華チャンの韓国”うほほい”インサイド・レポート・2002

 

2002年12月20日

こんにちは。

大統領選挙が終わりました。

・・・おもしろかったです!

私たちの住んでいる光州はじめ、全羅道では民主党のノ・ムヒョン候補の得票率が95%ちかくあって、まあ、ここらへんではノ候補支持率が圧倒的に高いのである程度予想していたとはいえ、こんなにも差が出るとは、びっくりしました。

(ある意味で)特別な地域に住んでいるんやなってことを、初めて実感した瞬間でした。

でもやっぱり、異常といえば異常ですよね。

投票日の前日に、ワールドカップのおじさん(国民統合21のチョン氏)がいきなりノ候補への支持を撤回する、というドタバタもあって(子どもじゃないねんから・・・って感じです。意味がよくわかりません。)ハンナラ党のイ・フェチャン候補とどっちになるか、ますますわからなくなって、ビールを飲みながら、わくわくしつつ開票中継放送を見ていました。

私が驚いたと同時に、少し羨ましくも思ったのは、若者たちの関心の高さです。もちろん、韓国でも若者の政治への無関心が話題になっているとはいえ、日本とは比べ物になりません。(と思います。)

私の通っている大学でも、ずいぶん前から選挙に関する垂れ幕があちこちに設置され、投票を呼びかける集会などもしょっちゅうやっていました。

ノ当選者には、インターネットを通して生まれた「ノサモ」(ノ思慕か?)というファンクラブというか、支援団体があるのですが、その事務所の様子を見ていても、大学生くらいの若い会員がたくさん活動しているのです。

ある一人の政治家に希望を持つ、夢を託すなんていうこと、私には想像もつかないことです。日本で経験した今までの選挙でも、この人だ!というよりは、他の人よりはましかも、というくらいの基準で選んでいたような気がします。

日本の総理大臣も、国民が直接選べたらおもしろいのに・・・なんて、あほなことを考えてしまいました。

でも、負けたイ氏、小さくて細いおじいさんが、これで政界を引退すると涙ながらに会見しているのを見ると、なんだかかわいそうでした。(のんきな感想ですね。)

ノ当選者は「美しい馬鹿」というニックネームがあるほどで、これまで、それがたとえ自分にとって明らかに不利だとわかっていても、自分の意志を通しては失敗(一般的に言う「失敗」)し続けててきた人だそうです。

これからが、少し楽しみです。

 

2002年12月11日

前回のメールから、知らないうちにもう一ヶ月も経っていました・・・。ご無沙汰しております。

学校は休みに入りました。論文、そろそろ本気ではじめねば・・・と思いつつ、今日も12時(お昼の)起床です。泥人間です。

今日の目標は掃除です。

 

約2ヶ月前から、唯一見ることのできていたNHKが入らなくなり、日本のテレビ放送は全く見られない状態になってしまいました。(うちのアパート全体が。)

ニュースなどはネットで読む程度で、あまり詳しいことがわかりません。

拉致問題に関する報道は、今も頻繁にされているのでしょうか?

その拉致問題(報道)の影響で、最近、私のまわりでこんな出来事がありました。

夫の実家は老人ホームをしていて、そこに日本人のおばあさんが一人、いらっしゃいます。戦時中、韓国人の男性と恋愛し、家族の大反対を押し切って、終戦と同時に韓国に来られたというおばあさんです。

しかし、早くに旦那さまを亡くされ、十数年前から老人ホームで暮らしていらっしゃいます。その間、日本に帰ったことはなく、日本にいる兄弟とも音信不通。

私が初めておばあさんに会った時、「苦労はもちろんたくさんしたけど、それでも好きな男と一緒になれたのが一番よかった。」とおっしゃって、私を元気づけてくださったおばあさんです。

私がこちらに来てから、ずっとおばあさんの家族探しをしています。おばあさんの従妹にあたる人までは探し出したのですが、結局そこから先には進めずにいる状態です。

方法の一つとして、ネットの人探しサイトにも登録していたのですが、それを見て、数ヶ月前にテレビ番組の企画をする会社から連絡がありました。

ある探し人番組に出てみないかというお話でした。

なんども国際電話やメールなどで連絡を取り、おばあさんにも詳しい話を聞いて、本格的に話が進んでいるようでした。

ところが先日、昨今の北朝鮮に関する問題のため、今、テレビで扱うには難しい、という断りのメールが来ました。

それで終わりです。

日本でどういう報道がされているのか、ネットのニュースだけみても、想像がつきますが・・・やるせない思いです。

おばあさんには、まだ、そのことを伝えられずにいます。

 

10月にシブモ(義両親)が北朝鮮の金剛山へ旅行しました。

北の人たちと話をする機会もあったらしく、「統一したら、光州に遊びに行かせてくださいね。」などという話もしたそうです。普段は寡黙なシアボジ(舅)が、旅行から帰ってきてしばらくは、興奮ぎみに同じ話を何度も繰り返していました。

拉致被害者やそのご家族、老人ホームのおばあさん、そして寒さと飢えの中で冬を迎えている北朝鮮の多くの人々・・・。

それぞれ、事情は違うにしても、みんな、国家、権力に翻弄されている犠牲者だと思います。今さらこんなこと、敢えて言う必要もないようなことでしょうけど。

でもほんまに、どないかならんかいな、と思ってしまいます。

そして、報道の影響力の大きさ。(あるいは、受け手の単純さ?)

「北朝鮮って怖い国らしいけど、華ちゃんは大丈夫なん?」って、わけわからんことを聞いてくる人がおるのですから。

またメールします。

今月末は、夫の従兄夫婦と遊ぶ予定です。もちろん、シブモ(義両親)抜きで!

ミョヌリ(嫁)同士のメール交換も続いています。

いっぱい飲むぞぉ〜!うひひひ。

 

2002年11月8日

ご無沙汰しております。

すっかり冬になってしまいました。いかがお過ごしですか?

 

私はといえば、修士3学期もそろそろ終わりかけ。もうとっくに論文に取りかかっていなければならない時期なのですが、まだ手も付けていない状態です。

なのに、シデク(嫁ぎ先)の行事などで神経を使うことが多く(←言い訳?)なかなか余裕がありません。よく、院に通いながら妊娠・出産・子育てまでしてる人がいますが、どないしたらそんな神業ができるんやろう?!と、妊娠すらしていないくせに、思ってしまいます。

さて今回は、久々(?)韓国嫁姑事情について、お伝えしたいと思います。

シアボジ(舅)の還暦祝いということで、10月に夫の従兄3人とその家族と私たちで旅行したんです。(その従兄というのは、「シアボジの兄の子ども」たち。シアボジにはお姉さんや妹もたくさんいますが、女きょうだいは抜きで、男きょうだいの系列、つまり、姜(カン)氏だけで集まろう、ということだったのです。韓国では子どもは父の姓になるので、シアボジのお姉さん、妹の子どもたちは姓が違うから仲間に入れてやらへん、ってことらしいのです。変なの!)

その時も、1週間くらい前から、ずっとおなかの調子が悪くて(ストレスの余り!)、それでも、還暦祝いやし、こんなことはもうないんやから、っていう夫の言葉を信じて行ったんです。

緊張を紛らわすため、黙々と酒を飲みまくり、さっさと訳が分からなくなってしまおう、という作戦で、なんとか1泊2日を乗り切ったのですが・・・その旅行がかなり楽しかったらしく、うちのシブモ(義両親)は、解散の時にすでに次の旅行を企画していたのです!しかも、翌月に!!

というわけで、これさえ終われば開放されると思っていたのに、またこの1ヶ月、悶々とした日々が続くことになったのでした。

日程がなかなか決まらなかったので、「このまま、流れるんちゃうやろか?」というかすかな期待を持ちながら、それでもやっぱりビクビクしながら・・・大袈裟な話ではなく、ほんまに、この1ヶ月、ずっと胃の調子が悪かったくらいです。

しかし私の願いもむなしく、結局、第2回の旅行は先週末、11月2、3日に決行されてしまいました。

今回も私たち夫婦の間ではだいぶもめたんですが(行かへんで!と、直前までは言ってました。)、今度は義弟と夫の車、2台別々で行こうということで、なんとか折り合いを付けました。もちろん、シブモは義弟の車!

このおかげで、前回に比べてごーっつい!!気が楽でした。やっぱり、シブモと密室で片道4時間はきつい!

前回の旅行から1ヶ月も経ってないのに、また集まることになった理由のもう一つが、夫の従兄たちのお母さん、つまり「シアボジの兄の妻」という人が、移住先のアメリカから久しぶりに韓国に遊びに来られた、ということがあったからでした。でもやっぱり、2ヶ月続けて遠出というのは、他の人たちにも負担だったみたいで、3人いる従兄のうち、2番目一家は欠席。今回は旅館ではなく、3番目のお兄さんの家で食事して、泊まることになりました。

前回と違うのは、従兄たちの奥さん2人にとっては、自分の「シオモニ」(姑)が一緒、ということ。

私のシオモニは、いくら私にとっては恐ろしいシオモニでも、彼女たちにとっては、所詮、親戚のおばちゃん。前回の旅行も、うちのシブモを喜ばすために、それなりに気は使っただろうけれど、やっぱり自分のシオモニがいる、ということとは全く違うわけです。(私やって、シオモニ抜きで夫の親戚のおばちゃんと旅行っていうんなら、なんぼでも行ったるわよ!)

というわけで、今回は各家のミョヌリ(嫁)たちの不満爆発!

私も、やっと同志を得ることができたのでした。

 

ミョヌリである私たちが食事の準備をしている間にも、シブモやおばさん、1番上のお兄さんはさっさとお酒を飲み始めます。それを見て、さっそく、台所ではミョヌリたちがこそこそ、文句を言い始めるのです!

 

(ちなみに、3番目のお嫁さんはアメリカ育ちのコリアンアメリカン。韓国語も上手だし、顔ももちろん韓国人だけど、考え方はアメリカ人、そして韓国はやはり、彼女にとっては外国なのです。そんな妻を持つ3番目のお兄さんは、「僕は、女性たちがみんな席に着くまでここにいるよ。」と、台所仕事を手伝ってくれる、すばらしい人です!

同じく外国人の妻を持つ私の夫も、「私が怒るのを恐れて」だとは思いますが、一応自分も手伝ったり、食卓と台所を行ったり来たりしながら、かなり挙動不審ではあるけど、それなりに気を使ってくれているようです。)

 

「ほんまは来たくなかったでしょ?こんなんしても、私らが気を使うだけで、おもしろいことなんか、ひとっつもないわ!」

「お義母さんがいろいろうるさくて、ほんま、嫌になる!」

「年寄りたちをさっさと酔わせて、私らだけでカラオケ行こう!」

 

新参者の私は、これに同調すべきかどうか、一瞬迷ったのですが、食事が始まり、お酒を飲み始めると、案の定、スイッチが入ってしまって、「お姉さんたちとこうやって話ができて、私、うれしいですぅ。」なんて言いながら、結局、ガンガン愚痴言いまくり。

 

うちのシオモニが、例のごとく、あほほど食べ物や果物、野菜などを持って行っていたのですが(彼女は、お土産やプレゼントは量で勝負!が信念なのです。)、それを片づける時も、二人のお姉さんたちが、

「これ、嫌いやのにー。あんた、持って帰ってよ。」

「えー、うちも困るわー。」と押し付け合ったり、同じくシオモニがダンボール箱ごと持ってきたサンチュ(レタス)を、

「こんなにいっぱいあっても、どうせ腐って捨てるんやから、今のうちに捨ててしまお!」

「そうですね!」と言いながら、ビニールの買い物袋一つ分くらいをガバガバ捨てててたり・・・!!

これには、さすがの私も、恐ろしいって思ってしまいました。

 

また、そのお姉さんたちは、いつも、うちのシオモニと会うと「チャグンオンマー(小さいお母さん:「父親の弟の奥さん」=おばさんのことをこう呼ぶ。)」とか言いながら、腕を組んだりすることがあるのですが、私が、「日本では、一般的にスキンシップという習慣がないし、私、どうしても、そういうことができないんです。やれば、かわいいミョヌリになれるのかも知れないけれど、やりたくもないし。」って相談したら(←相談っていうか、最初っからやる気なんてないので、ただの愚痴ですね、これも。)お姉さんたち、「チャグンオンマは私のシオモニじゃないから出来るのよ〜!私たちだって、自分のシオモニやったら、腕組んだりなんてしたくないわ〜!オエー!」とか言うのです!

ますます、うれしくなってしまいました。(これで、どうにか論文書けないかなあ、と思ってるところです、今。)

 

韓国のミョヌリたちもあなどれん。

下手したら、私より腹黒かも?!

今まで、こういう話をしたことなかったし、ちょっと安心しました。みんな、そうなんや〜って思って。

 

結局、年寄り(?)たちをまくことができず、一緒にカラオケ行くことになったけど、体調がよくないところに、雰囲気でガボガボ飲んでしまった私は、その頃にはすっかり酔ってしまって、挙げ句の果てには泣いたりもしたそうです。覚えてないけど。

たぶん、無理矢理「プサン港へ帰れ」を歌わされたりして、「私、なんでこんなん歌っとんやろ?ここで、何しとんやろ?」と考えたら、泣けてきたのでしょう。

 

それにしても、めっちゃおもろかったです、お姉さんたち。

みんな、お酒が入って、一応、聞こえないようにって注意しながら話はしてたけど、だいたい、こそこそ話してること自体が怪しいですよね。シオモニたちもわかってたかも?ま、全然、関係ないけど〜。

別れる時に、「次はぜーったい、ウリキリ(私たちだけで)会おうね!!」って約束して別れました。

というわけで、今回は、なかなか実りある旅行になりました。めでたし、めでた

し?!

 

2002年9月30日

おはようございます。

韓国の二大ミョンジョル(名節)のひとつ、チュソク(秋夕)も無事終わりました。

きのうの日曜日(9/29)には仲良しの日韓夫婦3組で会ったのですが、妻3人は「よ〜し、口から血が出るほど、文句言いまくったるでぇ〜!」と、ものすごい覚悟(?)で、数時間、しゃべりにしゃべって、それでもまだ「ちょっともの足りへんなあ。」と言いながらも帰途につきました。ああ、おもろかった!

・・・しかし、私にはまだ残っているのです。今週末の親戚旅行!あああ。果たして私は正気を保てるのか。

親戚の子どもを殴ってしまうかも知れません。あるいは、だれよりも先にべろんべろんになって寝てしまおか?酔っぱらって、吐いたりなんかしたら、「もう、こいつとは旅行に行きたくない。」と思わせることができるかも?などなど、作戦を練っているところです。

さて、前回の続きですが。

やはり、ちゃんとわかってもないことについて何か述べるなんて・・・あきませんね。考えれば考えるほど混乱してきます。

日本と韓国、あるいは北朝鮮の問題について、夫と話をすることはたまにありますが、それが「議論」という風になると、最終的には感情的になってしまいます。

(「それやったら、私が小泉さんに、『ちゃんとごめんって言うてよ!』ってお願いしたらええん?」とか・・・訳が分からへん!)しかも、問題があまりにも大きくて、私たちとはずっとずっと離れたところで動いていて(ニュースで目にする、世界の多くの問題がそうですけど)・・・最後には、なんか力が抜けてしまうのです。

というわけで、今回もあくまでも、私が見て感じたこと、ということで・・・。

今回の小泉さんの訪朝については、日本ではやはり「日本人拉致事件」が最も大きな関心事だったようですが、こちらでは「あの金正日が認めて謝るなんて、ごっついことなんちゃうん?」という反応がまずあったんじゃないかと思います。(もちろん日本でもそういう意見はあるでしょうけど。)

夫は94年に軍隊に入りましたが(ご存知の通り、韓国は徴兵制があります。)、そこでこんなビデオを見せられたそうです。

それは「ニュースでは報道されない南北会談の裏側」。

途中で話がこじれて来ると、北側の代表が南の代表に向かって、「金氏、あなたのお宅は確か、ソウルでしたよね。(こっちは、そこをミサイルで狙うこともできるんやで。)」と言うと、南の代表も激怒して、「あんた!なんだね、それは!?」

それで、そのままお互い出ていってしまって、会議は中止、というビデオやったそうです。

彼の話はたいがい大袈裟なので、全部は信用できへんと思ってますが(!?)、こんなことが何度もあったということです。(言葉が通じることを考えると、全く有り得へん話でもないかな?)

そやから、余計に、「あれほどの北が、しかも金正日本人が」というのがあったみたいです。

だけど、情報の規制ということは、ほんまに最近まで(現在も?)あったので、何がほんまかわからへんということはあると思います。

きのうのニュースで、ソウルで起こったデモと機動隊の衝突の様子をやっていて、なんやら、すごいことになってんたんですけど、そのデモ隊というのが、韓国から北朝鮮へ送られた軍のスパイ部隊の元隊員たちらしいのです。(40代〜50代らしきおじさんたちでした。)

しかし、国はその部隊そのものの存在をいまだに認めておらず、そのデモは国からの認定と補償を求めるものでした。

驚いてしまいました。知らんことがいっぱいありすぎて。映画みたい・・・なんて、とぼけた感想を持ってしまったり。

ちなみに、現在はアメリカのイラク攻撃などに注目が集まっていて、反米感情が(もともと高いけど、さらに)高まっているようです。

それは、私の通っている大学の構内に掲げられている垂れ幕などでもわかります。

少し前まで大学祭が行われていたのですが、「模擬裁判、陪審員募集。アメリカを裁こう!」なんていうイベントもありました。

(日本の歴史教科書問題の時は、私もなんとなく学校に行くのに気が重かったことを思い出します。)

また、メールします。

それでは。

 

2002年9月17日

こんにちは。だいぶ涼しくなってきましたね。こちらはそろそろチュソク(秋夕:旧盆)、韓国じゅうの嫁たちが大嫌いな行事が近づいてきました。幸い、夫の実家はプロテスタントなので、伝統的なお供えや儀式をしなくてよいため、ずいぶん楽ですが、それでも親戚が集まったりするので、気が重いです・・・。

 

さて、今日、ついに小泉総理大臣が北朝鮮を訪問しましたね。

韓国のニュースでも大きく扱われており、関心の高さが伺えます。

今日は少しまじめに(?)北朝鮮のことについて、こちらに来てから私が感じたことなどを書いてみようと思います。(たぶん、まとまらないと思うけど。だって、私自身の中で、さっぱりまとまってないんですから。)

 

日本でも話題になった「シュリ」や「JSA」といった映画を観ると、日本人の私でもいろいろ感じるものがありますが、それでも、やはりこの国の人間でない限り、理解できない微妙なところがあると思います。

 

私の夫(29歳)の世代でも、小学生の頃には「北韓(北朝鮮)の人は頭に角が生えている。」といった、ちょっと信じられないような教育を受けていたそうです。

もちろん、今はそんなことはなく、統一を望む声は高まっています。

プサンで行われるアジア大会でも南北が一緒に参加することになり、ニュースでも実際にリポーターがピョンヤンの街の様子を伝える特集が組まれていたりもします。

先日行われた南北親善サッカーでは、選手もサポーターも、それぞれの国旗ではなく、青い朝鮮半島が描かれた旗を使用していました。

試合が終わり、選手たちが言葉を交わしている様子を見て、同じ言語を持つ、同じ民族が、自由に交流できずに分断されている、という今の状態の「異常さ」を、改めて感じました。

 

しかし、韓国に住む人々にとって(もちろん北の人にとっても同様かも知れませんが)北朝鮮がどういうところなのか、わからないこと、知らないことがあまりにも多すぎるようです。

韓国の人は「ウリナラ」(ウリ=我々、ナラ=国、つまり我々の国、韓国ということです。)という言葉を非常によく使います。

6月に夫の友達、後輩たちと会ったときに、ちょうど北朝鮮と韓国が海上で衝突し、死傷者が出たというニュースをやっていました。それを見ながら、みんなが「ウリナラ」と「北韓」という言葉を使って話をしているのを聞いて、うーむ、と思ってしまいました。

願いとしての統一はあるけど、現実はやはり、一つの国だけど一つじゃないというか・・・。

 

ただ、「北朝鮮」という存在が、韓国人にとってはものすごくデリケートで微妙な問題なのか、というと、一概には言えないみたいです。

というのも、テレビのコメディ番組で北朝鮮ネタをやっているコメディアンを度々見るからです。

首に赤いスカーフを巻いて、北朝鮮方言でギャグを言うコメディアン、北朝鮮の少女合唱団のパロディー(そのメンバーには、脱北者、つまり北朝鮮から亡命してきた女優さんも入っているのです!)など、とても人気がありました。(今も)

初めて見たときは、「こんなことしてもええん?」って、ほんとうにびっくりしてしまいました。

 

北朝鮮というテーマに対して、熱い(?)のか、冷静なのか、韓国の人たちの北朝鮮に対する心理的距離感など・・・、外国人である私にはさっぱりわかりません。

離散家族の面会などのニュースを見ると、私もついもらい泣きしそうになりますが、きっと、ほんまのところはわかってへんのやろな、これからもずっとわからへんのやろな、って、やっぱり思ってしまいます。(ひねくれすぎ?)

 

またまた、まとまりませんでした。

でも、難しいことはいっぱいあるけど、少しずつ、いい方向に行けば・・・というのは、純粋に思います。

(自分でもよくわかっていない問題について、何かを述べようとすること自体、無理ですね。失敗・・・。)

そんなことないよ。北朝鮮少女合唱団ギャグなんて、日本にいる限り、想像もつかないものね。この問題についての続報をお待ちします。(ウチダ)

 

 

2002年8月29日

ずいぶんご無沙汰していました。夏休み、満喫されましたか?

 

実は私も、7月末から20日間ほど、日本に帰っていたのです。田舎で早寝早起き、すばらしく健康的な生活を楽しんで来ました。食べたかった物(寿司、天ぷら、ラーメン、から揚げ、冷やし中華、モスバーガー、ファミレスなどなど!)は全て食べ尽くしました!

 

8月17日に、祖母と妹と一緒に韓国に戻って来ました。ちょうど2年前の結婚式以来、家族が韓国に来るのは初めてです。

 

祖母は81歳なので、そんなにあちこち、うろうろすることはできなかったのですが、それでも元気に市内に買い物に行ったり、5日に一度出る、近所の市を見学したり、なかなか楽しんでいたようです。

それに引き換え、21歳の妹は、「一週間後の日本帰国時には自分一人でおばあちゃんを連れて、飛行機を乗り継いで帰らなければならない。」というプレッシャーからか、ずっとそればっかり考えて緊張していたみたいです。

 

妹は子どもの時から乗り物酔いをしやすい体質だったのですが、こちらの路線バスでも案の定、酔ってしまって、最後には吐いたりまでしてました。子どもじゃあるまいし・・・。(ちゃんと袋の中にしましたが。そこらへんは慣れたものです。)

 

でも確かに、こっちのバスの運転は特別荒いです。

というか、車全般に言えます。

よく、日本では大阪の運転は荒いとか、怖いとか言うようですけど、韓国は国じゅう大阪ちゃうん?って思うくらいです。その中でも特にここ、全羅道は運転マナーの悪さ、事故の多さで有名らしく、韓国の別の土地から遊びに来た友達もびっくりしたほど、かなりびゅんびゅんすっ飛ばします。

かく言う私も、実は1回吐いてます。(度々、汚い話ですみません。)気持ち悪くなったことは数知れず・・・。

 

私はバス通学で、1回乗り換えして、計1時間ちょっと、往復で2時間くらい、毎日バスに乗っているのですが、せっかくバスの話が出たので、これまでに出会った印象的な運転手さんの話を少し・・・。

 

客に怒る、怒鳴る、偉そうにする運転手さんはざらにいます。(もちろんとっても親切な人もいますが。)

全てとは言えませんが、ほとんどの運転手さんがスピード狂で、いらちです。(と言っても過言ではないと思います。)信号が変わるやいなや、クラクションを鳴らします。

赤信号でも、車が少ない場合には、少しずつ、少しずつ、少〜しずつ進みます。(信号を抜けたとたんにスピードを出す。赤信号はめっちゃゆっくり渡る、信号ってそういうもんやったっけ?)

運転席には「めざせ、無事故100日!」っていうスローガンが掲げられてたりするんですけど、100日って、そないに目標低くてええの?(実際、事故を目撃することは珍しいことではありません。まるでローラーコースター通学!?)

その他にも、赤信号の度にスポーツ新聞を読む運転手さん、ごっつい眠そうな運転手さん、気分が悪かったのか、バス停の度に、わざわざ停車位置よりも数メートル先にバスを停車させ、待っていた客を走らせる運転手さん(性格わる!)、「昼ご飯買ってくるから、ちょっと待っててね〜。」と言ってバスを止める運転手さんなど・・・。

 

でも、今回祖母と一緒に移動したおかげで、若くて健康な私一人では気付かなかったようなことをたくさん経験しました。

バスの運転手さんの中には、祖母が乗り降りするのを気長に待ってくれたり、声をかけてくれる人もいました。

祖母はシルバーカー(手押し車ですね。ちなみに祖母自身はこれを「老人車(ろうじんぐるま)」と呼んでおりますが。苦笑。)を利用していたのですが、街ではたくさんの人が助けてくれました。ドアを開けてくれたり、階段では運んでくれたり・・・。

もともと、若い人がバスでお年寄りに席を譲ったり、立っている人の荷物を、座っている人が持ってあげたり、という場面は何度も見たことがあったし、私自身も荷物を持ってもらったことが何度かありましたが、こうやって「お年寄り」と一緒に行動してみて、改めて、人々の親切さにはびっくりしました。

 

他にも、祖母たちを連れて遊びに行った山で、夫の車が深い水溜まり(男の人の膝上くらいはあったでしょうか。)にはまってしまったんですけど、知らない人が水溜りの中に入ってくれて、ズボンや服をドロドロにしながら車を押してくれたり、なんていうこともあったんです。

祖母も妹も、もちろん私も感動してしまいました。

 

それにしても、誰かがネタを仕込んでいたかのように、祖母たちには韓国や韓国人のものすごく素敵な部分を見てもらうことができてしまいました(?)。

近いとはいえ、一応外国で暮らしている私のことを心配していた祖母も、今回の訪韓でずいぶん安心したようです。

 

ただ、祖母たちを送った私は多少ホームシックになってしまいましたが・・・。(今までは必死だったからか、あまりそういうこともなかったのですが、これもこちらの生活に慣れて、気持ちに余裕が出てきたからこそではないかと思っています。)

でも今週から新学期が始まって、いつまでもそうは言っていられません。そろそろ論文の準備にも取り掛からねば・・・。

 

またメールします。

それでは、今回はこれで・・・。

2002年7月10日

こんにちは!

関西地方は台風の影響はありませんでしたか?

関係ありませんが、天気予報を見ると同じ画面に日本と韓国が映るので、距離の近さを実感できてなんだかうれしくなります。

 

先週末は台風上陸にも関わらず、「仲間たち」と一泊旅行に行ってきました。

メンバーは、同じように留学先で知り合って結婚した日韓夫婦が3組、そのうちの一組の友達で日本人留学生が一人の計7人。

 

私たち妻同士がインターネットで知り合ったのがそもそもの始まりで(日韓国際カップル・夫婦のサイトがけっこうあるんですよ。)、一番最初は妻側が、「めんどくさい」と嫌がる夫たちを引きずって強引に会ったのでした。ところが一度会ってしまうと、夫たちもすっかり意気投合してしまって、今となっては彼らの方がノリノリで次々と遊ぶ計画を立てている程です。

 

やはり「異国から来た妻を持つ夫」ということで、家族はもとより、会社の上司や友人たち、あらゆる人から「奥さんにようしてやれよ!遠くから嫁に来て、さみしいねんから。」と声をかけられるらしいのです。かといって、外国人の妻を持つ大変さ、しんどさを理解してくれる人はだれ一人おらず、それどころか「日本女性をお嫁さんにもらって、ほんまに幸せもんや!うらやましいわ。」なんてことを言う人まで!

それが彼らにとっては、ものすごい苦痛なのだそうです。

「おまえら、ほんまの日本の女を知っとんかー?!」

そういう気持ちを共有できるということが、彼らには何よりもうれしいみたいです。

 

今回も台風で開催が危ぶまれた中で、ある旦那さまが「来週に延期しよか?」と提案してこられたんですけど、彼の奥さん、今妊娠中で、来週には日本に里帰り予定だったんです。彼は奥さんがいなくても、一人ででも参加する気マンマンだったみたいです。

幸い台風のピークも過ぎ去り、無事決行できたのでよかったけど・・・。

 

宿泊先では、男部屋、女部屋に別れて修学旅行気分。

夜は男部屋で飲み会だったのですが、女チームの妊婦一名が先に寝てしまったので3対2になってしまい、めずらしく私たちが叩かれまくってしまいました。

 

「なんでお前らはそないに掃除ができひんのや?」

「うちなんか、ソファーに座ってちょっと足の裏みたら、真っ黒になってるんですよ〜!」

「お〜!それ、うちも同じやわ!」

「片づけもめっちゃ下手やないです?」

「そうそう、服もなんにも脱ぎっぱなしやねん!皿も何日も洗わへんしなあ。」

「留学先の寮でも、日本人の女の子の部屋できれいに片付いてたとこなんか、いっこもなかったわ。そやからある程度覚悟はしててんけどな・・・。」

「だれや、奥さんにするなら日本人の女性が世界で一番とか言うたんは?」(←そんなん言うてる人がおるんでしょうか?)

「大和撫子なんかいう言葉、今はもうないんやろなあ。」

 

・・・こんな感じです。

もう、ほんとうに「水を得た魚」とはこのことやなあって思うくらい、平素の彼らからは想像もできないほど生き生きしているのです。

私たちも反撃したかったけど、心にやましい所がなきにしもあらず・・・なので、とうとう言われっぱなしで今回は終わってしまいました。

 

でも、ちょっと調子に乗り過ぎてるかも、っていうのは彼ら自身もわかってたらしく、宴会終了後に奥さんに言い訳してた人も・・・。(かわいそう?!)

かく言う私の夫も、うちに帰ってきてから、「あれはやっぱりあの場のノリでな。ま、ああいう風にバーっと、ちょっと大袈裟めにでも吐き出したらすっきりするやん?もちろん、みんな、ああ言いながらも自分の奥さんが一番やと思ってるねん。」って言い訳してましたけどね。

 

今回は残念な結果(?)に終わってしまいましたが、もちろん私たち妻チームも、女同士、日ごろの不満、愚痴を吐き出し、喉がかれるほどしゃべりまくってストレス発散してきました。

やっぱり話題はシデク(嫁ぎ先)との関係が主ですね。

私意外の二人はシヌイ(夫の女きょうだい)が多いので、かなり大変そうです。「子どもはまだか?」攻撃も、露骨で生々しい。(おなかに向かって手を合わせて拝まれた人もいます。「早く赤ちゃんできますように。」??)

 

他の人たちの話を聞いて、一緒になって怒ったり、笑ったり・・・。

 

また、過去にどんな夫婦喧嘩をしたか、自慢大会(?)も行われます。

喧嘩中に壊したもの(箸、リモコンなど)、投げたもの(皿、バナナなど)を自慢したり、いろんなエピソードを披露したり。

例えば、車の中で喧嘩して、走っている車のドアを開けて降りようとした、とか、「もう死んでやる〜!」と車の窓から顔を出して、自動窓(?)を上げて自分の首を挟もうとした、とか、夫が帰ってくるまではゲラゲラ笑いながらテレビ見て、お菓子食べたくせに、帰ってくるころを見計らって、家中を真っ暗にして部屋の隅に体育座りして待ってみる、とか・・・。(女って怖い・・・。)

 

みんなそれぞれ、結婚当初の一番しんどかった時はなんとか過ぎているし、今はお酒飲みながら、ギャーギャー笑って話せる、それはそれでとても幸せな状態なのだと思います。

 

それにしても、私たちが大和撫子の品位を下げているようで、これをご覧になって憤慨される方がいらっしゃるのではと、ちょっぴりビクビクしています。でも、夫チームも、口ではああ言っていますが、「日本女性全部がこうだ!」とは思っていない(はず)なので、どうぞご安心を・・・。

 

2002年7月1日

こんばんは。

とうとうワールドカップも終わってしまいましたね。韓国の人々にとっては、まさに夢のような1ヶ月だったようで、6月も終わりに近づいた頃から、「これが終わったら、何を楽しみに生きていけばええんやろ?」という不安の声をよく聞きました。精神科のお医者さんがテレビに出てきて、「燃え尽きてしまわないよう、7月に向けて、今から家族や友達との楽しい計画を立てておきましょう。」なんて言うたりもしてました。

 

しかし、今の所はまだまだ興奮状態が続いているようです。北朝鮮との衝突で死者がでるほどの大きな出来事が起きているにもかかわらず、今日もあいかわらずテレビではサッカー特集をやっています。だいじょうぶなんやろか?ちょっと心配になってしまいます。

 

 

さて、今回は、これから内田先生のホームページで韓国レポートをさせていただくにあたって、私自身と私が住んでいる所について簡単な紹介をしたいと思います。

 

内田ゼミ卒業生(たぶん98年卒業?)です。

卒業式にも出席せず、就職活動もせず、バイトをして、卒業半年後、中国・広州に語学留学に行きました。

そこで、韓国人の現夫に出会ったのです。ありがちですね。

中国では大好きな中国語の勉強も一生懸命したし、大学で日本語を教えたりもしたし、かなりがんばってたつもりやったんですけど、結果的には「結婚相手を見つけにいっただけ」になってしまいました・・・。

 

反対する親を説得して(今考えると、まさに「勢い」としか言えません。)2000年8月に結婚しました。

私たちが住んでいるところは、全羅南道・光州市(チョルラナムド・クワンジュシ)というところです。(正確には、そのすぐ隣、和順(ファスン)郡なのですが・・・。)

全羅南道は金大中大統領の出身地です。また、光州は80年の5・18事件で民主化運動のメッカとして有名です。

また、食べ物がおいしいことでも知られています。私の場合、光州でしか住んだことがないのでよくわかりませんが、他の地域から来た人たちは「やっぱり全羅道の味は違う!」とおっしゃいます。

ただ、ソウルやプサンからは、汽車やバスで約4時間もかかり、交通の便が悪いので、日本のみなさんにはあまり馴染みがないかも知れません。

 

夫は長男ですが、幸い同居は免れ、彼の実家から車で15分くらいのところに住んでいます。

日曜日ごとに行っていますが、姑はそれでも少ないと、少々不満のようです。

 

韓国語では、嫁ぎ先のことをシデク(シ+宅)といい、その他の嫁ぎ先に関する単語にも「シ」(女へんに思という字。)が付きます。例えば、オモニ(母)、アボジ(父)に「シ」が付いて、シオモニ(姑)、シアボジ(舅)のように。

そして、嫁姑問題はどこの国でもあるようで、韓国にもこういう言葉があるそうです。

 

「ミョヌリ(嫁)は『シ』が付くものなら、『シグムチ』までも嫌いだ。」

 

シグムチというのはほうれん草のことです。

 

私がほうれん草が好きやと言うたときに、姑がやたらとうれしそうにして、それ以来、毎回のようにスーパーのビニール袋に一杯のほうれん草をくれる理由がわかったのは、この言葉を聞いてからでした・・・。

 

こっちに来てもうすぐ2年。やっと、シデク(嫁ぎ先)との付き合い方がなんとなくわかってきて、落ち着いたところです。向こうもだんだん慣れてきたみたいやし。

というわけなので、最近は衝突もだいぶなくなり、あまり生々しいレポートはせずに済みそうですが、初めのころは、ほっんまに!!!たいへんでした。

日本人同士でも大変そうやのに、プラス「文化の違い」というやつ。

意外とあることに改めて驚きました。(特に”スキンシップ”と”言葉による愛情表現”!すぐ近くの国やのに、なんでこんなに違いがあるんでしょうねえ?)

夫とはもちろん何度も取っ組み合いのけんかをしましたし、姑とも「サシで」やりあったりもしました。たぶん、韓国のミョヌリ(嫁)たちには考えられへんことでしょうね。私も、もし日本人の姑やったら、やってなかったと思います・・・。

時にはわかっている韓国語も、理解できない振りをしたり・・・と、いろんな意味で「国際結婚」ということを活用しています!?

 

まあ、でも、これからも、別れへんかぎりはずっとここに住むことになるんやから(って、こっちでこういう冗談を言うと、めちゃくちゃ引かれます。冗談やのにぃ・・・。)長い目で見て、ぼちぼちやっていくつもりです。

 

 

今回は一回目ということで(この前のは、内田先生宛てのメールやったから)なんとなく緊張してしまいましたが、これからはもっとリラックスして(?)少しでもおもしろい韓国情報をお届けできるようがんばります。

 

2002年6月26日

先生、ご無沙汰しております。お元気ですか?

元ゼミ生、華チャンです。

韓国での学生生活、なんとかやっております。今は学期末でレポートに追われていますが、文化の授業のレポートは女学院の卒論を韓国語訳して出してしまいました。

(だって、教授がそれがいいって言うたし・・・。)

久しぶりにそんなものを引っ張り出して来て読むと、我ながらかなりこっぱずかしいものがありましたが、先生にいただいたメールをプリントアウトしたものなども出てきて、なんだか懐かしくなり、メールしました。(まだまだレポートが残っています。こういう時に限って、現実逃避のために、久しぶりの人に長い手紙やメールを書いたり、一年に2、3回しか行かない美容院に行ったりするタイプです。)

ところで、ただいまこちらはものすごいことになっております。(サッカー)

さすがに日本が負けて、韓国が勝った日は、我が家も険悪な雰囲気になってしまいました・・・というのは冗談ですが、多少はそういう雰囲気になってしまいましたね、やはり。

でも、ここまで来たら、私もすっかりこの赤に染まってしまいそうな勢いです。

この前の試合はここ光州であったのですが、多くの日本人が観に来ていて、しかもみんな韓国Tシャツを着ていました。

女学院の時の友達も日本から観に来ていました。私たちはチケットが買えなかったので、試合がおわってから別の場所で待ち合わせをしていたのですが、友達がバスを乗り間違えてしまい、その時、韓国人が助けてくれて、わざわざ待ち合わせ場所まで連れてきてくれました。別れる時に「私たちの国を応援してくれてありがとうと伝えて。」って言うのを聞いて、泣きそうになってしまいました。(←感動屋?!)

ずいぶん前に、先生が日記に書かれていたこと、政府レベルではなかなか難しい問題だけど、まずは草の根運動的なことから、っていうのを思い出しました。

きっと、赤いTシャツを着て韓国を応援した日本人たちは、日本に帰っても韓国を応援するだろうし、そんな日本人に出会った韓国人たちも、日本に対するイメージが変わっただろうし・・・。

それにしても、韓国の人々はほんまにすごいです。やりすぎです!

私も記念に(?)街に繰り出して街頭集団応援に参加しましたが・・・もう、お祭りですね。おもしろかったけど。(一応、顔には日本と韓国の国旗のペインティングして。私もけっこう調子に乗ってます。)

では、そろそろ現実に戻って、レポートを仕上げます・・・。

お元気で・・・。(先生、禿げはったってほんまですか?>日記より。 冗談ですよね?)

華チャン

追伸、私のHPです。あほな日記と犬のページなので、あまりご覧になる価値はありませんが、めちゃくちゃお暇なときなどに・・・。

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