very long.
現代のアメリカ社会にも、フィリップ・マーロウはいるのでしょうか。
ハード・ボイルドな文体の美しいデイヴ・ヒッキーは、1997年に出版された美術と民主主義についてのエッセー集の出だしてこう書いています:
二晩前、ぼくは地元のアーティストたちと、かつてカッコ良かったのに、もうそうでなくなってしまったもの──過ぎ去ってしまって残念に感じるものの話をしていた。このアーティストたちはほとんどが若い連中だったので、まったく下らないものを懐かしがっていると思った。アダム・アントとか、女性服の巨大な肩パッドとか。ぼくは彼らに向かって、ぼくが懐かしく感じるのは「単独でいること」(スタンド・アロン)──「単独でいること」が民主主義においてしてもいいことだったという、その考え方だと告げた。「『真昼の決闘』みたいにさ」と説明すると、そのなかの一人がこう言った。「今だってできるでしょ……(効果的な一時停止)……でも、最初にスタンド・アロン支援団体を設立しないとね!」これを聞いて、みんな笑い、ぼくも笑った。おそらく彼女は正しいと思ったから。しかし、ぼくは心から笑うことができなかった。なぜなら、ぼくはちょうどそのとき、この本の校正をしていたから。この本は、ぼく自身の、単独でいることへの最後の小さな試みになっている。『真昼の決闘』なんてものじゃないのは分かっているけど、これらのエッセーは、ぼく自身が20世紀後半のアメリカでしてきた日常の文化体験の特異性を実直に伝えるために──それらの体験のいくつかを記述し、可能なときは説明する責任を負うために書かれた。
Two nights ago, I was talking with some local artists about things that used to be cool and weren't anymore--things that we missed. These artists were mostly kids, so they missed some really stupid stuff, I thought, like Adam Ant and giant shoulder-pads in women's clothes. I told them that I missed "standing alone"--the whole idea that "standing alone" was an okay thing to do in a democracy. "Like High Noon," I explained, and one of them said, "Oh, you could do that today ... (pause for effect) ... But first you'd have to form a Stand-Alone Support Group!" Everyone laughed at this, and I did too, because she was probably right, but I didn't laugh that hard, because, at the time, I was proofing this book, which constitutes my own last, tiny fling at standing alone. It's hardly High Noon, I know, but these essays do represent an honest effort to communicate the idiosyncrasy of my own quotidian cultural experience in the United States in the second half of the twentieth century--to recount some of that experience and, whenever possible, account for it.
2003年9月27日
Two Cheers for America (2): The Second Cheer for Pragmatism(プラグマティズムに万歳二唱目)
「アメリカ賞賛/日本の悪口」の第2弾いきます。
次回は「アメリカの悪口」を書きますので。
前回、アメリカという場所は「水平方向の壁」だらけに感じられるという話をしました。
こういう場所では、そうやって棲み分けられた多様な人々のあいだでのコミュニケーションが非常に重要になってくると思うのです。
多様な他者が共生し、社会的な関係を築き、「理解」し合い、助け合い、さらには多様性を愉しみ、住み心地のよい社会を実現するためには、「とにかく」言葉を交わす必要があると思います。これは相手に「言いたいことが通じるか」とか、相手が「本当は何を考えているか」とか、相手のことを「好き」か「嫌い」かとか、そういう問題ではなく、相手がどんな生を生きているか分からないからこそ、まず話者同士の対等性が前提とされ、このメタな認識に保証されて「とにかく」言葉を交わすということだと思います。そして、そのなかで、他者とコミュニケーション可能な言葉を探してゆくことになるでしょう。
プラグマティズムというのは対話の哲学です。
ドゥルーズは、プラグマティズムの反認識論的な洞察を認めながらも、最終的にこの哲学の考え方を批判しています。ドゥルーズによるとプラグマティズムの難点は、それが最終的には対話によって認識的に均質な「合意」に達することを目的としていることです。「異なった思考は、弁証法的に統一されることなく、そのまま異なった思考として共存させるべきだ」というのがドゥルーズの考え方です。そこでドゥルーズは、そうした認識的な統一を目指すことなく、多様な思考を交流させるための方法論を、言語学で発話の文脈を研究する分野の名前を取って「プラグマティクス」(pragmatics)と言い換えています。
プラグマティクスとは、話者同士のあいだに同一性を求めず、実践的に「とにかく」言葉を交わすことだと考えていいと思います。私がアメリカ文化の肯定的な特徴としてあげたい「プラグマティズム」というのも、この認識論を超えた実践性のことであり、その結果そこに生まれる経験性・実験性(experience)のことです。ちなみに、スタンリー・アロノウィッツによれば、「弁証法」とは2つの思考の単独性を損なうものではなく、両者の単独性を維持したまま、高次の普遍性に上って行く運動のことです。
NYでは、ホームレスたちがよく道行く人たちに話しかけてきます。そして、話しかけられた人たちは、何か一言でも「応えて」、彼らとコミュニケーションします。もし無視して歩き過ぎたりしたら、ホームレスたちは「お高くとまりやがって、無視すんなボケ!」と気分を害すことでしょう。お金をくれと言われて、もしあげたくなければ、無視して通り過ぎたりせず、ちゃんと相手の目を見て、首を振るなり、「悪いね」と言うなり、なんらかのコミュニケーションをすれば相手も「いいんだよ」と納得するわけです。お金をあげられなくても、せめて「挨拶」するのがフレンドリーさの表示であり、相手の存在への承認でしょう。(「カネくれ」と言ってきた相手が、単に「パンク」な中産階級の白人の小僧だったら、私も「働けボケ」という態度で「コミュニケーション」として無視します。)
お金をあげるか、あげないかという問題だと、アジア人というのはお金をあげない傾向があります。これは、アジア人の価値観や世界観の違いでしょう。以前、ホームレスに「カネくれ」と言われて、うっかり黙って通り過ごしたら、すれ違いざまに「アジア人は絶対カネくれねえよな」と言われて、私も常々そのことについて考えていたので、「するどいね、アンタ!」と笑ってしまいました。こうしたアジア人の傾向というのは、やはり私たちアジア人が個人の自律的な能動性というのを信じていないからではないでしょうか。このことについては、次回に考えてみたいと思います。アメリカ人は金持ちになると、大金を慈善のために寄付することが多いですが、ああいうのはやっぱり宗教的な倫理観なのかもしれません。
こうやって他人同士が積極的に言葉を交わすアメリカ社会では、ホームレスでも社会から疎外された感じがしません。東京に行くと、「ロビンソン・クルーソー」みたいなホームレスがいて、びっくりします。街にいながら、無人島の住人のように社会から疎外された感じです。アメリカのホームレスは、格好もこざっぱりしいて、アクティブに社会と関わっている感じがします。ヨーロッパのホームレスは、アメリカと日本の中間という感じで、やはりアメリカよりも社会から疎外されている感じがします。
ヨーロッパの都会人は、日本人と同じように他人を「無視」するところがあると思います。アメリカ人の特徴は、どんな他人でも「見て見ぬふり」をしないということです。日本やヨーロッパのホームレスは、身体に「縦の厚み」を持った汚れが沈殿している感じがしますが、アメリカのホームレスは「横にいる他者」と接しながら生きているため、そういう淀んだ汚れが沈殿せず、新鮮な汚さをしています。この「縦の厚み」が沈殿していない表層的な新鮮さというのは、アメリカ文化の特徴だと思います。
東京に行くと強く感じることの一つは、他人同士がしゃべらないということです。
アメリカ人は行きずりの他人同士でも、ものを尋ねたり、よく言葉を交わしますが、東京で若い女の子に道を訊いたりすると、「なんだこいつ痴漢かよ」って顔をされたりして、びっくりすることがあります。これは私が男だからというだけの問題ではないです。こないだ、こっちの生活が長い日本人の女の子が京都に行って、お寺の境内を散策していたんだそうです。そのとき空気があまりに清涼だったので、おもわず隣りを歩いていたオジサンに「空気が気持ちいいですね」と言ったら、なんだコイツはという顔をして逃げて行ったそうです。私たちは、日本では「奇人・変人・帰国子女」なのです。
これは笑い話ですが、私たちも日本に行くと、こういうふうに他者としての日本人に直面します。
東京でコンビニに入ると、機械的に「いらっしゃいませー」という挨拶が飛んできます。それが機械的なので、客のほうも挨拶を返すわけでもなく、無視します。アメリカ人の感覚だと、あそこで客のほうも「こんにちはー」と言いたいところなんですが、変なヤツだと思われても仕方ないので、私もそれを飲み込みます。ああいうふうに挨拶を機械化するのって、個別的なコミュニケーションを否定されているような気もしないでしょうか。
ただ、マニュアル化された日本のマクドナルドの接客の「丁寧さ」の対極にあるような、アメリカの(一部の)マクドナルドの接客の態度の悪さも、いかがなものかとは思います。アメリカでは、マクドナルドって階級的に最下層の人たちの文化ですから、仕方がないのかもしれませんが。ファースト・フードやコンビニのように、「完全に予期できるものを、どの土地に行っても手に入れられる」というは、「郊外化」と呼ばれる現象でしょう。
さらに、こないだ東京で気になって仕方がなかったのは、切符の買い方が分からないとか、目の前にちょっとしたことで困っている人がいるときに、一言教えてあげればいいものを、黙って「見て見ぬふり」する日本人たちでした。
「こういう劣ったものとは関わりたくない」という、均質的な差別意識が働いているんでしょうか。それとも、日本人は単に他人に対してシャイなのでしょうか。それとも、アジア人特有の受動性なのでしょうか。空港行きの列車をホームで待っていたら、先に前方車両だけが入ってきて、「後方車両は後ほど連結するのでお待ちください」というアナウンスが流れました。すると、近くにいた韓国人の家族旅行者らしき集団が、それを理解できなかったようで、大きな旅行鞄を引きずって前方車両の方へ走り出しました。でも、周りの日本人たちは、彼らが勘違いをしているのが分かっているのに、誰も声を掛けて止めてあげません。(私が声を上げて、一番最後を走っていた男性をなんとか止めました。)
こんなこともありました。電車に乗っていたら老人の集団が乗り込んできたので、席を立ったら、そのなかの老人の一人から「東京の人はやっぱり礼儀正しいねえ」という声が聞こえてきました。私はもちろん「東京の人」だから席を立ったのではなく、「アメリカの人」だからそうしたのです。
最近の東京では、老人に席を空けないのが「あたりまえ」になっていると聞きました。そのときは、隣りに座ってた男の子もつられて席を空けていました。いいことです。誰かがやれば、気づくんですね。アメリカにだって「人助けなんかしてられるか」という態度の人もいます。しかし、もし老人や妊婦や小ちゃな子供を連れた人やハンディキャップのある人が電車に乗ってきたら、誰かが席を空けるのが「あたりまえ」です。アメリカ人は困っていそうな人を見かけたら、率先して "May I help you?" と声をかけます。
これは他者への敬意の問題であり、さらに個人の自律性の問題ではないでしょうか。「それぞれの個人というのは、その人の力ではどうにもならない所与にして固有の苦境を生きているんだから、余裕のある他者がそれを助るべきだ」という感覚があるのだと思います。言い換えると、「自律した個人」は「自律した問題」を抱えていて、それを別の「自律した個人」が助けることによって、こうした「自律した個人」の共同体としての社会は住みやすい場所になるという感覚ではないでしょうか。
「話者の対等性」と同じように、自分には理解できない他者であるからこそ対等であることが前提とされ、相手の心のなかを認識する前に「とにかく」助ける必要があるのだと思います。アメリカ人は、知らない人とよくしゃべるのと同じように、知らない人をよく助けます。そうすることによって、社会はフレンドリーで住み心地のいい場所になるでしょう。
そういえば、アメリカの大学には自主的に参加するコミュニティ・サービスのプログラムというのがあって、アヤがよく街の子供たちに折り紙を教えたり、日本食を作ったりしに行っています。こういう「隣人愛」というのは、やはり「キリスト教的倫理観」なのでしょうか。
東京で、こんなこともありました。やはり電車に乗っていたら、隣りに若い白人の男が座って本を読んでいて、横目で覗いたら "Modernization and Urbanization" とかいう章の題名が見えたので、文系の留学生だろうかと思い、英語が懐かしかったので話しかけました。実際は医学系の大学で英語の先生をしているそうで、アメリカ人だと分かり、目的地に着くまでしゃべっていました。「日本人は電車で本を読むとき、みんな表紙にカバーしちゃってさあ。だれかが自分も興味のある本を読んでるのが分かったら、こういうふうに話しかけて友達つくれるのにねえ。(価値観が均質なんで、読んでる本を見られて自分の趣味をジャッジされるのが嫌なんだよ)」とかいった話をしてたんですが(カッコの中のことは実際には言ってませんが)、人がいっぱい乗ってるのに静まり返った東京の電車内だったので、けっこう目立っていたと思います。向かいに座っていたサラリーマン風のおじさんたちは、「見たら失礼だ」という感じで誰もこっちを見ていなかったんですが、高校生くらいの女の子が1人、恐い顔してずーっとこっちを睨んでいました。
なんだったんでしょうか、あれは。べつにいいんですけど、なんなんだろうと思ったのです。
「大人」というのは、「何あんた?」という均質的で排他的な視線を他人に向けないことでもあるんじゃないでしょうか。内田さんが以前、「予想しなかったことに驚かず、当たり前のことに驚く知性」ということを説かれていて、なるほどなあと思ったことがあります。「ニューヨーカーは驚かない」というのは、よくコメディーなんかでも笑いのネタになるニューヨーカーの特徴です。世界貿易センターに旅客機が突っ込んだって、多くのニューヨーカーは淡々と普段どおりの生活をしていて、私はその驚かないニューヨーカーの姿に驚きました。こっちは気が動転してるのに、オマエらなに裏庭で呑気にジョイント吸ってんだよ! という感じでした。そんな私も回ってきたジョイントを吸いながら、テレビ・ニュースが絶え間なく流す世界貿易センターの映像を見つめ、"unreal..." と繰り返すのでした。(話が逸れました。)
テレビ・ニュースと言えば、日本のテレビ・ニュースを見ていると、メロドラマみたいな効果音とか、「常識では考えられませんね!」というようなコメントが特徴的だなあと思います。
日本人は「インド人もびっくり」なんてことを言いますが、「インド人が驚かない」のは、ニューヨーカーと同じように、彼らがつねに認識の外部を感じながら生きているからではないでしょうか。「ニューヨーカー vs. インド人:びくとも驚かない対決!」なんてモンティ・パイソン的な下らないことが頭に浮かびましたが、うちの近所にはニューヨーカーかつインド人なインデアン・ニューヨーカーがいっぱい住んでます。彼らは最強なのでしょうか。(そんなことはない。)
日本の社会の一部には、「テレビを見ない人」が変人あつかいされるような世界があります。(アメリカの社会には、そいういう世界はありません。)私はこれを、日本の「居酒屋問題」と呼んでみたいと思います。それを特徴づけるのは、恐ろしいほどの視野の狭さです。問題なのは、居酒屋のような空間の内部にある文化的均質性そのものではないと思います。そうではなくて、その文化が自己を相対化するメタな視点を欠いているということです。均質性が内側に閉じきっているのか、外部へ開かれているかという違いと言えるでしょうか。これが「郊外の居酒屋」と「下町の飲み屋」の違いだと思います。そこに異郷の地から流れてきた他者がフラリとが入ってきたとき、杯を交わし、お互いの「人生」について「会話」することができるかどうか。NYでは、バーというのはそうやって他者が交流する場所です。
「日本は子供、アメリカは大人、ヨーロッパは老人」なんてことを言った人がいましたが、東京とNYの街行く人々を眺めて比較したとき目につくのは、それぞれの都市で文化的経済活動の立て役者となっている人々の文字どおりの年齢差です。東京の街では、中高生はじめ、若年層が街に溢れて消費活動をしています。NYの街にも子供の人口は当然いますが、彼らは都市の社会生活において目立たない存在です。なぜなら、まだ仕事をしていない彼らはお金を持っていませんから、お金を使って遊び回れません。アメリカでは、大学生だって普段は勉強が忙しいし、まだ自由になるお金を持っていません。NYの街で「遊んで」いるのは、基本的に社会に出て働いている大人たちです。NYは、文字通り「大人の街」です。
なんか「わーたしの国では」のフランソワズ・モレシャンみたいになってますが。
お金を使って「遊ぶ」こと、すなわち文化的経済活動をするというのは、社会の「ゆとり」の部分です。最低限の衣食住を維持する生活のために働き、必要なものを買うという経済活動ではなく、「余計なこと」や「過剰なこと」のために時間とお金と知性を使うことによって、相対的に自律した「文化」の領域というのは構築されるのだと思います。この「文化」の領域というのは、他者性の問題にもかかわっていると思うんです。この「文化」が他者性を志向するものなのか、そうでないのかというのは、社会全体の雰囲気を決定づけるのではないでしょうか。この領域の形成を、NYでは大人たちが担い、東京では子供たちが担っている感じがします。
NYで日本人の若い旅行者たちを見ていると、彼らは他の日本人旅行者たちに出会ったとき、「げ、日本人だ」というようなイヤな顔をすることがあります。あれもへんだと思います。昔ポーランド人の友人に、「なんで日本人はあんな風にお互いを避け合ってるの? ポーランド人が異邦の地で同郷者に出会ったら、大喜びで盛り上がるよ」と訊かれました。ああいう日本人旅行者たちは、自分の「自由意志」で均質的な日本社会を一時的に脱出し、そうやって自分を差異化した気分になっているときに、同じことをしている他の日本人に出くわすと近親憎悪的なライバル意識を感じるのでしょうか。または、「他者性を満喫しているのに、同一性を感じさせないで」という気分になるのでしょうか。
私は、NYの地下鉄で日本人旅行者がどの電車に乗ったらいいか分からず困っているような場面に出くわすと(NYの地下鉄はヤヤコシイことがしょっちゅう起こります)、遠くにいてもすっ飛んでいって手助けします。「異邦人」の苦労を知っている日系アメリカ人は、慣れないアメリカにやって来て困っている日本の「同胞」を見たら、助けたくてウズウズするはずです。
こないだアヤの大学に留学しているフランス人の学生に、彼が取っていた女性学の授業について「どうよ?」と訊いたら、「まったく驚いちゃったよ」という口調で "So pragmatic!"(「すっげープラグマティック!」)という答えが返ってきました。(これは英語っぽく pragmAtic と A にアクセントを置かず、フランス語っぽく pragmatIEEEc と I にアクセントを置いてさらに伸ばした発音を想像して読んでください。 )ここで彼が「プラグマティック」という言葉で言わんとしたのは、「女性」の問題について認識論的・哲学的に考えるのではなく、実際に女性が社会で直面する経験的な問題をどう解決するかという実践的な話ばかりだ、というようなことでしょう。
こういう傾向は当然先生によって変わってくだろうし、彼が取っていた女性学のクラスが(人文科学でなく)社会科学部のものだったということにも起因しているのかもしれません。アヤのやってる文化心理学も、「文化」という言葉が頭についていながら、すっげー実証的です。(アメリカ的な実証主義の功罪については、次回考えてみたいと思います。)
そういえば、パリでもこんな光景を目にしたことがあります。メトロの階段でお爺さんが鼻血を出して座り込んでいるのに、通行人がみんな無視して通り過ぎて行くんです。あれは何だったんでしょう。ほとんど信じられない光景に思えましたが、なんか私の勘違いだったのでしょうか。私は、パリで嫌な思いをしたことが何回かあります。そんな何回か嫌な思いをするくらい痛くも痒くもないんですが(ウソ、けっこう痛かった)、どうも私はパリというところに不信感があります。機会があったら一度住んでみたいですが。アメリカの南部に、差別的な南部だからこそ他者性について全身全霊をかけてこだわる伝統があるように、ああいうフランスだからこそ「フランス的」なものから逃れようとしている人たちもいるのでしょう。(それに成功しているかどうかはともかく、ドゥルーズとか。)
こないだ私にとってちょっと面白いことがありました。すごい久しぶりにチャットをしていて、フランスの東の外れにあるモン・ブラン近くの街でエンジニアをしているフランス人と話していたんです。感じのいい、知的な人だったので、ふと思い立って「パリの人たちについてどう思う?」と質問してみました。すると、「どこだろうと都会に住んでいる人たちがそうなるのと同じだと思うよ」という、いかにもフランス人っぽい感じのする認識論的とうか、一歩引いてひねったような答えが返ってきました。しかし、その後に彼は、「都会はどこだって同じだよ、ニューヨーク以外は」とつけ加えたのです。
私は彼に自分がNYにいることを言ってはいませんでした。「え、ニューヨーク? どういうこと?」と訊き返すと、以前彼がNYに滞在したとき、この街ではヨーロッパの都市にくらべて人間関係が非常に "light" な感じがしたと言います。「人間関係が "light" ってどういうこと?」と訊くと、「あの街では1日で友達がつくれる感じがした」という答えが返ってきました。人々がとてもフレンドリーだったと。その後に彼はこう続けました:「そして、1日で他人にもなれる。」
1日で友達がつくれて1日で他人になれるというのは喩え話ですが、私はこういう「クールなフレンドリーさ」とか、ドラッグ・クィーン的な「仮面の情熱」みたいな人間関係が大好きです。それは、相手に本質的な理解を求めるのではなく、ただそこに愛があり、それを確認するためにコミュニケーションするような関係だと思います。「所有しない愛」とも言えるかもしれません。ほっておかれたい他人は、ほっておく。しかし、単なる無関心ではなく、助けが必要そうなときは声を掛け、コミュニケーションするときは愛情と共感を持ってする。そこに築かれたものが一種の虚構であることを知りながら、本気で情熱を傾ける。「他者への愛」とは、そういうコスモポリタンな感覚ではないでしょうか。
こんなことを思い出しました。私のNYの友人に、女性が日本人で男性が黒人のカップルがいます。おしどりカップルで、2人ともとてもいい人たちなんですが、彼は日本にも行ったことがあり、たまに日本にいる彼女のお母さんと電話で話をします。お母さんは大変に面倒見のいい東京の下町の「おばちゃん」だそうで、彼のことが大好きなのす。ちなみに彼もNYの下町育ちです。
しかし、お母さんは英語がまったくしゃべれません。そして彼も日本語がほとんどしゃべれせません。最初のうちお母さんは「ゲンキ?」とか簡単な日本語でゆっくりしゃべっているのですが、お母さんの日本語は次第に加速し出し、彼はお母さんが何を話しているのかさっぱり分からないまま、「ウン」と「ダイジョウブ」で相槌を打っています。お母さんは彼が話を理解しているような気分になってしまい、さらに日本語を加速させ、自分の話の内容にゲラゲラと笑っています。そして彼も何だか可笑しいので、つられてゲラゲラ笑います。そうやって、話の「内容」はさっぱり通じていないのに、2人とも愉しそうにゲラゲラ笑いながら30分くらいしゃべり続けているのです。2人の心をつないでいるのは、ただ「愛」だけです。これって「究極のコミュニケーション」だと思いました。極端な例ですが。
この彼はちょっと面白い人で、私は「エディ・マーフィーとジム・ケリーを足して2で割ったよう」って言ってるんですが、なんかちょっとテックス・エイヴリーのアニメのキャラクターのようでもあり、しゃべり出すとジェスチャーつきで暴走して止まらなくなります。でも基本的には穏やかな性格で、とても良い人なのです。私と同い年くらいですが、すごい体格がよく(ベジタリアンで、ジム通い)、外見はカッコ良いのです。こう書いてて思ったんですが、彼の物静かなときのカッコ良さと、しゃべりが暴走したときの可笑しさのギャップって、『マカロニほうれん荘』の「トシちゃん」に似てるかもしれません。「だらしない黒人の文化」が嫌いで(ヒップホップ的なものが嫌いで、ハウス的なものが好き)、いつもキチンとした服装をし、だいたいピチピチのTシャツを着ているんですが、踊っているような物腰のせいかよくゲイに間違われます。
彼はゲイの人たちにもモテますが、さらに黒人のオバチャンたちにすごいモテます。黒人のオバチャンたちは、筋肉美な若い男の子が大好きです。(オバチャンだけでなく、アメリカ人の女の子はみんな "six packs"(6つに割れた腹筋)な筋肉美が大好きですが。)彼と一緒に歩いていると、そういうオバチャンたちが手を振ってきたり、ウィンクしてきたり、そこら中からラブ・コールが飛んできます。でも黒人の男の子はそこで「うぜーよババア」なんて態度は絶対に取らず、にこやかに対応するからいいです。
さらに、彼はすぐにそこら辺の知らない人に話しかける習性があって、週末の街なんか歩いていると、5分に一人くらいの頻度で行きずりの他人と話し込んでしまうのです(!)。こうなると、目的地にもなかなか着けなくて大変です。しかし、そういう彼と一緒に歩いていると、「世の中ってこんなにフレンドリーだったの?」という、世界がいつもと違って見える経験をします。誰かといっしょにいると世界がいつも違って見えるという、こういう体験って愉しいです。それは「他者に外部に連れ行ってもらう」という体験ではないでしょうか。
先日、岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』(2001年)という日本映画をビデオで観ました。そこに出てくる日本の郊外の街の中学生たちが、社会を満たしていながら彼らだけが感じている「エーテル」ということをしきりに言っていて、閉鎖的に行きづまった環境のなかで、その「エーテル」を通して彼らだけの世代的な連帯感のようなものを形成しているんですが、これはまさに彼らの環境を満たしている均質性そのものではないかと思いました。彼らは、他者の目をとおして「エーテル」の外へ出てゆく機会を奪われているのではないでしょうか。彼らは、「エーテル」の外には別世界があることを、気づきさえすれば身近にだって別世界が見えてくる可能性があることを、システマティックに視野から遮断されているような感じがします。ああいう感覚というのは、大人の社会に出る前の子供たちが感じる思春期特有のものかもしれませんが、あの空気は現代の日本の社会全体に漂っているんじゃないだろうかとも思いました。
そういえば、ハーモニー・コリンの『ガンモ』(1997年)という映画を観たときも、似たような空気を感じました。ただ、『リリィ・シュシュのすべて』の行き詰まったような空気にくらべて、私には『ガンモ』が一つの時代の終焉を告げているように感じられました。「ポスト・モダン」とは、「郊外の時代」だったのではないでしょうか。『ガンモ』は、竜巻の災害にあったオハイオ州の郊外の街で生活する子供たちの姿を描いていますが、ロイ・オービソンの "Crying" をBGMに、遠い昔、まだ郊外の生活がユートピア的な夢に溢れていた50年代のデジャビュ感を喚起しつつ、その後展開した20世紀後半の時代が崇高に終焉してゆくさまを、映画の形式によって表しているように感じられました。
こないだの東京で、私も「エーテル」のようなものを感じたことがありました。友人と渋谷のレストランに入ったときのことです。綺麗な店内には多くの客がいるのに、そこは恐ろしいほど静かでした。何か生暖かいもので満たされているような感じで、店の隅々まで、あっちの席も、トイレの中も、目の前にあるお皿の下も、壁の向こうも、何か恐ろしく均質的な「エーテル」で満たされている感じがしました。「出来事」が起こりそうな「すきま」がないのです。もし何か起こったとしても、そこに向けられる均質的な視線によって、あっという間に「すきま」が埋められてしまいそうな感じがしました。
逆に、同じ東京でも、日本語のたどたどしい中国人がやっているレストランに入ったときは、なんだかほっとしました。彼らは日本語が下手であるにも関わらず、話がしやすいのです。彼らは排他的ではないからです。そういう場所には「すきま」がいっぱいあって、息苦しくなく、呼吸しやすいです。NYのレストランと同じです。空気は透きとおっていて、淀みなく、すべてのものがその物質性をさらしています。そんな空間には、そこら中に「すきま」や「陰」があり、つねに何かが起こりそうな一抹の緊張感が漂っています。「出来事」の可能性、他者との出会いの可能性がそこには感じられます。
異物があってもほっておかれる「すきま」、認識できなものが共生できる「ゆとり」、そういうものがない社会は、あまり精神衛生上よろしくないのではないでしょうか。郊外で突発する精神病理学的な犯罪も、こうした抑圧的な空気がときどき逃げ道を失って内爆発を起こす現象ということはないでしょうか。「出来事」とは、認識の「ずれ」であり、抑圧的な空気が張りつめないように外部に逃がすための通路だと思います。「プラグマティクス」というのは、この「通路」を開ける方法論だと思います。
私がちょっと過激な多様性を賞揚しすぎていることは認めます。これは私の個人的な趣味がかなり入っていると思います。
私は、もちろん「この多様性を内包したアメリカこそが世界の中心である」だなんてまったく思っていません。
「NYの人種的多様性」をしきりに強調しているようですが、べつに多様な民族が一カ所に共生している必要があるとも思っていません。
社会が「均質」なこと自体が問題なのだとも思いません。
例えば、日本の漁村や農村では、その社会が「均質」であっても、おそらく郊外のような「内爆発」は起こらないでしょう。きっと漁村や農村の人たちは、外部への通路をたくさん持っているのではないでしょうか。それは崇高なる海や野山かもしれないし、村のお祭りかもしれないし、先祖たちの霊かもしれません。漁村や農村の不変の伝統社会は、外部を失った郊外の均質的社会とはまったく違うのではないでしょうか。日本の漁村や農村では、かつての東京の下町やNYと同じように、人々が外部と背中合わせに生きているのではないでしょうか。リービ英雄は、日本の漁村や農村の人々が、白人である彼に排他的な視線を向けないと書いていました。それは彼らが、均質的な価値の序列を信じておらず、すべての存在は外部の前に対等であると感じているからではないでしょうか。
そして、漁村や農村の伝統社会は「不変」であっても、郊外の近代社会のように「均質」ではないのだろうと思います。きっと漁村や農村では、ぞれその人々にそのコミュニティを構成し維持するための多様な役割分担というのがあって、コミュニティ全体が一つの大きな拡大家族のようになっているのではないでしょうか。それに対して郊外の社会とは、アメリカなら50年代の規格化されたレヴィットタウンに代表される「パパは何でも知っている、コミュニティ活動に忙しいママ、緑の芝生、白い家、一匹の犬」、日本なら「一戸建て住宅、サラリーマンのお父さん、専業主婦のお母さん、子供の受験勉強」、そういった単一構造を持つ核家族を交換可能な「モジュール」的な単位として、どこまでも外部がなく延々と「ミツバチの巣の隔離された小部屋」が並んでいるような世界なのではないでしょうか。
郊外の社会でも、アメリカのようにそこに隣人愛がれば、その社会はコミュニティとして一つの大きな拡大家族のようになり、漁村や農村のように安定した愉しい日常が送れるのかもしれません。しかし、ここでこの核家族的「モジュール」たちが、「受験戦争」や「就職戦争」を始めたらどうなるでしょう。それぞれが規格化された小さな殻に内向し、社会全体の幸せを眺める志向性を失い、均質的な価値基準で差異化と序列化のイガミ合いを始めるような光景を想像すると、出口のない絶望を感じます。
東京の下町で過ごした小学生のころ、同級生たちの家は「カメラ屋、ガソリンスタンド&雀荘、テキ屋[……]、酒屋、日雇い労働、クリーニング屋[……]、魚屋、八百屋、薬屋、雑貨屋、パブ、食堂、古本屋、歯医者、印刷屋」などをしていたと以前書きましたが、こういう世界では、みんなそれぞれの家の単独的な役割というのがあって、「自由競争」をしていません。だれも「どこかに唯一にして完璧なる中心がある」というような意識は持っていなかったはずです。江戸時代にも、そういう意識はなかったのではないでしょうか。明治維新後も日露戦争くらいまで、太平洋戦争後も高度成長期が終わるくらいまで、人々は日本社会のためにそれぞれの役割意識をもって生活していたのかもしれません。(私は歴史の知識がないので、裏付けのない想像ですが。)
均質だと、序列的な差異が気になりますが、多様だと、メタ・レベルに立って根源的な共通性が感じられる。これは例えば、清水の次郎長が言った「死ねば仏だ。仏に官軍も賊軍もあるものか」という言葉に通じるものがあるように感じられます。私たちが根源的に共有しているものとは、「死」という外部なのかもしれません。「唯一にして完璧なる中心」とか、マニュアル的な価値観とか、カタログ的な知識というのは、「不死」への志向性ではないでしょうか。
核家族の良くないところは、お祖父さんやお祖母さんなど、「パパ・ママ」以外の人々と一緒に暮らしていないため、生命の多様な段階にいる他者に触れることができず、さらには人の死を身近に体験することができないというのもあるかもしれません。他者への敬意というのは、家族のメンバーへの愛情と違うようでいて、じつは似たところがあるような気がします。なぜならば、他者への敬意とは、人はだれもが同じように身体や死という外部を共有しており、この普遍性において「家族」みたいなものだと感じることではないでしょうか。逆に言えば、家族のメンバーも他者なわけです。この、家族のメンバーも他者であり、したがって他者もまた家族のメンバーのようなものだという実感は、拡大家族出身の人ほどあるのではないでしょうか。
なんか「日本船舶振興会」のコマーシャルみたいになってしまいました。
それは愛の問題でもあると思います。核家族の内向的な空間の中で「パパとママ」に保護されるだけでなく、拡大家族のメンバーや近所の人たちなどさまざまな人たちに面倒を見てもらった経験がると、自己とは異質な他者を愛すことも容易になるのではないでしょうか。あるいは、おのれが単独的である者は、他の単独的なる者たちに対して愛を感じるであろうと思います。愛とは、他者を欲望する感情であると同時に、他者を赦す「すきま」であり、「ゆとり」でもあるのではないでしょうか。
私はこれを「愛のプラグマティクス」と呼んでみたいと思います。
2003年9月24日
Two Cheers for America (2): The First Cheer for Autonomy(自律性に万歳一唱目)
「タルムード」で始めます。
以前この日記にネオコンについての読書の要約を書いたとき(2003年4月29日)、内田さんがそれへの感想をご自分の日記に書いてくださいました(5月3日)。
私は、それを読ませていただいて「なるほど」と膝をたたき、いつものように内田さんの書かれたことに全面的に賛同しました。
ただ、ネオコンの自由競争のイデオロギーがもたらすであろう社会の特徴として内田さんが説明されたことを読んで思ったのは、「それって、まさに私が現代の日本社会に感じている問題点そのままだ」ということでした。
例えば、こういう社会の特徴です:「均質的な社会集団を『輪切り』にしている『垂直方向の壁』であって、社会を多様化する壁ではない」、「『競争社会』は必ず『マニュアル社会』になる」、「個の多様性やひとりひとりの『かけがえのなさ』への敬意」の欠落、「同一の価値観のもとでトップからボトムまで、ずらりと社会成員が『序列化』されている」。
今回は、そのことについて書いてみます。
日本からアメリカへ移り住んだ人たちの多くが感じることの一つに、「アメリカ人は偉そうにしない」というのがあります。ここで言う「偉そう」とは、「謙遜しない」とか「粗暴である」ということではなく、「相手を見下さない」ということです。
「ワタシはアナタよりも地位が高い」、「優れている」、「美しい」、「価値がある」、そういう「偉そうな態度」をした人に、日本ではときおり出くわします。それと比較したとき、アメリカ人は「偉そうにしない」のが特徴的です。アメリカ社会にも、「お高くとまっている」(uppity)人がまったくいないわけではありませんが、日本社会で見かけるそういう人たちにくらべたら、特殊な存在だと思います。
アメリカ社会では、大学の教授でも、会社の上司でも、美術館の館長でも、どんなに制度的な地位の高い人でも、対話の相手が誰であろうと対等な姿勢でコミュニケーションするのが普通です。例えば、上司でも先生でも「ファースト・ネームで呼んでね」と言うのが、部下や生徒への友好関係のしるしになることにも、これは表れているでしょう。この社会では、上司と部下、先生と生徒といった人たちが、制度的な地位によって定まる権利と責任の関係を持っている以外は、基本的に「友達」のような関係にあります。
こういった対等関係は、会社や学校といった組織での活動においてどちらが上位の決定権を持っているかといった、制度的な地位の上下関係を否定するものではもちろんありません。そういった上下関係において、上司や先生は部下や生徒に向かって「偉そうな態度」を取る必要はありません。「偉そうにしない」というのは、彼らが「敬意を払われる必要がない」ということではく、逆に「相手の制度的地位が低かろうと、独立した人格として敬意を払う必要がある」ということです。
アメリカ人は「偉そう」にしないと同時に、「謙遜」や「謙譲」もしません。あくまで関係が対等なのです。
この「謙遜」や「謙譲」をしないという点が、ときに日本人にとってアメリカ人の態度が「偉そう」な印象を与える理由ではないでしょうか。ちなみに、ニューヨーカーは、アメリカの他地域の人々から、態度が粗野(rude)で不快(obnoxious)だという印象を持たれています。確かにニューヨーカーは、他地域のアメリカ人にくらべて「丁寧さ」を欠いていると思います。しかし、私はニューヨーカーは「正直すぎる」(over-honest)だけで、ある種の慇懃な人たちよりも、ずっと差別意識がなく、相手に対して対等でフレンドリーだと思います。
こういったアメリカ社会における話者の対等性は、「神の元に人は皆平等である」というキリスト教的倫理観に起因しているのかもしれません。しかし、「自由と平等の国」アメリカでは、そういった美徳が規範として存在しているというより、「ある個人が、他の個人より偉い」という観念自体が欠落してしまっている感じがするのです。
アメリカ社会にだって「フレンドリーじゃなくて、嫌なヤツ」というのは、日本に負けず劣らずいると思います。しかし、どんな嫌なヤツでも、「オレはオマエより偉い」という発想は思考回路から欠落している感じがします。アメリカ人というのは、とことん「無意識」なのかもしれません。
この「考えることさえできない」さまは、英語には敬語が存在しないのと構造が似ているかもしれません。「敬語」を使うべきかという規範的な問題以前に、「敬語」というものが英語には構造的に存在しないのです。
これは「構造的な欠如」の類似であって、言語の構造と対人関係の構造に直接的なつながりがあるかどうは分かりません。少なくとも、「偉そうな態度」と「敬語」に直接的なつながりはないでしょう。「偉そうな態度」とは相手への「敬意」を欠いた態度ですが、「敬語」と「敬意」には本質的なつながりはありませんし(「慇懃無礼」というのもありますから)、「敬語」関係の「目上」は「目下」に対して「敬意」を持つべきでないということにはなりません。「敬語」は日本語の豊かさだと私は思います。どんな言語的要素でも、他言語にない要素は、その言語の豊かさではないでしょうか。
昔にくらべて、最近の日本の若い人たちが目上の人たちに向かって敬語を使わなくなっている傾向があるのは、一種の「アメリカ化」なのかもしれません。「戦後民主主義」の産物でしょうか。
しかし、それによって日本社会でも個人が自律し、人々が対等になったのでしょうか? そうではないような気がします。逆に、日本社会はかつてよりも均質化し、それぞれが社会にとって単独的な役割を持っているという意識を失い、単一的な価値基準のもとに他人と自分を序列的に差別化し、他者への敬意を失ってはいないでしょうか。それが、アメリカ人には見られず、一部の日本人たちに見られる「偉そうな態度」の意味なのではないでしょうか。そこにあるのは、かつて神道にあったような他者への畏怖ではなく、狭隘な差別意識や、単なる近親憎悪なのではないでしょうか。
かつて日本とアメリカは異質な社会システムを持っており、それぞれが単独的な自律性を持って機能していたのだろうと思います。だからこそ、明治の人たちは西洋人と対等に渡り合う視点を持ち得たのではないでしょうか。現代の日本文化が「アメリカ化」しているのは、日本人がアメリカ人のように自律したのではなく、かつて日本文化がアメリカ文化に対して持っていた自律性を失うと同時に、日本の人々も自律性を失ってしまったことを意味している部分がないでしょうか。
これは今度「自分勝手さに万歳三唱目は差し控え」について書くとき考えてみたいのですが、「偉そうな態度」が相手への敬意を欠いた態度であることは間違えありませんが、では「対等な態度」は相手に敬意を払った態度なのかと言うと、そうは言えないと思います。
相手へ敬意を払うとは、相手と対等になることではなく、やはり相手より自分を下げることではないかと思うからです。ただ、話者の対等性はアメリカ文化の基本だと思うのですが、ではアメリカ人は相手に敬意を払うことがないのかというと、そんなことはないと思います。「相手の言いたいことを、よく聴く」("good listener" である)というのは、アメリカ文化においても美徳です。
アメリカ的な話者の対等性というのは、個人の自律性という認識に起因していると思います。
アメリカは国家として1776年7月4日にイギリスから独立(independence=自立)し、主権(autonomy=自律)を獲得しました。
アメリカという国家は、言ってみれば当時のイギリス社会の権力構造のなかで抑圧されていた人たち(例えば、宗教的異端者や犯罪者)が「自分の生き方で生きる自由」を求めて「新大陸」に渡り、最終的にイギリスの支配から完全に独立した空間を作ったということです。
ですから、その建国以来アメリカの文化では、多様な生き方をしている個人の「自立」という考え方が、ヨーロッパ的な価値観に抗するアメリカ的な価値観として認識され、賞揚されてきました。「アメリカ的なるもの」の言説化に最も貢献した人物の一人である19世紀の思想家ラルフ・ワルド・エマーソンは、「古きヨーロッパ」に対する「若きアメリカ」(The Young America)を定義するなかで、「自立」(self-reliance)ということを同名の有名なエッセイのなかで説きました。
ここには、2つの概念があります。「自律」(autonomy)と「自立」(independence)という、日本語では同音異義語によって表される2つの概念です。
もともと「自律した個人」(the autonomous individual)という考え方は、市民革命につながってゆく近代ヨーロッパ的な考え方でしょう。エマーソンが説いたのは「自立」であったように、アメリカ的な「自律」というのは、おそらくヨーロッパのそれと違って、「自立」の発想に深く関わっているのではないでしょうか。「自律」というのは、個的な視点から「自らを律する」ということでしょう。それに対して「自立」というのは、「他人に頼らない」という考え方だと思います。「新大陸」に渡ったアメリカ人たちは、「自立しなければ、自律できない」と考えたのではないでしょうか。
私には、ここにアメリカ的な認識論、または「やり方」の危うさがあるような気がします。「自立」した個人は強いです。アメリカの銃規制反対派の「自分の身は、自分で守る」という発想にも、アメリカ的な「自立」の思想がよく表れているのではないでしょうか。しかし、「自立」する強さを持たない者にも、「自律」した視点というのはあるのではないでしょうか?
このアメリカ的な「強さ」の問題については、後でアメリカの問題点について書くときに、あらためて考えてみたいと思います。今回は、日本社会にもヨーロッパ社会にもないと思われる、アメリカ的な自律した個人の良いところにつて考えてみます。
このアメリカ的な自律した個人の良いところとは、まさにアメリカ的な「自立」の思想にある危うさへの自己批判によって見出されたものではないかという気がするのです。
ヨーロッパ的な「自律した個人」という考え方が、アメリカ社会の多文化的な文脈において「自立」の思想へと発展したとき、このアメリカ的な思想の危うさに歯止めを掛けたのは、まさにこのアメリカ的な思想自体が自己矛盾というかたちで内包していた視点だったのではないでしょうか。そういう意味で、そこに端を発するアメリカ的な自律した個人とは、アメリカ社会の独自性に関わっているのではないかと思います。
エマーソンは、たいへん「アメリカ的」な言葉をたくさん書き残しました。例えば、「大胆であれ、最初であれ、異質であれ」(Be Daring, Be First, Be Different)とか、「すべての人生は実験である。実験は多くすれば多いだけいい」(All life is an experiment. The more experiments you make the better)というようなフレーズに、彼の「アメリカ的な」ノリを垣間見ることができるでしょう。アメリカ的な自律した個人という考え方は、エマーソンの自立の思想によく表れていると同時に、彼のもう一つの中心的な考え方である「内なる神」にもよく表れています。例えば、エマーソンはこう書いています:
人食い人種たちの神は人食い人種となり、十字軍兵士たちの神は十字軍兵士となり、商人たちの神は商人となる。
The god of the cannibals will be a cannibal, of the crusaders a crusader, and of the merchants a merchant.
まるで現代アメリカの多文化主義を預言しているようなこの言葉は、同時に、アメリカ的な自律した個人という考え方の危うさも表しているような気がします。なぜなら、「人食い人種に食われる人」はどうなるのでしょう?「十字軍兵士に殺される異教徒」はどうなるのでしょう? ここには、弱肉強食的な自由競争という発想に通じてゆくものがあるような感じがします。最後が、おそらく当時のアメリカ人を念頭においている、「商人たち」になっているのも示唆的です。
アメリカ的な自律した個人とは、アメリカ社会に独自の多文化性という文脈において、ヨーロッパ的な「自律した個人」という考え方を「誤読」したものだったのではないでしょうか。または、ヨーロッパ社会では前景化することのなかった「自律した個人」という考え方にある矛盾が、アメリカ社会に独自の文脈で前景化され、そのなかで生まれたのがアメリカ的な自律した個人だったのではないでしょうか。すなわち、「アメリカ的な問題」とは、「人食い人種と十字軍兵士と商人が、それぞれの自律性を維持したま、一つの社会に共生するにはどうしたらいいか?」ということだったのではないでしょうか。
この「アメリカ的な問題」にアメリカ社会が出した答えは、個人という一つの存在に、「徹底的に単独なレベル」と「徹底的に対等なレベル」という、2つの次元の異なるレベルを見出すということだったのではないかと思います。
個人の単独性とは、計量不可能なものです。平面的な基準によって計量不可能であるというのが、まさに単独性の定義だと思います。この平面的な基準によって比較できないものの自律性を社会が保証するにはどうしたらいいか? と考えたとき、「単独なレベル」とは別の次元に「対等なレベル」が見出されたのではないでしょうか。アメリカの人権運動や司法判断で長らく言われてきた「異なるが、対等である」(different but equal)という言葉が意味しているのは、そういうことではないでしょうか。
人権というのは、平面的に計量可能であることが前提にされているのだと思います。だから裁判所は、その均衡点を見つけて判決を下すことができるのでしょう。この平面的に計量可能なものの設定とは、認識の枠組みの同一化、すなわち「均質化」を意味しています。しかし、そもそも「対等なレベル」で比較計量される人権とは、「均質化」のためではなく、個人の自律した単独性を保証するという「多様化」のために設定されたのではなかったでしょうか?
ここには矛盾があると思います。「単独なレベル」と「対等なレベル」というのは、同一平面上には存在できないはずです。
人権とは、社会的なリソースを奪い合う自由競争をフェアに行うための単一的なルールのことなのでしょうか? そうではなかったはずです。それでは「アメリカ的な問題」の回答にはなっていないと私には思われます。そんな弱肉強食的な世界で、私たちはそれぞれの自律した単独性を他者に認めてもらうこはできないはずです。
人権というプラグマティックなシステムが上手く機能するためには、そこにはつねに同時に、そもそもそれを要請したはずの自律した単独性というメタな視点がなければならないのではないでしょうか。 アメリカ社会の「モザイク」や、そこで彼らが他者と接している姿、どんな相手に対しも「偉そうな態度」を取らず、美徳としてフレンドリーに言葉を交わし、さらに積極的に助け合っている姿を見ていて感じるのは、この2つの次元の異なったレベルの共存です。
アメリカ社会が規定する人権とは、多様な価値観を持った個人(「人食い人種」や「十字軍兵士」や「商人」)を、単一的な価値観のもとで戦わせるための「駒」として規格化するためにあるのではないと思います。そうではなくて、そうした均質的な暴力に抗して個人が単独性を開示し、おのれの仕方で「神」との出会いを果たすスペースを他者から認められるために、人権はプラグマティックに設定された制度なのではないでしょうか。
エマーソンの唱えた「自立」や「内なる神」や「実験」や「外部に向かって腕を伸ばすこと」というのは、このアメリカ的な「ゆとり」を表しているのだと私は思います。
自律した個人という考え方が、ヨーロッパ社会の同一的な文化から、アメリカ社会の多文化的な文脈に移植されたとき、そこに前景化した「アメリカ的な問題」に対してアメリカ社会が出した答えとは、まず多様な個人のなかに、ほとんど究極的に有徴性を削ぎ落とされたような「対等なレベル」を見出すことだったのではないでしょうか。
「アメリカ人」とは、何なのでしょう。
日本の法律では、親が日本国籍を持っている者が日本人となります。アメリカは日本と違い「出生地主義」を取っており、アメリカの地で誕生した者は、だれでもアメリカ人になります。これは親がアメリカへの違法侵入者であろうと、だれであろうと、アメリカの地で誕生した者は例外なくアメリカ国籍を取得するということです。「親の問題を子に押しつけない」のです。ですから、日本人旅行者がアメリカで出産すると、その子は成年してから本人の意思でどちらか一方の国籍を選ぶまで、二重国籍を持つことになります。
こうした発想の違いは、日本の「戸籍」制度にもよく表れています。「戸」=「家」を単位にした身分登録制度を持っているのは、世界中に日本と、かつて日本の植民地時代にその制度が導入された韓国と台湾しかありません。戸籍制度とういうのは、非嫡出子差別・夫婦同姓(戸籍筆頭者=家長)・兄弟姉妹の序列・離婚歴その他の情報の記録など、アメリカ的な人権の観点からするといろいろ問題が多いのです。だから戸籍制度は悪いということではなく、日本社会に固有の文脈では上手く機能しているのでしょう。ちなみに中国では「戸口」という制度が運用されており、「農村人口」が「都市人口」に流入して人口分布のアンバランスが起こるのを妨げるために、国民の移動の自由を制限しています。
アメリカでは、その人権擁護の観点から、個人を不必要に差別化するのに使える情報のカタログ化が徹底的に禁止されています。アメリカには住民登録というのもありません。(居住地を証明する必要があるときには、光熱費の請求書を持参します。)出生・結婚・死亡の届け出はしますが、それぞれが独立して行われ、これらの登録の間では連絡がなされず、個人の身分変動を一覧できないようになっています。出生届けには、子どもの性別も、親の氏名も記述されません。この地で生を受けた者は、親が誰であろうとも、ただ「アメリカ人」というアイデンティティのみを与えられます。
こうしてアメリカ的な人権は、個人という存在のなかにほとんど究極的に「対等なレベル」を見出します。
しかし、それと同時に、アメリカ的な多文化主義やアイデンティティ・ポリティクスは、個人という存在のなかにほとんど究極的に「単独なレベル」を見出します。
個人の対等な人権を徹底的に擁護するアメリカの社会制度というのは、同時に多文化主義というメタな視点を持っているからこそ、うまく機能するのではないでしょうか。また、多文化主義という価値の相対主義が暴走するのに歯止めを掛けるのが、人権という別なレベルなのではないでしょうか。
「個人は単独性において対等である」という言葉を口にするは簡単です。しかし、実際にアメリカで生活すると、この言葉にある矛盾を感じることになります。
アメリカでは、就職希望先に提出する履歴書に年齢や性別といった情報を書いてはいけないことになっています(もちろん人種も)。これは、個人の「対等なレベル」を明示し、さらに「偏見による人種差別をしません」という「カラー・ブラインド」的な価値観を形式的に表しています。
しかし、私たちは仕事場でまったく社員たちの年齢や性別や人種の話をしないわけではありません。逆に、しょっちゅうしています。例えば、私の派遣先の一般社員には黒人女性が数人いるのに、黒人男性はメール・ルームでしか働いていません。(もう会社辞めましたけど。)そこで私たちはそうした事実に目をつむるのではなく、それについてコメントし、その理由について考え、ときには冗談のネタにし、特殊な立場に置かれている黒人の同僚たちに敬意と愛情の念を持って接しています。ここには明文化された平等主義だけでは片づけられない「グレー・ゾーン」があることを、誰もが感じています。
自由競争で均質化することのできない多様な生き方があるのが明かだからこそ、私たちは他者に敬意を払うのではないでしょうか。メール・ルームで働く黒人の同僚たちや、ビル掃除をしているアルバニア出身のムスリムのお姉さんが、単なる「自由競争の敗者」(just another loser)ではないことは、誰の目にも痛いほど明かです。このアメリカ社会の常識を確認するために、私たちは毎日他者を気遣い、愉しく言葉を交わします。アメリカの資本主義社会も単に効率的な「メリット」だけでは動いておらず、いろいろなゆとりがあって、そこには他者への敬意や愛情があります。アメリカの多文化主義が個人の「単独なレベル」を前景化することによって促しているのは、この他者への敬意であり愛情であるはずです。
アメリカには「アファーマティヴ・アクション」という政策があって、これはマイノリティの権利を平等に確保するのではなく、彼らは社会的・歴史的な不利を抱えているのだから、特権を与えて優遇すべきだという考えにもとづいた社会政策です。保守派はこれに反対していますが、企業や学校などの組織は、人種差別防止のために組織成員の人種構成を公的機関に提出することを義務づけられていて、その結果、アファーマティヴ・アクションは事実上の「割合制」(quota)としてどこでも実施されています。そして保守派は、この完全に自由競争を否定したような「割合制」として機能しているアファーマティヴ・アクションに、ことさら異義を唱えています。
アファーマティヴ・アクションの制度は、自由競争のなかで排除されてしまう他者への積極的な思いやりのようでもありながら、単に他者を自由競争に巻き込んでいるだけに見えるかもしれません。しかし、この制度はあくまで一つの「問題提議」として機能しており、誰もそれを「明快な答え」として受け取ってはいないと思います。だから、自由競争的ではない「割合制」として機能しているアファーマティヴ・アクションにも、それが撤廃されるほどの批判は起こっていないのだと思います。
実世界のアメリカ人たちは、アファーマティヴ・アクションに生真面目に抑圧されているわけではなく、みんなメタな視点を持ってそれを受けとめていると思います。むかし美術館でインターンをしていたとき色々教えてもらったんですが、公的機関に提出する書類には、なるべく成員が「マイノリティっぽく」なるように記述するのだそうです。「え、トニーってヒスパニックだったの? お父さんがアルゼンチン出身? ただのアイヴィー・リーグ出の白人じゃんかよー」みたいな話をみんなしています。そういうふうに市民は、明文化された制度からはちょっとずれたところで生きています。
エマーソンが多大な影響を与えたヨーロッパ人というと、ニーチェ、プルースト、ベルグソンなどがいますが(全員ドゥルーズのお気に入り)、ニーチェは『悦ばしき知』の初版の内表紙に、エピグラフとしてこのようなエマーソンの言葉を引用しています:
詩人に、哲学者に、聖者にとって、すべてのものは友好性と聖性を持ち、すべての出来事は有益で、すべての日々は神聖であり、すべての人々は神々しい。
To the poet, to the philosopher, to the saint, all things are friendly and sacred, all events profitable, all days holy, all men divine.
アメリカの文化というのは決して一神教的なのではなく、このエマーソンの言葉が表しているように汎神論的、またはやはりエマーソンが唱え続けた「すべての個人が神である」(a personal god)という考え方が表しているように多神教的なものだと思います。
現代のアメリカの文学批評家としておそらく最も権威があり、アメリカ文化と宗教の関係について長らく考察してきたハロルド・ブルームが、エマーソンと現代アメリカ文化の関係について、たいへん興味深いエッセーを書いています。リンクしておきますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
(ブルームは、70年代にデリダの脱構築理論の影響下にあった「イエール学派」の代表人物の一人と目されていましたが、すぐにデリダ的な文学批評を批判する側にまわり、80年代90年代にポストモダンやPCな言説がアメリカの文学批評を席巻するなか、孤高の「保守派」として文学の「古典の系譜」(canon)を擁護しつづけた人です。ユダヤ人で、フロイトの精神分析理論を使って抑圧と影響の関係を説明する「誤読」理論(misprision)を構想したことで有名です。)
ブルームのエッセーの最初の部分を以下に訳出します:
1803年5月25日生まれのエマーソンは、生誕200年を迎える今日、かつてなく私たちにとって身近な存在となっている。アメリカには、今でもエマーソン左派(ポスト・プラグマティストのリチャード・ローティ)とエマーソン右派(2番目にブッシュ大統領を賛美する、リバタリアンの共和党支持者の群れ)がいる。エマーソンの自立の思想は、人道的な哲学者ジョン・デューイと、ヘンリー・フォード一世(「シオンの長老の議定書」の流布者)の両者に影響を与えた。エマーソンは、今でもアメリカ文化の中心人物であり、アメリカの政治を特徴づけ、さらにアメリカの非公式の宗教となっている。アメリカの非公式の宗教は、一般に容認された意見に反し、キリスト教的であるよりもエマーソン的である。
ブルームの指摘によると、エマーソンの対極にいるは、エマーソンの思想が抑圧されていた1950年代にアメリカ文化の「家父長」であったT.S.エリオットで、エリオットはキリスト教的、教条的、イデオロギー的、非矛盾的、南部的な思考の形態を体現しています。
また、ブルームは「アメリカの精神を形づくるなかで、エマーソンはメイン・ディッシュの肉についてくる狂気じみたサラダを預言した」(In forming the mind of America, he prophesised a crazy salad to go with our meat)と述べて、エマーソンがアメリカ的な素晴らしい伝統を生むとともに、おかしなものも同時に作り出してしまったことを強調しています。いろいろな読まれ方ができるという点で、エマーソンが影響を与えたニーチェに似たところがあるかもしれません。
ブルームは、さらにエマーソンの有名な(「非道徳主義」的な)権力論について考察し、それが「ブッシュ、ラムズフェルド、チェニー、etc.」にもつながっていることを指摘しています。ただ、エマーソン自身は、イラク戦争の原型とも考えられるメキシコ戦争の帝国主義を激しく批判していました。ちなみに、コーネル・ウェストは『アメリカによる哲学の回避』のなかで、アメリカのプラグマティズムの系譜学の巨大な源流にエマーソンを位置づけています。
ブルームが引用しているエマーソンの言葉に、「人間は廃墟のなかの神である」(A man is a god in ruins)と「人間は彼の可能なる姿のこびとである」(man is the dwarf of himself)というのがあります。ブルームはこれをエマーソンが敬愛していたシェークスピアの『ハムレット』と比較していますが、なんかこのイメージって、私がイメージするアメリカ人独特の実存主義っぽいものを感じます。
エマーソンはシステマティックな哲学者というよりエッセイストで、存命中に彼の名を知らしめたのは、アメリカ中(南部を除く)で引っ張りだこだったレクチャラーとしてでした。アメリカのパブリック・インテレクチュアルの原型みたいな人だと思います。もともとユニテリアン教会の説教師で、アメリカ社会のさまざまな問題について語ったそのレクチャーは、霊感的で転向的な力を持ったものだったそうです。エマーソンは日常の聖性を信じていた人で、彼の残したテクストのなかで最も重要なのは、生涯にわたって書き続けた日記です。
先ほど見たように、アメリカ的な個人の自律性というのは、ヨーロッパ的な個人主義にも深く関わっているのでしょう。しかし、ヨーロッパの主体が単一的な感じがするのに対して、アメリカの個人は多様な感じがします。
例えば、「偉そうな態度をしない」という話の延長になりますが、フランスのような場所にはスノビズムというのが存在します。アメリカではスノビズムというのは、アート・ワールドとか一部の狭い世界の内側にたまに見られるだけで、非常にマレです。スノビズムというのは、「ワタシはアナタよりカッコイイ」という価値の尺度が話者同士に共有されていないと、または、そういう価値判断をするために世界を見下ろす視点がないと、実践不可能です。しかしアメリカ文化では、人々があまりに多様な生を生きているため、スノビズムが成立しません。多様な文化的バックグラウンドの人々が対等に共存していたら、そこには均質的な美の尺度は成立し得ないでしょう。
こういう社会には、「ファッション」という現象さえ存在しないのです。「え、アメリカにファッションがない? だってNYはファッションの中心地なんじゃないの?」と思われるかもしれません。しかし、一部の日本人が考えるような「ファッション」は、アメリカには存在しません。アメリカでは、「今はこのスタイルがインだ」というような物語は、狭いファッション・ワールドに関心のある人たちの間だけで語られます。言ってみれは、アメリカではファッションは「サブカルチャー」とういか、"a culture" なのです。ですから、ファッション・ワールド以外の "cultures" は、それぞれ個々のスタイルを持っています。
これは、日本で言う「サブカルチャー」のようなものなのでしょうか? そうではないと思います。
私は、この「サブカルチャー」という言葉が嫌いです。「サブカルチャー」というのはもともと、支配的な文化の下位にあって、支配的な文化の価値観をずらすような、一種の対抗文化として概念化されました。これは、イギリスのような階級社会では、その文化構造を説明する力を持っていたのだと思います。しかし、多文化的な現代アメリカ社会では、まず支配的な文化があって、その下位に複数の「サブカルチャー」があるというようなイメージはしっくりきません。そこにあるのは、ただ複数の自律した「文化」(cultures)であるというイメージのほうがしっくりきます。
そして、日本で「サブカル」という軽薄な言葉で指し示されるものは、一般書店に並ぶ数々の「サブカル系」雑誌の中から自分の趣味に合ったものをピック・アップしたり、情報のつまったカタログの中から自分の好みに合うスタイルを選ぶようなもの、すなわち、交換可能な「モジュール」のようなものであるイメージがあります。
この「モジュール」的なるものは、その内容や模様によって差異化されていますが、全体の構造にとっては交換可能な「同種の部品」であるという点で、同質的なものだと思います。これは言ってみれば、自分の携帯電話にどんなストラップを選ぶか、どんな着メロを選ぶかといったことと同じ構造をしているのではないでしょうか。そこにはいろいろ表面的な差異があったとしても、その差異化は「携帯電話」という同一構造によって支配されています。
すなわち、日本において「サブカルチャー」と呼ばれるものは、多様に自律した文化なのではなく、まさに「支配的な文化」そのものの表出であり、そうやって差異化され価値付けられた「サブカルチャー」とは、まさに均質的な「ファッション」そのものであるように感じられるのです。
日本では、支配的な文化が「今これが流行っています」と言うものを多勢が消費することによって、均質的な「大衆」が生産されているように見受けられます。これは服装のファッションだけでなく、知のファッションでも、何でも、日本社会に見られる「流行」一般について言えると思います。
「支配的な文化」自体が悪いと言っているのではありません。それを相対化する視点の欠落からくる排他性が問題だと思うのです。
アメリカ社会にも、もちろん文化的スタイルの変化や、一過性の流行(fad)はあります。しかし、人々がそれをとらえる姿勢に大きな違いがあると思います。アメリカ文化にとって、そうした流行は「社会現象」であって、「価値基準」ではありません。なぜなら、人々が文化的に多様であるため、価値の尺度が共有されていないからです。お互いの趣味を知っていれば、「誰それの新曲聴いた?」とか「あの曲流行ってるね」とか、そういう話はもろんしますが、「流行っているから」という均質性自体に価値をおいたような物の考え方を、アメリカ人はしません。というか、できません。アメリカ人に向かって、「流行っているから」というよなことを言ったら、白い目で見られるでしょう。
東京へ行くと、一部の人々の「ファッショナブルな均質性」にびっくりします。これは単に一部の人々が「同じような格好をしてる」ということではありません。「タジキスタン人は、みんな同じ民族衣装を着ていて気持ち悪い」なんて、もちろん思いません。タジキスタンの人たちは、自分たちの文化の単独性をよく理解しているでしょうし、だから他の単独者に対しても敬意を払うのではないでしょうか。(想像ですが。)また、イスラム原理主義国家の人たちから見たら、「アメリカ人は、みんな自由主義国家の人たち特有の格好をしている」のかもしれません。私が気になるのは、カタログ的・マニュアル的な価値観によって、「みんなと一緒になりたい」という排他性に特徴づけられた「ファッション」です。そういう感性を、かつて都会人は「田舎者」と呼んだのではないでしょうか。(地理的な田舎に住んでいる人たちには失礼な言い方ですが。)
NYにも、もちろん「ファッショナブル」な人たち(ファッション・ワールド的なお洒落をしている人たち)はいます。こうした「ファッショナブル」な人たちが排他的かどうかは、彼らが他者に対してどういう態度を取るかを見れば分かると思います。NYでは、どんなに「ファッショナブル」な若い女の子でも、相手がホームレスだって対等にコミュニケーションします。「やだー、何この人、キタナーイ」なんていう均質的で排他的な態度は取らないのです。アメリカ人のこうした態度というのは、じつに気持ちがいいです。
そういえば以前、日本文学の研究をしていて日本語がぺらぺらのゲイのアメリカ人が、日本でゲイ・バーへ行くと、みんなが「なんとか系」「かんとか系」という「系」という差別化をやたらしていて、それが良い気分ではなかったと言っていました。これも日本の「サブカル」と同じ構造をしていると思います。ただ、私は単一的な構造で差異化を行うこと自体が悪いと思っているわけではありません。そうした差異化のシステムこそが、自律した文化なのだろうと思います。日本の「サブカル」だって「なんとか系」だって、それ自体が悪いとは思わないです。逆に私は、そういう表層的で形式的なことが大好きです。問題なのは、それが表層や形式であることを理解していないことだと思います。すなわち、自己の文化に対するメタな視点を持っていないことです。そうした視点を持っていれば、他人を差別的に排除せず、自己を他者性に開くことができるのではないでしょうか。
東京へ行くと、社会が「郊外化」して均質になり、そのなかで自分を差異化しようとしている人々がイガミ合っているんじゃないかと感じることがあります。均質的な価値の尺度によって、「オタク気持ちわりー」とか、「ババアうぜー」とか、「オヤジきたなーい」とか、「勝ち組」だあ「負け組」だあとか、そうやって世界を序列化し、自我を安定させ充足させようとしているようなものが目につきます。物事を「勝ち負け」で判断するのは、是非とも止めてもらいたいです。アメリカ人も同類のことを "loser" とか言ってバカにすることがありますが、超えられない「水平方向の壁」の向こうにいる他者の場合は、そうやってバカにすることはできません。
もうお分かりだと思いますが、私が内田さんの分析を読んで思ったのは、アメリカ文化の「異なるが、対等である」という話者同士の関係が「水平方向の壁」によって構造化されており、それに対して、一部の日本文化の排他的なコミュニケーションを構造化しているのは「均質的な社会集団を『輪切り』にしている『垂直方向の壁』であって、社会を多様化する壁ではない」のではないかということです。
こないだアヤに言われて、「そう言われれば、そうだ」と思ったんですが、日本には身体障害者(コビトとか)の芸能人というのがいないですよね。身体障害者の人たちがテレビに出てきても、「哀れみの対象」としてであるような気がします。『ハワード・スターン・ショー』なんかが端的だと思いますが、アメリカでは身体障害者が健常者と同じように、単独的な欲望や煩悩や「とほほ感」を持った個人としてメディアに出てきます。彼らには、「ニーチェ的な強さ」のようなものがあるように感じられます。歴史的な知識がないので、これは想像ですが、日本でも江戸時代とか近代以前は、近代で言う「身体障害者」が哀れまれたり隠蔽されたりせず社会に共生していたということはないのでしょうか。
現代の日本社会では、多くの人たちが、世間には「どこかに唯一にして完璧なる中心がある」というのを信じさせられてしまっているのではないでしょうか。それは「東京」だったり、「東大」だったり、「エリート企業」だったり、「アメリカ」だったり、「白人のモデル」だったり、さまざまですが、自分とは離れたところに物事を序列化している基準があると感じさせられてしまっている人が多くはないでしょうか。そして、そのどこかにある中心と自分との「距離」に疎外感を持ってしまっているという。逆に、その中心にいる人たちが「偉そうな態度」を取ったり。
言ってみれば、エマーソンのように「すべての場所に神がいる」のではなく、T.S.エリオットのように「唯一絶対の価値基準がある」のではないでしょうか。ドゥルーズはじめ、多くの人たちが「身体性」とか「唯物性」といった概念を使って批判しようとしたのは、この「中心への距離」としてのイデオロギーだろうと思います。「中心への距離」が、人々を序列化するのだと思います。
例えば、日本の「田舎」出身の人たちには、ご自分が田舎出身だということに強い引け目を感じてらっしゃる方がいます。こういった意識というのは、現代の日本文化の不健康さを端的に表しているような気がします。アメリカ人だったら、サウス・ダコタ州の辺鄙な村の出身者でも、こういう引け目はまったく感じていないでしょう。きっと自分の村に誇りを持っているだろうと思います。日本の田舎出身たちを責めているのではありません。もし私が日本の田舎出身だったら、きっと同じように感じていたでしょう。問題なのは、東京を含めた現代日本の「中央集権」的な文化だと思います。ただ、以前話題にしたリービ秀雄の観察によると、日本でも漁村や農村へいくと、この序列的な文化意識がなくなるようです。
日本の知識人を見ていても、人気があるのは、網羅的に何でも知っている人、どんな異論者でも論破できる人、「お勉強が良くできてクラスでトップの人」みたいな感じではないでしょうか。アメリカでは、こういうサイボーグみたいな人たちは信用されません。
中心がどこか別の場所にあると認識すると、「かけがえのない自分の役割」というのが見えなくなってしまいます。それと同時に、すべての他人に「かけがえのない他者の役割」があることも見えなくなるでしょう。すなわち、この「かけがえのなさ」において、すべての個人は対等であるということが感じられなくなってしまう。
こないだ、日本で「引きこもり」だった男の子を紹介されました。彼は地方の医者の息子で、彼をどうにかしてあげたかったご両親に経済的に支えられて、NYで生活を始めたのだそうです。そして、NYに来たら、彼は「引きこもり」ではなくなったそうです。しかし日本に戻ると、たちまちまた「引きこもり」が再発するのだそうです。個人の自律性が行動の動機となり、価値の尺度となるため、どんなに「ヘンな人」であろうと差別も干渉されないNYにいると、街に出て社会的な生活ができるのに、「世間」が行動の動機となり価値の尺度となる日本に帰ると、途端に恐くて外に出られなくなるようです。
この彼の場合を見ても分かるように、「個人の自律」というのは個人の努力で達成できるようなものではなく、それを可能にする社会のネットワークに投げ入れられなければ獲得できないものなのかもしれません。個人は真空に浮かんでいるわけではなく、自由意志によって「絶対的」に自律することはできません。それはあくまで、「相対的」な自律を社会の制度や価値観がどれだけ可能にするかという問題だと思います。多様な自律性を許す「ゆとり」が社会にあるのか。すでに社会に多様な自律性が存在し、後続者のために「選択肢」を示し、個人がそうした自律性の「ハブ」から「贈り物」を受け取れるかどうかではないでしょうか。そうした多様な自律性は、社会の中でさまざまな役割分担をし、さまざまな生き方の可能性を示し、社会のネットワークを形成するのだと思います。
ちょっと一方的な日本社会の罵倒をしすぎているかもしれません。
なんか「悪口のための悪口」みたいになってくると、書いてる本人が「外部への通路」を失って自家中毒を起こして、精神衛生上よろしくありません。
私はこの15年間で、だいたい毎年2週間しか日本に滞在しておらず、長いときは4年間日本へ行っていません。それ以外は、こっちのケーブル・テレビでやっている日本語放送や(日本で放送された番組をやっている)、レンタル・ビデオや(私はたまにしか借りませんが、NYには日本のテレビ番組を録画したビデオを貸し出しているレンタル・ビデオ屋が何軒かあって、ニュース、バラエティー、ドラマといったジャンルを問わず、主な日本のテレビ番組はすべて見られます)、そしてインターネットを通じて見えてくる「日本」が私の祖国のイメージを形成しています。
そういうメディアを通じて見えてくる「日本」は、アメリカにはない良さを持った国で、日本人って良いなと思うし、日本の社会も愉しそうだなと感じることは多いです。
今の日本の社会は、私が思春期を過ごした80年代の日本にくらべたら、多様化しているのかなとも思います。柔道の世界選手権に頭をオレンジ色に染めた日本選手が出てきたりするのをアメリカのテレビで見ていると、こういうのこそが「日本人らしいお洒落」、「日本人が持っているイキの感覚」ではないかと感じてしまいます。(ほんとか?)日本の伝統美術に見られる「飾り」の精神、表層的な形式美、これは外国人の目から見ると日本文化の最も魅力的な美徳のひとつだと思います。(あはは、オリエンタリズム入りすぎでしょうか?)「外国人の目」というのは単なる偏見ではなく、日本人が日本文化について考えるとき、すなわち日本文化の内側からちょっと外に出て日本文化を眺めるときに必要になる「メタな視点」の別名でもありましょう。
最近の日本では、髪の毛の色をさまざまに染め上げている人が多いようですが、あれは私の美的趣味にはとても「目に優しく」、感じが良いです。あと、あれは80年代リバイバル風ファッションなんでしょうか、最近の日本人の服装がカラフルなのも、私には「目に優しい」です。以前は日本へ行ったとき、真っ黒く無数で匿名的な頭をした、地味で単色的な服装の群衆を目の前にすると、思春期に日本で体験した校則が厳しく均質性の極みのようだった中学校の朝礼がフラッシュバックして、クラクラしていました。それにくらべると、最近の日本のファッションの「カラフルさ」(高揚的な多色性)はNYに近いものが感じられ、私には「目に優しい」です。でも、これらも単に、均質的な「ファッション」なのかもしれません。そういういろんな日本人と実際に会話をしたことがないので、彼らのノリは分かりません。
たまにインターネットで「ああ、最近の日本には、こういう単独的で愛のある、面白い子がいるんだな」と思うような個人サイトに出くわすと、日本の印象がイッキに良くなります。ちょー単純。
ちょー単純ですが、最終的に他者との出会いというのは、そういう個別的な出来事でしかないと思います。
アメリカではよく、子供たちにとって「模範になる人物」(role model=役割モデル)の重要性というのが説かれます。例えば、インナー・シティーのゲットーで、貧しい子供たちの目の前にある生き方の選択肢というのは限られており、その中から彼らの多くはドラッグ・ディーラーになってお金を稼ぐことを選び、最終的に悲惨な最期を遂げるというようなことが起こります。これは、彼らの環境にある均質性がもたらす問題と言えるでしょう。もし彼らの目の前に、同じゲットーの出身者で、奨学金をもらって専門学校へ行き、社会に認められた専門職について経済的に成功している人物がいたら、それは彼らにとってゲットーの均質的な文化の外部へ出て行くことが実際にできる可能性として、一つの選択肢を示してくれるでしょう。「模範になる人物」とは、私たちを自己の均質性の外部へと導いてくれる、単独的な他者のことだと思います。
同じように、私が今もっている日本についての均質的な認識は、ある人物との個別的な出会いによって外部へと導かれ、すっかりその認識の枠組みを変えてしまうということが起こります。(例えば、私にとって内田さんがそうだったように。)自律した単独者というのは、そうやって私たちを外部へと導いてくれる存在なのではないでしょうか。
なぜ個人は自律すべきなのか。それは他者に贈り物をするためではないでしょうか。
2003年9月21日
Two Cheers for America (1): Before Starting(始める前に)
今日から数回にわたり「アメリカに万歳二唱」と題して、私がアメリカについて思うことを書かせていただきます。
アメリカを離れる前に、今の自分の視点の「記念撮影」として書き留めておこうと思いました。
万歳一唱目は「自律性」に、二唱目は「プラグマティズム」に、三唱目は「自分勝手さ」のためにナシ、という構成でいこうと思います。さらに「アジア系アメリカ人」について書いて、終わります。
最初の2回は、アメリカ(というかNY)について褒めちぎらせていただとうと思います。それと同時に、現代の日本(というか東京)について罵倒させていだきます。ですから、読んでいただいて、たいへん気分悪く感じられるんじゃないかと思います。
すみません。
今回は、それを始める前に「なんで私は、こんなことを、ここに書き連ねたいのか」という説明をさせてください。
まず、私が日本人であるということについて。
アメリカにいると、自分はつくづく日本人だと感じることがあります。自分の意外な「日本人性」を発見するんです。これは、自分が意識していた「日本人性」のことではなく(会ったら分かりますが、たぶん私はバリバリの日本人です)、自分が予期していなかったところに自分の「日本人性」を発見して、クラクラすることがあるのです。
ですから、私は日本を自分の身体の一部のように感じ、祖国に愛情を感じています。
しかし、こうした自分の「日本人性」の発見は、日本への帰属感や親愛の源にもなりますが、ときとして近親憎悪の原因にもなります。
私は「日本人がこうするのは、こういうことだ」と書くとき、その「日本人」の気持ちがよく分かっています。だからそれが説明できるのです。そのとき、私にとって日本は他者として立ち現れていません。私がこの自己同一的な認識を疑い、(自分の一部でもある)日本という他者に開かれるためには、これから具体的な日本に出会うしかないと思います。日本に住んだら、私は自分が知らない日本の良いところを探し求め、いろいろ発見してゆくでしょう。
私がここに書く日本の悪口は、自分は日本人だという「身分証明」を捨てることなく、それを言い訳の担保としてポケットにしまったまま、アメリカ人という外部の視点に寝返り打って言いたい放題言うという「ズルい戦法」のように思われるかもしれません。
しかし、できたらそうでなく、これは日本を自分の身体の一部だと感じている私が自分自身に向けた批判や願望の表れとして読んでいただけたらありがたいです。
次ぎに、個人的な状況の変化の問題。
もうほとんど覚えていないような昔の話ですが(私は物忘れが激しいのです)、アメリカに来たばかりの頃には、私もこの社会にいろんな違和感があって、ずいぶん批判的にそれらを捉えていました。いま日本を批判しているのとまったく同じような口調で、アメリカを熱心に批判していたと思います。私もつくづく無反省な人間です。
しかし、「住めば都」と言いますが、どんな場所でもそこでしばらく生活してみると、そこには美徳や汚点があり、笑いや悲しみがあり、愛情や悪意があり、そうした微妙で複雑な生きた経験のなかで、人はその社会に愛着を持ち、住み心地のいい「自分の居場所」を見つけるのではないでしょうか。もちろん人には特定文化との相性というのもあると思いますが、そうやって私はアメリカで生活しているうちに、いつの間にか「アメリカ的なるもの」をすっかり愛すようになっていました。
これは、それまで私の知らなかった「アメリカ」の発見でした。
親密な人間関係、大きな社会性、美意識、倫理観、学問、歴史、美術や音楽といった文化的生産物。そういった「アメリカ的なるもの」を発見し、そこに私は底なしの可能性や魅力を感じるようになっていました。それは私にとって啓示(revelation)でした。
しかし、日本への再移住が決まるまでの15年間、私は日本が嫌いになったことは一度もありませんでした。つねに、「日本にはアメリカにない良いところと悪いところがあり、逆にアメリカには日本にない良いところと悪いところがある」と思っていました。
今になって思うと、この信念は倫理的な選択、または戦略的な発想だった部分があるような気がします。私はいつか日本に戻るつもりでしたから、日本を嫌ってしまうのは危険だと感じていました。「日本的感覚が理解できない人」になってしまったら、あの均質的な社会では二度と生活できなくなってしまうという不安がありました。(同じように、他方では、「アメリカで生活しているんだから、アメリカの魅力を見つけたい」という欲望もあったでしょう。)
そして、倫理や知性の問題として、アメリカが一番だと思っている視野の狭い「バカなアメリカ人」になってしまってはいけないと思っていました。
15年ぶりに日本に移住することが決まったら、この視点が「ひっくり返って」しまったんです。何かが自分の中で崩壊してゆくような感じがしました。
私にとって日本は、「旅行」するには最高の場所でした。
アメリカから訪れると、日本はとてもエキゾチックな国です。目新しくて面白いもの、物質的に豊かなものに溢れ、食べ物は美味しいく、細かいことは便利に工夫してあって、人々の態度は丁寧──80年代にNY在住の映画評論家J.ホバーマンが「この世のパラダイスだ」とその印象を書いていたような日本でしょうか。さらに私は言葉も通じるし、日常生活の細かいことは分からなくなっていても、社会のシステムはだいたい理解しているので困らない。たまに旅行するのに、こんなに愉しい場所はありません。
しかし今年の2月に日本へ行ったとき、そこはこれまでのように「一時的な滞在地」ではなく、「もうすぐ住む場所」でした。「旅人の視線」と「住人の視線」というのは、決定的に異なると思います。そこが「非日常的な空間」なのか、「ホーム・ポジション」なのか。休暇で訪れた温泉地がとても居心地よくても、もしそこに住まなければいけなくなったら、その土地に対する感情は変化するでしょう。
今回の日本滞在中、「日本もいいもんだ」ということを見つけようとしても、いつものようにそれができませんでした。「アメリカのああいうものがない、こういうものもない」という「欠如」ばかりが認識されてしまいます。これは明かに、私の視点に生じた変化のせいです。「アメリカを離れることによって失うもの」への未練が、私の視点を支配してしまったのでしょう。
そういう意味で、今の私は反動的です。
追い打ちをかけるように、日本の友人たちは、会う人、会う人、口をそろえて「なんで今の日本なんかに帰って来るの? 今の生活をアメリカで続けたほうが絶対いいよ」と言うし、アメリカ人の友人たちも口をそろえて「なんで日本に帰るの? 帰らなくちゃいけないの?」と哀れんだ目で言うし(彼らには、私にとって日本のほうが生活しやすいという可能性は想像できないらしい)。唯一、「日本に行ったって、それはそれで、きっと良いことあるよ」と言ってくれたのは、アメリカにる日系の友人たちでした。
以上は個人的な状況の問題ですが、さらに歴史的な状況の問題。
今アメリカは、世界中の人々から嫌われています。
それには正当な理由があると思います。しかし、こういうときだからこそ、アメリカの良いところも強調しておきたいと思うのです。
私は、自分を受け入れてくれて、自分を「育ててくれた」この国に感謝しています。
いろいろな人々に出会い、さまざまな出来事に直面し、驚いたり、悩んだり、泣いたり、笑ったりしながら、私が20代のすべてを過ごしたこの「青春の地」を離れることになった今、感謝の念が向かってゆくのは「アメリカ」という国であり出来事です。私がここで経験したことは、アメリカという場所だかこそあり得たのだと感じます。"Only in America!"──これはプエルトリコ出身の会社の同僚の口癖でしたが、今ふとその言葉が頭に浮かびました。アメリカにおいてのみあり得ること。
私はこの文章を、15間お世話になったアメリカへの至極私的な「お礼」として書くことにしました。
もし日本が外国人の労働者や留学生に感謝されることがあったならば、きっと彼らは日本のために何かしてくれるのではないでしょうか。(そんな単純じゃないか。)そうした「歓待」は、アメリカが自らどんな国になりたいかと考えたときの「戦略」でもあると思います。
最後に、私は内田先生の「店子」としてここに書かせていただいているという点。
私にとって内田さんの文章との出会いは、天啓(epiphany)のような出来事でした。それまで気づかなかったことに気づかされるような体験であると同時に、それまで感じたり考えたりしていたことが一つの明晰なことばによって見事に説明されるような体験でした。
なかでも私にとって大きかったのは、「日本的なるもの」の素晴らしさを、私にも理解できることばで教えてもらったことです。それは私にとって「もうひとつの日本」の発見であり、たいへんタイムリーな出来事でした。さらに、私がアメリカに対して不満に感じていながら、説得力のある言葉にできなかったモヤモヤしたものを言い当て、批判できる手掛かりも与えてくださいました。
その内田さんのことばは、フランスの現代思想というフィルターを通して日本を読み解くのではなく、その「他者のことば」から普遍的でメタな問題を抽出しつつ、「日本的な」単独性と美しさを体現しているという、「どんでん返し」のような思考であるように私には感じられました。
これは例えば、小津安二郎の映画が、ハリウッド映画の様式から普遍的でメタな問題を抽出しつつ、「日本的な」単独性と美しさを体現しているのに似ているかもしれません。「ハリウッド映画を水で薄めてイデオロギー化したようなもの」ではなく、単独的であることによって普遍的な魅力を獲得しているようなものです。
内田さんのような方が日本にいると知ることができて、私はたいへん勇気づけられました。
内田さんの視点を通して見えてくる「日本」の愉しそうなこと! だから私は内田さんのウェブ日記を英訳してアメリカ人にも読んでもらえたらと夢想したりしました。この魅力的な日本を知ってくれ! この批判を読んでくれ! と思いました。
私は日本語の文章を読んだとき、これは英訳してアメリカ人に読ませたら面白がるだろうか、というふうにしばしば考えます。私は読書量の少ない人間なので、日本語の文章自体あまり知らないのですが、内田さんの文章ほどアメリカ人に読ませたら面白いのではないかと思った文章はありません。アメリカ人の内田ファンなんていたら最高じゃないですか。
内田さんは「私はアメリカという国が嫌いだ」とはっきり言われていますが、私はアメリカという国が嫌いではありません。しかしここでアメリカが好きか嫌いかなんていう「内容」的な食い違いは、どうでもいいように感じられてしまうんです。(本当は核心的な問題なのかもしれませんが、今のところそう感じます。)
日本人がアメリカの悪口を言っているのを聞くと、この差別主義者が、このイデオローグがと、腹が立つことがあります。でも、内田さんがアメリカの悪口を言っているのを聞くと、私はニコニコしてしまいます。なんか私は大きな勘違いをしているのかもしれません。
内田さんのおっしゃっていることはメタなレベルで正しいと受け取り、そこで内田さんに学んだことから「私のアメリカ」について勝手なことを考えてしまうんです。ああ、アレサ・フランクリンは R-E-S-P-E-C-T って歌ってたなあ、とかですね。作詞はオーティス・レディングです。
私はそれくらい多大な影響を内田さんの文章から受けていますが、その内田さんの文章を読んでいると、私とはずぶんタイプの違う方だなあと思うことも多いです。そういうふうに比較するのもおこがましいですが。私は、しょせんなっても内田さんの「非嫡出子」(bastard)だなあと思います。でも、私には、まさにその違いが心地よくて、そこに影響受けまくりなんです。他者の単独性に普遍性を感じるっていうのは、こういうことだと、まことに都合の良い解釈をさせてもらっています。
私が大尊敬し、おっしゃることにはすべて正しさを感じてしまう、日本を愛しアメリカを嫌う「大家」さん。私がそういう「大家」さんの「店子」として、自分の感じているアメリカの長所と日本の欠点を述べさせていただければ、私が自分の毒気や偏見や悪意に自家中毒を起こしてしまうのを、内田さんのオーラによって妨げていただけるのではなかろうかという、そういう他力本願な気持ちがあります。
では、前置きを終わります。
2003年9月18日
On Race (2): Race as Concept(概念としての人種)
前回は、私の個人史的な文脈における「人種」について書きましたが、今回はもうちょっと一般的な「人種」という概念について書いてみようと思います。
なんで一般的なことを書いてみようと思ったかと言うと、私が「人種ばなし」をするとき、「そんなのステレオタイプじゃないか」と言われることを予測して、それへの「言い訳」を先取りしておきたかったからです。おそらくすべての「言い訳」がそうであるように、この「言い訳」も読んでいて面白くないと思います。
ただ、「歴史というものは存在しない、あるのは伝記だけである」(There is no history, only biography)と書いたのはエマーソンですが、私の考える一般的な「人種」という概念も、私個人がアメリカという特殊な場所での経験をとおして考えたものです。以下に抽象的でつまらない話をいろいろ書きますが、そういう実体験的な部分だけは読みやすいかもしれません。
さて、10代の私がはじめてアメリカにやって来て生活を始めたとき、この社会ででくわした多くの事象に違和感を持ちましたが、そのなかでもっとも強い違和感があったのは「人種の棲み分け」でした。
「この人たちは同じ社会で肩を並べて暮らしているのに、なぜ混血しないんだろう?」というのが不思議で仕方ありませんでした。
アメリカ社会では、アイデンティティを分節された人種間で「混血」が起こるのが比較的めずらしいことです。もちろん特別めずらしいことではありませんし、個別的な人種による格差もあります。また、アメリカでの「異人種間結婚」(inter-racial marriage)は、過去数十年で急増しているという統計もあります。しかし、ある人種のメンバーが他の人種のメンバーと結婚することを "marry out"(「外へ結婚する」)と言いますが、アメリカ社会では、それぞれの人種が「内側」を持ったコミュニティを作り、「外側」と混ざることなくアイデンティティを維持してゆく傾向があります。
かつてNYは「人種のるつぼ」(melting pot)と呼ばれました。しかし、「るつぼ」というのはすべてがグツグツ煮えて溶け合っている状態を表します。そこで、多様な人種が「混血」せずに「棲み分け」られている実状を表すには「人種のモザイク」(mosaic)と言ったほうが適切であろうと、今ではこちらの表現が好まれます。
アメリカ社会で「棲み分け」をしているアイデンティティは、人種的なものだけではありません。
先日、ハーヴィー・ミルク・ハイスクールという、NYで初のゲイとレズビアンの中高生のための公立学校が、その賛否をめぐる議論が起こるなか開校しました。学校と市の見解は、ハラスメントを受けやすいゲイとレズビアンの中高生に、ホモセクシャリティに理解のある教育環境が提供できるというものです。反対派からは、こういった特別利益団体(special interest group)に税金を使うべきではないとか、これは一種の差別的隔離(segregation)になるのではないかといった指摘が聞かれました。
私も、こういう「隔離」は他者との出会いや、セクシャリティを超えた調和の機会を奪うと思います。しかし、ホモセクシャルの生徒たちが通常の公立学校でイジメを受けるという悲しい現実への実際的な対応策として、その有効性も否定できないのかもしれません。税金を「隔離」に使うのではなく、ホモセクシャリティの「理解」を推進するために使ったほうがいいとは思います。しかし、実際に過去に行われたそうした努力が困難にぶつかってきたのも記憶しています。もちろんホモセクシャルの生徒たちには、通常の公立学校とこの学校のどちらを選択する自由も残されています。
このように、アメリカ社会ではさまざまなアイデンティティが「棲み分け」を行っています。
ただ、アイデンティティの「棲み分け」と言っても、同一のアイデンティティを持つ人たちが、つねに石のように固まって生活しているわけではありません。「モザイク」という言葉がよく表しているように、特にNYのような場所では、さまざまなアイデンティティが宝石箱をひっくり返したようにゴチャマゼになって生活しています。
美術館のオープニング・パーティーなどへ行くと、白人だらけで「白一色」な空間を見渡して、「いまだにこういう世界はあるんだよな」とあらためて感じることがあります。同じように、一部のヒップホップやハウスのダンス・クラブなどへ行くと、黒人だらけで「黒一色」の空間を見渡すこともあります。(ちなみに、美術館やクラブの場合、私のようなアジア人がいても誰も気にしませんし、みんなフレンドリーです。)そういう「単色系」の空間というのはありますが、それもNYの人種的多様性の一つのあり方でしかありません。NYの街自体に、アッパー・イースト・サイドは白人、ハーレムは黒人といった「単色系」の地区(neighborhood)があるのと同時に、ダウンタウンのように「宝石箱をひっくり返したよう」な地区があるように、画廊やクラブなどの文化空間(cultural venue)にも「単色系」のものと、さまざまな色合いの「コントラスト」や「グラデーション」を構成しているものがあります。
日本からアメリカにやってきたばかりの私が、アメリカ社会の人種の「棲み分け」という「不思議な現象」を目の前にして、その「謎」を解く答えとして仮説を立てたのは、「これは人種差別が原因なのではないか」というものでした。ですから、アメリカ社会の「人種の棲み分け」は、当時の私には非常に不快なものに感じられました。
あれから15年。いまNYの街の「モザイク」を見回したとき私が感じるのは、「ああ、なんと美しいことよ」という美的判断です。もしこの「モザイク」がみんなが混血して、社会が「中間色」になった光景を想像すると、「うげ、気持ちわりー」と感じてしまいます。なんだかジョン・マルコヴィッチがジョン・マルコヴィッチの頭の中を見ているような気持ち悪さを感じてしまうのす。
「人種」というのは社会的構築物です。ふだん中国人や韓国人を自分たちとは異質な民族として認識している日本人は、海外旅行へ行ったとき、こうした東アジア人の差異を知らない外国人に「中国人」と呼ばれて違和感を持ったり、「中国人じゃなくて日本人だ」と言っても「何が違うんだ?」と聞き返されて認識の違いを思い知らされることがあります。これは「人種」の分節が文化によっていることを示すひとつの例でしょう。または、「少しでも黒人の血の混じった白人」は「黒人」に分節される合衆国にやって来たラテン・アメリカ人が、「自分が黒人であることを初めて知った」というようなことも起こります。
社会的構築物である「人種」というのは、まさに社会的構築物であるからこそ、それが構築された社会では特別な「意味」を持っています。アメリカ社会では「異人種」が「ドレッシングの酢と油」のように「棲み分け」をしていて、それは社会生活のなかで「攪拌」されていても、しばらくするとプライベートでまた分離するような感じで、人々はそれぞれの人種的アイデンティティを背負って生きています。こういう社会において「人種」の持っている「意味」とは、その差異化が「同化できない異質なもの」に感じられるということではないでしょうか。アメリカ社会では、「人種の多様性」が「生き方の多様性」のメタファーとして機能していると思います。
これは「人種の違い」と「生き方の違い」の間に本質的な関係があるということではなく、言ってみればこの両者がイデオロギー的に結びつけられているということです。この結びつきを批判する人や、そもそもそれを感じない人もいるでしょう。しかし、現在の私の目にも「人種の多様性」は「生き方の多様性」のメタファーとして映ったために、それが溶け合って「中間色」になった光景を想像すると、今度はそれが「均質性」のメタファーに感じられて、「マルコヴィッチ」的な気持ち悪さを感じてしまうということだと思います。しかし、これはイデオロギッシュなメタファーにすぎないので、いったんそのイデオロギー性を意識すると、「中間色」の印象も変わってきます。
そうなのですが、ちょっとこのイデオロギッシュなメタファーに着目して、アメリカ文化の構造について考えてみたいと思います。
私がアメリカにやってきたとき、「この人たちは同じ社会で肩を並べて暮らしているのに、なぜ混血しないんだろう?」と感じたのは、「人種」というのは交換可能な「モジュール」みたいなものだと思っていたからでしょう。少なくとも生物学的な認識としては、これは正しいはずです。どんな人種同士でも生物学的には混血できますから、人間の個体というのはDNAレベルにおいては「モジュール」のようなものでしょう。
それがアメリカで暮らすうちに、「人種」というのが「交換不可能なもの」のメタファーへと変容していったのではないかと思います。
さらに、それと同時に、この「多様性」の認識とは「別の次元」で、この認識といっけん矛盾するような認識の変化が起こったように思うのです。というのは、「人種のモザイク」が「自然」に感じられるようになったということは、以前のように人種的差異が際立って見えなくなったということだと思います。
これは人種的差異がすっかりイデオロギーとして無意識化されてしまい、「自然」に感じられるようになったというのとは、ちょっと違うんじゃないかと思うのです。例えば、男子校の生徒の目には他校の女学生が際立って差異化され、特別な意味をもって映るのに対して、共学校の男子生徒の目にはそれほど特別な意味をもって映らないのに、これは似ているのではないでしょうか。ここで異なるのは「女学生」の「意味」であって、両者にとって「男女の分節」自体が前提にされていることには変わりがありません。これを「女学生の意味のイデオロギー化」と言うことはできると思いますが、このイデオロギーは、「男女の分節のイデオロギー化」よりも「一つ上の次元」(それに「ついて」の次元)で起こっていることではないかと思うのです。
アメリカに来たばかりの頃は、「この人は黒人だ」とか「この人は白人だ」ということが表面的に際立って感じられたからこそ、「なんでこの人たちは混血しないんだ」ということも気になったんだと思うのです。ある次元においては、それは今でも意識上にのぼる差異なのですが、それより高い次元においては、それは意識されなくなってしまったと思います。
なんかヤヤコシイ分析になってしまいましたが、この「二重構造」を持った認識がもたらすのは、「多様な生き方が共生しているのが当たり前」という「メタな認識」ではないかと思うのです。
では、そもそも、なぜアメリカ社会において人々は人種的アイデンティティによる「棲み分け」を行うのでしょう。
人種的アイデンティティが社会的構築物であることは、先ほど見ました。すなわち私たちは、社会から人種的アイデンティティを与えられています。社会によって差異化された人種的・文化的バックグラウンドを「出身」に持たされているということです。こうして、社会から同一のアイデンティティという「ポジション」を与えられた者たちは、それぞれの個人に固有の人生におていアメリカ社会の荒波を生きていても、同じ社会によって規定されたその共通のアイデンティティというポジションをとおして、「似たような経験」してゆくことになります。そうした者同士が、同じような問題を共有し、いろいろな面で理解し合い、そこに居心地の良い「共感空間」を作れるのは想像に難くありません。
しかし、私たちは社会によって規定されたアイデンティティというポジションをただ受動的に生きているわけではありません。私たちは、「自分は白人ではない」とか「自分は女ではない」といった「否定的な差異化」だけを生きているわけではなく、同時に、そういう社会一般の均質的な認識の枠組みを超えた「肯定的な単独性」を生きていると思います。これこそが、その社会に内在する「生き方の多様性」でしょう。私たちは、社会と「生産的」に関わり、それぞれ場所から固有の外部と触れ合い、独特の「皮膚感覚」を発達させ、おのれの身体性にある唯物的な不自由さを感じ、単独的な「生き方」を発見してゆくのではないでしょうか。
こうして作り出された「共感空間」は、大学で専攻が同じであるとか、仕事の分野が同じであるとか、趣味的に同じサブカルチャーに属しているとか、そういう理性的な関心をとおして人々が理解し合う社会空間とは、またちょっと違ったものであるような気がします。おそらく理性によっては構築できない「共感空間」でコミュニケーションされるのは、食べ物の好みが同じであるとか、生活様式が似ているとか、美意識が似ているとか、思考のテンポやグルーヴ感が同質であるとか、眼差しを読み取れるとか、そういうより感覚的、より身体的なものではないでしょうか。「公共的」というより「家庭的」な空間と言えるかもしれません。
「食べ物の好み」という例を使って、「共感空間」についてちょっと考えてみます。同じものを美味しいと思えるというのは、深く身体的な共感を生みます。アメリカ人でも、日本食が好きな人というのは、日本人にとって特別な親近感があるものです。そして、いろいろな文化圏の食べ物を食べてみようとする人には、自己を異質なものに開こうとする傾向があると思います。逆に、異文化の食べ物を毛嫌いする人たちというのは、自己を異質なものから閉ざそうとする印象があります。こないだジョージ・ブッシュが訪日したとき、「ナマの魚は食べられない」とか言っているのを聞いて、「今時そんなこと言ってんなよ、だからイラク戦争みたいなことやるんだよ」と思いました。(もちろん短絡的。)
しかし、そうした異文化の食べ物に対する姿勢は、その人の嗜好が保守的かリベラルかというのを表していたとしても、倫理の問題とは関係がないと思います。ですから、ブッシュが「ナマの魚は食べられない」のは、彼の嗜好の保守性を表していても、彼の倫理観については何も表していないはずです。それは日本文化がブッシュにとっていかに他者なのかということを表しているだけで、私たちはそのブッシュの他者性を気遣い、松阪牛のステーキでも出して歓待しておけばいいわけです。
さらに、「いろいろな文化圏の食べ物を食べてみようとする」というのも、単にひとつの「食べ物の好み」だろうと思うのです。だからこそ、例えば私は、そういう嗜好を持っている人に共感するのではないでしょうか。こう言ってもいいかもしれません──私は自分の「リベラルな嗜好」を保守しているのです。私はそこで、倫理的に他者と向かい合っていません。単に、私にとってそこは居心地が良いのです。
「黒人アメリカ人の共感空間」と「アジア系アメリカ人の共感空間」を比較したとき、前者は自己のアイデンティティを保守し、後者は自己のアイデンティティとは別のものに同化しようとする傾向があると思います。しかし、ここでアジア人同士が、その自分たちに共通する感覚を理解し合っている限りにおいて、そこにはまだ「共感空間」があるということだと思います。「共感空間」とは、そういうものだと思います。すなわち、自由意志や理性では解き放たれることができない空間です。
アメリカ社会におけるこうした「共感空間」の代表が、人種的アイデンティティだと思います。もちろん私たちは、ふつう、そうした「共感空間」の内部に退行し続けているわけではありません。そんなところに閉じこもっていたら、何の刺激も変化もないし、つまらなくて死にそうにならないでしょうか。私たちは、そこからさまざまな社会空間へ出ていって、日々の生活を送っています。
例えば、そういう意味で私個人にとって最も肌の感覚が似ているのは、「英語がしゃべれるアメリカナイズされた日本人」ではないかと思います。移民の二世が、両親の出身文化からも、移民先の文化からもずれてしまい、そうした同じ問題を抱えた移民二世同士がもっとも「理解し合える」のに似ているかもしれません。または、アメリカ社会では、「異人種」の両親を持つ「ハーフ」たちが、また一つの「共感空間」を形成しているのにもちょっと似ているでしょうか。「アメリカナイズされた日本人」は、「アメリカナイズされていない日本人」とも、「日本文化が理解できなアメリカ人」とも違う、特殊なポジションからアメリカ社会と関わることを要請されていると思います。
この「アメリカナイズされた日本人」というアイデンティティを見ても分かるように、「共感空間」とは個別的な文脈が生み落としたものであり、それは時間的で社会的な生活をとおして生成してゆくものでしょう。さらに、大学の専攻、仕事の分野、サブカルチャー的な趣味、そういった「人種」の枠組みを超えた関心を共有することによって、「家庭的」に同一のアイデンティティをもつ親密な「共感空間」が形成されることもあるでしょう。実際に「異人種」のパートナーと結婚したり、「異人種」の子どもを養子にもらったりして、家庭を築くことだって頻繁に起こります。「同人種」と、まったく親密につき合わない人たちもいます。(これはアジア人に多いような気がする。)
しかし、アメリカ社会では、そういったさまざまな「共感空間」のなかにあって、人種的アイデンティティは特別な「引力」を持って生起してくるように感じられます。こうした社会では、「人種」というのが「理性では消し去れないもの」に感じられていると思います。
私にとって「アメリカナイズされた日本人」というのは、たまに会って一緒に食事をしたり、最近の日本の出来事について話したり、私たちが感じるアメリカ社会の問題について話したり、ひさしぶりに会って「元気にやってるか?」とお互いの無事を確認し合ったりする存在です。そういう彼らと話していて、「なんでオレらって、こんなに分かり合えちゃうの」と最も強く感じるのは、日本へ旅行に行って帰って来たときだと思います。日本でいろいろ感じたことを同じパースペクティヴから語り合えるのは、日本の友人たちでも、非日系のアメリカ人の友人たちでもなく、アメリカナイズされた日本人の友人たちということになってしまいます。
例えば、東京で行った「裏原宿のカリスマ・ショップ」の話で盛り上がったり。こっちはそれを「最悪」と思っていて、向こうはそれを「おもしれー、こっちのメディアで紹介したらいいよー」と思っていても、「そこに何かがある」と感じるパースペクティヴを共有しているので、それについてあーだこーだ話ができるんだと思います。
ここにあるのは、排他的なコミュニケーション空間であるように感じられるかもしれません。独自の視点や皮膚感覚をもっているという意味では、確かにそうです。しかし、この同質的なコミュニティとしての「共感空間」は、他者との交信を遮断しているわけではなく、そこから外部に向かって語りかけ、何かを生産することによって、他者にも開かれているはずです。これは世界をいろいろな角度から見るための「役割分担」みたいなものだと思うのです。
「共感空間」のなかでコミュニケーションしている私たちも、視点を変えて、その外部へ出て行けると思います。この空間で会話している私たちがつねにメタなレベルで感じているのは、それが一時的に「カッコつき」で成り立たせられたコミュニケーション空間であるということです。この一時的な「カッコ」のすぐ外には、このコミュニケーションが成り立たない外部があることを話者が肌で感じている、すなわち外部性がメタなレベルで内包されているというのも、アメリカ社会に共生する多様な「共感空間」たちが構造的に持っている特徴だと思います。
たとえば、日系の友人がロウワー・イースト・サイドで経営する店先で、「裏原宿のカリスマ・ショップ」の話をしているところに、いつものヒスパニック系の宅配便配達の兄ちゃんが、卸売りの商品のケースを持って「よーよー、なに話してんだよ」と入ってきたとします。(実際この社会では、そういう他者の闖入がよく起こります。)すると、とたんに今までのコミュニケーション空間を成り立たせていた「カッコ」が外され、会話の「連なり」は別の表層に滑り込んでゆき、ひとつのコミュニケーションが別のコミュニケーションに接続され、コミュニケーション空間の組み替えが起こります。これは、入って来た他者に排他的な視線を向けるのでも、内輪同士に維持された「共感空間」で「ウィンク」によるコミュニケーションをするのでもなく、みんなが「別の場所に移動してしまう」ということです。
アメリカ社会では、それが良いか悪いかは別にして、こうした社会性のネットワークの「ハブ」となる「共感空間」の形成に、人種的アイデンティティが大きくかかわっています。しかし、だからと言って、「人種の多様性」を「生き方の多様性」の「メタファー」なんかにしていいのでしょうか。それは乱暴なステレオタイプではないのでしょうか。
「人種の多様性」を「生き方の多様性」の「メタファー」にして、両者をイデオロギッシュに結びつけるべきではないと思います。ただ、だから「人種の多様性」と「生き方の多様性」を結びつけるべきではない、とは思いません。別の「結びつけ方」があると思うのです。
「人種的アイデンティティ」とは、一種のステレオタイプだと思います。しかし、ここで言う「ステレオタイプ」とは、何かを還元的に単純化したものとして認識されるべきではなく、それ自体として存在する固有の物語として機能するべきだと思うのです。それ自体として存在するというのは、現実世界から遊離しているということではなく、それが現実世界の一部を構成しているということです。逆に、何かを還元的に単純化したものとしてのステレオタイプは、それによって認識される「現実的な何か」自体ではないという意味において、現実世界から遊離しているのではないでしょうか。
こうした現実世界の一部を構成する「人種物語」は、「多様な生き方」の「具体例」であり、すなわち「多様な生き方」そのものだと思うのです。「多様な生き方」の「具体例」というのは、「人種物語」以外にもたくさんあります。こう考えても、まだ「人種物語」と「多様な生き方」には記号的な結びつきがあります。しかし、ここで「生き方」を指し示す「人種」も、「人種」に指し示される「生き方」も、どちらも分節化された表層でしかなく、記号でしかありません。「人種物語」とは、そういう独自の「記号的世界」を生成するものだと思います。
「人種的アイデンティティ」は、その一種のステレオタイプによってカテゴライズされる生身の人間(生身の表層)を巻き込んだ「記号的世界」です。このとき私たちは、その生身の人間たちの「内面」と自己の意識を一体化させることはできませんが、「人種的アイデンティティ」という物語の形式的な他者性に感情移入を試みることは可能だと思うのです。ですから、私は自分が「プエルトリコ人になれる」、または「女になれる」、さらには「犬にもなれる」と思っています。バウワウ。こうした「テクスト」と「生き方」の関係を美しく描いた映画として、主人公の殺し屋がサムライとして死ぬ、ジム・ジャームッシュの『ゴースト・ドッグ』(1999年)が思い出されます。
そういう意味で、私は自分のことをフェミニストであり、マスキュリニストであり、セクシストであり、レイシストであり、オリエンタリストだと思っています。しかし、アイデンティティの物語は、現実世界における経験的・実験的な探究によってその形態を変容させますし、それ自体が壊れてなくなってしまうこともあります。これは、そもそもアイデンティティとは「語りつくせない」ということに起因していると思います。ですから私は、不変で一貫したイデオロギーとしてのアイデンティティを信奉しているわけではなく、内田さんふうに言うと「フェミニアン」であり、「マスキュリニアン」であり、「セクシアン」であり、「レイシアン」であり、「オリエンタリアン」であると言えるかもしれません。
私がアイデンティティの有益性、さらには創造性を否定しないのは、例えば「黒人音楽」や「少女マンガ」といったジャンルを、「突き詰めて考えると、それは本質的に定義することのできない神話だ」という理由で「悪しきもの」だとは思わないのと似ています。こうした「ジャンル」は、「人種」と同じように、時代や場所によって経験的にその特質を変化させてゆくものですし、「ジャズとは何か?」「ロックとは何か?」といった分析は、それらのジャンルが現に「そこ」にあることを否定できないにも関わらず、絶対に「答えつくす」ことのできない問題です。
それは何故かというと、おそらく、個々のジャンルや人種の自己同一性(アイデンティティ)というのは、「そこに自己同一性がある」という視点、さらに「この自己同一性を規定しているのは何か?」と探求する視点、すなわちその自己同一性自体からちょっとずれた視点によって立ち上がっており、したがって自己同一性自体にとっては「不純なもの」によって保証されているからではないでしょうか。
また、ジャンルの「定義」がそのジャンルを説明し尽くすことができず、必ず例外や、定義から溢れ出てしまう特質が発見されるという事態が示しているのは、そうした「定義」が純粋な「範疇」(「〜とは、こういうものである」という客観的な記述)ではありえず、つねに「規範」(「〜とは、こうあるべきだ」という価値判断)としての性質を持っているからではないでしょうか。
ですから、アイデンティティの話を持ち出すときは、つねにその規範性を意識するべきだと思うのです。この規範性を認めずに、例えば「日本人とは……」といった議論をするのは、自己同一性という一種のステレオタイプのはらんでいる排他性や暴力性を隠蔽しながら、それを行使することだと思います。逆に、「これは規範である」と認めてアイデンティティの話をすれば、そこにある排他性や暴力性を明示したうえで、その有益で創造的な機能を利用することができるのではないかと思うのです。
当たり前のことですが、私が「アジア人」だとか「黒人」だとか「白人」だとか言ったアイデンティティの話をするとき、私は個人の話をしているのではありません。個人という「単独的な出来事」は、そういうカテゴリーを「超えて」います。個人と対峙したとき、そういうカテゴリーを超えられない人ほど息苦しく、排他的で暴力的なものはありません。さらに、個人こそは、すでにある人種的アイデンティティの物語を変容させてくれる契機です。
しかし、個人が人種的カテゴリーを「超えて」いるというのは、話し相手の「人種」をまったく認識すべきではないということではありません。
「人種」概念を肯定するというのは、いくらそれが「物語」を作るための道具だと言っても、その「物語」は必ず生身の人間を巻き込んており、あるレベルにおいては、その巻き込まれた彼らに対する人種的「ステレオタイプ」を認めるということだと思います。先ほど、ここで言う「ステレオタイプ」とは何かを還元的に単純化したものとして認識されるべきではないと書きましたが、どんな「ステレオタイプ」であっても、あるレベルにおいては「一般化による認識」であり、さらにそれは私たちが生きてゆために欠かすことのできない知的営みです。重要なのは、それがステレオタイプであることを、つねにメタなレベルで意識していることでしょう。
説明がくどくてすいません。やっとここで言いたいことの結論です。こうした「ステレオタイプ」にとって問題なのは、それを個人に対して使うこと自体が良いか、悪いかということではなく、それをどう使うか、または使わないか、ということだと思うのです。すなわち、こうした「ステレオタイプ」を、いつ、いかなる状況で戦略的に利用するかという判断が重要だと思います。「ステレオタイプ」の実際的な使用というのは、単独的な発話であり、したがってその意味や作用は、具体的な話者や状況をともなった文脈によって違ってきます。
私たちは、そこに「人種」を見るにしろ、見ないにしろ、つねに物語を生きているのだと思います。そして、「人種物語」を語ることが、他者への愛情と理解のために、話者の友好関係のために、平和な社会生活のために、最も戦略的に正しいことはあると思うのです。
ただ、実際問題として、人種の話というのは往々にして還元的なステレオタイプとして機能してしまうので、そういう話をするときは慎重にならなければいけないと思います。「黒人音楽」や「少女マンガ」といった文化生産物的なジャンルと違い、「黒人」や「少女」といったカテゴリーは生身の人間に直結していますから、それらを利用するときはことさら戦略的な配慮が必要だと思います。「黒人音楽」や「少女マンガ」への乱暴なステレオタイプは、生身の音楽やマンガへの暴力になりますが、それは生身の人間への暴力とは比較にならないと思います。
人種的アイデンティティとは、一方で、それを「自分の意志で選んで利用する自由」を許すものだと思うのですが、他方で、「自分の意志で自由に選ぶことが絶対に許されないもの」です。そうでなければ、人種差別という社会問題は今のようなかたちでは経験されていないでしょう。アメリカの「アジア人」が「アジア人」であるというのは、この社会が私たちを「アジア人」として認識し、扱うという、そういう私たちにとっては「向こうから」やってくる出来事に直面することです。そういう意味で「人種」とは、自分の意志にかかわらず社会から押しつけられるものです。
個人は人種的なカテゴリーを超えているという理解は、誰もが体験しているであろう「人種的アイデンティティの押しつけ」をまったく認識しないということではなく、「きっとアナタはそういう押しつけを体験しているだろうけど、ワタシはそんな押しつけはしない」というメタなレベルに上がることを可能にするでしょう。いちいちそんなことを態度や会話で示すということではなく、それが大人の「暗黙の了解」だと思います。
しかし、個人のレベルにおいては「人種」の話をまったく口にすべきではない、ということではないと思います。これは、話者が社会において「人種化」されているという現実について口をふさぐ必要はない、という意味においてだけではありません。もちろん、そういう意味においては、話者の人種的アイデンティティについて語ることが、話者の他者性への敬意になることはあります。しかし、それだけでなく、個別的な対話において、話者の人種的アイデンティティを積極的に認めることが、話者の単独性への承認と敬意になることは現実世界においてしばしばあると思います。
「カラー・ブラインド」(「色盲」)と呼ばれる一つの規範があります。これは「人種的な差異をいっさい問題にしない」という考え方です。この規範を良しとするか悪しきとするかは、アメリカ社会でも意見の分かれるところです。特に黒人の人権運動家の多くは、この考え方に批判的です。彼らがこの規範に批判的な理由の一つは、「カラー・ブラインドなんてのは観念的な理想でしかなく、現実にはアナタの目にワタシが『黒人』として映ることは避けられないんだから、まずそれを認めて、そこで何ができるか考えようじゃないか」ということだと思います。
「カラー・ブラインド」反対派が「人種を否定せず、私の固有性を尊重せよ」(Do not be color-blind, but respect who I am)と言うとき、彼らが意味するのがこういうことだとしたら、私は「カラー・ブラインド」を支持します。私は「アナタが誰か」なんてことは知らないし、ましてやアナタを人種によって認識などしたくありません。それに、現に私は「異人種」の人たちと話をしているとき、しばしば相手が「異人種」であることなんて忘れています。NYみたいなところにいたら、相手の「人種」なんて最初からほとんど気になりません。もちろん、人種的アイデンティティによって認識されることを完全に避けるのは不可能かもしれません。一部の「カラー・ブラインド」反対派は、そこで「戦略的」に人種的アイデンティティを肯定します。私は、そこで「戦略的」に人種的アイデンティティを否定します。
しかしです。「カラー・ブラインド」というのが、へんに抑圧的に作用するのはよくないと思います。それが一種の「ステレオタイプ」であったとしても、相手や自分の「人種的固有性」を認めてしまったほうが無理がなく、すべてが円滑に上手くゆくときはあると思います。そのほうが私たちの単独的な身体性や皮膚感覚に忠実であることはあると思うのです。すなわち、「カラー・ブラインド」のほうが「人種的固有性」よりもイデオロギー性が高く、「人種的固有性」を認めたほうが話者の他者性に対する排他性や暴力性を低くできる状況があるということです。そういう意味であるならば、「カラー・ブラインド」反対派の「人種を否定せず、私の固有性を尊重せよ」という言葉に私は賛成します。
しかしです。行ったり来たりしていますが、「人種的固有性」の物語が、排他的・暴力的イデオロギーとして機能するのも、また同じように痛ましいものです。重要なのは、どちらか一方だけを信奉するという極端な立場を貫くのではなく、メタな視点を持って、戦略的にこの2つを使い分けることだと思います。ときとして「極端に」そうしたイデオロギーを異化させてみせることが、芸術や哲学の役割であろうかと思いますが、日常的にはそんなふうに極端には生きられませんし、曖昧で適当な日常があるからこそ、芸術や哲学もあるのではないでしょうか。
「避けられない認識は肯定せよ」ではなく、「避けられないけど、ないふりをする」とか、ときには「やっぱり避けられないね」と認めてみたり、「オレってアジア人」と言うのがいいときもあるだろうし、「キミら黒人は」と言うのが場を和ませるときもあるだろうし、そういうときでも心のどこかで「これってやっぱり物語」と思っていたり、次の瞬間は「人種」のことなんかすっかり忘れて会話していたりするような、そういう時と場合によって判断を下して「行ったり来たり」できる認識の「二重構造」が重要なのではないかと思います。この「二重構造」をどういうふうに「行ったり来たり」するかは、私たちの「大人の判断」にかかっているでしょう。その判断を正しく下すための「マニュアル」は、もちろんありません。
あるとき人は「人種的」になり、またあるときは「無人種的」になります。さらに「人種的」なあり方にもいろいろあるということでしょう。
なんだか結論としては至極単純なことを、七面倒くさく説明してしまったような気がします。ここで私が説明を試みているのは、アメリカではみんなが「当たり前」のこととして毎日おこなっていることだと思うのです。これこそがアメリカ人の「生活の知恵」であり、アメリカの美しさであると私が感じるそのことを、言葉にしてみたいと思いました。
アメリカでも、「異人種」同士が面と向かったとき相手の「人種」について軽々しく触れるのはタブーです。不必要に相手の「人種」を問題にしないのが、対話のエチケットだと思います。ただ、それに触れるか触れないかという規範があるのではなく、触れ方の問題だと思います。人種的カテゴリーを超えて仲の良い友達同士では、それぞれの超えられない「黒人ぽさ」や「アジア人ぽさ」に対して親愛の念を持って冗談を言い合い、一緒になって笑うようなことはしばしばです。初対面の人でも、「人種ばなし」を切り出すかどうかという駆け引きがあり、それは個人と個人の出会いという単独的な出来事として生きられるわけです。「人種ばなし」が好きな人とそうでない人がいて、それこそが「人種」という概念が生み出す多様性だと思います。もう察せられているかと思いますが、私個人は「人種ばなし」が好きなほうです。
ただ、人種的マイノリティ同士だと「人種ばなし」で盛り上がることは日常茶飯事ですが、白人とそれをやるのはちょっと気まずいものです。
白人でもユダヤ系とかイタリア系とか「カラー」の強い人たちとだと「人種ばなし」が愉しいんですが、「無色」な感じのする「単なる白人」が相手だと、人種問題においては立場が対等でなくなってしまうんです。これは、日本を訪れているアメリカ白人と日本人が、お互いの人種について話をするのとは状況が違います。そういう状況では、アメリカ白人も日本人も人種的に有徴化されているので、気まずさはないでしょう。そういう状況と違い、アメリカ社会における日常生活の中では、「単なる白人」たちは「有色」であることに慣れていないので、こっちもそれに合わせて「無色化」したような関係になることが多いです。一方が「無色」で他方が「有色」という関係は、気まずい雰囲気を醸し出すからです。ちなみに、私の白人の友人にはユダヤ系とイタリア系が多いです。それと「単なる白人」の場合は、ゲイの友人がすごく多いです。
「単なる白人」が何か人種についてコメントすると、人種差別っぽく聞こえてしまうというのもあります。一時期、ポリティカル・コレクトネスの嵐が吹いている頃、四方八方のマイノリティから「無色的=無意識的な支配」への糾弾を受けた反動で、「怒った白人男」(angry white man)というアイデンティティが浮上したことがありました。ある意味、こういう「無色」な人たちは可哀想だと思うくらいです。やはり「人種」概念を利用するときは、「白人」を有徴化することが欠かせないと思います。
しかし、アメリカ社会ではどうしても「白人」がニュートラルであると認識されがちで、それが「人種問題」の困難になっていると思います。彼らには彼らが現在この社会で果たしている役割というのがあると思います。ならば、それを「有色性を浮かび上がらせるための無色な背景」というふうに認識してしまうのを避け、それもまた積極的な一つの「色」として有徴化するのが先決ではないでしょうか。こういう認識は、多文化的教育を初めとする、さまざまなアメリカ社会の多文化主義的実践をとおして一般的なものになっていると思うのですが、やはり「無色な基準にのっとった自由競争」においては、なかなか実現されずらい気がします。
それでも、こういうかたちで多人種が共生しているのはアメリカ社会のユニークな点であり、良いところだと思います。もしアメリカ社会が人種的に「中間色」になってしまったら、「異人種」や「同人種」の友人たちと「人種」という概念が生み出すさまざまな出来事について話をすることができなくなってしまうということです。これはもう、私にとってはアメリカに住んでいる愉しみが激減することを意味します。
人種が多様であるということは、それについて思考されるメタなレベルにも多様性を生むということだと思います。人種の多様性がそうであるように、このメタなレベルにある多様性というのも、そこから全体を眺める視点を許されないことを意味するでしょう。NYの街を歩く愉しさというのは、こうしたさまざまな他者の視点に出会うことでもあると思います。そこには、さまざまな「人種」の使用法を見ることができます。ですから、このよく理解できないものに出くわし、それを観察して、いろいろコメントし合うのは愉しいのです。
この「多様性の二重性」というのは、存在という一枚の表層が数々の「ひだ」のように折り返し、そうしてできた数々の空間が、そこにある独自の2つのレベルを単独的な仕方で関係づけているようなものではないでしょうか。アメリカ文化の表層性とは、この多様な「ひだ」を形成している存在の一元性なのではないかと思います。そして、この一元的な表層において、「人種」というのは何かを認識するための枠組みとして機能するべきではないと思うのです。「人種」とは、そういった認識の枠組みに捕獲されない「概念」として、さまざまな事象に接続され、多様な物語を形成するために利用されるべきものなのではないでしょうか。
もちろん私がここに書いてみた人種物語も、そうした一つの個的な視点でしかありません。
2003年9月15日
On Race (1): Race in Context(文脈における人種)
アメリカでテレビをつけると、そこらじゅうで「人種」が話題になっています。
ニュース、音楽番組、コメディー、トーク・ショー、ドラマ、ドキュメンタリー。
アメリカという国家にとって最も重要な「問題」を一つだけあげるとしたら、それは「人種」であるとよく言われます。
大学時代は、「多人種」のクラスメートたちと、人文社会系の授業でさんざん「人種」についてディスカッションしました。今でも、友人たちとの日常的な会話にはしょっちゅう「人種」の話題がのぼります。
アメリカ社会で生活する者にとって、「人種」は「人生の事実」(fact of life)だと思います。これは、「事実」というのは社会的に構築されたものだからと言って、そのリアリティを否定できるものではありません。信念として、または戦略として、それを否定したり、無視する人たちもいます。しかし、そうした信念や戦略も、この社会では「人種」に対するポジションとして認識され、なかなか「人種」の他者であることができないように思います。
私が「人種」的に均質な日本から、「人種」的に多様なアメリカにはじめてやって来たとき、「人種」は魅惑(fascination)の対象として私を捉えました。この魅惑は、私のその後15年間のアメリカ生活のあり方を決定づけてしまったと言っても過言ではないと思います。「人種」は、底知れぬ可能性を秘めた未知の世界として私を魅了しました。
アメリカの「人種問題」の代表は、「人種差別」でしょう。
今回は、私が「人種」について考えるとき欠かすことのできない、アメリカで体験した「人種差別」という問題について書いてみたいと思います。
以前、内田さんの掲示板に「チナ・ロカ」さんとおっしゃるキューバ在住の日本人女性が書き込んでらっしゃったことがあります。そのときチナ・ロカさんは、ご自分がアジア人としてキューバで日常的に受けているハラスメントについて教えてくれました。(「チナ・ロカ」とは「狂った中国女」という意味です。)そして、ちょうどそのとき、内田さんが日記で税金について論考なさったんです。内田さんは、そこでこう書かれました(2003年3月14日):
世の中というのは不公平なものである。
しかし、「まったく不公平なんだよね、ははは」と笑ってすませる人間が一定数存在するからこそ、この「不公平な世の中」はそれでも人間にとって居住可能な空間になっているのである。
チナ・ロカさんは、この内田さんの一文をご自分がキューバで受けているハラスメントの問題に重ね合わせたコメントをしていたと記憶しています。これについては思うことがあって、この日記に書かせていただこうと思っていたのですが、今まで書きそびれてしまいました。
私もこの内田さんの一文を読んだとき、おそらくチナ・ロカさんと同じように、「不公平な世の中」というのが自分の「人種差別」の体験に重なって読めて、グサリと胸に刺さりました。内田さんはここで「税金」のお話をなさっていて、「人種」の話などまったくしていないにも関わらずです。もしかすると他にも、「不公平な世の中」というのをご自分の文脈によって別なものに読み替えた読者がいたかもしれません。
アメリカで生活しているあいだ、私は自分の心理状態にさまざまな変化が起こってゆくのを体験しました。それをまるで他人事のように「おお、次はこんなふうになるのか。人間の心理的葛藤と順応のメカニズムって、こんなふうになってるのか」と観察してきました。(つらいときは、そんな悠長なことは言ってられないんですが。)生活の環境を変える面白さというのは、この予期できない心理状態の変化を観察することだと思います。ほとんど自分の身体を使った実験のような感じです。(私は極度に記憶力が悪いんで、過去のことはすぐに忘れちゃうんですが。)
そうしたある一時期において、私は「人種差別」を「はははと笑ってすませる」ことのできない人間でした。今でも人種差別の現場を目の前にしたら腹が立ちますが(ハラワタが煮えくり返ると言ったほうがいいかも)、その頃「人種差別」に対して持っていたオブセッションのようなものは、なくなりました。
私がアメリカで生活するなかで「人種差別」について考えたことの話をする前に、ちょっとアメリカの「人種問題」を相対化しておきたいと思います。アメリカと同じように伝統的に「白人」が支配的人種であるヨーロッパの「人種問題」と比較してみたいと思うのです。ヨーロッパと言っても、それぞれの文化圏によって「人種問題」の表れ方は大きく異なると思いますが、私が何度か行ったことのあるフランス(パリ)を参照してみます。
教育理念や社会制度に見られる、アメリカ文化の「人種」に対する姿勢は、一言でいえば「多文化主義」(multiculturalism)です。すなわち、人種的差異を積極的に認め、尊重しようというものです。「多文化」と「多人種」では意味が違うようですが、「黒人文化」といった認識に見られるように、アメリカ社会では「人種」と「文化」のあいだに密接な関係が認識されていて、「人種」(race)と「民族」(ethnicity)はほぼ同等の認識の枠組みとして機能しています。このことについてはまた考えてみたいと思いますが、今はそういうものだと言うにとどめておきます。
現代のアメリカでは初等教育から、移民の国アメリカの多文化的バックグラウンドを反映して、「西洋中心主義的な文化」を教育することが避けられ、子供たちが多文化的な他者への敬意を育むように、さまざまな文化圏の歴史・価値観・宗教・芸術といった伝統を教育することが基本理念として採用されています。
アメリカ国内にも、こうした一種の「ポリティカル・コレクトネス」に対する批判はあります。「文学の教育において、西洋人が書いたというだけの理由で、優れた古典をそれより劣ったハイチ文学と入れ替えるはバカげている」というような批判です。
こうしたアメリカの多文化主義的な教育理念は、フランスの教育理念と対照的です。
先日、作家が自著につて語るケーブル・テレビの番組で、マンティア・ディアワラという現在はニューヨークの大学でアフリカ文化研究をしているマリ出身のアフリカ人が、We Won't Budge: An African Exile in the World という近著についてしゃべっていました。彼はアメリカに渡るまで学生時代をパリで過ごし、この著作は、そうした彼がアフリカ人としてフランスとアメリカの2つの社会で直面した人種差別などの体験について書いたものだそうです。
番組中ディアワラが指摘していたように、フランスでは人種や民族にかかわらず、すべてのフランス国民はフランス語を初めとするフランス文化を身につけた「普遍的なフランス人」であることが求められ、教育理念もそうした考え方を反映しています。ディアワラが言うには、「フランスの学校では、私はみんなと同じようにバルザックを読んだ。しかしアメリカに来て、私は初めて自分の出身地であるアフリカの作家を発見した」そうです。
こうした「多文化」に対する姿勢の違いは、知識人のあり方にも表れていると思います。フーコーが「普遍的知識人/個別的知識人」という区別をしていましたが、良いか悪いかは別にして、アメリカにはヨーロッパ的な普遍的知識人というのが基本的に存在しないと思います。フーコーは「普遍的知識人」とうい言葉でサルトルのように大衆を代弁する知識人のことを指しましたが、ヨーロッパには今でも文学と政治を股にかけるような思想的素養を持って、社会全体の問題についてメタな視点からコメントする「ご意見番」のような知識人が存在するのではないでしょうか。(ジジェクみたいな。)
それに対して、多文化の自律化、さらに諸学問の専門化の高度に発達した現代アメリカ社会では、普遍的知識人というのが基本的にありえず、個別的な問題に個別的な知識を持って批判的に関わる者としてフーコーが示した「個別的知識人」のような人たちが一般的です。(サイードのような人は例外的な存在でしたが、先日亡くなってしまいました。)アメリカには、個別的な関心事についての言説的コミュニティはあっても、日本の「論壇」のようなものは存在しません。
アメリカ社会に「普遍的知識人」がいないのは、多文化の自律化や諸学問の専門化に「起因」していると同時に、物事の実践性(プラグマティズム)に価値をおくアメリカ文化一般にある反知識主義(anti-intellectualism)の表れでもあります。アメリカ社会の文化的多様性は、アメリカ文化一般における統一的でメタな視点の欠如の原因になっており、この統一的でメタな視点の欠如がアメリカ文化一般にある反知識主義(自分の生活が他人の抽象的な学問によって説明されることへの不信感)だろうと思います。現代アメリカ社会の多文化性と、アメリカ文化一般の反知識主義は、「鶏と卵」の関係になっていると言えるでしょう。
現代アメリカの「個別的知識人」の代表的な存在であろう黒人知識人のコーネル・ウェストは、The American Evasion of Philosophy(『アメリカによる哲学の回避』)という著作で、アメリカ的思想の伝統を「哲学を回避する政治的な哲学の伝統」として描き出しています。ウェストは、『メイトリクッス・リローディッド』で「シオン」の評議員たちの中の一人を演じて、"Comprehension is not requisite for cooperation" って台詞をしゃべった人です。この「協力するのに理解は必要でない」という非常にシニカルな台詞は、これだけ取り出して眺めると、アメリカ社会の多文化主義的プラグマティズムをよく表していると思います。多文化の共生にとって必要なのは、認識的な「理解」ではなく、政治的な「協力」なのです。
ただ、例えばアメリカ社会に日本の「論壇」のようなものがないというのは、単にアメリカ文化全体に設置されたメタな認識のレベルが高いということだとも思います。アメリカにも個別的な関心事についての言説的コミュニティというのはあって、そこには単独的なメタな認識があるでしょう。ここで異なっているのは、そのコミュニティが「外部」をどれくらい身近に感じているかということではないでしょうか。この「外部」との身近さ、「外部」との共生こそが、自己のコミュニティの単独性を理解する視野の広さを確保するのだと思います。「外部」が身近にあるとき、私たちは全体にとって均質的でチマチマどうでもいいことを話す気にはならず、自分たちの単独性をいかに「外部」へ向けて提示するかという(統一的でメタではなく)脱=統一的でメタな視点を獲得するのだと思います。他者とコミュニケーションしようとする広い視野を持った、この単独性こそが、力強い普遍性を獲得するのではないでしょうか。
では、こうした「人種」に対する姿勢の異なるアメリカとフランスの2つの社会で、「人種差別」はどのように現れているのでしょうか。
ディアワラも会場のアメリカ人からの指摘に頷いていたように、フランスでは黒人の男の子と白人の女の子の小学生が手をつないで歩いているといった、アメリカではあまり見られないような光景が見られます。では、これはフランスのほうがアメリカより人種差別が少ないことを意味しているのでしょうか。そうではないと思います。ディアワラも言うように、フランスは人種差別の激しい社会のようです。
アヤのルームメートはアフリカのニジェール出身の女の子で、彼女も小学生時代をパリで過ごし、ハイスクールからアメリカに移り住みました。その彼女によると、「アメリカ人よりフランス人のほうがずっとレイシスト」だそうです。まず、アメリカでは社会制度によって人種的マイノリティの人権が守られていますが、フランスにはそれがないので、信じられないような酷い目に会うと言っていました。
私もパリで何回か嫌な思いをしました。私の受けた印象では、フランス人(というかパリ人)は一種のスノビズムや消費の対象として「多文化」を受け入れることはあっても、根底には強い差別意識を持っているのではないでしょうか。そういう裏表の感じというのが、アメリカ人と正反対に感じられました。アメリカ人は根底で異文化の他者性を認めているため、「多文化」を消費の対象にしようとする関心も薄いと思います。
アメリカ人に他者への欲望がないわけではありません。1930年代にアメリカ南部でブルースの録音採取をし、レッドベリーといった黒人ミュージシャンの存在を私たちに伝えてくれたジョン・ロマックスとか、そういう他者との出会いの例は、もちろん星の数ほどあります。そもそもアメリカ文化というのは、つねにそうした他者への欲望によって突き動かされてきたのではないでしょうか。「ユダヤ人プロモーターによる黒人ジャズ・ミュージシャンの搾取」とか、「白人ロック・ミュージシャンによる黒人ブルース・ミュージシャンの剽窃」といった出会いには、権力の不均衡からくる人種差別的暴力の構造があります。しかし、彼らは単に黒人音楽の他者性を均質的な自我へ取り込んだわけではなく、その他者性へ敬意を払っていたからこそ、自己を新しい地平へ開くことができたのではないでしょうか。逆にフランス人の多くは、居心地の良い自国を離れて海外旅行をするのも厭うと聞きました。
「他者との出会い」が、「他者との出会いの回避」よりも暴力性を持つことはあると思います。直接的な接触をまったく持たなければ、他者を傷つけることもないのでしょう。そういう意味で、アメリカ文化のほうがフランス文化よりも暴力的な面はあると思います。アメリカのブッシュ政権は、反米的なイラクのフセイン政権という他者に出会い、その他者性を許すことができず、暴力でねじ伏せたのでしょう。しかし、同じ社会に共生する他者を自己から遮断することは、同時に彼らへの承認や敬意をも否定してしまうことにならないでしょうか。そうした遮断の一つの形態が、人種差別だろうと思います。
しかし、アメリカの多文化主義と、フランスの「普遍的なフランス人」という考え方の違いが、両社会の人種差別のあり方にどう影響しているのか、じつのところ私にはよく分かりません。
アメリカの多文化主義とは、「どんな人種であっても、アメリカ人として対等であって、それぞれに単独的な文化を身につけてよい」という考え方でしょう。それに対して、「普遍的なフランス人」とは、「どんな人種であっても、フランス人として対等であって、普遍的なフランス文化を身につけるべきである」という考え方なのでしょう。だとすると、両者は「どんな人種であっても、同国の国民として対等である」というレベルにおいては、人種差別を否定しているのだと思います。
では、後半の部分(「それぞれに単独的な文化を身につけてよい」/「普遍的なフランス文化を身につけるべきである」)はどうか? 人種差別を「他者への承認と敬意の欠如」であると考えると、多文化主義は明らかに他者への承認と敬意を推奨しています。しかし、「普遍的なフランス人」のほうも、もし「普遍的なフランス文化」が他者への承認と敬意を推奨していたならば、それは同じだろうと思います。そして、(よく知りませんが)おそらく「普遍的なフランス文化」の価値観に他者への承認と敬意は含まれているんじゃないでしょうか? さらに言えば、アメリカの多文化主義も、最終的には完全な文化的相対主義ではありえないでしょう。「他者を承認せず、敬意を払わない文化」は、そこから政治的に排除されることになります。
「人種差別」というのは、社会によってその構造や、表出の仕方や、対象が異なります。ですから、それは実証的に比較計量できるものではないかもしれません。アメリカは、どんな問題でも表出の仕方が極端なので、人種差別も、今世紀初頭の南部でのリンチや、90年代の白人警官によるロドニー・キング暴行事件、それに続くロサンジェルスでの暴動など、暴力的な表出が目立ちます。しかし、日常的な人種差別は、フランスなどにくらべてずっと少ないと思います。私はフランス社会についてよく知らないので、あまり想像でものを言うのは控えたいと思いますが、それが私がパリで受けた印象です。
NYで面と向かった人種差別を受けることは、ほぼ皆無と言っていいです。そんなことをする人は、変人です。私は、のべ数ヶ月のパリ滞在の中で、あからさまな人種差別を体験したことが3回あって、そのうち2回は黒人からでした。そのうち1回は黒人の警官。3回あったうちのもう1回は、頭の悪そうな高校生くらいの子供。たいしたことじゃないんですけど、あのフランス人独特の人を冷笑したような態度で、「シノワ」を連発されました。アメリカではあり得ないです。最後の子供以外は、おそらく、ふだん彼らが受けている人種差別的抑圧のうっぷんを私に向けて晴らしたのでしょう。人種差別的社会システムの循環機能の表れではないかと思います。
アメリカには多人種が共生してきた長い歴史があります。そのため人種差別も他の社会にくらべて問題化しましたが、同時に社会全体が膨大な知恵とリソースを投入してこの問題に取り組んできたため、21世紀の現代において、アメリカは先進国のなかで最も人種差別の少ない社会になっているということはないでしょうか。法律による人権擁護の制度はおそらく世界中で最も発達しているでしょうし、それだけでなく、人々の人種差別に対する問題意識も最も強いのではないでしょうか。ひとつ言えるのは、アメリカ人は他者と共生にすることに非常に慣れているということです。
「人種問題」というのは、それが「問題化」しなければ存在しないと思います。しかし、これからの世界で、「人種問題」はますます顕在化してゆくのではないでしょうか。
アメリカと他国の人種差別を比較するとき、「先進国のなかでは」と書きました。これは、「発展途上国」ならば、事情が異なるのではないかと思ったからです。人種差別というのは、合理主義や進歩主義や資本主義といった、先進国的な価値観に起因している部分があるのではないかと思うことがあります。もし、人々が生活の合理性や効率性を求めず、所有するために自由競争せず、進歩的・批判的な理性によって物事を差異化しなかったならば、そこには「人種差別」という現象も存在しないのかもしれません。
例えば、同時代にヨーロッパからアメリカ大陸にやって来た人々が作った社会のなかで、アングロ・アメリカは世界的な経済大国となり、ラテン・アメリカはそうなりませんでした。この分かれ目は何だったのでしょう。
アングロ・アメリカとラテン・アメリカの社会を眺めたとき、ひとつ際立った違いに思われるのは、ラテン・アメリカでは白人・黒人・インディオといった異人種があっという間に混血したのに対して、アングロ・アメリカではこの「混血」が起こらず、人種の「棲み分け」が起こったということです。こういうことについて勉強したことがないので、これは勝手な想像ですが、アングロ・アメリカを混血させなかったのは、合衆国を20世紀の政治経済大国に発展させることになった価値観そのものということはないでしょうか。ピューリタン的な倫理観、すなわち禁欲主義や進歩主義です。こうした価値観は多人種(特に「黒人」と「白人」)を「棲み分け」させ、さらに、そうやって社会に生み出された「内なる他者性」の弁証法をエンジンに、合衆国は「世界帝国」になったということはないでしょうか。
ただ、「混血」の激しいラテン・アメリカにも、人種差別がないわけではないようです。
合衆国ではキューバと違い、私のようなアジア人が「面と向かった」(in your face)人種差別を受けることはマレです。少なくともNYでは、ほぼ皆無です。NYの外、特に「レッド・ネック」な方々の住まう田舎へ行くと事情はちょっと変わってくるのかもしれませんが、私はそういう地域へ出かけて行ったことがありません。ニュー・イングランド地方の都市でも、ボストンとかフィラデルフィアとかへ行くと、NYにくらべて人種差別があるという話を聞きます。私はボストンで直接そういう目に会ったことはありませんが、NYと雰囲気が違うのは確かだと思います。こういう雰囲気の違いというのは、白人を見ていて感じるだけでなく、マイノリティの人たちを見ていると、彼らの置かれている立場を通じて伝わってくることが多いです。
ただ、先ほども指摘したように、人種差別というのは社会によってその構造や、表出の仕方や、対象が異なり、さらに人々がどの社会を住み良いと感じるかは主観的な問題、特に慣れの問題だと思います。アヤのルームメートの従兄弟(ニジェール人)がパリから遊びに来たとき、彼はアメリカよりもフランスのほうが居心地が良いと言っていました。「住めば都」と言いますが、やはり慣れというのが一番大きいと思います。ボストンはNYより人々が丁寧です。ボストンのような場所に住んでいる人は、NYのような場所に住んだら疲れると思います。また、黒人の友人が言うには、ボストンには規模の大きな黒人のコミュニティがあるので、彼らはボストンで人種差別による疎外は感じないと言っていました。「ボストンの人種差別」という話は、よくアジア人から聞きます。
フィラデルフィアでは、もう10年以上前のことですが、直接的な体験をしたことがあります。ヨーロッパ人(白人)とダイナーに入ったときのことです。ウェイトレスのおばさん(白人)の態度が、彼と私に対して全然違うんです。彼にはちゃんと給仕するのに、私には恐い顔をして、皿とか投げるようにガタン!と置いていきます。最初、びっくりはしましたが、何が起こっているのか理解できず、あまり気にもしていませんでした。でも、後になって、あれって人種差別だったんだと思いました。「かわいい」差別行為かもしれませんが、ああいうことが日常的に起こる場所に住んでいたら苦痛です。もちろん、それが日常であり、そのなかで「自分の居場所」を見つけている人たちはいるわけですが。
このフィラデルフィアでの例がよく表しているのは、「人種差別」がそこにあるのか、ないのかという認識は、文脈によって左右されるということです。
私が最初あの出来事を「人種差別」だと理解できなかった(しなかった)ように、逆に何でもかんでも「人種差別」だと思ってしまえば、そういう認識も不可能ではないと思います。極端に言えば、個々の対人的な出来事、または個々の社会現象を、すべて「人種差別」という枠組みで認識することは可能でしょう。
これは、パラノイアの人がいくら説得されても「理論的」にはパラノイアのループから抜け出せないのに似ているかもしれません。パラノイアの世界観というのは、その「外部」が想像できないだけで、理論的には筋が通っているからです。ですから、「もしかすると、これって人種差別なのかな」と感じたときは、「ま、いろいろあるわけだから、気にしないでほっとこう」というのが一番精神衛生上よろしいと思います。
この「人種差別」の認識の文脈性というのは、アメリカで旅行している日本人を見ていてよく感じることです。アメリカの社会的・文化的なコードを知っている私の目には、彼らが人種差別に会っているのに、それにまったく気づいていない、またはその逆に、彼らが「人種差別」だと認識することが、「いや、それは単に個人的な価値観の問題で、連中はアナタたちのことを日本人だからとかアジア人だからとか、そういうふうにはまったく見ていないよ」と思うことがあります。
これは、外部的な視点を得ることによって、「無意識化」されていた人種差別が意識化されて見えてくるということではなく、発話や行為の「意味」というのは、それが機能し、認識される文脈によって決まってくるということでしょう。
極論すれば、非アジア人に「アジア人というのは生物学的に劣っているから、この世からいなくなったほうがいい」と言われたとしても、これが「人種差別」なのかどうかは、最終的にこの発話がどう機能し、認識されるかという文脈によるでしょう。この発言が、愛情のこもったジョークである可能性がまったくないとは言えません。現実には、ほぼないと思って間違えないわけですが、極論としてです。そして、こうした発話がどう機能し、認識されるかは、それが起こされた社会や文化に大きくよっていると思います。
長らくアメリカで生活するなかで、そういうアメリカの社会的・文化的なコードを学んだいま、私がフィラデルフィアで体験したあの出来事は、「人種差別」だったんだろうと思います。
人種的マイノリティの友人たちから、NYの外でどんな目に会ったことがあるかという話も聞きました。それは、ほぼすべてが、教育を受けていない田舎の白人労働者階級(the white lower class)の人たちによる挑発行為です。言ってみれば、ふだん中産階級のアメリカから差別を受けているような人たちなわけです。現代のアメリカ社会で、面と向かった人種差別をする人たちというのは、この階層に限定されていると言っていいと思います。フィラデルフィアのダイナーのウェイトレスも、そういう人だったのでしょう。彼らは、「白人労働者のゲットー」で生きることを強いられているような人たちです。
私はNYで15年間暮らしていて、NYの外のアメリカ国内へ行ったときも含め、ああいう面と向かった人種差別を体験したことは一度もありません。(例外的な出来事として数回あるんですが、これについては後で書きます。)
もちろんNYにも外からどんな人がやってくるか分かりませんし、知り合いのアジア人が「レッド・ネック」なトラックの運転手にからまれたこという話も聞いたことがありますが(そういうときは、"Fuck you!" と怒鳴り返して終わるのがNY流です)、この街で育った人には、そういう面と向かった人種差別をする人はほぼ皆無です。こういう場所だと、逆に、そういうことをする人がいたとしても「変人」として社会から差別されてしまうと思います。
しかし、人種差別というのは、そういう「面と向かった」(in your face)ものだけではありません。今どきそんなクー・クラックス・クランみたいな人種差別者は、見方によっては天然記念物に近いものがあります。
より広く見られ、また根が深いのは、「間接的な人種差別」です。すなわち、「言葉や態度の端々から見え隠れする人種差別」、「無言の人種差別」、「ドアの後ろ(behind the door)で行われる人種差別」といったものです。こうした人種差別も、もちろん被差別者に十分な疎外感を与えます。
私は人から「穏和で絶対に怒らない」と言われるようなタイプの人間なんですが、そんな私にとって唯一そこを刺激されると理性を失ってキレてしまう「ホット・ボタン」だったのが、「人種差別」でした。これは、やはり私が「人種差別」に抑圧を感じていたからだと思います。ハッキリ見えないんだけど、どうも物事の深いところに流れているような気がする、でもやっぱりハッキリとはつかめない、深いんだか浅いんだかよく理解できない、得体の知れないもの、それが私にとっての「人種差別」でした。
「人種問題」というのは、本当に人それぞれ捉え方が違って、まずそれがどれくらい「深い」か「浅い」かという判断が異なり、さらにそれにどう対処すべきかという考え方もさまざまです。
アメリカのメディアでも、「アメリカの『人種』の現状」ということが定期的に議論されます。そういうとき出てくる論者は、「人種差別は、もう本質的な問題ではなくなった」という意見と、「人種差別は、私たちが一日24時間、直面する問題だ」という意見を2つの極にして、具体的な事例を見ながらその間で議論するといった感じです。そして、どっちの判断をしたとしても、それにどう対処すべきかというのは、また多様なわけです。黒人の論者に関して言うと、彼らは一般的な傾向として「人種差別」の問題に並々ならぬコダワリを持っています。これは、彼らがアメリカ社会で置かれてきた、そして現在も置かれている、他人種とは違った特別な状況がそうさせている部分が大きいのでしょう。
さっき書いたパラノイア的な思考のループにはまってしまっても仕方がありませんし、私は基本的に物事に「人種差別」を見ないようにしていました。「人種問題」というのは、おそらくすべての「問題」がそうであるように、それを「問題化」しなければ存在しないものだと思います。
しかし、私はそうやって「人種差別」を意識しながら、それを「抑圧」することによって、逆に「人種差別」から「抑圧」を受けていたような気がするのです。そして、そういう抑圧というのは、たまに何かの拍子に噴出します。
NYには「面と向かった」人種差別をする人が「ほぼ皆無だ」と書きましたが、この「ほぼ」というのは、「どんな場所でも例外的な人はいる」という以外に、NYにも一部の特殊な人たちがいるということなのです。私がここで考えているは、ヒスパニックの「ゲットー」的コミュニティで生活する人たちです。
ゲットーの住民というのは、外部の社会との直接的な接触が希薄であるために、メインストリームのアメリカ社会の多文化的な価値観を学ぶ機会が少なく、自分たちのコミュニティに特有の価値観による狭い視野を形成します。さらに、彼らはゲットーで生活したくてそうしているわけではなく、メインストリーム社会から疎外されている感覚を持つことによって、メインストリーム社会に対する反感を持っていることも多いと思います。ヒスパニックの「ゲットー」の場合、スペイン語しか話せない人たちが、英語の話されているメインストリーム社会から隔離された感覚を持っているというのもあるかもしれません。
例えばヒスパニック・ハーレム。チナ・ロカさんが「キューバでは、電池一つ買うにも多大な疲労感をともなう」という話をしてらっしゃいましたが、ドミニカ共和国出身者の生活するヒスパニック・ハーレムに住んでいる日系女性の友人も、近所に買い物に出るとハラスメントが酷いので、必ずボーイ・フレンドと一緒に行くと言っていました。
ただ、ここには明らかに「ゲットー」の問題があると思いますが、ゲットーでの生活が必ず排他的な視点を育むのかというと、そうではないと思います。
例えばチャイナタウンは中国人の「ゲットー」と言えるでしょう。チャイナタウンには、英語がまったくしゃべれず、中国人のコミュニティだけを頼りにアメリカにやってきて、チャイナタウンを一歩も出ない生活をしている人たちがいます。または、20世紀初頭にNYのロウワー・イースト・サイドにあったユダヤ人の「ゲットー」。こうした中国人やユダヤ人は、「ゲットー」での生活を強いられていても、人種差別主義者にはならなかったと思います。私はアメリカで人種差別的な中国人というのに出会ったことがありません。ですから、「ゲットー」の住民がもともと伝統的に持っている文化に、彼らの価値観は左右されると思います。
どうも一部のヒスパニックの文化には、アジア人を差別する伝統があるようです。ただ、「ヒスパニック」という言葉はラテン・アメリカの広大な地域から合衆国へ移民して来た人たちすべてを指し示しますが、この伝統はラテン・アメリカのほんの一部の地域(キューバやドミニカ共和国?)だけに見られるものではないのかという感じがします。(どうなんでしょう?)
私の印象では、「プエルトリコ人」っぽい外見の人たちです。ただ、プエルトリコ人のコミュニティは、合衆国社会の一部としての長い歴史を持っていて、その大部分は多文化主義的な価値観に同化しているような感じがします。プエルトリコ人の知り合いを通して見えてくる彼らのコミュニティには、そういう排他的な視点をあまり感じません。そういう意味で、プエルトリコ人というのは、とてもニューヨーカーな人たちです。NYでは毎年6月に大規模なプエルトリコ人パレードが行われますが、そのときは街中がプエルトリコの国旗を持ったプエルトリコ人たちで大騒ぎになります。数年前に、その大騒ぎの中で女の子たちの洋服を剥ぎ取った連中がいて、ニュースで非難されていましたが、プエルトリコ人の友人によると「あれはプエルトリコ人じゃなくて、ドミニカ共和国の連中がやったんだ」そうです。(ホントかどうか知りませんが。)
私はここで、「オレに向かって人種差別行為をしたあの連中は、どこの国の子孫だ?」というようなことを特定しようとしているわけではありません。ただ、一部のヒスパニックの方々は、NYでは大変めずらしい「面と向かった」人種差別の体験をする機会を、私に何度か与えてくださいました。彼らが合衆国でアジア人を差別するのは、自分たちが合衆国社会において差別されいるため、自分たちよりも「さらに弱い者」を見つけて差別することによって、うっぷんを晴らしているというのもあるかもしれません。こういう「差別の悪循環」というのは、最悪です。
これは強調しておきたいのですが、もちろんドミニカ共和国出身の人たちがみんなそういう感じなのではありません。当たり前です。大学時代、クラスメートにドミニカ共和国出身のちょー可愛い女の子がいて、彼女は私にとてもフレンドリーでした。だから私は、きっとドミニカ共和国っていうのはパラダイスみたいな場所なんだろうと、ずっと思っていました。(単純。)それに、私はNYで毎日無数のヒスパニックの人たちに出会いますが、この15年間で実際に何かあったのは数えるほどです。単にNYではそういう出来事がめずらしいので、その数回が際立ってしまうのです。私はヒスパニックの女の子が大好きで、ラテン音楽も大好きです。(毎晩、大音量でメレンゲやサルサが流れているような地区に住みたいとは思いませんが。)南米には行ったことがありませんが、必ず行きたい場所です。
一部のカリブ海系(ということなのかな?)ヒスパニックの人たちがアジア人を差別するのは、一部の日本人が韓国人を差別したり、一部のポーランド人がユダヤ人を差別したりする、そういう何か歴史的な事情があるのだろうかと思うのですが、どうなんでしょう? 北米にアフリカ人が奴隷として連れてこられたように、中南米には多くの中国人が奴隷として連れてこられ、彼らは「クーリー」呼ばれました。今でもその子孫がキューバあたりには多く住んでいるようですが、そういう歴史と関係しているのでしょうか。NYにも、そうした中国人たちの子孫の文化である「キューバン・チャイニーズ」のレストランがたくさんあります。または、ヨーロッパでユダヤ人が差別されたように、中国人は勤勉で金儲けが上手いので嫌われているのでしょうか。
さて、私はヒスパニックの若い連中に地下鉄のホームや車内でからかわれた拍子に、キレてしまったことが数回あります。キレれたと言っても、殴り合いの喧嘩になったとかではなく(私みたいなひ弱な人間に、そんなことをする勇気はありません)、言い合いです。相手は高校生くらいのガキなんですよ。(とほほ。)子供相手に本当に大人げないです。冷静に説教するつもりで話し始めるんですが、もう頭に血が上ってしまい、完全に喧嘩腰になって、ほとんど冷静な会話になりません。友人たちに、そういうヤツらは何するか分からないから、危ないからやめとけと何度も言われましたが、逆に私みたいに身体を張った喧嘩をしたことのない人間は、喧嘩を怖さを知りません。すごいナイーヴなんだと思います。幸運にも、今まで危ない目に会ったことは一度もありません。さすがに私も「こりゃヤバイな」と感じたときは、逃げますし。
こういう連中にからまれるのって、必ず通勤途中で、ネクタイして「ヤッピー風」の格好してるときなんですよね。だから、単に「人種問題」ではなく、それに「階級問題」がからまっているんじゃないかと思います。そういえば一度、通勤で使ってるのとは別の路線に乗っていたとき(地下鉄は路線によって雰囲気が変わる)、初老の紳士風の白人男性が、向こう側にいる黒人の高校生くらいの連中にからかわれているのを見たことがあります。男性は、辛そうに笑みをつくって黙っていました。あれを見たとき、またハラワタが煮えくり返って理性を失いそうになりましたが、口は出しませんでした。そういえば一度、やっぱり地下鉄で、5歳くらいのヒスパニックの男の子に「チノ!」と言われて、隣りに座っていた親に聞こえるように何か言いたくて、「チノじゃなくて、ハポネだよ」と言ったことがあるんですが(大人げない……)、ああいうものの見方というのは完全に親が教えるんでしょう。
20代半ばの頃の私は、マルコムXのように効果的な議論がビシビシきれて、弱い者イジメ的な不正に対しては戦闘的な態度を取る人がカッコイイと感じていました。(若かったんだもん。)
その頃は、私も「アジア人は何も言い返さないからナメられるんだ」と思っていて、普段からつねにアジア人として発言できるチャンスをねらっていました。「アジア人をナメるなよ、ゴラァ」という好戦的な姿勢をしていたと思います。もちろん威勢をはって喧嘩をすることが目的ではなく、何かあったときは、そういう連中にも理解できる効果的な対話で言いくるめてやろうと思っていました。日常的な小さな出来事のレベルでアジア人のイメージを変えてゆくために、そうすることが私の「政治的な選択」だと思っていたのです。
中国人の友人から、公立小学校で中国人の生徒がイジメにあっていると聞いたとき、講堂に全校生徒を集めて説教することを夢想したりしました。今は、絶対そんなことやりたと思わないです。そんなことをしたら、逆効果だと思います。もし何か話すのなら、アジア人である私が何か愉しい話をして、「人種差別とは別の場所」に子供たちを連れて行ってあげるべきだろうと思います。
しかし、当時の私は、「人種差別」を受けそうな場所があると、そこを避けて通らず、逆にわざわざそこを通って「何か言ってみろよ」という感じさえありました。「人種差別」の存在を確信的につかむことができず、それを抑圧する一方で、「人種差別」の存在をはっきり示すことのできる証拠をつかもうと、私は「人種差別」の匂いのする場所にわざわざ首を突っ込むようなところがあったのです。(最悪。)そして、一部のヒスパニックの人たちは、私にそういうチャンスを与えてくれたのでした。
こんなこともありました。何年か前の夏、アヤとプールに泳ぎに行った帰り、チェーン店のドラッグ・ストアに入ったんです。大きな店内の奥のほうを歩いていたら、レジのほうから男の怒鳴り声が聞こえてきました。喧嘩だと思い、様子を見にレジのほうに出てみたら、ヒスパニック系の中年男が、レジのカウンターをはさんでキャッシャーのアジア人のおばさんを物凄いけんまくで怒鳴りつけていました。何が起こったのかは知りません。しかし、男は、「中国からわざわざアメリカにやって来て、こういうズル賢いことやるわけか!? 中国に帰って仕事したらどうなんだ、おい!」とか言って、おぞましい人種差別発言を炸裂させていました。(そもそも彼女が本当に中国人なのかどうかさえ分かりませんが、彼らにとってすべてのアジア人は「中国人」──チノ、チナ──なわけです。)
客たちや店の人もびっくりしてその光景を遠巻きに眺めているなか、アジア人のおばさんは一人で果敢に黙ってその男の罵声を浴びていました。そうしたら、しまいに男は完全に常軌を逸して、カウンターの上に陳列されていた細かい商品群をなぎ倒し、おばさんの襟元をつかもうとカウンターを乗り越えようとしたんです。それを警備員が止めているところへ、通報を受けていたのであろう警官が登場しました。そしたらなんとこの警官が、アジア人だったんです。
私はこの偶然に喜々としてしまい(アホだな)、アジア人の警官の顔を見て突然すなおになって事情聴取を受けている男のところへ歩いて行き、静かにしているアジア人のおばさんを横目に、この男がさっきまで何を言っていたか、「中国人」について何を言っていたか警官に説明してしまいました。そしたら、男はまた顔面を真っ赤にして「オレが説明してるんだ!」と大声を上げてぶち切れたので、私はその場を立ち去りました。あの男の血走った目つきは、単に頭に血が上ってただけかもしれないけど、スピード(覚醒剤)をやってそうな感じもしました。スピードをやってる人とはかかわらないほうがいいです。
その後でアヤに、「あんなことするなんて信じられない」と言ってさんざん怒られました。いまだに、「アナタは性格だけはいいんだけど、ああいうことをするのだけが信じられない」と言われます。「人種差別」を目の前にすると、私は「幼児化」してしまうのです。
他にも、私のいなところで、アヤが長距離バスで8時間にわたってヒスパニックのオヤジから受けたハラスメントとか、具体的な話はありますが、そんなことをここに並べて立てても意味がありませんし、書いてるこっちまで邪悪なものが感染してくるので、このへんでやめておきます。
ちなみにアヤは、そういうとき絶対に人種の話をしない子で、私が「ナニ人だよ?」と訊きました。私と違って、彼女は高潔です。後になってからその話を電話で聞いたとき、いつもは私より100倍くらい頑張り屋の彼女は、ちょっと泣かせてくれと断ってから、「なんで私がこんな目に会わなくちゃならないの」と言いながら泣き出しました。(その場にいて助けてあげられなかった私も、一緒になって泣いてしまいました。)アヤも高校時代からアメリカに住み始めて、いろいろつらい思いをしてきたようです。ときどきそれが涙になります。「異邦人」というのは、みんなこういう心の傷をどこかに持っている人たちなのではないでしょうか。(アヤはこの日記のこと知らないんで、書いちゃいますけど。)
アヤは驚くような行動力と忍耐力を持っていると同時に、傷つきやすい女性です。この力と感受性のコンビネーションが、私には「そこまでするか」と思えてしまうほどの、彼女の他人への面倒見の良さの源泉になっているのだろうと思います。そして、彼女の人並みはずれた他人への思いやりは、彼女がアメリカで「異邦人」として体験してきたことに少なからず関わっているのでしょう。アヤは大学院に行く費用を稼ぐために、学部卒業後は数年社会に出て働くつもりで、今年の夏に日本で就職活動をしていました。面接を受けた企業からの回答が壊滅状態のなか、いま新卒の日本人のあいだで一番人気の就職先なんだそうな企業に受かったんです。しかし、新入社員の説明会へ行くと、同世代の日本人たちの子供っぽく内輪で馴れ合う雰囲気に強い疎外感を持ったようで、やっぱり日本の企業には行きたくないと言っています。この企業は、入社日のずれた帰国子女には研修も受けさせてくれないのだそうです。アヤは、こういう排他的な空気にものすごい敏感です。
彼女はその後も就職活動を続けていますが、「異邦人」には居心地の良いアメリカの企業や、日本にある外資系は今のところ壊滅状態です。(ひとつ外資系の本命に2次まで通っていて、そこに入れるといいんですが。)そもそも日本の大企業なんか受けたのは、給料が良いという理由だけですから、後で転職もできるし、数年我慢して貯金を作ればいいと話してします。それから自分が本当にやりたいことを探せばいいと思います。アメリカの企業には、決まった入社の季節というのもありません。みんな大学を卒業する頃に、ぼちぼち勝手に就職先を探します。特殊技能系の職種の場合は学歴が新卒者の採用に左右することもありますが、基本的に仕事の経験が採用基準として一番大きいので、アメリカ人は最初からお目当ての企業に入ろうとせず、転職を重ねて自分のやりたいことを探して行きます。
ガール・フレンドの自慢をしていたら、話が逸れました。「人種差別」の話に戻します。
私は、「人種問題」に「取り憑かれて」いる人たち──アメリカの「白人社会」に文句ばかり言っている人たち──を見ると「可哀想な人たちだ」と思ったし、当然そういう価値観の違う人たちとは友達にもなれませんでした。昔、しばらく友人だった香港人の口からそういう考えを聞いて、彼に向かって「キミのほうこそ人種差別主義者だ」と言ったら、それから連絡が来なくなって、縁が切れてしまったこともあります。(こないだ、その彼と10年近くぶりにレストランでばったり出くわしたんです。しみじみしちゃいました。)
でも、彼らとは別のかたちで、私自身がどこかで「人種問題」に「取り憑かれて」いたのではないかと思います。「人種差別」が私の感情を逆撫でする「ホット・ボタン」であったように、「人種問題」にまつわる感動的な物語は、私の涙腺を激しく弛める「スウィート・スポット」でもありました。
かつて、私にとって「面と向かった」人種差別的な行為は、「人種差別」という、あるんだか、ないんだか分からない、幽霊のような存在に、ハッキリと手に触れることのできる形を与えてくれる「いたこ」(medium)だったのだと思います。まるでハリウッド映画が分かりやすい悪役を仕立て上げ、その悪役を懲らしめることによって観客のスケープゴート的な感情のはけ口にしたように。しかし、現実世界の「人種差別」はそんな単純には機能しておらず、そういう単純化された世界観は問題の複雑さを隠蔽し、自分自身の社会に対する責任感をも回避させるのでしょう。
その後、私は憑き物が取れたように「人種問題」に対するオブセッションを失いました。
「人種問題」について考えてばかりいたら、あるときふと、それに飽きてしまったような感じです。あまり人種、人種と言っていても、なんだか同じところをグルグル回っているだけで、生産的でないような気がしてきたのかもしれません。学生時代にはまっていた左翼的な「カルチュラル・スタディーズ」に飽きてしまった時期とも重なっています。今でも「人種」に関心がないわけではなく、それは私の関心の一つの中心ですが、PBSとかで人種問題に関するドキュメンタリーなどを見ても、なんだか、かつてみたいにグッとくるものがなくなってしまいまいた。「人種問題」について、冷静な視線を持って考えられるようになったということかもしれません。
あるいは、いろいろなアメリカ人とつき合っているうちに、人種差別というのは、あるところにはあるし、ないところにはない、というのを実感したからかもしれません。いろいろなことが重なっていると思います。
こういう自分の認識に起こった変化を経験していた私にとって、内田さんの文章との出会いには強く語りかけてくるものがありました。大人というのは「はははと笑ってすませる」ものだというような指摘は、身にしみます。最近は、かつて惹かれたマルコムの精悍で戦闘的な面もちよりも、マーチン・ルーサー・キングJR.の温厚でちょっと剽軽な感じさえする風貌に惹かれます。(でも、刑務所の中で辞書を読破することから始め、書物を読むことによって「生まれ変わった」マルコムは、やはり感動的です。彼は、書物の中に他者を発見したのでしょう。)
ただ、今でも「人種差別」は特別な強度をもって私に語りかけてきます。
9/11直後のアメリカで、ターバンを巻いたシーク教徒のインド人が(イスラム教徒と間違われて)射殺される事件がありました。ああいう出来事に直面すると、「人間の自我に巣くうことのできる最もおぞましいもの」を、否定することのできな現実として突きつけられたような気分になります。北朝鮮の日本人拉致の事実が明るみに出たとき、朝鮮人学校の女学生に日本人の中年女性が暴力をふるったというニュースを会社のデスクで読んで、大人が子供に人種差別をするという構図が際立って残酷に感じられ、情けないやら腹立たしいやら、傷つけられた女学生のことを想ってまた泣いてしまいました。私はすぐ泣く人間で、こういうのはほとんどメロドラマ化された物語に近い「ニュース」かもしれませんが、「人種差別」は私の特別な琴線に触れます。
しかし、私自身が他者への暴力に荷担していないなどと言い切る自信はまったくなく、感情的になるのは問題を冷静に考える視線を曇らせると思うので、気をつけたいです。
2003年9月12日
「インターネット持仏堂」で、「宿命」のお話がされています。
昨日、WTCで亡くなった白鳥敦さんに特別な感情を抱いたと書きましたが、「アメリカで暮らしていて亡くなった、私と同じ年くらいの日本出身者」は、私がそれを知ることがないだけで、きっと大勢いるでしょう。人は世界中で毎日たくさん死んでいます。
その中で「偶然」名前を知ることになった白鳥さんが、私にとって「特別な意味」を持っているように感じられるのは、内田さんが「ご縁」とか「シンクロニシティ」とかおっしゃっるものなのかもしれません。
私は、自分がアメリカに来たのも(そして日本へ帰るのも)、「宿命」のような気がしています。
いま日本で生活している方々は、ご自分で「選んで」そうしていると思われるでしょうか。それとも、今までの人生を振り返ってみれば、自分の意志とは関係なく日本に生まれて、自分の意志とは関係なく向こうからやってくる状況に折り合いをつけていったら、日本で生活することになっていた、とお感じになるでしょうか。
私を含め、アメリカで生活する多くの日本人は、アメリカに来ることを決意して行動したとき、まるで「自分の意志で選んで」そうしているような感じがしていたと思います。しかし、そうやってアメリカに「自分の意志で選んで」来た私たちも、実は「自分の意志とは関係なく向こうからやってくる状況に折り合いをつけていったら、アメリカで生活することになっていた」のではないかと思うのです。
私たちが「アメリカに来たいから来た」、「ヨーロッパに来たいから来た」、「南米に来たいから来た」、または「日本に留まりたいから留まった」というのは、一面では正しい事実です。でも、後になって振り返ってみると、私たちが生まれた環境とか、大きな歴史の流れとか、そういう私たちが自由にコントロールできないものによって、「そうならざるを得なかった」という感じもするのです。
そして、内田さんが書いておられたように、単独で行動している人ほど、すなわち、ちょっと「ずれ」ている人ほど、この「宿命」を感じるのかもしれません。逆に言えば、いくら「奇抜」なことをやっていても、「宿命」を感じない人は、本当は「ずれ」ていないのかもしれません。(「宿命」を感じている私は単独的に行動している、とか言いたいんじゃないですよ。私は全然ダメぽ。私のは、自分のダメさに流されているだけなので、「子供の宿命」ですね。)
私が「何でアメリカに行ったの?」と訊かれたとき、返事としてリストアップする理由がいくつかあります。でもこれらは、アメリカに来ることを決意した時にはっきりと意識していたというより、「後になってからでっち上げた」という感じもするんです。
WTCで亡くなったことが知られている日本人は、22名いらっしゃいます。そのうちアメリカの企業に現地採用されていた方は、3人。それぞれ亡くなったときの年齢は、53歳、44歳、36歳。53歳で亡くなった高橋啓一郎さんは、日本での大学時代には学生運動に参加し、その後長らく海外でお仕事をなさってから、グリーンカードを取得してニューヨークにある金融会社にお勤めだったそうです。44歳で亡くなった櫛谷奈生香さんは、結婚後渡米し、コロンビア大学の国際関係行政学大学院を卒業してから、ニューヨークの資産運用会社にお勤めだったようです。36歳で亡くなった白鳥さんは、私と同じように高校時代を80年代の日本で過ごした後、渡米なさいました。皆さん世代も経歴も異なりますが、2001年に世界貿易センターで起こったあの歴史的な出来事に居合わせて、亡くなりました。
当たり前のことですが、もし100年前だったら、皆さんこうした人生は送っていなかったでしょう。
2003年9月11日
今日は「9/11」の2周年です。
NYに住んでいると、WTCでのあの出来事に直接的な影響を被った人も身近に多く、個人の顔が見えるような話もいろいろ聞きました。
そういう身近な話ではありませんが、あの出来事で亡くなった方々のなかに、特別な記憶が残っている人がいます。
どうやってそれを見つけたかは覚えていませんが、私はネット上で彼の写真を見て、彼の経歴を読みました。それが彼の個人サイトだったか、彼の友人が作ったものだったかは忘れてしまいました。
彼は私とほぼ同い年の日本人で、私と同じように単身で渡米し、大学を出て、ウォール・ストリートの証券会社で働いていたそうです。そしてあの事件に巻き込まれて、亡くなりました。
私は彼の名前も覚えていないし、彼のことが書かれていた英語のページの url もどこかへ行ってしまいました。
あのサイトで彼のことを知ったとき、単身渡米して今まで頑張ってきた彼の姿が自分と重なり、涙がこみ上げてきました。
彼はオレなんかよりずっと成功していて、オレなんかよりずっと頑張っていたんだろうと思います。サイクリング用のスポーツ・ウェアを着て、自転車にまたがって不敵な笑いを浮かべポーズを決めている彼の写真を見ながら、そんなことを想像しました。西洋系の名前の彼女がいたようです。私は彼がどんな人だったのかは知りませんが、とにかく、彼もアメリカでいろんなことを経験しただろうし、そうやって生きていたある日、予想もしなかったあの出来事に巻き込まれて死んでしまったんだろうと思います。
アメリカには、そうやって生きている日本人がたくさんいます。
日系の会社に勤める駐在員の情報はすぐに日本のニュースになりましたが、そうやって個人で行動していてあの事件に巻き込まれた日本人の情報というのはつかみづらいものでした。そういうこっちの若い日本人たちのコミュニティでは、きっと私たちのように個人で行動していてあの事件に巻き込まれ亡くなった日本人がいるに違いないと、情報の収集を呼びかけていました。もしかすると、日本を離れて生活していて、今でも知られることなく、偶然あそこに居合わせて死んだ日本人がいるかもしれません。
と、これを書きながら、今WTCの跡地でやっている追悼式のテレビ中継をつけています。朝早くから、亡くなった方々の親族の子供たちが、亡くなった方々の名前を交代で30人くらいずつ何時間もかけて読み上げています。その子供たちのエスニシティはさまざまで、日系人もいます。読み上げられた名前のなかにも、ときおり日本人の名前が聞こえてきます。国籍やエスニシティに関係なく、私たちが皆「同胞」であるのは当然で、こういう儀式を共同で行うことは最重要だと思います。こんな光景は、アメリカでしかあり得ないでしょう。なにしろWTCだけで、国籍にして92カ国の人たちが亡くなったのだそうです。そして、そうした追悼を構成する部分として、個々の家族や会社やコミュニティが、それぞれの「同胞」を想像して追悼することが必要ではないかと思いました。個別性のなかにこそ普遍性というのは宿るのだと思います。
追記:
これを書き終えて、内田先生に送る前に読み返していて、日本人犠牲者だったら日本では有名なのかもしれないと思い、あまり間違ったことを書いていたら恥ずかしいことになると思って、「彼」のことを検索してみました。
そして、「彼」の名前は白鳥敦さんであることが分かりました。
私よりちょっと年上だけど、なんと、私と同じ都立九段高校出身じゃない…。(彼は中退してるけど。)ツッパッた生き方してたところも、私に似ているような…。いやいや、私は不良ぶりたかっただけで、彼みたいに本当の不良になる度胸なんてない、ただの甘ちゃんの怠け者でした。そして、やっぱり、彼のほうが私なんかと比較するのもおこがましいくらい優れた人だったんだ。彼の行動力は、すごい。内田さんも高校を中退なさってますが、ガッコウなんて中退するくらいの「ずれ」がなかったら、まっとうな人間にはなれませんね。なんて、おもいっきり言い過ぎてます。
またあのときみたいに泣いてしまう。
個人的な話ですみません。
「同胞」がどうしたとか書きましたが、こういうのってやっぱり両刃の剣と言うか、そこに属さない人が読んだら疎外感を感じる可能性があるでしょうね。そういった排他性から逃れるためには、そういう「差異化」を均質性に寄りかかってするのではなく、それが本当に単独的であることを示すことによって、すべての単独性が対等であることを示し、逆説的に、そこに普遍性を見出すこと。または、単独的であるがゆえに、だれもがその他者性に開かれていること。うーん、違うかな。
2003年8月29日
今日で会社を退職しました。ここで働き始めてから6年も経っていたなんて、びっくりです。
私がこの商社に派遣されて仕事を始めたのは、ここの Computer & Communication Dept. の今の部長さんが駐在員として日本から着任なさったのと同時でした。普通、駐在員は5年間で日本へ戻りますが、この部長さんはグリーン・カードを取られて、これからもアメリカで働いてゆくことにしたそうです。ご両親を含め、ご家族皆さんでこちらに移住なさっています。部長さん曰く、日本よりもアメリカの会社のほうが、社員同士にプライベートなつき合いもあり、みんな仲がよいのだそうです。私は日本の会社に勤めたことがありませんが、こっちの会社の人たちは、みんな思いやりがあっていい人たちばかりという印象があります。これは、私が仕事仲間に恵まれただけかもしれませんが、それだけでなく、私たちがみんな日系人としてアメリカで生活している日常的な経験がそうさせるのではないかという気がします。派遣社員だなんてことはまったく関係なく、皆さんに本当に良くしていただきました。
そして何よりも良いのは、社員の半数くらいが日系以外のアメリカ人であることです。こういう状況の何が良いと思うかについては、日をあらためて書きます。
日本で既に社会に出て働いていて、その日頃の経験から、いつかアメリカに行って働いてみたいと思っている方々、特にそう思っている女性がけっこういるのではないかと思います。そういう方々は、絶対そうしてみるべきだと私は思います。たまにそういう人たちから質問を受けることがあるので、ちょっとここに私の知っていることを書いておきます。
職種としてしは、コンピュータ関連は需要が高く、最も雇用の可能性が高いのではないかと思います。技術系は、営業などと比較すると要求される英語力も低いと言えるでしょう。ただ、アメリカでは、ちょっとぐらい英語が下手でも、弁護士とか高度な英語力が必須の職業でないかぎり、就職のとき差別されることはあまりないと考えていいと思います。
日本人にとって、アメリカで仕事する場合一番大きい問題はビザです。就労ビザの取得をサポートしてくれる雇用主が必要になります。この点で最もビザをサポートしてもらいやすいのは、こういった日本人の事情について詳しい日系の会社だろうと思います。こういった会社は、日本でも求人をしていると思います。私が雇われていたコンピュータ関連の会社から同じ商社に派遣されていた人たちは、みんな日本で雇われてこっちに来た人たちでした。(私は現地採用です。)アメリカでの求人情報源としては、たとえば ネット上には ALC とか JOBBA のサイトがあるようです。私はこういうところを使ったことがないので、内容については分かりませんが。
一度こちらで働いてしまえば、こちらのアメリカ資本の会社に転職するのも容易になります。実際、私の知っている人には、まず日系の会社でしばらく働き、それからアメリカ資本の会社に転職した人が多いです。日本で転職を考えている方、こういう「ステップ・アップ」はどうでしょうか。もちろん、「コンピュータ関連」とか「日系企業」というのは私の経験から参考までに言っているだけで、それ以外にも就職の可能性は十分にあると思いますから、いろいろ当たってみてください。
ついでに書くと、これから大学で学びたいと思っている方々(単に大学に行きたいのではなく、大学で学びたいと思っている方々)は、アメリカの大学への留学の可能性を考えてほしいです。別にアメリカじゃなくてもいいんですけど、やっぱりアメリカの大学には特別なものがあると思います。このことについては、また機会をあらためて書きたいと思います(と書いて後回しにすると、私は結局そのことを書かない悪い癖がありますが…)。
留学にはお金がかかりますが、日本の私大へ行く学費と都会で一人暮らしする生活費があるなら、留学費用だってそんなに変わらないと思います。学生としてこっちに来たら、割の良いアルバイトをするのはほぼ不可能だと思ったほうがいいですが、レストランとか、バイト先がまったくないわけではないです。ただフルタイムの学生になると、バイトに励む時間を見つけるのは大変だと思うので、それを当てにしないほうがいいと思います。非常に割は悪いですが、アメリカの学生の多くは大学で働いています。特に都会の大学には、フルタイムで仕事をしながら大学に来ているパートタイムの学生も多いですが、学生ビザはフルタイムの学生にならないと取得できません。就労ビザを持っていれば、パートタイムの大学生にもなれます。税金を払っていない留学生にとっては、奨学金の獲得も非常に困難です。日本でしばらく働いてお金を貯めてから留学している人も多いです。
そのままアメリカ人になっても、また別の場所へ移動しても、日本へ帰ってもいいですよね。人間到る所青山あり、ではないでしょうか。
2003年8月14日−15日
The Blackout of 2003
14日の木曜日は仕事を休んでいた。夏休みでアヤがうちに来ている。
この日は午前中から SoHo に買い物に行き、昼食を取った後、ユニオン・スクェアにある映画館へ2:45分からの『ターミネーター3』を観に行く。何十個もスクリーンのあるシネマ・コンプレックスだけど、もう『ターミネーター3』は1スクリーンでしかやっていない。3階の「シアター14」に入ると、がらんとして客が一人しかいない。通路を目の前にしたど真ん中の一等席に座る。映画が始まっても、客は全部で10人くらいだった。でもヤジは十分にうるさい。
映画が始まって1時間半くらい経ち、ジョン・コーナーの奥さんの父親が今まさに国防省の機関でスカイネットのスイッチを入れようとしたその決定的な瞬間、スクリーンから映像が消え、劇場の非常灯が点いてにわかに明るくなる。現実に引き戻されたというより、あまりのタイミングの良さにまだ映画が続いているようで、劇場前方左側の出入り口から美人の新型ターミネーターがゆっくりと進入してきて、スクリーン中央まで進むとぴたりと足を止め、おもむろに客席の方を向いて冷たい表情で笑ったかと思うと、レーザー砲と化した右腕から客席へ発砲し始める…。ような雰囲気だっけど、そうはならず、後方の席から "Give us the money back!" というヤジが飛てんでくる。
若い男の客が外に出てから戻ってきて、「館内の電気が全部消えて真っ暗だよ」とシアター14のみんなに告げる。しばらくすると、今度は映画館の係員の女の子が入ってきて、「この地区一帯が停電で、いつ復旧するから分からないから、チケットを払い戻したい人はチケット売場でそうしてください」と告げた。
向こうの席の座っていた老夫婦が、困惑した表情で静かに「しばらくここにいて様子を見ましょう」と言っているのが聞こえる。私たちも「どうしようか?」としばらく考えているが、結局、半券2枚を20ドルに換金し、映画館の外へ出ることにする。すると町中のビルから人々がぞくぞくと外へ出てきていて、道はごった返している。信号機も止まっていて、車道は軽い渋滞になっている。犯罪防止のためもあるのだろう、道に面した小売店は次々にシャッターを下ろしている。
(『ターミネーター3』がクライマックスの直前で中断されてしまい、私たちは「払いもしたお金で映画館に行ってまた最初から見直す」べきか「ビデオを借りて見る」べきか悩みながら、結局まだ映画を見ていない。もう映画の放映期間も終わってしまっただろうから、いつかビデオで見てみよう。あれから物語はどうなったんだよ!)
しょうがないので、ここから遠くない自宅に向かうことにする。ところどころで路肩に停車したクルマが歩道側にドアを開け放ち、カー・ステレオの音量をいっぱいにして、何事が起きたのか知ろうとする人たちのためにラジオを流している。私たちも足を止めてラジオに聴き入る。どれくらいの範囲で停電が起きているんだろうと思っていたら、NY市全域、さらにデトロイトやクリーヴランドなどアメリカ北東部の都市、カナダも停電しているとアナウンサーが言っているのを聞き、びっくしてアヤと顔を見合わせる。隣りに立っていた女の子が「そうなのよ」という視線を私に向けたので、「そうなんだ」という視線を返す。みんなラジオを聴きながら無言で会話している。「これはテロではありません」とアナウンサーが言っている。携帯で会社に電話しても、繋がらない。
物静かに大移動している人々の流れ(exodus)を見て、既視感に襲われる。2001年9月11日のようだ。
うちに到着。むかし美術館でインターンをしたときにもらったポップで可愛いデザインの小型ラジオを引っぱり出して、めったに聞いたことのないAM放送を流す。この小型ラジオを、私は電気が復旧するまで肌身離さず持ち歩くことになる。これがいつかこんな風に役立つとは思わなかった。
大停電の晩は、なかなか風流だった。
クーラーが点けられずにちょっと暑いけど、猛暑というわけではなく、アメリカは湿度が低いし、水道は生きているので水浴びをすれば快適である。うちにあったロウソクをかき集めて火をともす。いっぺんに点火されブレンドされた、香料入りのロウソクのほのかな香りで部屋が満たされる。冷蔵庫の電気も切れたけど、冷凍室にいっぱい入っていた氷を冷蔵室に移動すると、クーラー・ボックス状態になって、麦茶も冷たい。大きな不便は何もない。
ラジオではアップタウンのほうは食べ物の入手が困難になっていると言っているけど、ここダウンタウンではまだ開けているレストランも多い。それでもクーラーが使えず店内はとにかく暑いし、歩きながら食べられるピザを求める人々でピザ屋の前には長い行列ができていた。ピザを焼くオーヴンしかり、こんな状況で料理の火を使ったら汗だくになるだろう。商売というより、半分コミュニティへのボランティアなんじゃないか。中華料理屋の厨房を覗くと、微かなロウソクの光が数個見える漆黒のなかで、火力の強い炎とその上を舞う中華鍋の影が見える。うわ、アツそ…。「さすが中国人、やっぱり商売なのか」と思ってしまう。
私たちもお腹が空いてきたので、Tシャツ・短パン・サンダル姿で外に出る。ロウソクをともして開けているイタリア料理屋を見つけて入り、サイドウォークに座って行き交う人々を眺めながら夕飯をとる。ワインを飲みながら、持って来た小型ラジオを点けて聞いてみたが、いったいいつ電気が復旧するのか分からない。陽が沈み、街は夕闇に包まれ始めている。ラジオのコメンテーターが、「ユダヤ人の家庭はサバスのロウソクがあるから大丈夫」とか、「普段から電気を使わない生活をしているアミッシュは、世間は何を騒いでるんだという感じだろう」とか言っている。うちに帰って、また水浴びをする。
夜10時くらいになると、外から独立記念日のときのような爆竹の音が聞こえてくる。懐中電灯を持って、一人で外に探索に出る。数少なく走っているクルマのヘッドライト以外、街は暗闇と化している。しかしその暗闇のなかに多くの人々が賑やかに佇んでいる。こんなときは暑苦しい部屋の中より、外で涼んでいたほうがいいのだろう。昔の下町の夏の夜というのは、こんな感じだったんじゃないだろうか。ロウソクの灯ったカフェのサイドウォークで人々がお酒を飲み、アパートの出入り口の階段にもロウソクが灯されてそこに近所の住人が集まり、ギターやアコーディオンを弾いている人たちもいる。点火された花火を手に喜々として走り回っている子供たちもいる。夜の街はすっかり非日常的な祝祭(carnival)気分である。
うちに帰って、また水浴び。暗くて本も読めないし、やることがないのでベッドに入る。ラジオではカナダの大臣が、「9ヶ月後には前代未聞のベイビー・ブームが来るでしょう」とか呑気なことを言っている。
翌日も電気はつかない。
ラジオを点けると、私の仕事場があるミッドタウンでは電気が復旧したと言っている。携帯電話の電気がなくなってしまったけど、充電できないので使い物にならない。普通の電話機も使えないし、まったく外部と連絡が取れない状態。公衆電話を使いに外へ出る。(電気がなくても公衆電話って使えるもんなんですね。)公衆電話の前には、すでに人の列ができている。やっと一人、会社の人の携帯電話に繋がって、「今日は休みだよ」と言われる。これは後で聞いた話だけど、停電の日はエレベータが止まって、会社のみんなは43階を非常階段で降りたそうだ。脚が筋肉痛になったと言っていた。交通機関が機能しておらず、何人かは自宅に帰れないでオフィスに泊まったそうである。
アヤと食べ物の買い出しに行く。サバイバルの探検みたいだ。コンビニエンス・ストアに入ると、昼間なのに、窓のない店内は真っ暗。昼間から懐中電灯が必要になるは思わず、持ってこなかった。ロウソクを持った店員に案内されて、ロンゾニのパスタとクラシコのトマト・ソースとキャンベル・スープとケトル・チップス(ポテト・チップ)を買い込む。当然レジも動いていないので、大雑把に計算した金額を言われて渡す。
ビデオ・デッキが使えなくて、日系のレンタル・ビデオ屋で借りていた日本のテレビ・ドラマ『顔』の最終回が見られない。(オダギリ・ジョーかっこいー。)ラジオを聴きながら、うちでぐたぐたしている。アナウンサーが、「昨日は状況が新鮮だったが、そろそろ人々もこの停電に嫌気が差し始めているだろう」と言っている。まったくそのとおり。うちにいるのも飽きたので、電気が戻っているらしいミッドタウンにバスに乗って行ってみることにする。もう暑くて暗い夜を過ごすのが嫌になったので、もし今夜も復旧しなかったらミッドタウンの安ホテルに泊まるつもりで、デイパックに生活用品を入れて行く。同じことを考えているのか、バス停には小旅行くらいの荷物を持ったカップルが数組待っている。地下鉄が止まっているあいだ、バスの乗車料金はタダになっている。バスに乗り込むと、エアコンが効いていて涼しー。シュワー…。一人だったら、一日バスに乗って本でも読んでるだろうなと思う。
うちのある6丁目から1番街を北上して行くと、40丁目あたりで信号機が点灯し始めた。本当だ、復旧してるんだ。食べ物らしい食べ物を夕飯にテイクアウトして、ロックフェラー・センターにある会社のオフィスに行くことにする。オフィスに入ると、だれもいない。テレビが見たかったんだけど、なぜか映らない。ひさびさに(と言っても一日ぶりだけど)ネットを見て回り、ニュースなど読む。
復旧状態を調べようと、NY市のサイトとか電力会社のサイトとか見て回っても、どこにもその情報がない。1010 Wins やブルームバーグ・ラジオで言っていた市の提供するインフォメーション番号311に電話して、「イースト・ヴィレッジの電気は復旧してますか?」と聞いたら、「ここではその情報は提供していないので、1010 Wins やブルームバーグ・ラジオを聴いてください」と言われる。仕方がないので、またいつものラジオ局を聴く。NY市の85%は復旧したと言っている。マンハッタンでまだ復旧していないのは、チェルシー地区、クーパー・スクェア、…。うちはクーパー・スクェアの近所である。
アヤは体調が悪くなってきたようで、クーラーのぎんぎんにきいたオフィスにいるのはつらいから帰りたいと言い出した。うちの電気が復活しているか確認できないまま、とにかく帰ってみることに。外のデリカテッセンで温かいスープを買ってすすり、5番街に出てダウンタウン行きのバスを拾う。もう夜の9時頃で、あたりはすっかり暗くなっている。南北に走る5番街(5th Avenue)を、東西に交差する50丁目(50th Street)あたりから49丁目、48丁目…と南下してゆくと、昼間こっちに向かったときには電気が消えていた地区の電気が点いている。しかし、34丁目まで来ると、5番街の左側(東側)は電気が点いているのに、右側(西側)は真っ暗なのを発見する。チェルシー地区である。「うわ、チェルシーまだ戻ってないじゃん。チェルシーの人たち可哀想…。」左手には街の灯り、右手には暗闇という不思議な光景を眺めながら、5番街を下ってゆく。うちは6丁目である。14丁目まで来ると、そこから南は西側も電気が点いていた。アヤが喜々とする。バスは8丁目を左折し、ブロードウェイに出る。ここで降りて、後は歩き。
8丁目をうちの方角へ歩いて行く。すると…。クーパー・スクェアから東の地区、すなわち私たちの住んでいるイースト・ヴィレッジがぽっこりと暗闇に沈んでいる! アヤが叫び声を上げる。まだ戻ってないのかよ…。どうなってんの、これ。どういう順序で戻してるんだよ。この地区だけが、くっきりとした縁取りを持った漆黒の塊のようになっていて、そこに突入して行くのは洋服箪笥の中にでも入って行くような不思議な感じだった。夜闇に沈む8丁目を歩いてゆく。この道は別名 St. Marks Place といい、若者の多い繁華街になっている。暗闇の St. Marks Place には、そこここに小さなロウソクの光が揺れ、静かな人影が佇んでいる。すると…。突然、周囲がぽっと明るくなる。なんと、電気が戻ったのだ。それと同時に辺りから歓声が上がる。時間は9時半ころ。電気が消えてから24時間以上が経っている。
「St. Marks 歩いてるときに電気が戻るなんて、すごい偶然だね」といいながら、うちに向かって歩き続ける。うちに到着。アパートのビルの入り口の幅の狭い階段に、若い男たちが数人座っている。「ごめんね」と言いながら彼らの真ん中を割って階段を上って行くと、その中で目の合ったドレッド・ロックの黒人が白い歯をニコッと出して、"The party is over huh?" と私たちに声をかける。"Yeah right" と笑い声が上がる。というわけで「お祭り」は終わった。
2003年7月13日
33歳になりました。30代も、すっかり板についた感じです。
と感じてるのは自分だけでしょうか。
2003年7月4日
独立記念日。アメリカ独立バンザーイ。
2003年7月1日
夏だあ。おっぱいがゆれる。ぽよんぽよん。ぽよんぽよん。
2003年5月5日
今日から会社はカジュアル・ウェア着用。普段も金曜日は "casual day" なんですが、夏の間は5月最初の月曜日から9月1日の Dabor Day までカジュアル・ウェア着用になります。
私はスーツで仕事するのが大嫌い。職種にもよるけど、私みたいな類の技術系の仕事をしている場合、外部の人と仕事することも滅多にないし、スーツ&タイは動きづらいだけ。中学のときに着ていた詰め入りの制服の息苦しさを思い出す。仕事の帰り道にしても、私が行くようなことろではスーツ姿が浮いてしまうのです。
ただ、私は「ネクタイ反対派」の人たちとは、ちょっと違うかもしれません。というのは、スーツ&タイを着用すること自体が嫌いなわけじゃないんです。以前、スーツの歴史について本を書いた女性が、なんでこんな働きづらい服装が仕事着として何100年も定着しているかというと、それは、ピューリタンの禁欲的な倫理観というイメージに反して、実はスーツがセクシーだからなんだ、と書いていました。私もスーツはとってもセクシーだと思う。デパートで高級なスーツやシャツやネクタイなどを見るのが大好き。もちろん買いませんけど、ほとんど。だからお洒落したいときにスーツを着るのは大好きです。
2003年4月29日
日露戦争は置いといて、「新保守主義 neoconservatism」についての入門的な読書をする。「新保守主義」というのは、ブッシュ政権で影響力を持っているといわれるイデオロギー。(ただ、一枚岩的な思想ではないらしい。)Vernon Van Dyke という人の書いた Ideology and Political Choice という本の Neoconservatism の章とか読んでみる。
うーむ、おもしろいな、これ。
アーヴィン・クリストルやノーマン・ボドレツといった新保守主義の論客たちが言っていることの説明を読んでみたんだけど、いろいろ考えさせられる。
この人たちの左翼批判は、なかなか鋭い部分があると私には感じられた。そもそも、この人たちは元左翼であり、60代以降に新保守主義に転向したんですね。あるとき自分の誤りに気がついて転向した人というのは、その反動から、過去の自分を思い出させるような考え方を徹底的に批判する傾向があるような気がするけど、この人たちの左翼批判もそんな感じなのかもしれない。でも、そういう人にかぎって、「過去の自分」に向かってシャドー・ボクシングしてしまう傾向もあるのかもしれない。ヴァン・ダイクが指摘しているように、「そんなリベラル、実際にどこにいるの?」と思わせるような、架空の敵を描いてしまうという。
ヴァン・ダイクによると、新保守主義が批判するものの一つは、「平等主義 egalitarianism」。「平等主義」と言っても、何が平等なのかといういう点で、その意味はまったく変わってしまう。例えば、「市民は法によって平等な保護を受ける」というのは、新保守主義者もとうぜん賛成なわけです。新保守主義者が反対なのは、「資産の再分配によって貧富の差をなくす」とか、「フェミニズムによってジェンダーの差異をなくす」とか、そういう強制的な「均質化」のことらしい。「自由競争したら格差ができてしまうのは当然であって、みんな違った生き方をすればいいじゃないか。必要なのは、みんなが同じになることじゃなくて、社会が全体として豊かになることだ。そうすれば、弱者にとってだって良い社会になるんだから」という主張らしい。私がこれだけ書くと穴だらけの議論に聞こえるだろうけど、とにかく、そういう「平等主義批判」というのが新保守主義にはあるらしい。
しかし、新保守主義は、いわゆる保守主義と違い、福祉国家を求める。「弱者を助けないような社会は、良い社会じゃない」と考えるのだ。クリストルは、Two Cheers for Capitalism という本で、資本主義は他のシステムにくらべたら一番良いシステムなんだけど、絶対的な評価として、満点はあげられないと書いているそうだ。(英語では Three Cheers が満点であり、資本主義には Two Cheers を与えるということ。)「個人が自律的で自由に考え行動できる資本主義は素晴らしいんだけど、そうするとどうしても自己中心的なことをする人たちが出てきてしまい、それが社会全体にとって良くない状況を作り出す。それが欠点だ」と考える。そこで、この資本主義の問題を是正するためには、弱者を助ける福祉のシステムだけではなく、「他人のことを思いやる道徳観」が不可欠になると考える。そして、クリストルによると、この道徳観は、近代的な合理主義では獲得できず、求められるのは一種の「ポストモダン」な価値観なのだということになる。ここで言う「ポストモダン」とは、価値の相対主義ではなく、宗教のように合理性を超えた絶対的な道徳心のことである。
私みたいな無知がこうやってまとめても、ウィルダフスキーやクリストルやポドレツが言いたいことさえ伝わらないと思うけど、何も知らなかった私には、この人たちが言っていることには興味深い指摘もあると思った。おもしろいので、政治思想についてもっと勉強してみたいと思った。しかし、上のようなクリストルの議論を読んで問題だと思うのは、やはり「超越的な道徳観(宗教)」の部分ではないか。その道徳観がどういう構造を持ったものなのかにもよると思うけど、クリストルが言うような新保守主義の道徳観は、「明瞭」すぎて恐ろしいと思う。クリストルやポドレツは、新保守主義はイデオロギーではないと言っているらしいが、そんな「道徳」を社会に押しつけたら、社会が「均質化」してしまうだろう。「経済のではなく、道徳の貧困と戦い、社会を道徳的に均質化することによって統合する」というのが、新保守主義の目指すところなのだろう。その裏には、必ず他者への抑圧があると思う。それが良い社会なのだろうか。
ホント基本的なことさえ知らない分野なんで、助言があったらお願いします。
あと、こういったイデオロギーや考え方に基づいた、国内政策と対外政策の表れ方というのは、複雑な関係にあるようだ。国家の内側と外側の関係、主体の内側と外側の関係というのは、似ているようだけど、階層が違うし、これまた複雑に絡み合ってるんだろうな。
2003年4月28日
5月の後半に、ニューハンプシャー州のポーツマスに行くことになっている。
東京での父の葬儀のときに、父の小学校時代の同級生という方がいらして、「今度、お父さんの話を聞かせに、お宅におじゃましますから」とおっしゃって、後日、私の実家に来てくださった。このSさんという方は、某新聞社のモスクワ支局長を務め、今は新聞社を定年退職して、大学の教授をしながらソ連・ロシア関係の研究をなさっているのだそうだ。Sさんに、「あの、今ぼく仕事探してるんですが、英語が使えるような仕事何かないでしょうか?」と訊いてみたら、「うーん、思いつかないけど、とりあえず、今度私がアメリカ行くときアシスタントしてくれる?」と言われたので、「はい、いいですよ」と引き受けた。
来年2004年は日露戦争開戦100周年にあたり、Sさんは、この機会に日露戦争についての本を執筆しているのだという。それで、日露戦争を終結させたポーツマス条約調印の地であるポーツマスに取材旅行に行くので、いっしょに来て手伝ってほしいとのことだったのだ。
そんなわけで、ここ数日、ニューヨーク、ポーツマス、ボストンと回るための宿泊と交通の手配をしたり、ポーツマス条約調印に関係のある施設に連絡を取ったりしていた。ポーツマスは、「アメリカで3番目に古い街」なのだそうだけど、今では小さな保養地になっているようだ。とは言え、行ってみないと、どんな感じの場所なのか見当がつかない。
アメリカのルーズベルト大統領の仲介により、日本側主席全権の小村寿太郎とロシア側主席全権のヴィッテが講和条約に調印したのは、ポーツマスにある海軍工廠(Portsmouth Naval Shipyard)の86号ビルという建物内。(私は「海軍工廠(こうしょう)」って日本語知りませんでしたが、戦艦とか造る工場施設のことだそうです。)ここは、1800年に設立され、北米で最初の海軍工廠なのだそうだ。ポーツマス海軍工廠は今でもアメリカ海軍によって運営されていて、原子力潜水艦を製造している。
インターネットで検索したら、Portsmouth Naval Shipyard Museum というのがあったので、ここにまず電話してみた。そしたら、「ここは、ニューハンプシャー州じゃなくて、ヴァージニア州のポーツマスよ。間違えて連絡してくる人多いけど、日露戦争と関係ないの」と言われる。別の「ポーツマス」だったのだ。アメリカには、「ポーツマス」って名前の港町がいっぱいあるんだろうな。ヴァージニア州ポーツマスには、海軍工廠まであるのか。ややこしい。しかし、ウェブ・サイトに何州だか書いてないんだもん、そりゃみんな間違えるでしょ。その後、本当の(ニューハンプシャー州の)ポーツマス海軍工廠に無事連絡が取れた。一般には公開されていない工廠内を見学できることになりそうだ。
小村寿太郎主席全権一行が滞在したのは、ホテル・ウェントワース。この歴史のあるホテルは、近年、売りに出されたものの買い手がつかず、取り壊しの危機に直面していたが、無事ホテル・マリオット系列が買い取って、今年から新たに開店することになったようだ。私がポーツマスに行くころの予約は、もう一杯。
Sさんが、「ポーツマス行くまでに、ちょっと日露戦争のこと勉強しといてください」とおっしゃって、日露戦争とロシア革命関係の本を5冊ドサッと送ってくださった。これからしばらく日露戦争のお勉強をする。
2003年4月24日
昼間、派遣先近くのカフェで雇用会社の上司と落ち合って、8月いっぱいで退職したいと正式に伝える。
9月に今の就労ビザが切れるから、この仕事も6年やったことになるのか。気楽な「アルバイト」だったけど。
この上司は、在米30年の日本人。最初は日本の商社の駐在員としてアメリカに来て、日本に帰らず転職してアメリカに住み着いた人だ。こういうパターンの人というのは、けっこういる。
上司いわく、「日本に帰ったら、日本のやり方でやるのが大変だよ。ま、今帰んなかったら、もう帰れなくなるね。優秀な人ほど、アメリカのやり方に慣れちゃうと、日本のやり方が出来なくなるよ。」
私は優秀じゃないんで、そのへんは大丈夫だけど、「日本のやり方」が大変なのは、そうなんだろうな。私は日本で仕事したことがないから分からないけど、日本とアメリカで仕事したことがある人は、みんなそう言う。
ちなみに、そういう理由でアメリカに「逃げて来る」日本人は多いけど、その内分けは圧倒的に女性が多い。アメリカで頑張っている彼女たちを見ていると、日本が女性にとってどれだけ仕事のしづらい社会かというのが伝わってくる。
2003年4月22日
昨日のつづき。
リービ英雄という方の名前は、初めて聞いた。奥付けのコピーによると、こういう方だそうだ。
日本文学の新しい流れを作る代表作家。
1950年アメリカに生まれる。少年時代を台湾、香港で過ごす。プリンストン大学卒。
プリンストン大学、スタンフォード大学の日本文学教授を務めた。
『万葉集』の英訳により、全米図書賞を受賞。
1967年以降、日米を往還。現在、東京在住。法政大学教授。
文章を読むと、リービは「白人」であることが分かる。もともと英語が母国語の白人アメリカ人であり、日本語を習得して、今は日本に住んでいるということのようだ。
「東北の出会い」という文章は、リービが松尾芭蕉に関する座談会に出席するため、「東北地方のある町」に向かう特急列車に乗っていたときの出来事について考察している。リービは、その二ヶ月前にした別の東北旅行で、まずこういう発見をする。
そのとき「東北」で感じたことの一つは、地方都市を離れれば離れるほど、こちらの人種が問題にされなくなる、ということだった。より「客観的」に言い換えれば、もしかすると東京以上に強い地方都市の「民族」神話──異人種に対する近代の極端なこだわりが、かえって漁村の、明治生まれや大正生まれの老漁師たちといっしょになると、感じられなくなる、ということだった。よそ者に対する劣等感と優越感と排他主義から成るあの「コンプレックス」は、日本人の土着的な「気質」ではない、むしろ近代の都市社会から生まれたものである。そして「中央」から離れた小さな近代都市ほどその複合感情(コンプレックス)が強くて、それらの小さな「中心」をさらに離れた農村や漁村になると、それらが実に不思議なほどに感じられなくなるのだ。そのことが分ったときぼくは国内旅行で何年ぶりかのおどろきを覚えたのである。
ふーん、そんなもんなのか。ここでポイントになっている概念は、「中心」ではないかと思う。日本の農村や漁村といった田舎には、「中心」がどこか別の場所にあるという感覚がない、ということなのだろうか。
こういう世界の見え方というのは、自分が「白人」でないと体験できないので、とても興味深い。逆に、私は普段、アメリカ社会、より特定的にはNYの社会において、「アジア人」がどう認識され、どう社会の枠組みにはめこまれ、それに対して自分はどう関わってゆくべきなのかを日々体験しながら考えている。いや、いつもそんなことを考えてるわけじゃないし、考えても「答え」なんか出ないし、考えると疲れるので考えたくないときもあるし、そんなこと考えるべきじゃないと思うこともしばしばあるが、それがまさにそういう意味で逃れられない、「向こう」からやってくる「問題」であることは少なくとも今の私にとって事実である。アメリカと日本の文化という異なった認識構造の中で、それぞれアジア人と白人がどういうポジションにはめ込まれるかというのは対称的な問題ではないだろうが、やはりここには同形性があって、私にはとても興味深く感じられた。
その上で、「NYのアジア人」よりも、「日本の白人」であることのほうが、明らかに「社会的な異者として扱われる度合い」が高いだろうなと思う。NYには、アメリカで育って英語が母国語のアジア系アメリカ人から、英語がまったくしゃべれない中国系の移民まで、アジア人が当たり前のようにいっぱいるし、そもそもここでは、人種や民族という属性によって「みんなと違う」というリアクションを受けるということは、ほぼ皆無と言っていいだろう。多様な人種や民族の共存が、NYの「当たり前」なのだから。
リービは、列車のなかで、もう一人の日本語を話す白人アメリカ人に出会う。彼と「当たり前」のように日本語で話をしながら、リービはこう感じる。
こいつは日本語で自己表現をしているんだ、こいつはただ日本語を理解しているだけではなく、日本語はもはや内面のどこかに入り込んで、その感情を形成しているのではないか。性格も意見も生いたちもぼくとは違う。しかし、ぼくと同じように、こいつは、最も根源的な意味で脱西洋をしてしまっている。そしてたとえばこいつはそういうコトバを使わなくても、「国籍」や「民族」という二十世紀末いまだに続いている外的条件を何とかまぬがれるようにして、確かに自分の中で「日本人」を形成しているのではないか。
かつてぼく自身が他人(つまりまわりの「日本人」の一部)から受けた審判を、ぼくが今、他人(つまりぼくが出会う「外人」の中の、わずかな「例外」)について、審判をしてしまっているそのことに、ぼく自身がおどろきを覚えたのである。
「真の国際化」ということばも脳裏を掠めた。しかし、それすらも消えてしまった。東京での「国際化」議論は、何というバカバカしいさわぎに思われたことか!
私もあるときから、自分は「アメリカ人」であると思うようになった。「もし『日本人』というのが民族神話だとすると、『アメリカ人』って何だろう?」と考えたとき、それは「だれでも、なりたければ、なれるもの」であり、そういう「思想としてのアメリカ」、または「場所としてのアメリカ」を受け入れた者が「アメリカ人」になると思うようなったのだ。言い換えると、「『アメリカ』に参加する気のある者は、『アメリカ人』である」と思うようになった。この「アメリカ」は、もちろんブッシュ大統領の「アメリカ」である必要はない。「アメリカ」とは、言説闘争の空間でもあると思う。
しかし、アメリカ社会への「所属感」というのはどこから来るのかというと、リービが指摘しているように、言語というのが決定的なのかもしれない。今になって思い出してみると、私が「自分はアメリカ人だ」と思うようになったのは、英語で物事を考え、英語で自己表現するようになった頃からのような気がする。すなわち、「アメリカ人の思考形態」を多少なりとも実践するようになった頃から。これは、リービも言っているように、英語が「理解」できるというだけのことではないと思う。アメリカ社会で、他のアメリカ人たちとコミュニケーションし、思考のやり取りをし、そこに自分も「生産的に参加する」ことによって主体が構築されてゆく感覚ではないだろうか。そして、これはとても身体的なことのような気がする。
もちろん、私はつねに「異邦人」だった。でも、NYという街自体が、そして本来アメリカという国自体が、「異邦人の街」であり「異邦人の国」なのではないだろうか。異邦人というのは、けして社会から浮遊した存在ではない。だれであろうと、そこで生活しているかぎり、社会のネットワークに絡め取られてしまう。しかし、そこに同一化せず、ちょっとズレたような感覚を持っているのが異邦人なのかもしれない。だから、日本にいる日本人にだって、きっと「異邦人」はいると思う。
「『there』のないカリフォルニア」についての感想は、またの機会に。
2003年4月21日
ここのところ、「何にもやる気がしない病」を発生している。以前なら、何か新しいことを発見したり、だれか新しい人に出会ったり、日常の中のちょっとした出来事が、身の回りに貯蓄され、未来につながって発展してゆく感覚があったわけだけど、あと数ヶ月でNYから離れると思ったら、そうしたいつもなら「日常の愉しい出来事」であるはずのことも、ただもうすぐ失われるものに感じられて、何もやる気がしない。日本での新たな生活について前向きに考えればいいわけだけど、今の私には、どうもそれが困難になっているらしい。
實松さんから個展の案内状をいただいた。案内状には、こうお手紙が書かれてあった:「かわに おう様内田さんのところの連載 読ませていただいています 個展の案内ついでに 面白かった本のコピーを送りますので もしお時間あるときにでもどうぞ では」。そして、リービ英雄という人の『アイデンティティーズ』(1997年)という本から「東北の出会い」と「『there』のないカリフォルニア」という2つの章をコピーしたものが同封されていた。読んでみたら、とても面白い内容だった。ありがとうございます。
實松さんは、インターネットをつうじて知り合ったアーティスト。現在の私の数少ない日本の友人というのは、インターネットをとおして知り合った人たちが中心になっている。私がインターネットをやり始めたのって、たしか1996年くらいだったと思うけど、もしインターネットがなかったら、私は日本の人たちとほぼ完全に断絶状態になっていたはずだ。実際、こっちに来て最初の7年くらいは、そういう状態だった。日本語のメーリング・リストに入って、初めて「日本の人たち」とインターネットをとおして話したときの、別世界と接するような緊張感を思い出す。インターネットをとおして伝わってくる「日本」というのは、かなり限られた、そして特殊なものだと思うけど、それでもインターネットは私にとって日本をぐっと身近なものにしたと思う。この「ヴァーチュアル・ジオグラフィー」の変化というのは、もちろん日本だけでなく、アメリカ国内やその他の世界とのコミュニケーションの構造にも変革をもたらした。
實松さんに送っていただいた文章の感想を書こうと思うんだけど、その前に、實松さんの個展の情報を掲載しておきます。實松さんのサイトの"News" という欄からの転載なので、興味のある方はそちらも参照してください。
實松 亮 個展"Forggotten Elements"
@ 代々木off-site
渋谷区千駄ヶ谷5-23-7 TEL:03-3341-5557
5/6(火) - 6/28(土) 日月祝休
18:00-22:00 (土曜のみ15:00-22:00)
■関連企画ライヴ
脱線音狂トリオ
5/10(土) 20:00- ¥1000
實松 亮 (声、小道具など)、山田 民族 (Megaphone,etc)、高岡 大 (tuba,etc)Trintoron VS Optron
6 /14(土) 20:00- ¥1000
實松 亮 (テレビ、パソコン)、伊東 篤宏(蛍光燈)
映像と音響とドローイングによる小品も含むインスタレーションです
ライヴも2つほどそれぞれ違ったスタイルでやりますのでよろしく。
2003年4月16日
そう言えば、1週間くらい前、まだバグダッドが陥落する以前、PBS(アメリカの NHK)を偶然見ていたら、ブッシュ政権と大手メディアを批判する内容の番組をいくつかやっていた。「私たちがやらなきゃ、だれがやる! PBS fights back!」という感じがした。
私が見たのは、まず、ビル・モイヤーズがホストの NOW という番組での、巨大メディア資本批判。具体的な名前をあげて、少数のメディア会社にニュースの内容がコントロールされることの危険性を示し、徹底的に批判していた。Clear Channel とかディクシー・チックスの話もでてきて、「おお、クルーグマンが書いてたことだ」と思ったら、「ニューヨーク・タイムズでは、ポール・クルーグマンが…」と言及されていた。別の日の NOW では、ブッシュ政権のメンバーたちの利権関係などを批判する特集をしていた。
PBS の Frontline という番組では、"Blar's War" という特集で、ブレア首相の政治的選択を分析しながら、アメリカとイギリスの単独行動を批判的に描き出していた。いま Frontline のウェブ・サイトを見たら、"THE WAR BEHIND CLOSED DOORS: The inside story of the Bush administration's march to war with Iraq" という特集も放送したようだ。をを、これ、1時間の番組が全部ネット上で見られる。他にも、最新の番組はネットで見られるようになってるんだ。便利。
2003年4月15日
ひきつづき、イラク戦争関係のウェブ読書日記。ブッシュ政権のせいで、政治社会のことが気になる。私は、ふだん新聞も読まないし、政治経済のことがよく分からないので、「これ読むといいよ」とか、助言があったらよろしくお願いします。
ところで、以前あげたのもそうですが、英語の原文が読める場合、私は基本的に邦訳のほうは読んでいません。すみません。
Immanuel Wallerstein
今回の戦争は、冷戦後の地政学的状況においてアメリカの覇権を確立しようとする、ブッシュ政権のタカ派が引き起こしたことが指摘されている。また、この戦略がアメリカにとって失策であり、アメリカの没落を急激に早めることになるのではないかと分析されている。
1945年から現在まで、「世界システム」的に大きな、地政学の歴史的変化の分析をおこなっている。
この戦争によって、今後どのような地政学的な変化(または無変化)が起こるかを予想している。「未来の歴史家は、この戦争がアメリカにとっていかに不毛なものだったか記すことになるだろう」と述べられている。
1945年から現在まで、世界システムの変化のなかで、アメリカが取ってきた外交政策を分析している。チャーチルが第二次世界大戦の転換点となった戦いのとき述べた言葉に習って、ウォーラーステインは今回の対イラク戦争を「始まりの終り」(大きな展開における、初段階の終り)であると指摘している。
リチャード・ローティ
楽観的に聞こえる論調で、2004年の大統領選挙でブッシュが再選しなければ、アメリカの政策は元に戻るだろと述べている。善い政策のもとでは「パックス・アメリカーナ」は善いものであり、帝国というのは、それ自体では善いものでも、悪いものでもないと発言されている。
スーザン・ソンタグ
「コソボとボスニアのミロセヴィッチへの戦争は正当であり、フセイン政権も打倒されるべき悪である。しかし、問題なのは、アメリカのやり方であって、だから戦争に反対する」(要約)という考え方は、ジジェクが Today, Iraq. Tomorrow ... Democracy? で表明しているのと同じ立場。また、フセインは世俗的な独裁者であり、それより恐いのは、この戦争によって刺激される原理主義である、というのもジジェクと同じ指摘。アメリカとヨーロッパの「溝」について、「ヨーロッパは脱宗教化していますが、アメリカのほとんどすべての人々が、神を信じています」とも述べている。
アンドレ・グリュックスマン
フランスの知識人であるグリュックスマンは、フランスやドイツといった「和平陣営」がデマゴギーを行っていると批判している。さらに、フセイン政権が世界平和にとっていかに危険であり、早急に打倒されるべきであるかを述べている。ブッシュ政権のやり方が正しいと思っているのかは、よく分からない。グリュックスマンは、こう結んでいる:「フランスとドイツ政府はまるで雲の上にでも暮らしているかのようだ。もっとも、だからと言って、アメリカの戦略家が間違えないとか、わたしたちが彼らに白紙小切手を与えなければならないというわけではないのだが。」
Slavoj Zizek
これは、先日読んだ Today, Iraq. Tomorrow ... Democracy?(3.18.03 付け)のオリジナル・ヴァージョンらしく、内容がダブっているが、こちらのほうが長くて、内容が多くなっている。もともと、NYで3月10日に行われた Lacanian Ink という雑誌のイヴェントで発表されたものらしい。先日読んだほうでは省略されている内容として、ジジェクはグリュックスマンと同じように、フランスとドイツが示している反アメリカの態度が、新しいヨーロッパ共同体として取ったものではなく、ヨーロッパ共同体のなかで覇権を獲得しようとする政略であると指摘している。また、これもグリュックスマンと同じように、「古いヨーロッパの非行動というデカダンス」を批判している。1989 年のベルリンの壁崩壊は、自由民主主義的な世界秩序を予期させる象徴となったが、2001 年の同時多発テロは、クリントンの happy 90s の終りと、世界に新たな壁が築かれる時代の到来を告げる象徴となったと分析されている。
Arundhati Roy
「帝国」は今や公然のものとなり、戦うべき敵がはっきりしたのは良いことだと指摘されている。
「反アメリカ主義、反西洋だと非難されてきた私が、突然、アメリカの人びとを擁護するという驚くべき立場に立つことになった。[中略]アメリカ政府や『アメリカ人の生き方』に対して、最も学術的で、容赦なく、痛快な批判は、アメリカの市民から発せられていることを知るべきである」と述べられている。私も、イラク戦争を取り巻くこの歴史的な瞬間について、もっとも学術的に詳細なリサーチを積み上げているのは、アメリカの学者たちではないかと思う。アメリカの学術研究の伝統と制度というのは、アメリカの合理性と創造性がもっとも上手く機能している分野の一つだと思う。
Michael Hardt
ハートは、この戦争によってヨーロッパなどアメリカ国外で引き起こされている、反アメリカ主義の「罠」に警告を発している。ひとつは、サイードが「もうひとつのアメリカ」で主張しているように、アメリカをそのような一枚岩として捉え、そこに内在する抵抗的な潮流を無視することの問題。しかし、さらに大きな「罠」は、「反アメリカ主義」といった考え方を支えているのは国家主義であり、まるでヨーロッパの大国の言い分が通れば事態は上手くゆくというような発想ではなかということ。我々が取るべき政治的選択は、どの国を支持するかということではなく、国家を超えた問題なのだということ。反グローバリゼーションの運動は、そういった国家を超えた問題に取り組んできたが、そのエネルギーが反アメリカ主義に奪われてしまうことへの懸念を示している。「そういう国家間のゲームは、ブッシュやシラクやブレアやシュレーダーにやらせておけばいい」というハートの見解は、今回の事態において、アメリカやイギリスだけでなく、フランスやドイツが取った態度だって批判に値するというジジェクの指摘と重なる。
Edward Said
サイードがアメリカに来た 1951 年以来、現在のアメリカの政権は最悪のものであり、その保守的な傾向は3つの要因から人工的に作り上げられたものだと指摘されている。まず、ブッシュの支持基盤である7千-8千万人のキリスト教原理主義者。次ぎに、60年代への反動として展開してきた新保守主義(リチャード・パール、ポール・ウォルフォヴィッツ)。最後に、ワシントンで政府に、ピア・レビューなしで政策を売っているシンクタンクというのがあげられている。この最後のグループは非常に危険だが、最終的に先がないだろうとサイードは言う。
また、嘆くべき思潮として、アメリカやイギリスで「新帝国主義 neo-imperialism」が台頭してきているとサイードは指摘する。帝国には、許容可能な良性のものがあり、アメリカが実現しようとしているのはそれであるという考え方だ。Nial Ferguson や David Armitage といった歴史家が、大英帝国はそれほど悪いものであったわけではなく、秩序をもたらし、それに恩恵を受けた国もあると、修正主義的な歴史を書いているという。この「良性の帝国」という新帝国主義の考え方は、ローティの主張と同じだ。
さらに、ブッシュは2004 年の大統領選で勝たないだろうとサイードは予測するが、ジジェクが言うように、もしウォルフォヴィッツたちが去っても、新保守主義的な考え方が「正常化」されてしまうのではないかという懸念もある。
ところで、サイードは Thomas Powers というライターを "the best writer on the situation now" だと言っている。ニューヨーク・タイムズに "The Man who would be President of Iraq" という記事を書いた人。
Noam Chomsky
これはサイードなど他の論者も指摘しているが、今回の戦争はベトナム戦争のときと違い、アメリカ国内で既に開戦前、そして開戦直後の時点で反戦のデモがあり、こういった前例のない抵抗運動に期待できるのではないかという見方を示している。60年代とその後の出来事は、政治のプロセスを文明化したとチョムスキーは書いている。
JMR生活総合研究所
開戦前に書かれた文章のようですが、「新帝国主義」のことなど、簡潔にまとめられているように思いました。
2003年4月14日
ここ10日間くらい、「ダウン」していた。「だらけていた」とも言える。(仕事には行ってましたけど。)冥界をさまよっていたようでもある。もうこれ以上つづけるとマズイので、やめる。ただいま。もう向こうには(しばらく)行きたくない。なんだかよく分かんない書き方してますが、そんな感じです。
そうこうしているうちに、バグダッドは陥落した。
内田さんが、「ユダヤ文化論」のクラスを開くと書かれていた。ところで、かなり以前、内田さんが日記で「アメリカにも左翼の伝統があったんだ」というようなことを書かれていたのを記憶している。なんでそんなことを覚えているかというと、そのとき、それって「ニューヨーク派知識人」(the New York Intellectuals)のことをおっしゃってるんだなと思ったからだ。ニューヨーク派知識人(って訳すのかな)とは、20世紀のアメリカの思想にとって最重要な仕事をしたと言われる、ユダヤ系知識人のコミュニティーだ。
1930年代に Partisan Review という雑誌を中心に寄稿していた人たちが第一世代で、その思想的特徴は、トロツキイスト(反スターリン)マルクス主義と、アヴァンギャルドの芸術を信奉し、文化批評をおこなっていたこと。そして、人種的には、ユダヤ系移民の子供たちだった。
ここにニューヨーク派知識人とされる人々の名前がリストアップされているが、おそらく日本人には馴染みのない名前ばかりなのではないだろうか。
美術史や美術批評に関心のある人なら、マイヤー・シャピロ、クレメント・グリーンバーグ、ハロルド・ローゼンバーグといった、そうそうたる面々の名前が目につくかもしれない。アメリカの文学批評に詳しい人は、そっち方面の名前が目につくかもしれない。
もうひとつ、おそらく一部の人たちに馴染み深いのは、上記のページで「第2世代」というグループの中に見つけることができる、これら一連の名前ではないだろうか:アーヴィン・クリストル、ノーマン・ポドレツ、ダニエル・ベル、ネイサン・グレーザー。この人たちは、「新保守主義」といわれる政治思想の代表的な論客たちである。
ニューヨーク派知識人は、戦前にラディカルとしてその思想活動を始めたが、60年代に多くのメンバーが保守主義に転向し、アメリカのメインストリームに入り込み、「新保守主義」といわれる政治思想の潮流を形成した。ブッシュ政権でイラク戦争を推進したタカ派、ポール・ウォルフォヴィッツとかが信奉している、あれである。
現在では、「ニューヨーク派知識人」といわれるような言論コミュニティーは、それぞれの分野に拡散して消滅してしまった。そのなかで、新保守主義系は、Public Interest とか Commentary といった雑誌が言論活動の場になっている。ラディカル政治系の流れは、(チョムスキーとかが書いている)Dissent という雑誌などにその伝統をとどめている。スーザン・ソンタグなんかが、ニューヨーク派知識人の末裔と言われる。マイナーだけど、(私の大学の先生だった)スタンリー・アロノウィッツなんかもそうなるんじゃないかな。アロノウィッツは、子供の頃からルンペン左翼バーみたいなところに出入りしていて、デルモア・シュワルツなんかと親交があったと聞いたことがある。
2003年4月1日
この週末は、ピッツバーグに行ってきた。先週の金曜日に休暇を取って、金土日と2泊3日の小旅行。
アヤの大学の留学生オフィスが、フランク・ロイド・ライトが設計した『フォーリングウォーター』という邸宅と、アンディー・ウォーホール美術館へ遠足に行く企画を立てたと聞いて、「えー、それ、どっちもスッゴイ行きたいと思ってた場所なんだけど」と言ったら、アヤがアドヴァイザーに頼んでくれて、私も参加させてもらえることになったのだ。
特に、近代建築史上の傑作として名高く、「写真では捉えられない」と言われるフォーリングウォーターは、是非とも一度実物を体験してみたいと思っていた。現在はガイド付きで建物の内部が公開されているが、ピッツバーグ周辺の山の中にあるこの建物へは、公共の交通手段ではアクセスできず、クルマで行くしかない。だから、これはまたとないチャンスなのだった。ウォーホール美術館は、この美術家の出身地であるピッツバーグの市内にある。ウォーホールは、20代前半ころの私の美的体験にとっての巨人で、美術、大衆文化、アメリカ、(ポスト)モダニズムといった大きなテーマについて、いろんなことを考えさせられ、学ばせてもらった人物である。この美術館ができたときから、一度どんなものなのか見に行ってみたいと思っていた。
アヤの大学では、留学生オフィスが、大学の予算を使って留学生のためにこういったイヴェントを企画する。私の行っていたNY市立大学では、そんなことはまったくなかった。まず、NY市内にある大学では、おそらくどこでも、「留学生」(学生ビザの保持者)というのは何百人もいて、別段「マイノリティー」的存在ではない。大学の雰囲気も、ペンシルヴァニアの田舎町にある大学と、NY市内にある大学では全然違う。たとえば、田舎の大学では、カフェテリアというのが、その大学の「学生社会」に内在するアイデンティティ・ポリティクスの縮図的なスペクタクルが展開される場所となる。そこに見られる「社会構造」は、NY市立大学で私が経験したものとは非常に異なる。これについては、また今度書いてみようと思う。
ピッツバーグは、メロン家やフリック家といったアメリカの富豪の出身地だそうで、かつては鉄鋼業などで栄えていたらしい。アメリカの都市というのは、それぞれが違った顔を持っており、自律した文化を形成している感じがする。たとえばポピュラー・ミュージックを見てみると、それぞれの土地に固有の音楽シーンがあり、そこから世界に向けた音楽が出現してくる。それはデトロイトであったり、ニューオリンズであったり、LAであったり、メンフィスであったり、シアトルであったりするわけだ。日本のように、地方から東京に出てきてデビューすることが、成功を意味したりはしない。こういうアメリカの地方文化の自律性が、アメリカの地方分権主義を生んだのだろう。日本では東京というのが国家の中心地で、多くの日本人が東京に住みたがる傾向があると思うけど(日本の人口の10分の1が東京に住んでいる)、アメリカには、そういう「ここがアメリカの中心」というような感覚がない。確かに、たとえばNYというのは、ある種の人たちにとっては「中心」的な街かもしれないが、それはあくまで特殊な場所である。アメリカ人のほとんどは、NYに住みたいなんて思っていない。
40代末の女性である留学生アドヴァイザーのアンと、彼女の夫が、ヴァンを一台づつ運転し、10人の生徒&私をピッツバーグに連れって行って案内してくれた。アヤの大学からピッツバーグまでは3時間ほどのドライヴ。アンはピッツバーグ出身で、私たちが泊まったのも、ピッツバーグ周辺の山の中に彼女の家族が持っている別荘。彼女たちには2人の子供がいて、彼らも一緒に来た。子供たちは養子で、上の女の子がネパール、下の男の子がチベット出身。「家族っていうのは、血がつながっている必要なんてない」という話を道中の車内で聞いて、大きくうなずく。参加した生徒は、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ロシア、ノルウェー、日本の出身者たち。
2日目がちょうど、そのアンの娘さんの13歳の誕生日だったので、ピッツバーグ市内にあるアンのお母さんの家に親戚一同が集まりパーティーがあった。私たちもそこに呼ばれて、歓待される。「歓待 hospitality」というのは、アメリカ人が重んじる美徳のひとつである。市議会議員に立候補中のお兄さんや、甥っ子たちなど、いっぱい来てワイワイやる。お兄さんは、政治家っぽく社交的で、よくしゃべる人。徹底したリベラル派(左翼)のようで、ブッシュ政権に非常に批判的であるのが窺える。アンのお母さん(75歳)は移民の二世で、一世のお祖父さんは、イタリアで犯罪をしてアメリカに逃げて来たイタリア人(アンの夫によると「マフィア」)だったが、家族には自分はアイルランド人だと嘘をつき、お祖父さんが死んで遺品がいろいろ出てくるまで、アンたちは自分の家系がアイルランド系だと信じていたのだそうだ。アンのお父さんは本当にアイルランド系なので、アンのうちはイタリア系とアイルランド系の家系ということになる。アンの夫のうちは、セルヴィア系と、もう一つヨーロッパのどこか(失念)の家系だそうだ。そこにネパールとチベットという、さらなる遺産(heritage)を得ることになったと言っていた。ちっちゃな黒人の女の子もいたが、やっぱりだれかの養子なのか、どういう関係なのか聞かなかったので分からなかった。
ウォーホール美術館で買っておいたTシャツを、誕生日の娘さんにプレゼントにする。こんなイヴェントに学生たちと同じ$20で参加させてもらったんだから、まったく安いお礼だった。
その晩、誕生パーティに来ていた、アンのお兄さんのキャンペーン・マネージャーであるリードという若い男性が、私たちが泊まっている別荘にやってきた。翌日のフォーリングウォーターに一緒に行きたいということで、泊まりに来たのだ。ワインも入り、みんなで暖炉を囲んでワイワイやっていたが、この来客のため、深夜まで政治についての議論となる。最後まで起きていたのは、私、アン、リード、ロシア人の女子学生。フランス人とスペイン人の男子学生も遅くまで議論に参加していたが、途中で疲れて寝室に退散。私は午前3時まで話して、退散。議論は、さながら「ミニ国連」状態だった。
内田さんの日記やサイードの文章で先日仕入れたばかりの、「アメリカ文化はとても宗教的であり、ヨーロッパのように公共圏での政教分離がはっきりなされていない」という話を披露したら、アメリカ人(リードとアン)はいまいち納得していないようだった。リードが言うには、「アメリカ人の50%は自分のことを宗教心がない(unreligious)と言っている」そうだ。(本当かな、これ?)ちなみに、彼は無神論者であり、アンも信仰心で何かの価値判断をすることはないと言っていた。
リードは、南部の田舎のうちのドアを叩いてまわって、選挙活動をしたことがあるというので、どういうアメリカの人口(demography)がブッシュ政権を支持していると思うかという話になった。そのとき、では、アンやリードが、ブッシュのようなアメリカ人と違い、リベラルなものの考え方をするようになったのは、どうしてだと思う? と訊いてみた。アンの答えは、「自分の家族がリベラルなのは、母親が貧しい移民の二世だったから」というものだった。リードもリベラルな家庭の出身だそうで、それは、「父親がベトナム戦争に出兵し、罪のない人たちが殺されるのを見たから」だそうだ。人の価値観がどうやって決定されるかなんていうのは、もちろん複雑な要因によるだろうけど、返ってきたのが「移民」と「ベトナム戦争」という2つのキー・ワードだったので、やはりこれらには何かあるんだろうかと思った。
翌日、ピッツバーグは雪になった。天気予報で雪になると聞いていたので、それまで残念に思っていたんだけど、降ってみたら、白銀になった山の美しいこと。木々の枝に積もった雪が、咲き乱れる白い花のようだ。フォーリングウォーターに行く道中のクルマの窓から、ずっと外の雪景色に見とれてしまった。雪のフォーリングウォーターも、絶景だった。
2003年3月31日
前回の日記に「サイードの文章などは、まだ邦訳を見たことがない」と書いたら、ZNet/Japan を運営なさっているアクビさんから、「邦訳がウェブ上で読めますよ」というメールをいただいた。ZNet/Japan では、Zmag.org に掲載されたサイードの文章を、中野真紀子さんとおっしゃる方が継続的に邦訳してらっしゃるそうで、これがそのリスト。The Other America を含め、Zmag.org に掲載されていないものも、中野さんのサイトで読めるそうだ。さらに、嶋田さんから、逸見龍生さんという方による The Other America のもう一つの邦訳が『ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版』のサイトで読めることを教えてもらった。以下が、これらの邦訳へのリンクもつけたサイードの文章のリスト。
Edward Said
2003年3月27日
アメリカのテレビ・ニュースは、「大本営発表」的な戦況報道をしつづけている。暗澹たる気分になってきて、最近はほとんどテレビ・ニュースは見なくなってしまった。ブッシュ政権と大手メディアに、アメリカをハイジャックされてしまったような感じがする。
大寺さんや嶋田さんといった方たちが、今回の戦争についてウェブ上で読める示唆的な文章を精力的に紹介・翻訳してくださっている。本当にありがたい。その多くはアメリカ人が書いたものであり、これもアメリカの声であることをみなさんに知ってほしい。
正直言って、私は政治的怠惰者であり、政治についてよく知らない。これは大いに反省している。そんな私にとって、ここ数日ウェブ上で読んだ文章は、ものすごい勉強になった。以下に、私にとって必読であった文章を紹介したい。一部、大寺さんや嶋田さんが邦訳してくださっているけど、サイードの文章などは、まだ邦訳を見たことがない。英語が読める方は、ぜひ原文で読んでいただきたいと思う。
Slavoj Zizek
Edward Said
Paul Krugman
スラヴォイ・ジジェクの2つの文章は、今いったい何が起こっているのかを、大きな構造的パースペクティヴで分析しいる。明快で説得力のある、「目からウロコ」的な内容だ。
Catastrophes Real and Imagined では、ブッシュ・ドクトリンの「先制攻撃」の認識論が分析され、さらに、アメリカ社会にとって、やはり 9/11 が決定的な反動の契機になってしまったのではないかと指摘されている。
Today, Iraq. Tomorrow ... Democracy? では、この戦争の問題は、フセイン政権が打倒されることの是非ではなく、だれ(アメリカ)がどうやってそれをやっているかということであり、これは今後の世界秩序の問題であることが主張されている。また、その結果アメリカ国内で引き起こされるテロの脅威によって、アメリカ社会の開放的な過剰さを懲罰することこそが、ブッシュ政権の真の目的であるとは考えられないだろうかと指摘されている。リベラルな90年代をアメリカで過ごした私は、このジジェクの指摘する現在の反動性というのが、ものすごくよく分かる気がした。
このジジェクの文章が掲載されているウェブ・ページの下には、読者から寄せられた反応が掲載されている。ジジェクの指摘に共感し、悲痛な叫びをあげるアメリカ人たちの投稿を職場のコンピュータで読んでいたら、私も涙が出てきてしまった。問題は、ブッシュ政権がイラクや世界に対してしていることだけではない。あの差別主義者たちは、このアメリカに何ということをしてくれたのか。
エドワード・サイードの3つの文章は、ジジェクの文章とはちょっと雰囲気が異なる。パレスチナ人であり、同時にアメリカ人である彼が、ずっと取り組んできた抵抗的な言説活動と政治行動から、きわめて経験的で深みのある言葉が連ねられていると思った。いつもサイードの文章を読んで思うのは、この人は本当に排他的なことを言わない。私なんか「排他的なのは嫌いだ」とか言いながら、まったくいつも排他的なことばかり言っているとつくづく思う。
An unacceptable helplessness は、パレスチナ人として、この戦争が中東地域の秩序を大きく変えてしまうことを憂え、なぜ中東諸国はこんな深刻な事態にたいして何もしないのかと訴えた文章。この戦争の危機に対して、アラブ人としてのオルタナティヴをしめすべきであると。これも、「だれか頼むから聞いてくれ」という、救いようのなさに対する悲痛な叫びである。パレスチナ人の人間性を描き、それにたいして行われてきた残虐を悲しむこのサイードの文章は、感動的である。
A monument to hypocrisy は、ブッシュ政権やイスラエルのシャロン政権の非道と偽善を批判したもの。
The other America は、上の2つの文章と傾向が違い、「アメリカのアウトサイダーであり、同時にインサイダーでもある」彼が、アメリカ社会の言説的な分析をおこなっている。サイードは、ブッシュ政権が語る「私たち」というアメリカの「総意 consensus」とは異なる、「もうひとつのアメリカ」があることを訴える。サイードのように、「アメリカのアウトサイダーであり、同時にインサイダーでもある」というのは、まさに私の考える「もうひとつのアメリカ」のかたちの一つである。私もサイードのように、アメリカで教育を受け、アメリカ社会の恩恵を受けてきた。サイードもそれに感謝しているだろうし、私も感謝している。私はアメリカの大学で「留学生」として扱われたことは一度もなかったし、アメリカの社会で「外国人」として扱われたことも一度もない(法的にということではなく、普段ひとと接していて)。私は、単に「大学生」の一人だったし、あるときから、「アメリカ人」というのは「だれにでも、なりたければ、なれるもの」であると思うようになった。サイードもそういう意味のことを書いているように、「国家」を超えた「場所」としてのアメリカというのがあると思う。それはサイードの言う「移民の国アメリカ」に根を持つものであり、ブッシュ政権の表象する「一神教的なアメリカ」ではないはずだ。
ポール・クルーグマンは著名な経済学者で、彼の3つの文章は、実証的で、非常に有益な知識を与えてくれる。
Behind the Great Divide と Channels of Influence は、アメリカの大手メディアがいかに保守的、またはタカ派的で、さらに場合によってはブッシュ政権と癒着して、そのプロパガンダ装置になっているかを指摘している。こういうほとんど犯罪的とも思われるやり方で、ブッシュ政権はアメリカの総意を形成しているわけだ。
Things to Come は、ブッシュ政権がこういうやり方で戦争を始めることによって、イラクの問題だけでなく、世界の秩序とそのなかでのアメリカのあり方が望ましくない方向へ変わってしまうことに警告を発した文章。ここでクルーグマンは、ブッシュ政権とクリントン政権の比較もしているが、もしあのいわくつきの大統領選でアル・ゴアが当選していたら、アメリカはこんなことをしていなかったはずだ。たとえばゴアの国家安全保障担当大統領補佐官だった Leon Fuerth の書いている Are we ready for burdens of empire? という文章を読んでみよう。ここで Leon Fuerth が言っていることも、クルーグマンが Things to Come で訴えていることも、ジジェクが Today, Iraq. Tomorrow ... Democracy? で分析していることも、みんな「こんなことをしたら、世界秩序と、そのなかでのアメリカの将来はおかしくなってしまう」ということだ。国民の過半数が現在ブッシュ政権を支持しているからといって、これが「アメリカのやり方」だと思われるのは、すごく違和感がある 。
内田さんが3月26日の日記で、『アメリカ・宗教・戦争』という本の感想を書いていらっしゃった。その内容が、ここにあげたいくつかの文章の内容と重なっているように思われたで、該当部分を引用してみる。翻訳するべきなんだけど、とりあえず英語のままですみません。
まず、政教分離の問題。西谷修の指摘をまとめて、内田さんはこう書かれている:
要するに、アメリカという国はその成立の原点からして自閉し自己完結した「原理主義国家」であった、ということである。それがあの「閉じた一国性」を支えている。
つまり、国際社会の同意や賛同がなくても「神が我々にはついている」という信仰が全国民レベルで共有されている、というのが西谷の分析である。
サイードが The other America のなかで分析しているアメリカの「総意」は、この内田さんのいう「原理主義国家」と同じものだと思う:
The difference between America and the classic empires of the past is that, even though each empire asserted its utter originality and its determination not to repeat the overreaching ambitions of imperial predecessors, this one does so with an astonishing affirmation of its nearly sancrosanct altruism and well-meaning innocence. For this alarming delusion there is, even more alarmingly, a new squadron of formerly Left or liberal intellectuals alike who had historically opposed American wars abroad but who are now prepared to make the case for virtuous empire (the figure of the lonely sentry has been used) using a variety of styles, from tub-thumping patriotism to sly cynicism. The events of 11 September play a role in this volte face, but what is surprising is that the Twin Towers-Pentagon bombings, horrible though they were, retreated as if they came from nowhere, rather than in fact from a world across the seas driven crazy by American intervention and ubiquito us American presence. This is of course not to condone Islamic terrorism, which is a hateful thing in every way. But it is to remark that in all the pious analyses of America's responses to Afghanistan and now Iraq, history and proportionality have simply dropped out of the picture entirely.
What the liberal hawks specially don't refer to, however, is the Christian Right (so similar to Islamic extremism in fervor and righteousness) and its massive, indeed decisive presence in America today. The qualities of that vision derive from mostly Old Testament sources, very much of a piece with those of Israel, its close partner and analogue. A peculiar alliance between Israel's influential neoconservative American supporters and the Christian extremists is that the latter support Zionism as a way of bringing all the Jews to the Hold y Land to prepare the way for the Messiah's Second Coming; at which point Jews will either have to convert to Christianity or be annihilated. The bloody and rabidly anti-Semitic teleologies are rarely referred to, certainly not by the pro-Israeli Jewish phalanx.
America is the world's most avowedly religious country. References to God permeate the national life, from coins to buildings to common forms of speech: in God we trust, God's country, God bless America, and on and on. George Bush's power base is made up of the 60-70 million fundamentalist Christians who, like him, believe they have seen Jesus and are here to do God's work in God's country. Some sociologists and journalists (including Francis Fukuyuma and David Brooks) have argued that contemporary American religion is the result of a desire for community and a long-gone sense of stability, given the fact that approximately 20 per cent of the population is moving from home to home all the time. But the evidence for that desire is true only up to a point: what matters more is religion by prophetic illumination, unshakeable conviction in a sometimes apocalyptic sense of mission, and a heedless disregard of small-scale facts and complications. The enormous geographical distan ce of the country from the turbulent world is another factor, as is the fact that Canada and Mexico are continental neighbours with little capability of tempering American enthusiasm.
All of those things converge around an idea of American rightness, goodness, freedom, economic promise, social advancement that is so ideologically woven into the fabric of daily life that it doesn't even appear to be ideological, but rather a fact of nature. America=good=total loyalty and love. Similarly there is an unconditional reverence for the Founding Fathers, and for the Constitution, an amazing document, it is true, but a human one nevertheless. Early America is the anchor of American authenticity. In no country that I know does a waving flag play so central an iconographical role. You see it everywhere, on taxicabs, on men's jacket lapels, on the front windows and roofs of houses everywhere. It is the main embodiment of the national image, signifying heroic endurance and a beleaguered sense of fighting of unworthy enemies. Patriotism is still the prime American virtue, tied up as it is with religion, belonging, and doing the right thing not just at home but all ov er the world. Patriotism is also represented in retail consumer spending, as when Americans were enjoined after the events of 9/11 to do a lot of shopping in defiance of evil terrorists. Bush and employees of his like Rumsfeld, Powell, Rice and Ashcroft have tapped into all of that to mobilise the military for war 7000 miles away in order 'to get' Saddam, as he is referred to universally. Underlying all this is the machinery of capitalism, now undergoing radical and, I think, destabilising change.
さらに、内田さんはこう書かれている:
多様性を内部にあらかじめビルトインしておくと、いくらでも外部を踏みにじることが正当化されるという構造は、アメリカのみならず、あらゆる政治装置に妥当する洞見だろう...。
私は、ここがちょっと腑に落ちなかった。この考え方自体というより、今のアメリカの言説空間の説明として、この記述がどれほど妥当なものなのか疑問に思った。ブッシュのような人たちが、自国の内部に多様性を望んでいるとはとても思えない。ブッシュのような「神の使い」や、ブッシュ政権の政策を書いている新保守主義者たちは、あきらかにアメリカの多様性を抑圧しようとしている反動勢力のように思える。上の引用でサイードが述べているようなアメリカの「総意」は、アメリカらしい多様性を内包していないと思う。このような総意と異なった「アメリカの物語」が築けるという事実こそが、アメリカの多様性であるような気がする。西谷修は、アメリカでは一神教のもとに多様な移民が統一されていると指摘しているようだけど、ここで言われている「移民」ってだれのことなんだろう。アメリカの「歴史」を一方で形作っているネイティヴ・アメリカンや黒人や中国人やその他の移民たちの抑圧と抵抗の物語はどうなるんだろう。サイードは、このように述べている:
Yes, America is the country of McDonald's, Hollywood, blue jeans, Coca-Cola and CNN, all of them products exported and available everywhere by virtue of globalisation, multinational corporations, and what seems to be the world's appetite for articles of easy, convenient consumption. But we must also be conscious of from what source these come and in what ways the cultural and social processes from which they ultimately derive can be interpreted, especially since the danger of thinking about America too simply or reductively and statically is so obvious. [...]
This is a crude summary of the American consensus, which in fact politicians exploit and try endlessly to simplify into slogans and sound bites. But what one discovers about this amazingly complex society is how many counter- currents and alternatives run across and around this consensus all the time. [...]
It is this amazingly persistent set of master stories that the newly organised and mobilised American information effort (especially in the Arab and Islamic worlds) is designed by hook or crook to spread. What gets deliberately obscured in the process are the stunningly obstinate dissenting traditions -- America's unofficial counter-memory that stem in large part from the fact that this is an immigrant society -- that flourish alongside, or at the interior of this handful of narrathemes. Few commentators abroad take much notice of this forest of dissent, alas. These clumps of both the progressive or regressive kind provide and to a trained observer make visible linkages between the master narrathemes that are normally not in evidence. If one were to examine the components of the impressively strong resistance to the proposed Bush war against Iraq, for example, a very different, highly mobile picture of America emerges, one that is much more amenable to foreign cooperation, dialogue and significant action. [...]
The great fallacy of Fukuyama's thesis about the end of history, or for that matter Huntington's clash of civilisation theory, is that both wrongly assume that cultural history is a matter of clear-cut boundaries or of beginnings, middles and ends, whereas in fact, the cultural- political field is much more an arena of struggle over identity, self-definition and projection into the future. They are fundamentalists when it comes to fluid, turbulent cultures in constant process, trying to impose fixed boundaries and internal rules of order where none really can exist. Cultures, specially America's, which is in effect an immigrant culture, overlap with others, and one of the perhaps unintended consequences of globalisation is the appearance of transnational communities of global interests, as in the human rights movement, the women's movement, the anti-war movement and so on. America is not at all insulated from any of this, but one has to excavate beyond the intimidatingly u nified surface to see what lies beneath, so as to be able to join in that set of disputes, to which many of the people of the world are a party. There is hope and encouragement to be gained from that view.
さらに、サイードはアメリカの「総意」の特徴として、その歴史感覚のなさを指摘している。この指摘は、内田さんがやはり先日の日記に書かれていた、現実の非現実性にある「のっぺり感」(そして、それを払拭する「辞書」の「村上=ボルヘス効果」)というお話と通じているように思った。サイードは、こう書いている:
Because it is a managed and constructed thing the consensus operates in a sort of timeless present. History is anathema to it, and in accepted public discourse even the word 'history' is a synonym for nothingness or non-entity, as in the scornful, typically dismissive American phrase, 'you're history.' Otherwise history is what as Americans we are supposed to believe about America (not about the rest of the world, which is 'old' and generally left behind, hence irrelevant) uncritically, loyally, unhistorically. There is an amazing polarity at work here. In the popular mind America is supposed to stand above or beyond history. On the other hand, there is an all-consuming general interest that one encounters across the country in the history of everything, from small regional topics, to the vaster reaches of world empires. Many cults develop out of both these carefully balanced opposites, which encompass the road from xenophobic patriotism to other-worldly spiritual ism and reincarnation.
One rather more worldly example of the struggle about history is worth recalling here. A decade ago a great intellectual battle was waged in the public sphere over what kind of history should be taught in schools. What was clear about the va-et-vient that occurred over many weeks was that the promoters of the idea of American history as a heroically unified national narrative with entirely positive resonances for young minds, thought of history as essential not only for the truth, but for the ideological propriety of representations that would mould students into essentially docile citizens, ready to accept a set of basic themes as the constants in America's relationships with itself and the rest of the world. Purged from this essentialist view were to be the elements of what was called postmodernism and divisive history (that of minorities, women, slavery, etc) but the result, interestingly enough, was a failure so far as the imposition of such risible standards was conce rned. As Linda Symcox sums it up, "Certainly one would argue, as I do, that...[the neoconservative] approach to cultural literacy is a thinly disguised attempt to inculcate students with a relatively conflict-free, consensual view of history. But the project ended up moving in a different direction altogether. In the hands of social and world historians, who actually wrote the Standards with the K-12 teachers, the Standards became a vehicle for the pluralistic vision the government was trying to combat. In the end, consensus history, or cultural reproduction... was challenged by those historians who felt that social justice and the redistribution of power demanded a more complex telling of the past."
もう一つ内田さんは、鵜飼哲が指摘する「受苦するものに正義がある」という発想法ついて書いていらしゃった。これは、ジジェクも Catastrophes Real and Imagined のなかで指摘している:
Along these lines, one should risk the thesis that, far from jolting the United States from its ideological sleep, 9/11 was used as a sedative enabling the hegemonic ideology to "renormalize" itself. The period after the Vietnam War was one long trauma for the hegemonic ideology--it had to defend itself against critical doubts, the gnawing worms were continuously at work and couldn't be simply suppressed, every "return to innocence" was immediately experienced as a fake ... until 9/11, when the United States was a victim and thus allowed to reassert the innocence of its mission. Far from awakening us, 9/11 served to put us to sleep again, to continue our dream after the nightmare of past decades.
The ultimate irony here is that to restore the innocence of American patriotism, the conservative U.S. establishment mobilized the key ingredient of the politically correct ideology that it officially despises: the logic of victimization. Relying on the idea that authority is conferred (only) on those who speak from the position of the victim, it reasoned: "We are now victims, and it is this fact that legitimizes us to speak and act from the position of authority." So today, when we hear the refrain that the liberal dream of the '90s is over, that, with the attacks on New York and Washington, we were violently thrown back into the real world, that the easy intellectual games are over, we should remember that such a call to confront harsh reality is ideology at its purest. Today's "America, awaken!" is a distant call of Hitler's "Deutschland, erwache!" which, as Adorno wrote long ago, meant its exact opposite.
以上。
2003年3月23日
私は、どうも東京が好きではない。日本の「地方」のほうが、なんか居心地がいい。人々がフレンドリーで、閉鎖的な感じがしないから。とは言っても、私が実際に行ったことのある「地方」って、数年前の大阪と、今回の名古屋くらいなのだった。だから、間接的なイメージはあっても、直接的にはものすごい限られた印象でしかないんだけど。あと、今回の名古屋では、東京っぽく均質的でスノッブな感じの若い子たちを見かけた。地方も「東京化」しているのだろうか。
では、自分は「田舎」を求めているんだろうかと、よく分からないでいたら、あるとき「あ、そっか」と思った。私が求めているのは、「田舎」ではなく、「下町」だと思うのだ。私は東京でもすべてが嫌いなわけではなく、均質的で閉鎖的な感じのする新興の東京がイヤなのだと思う。この東京というのは、「核家族的な東京」と言い換えられるような気がする。東京でも、新大久保とか、ああいう場所は好きだ。ああいう外国人がいっぱいいるような場所と、昔ながらの下町の共通点って、閉鎖的じゃないってことではないだろうか。均質的な文化の生む、排他的なスノッバリーがない感じ。
まあ、私は、NYから東京に行ったら「東京にはこれがない」と言い、NYにしばらくいると「やっぱり日本もいいところだ」と思い始め、東京に住むとなると「地方がいい」とか言い出す、ないものねだりの反動人間なのだと思う。しかし、とにかく、そんな私にとって最近、「下町」というのが想像上のユートピアになっているのであった。想像上とは言っても、いま私が住んでいるのはNYの下町だし、私が生まれ育ったのも東京の「消えゆく下町」だった。友人が近所のローワー・イースト・サイド(NYの下町)でやっているストア・フロント(道に面したお店)で、閉店後みんなで集まってわいわい飲んだり食べたりしていると、道行く人たちが話しかけてくるような、ああいう下町の感じが大好きなのだ。田舎の閉鎖的な共同体ではなく、街の開放的な共同体という感じがする。
考えてみると、東京の下町というのは、「地方」としての東京ということなのかもしれない。均質的で閉鎖的で核家族的な新興の東京というのは、中央集権的で全体主義的という感じがする。ああいう排他的で、とても因習的な感じのする東京というのは、じつは「田舎者」的なのかもしれない。自律した「地方」というのは、これまた「リゾーム」を想起させる。
思いつくままに勝手なことを書いてますが、「それは違うだろ」とか、「そんなこと言うなよ」とか、「この都市論の本を読むといいよ」とか、そういうのがありましたら教えてください。
大阪の下町から愉しいウェブ日記を発信している岸さんに、「岸さんの書かれる大阪の下町の雰囲気に、むちゃくちゃ憧れます」とメールを出したら、日記に以下のようなお返事があった。全文引用させていただく。私は本名の「かわに」のほかに、ネットでは「川似」や「河二」という名前も使っている。
川似さんから「大阪の下町っていいですね」というメールをいただいたのだ。いや〜〜下町でがんばって地べた這いずり回っておりますよ。だいたい大阪そのものがいわば「日本の下町」という風情ですが。そういえば大阪を「たんつぼ」と表現した政治家がいましたが、ほとんどの大阪人の反応は「うん、そうやねん」(ちょっと嬉しそう)というものでした。
だいたいわしらの住んでる地域がどれくらい下町かっていうと、例えば私の家は数年前に空き巣に入られたんですが、そのしばらく後に、その同じマンションの一階の店に強盗が入ったんですね。同じマンションですよ。しかもその、強盗に入られたところっていうのが、実は……まぁここではちょっと書けませんけどね。しかもその強盗に入られた店の隣には謎の事務所があって、そこで毎日謎のオッサンたちが河内音頭を練習していました。今では無くなってますが。んで、最近「謎の銀色シール事件」っていうのが多発してます。町内会の回覧板でも回ってきたんですが、最近ここらへんの家の玄関に「銀色のシール」が貼ってあって、誰がなんのためにそんなことしてるのかまったく謎なんだそうです。「へ〜〜奇妙なことがあるねんなあ」と思っていたら、次の日、さっそく上の階の部屋の玄関に貼ってありました。速攻で剥がしましたがね。他にも「謎のハーバード出身者」とか、「旦那のことをボロカスに罵る妻と、おとなしく耐える夫……のように見えて、実はその夫の方が妻を殴っていた」 夫婦とか、くわしく書けないのがとても残念です。もっと知りたい人は遊びに来てくださいね。
ぎゃはは。「謎の銀色シール事件」、爆笑です。そうそう、下町って、こういう感じですよね。遊びに行きたいです。
日本にたまに帰ると、こういうヘンなものとか、ヘンな人とかが、東京からどんどん消えていっている印象を受ける。なんか、みんなキレイになっちゃって、どんどん均質化しているような感じ。同時に、なんか排他的で、どんどん閉鎖的になっているような感じ。これって、「東京の郊外化」と関係があるのかな。あと、そっか、大阪は「日本の下町」だったんだ! なるほどー。私が大阪が好きだったのは、そのためだっんだ、きっと。ところで、日本の街でいうとNYは大阪に似ており、ロンドンは東京に似ていると言われることがあるけど、私もこれにはうなずく。
ちなみに、「ディープ大阪」をいろいろ連れて歩いてくださったのは、jaja さんでありました。あのときは、ありがとうございました。さらに、河内音頭は、日本に帰ったら TFJ 嶋田さんといっしょに踊りに行く約束をしているのでありました。そのときもこの日記がつづいていたら、告知しますんで、興味のある人はいっしょに行きましょう!
岸さんに刺激されて、私も自分の育った「東京の下町」自慢をしてみよう。
子供の頃は、広い社会的な視点がなくて気づいていなかったんだけど、いま思うと、私が育ったのも「消えゆく下町」だった。東京都千代田区西神田3丁目という住所に、私は生まれてから高校を卒業するまで住んでいた。いま母のいる小金井市(東京都)の実家は、父の実家なんだけど、高校を卒業してすぐにアメリカに渡った私は、小金井のうちには数ヶ月しか住んだことがない。西神田3丁目というのは、バブルが膨れ上がった80年代末期に、もっとも「地上げ」の激しかった地区で、当時はNHKの「土地問題」特集などにも取り上げられていた。私の家族が住んでいた借家も地上げされ、しかし、その直後にバブルがはじけて、その跡地は現在、(おそらく買い手がつかずに)駐車場になっている。
私が 1982 年に卒業した千代田区立西神田小学校は、1990 年代に「中央の過疎化」で廃校になってしまった。夏目漱石が卒業した錦華小学校に吸収されて、そのとき錦華小学校の名前も「お茶の水小学校」と変えられたそうだ。錦華小学校は猿楽町というお茶の水の高台にあって、山ノ上ホテルというホテルのすぐ近くにある。西神田という地域は、古本屋街の神保町の隣りにあって、私のうちの最寄りの駅は地下鉄の九段下とJRの水道橋だった。古本屋街の子供たちは錦華小学校が学区だったけど、私たちは千代田区立一橋中学校でいっしょになった。
こう書くと、ものすごい都会に住んでいたように聞こえると思う。実際、今になって思うと、ものすごい都会だった。しかし、小学校を出て、中学校、高校(都立九段高校:西神田のうちから歩いて5分で通っていた)と、どんどん東京の広い地域の子供たちと接するようになったとき、私は自分が育った環境が「田舎」であり、自分が「田舎者」であるように感じるようになっていた。もちろん私が育った環境は「田舎」だったのではない。後になって「ああ、そういうことか」と分かったんだけど、私が育った環境は「下町」だったのである。私の小学校の同級生には、1980 年代にまだ釜戸でご飯を炊いているうちが一軒あった。
私が卒業した一橋中学校というのは、千代田区に4つくらいある公立中学校のひとつなのに、進学率が高かったため、私の時代には生徒の3分の2が「越境」といって、学区外から来ている子供たちだった。この生徒たちは、家族が一橋中学校の学区に一時的に住民票を移して入学するのだそうだ。私は、偶然その公立中学校の学区に住んでいたためにそこに入学した「地元組」だった。昔は、番町小学校>一橋中学校>日比谷高校>東大というのがエリートのたどる進路だったと聞いたことがある。番町小学校のある番町というのは、「番町皿屋敷」の番町で、千代田区にある「山の手」のお屋敷街である。私が住んでいた「下町」とは、距離は近くても、雰囲気が対照的に異なる。
今になって考えてみると、私の西神田小学校時代の同級生には、サラリーマンの子供というのがほぼゼロだった。一学年2クラスで、合計60人くらいだったが、そのうち、いま思い出せるサラリーマンの子供は3人くらいで、そのうち2人は(一橋中学校に入るために?)小学校から「越境」して来ていた2人だった。(当時は、みんな同じ同級生でしかなく、そんなふうに考えもしなかったけど。)もうひとりは「地元」だったけど、この3人は、みんな勉強がよくできて、似たような雰囲気を持っていた。(やっぱり当時は、そんなふうに考えもしなかったけど。)
ほとんどの生徒のうちは自営業で、たとえば、私がいつもつるんでいた親友たちのうちは、カメラ屋、ガソリンスタンド&雀荘、テキ屋(彼のうちの商売というのが子供の私にはよく理解できなかったんだけど、彼はよく「うちの商売は香水を扱っている」と言っていて、それはパチンコ屋の景品交換所をやっていたからなのだった)、酒屋、日雇い労働、クリーニング屋だった。他の同級生のうちを思い出してみると、魚屋、八百屋、薬屋、雑貨屋、パブ、食堂、古本屋、歯医者、印刷屋…生活に必要なお店が全部揃う感じである。好きだった女の子のうちは、天理教の教会だった。うちは何をしていたかと言うと、母親が東京の郊外で子供の絵の教室をやっている母子家庭だった。そういう下町の小さな世界で、私は平和で楽しい小学校時代を過ごした。
中学校に入ったら、なんか世界が突然変わった。何がどうして変わったのか、当時の私には分からなかった。生徒たちの「ノリ」が違うのだ。後々になって、この雰囲気の変化が何であったのか分かった。生徒たちの多くが、東京の住宅地や郊外のサラリーマンの家庭の子供たちになったということなのだ。彼らは、とても「クール」で、都会的な感じがした。「受験勉強」とか、みんな個人主義的で、私は突然友達が少なくなってしまった。校則が厳しくて、均質性を絵に描いたような学校の雰囲気も大嫌いだった。郊外に住む同級生のうちに遊びに行くと、彼らの勉強部屋(bed room)には、下町の家とは違う空虚で洗練された空気が漂っていた。そして私は、そういう「都会的」なスタイルに憧れた。
「下町自慢」をするつもりが、前置きが長くなってしまった。私が育った下町も、岸さんが描いてくださった下町と同じ雰囲気なのだ。親友といっしょに小学校の帰り道を歩いていると、前方に何か大きな物が落ちている。「ゴミかな?」「イヌみたいじゃん?」などと言いながら近づいてゆくと、それは、その親友のアル中の父ちゃんが酔いつぶれて歩道に寝ているのであった。そんな感じ。
小学校に上がる前、家族ぐるみで親しくしていた女の子のうちは弁当屋で、お母さんが理由あって蒸発してしまったんだけど、「ぼくんちはお父さんがいないけど、Mちゃんちはお母さんがいなくて、ちょうどいいね」と言っていたのを思い出す。そうやって家族が助け合いながら生活していた。私が住んでいたのは、戦火をまぬかれた崩れそうな木造二階建ての家屋を三世帯に分けた「長屋」で、うちはその二階の一部だった。うちの下の世帯には、神楽坂の芸者だった奥さんを亡くした、ハンサムでとても感じのいいお爺さんと、その養子夫婦と、私と同世代の3人の孫が暮らしていた。(あるとき養子一家は出てゆき、お爺さんは一人暮らししていたが、立ち退きになった後、亡くなったと聞いた。)もう一世帯は、娘が2人いる一家だったが、そこのお父さんが何かの犯罪で刑務所に入ってしまい、あるときから夜逃げでもしたように空き家状態になっていた。(こんなこと書いたらマズイかな。)でも家賃は払っていたようで、たまにだれかが帰ってきてガタガタガタと戸棚を開けたりする音が聞こえてきた。右隣のうちは、「石原裕次郎と友達」というのが自慢の、いつも船員帽をかむった旦那と、その家族と番頭さんと女中さんがやっている花輪屋さんで、うちの前の路地では、いつもその旦那が花輪の垂れ幕を広げて、そこに職人芸の文字を書いていて…。
こういう下町の思い出話は、しだすときりがない。(あんまり書くと、プライヴァシーの侵害になりそうなので、このへんでやめる。)
おそらく岸さんの住んでいる大阪の下町と異なるのは、私が育った下町はオフィス・ビルの谷間にそっと存在したということだろう。うちの近所は、昼間は大勢の人々が行き交う賑やかな都会だったが、夜になるとゴーストタウンのように人っ子ひとりいなくなった。歩いているのはパトロールの警官だけになる。人がほとんど住んでいないのだ。そういう「コンクリート・ジャングル」の狭間に、古い木造の家屋が残っていて、そこに「消えゆく下町」は存在した。おそらく今では、ほとんど消えているだろう。
2003年3月22日
今日(土曜日)もマンハッタンで反戦デモがあった。私は参加しなかった。午後4時にダウンタウンのワシントン・スクエアで解散することになっていたが、デモ参加者が4時になっても解散せず、一部の参加者が警官に催涙スプレーのようなものを発射して、騒然となったようだ。その後、デモ参加者と警官が衝突し、逮捕者が出た。デモに参加した友人から後で様子を聞いたら、「ジョンたちは最初から逮捕されるつもりで座り込んでたけどさ、オレはグリーン・カードだから逮捕されるのイヤだって言って帰ってきたよ」と言っていた。
今日は一日中、マンハッタン上空をヘリコプターが飛ぶ音が響いていた。
2003年3月21日
私が日本を離れアメリカにやって来た1989年は、昭和天皇が崩御し、東欧の共産主義政権とベルリンの壁が崩壊し、日本の経済バブルがはじけた年だった。
私は日本の90年代を知らない。
私がアメリカを離れ日本に戻る2003年は、個人的には父が亡くなり、アメリカがイラクを攻撃した年になることが、現時点で分かっている。もっと後になって振り返ったとき、2003年は歴史的にどんな年として記憶されることになるんだろう。
2003年3月20日
今日、いつものように地下鉄の駅から地下道を通って職場のある建物に入ろうと思ったら、地下通路が封鎖されていた。警備が厳重になっていて、正面玄関のみ使用されるようになったのだ。地上に出ると、正面玄関には警備員が集まり、建物の前にはパトカーが一台とまっていて、警官が2人立っていた。私の職場は、マンハッタンのミッドタウンにある、ロックフェラー・センターというオフィス・ビルの集合体のなかにある。こういう警備体制は、911直後以来だ。現在、アメリカ政府が指定するテロ脅威レベルは、オレンジ(5段階の高い方から2番目)になっている。
戦争が始まってしまった今、アメリカのメディアも、これからどうなるのかという議論に焦点がシフトしているように見受けられる。そういった議論を見ていると、戦争反対派・支持派に関わらず、だれもが同意しているのは、おそらく短期間で終わるであろう戦争自体よりも、不透明なのは戦後であり、戦後に最大の難題が待っているだろうということだ。イラクの占領はうまくゆくのか? これからアメリカはどうなってしまうのか? テロの脅威から、アメリカが危険な場所になるのではないかというのが大きな話題になっている。
911以来、NYのほとんどのオフィス・ビルでは、IDチェックが義務づけらるようになっていた。911直後しばらくは、職場のある建物の入り口でも荷物検査がおこなわれていたが、それがなくなっても、IDチェックだけはずっと実施されている。911が起きたとき、もし次ぎにNYのどこかがテロのターゲットになるとしたら、それはエンパイアー・ステイト・ビルでも自由の女神でもなく、アメリカ資本主義のもうひとつの象徴であるロックフェラー・センターなんじゃないかと思った。でも、あのとき、エンパイアー・ステイト・ビルで働いている人たちは気が気じゃなかったろうな。私の職場が入っているビルは、ロックフェラー・センターの真ん中にあるメイン・ビルじゃないし。
ロックフェラー・センターにあるのは、私が派遣されている商社のオフィスで、私の雇用先であるコンピュータ関連の会社のオフィスは、世界貿易センターの北ビルの45階にあった。911が起きたとき、オフィスには社員がひとりだけ出社していて、彼は一機目の激突の後すぐにビルから逃げ出し、無事だった。その約2時間後に、その雇用会社のオフィスはすべての書類もろとも消えてなくなってしまった。チャイナタウンに住んでいた友人は、激突の音で目を覚ました。ウォール・ストリートのアパートに住んでいた友人は、窓を閉め切っていても部屋が粉塵で充満した。私のアパートの屋上からは、3キロ先にある世界貿易センターの方角に巨大な黒煙が上がっているのが見えた。
職場のある建物の最下数階は、Fox というテレビ局と、その系列のNYポストという新聞社のオフィスが入っている。炭疽菌騒ぎのとき、そのNYポストのオフィスに届いた郵便物から炭疽菌が出た。私には、物理的な破壊テロよりも、生物化学テロのほうが気持ち悪くて、ストレスだった。
2003年3月19日
私は正午から夜の8時という時間帯で仕事をしているんだけど、今日、ブッシュによって開戦が予告されていた午後8時のちょっと前に、職場のカフェテリアに行ってテレビをつけた。CNNを見ていると、もうひとり会社の人がやって来て、私に「どうなった?」と聞く。特に動きはなかったが、CNNでは8時まで後何分かを画面の下に表示していた。8時になる。静かなバグダッドの映像。特に動きなし。43階の窓からマンハッタンの夜景を見下ろすが、いつものように静かな夜だ。
続けてニュースを見ていると、ビル掃除のおばさんがやってきて、私に「どうなった?」と聞く。「特に動きは捉えられてないみたいですよ」と答える。おばさんは不安そうな顔をしている。私に「兵役に服したことある? Have you ever served the country?」と聞く。「ない」と言うと、「いいことね」と言う。おばさんの息子は、兵役に服していたことがあるのだと言う。「戦争でまた人がいっばい死にますね」と話す。悲しそうな顔で首を振りながら、おばさんは掃除器具を押しながらカフェテリアを立ち去った。
2003年3月18日
今朝、出社したら、顔を見るなり上司に "You have 48 hours"(あと48時間しかないぞ)と言われた。
「え、なんか忘れてた仕事あったっけ??」と一瞬あせって、考えをめぐらしたら、「ああ」と彼のジョークがわかった。ブッシュの最後通告の真似をしていたのだ。「まったくイヤなご時世だね」と、肩をすくめ合う。
私も夕べ、ブッシュのスピーチをテレビで見た。サダム・フセインたちが国外退去しなければ、明日の夜にも戦争が始まってしまうようだ。
2003年3月17日
以前から惹かれている行為に、「エア・ギター(air guitar)」というのがある。これは何かというと、録音された音楽を再生しながら、または鼻歌のように音楽的記憶を「脳内再生」しながら、ギターを持っているようなポーズを取って陶酔的に想像上の「ギター」をかき鳴らす、ロック少年少女ならだれでもやったことがあるであろう、あの行為のことのだ。英語で "air guitar"というと、あまりカッコよくないイメージがある。
ちょっと前に、知り合いの瀧坂(omo*8)さんたちが書いた「ロック・リヴァイヴァル・マニフェスト」のようなものを読んで、感動してしまった。そこで瀧坂さんは「エア・ギター」という言葉を使っていて、「をを」と思った。その後、瀧坂さんはこのイヴェントについて、こんな発言もしていた:
98年のマンチェ熱の頃にテツヤさんが言ってたことだけど、いい曲を聴いているときには曲そのものに懐かしさは感じない。身体に染みこんだ音の粒が細胞化して新陳代謝してるようなイメージ。だから勝手知ったる曲で踊ったり歌ったりすることの整体的効果というのは大いにあると思うね。
ドゥルージアン・エア・ギターだ。
「エア・ギター」と似たような行為で、ドラッグ・クイーン(女装したオカマ)がよくステージ・パフォーマンスでやる「口ぱく」(lip-syncing)というのがある。現在ではハウス系の音楽でやることが多い。これも、表層をつうじた共感作用だと思う。しかし、そこにはエクスタシー的な「感情のユートピア」があると同時に、それが表層でしかないことが分っている悲しさもある。「女装」そのもののように。
我々は表層をとおしてしかコミュニケーションできない。しかし、それに気づいたとき、表層は底無しの深さを呈する。
「愛」とは、この底無しの表層に共感することではないだろうか。
日本に行く飛行機のなかで、ウェイン・ケステンバウムの『女王様の喉:オペラ、同性愛、欲望の謎』(Wayne Koestenbaum, The Queen's Throat: Opera, Homosexuality, and the Mystery of Desire)という本を読み始めた。「オペラ・クィーン」についてのエッセイである。この「クィーン」とはゲイの男のことで、「オペラ・クィーン」はオペラ狂のゲイのこと。なかなかおもしろい。そのなかに、こんな一節があった:
ウォルト・ホイットマンが喉についてさまざまなことを熱狂的に書いたとき(『ああ、喉よ! ああ、震える喉よ!』)、ホイットマンは私たちに喉を解き放てと、大きく口を開けたオペラ歌手をまねよと駆り立てていた:「大きく新鮮なテナー歌手、創造物が私を満たすとき/彼の口輪筋の伸縮が浴びせかけ、私をいっぱいにする。」私たちは、音を喉から飲む:私たちが聴くもので、私たちの喉は起動され、生命をあたえられる。聴くとは相反運動である:耳が受け取ったものに感謝し、喉は開いて応答する。
[中略]
エルシー[ソプラノ歌手に夢中になった女]は告白する:「それは牢獄の鍵を開けるのとまったく同じようなものだった。声が私のなかに注ぎ入れられ、その瞬間から、それは私がそのために生きられる唯一のものになった。私の両親が丹念に作り上げた私のアイデンティティは、その夜私が聴いた歌声の力によって解けてしまった。決まり事と習慣によって築かれたすべての障壁はしぼんでしまい、この短い瞬間に、私は自分が自由で目的をもった個人であるのを感じた。私は自分が抑圧されていること、または不明瞭であることさえ知らなかったが、自由を感じたとたん、自分はそれまで一度も生きていなかったことを知った。」
エルシーは、カミング・アウトした――彼女の干あがった自己は、もうひとりの女性の声の噴水によって潤わされた。エルシーは、息ができないこと、脈動によって喉がつまることによって、自分の興奮と愛を知っている。耳ではなく、喉がディーヴァ(ソプラノ歌手)を受け取る:そこから「私」が話す、喉が。
私たちは他者の歌声に「共感」するとき、それを自分の耳ではなく、自分の喉で聴いている。ドラッグ・クィーンの「口ぱく」というのも、こういうことなのだろう。そしてエア・ギターも、他者の弾いているギターの音を、自分の耳ではなく、自分の想像上の「ギター」で聴いているのではないだろうか。
バルトが Camera Lucida(『明るい部屋』)の最後で、亡くなった母親の写真を悲しみに明け暮れながら見ていたある晩、友人に誘われてフェリーニの『カサノヴァ』を見に行ったことを書いている。その映画のなかでカサノヴァが自動人形と踊っているシーンを見て、バルトはそれがまるで自分が「写真」について考えていたことを集約しているような気がしたという。記憶がおぼろげだったので、Camera Lucida を引っ張り出して該当部分を読んでみた。バルトは、「現実にそこにあった、しかしもうないものを、いまここに見ている」という写真のもつ特殊な感覚は「新種の幻覚」であり、カサノヴァもまた「不思議な麻薬」に影響されているかのように見えたと書いている。バルトはここに、写真、狂気、そして「愛の苦しみ」のつながりを発見している。この「愛」とは、恋人の感情ではなく、「哀れみ」のことなのだと。
私のうちの留守番電話には、ずいぶん前に父が残した、「電話してくれ」というメッセージが残っている。私は返答したメッセージから順に消去してゆくので、ずっと返答しなかった父のメッセージが残ったままになっているのだ。そのメッセージは返答されることなく、父は先月亡くなった。
父の葬儀に出るために、慌ただしく予定より一週間早く行くことになった今回の東京。その3週間の長い休暇からNYのうちに戻って、留守番電話を再生したら、死んでしまった父の声と、その父の死を知らせるN口さん(父のつれ合い)の声が、続けて録音されたまま残っていた。同じ電子メモリーに録音された声なのに、一方はもういない人の声、他方はまだ会える人の声。でも、私に話し掛けるその「録音された父の声」を聞くと、その録音という「痕跡」に死を感じると同時に、そこに父がいるような気がする。なんだか消去する気になれず、そのままになっている。
東京の実家に到着した晩、一年ぶりに母と夕飯の卓を囲んだ。母は、「一度でいいから、お父さんも一緒に、家族3人水入らずでこうやって食事がしたかったわね。ここにお父さんがいると思って、食べましょう」と言って、ひとつ空いた席をしめした。そう言われてみれば、私たちは3人で食卓を囲んだ記憶がない。父と母、私と母、私と父はいっしょに食事をしたことがあっても、3人揃って食卓を囲んだことがない。ひさしぶりに母の料理を食べる。そこに、本当に父が座っているような気がした。
2003年3月14日
ちなみに、アヤ(ガール・フレンド)の大学の学生のうち55%が共和党支持者だというのは、政治科学専攻の生徒たちが統計を取ったのだそうだ。
彼女の大学では、政治科学専攻の学生は共和党支持者集団として知られているそうである。そういえば、私が学部時代に取った政治科学のクラスに、自分たちのことを "political junkies"(政治中毒)と呼んでいた政治大好きの生徒たちがいて、彼らも共和党支持者だった。あのとき、NY市立大学の生徒で共和党支持とは、なんとめずらしいと思った。
政治、すなわち権力のゲームに惹かれる人たちには、自分でも権力を保持したい人たちが多いのだろうか。
文化心理学を専攻しているアヤは、授業の課題で、来月ランカスターのアミッシュの人たちにアメリカの対イラク政策についてどう思うかアンケートして統計を取りに行くそうだ。
2003年3月13日
内田さんが昨日づけの日記で、「『決議案なしでもイラク攻撃』に賛成の市民はアメリカで55%」というデータを引用しておられた。
私のまわりのアメリカ人は、ほぼ全員イラク攻撃自体に反対である。べつに彼らはインテリとかではなく、普通のアメリカ人だ。
この食い違いの理由は、私がつき合う人の傾向というのもあるかもしれないけど、それより、ここがNYだからだろう。NYの人口は、圧倒的にリベラルだ。NY州のなかでも、NY市とその他の郊外では政治的な支持層がまったく異なる。アメリカでは、コスモポリタンな都市部を離れ、郊外や田舎へゆくほど、人々は排他的で、保守的になる傾向がある。"Let's get rolling!"(やっちまおうぜ!)とか書かれたプラカードを持って、南部で行われている戦争支持デモの映像など見ると、恐ろしくて背筋が寒くなる。NYの外には出たくないと思ってしまう。
実際のNY市人口の世論調査データというのは、私は残念ながら知らない。ちょっと Google してみたけど、見つけられなかった。今日会った、広告関係の仕事をしているアメリカ人に「どう思う?」と聞いてみたら、「70%くらい反戦なんじゃない?」という答えだった。
もうひとり、今日初めて会った20代のミュージシャンにも聞いてみた。私がそんな質問をしたら、はきはきと答えてくれない。話を聞いていると、彼はイラク攻撃肯定派だということが分かった。でも彼は、その自分の意見を人前で口に出さないと言う。NYではマイノリティーの意見なので、肩身の狭い思いをすることになるからだそうだ。彼の意見を知った仕事場の上司に、怒鳴りつけられたそうである。この話を聞いて、まるでPC(ポリティカル・コレクトネス)のようだと思った。NYでは、「反戦」が「正しい意見」になっており、それに反することを言ったら糾弾される風潮があるようだ。ちなみに、その彼でも、「ブッシュは最低のバカだ」と言っていた。
NYでは、「人種差別」が「悪」であるように、「戦争で人を殺すこと」は「悪」であるという一般感情があるように思う。それだけでなく、「そんなことしたら、またNYでテロがある」と恐れている人も多い。戦争なんかしてテロの標的になるは、アメリカの田舎ではなく、NYのような大都市なのだ。
私のガール・フレンドは、ペンシルヴァニア州の田舎街にある大学に行っている。学生はいろいろなところの出身者がいるが、やはり郊外出身の白人が多い。彼女によると、生徒の55%が共和党支持者だそうだ。しかし、それでも、生徒たちは圧倒的に戦争反対だそうである。きっとイラク問題については、よく授業中にディスカッションの話題になるのだと思うが、「ほとんど全員がイラク攻撃反対だよ」と言っていた。
では、「決議案なしでもイラク攻撃」に賛成の55%のアメリカ市民とは、いったいだれなのか? 少なくとも、以上のような私の日常感覚的なデータから推測すると、「NYのような都市部の住人ではなく、大学生でもない人たち」になる。都会と大学に共通しているのは、やはり、排他的でなく、他者性に価値を見出す場所だということではないだろうか。
ちなみにパウエルは、ニューヨーク市立大学出身のニューヨーカーだ。
では、ブッシュやラムズフェルドは、アメリカでも田舎的で特殊な人々であるとか、NY的でないということなのだろうか。そうではないと思う。彼らのあの口調というのは、やはり恐ろしいほどにアメリカ的で、あの感覚というのはNYのアメリカ人にだってないとは言えないと思う。ミュージシャンの彼を怒鳴りつけた彼の上司は、立場こそ逆であれ、同じような口調をしていたのかもしれない。
この私が思う「アメリカ的」とは、どういうことか。
他者が身近にいるとき、人は表層的になる。共有されているものがないとき、人は「ほら、わかるでしょ」という言葉の厚みを失い、表層的なコミュニケーションしかできなくなる。しかし、表層というのは、実はものすごく「深い」。どう「深い」かというと、「横に深い」。すべては表層だと思ったとたん、そこには俯瞰することのできな底なしの広がりが現れる。それはきっと、旧大陸から新大陸に最初にやってきた人たちが、アメリカ大陸の荒野に感じた底なしの広がりと同種のものだ。この感覚というのは、アメリカ文化の最良の部分だと私は思う。
ブッシュやラムズフェルドも、「すべては表層だ」というアメリカ的な感覚は持っているのだと思う。それが彼らを「プラグマティック」にする。ここまではいい。しかし、そういう表層に投げ出されたとき、次ぎに人が取れる選択肢には2通りあるのではないか。
ひとつは、主体もろとも「底なしの表層」に落ちること。こういう人は、一緒にいて居心地がいい。ワタシとアナタのあいだに隔たりを作らない人たちだから。アメリカのよき近代美術(ポロック、etc.)にも、この「底なしの表層」の感覚がある。きっとアメリカの文学でもそうなのだろう。アメリカの "visionary" の伝統(デヴィッド・リンチ、etc.)というのも、これだろうと思う。
もうひとつは、主体を保守するために、「アイデンティティ」の殻を造ること。アイデンティティの「殻」というのも、表層的なものである。アメリカ人が「アイデンティティ」を大いに好むのは、そこに剥き出しの表層感があるからではないだろうか。この「殻」とは、ワタシとアナタを分ける「接面」である。ワタシとアナタの間に「距離」という想像的な空間がなく、荒々しく接している感じ。しかし、この「殻」は閉じていて、その内部に自我という「空間」を造っている。
アメリカ人の好む「アイデンティティ物語」に、私はアンビヴァレントな感情をもっている。一方でそれは排他的である。「ワタシとアナタは違う」のだ。だから「ワタシとアナタは分かり合えない」とまで言う。しかし、アメリカで実践されている「アイデンティティ物語」は、ぜんぜん超越的に自律した空間のようなものを造っていない感じもする。そこに「他者のアイデンティティ」という「底なしの表層」への敬意があれば、「アイデンティティの政治学」はうまく機能するのではないかという気もする。
ブッシュやラムズフェルドも、「アイデンティティの殻派」なんじゃないかと思う。しかし、彼らは「底なしの表層」への敬意を欠いているような気がする。自分勝手な人が「プラグマティック」になったら、これほどイヤなもんはないと思う。
2003年3月12日
NYへやって来たばかりの頃、私はNYの街が美しいとは思わなかった。
摩天楼とか、最初から美しいと思った風景もいっぱいあるけど、NYにはヨーロッパの街のような「目に優しい奇麗さ」はない。確かに、NYの「いい地区(good neighborhood)」には、ヨーロッパよりもさらに堅固でモダンな「奇麗さ」があって、それもNYの美点ではあるんだけど、私が住んでいるような下町は、そうとう汚い。NY育ちのマーティン・スコセッシが愛し、しばしば映画の舞台にする "Hell's Kitchen"(地獄の台所)地区などは、安っぽく猥雑なNYの代表だ。(『タクシー・ドライバー』、『救命士』、etc.)NYは、荒涼とした風景の目立つ街である。
しかし、いつのまにか、私はそんなNYの風景を「美しい」と感じるようになってしまった。ヨーロッパやアジアの街にもいろいろ行ったけど、今の私には、NYの街が「最も美しい」と感じられてしまう。
「美しさ」とは身体で学ばれるものであり、文脈的だ。おそらく、それは想像力によってだれにでも「共感」されうるという意味で普遍的であり、さまざまな「美しさ」があるという意味で相対的なのだと思う。重要なのは、単独的な美しさのなかに、「すべての観者は、『つねに自分には理解できていないことがある』という事態を共有している」というメタな視点を見出すことではないだろうか。均質的なものには、逆にこの開かれた普遍性がない。単独性とは、「新しい」とか「奇抜だ」ということではなく、「他者と一緒にいられる」ということだと思う。
今の私には、NYの風景の何が、どんなふうに「美しく」感じられてしまうのか。おそらくそれは、「多様性」そのものの美しさではないかと思う。それがこの「美しくないことの美しさ」なのではないか。
さっき昼食からオフィスに戻って、これを書いてるんだけど、外を歩きながら、行き交う人々を眺めていて、やっぱりこれだけコスモポリタンで、これだけ経済的に成功している街は、世界中にここ以外ないだろうと思った。もちろんNYにも排他的なところがないわけではない。「多様性」の弊害もあると思う。ここでサバイバルするというのは、そうとうストレスがあることだ。ここは、みんなが仲良くやっているパラダイスではない。
荒涼として、しかし生命感にあふれたNYの風景に私が感じる美しさというのは、「他者の肌触り」なのではないかと思う。その代表が、他者の行き交う地下鉄だろう。それは、開拓者たちが向き合った、アメリカ西部の荒野に似た肌触りなのかもしれない。
そういう風景と背中合わせに、まるでそれぞれが自律しているかのように個別的で「綺麗な」ものが無数に存在することによって、NYの街は構築されている。NYは、巨大な岩盤の上に築かれた、石と鉄とガラスの街である。
NYの街には、広くまっすぐな道をはさんで、多様な高層の建物が隙間なく林立している。この街に住んでいると、建物の「内側」と「外側」がはっきり分れているという感覚を抱く。日本の家屋には、内側も外側も一続きになっているような感覚があって、それは日本のいいところなのかもしれない。日本にいると、ある建物に入ったら見知らぬ世界があってびっくりしたということがあまりないような気がする。(私が知らないだけだろうか。)NYでは、住所を頼りにどこかに赴いて、洞穴のようなエレベーターで階上へ登り、ベルを鳴らして重々しいドアの内側に入ったら、そこに異空間(=異文化)が広がっていて目を見張るということがよくある。それは隔離された感覚とは違って、世界に向かって開かれた何かが構築されている感じなのだ。だから、排他的な感じでもない。(排他的な空間というのはあるだろうが、そういうところは入れてくれないんだから、行かない。そういえば、むかしNYで「日本人以外お断り」という看板を出した日系のバー──駐在員とかが行くところだろう──があって、アメリカのメディアに叩かれていた。)
巨大な建物の内部のどこかに、外からは見えないコミュニティのネットワークが無数にある感じ。それは、エスニシティー、サブカルチャー、そして、さまざまなビジネスに関わるネットワークであることが多い。それらの存在というのは、大手のマス・メディアには出てこないものであり、街を歩いていても想像できないもので、何かの糸口を通じて「内側」に入り込まなければ発見されない。この底知れぬNYの「内側」の空間というのは、他者の行き交う荒涼としたNYの風景と背中合わせのセットになっている。
そういえば、NYに来たばかりのころ、「うを…これがNYか…」とその美しさに呆然としてしまった空間は、ダンス・クラブとアート・ギャラリーだった。今になって考えてみると、この両者は「人を呆然とさせるための異空間」を目指して作られているわけだから、当たり前かもしれない。ハリウッド映画とかもそうだけど、アメリカ人とういうのは、ああいうふうに身体的感覚(sensation)で人を「圧倒する」のが得意だ。ある種の弱さとか繊細さというのは、こういうものと「同じ土俵」に並べられたら、暴力的に吹っ飛ばされてしまう。
NYの街は、「リゾーム」状の迷路のような感じがする。巨大な空間のなかに「無限」にある、相対的に自律したさまざまな「部屋」が、細いチューブでつながっているような感じ。人に出会ってとか、仕事でとか、何かのキッカケで、こんなチューブを通っていったら、こんなとこにポコッと出ちゃったという感じ。その全体を見回すための「ガイド本」のようなものは、とうぜん存在しない。この街には、ホントいろんな場所があって、ホントいろんな人がいて、ホントいろんな出来事が起こっていて、そういうのをあっちに行ったり、こっちに行ったりするたびに、「ほへー」と驚かされ、「ああ、NYってなんて美しいんだ」と思ってしまう。
一元的に満たされる「快楽」と違って、ちょっとそこからズレていることによって感じられる「美しさ」というのがあるのではないか。
チベット密教好きのユダヤ人と仕事をし、ヒップホップ文化が嫌いなアフリカン・アメリカンとハウス・ミュージックのかかるクラブへ踊りに行き、中国人の家族とクィーンズに四川料理を食べに行ってオーダーを取ってもらい、フランス語訛りの女の子が働くフレンチ・カフェでアメリカについて考え、プエルトリカンのオカマ・バーで最近のゲイ・コミュニティについての話を聞く、…この街では、そういうことが起きる。これだけ書くと、ヤッピーの「多文化消費主義」みたいに聞こえるかもしれない。でも、ぜんぜん違うと思う。(だいたい、ヤッピーはこんな人とのつき合い方をしない。)それは、それぞれの文化的空間のなかで、唯物的な他者性をつきつけられ、さまざまな価値判断がいったん放棄され、お互いが共有しているレベルまで切りつめられた言葉を交わし、単独的な問題について考えさせられるということだ。
「リゾーム」というのは、だれにも全体を見渡すことができないという点に重要な意味があると思う。私が多少なりとも「あっちに行ったり、こっちに行ったり」できるのは、不平等な特権だと思う。あるブルックリンのインナーシティーに生まれた子は、1ドル50セントと30分をかけて地下鉄に乗り、マンハッタンに出てくることさえしないだろう。「文化資本」がないのだ。しかし、私も彼も、この街全体を見渡すことができないという感覚は共有していると思う。ストリートに出たとき、そこがまるで一つの大きな均質的な部屋であるような、そういう共通感覚を私たちは持っていないという、そういう共通感覚を私たちは持っているような気がする。だからこそ私たちは、対等に言葉が交わせる。
「ニューヨーカーっぽさ」というものがあるとしたら、それは、すべては荒野と背中合わせに成り立っており、そこではみんな平等であるということを身体で知っていることじゃないかと、私は思う。
2003年3月11日
長い旅行から帰ったとき、見慣れた空間が異化されたような、不思議な感覚に襲われたことがないだろうか。「うち」にいるのに、遠い場所がそこに重なっているような、なんか「ズレた」ような感覚。
日本からニューヨークに帰ってくると、そんな感じになる。
そのときのニューヨークは、格別に美しい。
先週、私は東京での3週間の長い休暇を終えて、NYに戻ってきた。ここから書くことは、「東京から帰ってきた、あるNY在住日系アメリカ人の日常感覚の記述」として読んでいただきたい。
成田空港を離陸し、12時間のフライトを経て、NYのJ.F.ケネディー空港に到着する。入国審査を通って、税関を出る。ここまでは、まだ「NYに帰ってきた」という実感がない。空港というのは、「どこでもない」ような場所だ。
だいたい、空港の建物を出て、地下鉄の駅に向かうシャトル・バスに乗ったあたりで、バスの運転手が空港施設の仲間とデカい声でしゃべっていたりして、そういうのを目の当たりにしたとたん、「うをー、I'm back to Neeew Yooork!(NYに戻って来た)」となる。ニューヨーカーは声がデカくて、はきはきとよくしゃべる。それが感覚的に東京人とものすごく違うところだ。(この点で、日本滞在中に東京から大阪や名古屋など「地方」へ行くと、「地方」の人々にはニューヨーカーのようなフレンドリーさが感じられ、居心地がいい。)日本から戻って、まずあのニューヨーク訛りのデカい声(たいてい黒人の声)を聞くと、サウナから出て水風呂に入ったみたいに、身体がシュワーと音をたてながらラクな状態に戻ってゆくような感じで、幸せになる。
この「シュワー」には、確かに「親しみのあるもの」への退行感があるかもしれない。でも、それより、「ああ、他者が当たり前のように共存し、会話する、あの風通しのいい空間に出られた」という、そういう「すがすがしさ」のほうが大きいと思う。
今回は、飛行機に乗っているあいだ隣りのアメリカ人と話していたせいか、シャトル・バスに乗っても「うをー…」という感じにならない。あたりを見回しても、「単なるNY」という感じ。そんなもんかと思いながら、バスを降り、地下鉄に乗る。JFKからマンハッタンに向かうA線は、いまNYで一番「治安の悪い」地域と言われるブルックリンのイースト・ニューヨークというあたりを通ってゆく。(デューク・エリントンの「A列車で行こう」は、この路線のこと。)だからこの地下鉄には、そのあたりの生活感のするニューヨーカーがたくさん乗っている。
そういうニューヨーカーがたくさん乗っている地下鉄に乗ったら、突然「うをー、I'm back to Neeew Yooork!」になった。これだよ、これ。幸せで顔がにやけてしまう。なんと魅力的なオーラを放った人たち。力強い生命感。潔い「大人」の眼差し。空気がピリッと引き締まる。意味もなく隣りの人に「これマンハッタン行きだよね?」と話しかけてしまう。「そうだよ」と、他者から丁寧な答えが返ってくる。
Jay Street 駅でF線に乗り換える。今度はマンハッタンのダウンタウンぽいニューヨーカーが乗っている。「アート・スクール」っぽい雰囲気の若いカップルとか。「ニューヨーカー」に共通しているのは、排他的でない、潔い「大人」の眼差しだと思う。
2nd Avenue 駅を地上に出て、広い 1st Avenue をうちに向かって歩き出す。イースト・ヴィレッジの西側。
なんて美しい街なんだ…。このまっすぐな道、この重厚な建物、この落書き、この力強く剥き出しで転がるゴミ。軽薄な流行なんかにとらわれない、多様で生き生きしてカッコイイ人々。これを "Street" というのだ。冷たく透きとおった3月の空気を胸いっぱいに吸い込む。Sweet home, New York.
3週間ぶりに自分のアパートに入ると、白い壁、高い天井、そこに並ぶモノ…なんだかすべてが美しく感じられる。日本からNYに戻ったとき一番異化されて感じられるのは、一番身近な自分の部屋だ。NYの室内を日本の室内とくらべたとき、感覚構造的に際立つのは、カチッとして透明性のあるキューブ感だろう。谷崎潤一郎が『陰影礼賛』でした比較は正しい。
荷物を下ろし、さっき通話中に電気がなくなってしまった携帯電話を充電器に差し込んで、とりあえず買い物をしにまた外に出る。
重い荷物がなくなって、歩調が軽快になる。NYから東京に行くと、日本の女の子たちが可愛く見えるという一般的な傾向があるんだけど(ほとんどの外国人が、「日本の女の子は、みんなムチャクチャ可愛い」という感想を持つ)、日本からNYに戻ってくると、NYの女の子たちがすごく可愛く見える。違う「可愛さ」なのだ。「性的嗜好」というのも、文脈的・後天的に変化するというのは、NYで生活して私が身を持って実感したことのひとつだ。これについては、また機会があったら書こうかと思います。
2003年3月9日(2)
内田さんから、トップページにこのようなお返事がありました:
と書いておきながら、日記のタイトルの方は「酒屋へ三里」になっておりました。しかし、日本語の五・七・五の七は実は「八拍」なので、「たたたたた・たたたた・たたた・ん・たたたたた」の「酒屋へは三里」でも字余りじゃないんですよね。かわにさんのご懇切な解釈もありましたので、ここはひとつ「8モーラ」でゆかせて頂きます。とはいえ、下の句は蜀山人(だったと思うけど)からお借りしたものですので、私が勝手に変えちゃいけないんだ。でも、本歌の方を忘れてしまったんですよね。どんな狂歌でしたっけ?誰か覚えてますか?
あー、ソースがあったんですね。Google してみたら、オリジナルはこういうようです:
ほととぎす自由自在に聴く里は 酒屋へ三里 豆腐屋へ五里
これのパロディーになってるわけですね。
これを知らないと、内田さんの「ティファニーの角を曲がって三軒目」のコミカルなニュアンスが分かりませんね。なんかソースがあるのかもとは思ったんですが、そもそも短歌自体ほとんど読んだことがないに等しい無学な私には、そんな粋な遊びが理解できないのでした。(オリジナルを読んだら、私でさえなんかどこかで聞いたことがあるような気がしたので、そうとう有名なものなんでしょうね。)
強引に8モーラにしていただいてしまいましたが、パロディー(またはアプロプリエーション)の意味がオリジナルとの関係によっているなら、「酒屋へ三里」じゃないとだめですね。
2003年3月9日
内田さんのサイトのトップ・ページを見たら、自分の本名が目に飛び込んできた。(「本名で行きます」と、私が内田さんに言ったのです。)
そして、『ティファニーの、角を曲がって三軒目。酒屋へは三里、豆腐屋へ五里』という、初めてみる自分の日記のタイトル。
このちょっと不思議なタイトルを読んで、私にはすぐにその「意味」が分からなかった。でも、その下にある説明を読み、もう一度タイトルを読み返したら、感動してしまいました。
その説明を引用すると:「これはニューヨークにいるとなかなか豆腐とか雪中梅とか手に入らなくて、それにつけても故郷は遠いね、という在外同胞の望郷の思いを空間的比喩に託した和歌なのであります。」
美しい和歌のリズムだ。でもやっぱり、なんかどことなく「さらさらさら」っとゆかない齟齬感がある。拍数を数えてみると、「酒屋へは三里」が8拍になっている。「字余り」にしてあるのですね。
「ティファニーの、角を曲がって三軒目」という最初の3句は、「の」とか「って」とかで接続されていて、全体で一文を形成している(シンタックス)。それに対して、「酒屋へは三里、豆腐屋へ五里」という最後の2句は、それぞれが名詞のような感じになっていて、2つの独立した「イメージ」を形成している(パラダイム)。その結果、形式的にも、前半の部分は「手づたい」で動いているような、実際にティファニーの角を曲がって三軒歩いているような、「近さ」や「現実感」があり、後半の部分は、イメージを「眺めている」ような、目の前の現実を離れた何かを夢想しているような、「遠さ」を感じる。
さらに、後半の2つの「イメージ」が並んだ部分では、最初の「酒屋」の句も次の「豆腐屋」の句と同じかたちで「酒屋へ三里」とすれば7拍になるのに、あえて「酒屋へは三里」と「は」を入れて字余りにしてある。リズムとして、字余りの8拍でタメた後、次ぎに定形の7拍がきて、スパッと歌が終わっている。意味的にも、最後の「豆腐屋へ五里」は、その前の「酒屋へは三里」にある「は」という語の「説明感」がなく、「イメージ」だけがポンと差し出されているような感じがする。歌の後方に行くにつれ、どんどん言葉から説明的な意味が剥ぎ取られてゆくような、目の前の日常性から遠のいてゆくような感じが、「三軒目」「三里」「五里」という物理的な距離をさらに感覚的に形式化している。
総じて、この歌には絶妙な「距離感の抑揚」があるように思う。
「距離感」というのは、今の私にとってキー概念のひとつだ。この日記でも、そういう話をすることになると思う。だから、こんなバッチリなタイトルはない。
すばらしいタイトルを、ありがとうございます。
…なんてことを書いて、ふと私の文章が掲載されているページ内のタイトルを見ると、「ティファニーの角を曲がって三軒目酒屋へ三里、豆腐屋へ五里」となっている。あれ、字余りになってないじゃん。ホントはこっちが正しいんですか?
2003年3月9日
私は今から半年後、14年間暮らしたニューヨークを離れ、この地にやって来る前に住んでいた東京で再び生活を始める。
それが数ヶ月前に決まってから、自分にもよく分からない複雑な気分が続いている。
突然、日本やアメリカについていろいろ言いたくなった。「日本」や「アメリカ」について、いつも以上に悩むようになった。
こんなのは、NYに住み始めたころ以来だと思う。
この「困惑」を記述することは、「14年ぶりにNYから東京に移り住むことになった自分」という媒体をとおした、文化的な視点の実験みたいなものになるのではないかと思った。
私が「視点の賢者」として仰ぎ、ここのところずっと多大な影響を受けている内田さんに、こちらのサイトの「一部屋」をお借りしてそれをやらせていただけないでしょうかとお願いしたら、快諾してくださった。
ありがとうございます。
今の私の精神状態というのは、かなり反動的なものかもしれないと思う。きっと、一元的に狭く、偏見に満ちた視点によって、「アメリカ賞賛」や「日本の悪口」を書いてしまいそうな気がする。
ですから、これを読んでくださる皆さんに、批判していただけたらと思っています。よろしくお願いします。
というわけで、次回に続く。
かわに おう
oichi@earthlink.net