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2005年01月22日

レッドクラウド物語

1月21日(金)

雪混じりの寒風吹きすさぶ中、店の取材撮影だ。
神戸トアウエストの「レッドクラウド」である。
この店は、普段あまり取材に出なくなったオレが取材しなくてはならない。
スタッフに「江さん行くんですか、どうして」と訊かれてもしょうがない。

この店のご主人「とっさん」は、同い年で旧くからの友人だ。
オレが神戸に住むようになった頃、仕事関係以外で一番早く知り合った街の友人だ。

彼は1983年三宮の高架下にわずか2坪のアノニームというブティックをオープン、そ
の頃西海岸の風が吹きまくりの高架下にあって、そのずば抜けたセンスでヨーロッパ
物のカジュアル系ウエアを厳選して置いていた。
オレたちは、全然知らない仏伊ブランドのアイテムを見て、同じTシャツでもこんな
に違うのか、と驚嘆した。

92年には、今度はアリゾナ・ナバホ族のジュエリーアーティストで友人のリキという
作家のインデアンニックネーム「ウィングロック」のアクセサリーを店の片隅に置き
、街のファッション人間を驚かせた。
そして人気のシルバー・リングやバングルは、発注してから1年待ちという具合だっ
た。
その頃、街の趨勢はイタリアン高級ブランド全盛だったし、ミーツは創刊してやっと
1年、「ダンスウイズウルブス」が映画館で話題になり、バッキーイノウエが調子に
乗って、俺の称号は今日から「街と寝る男」だ、キマッタね、とか弊誌の連載コラム
でぶっ飛んだことを書いていたからよく覚えている。

95年の大震災で、アノニームはむちゃくちゃになってしまう。
その頃のミーツのバックナンバーを読み返してみると、とっさんの妹の田所雪子さん
が「大切な実家、仕事のスタッフ、勤めているルーツ(店名)、アノニームがたった
数秒で全滅」と寄せている。
阪急の高架自体が倒壊したぐらいだから、高架下商店街の自体の再開のメドもたたな
い。
そんな時、リキ氏のアメリカからの「ぼくの持っている物を、全て渡すから、それを
置けばいい」というありがたい申し出があり、トアウエストのちょっと入ったところ
にその全てのアイテムを置く店をオープンした。
店名はそのまま「ウイングロック」をもらうことで承諾してもらった。

さらにその後すぐ、近くの不動産屋から「近所に大きな物件が空くから借りてくれな
いか」と言われる。
「とんでもない。そんなん、できません」と一応断るが、歩いて30秒の潰れた和菓
子工場の物件を見に行く。
毎日近所の道を掃除していていた顔見知りのおじいさんがそのお菓子屋の親方で、も
はや製造できなくなった工場の3階建ての物件を貸してそのお金を職人たちの退職金
に充てたい、とのことだった。

建物1棟まるごとは借りる余裕はなかったので、1階だけ借りて震災の年の暮れにオ
ープンしたのが、大箱のカフェ「レッドクラウド」だ。
「お互いほんまに困っていたけど、みんな地震後イライラしていた時に、公園のベン
チみたいな店を造ったれ」と思ったという。

この店は頑なにメディアに登場するのを拒んできた店だ。
後にも先にもミーツの2000年1月の創刊10周年記念号に、副編の塩飽が10周年だから
と頼み込んで「栗色の巻き髪神戸ガールも、近所の土建屋さんも、界わいのショップ
スタッフも、実にいろんな人が座る」と書いただけだ。

今回その「ウイングロック」を閉め「レッドクラウド」と統合、全面改装してまった
く新しい店として再オープンした。
主は多くを語らないが、「ウイングロック」の店長が急死してどうにもならなかった
からだという。
その服飾部門の「アノニーム」「ウイングロック」を引き継ぐ店は「オール・マイ・
リレーションズ」という名前である。

この仕事は面白い。


投稿者 uchida : 2005年01月22日 09:14

コメント

ひとつの店の歴史を語る中に、多くの人の苦しさと哀しさと強さと…いろんな人生が感じられて、なんだかたまらないですね。

街・人・店・起こった出来事、
きれい事ではない現実がいっぱいあって、それでも前に進まないといけない。
ラクではないですね。
でも、人ってすごいな、って思いますね。

投稿者 門葉理 [TypeKey Profile Page] : 2005年01月23日 01:05

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