11月1日(木)

先週の土曜日は、インバル・都響によるマーラーの交響曲第3番を聴くため、横浜のみなとみらいホールへ。
9月の2番に続いての3番である。以前の日記(http://nagaya.tatsuru.com/susan/2012/08/05_1737.html)にも書いたように、自分はマーラーの全交響曲中、この3番が最も好きである。
いちばんの理由は、とにかくいろんな音色が聴けることである。ポストホルンのソロあり、アルトのソロあり、女声合唱や児童合唱ありで、まさに「ダイバーシティ・シンフォニー」なのである。

今回も、第3楽章のポストホルンは、思わず息を止めて聴き入ってしまうようなすばらしい演奏であった。舞台裏での演奏ということで、どちらかと言うと舞台上のホルンとの掛け合いでは音が小さくなって聞こえない場合もあるのだが、今回はたぶんインバルの指示によるのであろう、かなり大きな音量でソロを吹いてくれたため、件のホルンとの掛け合いが絶妙であった。

さらには終楽章!都響の弦楽器群は、奏者一人一人が思いのこもった演奏でインバルの指揮に応えていた。奏者たちの熱い思いが、そのまま客席にもひしひしと伝わってくるような感動的な演奏であった。

この3番、自分の場合は、レコードだけでなくCDもいろんな指揮者の演奏を購入している。タッチミスなどの瑕疵のない演奏を聴きたいのであれば、CDを聴くに如くはない。
でも、それ以上に、なんとしても実演が聴きたくなってしまうのは何故なのであろう?
人は、実際の演奏に何を聴こうとするのであろうか?

終演後、久しぶりに家族3人(自分、家内、娘)でおでんをいただきながら、そんなことをあれこれ話した。
娘は、「それは演奏者の息づかいを感じたいからじゃない?」と答えた。「だって、演奏って、身体的なものでしょ?」と。
演奏とは、楽譜に記された音符を再現する行為であるが、生身の人間演奏するわけだから、当然そこには演奏者の情感が込められるはずである。それが、オーケストラのように百人近くの人間が揃えば、百様の情感があるはずだ。
その情感は、指揮者というまとめ役によって、一つの方向に導かれる。そして、その方向性は演奏を聴いている聴衆にも当然影響を及ぼす。すなわち、それが演奏者と聴衆が一体となった「感動」になっていくということだ。
尤もな意見と思う。

自分の場合は、今回の演奏を聴きながら、これは一つの「祝祷」であるという印象を受けた。
今夏、神戸市の鏑射寺で体験した護摩行のことを思い出した。
鏑射寺で毎月22日に行われる月例祭では、境内の護摩堂にて中村山主による大護摩供の勤行が開催されている。
法要は、真言密教の作法に則って始まる。山主が、あれこれ法具を使いながら、護摩壇の炎をだんだんと高くしていく。護摩壇には両側に20cmくらいの細く短い柱のようなものが立てられていて、紐状のものが張り渡されてある。山主が法具を使う際、それが顔をそれ以上前に進めないような役割を果たしている。
そうなのだ、そこが結界なのだ。つまり、そこから先の護摩壇は神が宿る場所なのである。
護摩壇を取り囲んだ僧侶や参列者たちは、般若心経や不動明王の真名(サンスクリット語)を唱え、一種のトランス状態を作り出す。自分の目には見えなかったが、たぶんあのときの護摩壇には神と呼ぶべきようなものが降臨していたのであろう。そんな感じがした。

今回のインバル・都響のマーラー3番を聴いていると、舞台の上が結界であるかのように思われてきた。そこが結界であるならば、さしずめ指揮者は神を招来する司祭という役どころであろうか。
舞台上の人間が音曲を奏でることで、そこに神と呼ぶべきようなものが降臨する。それを二千人近くの聴衆が感得する。
その神と呼ぶべきようなものとは、異教の神かもしれない。でも、そんなことは問題ではない。なぜなら、その場に居合わせることで、確実に慰藉を受けることができるからである。
それは、終楽章に及んで、ますますその感を強めた。
すばらしい演奏会であった。

演奏を聴いて感じたことを、もう一つ書いておきたい。
それは、オーケストラにおける第2ヴァイオリンの役割である。今までは、第2ヴァイオリンといえば、第1ヴァイオリンを補佐する役割というような印象しか持っていなかった。
しかし、今回マーラーの3番を聴いていると、弦楽器群の中で第2ヴァイオリンの果たす役割がいかにも素敵なものに思えてきた。
確かに、第1ヴァイオリンの補佐的役割を果たしていることも多い。でも、これはマーラーだけに限ったことではないのだろうが、ちゃんと重要な主旋律を奏することも数多くあるのだ。しかも、伴奏も第2ヴァイオリンが入ることで、一気に盛り上がったり、リズミックになったりするのである。
一見地味な役どころのように思われて、しかしオーケストラの弦楽器パートにおいてはなくてはならない存在。それが第2ヴァイオリンなのである。

これでまたオーケストラの実演を聴く楽しみが増えた。
身体性と、祝祷と、第2ヴァイオリンである。

10月25日(木)

今日は、ドイツの名指揮者、ハンス・クナッパーツブッシュの命日である。

クナッパーツブッシュについては、Wikipediaに以下のように紹介されている。
“ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888年3月12日 - 1965年10月25日)は、ドイツの指揮者。ミュンヘンやウィーンで活躍し、第二次世界大戦後に再開されたバイロイト音楽祭を支えた指揮者でもあった。リヒャルト・ワーグナーやアントン・ブルックナーの演奏で有名だった。
193センチの長身でいかつい顔の指揮者で、ドイツや日本では「クナ」(Kna) の愛称で親しまれた。”

さっそく、家に帰って、ウィーン・フィルを指揮した「ワーグナー名演集」(DECCA)のCDを聴いてみた。
1曲めは、楽劇「神々の黄昏」から「夜明けとジークフリートラインへの旅」。ウィンナ・ホルンによる角笛の動機が、いかにもジークフリートのイメージにぴったりである。これは、かつて何度も何度も聴いた曲だから、懐かしい演奏という感じで聴いていた。
続く第2曲は「ジークフリートの葬送行進曲」。これも有名な曲だ。葬送の歩みを表現するかのような8分音符の連打。でも、この8分音符を聴いて、自分が昔聴いたイメージと違うことに気がついた。

そんな印象は、5曲めに入っていた「トリスタンとイゾルデ」の第1幕への前奏曲を聴いて決定的となった。
ん?クナッパーツブッシュの演奏って、こんなにも表情豊かだっけ?という印象だったのである。
これには少なからず自分でも驚いてしまった。

というのも、クナッパーツブッシュについては、今まで、「豪放磊落」、「細部を気にしない演奏」、「即興性」などという言葉で表されるような印象を持っていたからなのだ。
これは、多分に新聞・雑誌のレコード評や、ジャケットのライナーノーツに影響されてのことであったろう。
実際、そのような印象を持ってレコードを聴いてみると、確かにそんなふうに聴こえるような気がしていたのである。

これは、クナッパーツブッシュの指揮にかかわる以下のようなエピソードにも影響されていたのであろう。
1)クナッパーツブッシュは大変な練習嫌いで通っていたが、たとえ練習なしの本番でも、自分の意のままにオーケストラを操ることができる類稀なる指揮者であった。
2)一度も振り間違いをしなかった、譜面にはまったく眼をやらなかった、という楽員の証言もある程である。
3)第二次世界大戦中の爆撃で破壊され、1955年に再建されたウィーン国立歌劇場の再開記念公演で、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『薔薇の騎士』を上演することになった時には、練習場所のアン・デア・ウィーン劇場でメンバーに向かって「あなたがたはこの作品をよく知っています。私もよく知っています。それでは何のために練習しますか」と言って帰ってしまった。
4)練習のはじめに「みんな、こんなことやめてメシでも食いにいこう」と呼びかけたり、オーケストラの要請がありリハーサルをして臨んだ本番でミスが生じたら、「それみろ、練習なんかするからだ!」と怒鳴った。(@Wikipedia)

このようなエピソードを読んでいると、いかにも「豪放磊落」、「細部を気にしない演奏」、「即興性」というようなイメージがいかにもぴったりするように思われてしまうのである。
でも、そんなイメージと、この「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲の演奏とは、どうも一致しない。

クナッパーツブッシュが、あまりリハーサルをしなかったことは事実なのかもしれない。特にそれがウィーン・フィルのような超一流のオーケストラだった場合には。
でも、いくら超一流のオーケストラだとしても、指揮者の意図を隅々にまで浸透させようと思えば、ある程度のリハーサルが必要とされるであろう。
クナッパーツブッシュはあまりリハーサルをしなかったとのことだ。であるにもかかわらず、どうしてこの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲のような演奏が可能になったか。

もちろん、そういうことを可能にしたからこそ、クナッパーツブッシュが類稀なマエストロであったということを証するのであるが、では、クナッパーツブッシュはいかにしてそのような演奏を可能にしたのか。
それは、特にウィーン・フィルのような超一流の演奏集団が、クナッパーツブッシュをまるで自分たちの「師」であるかのように仰ぎ見ていたからであったろうと想像される。

細部にわたるリハーサルをしないクナッパーツブッシュに対しては、本番の演奏の際して、楽団員たちは「師」と仰ぐクナッパーツブッシュが何を考えて(感じて)いるのだろうということを想像した。そのためには、クナッパーツブッシュの一挙一投足を見逃すまいとした。そうして、クナッパーツブッシュがどんな演奏をしようとしているのかということに自分の感性を同期しようとした。

楽団員との間にこのような関係が出来上がっていると、クナッパーツブッシュは、たとえリハーサルをほとんど行わなかった曲目であれ、演奏会当日にはそれぞれの演奏者に少しのキューを与えるだけで、全体の音量のバランスを取り、メロディーラインを際立たせることが可能になった。
また、高揚する楽想の場面では、指揮棒を少しだけ速くすることでテンポを調整することを可能にしたし、
指揮棒を持たない左手を思い切り高く挙げれば、それに応えるかのようなフルオーケストラの大音響を響き渡らせることができたのである。

もう一度、「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を聴いてみる。
それにしても、主題を演奏する弦楽器群の表情の豊かさはどうであろう!音の一つ一つに微妙なニュアンスが付けられている。そうして、少しずつアッチェレランドがかけられながら、だんだんとクライマックスへと向かうテンポのすばらしさ!

クナッパーツブッシュの演奏は、決して細部ないがしろにした豪快な演奏などではなかった。
むしろ、細部まで指揮者の思いが行き渡った、それでいて即興性を失っていない比類なき演奏だったのである。

残念ながら、現在の指揮者の中には、クナッパーツブッシュに匹敵するような指揮者を上げることができない。
だからこそ、私たちは今でもクナッパーツブッシュの演奏を聴きたくなるのである。
合掌。

10月18日(木)

ソロ・クラリネットのCDを初めて購入した。
「ジョンソン・アンコールズ」と題された、イギリス出身のクラリネット奏者エンマ・ジョンソンのソロ・アルバムである。

彼女のことを知ったのは、NHKのBSプレミアムで録画したBSプレミアムシアターを見ていたときだった。
クラウディオ・アバドによる今年のルツェルン音楽祭と、アーノンクールによるベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」が終わったところで、「これから2分間休憩します」のテロップとともに、ハープの伴奏に乗ってとてもきれいな曲が流れたのである。
曲目は、「組曲ヴィクトリアン・キッチン・ガーデンから夏」(リード)と表示されていた。演奏者は、クラリネット:エンマ・ジョンソン、ハープ:スカイラ・カンガ」とあった。
なんとも可憐な曲だった。
映像は、山と湖の景色を映し出していた。スイスとかオーストリアあたりであろうか。とにかく、音楽が映像にいかにもマッチしていた。

それもそのはずだった。
曲名で検索したところ、youtubeの動画のいくつかの他に、都響のティータイムコンサートを紹介したブログがヒットした。
その中に「ポール・リードはイギリスの作曲家。この作品は、イギリスBBC放送の自然や伝統料理文化を伝える為の番組のテーマ音楽として作曲された。特にクラリネット演奏で人気がある。」という解説を見つけた。
この組曲は、映像に付けた音楽だったのである。

作曲者のリードについても調べてみた。吹奏楽の作曲者なら知っていたから、ひょっとしてと思っていたが、どうやらそれらしき人物はヒットしなかった。
でも、イギリスでは著名な作曲家で、劇音楽など数多くの音楽を手がけているとのことだった。

「組曲ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」ということは、「夏」以外にも何曲かあるはずである。
youtubeの動画では、「夏」以外の4曲(「1.Prelude」、「2.Spring」、「3.Mists」、「4.Exotica」)も聴くことができる。
でも、せっかくなら初めて聴いたエンマ・ジョンソンの演奏で全曲が聴きたい。

さっそく、アマゾンでエンマ・ジョンソンを検索してみた。
いくつか手に入るCDはあったのだが、肝心の「ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」が入ったアルバム(「くまん蜂の飛行」)は、「再入荷見込みが立っていないため、現在ご注文を承っておりません」とのことだった。
何とも諦めきれない気持ちで、引き続きアマゾンをあれこれ検索していたところ、マーケットプレイスに中古品として出されているCDに、「ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」の入っているものを見つけた。
中古品ではあったが、どれも3千円以上の値段が付けられていた。でも、その半額以下の中古品があった。
「おお!」とさっそく注文しようとしたが、よく見ると「イギリスからの発送のため、商品発送から18日ほどお待ちくださいませ。また、全ての商品は厳重な検品作業のうえ発送しておりますので、安心してお買い求めくださいませ。」とあった。

え?イギリスから?
でも、ついその値段の安さのあまりに、「ええい!」と思い切って注文してみることにしたのであった。
それから2週間以上が経過した。だんだんと不安になってきた。ほんとうに送ってくるのだろうかとか、「別途航空運賃を請求いたします」とか通知が来たらどうしようとか。

確かに18日くらいが過ぎたある日、ポストに海外からの荷物が届いていた。
ひょっとして、と思いつつ開けてみると、はたして件のCDであった。中古品との触れ込みであったが、新品そのものであった。

さっそく聴いてみた。
「ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」は、いちばん最初に入っていた。全て聴いても10分とかからない組曲である。
1.Prelude
夜明けを思わせる始まりである。どんな一日になるのだろうという期待と、少しの不安が交錯する。
2.Spring
咲き乱れる花と小鳥の鳴き声。春になったうれしさが満ち溢れる。
3.Mists
立ち込める霧。緑の葉に浮かぶ雫。
4.Exotica
異国の踊りを思わせる旋律が、遠い異国への憧れを醸し出す。
5.Summer
夏が過ぎ、ひと夏の思い出を回想しているかのような懐かしい旋律。クラリネットという楽器が持つ音色の美しさが余すところなく表現されている。

このCD、「ヴィクトリアン・キッチン・ガーデン」以外にも、マリア・テレジア・フォン・パラディスの「シチリアーナ」や、モーツァルトの「ツァイーデ」より「Ruhe Sanft」など、いい曲がたくさん入っている。

それにしても、イギリスの、それもフランスに近いケルト海に浮かぶチャンネル諸島のジャージー島から送られてくるCDを手に入れられる時代になった。
どんな仕組みでそういうことができるのかはよくわからないのだけれど、まさに「有難い」ことである。

10月11日(木)

今日はブルックナーの命日。
個人的にはブルックナーの最高傑作と信じる、交響曲第8番を聴くことにしよう。

ブルックナーが、その主たる作品である交響曲の作曲を始めたのは39歳になってからだから、ずいぶん遅咲きの作曲家と言える。
初めのうちは酷評された曲もあったが、次第に作曲の技法も深め、7番の成功によって自信を得たブルックナーが、満を持して作曲に取りかかったのがこの8番のシンフォニーだった。
ブルックナー60歳のときである。

自信の程は、例えば、第3楽章に初めてハープを使用したということにもあらわれているように思う。もはやブルックナーは、周囲の批評などを気にすることなく、自身の心の命ずるままにオーケストレーションを施し、どうしても必要とされる音色を響かせただけでなく、優れた主題法、対位法も駆使して、自らが表現したかったことを追求したのである。
そんな、「自分の思いの丈をすべて表現した」と思われるところが、この交響曲の最高傑作たる所以であると思う。

ブルックナーの「思いの丈」とは何であったろう。
それは、人がこの世に生きていくということの哀しみである。
人は死にゆく存在である。どんなにうれしいこと、楽しいこと、心ときめかすこと、感動することなどがあっても、いつかはこの世に別れを告げなければならない。不条理であるとは思うけれども、それをどうすることもできない。となれば、心を澄ませ、粛々とその事実を受け入れていくしかないのである。
そうは思うのだが、目の前の美しい自然、人とのふれあいが、死によって断ち切られてしまう哀しみがどうしても伴う。
そんな哀しみが、この8番のシンフォニーの全て楽章の随所に鳴っている。美しい主題と和音で。

第1楽章は、ブルックナーに特徴的な弦楽器のトレモロで始まる。
少しずつ何かが近づいてくるような16分音符と複付点4分音符による主題が低弦を中心に奏される。この主題は、その後全楽章を支配する。
展開部の最後では、ブルックナーが「死の告知」と呼んだハ音の繰り返しが、ホルンによって斉奏される。
人間にとって死は避け得ざるものというのが、この楽章の主題であろうか。
コーダでは、冒頭の主題が静かに奏されてこの楽章を閉じる。このコーダを、ブルックナー自身は「諦め」と呼んでいる。

第2楽章は、ホルンと弦楽器の掛け合いで始まるスケルツォである。
ブルックナー自身が「ドイツの野人」と名付けた主題が弦楽器群によって奏される。4分の3拍子だが、まるで8分の6拍子のように聞こえるリズミカルな主題である。
中間部を挟んで何度も繰り返されるこの主題を聞いていると、「野人=鈍重な田舎者」でも自信を持って生きているという気概が感じられる。でも、どこか少し哀しげではある。

第3楽章は、壮大なアダージョ。
ブルックナーには珍しいハープが使用され、天国的な雰囲気を醸し出す。そのハープが入るところで奏でられる弦楽器には、その一音一音に魂が清められて高みに上っていくような感じがする。
白眉は、ホルンと弦楽器にワグナーテューバが加わって、互いに対話するように始まるコーダだ。
「これでいいのか?」、「いいのだ」、「そうか、これでいいんだな」と、納得しながら静かに安息の境地に入っていくかのようだ。荘重なアダージョを締めくくるに相応しいすばらしいコーダである。

第4楽章は、弦楽器の力強い伴奏から、ブルックナーによれば「弦楽器はコサックの進軍、金管楽器は軍楽隊、トランペットは皇帝陛下とツァールが会見する時のファンファーレを示す」主題が、金管楽器によって奏でられる。
でも、何と言っても美しいのはジグザクの音形で始まる第3主題からである。ここでブルックナーは、自身の思いの丈を思い切り表現しているような印象を受ける。激情がほとばしり出ている感じがするのである。
その激情は、しかし、求めて得られぬ哀しみに満ちた激情である。
最後は、第4楽章冒頭の進軍のファンファーレが何度も繰り返され、哀しみを乗り越えて生きていく決意を自らに言い聞かせるようにして、力強く全曲を閉じる。

初めてこの交響曲を聴いたのは、ジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団による2枚組のレコードであった。
セルによって徹底的に鍛え抜かれたクリーブランド管の透明なアンサンブルが、このブルックナーの「響きが濁りやすくなる」といわれる和声をくっきりと際立たせて聴かせてくれる。名盤である。
このレコード、一面グレーの背景に三日月が出ているジャケットがとても印象的だった。

CDは、何と言ってもカール・ベーム、ウィーン・フィルの演奏。これもほんとうにすばらしい演奏である!
70年代の、円熟の極みにあったベームとウィーン・フィルの団員一人一人の気合が伝わってくる。とにかく、オケがよく鳴っている。
ベームのブルックナー(3,4,7,8番)は、どう評価されているのか寡聞にして知らないが、個人的にはどれもたいへんにいい演奏であると思う。

ブルックナーの交響曲には、作曲者自身が何度も改訂を行ったということもあって、版の問題が付きものである。
“第二次世界大戦後、国際ブルックナー協会はレオポルト・ノヴァークに校訂をさせた。ブルックナーの創作形態をすべて出版することを目指しているとされる。ハースが既に校訂した曲もすべて校訂をやりなおし、あらためて出版した。これらを「第2次全集版」または「ノヴァーク版」と称している。交響曲第3番・第4番・第8番については早くから、改訂前後の譜面が別々に校訂・出版されており(第3番は三種)、その部分においてはハース版の問題点は解消されている。”(@Wikipedia)
どうやら、版の問題は問題にならないと言ってよいのであろう。

秋の夜長。ブルックナーの8番をしみじみと聴くのもよき哉よき哉。

10月5日(金)

9月最後の日曜日は、インバル・都響によるマーラーの交響曲第2番を聴くため、横浜みなとみらいホールへ。

このコンビによるマーラーの「復活」を聴くのは、これが2回目。前回は、2年前の6月だった。
前回は、何しろ「復活」の実演を聴くのが初めてのことだったため、演奏が始まる前からずいぶん興奮していて、肝心の演奏は細部まではっきりと覚えていないような有様だった。ただ、深い感動が残ったことだけは確かだった。(このときの演奏のことは、2010年6月22日の日記に詳細を書きました。http://nagaya.tatsuru.com/susan/2010/06/22_0920.html)
今回は2回目ということもあってか、気持ちにもゆとりを持って聴くことができた。

エリアフ・インバルが東京都交響楽団のプリンシパル・コンダクターに就任したのは、2008年4月。このときの就任披露公演は、なんとマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」だった!(このときのことも日記に書きました。http://nagaya.tatsuru.com/susan/2008/05/01_1028.html)
以来、「マーラー・ツィクルス」と題して、今年3月の「大地の歌」まで、4年間をかけてマーラーの交響曲の連続演奏会を催してきた。
今回は、「新マーラー・ツィクルス」と銘打ち、同コンビによるマーラー交響曲の二度目の連続演奏を開始したのである。

今年は1番から4番まで。既に、7月には1番が、そして9月が2番、以下10月に3番、11月に4番の公演が予定されている。
さらには、年が明けた来年1月には5番、11月に6番と7番、そうして再来年(2014年)の3月には8番と9番の公演が予定されている。
3年間をかけて、全曲演奏をするのである。

エリアフ・インバルは、イスラエル出身の指揮者である。イスラエルの指揮者ならば、同じユダヤ人であるマーラーの音楽には親近感を覚えるのであろうか、自分の場合は「マーラー指揮者」としての印象が強かった。
これは、インバルがフランクフルト放送響を指揮したマーラーの交響曲全集があるためであろう。
この全集については、フランスの世界的 なマーラー研究家で、『マーラー伝』などを著したド・ラグランジュが、「マーラーが譜面に記載した美や多面性や 醜さまでも、全てを表現している」と絶賛したCD全集である。
確かに、どの交響曲についても、出来不出来のほとんどない高いレベルの演奏を聴くことができる。

そんなインバルが振るマーラー。指揮者については申し分ないのだから、あとはオーケストラの出来次第ということになるのだが、この東京都交響楽団というオーケストラは、どうやら伝統的にマーラーの作品を重要なレパートリーとしているらしく、マーラーの演奏には定評があるとのことだ。
確かに、初めて都響の演奏を聴いたマーラーの8番では、すばらしい演奏を聴かせてくれた。もちろん、これはインバルの指揮によるところが大きいのであろうが、特に管楽器群のレベルの高さにはほんとうに驚かされた。これなら、欧米の一流オーケストラにも引けをとらないのではないかと思ったくらいだ。

そのインバル・都響によるマーラーの「復活」。
全5楽章からなるこのシンフォニーは、マーラーの指示によって、第1楽章が終わったところで「少なくとも5分間以上の休憩を取ること」とスコアに記載されている。たぶん、第1楽章が演奏に25分くらいを要することから、聴衆だけでなく演奏者も休めたり、合唱団や独唱者を入場させたりする時間を確保しようとの意図があったのかもしれない。
ところが、インバルは2年前の「復活」のときもそうであったが、この休憩を取らない。自身が息を整えたあと、すぐに第2楽章に入るのである。
前回と同様、第2楽章が終わったところで、インバルはいったん指揮台を降りて舞台袖へと引引き上げた。今回も、その間に合唱団と独唱者が入場してきた。
第3楽章から終楽章までは、すべてアタッカ(切れ目なしの演奏)である。そういうこともあってか、インバルは第2楽章までを演奏してから、休憩を取るようにしたのかもしれない。

これには、マーラー自身が記した解題が参考になるのかもしれない。
“第1楽章
私の第1交響曲での英雄を墓に横たえ、その生涯を曇りのない鏡で、いわば高められた位置から映すのである。同時に、この楽章は、大きな問題を表明している。すなわち、いかなる目的のために汝は生まれてきたかということである。…この解答を私は終楽章で与える。
第2楽章
過去の回想…英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。
第3楽章
前の楽章の物足りないような夢から覚め、再び生活の喧噪のなかに戻ると、人生の絶え間ない流れが恐ろしさをもって君たちに迫ってくることがよくある。それは、ちょうど君たちが外部の暗いところから音楽が聴き取れなくなるような距離で眺めたときの、明るく照らされた舞踏場の踊り手たちが揺れ動くのにも似ている。人生は無感覚で君たちの前に現れ、君たちが嫌悪の叫び声を上げて起きあがることのよくある悪夢にも似ている…。”(@Wikipedia、以下の引用も)
つまり、第1楽章の葬礼で送られた英雄を、第2楽章で回想する。そうして、第3楽章で再び現実に戻る。
だから、第2楽章まででひと区切りとする。インバル自身は、そのことについては何も言及していないため
真意は推し量るしかないが、そんなことも勘案されての第2楽章後の休憩なのかもしれない。

それにしても、今回の演奏では、続く第3楽章が印象に残った。ずいぶんとテンポを動かして、「少年の魔法の角笛」から採られた「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」の歌曲のシニカルなイメージとはずいぶん違った、文字どおり「君たちが嫌悪の叫び声を上げて起き上がることのよくある悪夢」を再現しようとしたかのような演奏であった。
でも、そのことが却って、第4楽章以降の神聖な雰囲気を高めることにもつながっていた。

第4楽章の原曲は、同じく「角笛」からの「原光」。管楽器による静かなコラールがいかにも美しい。
“単純な信仰の壮快な次のような歌が聞こえてくる。私は神のようになり、神の元へと戻ってゆくであろう。”
そうして、終楽章へ。
“荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末はきた。…最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。この地上の権力者もつまらぬ者も-王も乞食も-進んでゆく。偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。”
舞台裏に配置されたバンダが異世界から呼びかける声のように響く。金管楽器による荘重なコラール。そしてそれに続く行進。再び舞台裏からの呼び声。それにピッコロが夜鶯の声で応える。

復活の合唱が始まる。
“柔らかに、聖者たちと天上の者たちの合唱が次のように歌う。「復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。」そして、神の栄光が現れる。”
この静かな合唱が終わったあとの心に染み入るようなトランペットのソロ。個人的には「復活」の中で最も好きな部分である。
“不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。…すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。…愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する。”
合唱と大管弦楽に、パイプオルガンも加わって、壮大なくクライマックスが築かれる。「愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する」という終結部は、そのまままっすぐ8番のフィナーレへとつながっている。
それにしても、みなとみらいホールの舞台正面に設えられたパイプオルガンは、大オーケストラと合唱に負けないほどの音響を響かせてくれた。

惜しみない拍手が、インバルと独唱者、合唱団、そして都響のメンバーに贈られる。
この日のチケットは完売。座席は多少空席があったが、ほぼ満員の状態であった。
今や、インバル・都響のマーラーは、本邦における一つの「ブランド」である。
感動が約束されているという意味では、面白味に欠けると思われる向きもあるのかもしれない。でも、外国のオーケストラによる数万円のチケットを購入しなくても、それよりはずいぶん安価でこんなにもすばらしいマーラーが聴ける。その意義はたいへんに大きい。

この日は、台風17号の接近が報じられていた。終演後、横浜は雨が降り始めていた。帰途の東名と新東名は、ひどい風雨であった。
でも、心は満ち足りていた。そんなインバル・都響によるマーラーの「復活」だった。

9月28日(金)

かつては、日曜日の夜はNHKのEテレで「N響アワー」を視聴することが多かったのだが、番組が変わってからは、どうも司会者たちのおしゃべりが余分な感じがして、ほとんどその番組を見なくなっていた。
そんな日曜日の夜、何気なしにBSのチャンネルをザッピングしていたところ、「あ、五嶋みどりだ」とチャンネルを止めた。イントロの部分を見ただけで、「これは録画せねば!」と思い、すぐにリモコンの録画ボタンを押した。
BS朝日の「五嶋みどりがバッハを弾いた夏・2012」という番組だ。

五嶋みどりは世界的なヴァイオリニストである。
同じくヴァイオリニストであった母親から英才教育を受け、6歳で初ステージを踏む。10歳で渡米し、ジュリアード音楽院で学ぶ。
米国デビューは11歳のとき。ズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルとパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番第1楽章を「サプライズ・ゲスト」として協演した。

有名な「タングルウッドの奇跡」と言われるコンサートは、彼女が14歳のときだった。
“1986年、いまや語り草となった事件はボストン交響楽団と共演したタングルウッド音楽祭で起きた。
レナード・バーンスタインの指揮で、「セレナード」第5楽章を演奏中にヴァイオリンのE線が二度も切れるというアクシデントに見舞われた。当時みどりは3/4サイズのヴァイオリンを使用していたが、このトラブルによりコンサートマスターの4/4サイズのストラディヴァリウスに持ち替えて演奏を続けるも、再びE線が切れてしまう。二度目は副コンサートマスターのガダニーニを借りて、演奏を完遂した。これにはバーンスタインも彼女の前にかしずき、驚嘆と尊敬の意を表した。
翌日のニューヨーク・タイムズ紙には、「14歳の少女、タングルウッドをヴァイオリン3挺で征服」の見出しが一面トップに躍った。また、この時の様子は、「タングルウッドの奇跡」として、アメリカの小学校の教科書にも掲載された。”(@Wikipedia)
このときの映像は、YouTubeでも見ることができる。(http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=%E4%BA%94%E5%B6%8B%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8A&source=web&cd=3&cad=rja&ved=0CDYQtwIwAg&url=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D04pXykKsO_k&ei=WupkUMaZHsWcmQX25YCwCA&usg=AFQjCNFoXmQCHSXypLFEsUKaxkXStO5VWg)

そんな彼女が、今年の夏、デビュー30周年を記念して日本各地を巡り、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」を演奏した。
バッハのこの曲は、ヴァイオリニストにとっては「聖典」と言われる。3曲ずつのソナタとパルティータで構成され、それぞれが4〜6楽章で構成されている。全体に重音奏法が多く、演奏は容易ではない。
ツアーにそんな曲を選んだということも、このツアーにかける彼女の並々ならぬ決意が表れているように思う。

さて、コンサート会場となったところは、なんと各地の教会や寺院や神社である。
最初の会場は、長崎県の五島列島にある青砂ヶ浦天主堂。五島列島では、生のクラシック音楽に触れる機会がほとんどない。そんな場所に世界的ヴァイオリニストが訪れると聞きつけて、数多くの島民が駆けつけた。
続いて、長崎の浦上天主堂。原爆の被害に遭ったマリア像の前での演奏である。
福岡は、太宰府天満宮。
そして、京都の舞台は国宝の西本願寺「対面所」だった。

前半のコンサート終えて、彼女はブログに以下のように書いた。
“行く先で所々雨に降られ、バッハに雨をはじめとする自然の音が加わり、独特の雰囲気のツアーとなっています。また、教会、神社、お寺では、様々な歴史やしきたり、作法などがあり、大変興味深いです。
歴史ある建物で演奏をさせていただいていますが、楽器と同じように、昔の人たちの細かい工夫には本当に驚きます。大きなお堂では遠くの方でも音が響く構造になっていたり、人間の視覚を利用した造りになっていたり、コンピューターに頼らずになされた先人の計算の正確さや繊細さに心休まる一瞬を感じました。
冷房のない会場がほとんどなので、楽器は湿気などが問題となる場合もありますが、案の定、人造的なものの要因による暑さや湿気にくらべ、自然な暑さや雨は楽器も好むようです。楽器には、ほとんど自然の材料が使われているのと、楽器の長い歴史からすると冷暖房があった時代はまだ楽器の生涯の上では短いからかもしれませんね。”(@「みどりのバックステージ」7月23日)
素人考えでは、楽器のピッチは湿気で微妙に狂うのではないかと思われるのだが、彼女はそれを「自然な暑さや雨は楽器も好むようです」と書く。

ツアーの前半が終わったところで、彼女のツアーでの様子が紹介される。
宿泊はごく普通のビジネスホテル。洗濯物は自分でコインランドリーへ。コンサート会場への移動はバスや電車などの公共交通機関。ステージドレスは基本的に変えない。楽器はもちろん自分で背負って運ぶ。
「世界的なヴァイオリニスト」からは、なかなか想像されにくい姿だ。
それは、彼女が「ヴァイオリニストとして生きていく」ということを決意した27歳のときから、高価なものを身にまとい、ぜいたくな食事をするというような、一般的なヴァイオリニストのイメージを振り払って、彼女が自分の理想とする音楽家像として、彼女自身が「その責任を自分で引き受ける」と選んだ道だった。

コンサートツアーの後半は、長野県の善光寺、日光東照宮、世界遺産に指定された中尊寺、そしてツアー最後の函館カトリック元町教会と続く。
コンサートは、一部の会場を除いてそのほとんどが無料であった。入場希望者は、往復はがきで応募して抽選された。
これは、彼女は早くから会貢献活動に関心を持ち、実際に非営利団体である「みどり教育財団」などを設立したことと無関係ではあるまい。
実際、東日本大震災の2ヶ月後には被災地を訪れ、避難所の人たちの前でバッハの「無伴奏」を演奏している。音楽活動をしていたからこそできる活動をしたい、という彼女の強い願いのあらわれなのである。

そんな五嶋みどりが弾くバッハ。
残念ながら、番組ではそれぞれの曲の一部しか放送されなかったが、ソナタはどちらかと言えば厳格に、パルティータは自由にテンポを変えながら舞曲らしさを出しているというような印象であった。
しかし、これはあくまでテレビ画面を通しての印象である。
実際の演奏を、今回のツアーのどこの会場でもいいので聴けたなら、特に個人的には最も好きなパルティータ第2番第4楽章を聴けたなら、その感動はたぶん生涯忘れ得ぬものとなったであろう。
聴くことのかなわなかったこと、それ以前に、そんなコンサートがあったことすら知らなかったことが、ただひたすら悔やまれる。

デビュー30周年プロジェクトは、まだまだアメリカ、ヨーロッパと各地で予定されている。
“世界中で企画されている30周年プロジェクトの中でも、日本の今回のツアーは一番最初の大きなプロジェクトでした。この場をお借りして、ご協力くださった皆様に心より感謝申し上げます。
これから丸一年、世界各地で様々なプロジェクトが行われます。
今月末には大学が始まりますが、それまではほとんどドイツにいます。涼しいといいな、と思いつつ、夏が終わるのは寂しい気もします。
次回は12月にミュージック・シェアリングのICEPの活動で来日します。
まだまだ暑い日が続くと思いますので、どうぞ皆様熱中症などに気をつけてご自愛ください。”(「みどりのバックステージ」8月4日)

五嶋みどりは「求道の人」である。
彼女のような日本人がいることを心から誇りに思う。

9月20日(木)

今日はシベリウスの命日。ご存知、北欧フィンランドを代表する国民的作曲家である。
聴きたい曲はたくさんある。

個人的にいちばん好きな曲は交響曲第5番。
でも、シベリウスの生誕50年を祝って作曲が依頼されたこの曲は、さすがに命日に聴くにはちょっと堂々としすぎて、命日にはあまり相応しくない感じだ。

ということで、まずは交響曲第6番の第1楽章から聴くことにしよう。
弦楽器だけで始まるこの序奏のすばらしさといったら!さらに、木管楽器が加わって奏でる優しさに満ち溢れた旋律。この冒頭部分だけでもシベリウスを偲ぶには十分なのである。

次は交響曲第3番の第2楽章。
弦のピチカートの伴奏で2本のフルートがメランコリックな旋律を奏する。その旋律は、クラリネットに、さらには弦楽器へと受け継がれて発展する。時おり明るさも見せるが、終始物悲しさに支配された楽章である。

男声合唱曲が弦楽合奏に編曲された、「恋する人」と訳すらしい「ラ・カスタヴァ」も聴きたい。
第1曲もいいが、「愛する人が通る道」と題された第2曲がいい。自分の愛する人が通るところを、静かに心ときめかせながら見ているというような印象の曲。いかにも美しい。

交響詩「夜の騎行と日の出」は、特に後半の「日の出」の部分を。
ホルンが奏する夜明けの主題がいかにも感動的である。弦楽器に受け継がれたその主題は、まるで夜明けの光が明るさを増していくかのようである。続いてオーボエが曙光を告げ、金管楽器が加わって昇る太陽が荘厳に描かれる。

締めくくりは、交響曲第7番。
シベリウスは91歳と長命であったが、実際に作曲に専念したのは、26歳から60歳までの34年間であった。
7番の交響曲は、シベリウスが作曲した最後の交響曲である(ただし、交響曲第8番が存在したことは、シベリウスの手紙に「交響曲第8番は括弧つきでの話だが何度も“完成”した。燃やしたことも1度ある」と記されている@Wikipediaとのことだ)。

この第7番は、「交響曲」と銘打たれてはいるが、単一の楽章で構成されている。
ティンパニと弦楽器群が、低音から静かに上昇する音を奏でて曲が始まる。
木管楽器と弦楽器が対話をするような展開から、主題らしきものが紡ぎ出されてくる。
やがてそれは弦楽器によって、確かな主題を誘導するかのような形を成してくる。
その盛り上がりの頂点に、トロンボーンのソロでいかにもヒロイックな主題が入ってくる。
途中、スケルツォ的な展開も見せつつ、再びトロンボーンの主題が入ってくる。
荘重な盛り上がりのあとは、明るく軽妙な主題が主調となる。
フィナーレは、トロンボーンの主題が三度回帰してくる。そうして、セシル・グレイが「オリンピア風の静謐さ」と評した終結を迎える。

こうして聴いてくると、シベリウスはいかにもロマンティシズムに満ち溢れた、抒情的な作曲家であるということがわかる。それはたぶん、フィンランドの美しい自然と一体のものなのであろう。

さて、演奏は交響曲第6番、第7番、「ラ・カスタヴァ」が、サー・コリン・デイヴィス指揮、ロンドン交響楽団によるもの。
サー・コリンのシベリウスは、70年代にボストン・シンフォニーを指揮してフィリップスに入れたレコードがすばらしい出来栄えだった。以来、サー・コリンの大ファンになった。
ロンドン響との演奏は、それから20年後の90年代に録音された。「ラ・カスタヴァ」は、その間のサー・コリンの円熟ぶりが感じられる、たいへんによい演奏である。
交響曲第3番は、サー・ジョン・バルビローリがハレ管弦楽団を指揮したもの。こういうメランコリックな曲を振らせると、バルビローリはほんとうにうまい。得も言われぬ寂しさを表現してくれるのだ。
「夜の騎行と日の出」は、サー・サイモン・ラトルとバーミンガム市響による演奏。実際に、まだ夜が明けぬうちから、太陽が顔を出すまでを自分が見ているかのような感じになる。すばらしい演奏である。

と、こう書いてきて、演奏がすべてイギリスの指揮者だったことに気がついた。
シベリウスの音楽は、本国を除くと、特にイギリスでその評価が高いのだそうだ。シベリウスの抒情的な美しい旋律や和音が、自然の美しさを好むイギリスの指揮者たちに好まれたのであろうか。

シベリウスが亡くなったのは、何と自分が生まれた年だった。
ということは、少なくとも半年間は存命中のシベリウスと同じ世界に住んでいたということだ。
もちろん、そんなことは生後6ヶ月の赤子が知るよしとてなかったのであるが。

9月12日(水)

9月13日は、シェーンベルクの生誕138年である。
シェーンベルクと言えば、無調音楽や12音技法の創始者として名高い。

「無調音楽」
“西洋音楽の歴史の中で数世紀の時間をかけて築き上げられた「調性」という名の調的な主従・支配関係に基づく音組織を否定し、19世紀末期から20世紀初頭にかけて新たに形成された音組織の概念である。調性のない音楽のことを無調音楽という。”

「12音技法」
“12平均律にあるオクターブ内の12の音を均等に使用することにより、調の束縛を離れようとする技法”(いずれも@Wikipedia)

クラシック音楽の愛好家の中でも、無調や12音の音楽はどうも苦手という方が多いのではなかろか。
曰く、「不協和音ばかりで不快だ」、「単なる騒音にしか聞こえない」、「何を表現しようとしているのかさっぱりわからない」等々。
シェーンベルクの生前にも、そんな酷評はいくらでもあったと思われるのに、どうしてシェーンベルクは無調や12音技法で作曲しようと思ったのか。
手がかりにするのは、「管弦楽のための5つの小品」(op16)である。

この作品は、1909年に書かれ、のち1922年に改訂された。
岡田暁生氏が指摘する(『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?』人文書院刊)ように、第一次大戦を挟んで改訂がなされているのは、たいへんに興味深いところだ。
シェーンベルクが作曲を始めたのは、後期ロマン派の影響が色濃く残っている時代だった。当然のことながら、シェーンベルクの初期の作品(「浄夜」、「ペレアスとメリザンド」、「グレの歌」など)は、後期ロマン派の様式で作曲されている。
その後期ロマン派の様式を脱して、無調音楽へと向かい始めたころに作曲された曲の一つが「管弦楽のための5の小品」である。

曲は題名のとおり、5つの曲から構成されている。
それぞれの曲には表題が付けられているため、多少なりともそれが曲を理解するための手がかりにはなろう。
第1曲「予感」
弦楽器の刻むリズムが、何かがやってくる「予感」を感じさせる。そういう意味での表題なのかもしれない。
第2曲「過去」
昔のことを一人静かに回想しているような曲である。
第3曲「色彩」
何とも変わった印象の曲である。音色がまるでプリズムのように変化する。夕日が沈んだあとの、刻々とその色調を変えていく空を見ているようだ。得も言われぬ美しさが感じられる。
第4曲「急転」
いきなり大音響の不協和音!全編ほぼ無調の音楽が展開される。
第5曲「オブリガート・レチタティーヴォ」
特に、終曲という感じでもなく、第4曲に続いて最後まで無調音楽が展開され、終わりの印象もなく曲が閉じられる。

シェーンベルクが無調音楽へと向かったその大きな理由の一つは、この第3曲を聴くと何となく分かるような気がする。
彼は、今まで誰も聞いたことがなかったような音色を創造したかったのだ。

12音技法についてはどうか。
12音すべての音を均等に扱って音列を作り、その音列により楽想が展開されていくのだ。ある意味、作曲に数学的な処理が施されると言えばよいだろうか。
数学的な処理ならば、その方法を覚えてしまえば、理論上は誰でも作曲が可能になるはずだ。

12音技法がほぼ完成されたとき、シェーンベルクは弟子であるヨーゼフ・ルーファー(1893-1985年、オーストリア出身のドイツの音楽学者・音楽教師。楽譜の校訂や出版にも携わった@Wikipedia)に、「私は12音技法で今後100年ドイツ音楽の優位が保証されると思う」と語ったそうだ。
この言葉は何を意味しているか。

12音技法が完成されたのは1921年。
その4年前にはロシア革命が起こり、世界で初の社会主義政権が誕生している。
ご存知のとおり、ロシア革命の理論的支柱となったのは、マルクス・レーニン主義である。
マルクスは、資本を社会の共有財産に変えることによって、階級のない協同社会の実現を目指した。
同様に、シェーンベルクもそれまで貴族階級を中心に発展してきたヨーロッパ音楽を、方法さえ理解すれば誰でも作曲ができるという12音技法を完成させることで、広く民衆の手に取り戻そうとしたのではなかろうか。

しかし、マルクス・レーニン主義がイデオロギーとなっていく過程でだんだん現実と乖離していったように、12音技法もその方法による縛りがより厳格になっていくことで、庶民のものとなるどころか、作曲法はその難易度を増していった。
シェーンベルク自身も、12音技法の完成を見たあとの作曲は、そう多くはない室内楽曲とピアノ曲を創作したくらいである。これは、12音技法のイデオロギーに、シェーンベルク自身も縛られてしまった結果であると言えはしないだろうか。

そんなことを想像しながら、「管弦楽のための5つの小品」を聴いてみる。
演奏は、サイモン・ラトルがバーミンガム市響を指揮したもの。
特に、第3曲の美しさは喩えようもない。無調音楽とは言え、こんなにも美しい音色が聴けるのだ。
こういう音楽を聴くときには、ベートーヴェンを聴くのと同じような聴き方をしてはならないのであろう。
例えば、「苦悩を通して歓喜へ」というような、文学的なテーマ性を期待して聴いてはならないということだ。
でも、音楽から伝わってくるメッセージは、ある。確かにある。

現在では、実際に12音技法を使って作曲する作曲家はほとんどいない(@Wikipedia)と聞く。
そういう意味では、残念ながらシェーンベルクが期待したような12音技法の完成による「100年のドイツ音楽の優位」は叶わなかったのかもしれない。
しかし、シェーンベルクが「管弦楽のための5つの小品」の第3曲で示したように、無調音楽や12音技法には、まだまだ未知の可能性が十分にあるのではないか。
シェーンベルクが、それまでの貴族中心に発展してきたヨーロッパ音楽の伝統に革命的な影響を与えたように、クラシック音楽の新しい伝統は、これから築かれていくのであろう。もちろん、大きな期待を込めつつ。

8月30日(火)

昨年は、NHKのBSで「ローエングリン」がライブ中継されたバイロイト音楽祭。
今年は、日曜日(26日)の深夜、NHKのBSプレミアムの「プレミアムシアター」で、「パルジファル」が放送された。
「パルジファル」!
何を隠そう、ワーグナーの数あるオペラ・楽劇の中でわたしが最も好きな作品は、この「パルジファル」なのである。

吉田秀和氏が、「オペラは音楽を聞くべきだ」というようなことをおっしゃっていたと記憶しているが、「パルジファル」は、とにかく音楽がいい!曲中に散りばめられた「聖杯の動機」や「信仰の動機」のメロディーが出てくるたびに、つい厳かな気持ちになってしまう。まるで、映画「ベン・ハー」の中でイエス・キリストが出てくるたびに、「キリストの動機」ともいうべきメロディーが流れるのと同じような感じがするのである。

「ローエングリン」以降に作曲されたオペラは「楽劇」(Musikdrama)と呼ばれるが、中でもこの「パルジファル」は「舞台神聖祭典劇」という厳めしい銘名がなされている。特別なオペラなのである。
何が「特別」なのか?
1)ワーグナーが作曲した最後のオペラだということ。
2)キリストが十字架に架けられたとき、脇腹を突いた槍とその血を受けた杯…聖槍と聖杯を題材として扱っていること。
3)ワーグナーが、バイロイト祝祭歌劇場での上演を前提にして書いた唯一の作品であること。
などが、その理由として考えられよう。
実際、上演の際には、ワーグナー自身が全幕の拍手を禁止したと言われている。「神聖」という名のとおりに、その宗教性を多分に強調したかったのであろう。

あらすじは以下のとおりである。
中世モンサルヴァート山の城で、キリストの最後の晩餐に使われた聖杯と、十字架上のキリストの脇腹を突いた聖槍(ロンギヌスの槍←エヴァ・フリークの方、ご存知でしょ?)とを守っているアンフォルタス王。
しかし、同じ山の反対側に住む魔術師クリングゾルの計略で仕向けられた美女クンドリの誘惑に負けた王は、クリングゾルに聖槍を奪われただけでなく、その槍で傷を負わされてしまう。
なかなか治癒しない王の傷。神託によれば、王の傷を癒すのは「同情により知を得る清らかな愚者」であるとのことであった。
聖杯守護の老騎士グルネマンツは、白鳥を射た罪で捕まった一人の若者パルジファルが、この愚者かもしれないと考え、王の傷を癒すために城に連れていく。しかし、パルジファルは王の前に出ても立ち尽くすばかりで何の役にも立たない。グルネマンツは、パルジファルを城から追い出してしまう。(第1幕)

今度は、クルングゾルの城を訪れたパルジファル。アンフォルタス王を誘惑したクンドリがパルジファルも誘惑しようとするが、パルジファルは心を動かされることがない。それどころか、この誘惑こそがアンフォルタスを傷つけた元凶であることを悟る。
クリングゾルは、パルジファルに聖槍を投げつけるが、その聖槍はパルジファルの頭上で止まり、パルジファルを傷つけることはない。逆に、パルジファルがその槍を取って振ると、クルングゾルの城は跡形もなく消え去ってしまうのであった。(第2幕)

キリストの受難日である聖金曜日、アンフォルタス王の城に聖槍を持ち帰ったパルジファルが現れる。その槍でアンフォルタス王の傷口に触れると、傷はたちまち癒える。グルネマンツは「これこそ聖金曜日の奇跡!」と叫び、人々はパルジファルにひれ伏す。聖杯を取り出して高く掲げ、式典を執り行うパルジファル。頭上に一羽の白鳩が舞う。(第3幕)

聴きどころは満載であるが、何と言っても白眉は第3幕であろう。
1)まずは、有名な「聖金曜日の音楽」の前の、グルネマンツが「あなたは救われた人の苦しみを自ら苦しまれたがゆえに、最後の重荷を彼の頭より取って下さい」(歌詞対訳は渡辺護による)と歌う場面。
2)続いてパルジファルが「私の最初の勤めをこのようにやります」と言いながら、「この洗礼を受け、救世主を信ぜよ!」とクンドリに洗礼を施す場面。
つい、背筋を伸ばして聴いてしまうところである。
3)そうして「聖金曜日の音楽」。
4)グルネマンツの「まひるです」という言葉に続いて、聖杯を守る騎士たちの行列が、厨子に納められた聖杯とともに入ってくる行進の音楽。
鐘の音がおどろおどろしい。
5)絶望して死を望むアンフォルタス王に、パルジファルが聖槍でその傷を癒し、「聖杯はもはやかくされている時ではない。覆いを取って、厨子を開け!」というパルジファルの言葉に続いて、「至高の救済をもたらす奇跡よ!」、「救いをもたらす者に救いを!」と入ってくる合唱。
心が静かに浄化されていくようである。
6)最後は、パルジファルが騎士たちの上に灼熱した聖杯を高く掲げる場面。
思わず涙が零れます。

演奏は、名盤中の名盤と言われる、ハンス・クナッパーツブッシュが指揮した1962年のバイロイト音楽祭での実況録音盤。
自分はこのレコードを、結婚祝いとして大学のクラブの先輩であるナカムラさんからいただいた。家宝の一つである。
CDは、クーベリックがバイエルン放送交響楽団を指揮した1980年の録音。これも感動的な演奏だ。
番外として、カラヤンがベルリン・フィルを指揮した録音。カセットテープに入れてもらって持っていたのだが、今ではどこかへ散逸してしまった。とてもいい演奏だったと記憶している。

さて、これから秋の夜長。
録画しておいた今年の「パルジファル」を、じっくり鑑賞しようと思う。

8月19日(日)

『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?』(岡田暁生、人文書院)を読んだ。
え?クラシック音楽って、もう終わっていたの?
それが、この本を手に取るきっかけだった。

「はじめに」には、こう書かれていた。
“今日コンサートホールで演奏されるクラシック音楽のレパートリーのうち、第一次世界大戦より後に作られたものが占める割合の小ささは、驚くほどである。バルトークのようにかなり知名度がある作曲家にしても、その作品が上演される頻度は、例えばベートーヴェンやブラームスやチャイコフスキーと比べれば、微々たるものだろう。一昔前のレコード店ではよく、シェーンベルクやヒンデミットやバルトークの作品が、「クラシック」ではなく、「現代音楽」のコーナーに置いてあることがあった。一九一〇〜二〇年代にかけて作られた曲ですら、二十世紀後半になってなお、「現代音楽」に分類されていたのである。一見時代錯誤とも見えるこのカテゴリー分けは、第一次世界大戦を境にして生じた西洋音楽史の質的変化を端的に示している。”(10〜11頁)

著作は、第一次世界大戦前後がその後の西洋音楽史にどのような影響を与えたのかということを、5つの出来事を手掛かりにして分析している。すなわち、
1)前衛音楽の登場、2)アメリカのポピュラー音楽の普及、3)レコードの一般化、4)音楽における国際主義、5)音楽の政治化、である。
中でも、大戦後に消滅した4つの帝国(オーストリアーハプスブルグ家、プロイセンーホーエンツォレルン家、ロシアーロマノフ家、トルコーオスマン家)の政治的影響が与えた衝撃は甚大であった。これにより、
“オペラや交響曲といった音楽ジャンルは、従来の貴族や上流ブルジョアからの経済的支援を、一気に失うことになった”(31頁)からだ。

確かに、現在も演奏会などで聴く機会が多いのは、圧倒的に第一次世界大戦前に作曲された作品である。
では、第一次世界大戦後はどのような作曲家がいるのか。
Wikipediaによれば、
「新古典派」:エリック・サティ、パウル・ヒンデミット、イーゴリ・ストラヴィンスキー
「社会主義リアリズム」:セルゲイ・プロコフィエフ、アラム・ハチャトゥリアン、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
「新ウィーン楽派」:アルノルト・シェーンベルク、アルバン・ベルク、アントン・ヴェーベルン
「新民族音楽主義」:ベーラ・バルトーク、伊福部昭、ニコス・スカルコッタス、カロル・シマノフスキなど
などの作曲家たちが挙げられていた。

おお、錚々たる作曲家たちがいるではないか!
誰を取り上げてもよいのだが、上記の作曲家たちの中で最も好きな作曲家を1名挙げるとするなら、バルトークである。
バルトークといえば、晩年に作曲された「管弦楽のための協奏曲」がたいへん有名であるが、今回は第一次世界大戦直後に作曲が開始された舞台音楽「中国の不思議な役人」を取り上げてみたい。

この曲には台本がある。バルトークと同郷の劇作家メニヘールト・レンジェルの執筆によるパントマイムである。
これが、どうもいかがわしい雰囲気の台本なのである。
舞台は近代的な大都会。3人の悪党の男と彼らの言いなりになっている少女。悪党たちは、少女を使って通行人を誘惑させ、自分たちが潜んでいるアパートの部屋に連れ込んで金を奪おうと算段する。
最初の誘惑者は老人、二人目は内気な若者、そして三人目が中国の役人。
警戒してか、なかなか部屋の中に入ってこない中国に役人に対して、少女は官能的なワルツを踊って役人を誘惑する。その踊りに興奮して、少女を追いかけようと役人が部屋に入ってきたところで、3人の悪党が身ぐるみを剥がす。そして、ベッドのクッションで役人を窒息死させようとしたが果たせない。3人は役人をシャンデリアに吊るすが、哀れに思った少女の懇願で床に降ろされる。少女の腕に抱かれて、役人は事切れる。
こんなストーリーである。

もちろん、初演は困難を極めた。
“あまりに生々しい台本の影響もあってか、当初予定していたブダペスト歌劇場での初演は実現せず、初演は1926年11月にドイツのケルンで、同地の国立劇場音楽監督を務めていたバルトークの知人のハンガリー人指揮者、センカール・イェネーの指揮で行われることとなった。しかしバルトークも臨席した初演は不評だった上に、教会関係者などから台本の内容の不謹慎さを批判する声が多く、コンラート・アデナウアー市長の判断でこの1日で上演品目から下ろされ、センカールが市議会から譴責処分を受けるというスキャンダルに発展する。
1927年2月19日に今度はチェコスロヴァキアのプラハで再演された。こちらはひとまず成功したものの、しばらくしてこれも「台本が不謹慎」として月末には上演禁止になってしまう。その直前にもブダペストでの上演計画がまた失敗していた。”(@Wikipedia)

曲は、目が回るような弦楽器の唸りで始まる。車のクラクションを思わせるトロンボーンの咆哮、それにトランペット、木管楽器群が加わって、近代的な大都会の喧騒ぶりが描写される。そんな大都会の暗部を象徴するかのような弦楽器。
そんな強烈な序奏に続いて、少女の誘惑ゲームが始まる。少女の誘惑の言葉はソロのクラリネット。老人が、内気な若者が、次々に誘惑されては叩き出されてしまう。
そうして中国の役人の登場。誘惑する少女の踊りは、いかにも不思議な雰囲気のワルツである。
そのエロティックな踊りにだんだんと興奮してくる役人。弱音器を付けたトロンボーンがその興奮ぶりを表すかのように激しく奏され、弦楽器がまるでストラヴィンスキーの「春の祭典」のバーバリズムを思わせるような激しいリズムを刻む。追いつ追われつの阿鼻叫喚。
悪党が登場して役人を押さえつけ、ベッドで窒息死させようとする。しかし、役人は死なずに頭を持ち上げる。ヴォカリーズの合唱も加わって、何とも不気味な雰囲気を醸し出す。
終曲は役人の最期である。少女の腕の中で満足して死にゆく役人の心臓の鼓動が聞こえるようである。

第一次世界大戦で敗戦国となったハンガリー国内は、混乱の極にあった。バルトーク自身も、離婚と再婚を経験し、個人的にも落ち着かない時期に、この「中国の不思議な役人」は作曲された。
そんな雰囲気がこの音楽にも十分に反映されているのであろう。

同時代の社会の雰囲気が、その音楽にも反映される。
第一次世界大戦中、ドイツの音楽学者パウル・ベッカーは、その著『ドイツの音楽生活』(1916年)で、「音楽とは作曲家と社会の共同作業の産物である」と主張した。
“ベッカーは「社会学的な前提条件がより多彩で内容豊かであるほど、それは創造者により力強い摩擦面を提供し、一層意味深い個性がそこから生じてくる」と言う。世俗とののっぴきならない対決なくしては、芸術が真の生命力を獲得することは出来ない。”(@岡田暁生)
しかし、こうした「音楽の社会的ミッション」の要請が、逆に音楽家たちの創作意欲を萎ませていったのではないか。

そんな移行期間とも言うべき時期に作曲されたバルトークの「中国の不思議な役人」。
少なくとも、この曲を聴くかぎり、「クラシック音楽は終わっていない」。バルトークは、自分が描きたいと思う曲を書いた。「音楽の社会的ミッション」など意識せずとも、その音楽の中には否応なしに同時代の雰囲気が織り込まれていくのである。

演奏は、サイモン・ラトルが古巣であるバーミンガム市響を振ったもの。
最初の序奏から引き込まれる。聴かせどころである第6曲「追っかけ」も迫力満点で、つい身体が動き出してしまうほどの、すばらしい演奏である。